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2018年5月3日木曜日

シュリー・バガヴァーンとアーシュラムのリスたち - 巣の中に留まれ

◇『シュリー・ラマナーシュラマムからの手紙(Letters from Sri Ramanasramam)』

シュリー・ナーガンマ著
1946年1月3日
(20) リス

 我々の同胞であるリスが、どれほどバガヴァーンに対して勝手気ままに振舞っているか、あなたは知っていますか。二、三年前、リスたちの中に、一匹とても活発ないたずらっ子がいました。ある日、たまたま彼が食べ物を求めてやって来たとき、バガヴァーンは読書か何かで手がいっぱいだったため、彼に食べ物を与えるのが少し遅れました。そのいたずらっ子は、バガヴァーン自身が彼の口にもっていかないと何も食べようとしませんでした。おそらくは遅れたことに怒って、彼は不意にバガヴァーンの指を少し噛みましたが、バガヴァーンはそれでも彼に食べ物を与えませんでした。バガヴァーンは面白がり、言いました。「あなたは悪い子ですね!私の指を噛みました!もうあなたに食べ物をあげません。行きなさい!」 そのように言って、彼はそのリスに数日食べ物を与えるのをやめました。

 その子が静かになんかしているでしょうか。いいえ。彼はあちらこちらをはい回って、バガヴァーに許しを請い始めました。バガヴァーンは窓台とソファーにナッツを置き、彼に自分で食べるように言いました。でも、ダメです。彼はそれに触れようとさえしません。バガヴァーンは無関心を装い、気づかないふりをしました。しかし、彼はバガヴァーンの足にはい上がり、体に飛び乗り、肩によじ登り、注意を引こうとたいそう多くのことを行いました。その時、バガヴァーンは我々みなに言いました。「ほら、この子は私の指を噛んだいたずらを許して、私が手ずから彼に食べさせようとしないことをやめるよう私に頼んでいますよ」。

 「悪い子ですね!どうして私の指を噛んだのですか。もう、あなたに食べものをあげませんよ。これはあなたへの罰です。ほら、ナッツはあそこです。全部食べなさい」と言って、彼はリスを数日間追い払いました。リスもまたその頑固(な態度)をやめようとしませんでした。何日か経ち、信奉者への慈悲ゆえに、バガヴァーンはついに敗北を認めざるをえませんでした。信奉者が救いを得るのは粘り強さを通じてだと、その時、私に思い浮かびました。

 そのリスはそれで終わりませんでした。彼は大勢の仲間を集め、ソファーの真上の講堂の屋根に巣を作り始めました。彼らは梁に糸くずやココナッツ繊維などを詰め込み始めました。風があるときはいつでも、そういったものがよく落ちてきたものでした。そのため、人々は怒り、彼らを追い払い始めました。バガヴァーンは、しかしながら、リスたちが巣を作るための十分な場所がなく、講堂の人々が彼らを追い払っていることを思い、心を痛めていました。そのような存在への彼の愛情の深さを理解するには、ただ我々はそのような機会にバガヴァーンの顔を見さえすればいいのです。

 私がいつもの手紙の中でリスたちについてあなたに書いたことをバガヴァーンに伝えると、彼はいかにも楽しそうに言いました。「そのリスたちについては壮大な物語があります。しばらく前、彼らは私の上の梁の近くに巣を持っていたものでした。彼らは子、孫をもうけ、そうして彼らの家族のメンバーはとても多くなりました。彼らは好きなようにこのソファーの上で遊びまわっていたものでした。私がいつもの散歩に出かけたとき、枕の下に隠れる子供のリスたちがいました。私が戻り、枕にもたれたとき、彼らが押しつぶされることがありました。我々はこの光景に耐えることができなかったので、マーダヴァはリスたちを巣から追い出し、その上に木の板を打ち付けてふさぎました。人が彼らのことを書きたいと思うなら、彼らに関する多くの出来事があります」。

