アルナーチャラ
ルシア・オズボーン
ルシア・オズボーン
アルナーチャラ!
あなたはハートの中で「私」として踊る内なる自ら
ハートがあなたの名である、おお、主よ!
-シュリー・アルナーチャラへの五詩節、第二詩節
プラーナ(*1)では、アルナーチャラは地上の最古の山として言及され、全世界のハート(核心)とみなされています。科学者もまた、デカン高原の東の山脈を最も古い土地として指摘しています。アルナーチャラは多くの名前を持ちます。少しだけ挙げるなら、アルナギリ、ソーナーギリ(黄金の山)、スダルシャナギリ、アンナーマライであり、また、テージョーリンガム(*2)としても言及されています。それは光輝のリンガムであり、シヴァの無形の象徴です。
山の形はシュリー・チャクラ(*3)-宇宙とその礎の象徴-に似ていると言われ、シャクタ(*4)はこの山をシュリー・チャクラそのものとみなしています。バガヴァーンは、母へ捧げられた寺院へシュリー・チャクラを安置するのに積極的な役割を果たしました。
シヴァの信奉者は、この聖なる山をシヴァの姿と思っています。シヴァはブラフマンとヴィシュヌの真ん中に、始まりも終わりもない火の柱として彼らの無知を払うために現れました。両者とも物理的な(身体的な)努力で彼の存在を理解するのに失敗しました。これは心や知性がそれ自体を超えゆけないことを意味しています。アルナーチャラは、伝統的に、スダルシャナ(*5)(チャクラの形、もしくは、ビシュヌの円盤)と同一視されています。神の姿では、スダルシャナは破壊の武器を身につけ、恐ろしい顔つきで現れます。探求者が自分自身の中の恐ろしく見えるもの、つまり、自分自身の心の暗く、低くきに向かう性質を乗り越えようと苦闘しながら、恐ろしいものという外観を超えて見通す時、恩寵が愛と慈悲として現れます。象徴学の権威であるミーズ博士によれば、これがスダルシャナの語源であり、愛と美を明らかにするために、それらの性質の破壊を目的としています。
多くの聖賢が、アルナーチャラとその重要性を讃えた歌を歌い、作り、ここで真理の光を得た者もいました。シャンカラもまた、アルナーチャラを訪れたようです。彼の詩の一つの中で、彼はこの山を「メール」と呼び、バガヴァーンと同様に、シッダ・プルシャ(*6)がここで見つかると言います。ナマーシヴァーヤ聖者は洞窟の一つに住んでいて、その洞窟はいまだに彼の名前で呼ばれています。彼の弟子は、アルナーチャラを讃えた賛歌である有名なアンナーマライ・ヴェンバを記しました。もう一人の有名なシヴァ派の聖者、ヴィルーパークシャもまた、斜面上のより高い所にある洞窟に住んでいました。その洞窟はオームの形をしている言われていて、そこでオームの音を静かな瞑想の中に聞いた信奉者もいました。その聖者のお墓もそこにあり、その洞窟は彼の名を冠しています。バガヴァーンは17年間その中で過ごし、後にスカンダーシュラムに移りました。そこでは、滴り落ちる水が一夜にして、ガンジス川の流れのように、時とともに衰えることのない四季を通じて続く流れに変わりました。別の有名な聖者であるアルナギリナータルもまた、アルナーチャラの寺院でムルガの恩寵を通じて(真理の)輝きを受け取った後、彼の賛美の歌で褒め称えられています。
ある日、アガスティヤ・ティールタムと呼ばれるアーシュラムに隣接した池に話が及んだ時、その聖者が山を訪れたことがあるのかマハルシは尋ねられました。バガヴァーンは、「ええ、もちろんです。全ての人が、終には、ここに来なければなりません」と発言しました。それは全ての人が、終には、その源-アルナーチャラに帰らねばならないという意味です。
