2013年3月26日火曜日

マハー・ニルヴァーナ(偉大なる寂滅)② - カラムチャンダリ軍医の記録

◇『静かなる力(The Silent Power)』、p142~145

最後は安らかであった

P.V.カラムチャンダニ中佐
シュリー・マハルシに付き添った軍医の目撃談
ここでは、どのようにシュリー・マハルシがその最後の瞬間でさえも、自然と速やかに真摯な望みと祈りに応じたかが、師のマハー・ニルヴァーナの物悲しくも感動的に荘厳な背景を書き表した高名な医者により詳述されています。
  最後の2か月間、バガヴァーン・シュリー・マハルシにつき添うという並みはずれた栄誉は、いくぶん思いがけなく、私の側の何らの計画もなしにやってきました。

 私がティルッチで働いていた15年ほど前、北インド出身の友人が私に手紙を送り、ティルヴァンナーマライとシュリー・ラマナ・マハルシについての詳細を尋ねました。その町とその聖者を見たことも聞いたこともなく、どちらにも関心がないと書いて私は返信しました。

 昨年12月、私は北アコットに配属され、ほんのすぐ後に軍医が私のところに来て、ティルヴァンナーマライの病院を訪れるように勧め、その機会を利用してシュリー・ラマナ・マハルシに会えると付け加えました。ティルヴァンナーマライへの何気ない言及は友人の質問の記憶を呼び起こしましたが、私にはその地方の町へ行こうとする駆り立てるような衝動はありませんでした。

 しかしながら、公務により、何か月か後に私はティルヴァンナーマライにやって来ました。視察業務が終わった時、私はアーシュラムを訪問してはどうかとの提案を受けました。私は同意しました。私はアーシュラムに行き、そこでシュリー・バガヴァーンに会いました。

 シュリー・マハルシに会う前に、肉腫ため彼が4回の手術を受けたということを聞かされていました。私が彼を診察した時、腕のひじの上に小さな潰瘍をみつけました。潰瘍の上端には、腫れがありました。それが手術の後に再び生じている腫瘍の成長なのか、一般的な炎症なのか私は確信が持てませんでした。疑いを晴らすためペニシリン(の投与)を提案しましたが、ペニシリンは投与されず、そのうちに、それは腫瘍の成長であると判明しました。

 ほんの6週間のちに、再び私はティルヴァンナーマライに呼ばれました。私がこの時分にシュリー・バガヴァーンに会った時、前方の2インチの場所を除き、大きな腫瘍が左手の上腕をほとんど覆っていることに気づきました。この腫瘍は出血し、リンパ液を失わせ、それにより直接的に体液システムを枯渇させていました。これに加え、痛みがあり、それは体を疲弊させていました。大量出血とリンパ液の喪失以上に、痛みは悩ませる特徴でした。

 シュリー・バガヴァーンが患った腫瘍の種類は紡錘形の肉腫で、おそらくは尺骨神経の鞘から生じていました。これは刺すような痛みという特徴を伴う大変に苦痛を与える腫瘍です。医学用語では、これを電撃痛と呼びますが、シュリー・バガヴァーンはそれを虫が腕を這い上ったり下りたりしているようなものと表現しました!まるで体が彼に属していないかのように彼は痛みに耐えました。私が痛みがあるかどうか彼に尋ねた時はいつも、シュリー・バガヴァーンは大したことではないと言いました。

 私が再びやってきたこの時期に、腫瘍は猛烈に成長し、体を急速に弱らせ、また、シュリー・バガヴァーンの確固不抜とした人格の内に何らかの痛みの感覚を生じさせていました。私はこれを一つの小さな出来事によってしか例示できません。シュリー・バガヴァーンの逝去の数日前、ある人が腫瘍の上の布に触れ、彼の顔に痛みの表情が現れました。腫瘍の上の布に触れただけで、腫瘍そのものには触れていないと言いました。それに対してシュリー・バガヴァーンは、その布が山々の重さを支えていると返答しました!