******


バガヴァーン・ラマナ・マハルシとリスたち

上記の訳文と重複しない部分のみ

   バガヴァーンは動物を愛していて、アーシュラムでは、どのような種類(の動物)も彼によって尊重され、歓迎されました。彼らは人間と同等に扱われ、いつも名前で呼ばれていました。病気の動物がバガヴァーンのもとに連れてこられると、彼の寝椅子の上か、彼のそばの床の上で良くなるまで彼に保護されました。多くの動物が彼の腕の中で亡くなりました。彼は動物たちの善良さについて話をすることが好きでした。

 ジャダ・バーラタ賢者は、亡くなる際に彼の飼っていた鹿への束の間の思いに襲われ、最後に残った愛着を払いのけるために鹿として再び生まれなければならなかったとプラーナに記されています。

 バガヴァーンは、運命によって彼と触れ合うよう導かれた動物たちに対して、人々に対するのと同じ気遣いを示しました。そして、動物たちは人間に劣らず彼に魅了されました。

 食事時には、アーシュラムの犬たちに最初に食べ物が与えられ、次にやって来た物乞いたち、最後に信奉者たちというのが正規のアーシュラムの規則でした。彼は決して動物を「それ」と呼ばず、いつも「彼」や「彼女」と呼びました。「若い衆に食べ物をあげましたか」-彼が言及していたのはアーシュラムの犬たちだったでしょう。「すぐ、ラクシュミーにお米をあげてください」-彼が意図したのは牝牛のラクシュミーでした。

 クリシュナ・ビクシュという信奉者がかつて彼に尋ねました。「我々が夕食の葉っぱをそんなに几帳面に片づけてしまったら、犬や猫、サルやネズミやアリが飢えてしまうでしょう」。
 バガヴァーンは答えました。「なるほど、あなたがそれほど慈悲深いのなら、あなた自身が食事をとる前に動物たちに食べ物を与えてはいかがですか。彼らがあなたのこそげ落としたものをおいしく食べると思いますか」。

 バガヴァーンは言いました。「我々はどのような魂がこれらの体に居住しているのか、どの部分の彼らの終わっていないカルマのために彼らが我々との交際を求めたのか知りません」。

 バガヴァーンが旧講堂にいたとき、彼は文字通りリスたちに囲まれていました。彼らは彼の寝椅子じゅうを、彼の体の上を、彼の枕の下さえも駆け回ったものでした。
 バガヴァーンは、彼の体の体重で押しつぶされるリスがいないように、座ったり、もたれたりする前に非常に気を付けなければなりませんでした。

 旧講堂の屋根に、リスたちは巣を作ったものでした。かつて、生まれたばかりのリスたちがバガヴァーンのソファーの上に落ちました。彼らの目はまだ開いておらず、それぞれの赤ちゃんの大きさは1インチ(2.54cm)以上ではなかったかもしれません。彼らは真新しい肉体で真っ赤な色をしていて、触れるには全く華奢でした。母リスは彼らを無視しました。さあ、どうしたらいいのですか。そのように華奢な生き物にどうやって食べ物をやって世話すればいいのですか。
 赤ちゃんリスは、バガヴァーンの手のひらにいました。バガヴァーンの顔は彼らへの愛情で輝きました。バガヴァーンを取り囲む人々の顔にはクエスチョン・マークがありましたが、彼自身はうれしそうで、朗らかでした。彼は綿をいくらか持ってくるよう頼みました。彼は彼らのために柔らかいベッドを作りました。彼はまた少しの綿を手に取り、先がとても細くなるまでひねり、先端部分は鋭い針のように見えました。
 彼はそれを牛乳に浸し、その小さな口にそれを絞り出しました。一定の時間ごとに、バガヴァーンはこの慈悲の行いを繰り返しました。彼らが成長し、走り回るまで、彼は大変な気遣いと愛情をもって彼らを世話しました。彼らは逃げ出さず、ただ彼らの「母親」の周りを走っていました-彼ら自身の母親よりもはるかに優しい(母親の)!