ティルヴァールールでの誕生によって、ベナレスでの死によって、チダンバラムでの崇拝によって、そして、ただアルナーチャラを思うだけで救いが得られると聖者たちは言いました。バガヴァーンも、「ですから、輝く黄金の光沢のアルナーチャラを崇拝しなさい。ただ彼を思い出すだけで解放を確かなものとするからです」と肯定しました。
バガヴァーンは、その山は光の山であると述べました。時には、山の上で光の顕現を見ることができました。初期の年代に、フランス人の信奉者であるスジャータ・センは、かつて、日が暮れた後に女性の信奉者がアーシュラムに留まることを許さない管理秩序に抗議して、山で一夜を過ごしました。この時間は多くの信奉者にとって最も素晴らしい時間であり、バガヴァーンは輝く静寂の内に彼らと共に1時間ばかり座ったものでした。スジャータは彼女の不満を一心に考え続けました。次の日の朝、彼女は自分が山の中に取り込まれ、その中に全世界を発見したと私に語り、それを描写しました。私はそれにあまり注意を払わず、夢か想像として片づけました。たいへん不思議なことに、長い年月の後、正確には1970年に、S.N.タンドン氏という別の信奉者が同じような体験をして、彼はその年の1970年4月の「山の道」の記事に詳細を描写しました。それはダンテの地獄編を彷彿とさせ、段々と光へ通じてゆき、そこで全ての顕現が純粋な「私は在る」という感覚の中に消えます。
シュリー・ヴィシュヴァナータ・スワーミーは、青年時代から長い年月をバガヴァーンと共に過ごしていた人です。彼は以下の話を我々に語りました。20年代初期、バガヴァーンは彼に、「私がこの山、アルナーチャラについて見たヴィジョンは無数です。私はその中に美しい木立や立派な宮殿を見ました。かつて、私は大きな池とリシやヨーギの大集会がその周りの大きな平原に座っているのを見ました。どの顔も良く知っており、その周辺も同じように良く知っていました。高座がそこにあり、私は昇り、右手をチン・ムドラーの形で掲げ、そこに座りました。それは私のいつもの場所で、いつもの仕草のようでした」と言いました。チン・ムドラーは、親指と人差し指をつなげ、残りの3本の指をまっすぐにして右手を掲げる仕草です。それはダクシナームールティの仕草です。それは個人とブラフマン-三つのグナ(*7)を超えた超越的な現実-の合一を意味します。
永遠に若者の姿をした古(いにしえ)の教師、シッダ・プルシャが、聖なる輝きを沈黙の中で放ちながら、斜面の一つの高い所で、バニヤンの巨木の下に座しているとプラーナの中で述べられています。
若い時分、バガヴァーンは山をたいそう歩き回ったものでした。ある日、彼は干上がった水路に途方もなく巨大なバニヤンの葉を見つけ、どのような木がこんな葉をつけるのかと好奇心を持ちました。先に進み、彼は遠くから、切り立った岩壁のようなものの上で成長しているバニヤンの巨木を見つけました。近くに行くと、バガヴァーンはうっかりスズメバチの巣に足を踏み入れてしまい、スズメバチが彼の足をひどく刺すことによって邪魔されたことへの怒りを収めるまで足を戻しませんでした。
バガヴァーンはその木の近くに行かずに、住まいに戻りました。続いて、彼は信奉者がその場所を見つけようと試みるのを強く思い留まらせました。それは近づき難く、そのようにすることは彼らにとって賢明ではないと言いました。彼は信奉者に、「それは不可能です。私はそれを知っています!なぜなら、私を見て、生きている者は誰もいないであろう(出エジプト記、33・20)」と言いました。
有限の自我は、無限をつかみ、溶け込みうる前に、死ななければなりません。かつて、信奉者の一団が、もちろんバガヴァーンの指示に気づかずにですが、その場所を見つけようと出かけました。気づいてみると彼らは、願い求めうる全ては安全に帰れることだけというような困難な状態にいました!
