-ウィキペディアの「Ramana Maharshi」のページの2、2.4「Western devotees - Maurice Frydman」の項目から(shiba引用)
・・・『マハルシの福音』(1939)に発表された多くの質問は、モーリスによって行われ、マハルシの詳細な返答を引き出しました。『マハルシの福音』は、ラマナ本人によって校正された唯一の英語の原本であり、ラマナの手書きの訂正がある元の原稿はアーシュラムの倉庫にいまだ存在しています。
マハルシの福音
第1巻&第2巻
信奉者によってなされた質問への
バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシの答え
1939年12月27日
バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシの
第60回目のジャヤンティの機会に初版刊行さる
前書き
信奉者によってなされた質問への
バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシの答え
1939年12月27日
バガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシの
第60回目のジャヤンティの機会に初版刊行さる
前書き
バガヴァーン・シュリー・ラマナの数多くの信奉者の切なる願いに答えて、折に触れ彼になされた質問の一部への答えが、世界全体の利益のために、『マハルシの福音』という題で本の形で出版されます。
これらの質問は、私たちの非常に多くに起こり、私たちは心の中でそれらを解決しようと苦心します。マハルシによって与えられる答えは、神聖な知恵の精髄であり、彼の直接の知識と体験にそのまま基づいています。彼の答えは、熱心な真理の探究者にとって計り知れない価値があります。
唯一無二の現実は、絶対の自らまたはブラフマンである、という、アドヴァイタの深遠な真理は、これらのページの中でどこよりも明快に解説されています。というのは、一方で、彼のものである最高の体験に基づき、バガヴァーン・シュリー・ラマナが話すためであり、他方で、世俗の人の一般的な視点から、志高き者が真理を知ろうと努めるからです。
真理は誰にとっても同じであり、シュリー・バガヴァーンは、熱心な志高き者が彼自身の根本の体験を吟味し、批判的に調べ、彼の存在の核心、ハートを自ら探すように指示します。それは唯一の究極的現実と永遠に同一であり、見られたり、知られる他の全てのものはその現象的な顕れに過ぎません。
賢者の口からもたらされる一言一句は、ウパニシャッドの知恵の神髄であり、彼自身がその至高の体現者です。
敬虔な読者は、これらのページの中に実際的な助言を見つけるでしょう。そして、自らの本質的性質は神聖であるという確信を得るでしょう。
目次
第1巻
第1章 仕事と放棄
第2章 沈黙と独居
第3章 心の制御
第4章 バクティとジニャーナ
第5章 自らと個人性
第6章 自らの実現
第7章 グルとその恩寵
第8章 安らぎと幸福
第2巻
第1章 自らの探求
第2章 サーダナと恩寵
第3章 ジニャーニと世界
第4章 ハートは自らである
第5章 ハートの場所
第6章 アハムとアハム・ヴリッティ
何時もお世話になっております。
返信削除8年位前にシュリラマナマハルシの本と出会い、日本で発売されている本を全て手に入れ日々読んでいる、名も無きバクタです。
月日が経ち、本を持ち歩かなくなり当サイトの記事より、胸に染み込むものをプリントアウトして通勤の往復に読み込んでいます。
また、起床時、就寝前には過去投稿を繰り返し読ませて頂いています。
管理人様の翻訳が私にはググッと来るのです。
既に知的な理解より、ただ、ただ自らに溶け込みたいと思うだけ。
イエス様や仏陀、マイスターエックハルトの言われることを、バガヴァンは易しく伝えてくれています。
アートマビチャーラが私には難しいなら、残る人生の一瞬、一瞬を「オームナモーバガァバティシュリラマナヤ」のマントラで埋め尽くす覚悟です。
それでも、休日にはコーヒーを飲みながらアルナーチャラの聖者を訪れるのが、ささやかながらも、最高の楽しみです。
全く身勝手なお願いですが、これからも最新の投稿を胸に染み込む翻訳でお願いします。
管理人様のご健康を祈りながら、衷心より感謝しています。