 私はシュリー・バガヴァーンに今月13日の真夜中ごろに会いに行きました。私は彼が目を閉じて休んでいるのを見ました。彼が目を開けた時、彼は付添人すべてに部屋から去るように頼みました。彼はこれを6回くり返して言い、これは譫妄(せんもう)であると判断されました。しかし、私は彼を診察し、彼が十分に意識があり、全く譫妄の状態ではないと気づきました。私は付添人たちに、シュリー・バガヴァーンの指示に従って、部屋の外に出るように求めました。夜通し、私は彼とともに座りました。呼吸は困難でした(我々が呼ぶところのチェーンストークス呼吸です)。痛みはとても激しいものでした。なぜなら、ほんのわずかの動きでさえも痛みの兆候を表したからです。

 私は朝方に離れ、夕方に戻りました。シュリー・バガヴァーンが息を引き取るほんの2時間前でした。その時に彼のそばにいるというこの栄誉は私が祈り願ったものでしたが、ほとんど期待していませんでした。私が彼の部屋に入った時、シュリー・バガヴァーンの目は閉じていました。彼はベッドにもたれ支えられ、呼吸はとても荒いものでした。唇が乾き切っており、私は水を数滴差し上げました。私は少しの果物ジュースの方がいいだろうと思いました。私は彼に、「バガヴァーン、オレンジジュースを差し上げましょうか」と尋ねました。私は質問を2回くり返し、それぞれにシュリー・バガヴァーンは「いいえ」を意味して頭を振りました。

 その時、奇妙なことが起こりました。私は彼のそばに立ち、祈るように熱心に心の中で質問を繰り返していました。突如、シュリー・マハルシは「はい」を意味してうなずき、口を開きました。私は彼にジュースをティースプーン3杯差し上げました。毎回、彼は口を開いて、ジュースを飲みこみました。これがシュリー・バガヴァーンがとった最後の栄養でした。これは午後7時45分ごろでした。

 8時10分前に、シュリー・マハルシの脈拍はまだ取れました。信奉者の大集団がいつ何時でも息を引き取るかもしれないと予期し、恐れながら、悲嘆にくれて外で待っていました。私はそれがすぐ起こる可能性はないと感じ、行きわたる緊張を和らげるために、生命に差し迫った危険はないとの趣旨の公示がだされました。これにより集まった信奉者は少し落ちつきました。9時25分前、脈拍はまだ取れ、呼吸はとても荒く、苦労するものでした。この力強い人物がそのような苦痛を被るのを見るのは言いようもなく心苦しいものでした。私はどうしてそのような偉大なる魂(人物)がこのような苦悩を経験しなければならないのか心の中で問いました。彼は他者のカルマを彼自身に引き受けたのか。彼がこれほどの苦痛を被るならば、他の人はどうなるのか。シュリー・バガヴァーンは、自分自身から苦しみを除くことはできないのか。シュリー・バガヴァーンを見つめながら立っていた時、そのような思いが私の心にのしかかりました。

 私の苦しみに答えを与えるかのように、状況が変わりました。それも、突如として変わりました。脈拍は消え、呼吸はゆっくりと、安らかになりました。そのような時期と段階において、それはとても稀な特徴でした。呼吸は徐々にゆっくりとなり、終に、9時13分前に完全に停止しました。我々は(彼が)息を引き取ったということを、その後に呼吸がないという事実のみから判断できました。普通の人の場合にたいてい(見受けられる)息を引き取ったことを知らせる痙攣、もがき、あえぎは、シュリー・バガヴァーンの場合にはそこに存在しませんでした。そして、とてもゆっくりと穏やかに、シュリー・バガヴァーンは肉体の器からの解放を手に入れました。これが最後でした。

 いいえ。どうしてそうなるでしょうか。シュリー・バガヴァーンに始まりも終わりもありません。

0 件のコメント:

コメントを投稿