アルナーチャラについて記そうとする努力は何であれ、適切な表現を借りるなら、「ユリの花に色を塗る」ようです。バガヴァーン自身よりも巧みに、明瞭にそれを描くことは不可能であり、その場合は両者の間に区別は存在しません。バガヴァーンの姿をしたアルナーチャラが自分自身について語るのです!バガヴァーンのように、その山は生命を持つようになり、我々のハートという最愛の人として、言い表わすことのできない優しさとして我々の前に現れえます。いったい自分自身の自ら、アルナーチャラより近しく、愛しいものがあるでしょうか。
おお、信奉者のハートに湧き出る神酒 .. 私の寄る辺の安息の場所...
-シュリ-・アルナーチャラへの十一詩節、第二詩節
唯一の自ら、唯一の現実のみが永遠に存在する
古の時代の若々しい教師、ダクシナームールティでさえ
無言の雄弁によって、それを明らかにした時
他に誰が、言葉によって、それを伝えられるのか
-自らについての五詩節、第五詩節
バガヴァーンは全世界はスクリーンの上の絵のようであり、そのスクリーンは赤い山、アルナーチャラであると説明しました。生じ、沈むものは、それが生じるところのものだけから成り立っています。全世界の最終的なもの(究極)は、アルナーチャラです。アルナーチャラ、もしくは、自らについて瞑想すると、「私」の響きがあります。「私」の源を追跡すると、原初の「私‐私」のみが残り、それは表現できません。「文字で編まれた婚礼の花輪」のまさにその最初の詩節は、これを簡潔に表現しています。
アルナーチャラ!
あなたはハートの内であなたのことを瞑想する人々の自我を根絶する
おお、アルナーチャラ!
おお、アルナーチャラ!
バガヴァーンは尋ねられなければ信奉者にめったに助言をしませんが、山の周回をサーダナの進歩に非常に有益であるとして心から承認し、勧めました。彼自身がギリプラダクシナを数え切れないほど行うことによって模範を示しました。崇拝は、静かに心に留めて、もしくは、バジャンを歌いながら-つまり、さ迷う思いに屈することなく、崇拝する対象を周回することによって表されます。たいていは裸足で行います。もっとも望ましい時期は、満月の日、シヴァラートリ(シヴァの夜)、そして、カールティカイ(・ディーパム)、夜にかがり火が山頂に灯される夜です。巡礼者は目に見えない大勢のシッダやリシ達に付き添われると言われています。祝祭の日、白や明るい色の衣服を着た巡礼者の流れは花輪に似ており、アルナーチャラの周りに振りまかれ、バジャンという方法でその香りを漂わせています。
様々な精神性の様式を象徴するインドの多くの聖地中で、アルナーチャラはグルの沈黙の影響によって導かれる、もっとも直接的な道の中心として際立っています。それはグルとの身体的な接触を必要としない中心であり、道です。沈黙の教えは、直接的にハートに働き、語りかけます。バガヴァーンは千の顔を持ちますが、本質的に不変で、岩のような何かが彼の中にありました。尋ねられた時には彼は語り、説明しましたが、彼のもっとも偉大で目覚ましい教えは、その山のように、ダクシナームールティのように、沈黙の中で与えられました。バガヴァーンを通じて、彼が自分自身と同一視したアルナーチャラに内在する、聖なる再生のための計り知れない可能性に命がもたらされ、注目が向けられました。
「シュリー・アルナーチャラへの五つの賛歌」への吉祥なる導入として採用された祝福の詩節は、「パラマートマ、それはアルナーチャラ、もしくは、ラマナと同じである」という言葉を実際に誰が書いたかはっきりしていなかったので、いくぶん困惑させるものでした。もっとも古くからの信奉者の一人で、バガヴァーンに仕えるために弁護士の職を辞したシュリー・T.P.ラーマチャンドラ・アイヤルは意見を求められ、シュリー・ヴィシュヴァナータ・スワーミーもまた意見を求められました。そのことについての彼らの説明は、(以下のようになります)ある日、バガヴァーンがヴィルーパークシャ洞窟を出て、いつもの朝の散歩に出かけた時、アムリタナータ・ヤーティという名前の人がバガヴァーンの座に紙切れを置きました。それには、マラヤーナム語の詩節でバガヴァーンが本当は誰なのか知りたいという彼の大変な熱望が語られていました。
あなたは主ヴィシュヌ、もしくは、シヴァ
もしくは、偉大な文法家ヴァラルチの顕現でしょうか
もしくは、ヤーティ(出家者)の中の最も偉大な方でしょうか
彼の質問は、古典的な形式と文字で表現されていました。彼が少し後で洞窟に戻った時、バガヴァーンがすでに散歩から帰っていることに気づきました。紙切れの裏にはバガヴァーンの返答があり、同じく韻文とマラヤーナム文字で巧みに表現されていました。それを読むとすぐに、アムリタナータ・ヤーティは身震いを感じ、謙遜の限りを尽くし、バガヴァーンの足もとに、彼自身の言葉を使うなら、「ココナッツの高木が根元から切られたように」崩れ落ちました。答えは以下になります。
ビシュヌから始まる全て(の者)の蓮華の形をしたハートの内に
パラマートマンが絶対的な意識として輝いている
それはアルナーチャラ-ラマナと同じである
それはアルナーチャラ-ラマナと同じである
心が彼への愛に溶け
彼が最愛の人として住まうハートの奥底に到達する時
微細なる目、純粋なる知性が開き
純粋なる知性として彼がその姿を現わす
(アーサー)オズボーンは、「バガヴァーンの力強い恩寵を通じて、自らの探求の道は、この時代の男女の能力の範囲に持ち込まれ、儀礼も儀式もない現代社会の状況の中で歩める新しい道に形づくられました。・・・時代の必要性に応じる、この新しい道の創造は、アルナーチャラを世界の聖なる中心にしました。今や彼は肉体を脱ぎ捨て、アルナーチャラと一体であるため、彼の方を向き、彼の助けを求める人々に対して彼から発する恩寵と導きは、今まで以上に外面的にはアルナーチャラに集中しています。そこには多くの人々が、バガヴァーンの存命時にその弟子であった人々と後から来た人々が共に引き寄せられています」と記しました。
バガヴァーンの存命時と同じく、今でも、「シュリー・アルナーチャラへの五つの賛歌」から選ばれた適当な詩節を繰り返すことで、自分自身の言葉よりもはるかに効果的にアルナーチャラ-ラマナに話しかけることができます。それは、彼と離れていない彼の弟子の代わりに、バガヴァーンが記したものです。絶対的な意識の一つの形態に過ぎない個人は、恩寵を通じ、絶対的な自由という根源的な境地を取り戻すため、その有限性と戦います。これらの詩節は信奉者自身の心(ハート)から出ています。
五感という盗賊が私の中に押し入ったときでさえ
あなたは依然として私のハートにいるのではないのか
おお、アルナーチャラ?
あなたの本当の自らを勇敢に求めるとすぐに
私は心の支えを失った
私に憐れみを持ちなさい、おお、アルナーチャラ!
あなたが恩寵の手を憐れんで延ばさないなら
私は道に迷っている、おお、アルナーチャラ!
今、目を向けるなら私は愛されそうもないが
それでも、あなたの恩寵で私を飾り、私を見つめなさい
おお、アルナーチャラ!
あなたは私に混乱への薬を処方した
それなら、私は困惑していなければならないのか!
あなたは恩寵として、一切の混乱の治療薬として輝いている
おお、アルナーチャラ!
主よ!荘厳たるソーナーギリを統治する意識そのものよ
この浅ましい私の重大な悪事を許し
雨雲のように恵み深いあなたの慈悲深いまなざしで
わびしい荒れ地で道に迷う私を、今いちど、救いなさい
そうでなければ、私は容赦のない(万物の)現われ(の流れ)を渡ることができない
主よ!恵み深くも
罠にかかった鹿のようにもがく疲労の中の私を楽にしなさい
主、アルナーチャラよ!あなたの意図はいったい何なのか
おお、純粋な方よ!
五つの要素、生ける者、そして、顕現した一切万物が
あなたの全てを包む光でしかないなら
どうして私だけがあなたから離れていられるのか・・・
バガヴァーンは、彼が存在し続けているという多くの示唆を与えました。常に存在し、全てに行き渡っているため、いったい彼がどこに行けるというのでしょうか。外面上は山として現われ、目に見えますが、以前のように導きながら、彼はいつもここに留まります。「体だけが移動し、自らはただ在る」とバガヴァーンはよく言いました。彼の体は移動し、消え去りました。彼は常に在るがごとく、ただ在り、その恩寵の目に見える支えはアルナーチャラです。ここに来れること、ここに滞在できることは大変な祝福です。長い年月の後も、毎日は依然として贈り物のようです。人はその生き生きとした存在、輝き、そして、力強い聖なる助けを感じざるをえません。その助けは、それを求める人々、とりわけ、この信仰の持つ働きに身を委ねるほど十分に謙虚な人々に与えられます!
ジニャーナ・タパスに富んだ人々(智慧を得ようと常に意図する者たち)を
それ自体に引き付ける山は、このアルナーチャラである
-アンナーマライ・ヴェンバ
(*1)プラーナ・・・トリムールティ(ブラフマー、ビシュヌ、シヴァ)を主要として、様々な神々を賛美するヒンドゥー教の聖典。
(*2)テージョーリンガム・・・テージョーは「火、光」を意味し、リンガムは「しるし」という意味で、シヴァ神を表したもの。
(*3)シュリー・チャクラ・・・物質的全世界とその未顕現の源の結節点である中心点を囲み、9つの三角形が組み合わさり、43の三角形を形作っているヤントラ(象徴的図形)。シュリー・ヤントラとも言う。トリプラ・スンダリーという名の女神の象徴的表現でもある。
(*4)シャクタ・・・シャクティズムを信奉する人々。シャクティズムは、シャクティ、または、デヴィー-聖なる母-を至高のブラフマンそのものとして信仰している。
(*5)スダルシャナ・チャクラ・・・ヴィシュヌ神により使用される、回転する108つのノコギリ状の刃をもつ円盤状の最上の武器。プラーナによると、スダルシャナ・チャクラは敵を究極的に滅ぼすために使われる。
(*6)シッダ・プルシャ・・・悟った人、完全な存在、聖者
(*7)3つのグナ・・・自然(プラクリティ)を構成するサットヴァ(創造)、ラジャス(保持)、タマス(破壊)という3つの働き。
こんばんは!
返信削除shibaさんに、教えていただきたいことがあります。
2chに、
「私は誰か?」は、タミル語では「私はどこから来たのか」ではないか?
と記載されていました。
私は、タミル語がまったくわかりませんが、「私はどこから来たのか?」は、とてもしっくりきます。
shibaさんは、どう思われますでしょうか?
教えていただけると助かります。
m(_ _)m
書かれてあることは、タミル語で「私は誰か」が「私はどこから来たのか」という意味になるということではなく、シュリ-・バガヴァーンが教えの中で「私は誰か」より「私はどこから来たのか」の方がより正確であると言っているということではないでしょうか。
削除ちょうど1つ前のプラーナーヤーマに関する投稿(2月26日)でそのことについて翻訳しています。
『探求の方法において-それはより正確には、単に「私は誰か」でなく、「何処から私は来たか」ですが-』
とあります。
実際、「私はだれか」と探求すると、「私」が出てきた源、自らに帰るので「どこから」私がきたのかを探求していることになるので、シュリー・バガヴァーンはそのような表現をされたのではないでしょうか。
ですから、ookuwaさんがしっくりくるのも自然なことだと思います。
ありがとうございましたぁ!
返信削除m(_ _)m