 バガヴァーンの講堂で、ダルシャンは人間の独占物ではありませんでした。決まった時間に、リスたちは講堂のそばの大きな木から降りてきて、その正当な分け前を要求しました。美しい孔雀もまたその後に続きました。バガヴァーンはとても優し気に彼らのほうを見ました。「あぁ、お腹が空きましたか!」と彼は言い、いくらかナッツと穀物を彼らに与えました。母親に食べ物を与えられた後の子供のように、その後、彼らは幸せそうに立ち去ったものでした!

 時々、リスたちは寝椅子をよじ登りってきました。バガヴァーンは彼らを優しくなで、手に入るものをなんでも彼らに与え、リスたちは誰の邪魔をすることもなく立ち去ったものでした。

 かつて、猫が若いリスたちの母リスを食べました。再び、バガヴァーンは若者たちの世話をする仕事を引き受けました。彼は信奉者たちに教えるために日常の出来事を使うことを好んだため、彼らに言いました。
 「この小さい子たちは、知恵が巣の中に留まることにあることを知りません。彼らは外に出ようとし続けます。一切の苦しみは外にあるのですが、彼らは内に留まれません。同様に、心が外に向かわず、ハートの中に沈んだままでいるなら、その時、幸福のみがあるでしょう。しかし、心は出て行き続けます」。
 ランガスワーミーが、「心を内に保つための道は何ですか」と尋ねた時、バガヴァーンは言いました。
 「私が今していることと全く同じです。若いリスが出ていくたびに、私は巣の中に戻し続けています。私がそれをし続けるなら、彼は巣の中に留まる幸福を学びます」。

 リスたちは、カシュー・ナッツを求めてバガヴァーンのソファーの方にやって来ました。バガヴァーンの近くの缶の中によくあったナッツは空になっていました。代わりに、ピーナッツが与えられました。リスたちはそれを食べようとせず、ありとあらゆる方法で不満を表し始めました。「私たちは持ってないんですよ、皆さん。どうしたらいいのですか」とバガヴァーンは言い、彼らをなだめました。ダメです。彼らはなだめられようとはしませんでした。不満の印として、彼らはバガヴァーンの手足をはい回り続けました。
 そのため、バガヴァーンは、貯蔵庫にカシュー・ナッツの蓄えがあるのか行って、見つけてくるようクリシュナスワーミーに頼みました。クリシュナスワーミーは行って、ナッツを2、3個持ってきました。「それで全部ですか」とバガヴァーンは尋ねました。クリシュナスワーミーは、彼らがその夜パヤサムの支度をしていて、それだけしかあげられないと言いました。バガヴァーンはムッとして、言いました。
 「なるほど。カシュー・ナッツの量がいつもより少し減れば、パヤサムは味わいが減るでしょうね。かわいそうに。このリスたちは(カシュー・ナッツ)以下のものを好まず、私にせがみ続けています。倉庫の管理人はパヤサムに入れなければならないと言って、カシュー・ナッツをあげるのを断りました。パヤサムの中にカシュー・ナッツがなければ、誰が迷惑するのでしょうか。カシュー・ナッツがないために、この子供たちがどれほど気をもんでいるのか御覧なさい!」
 そうして、パヤサムに入るべきカシュー・ナッツは、リスたちの腹の中に入り、また、(将来、リスたちに食べさせるために)彼のそばの缶に入りました。
 その日の夕方、アナンタナーラーヤナ・ラオ医師がマドラスから2ヴィサ(約4.5kg)のカシュー・ナッツを持ってきて、リスたちのために持ってきたと言いました。微笑んで、バガヴァーンはクリシュナスワーミーに向かって言いました。
 「これを御覧なさい。彼らは欲しいものをなんでも得ます。あなたに懇願する必要はありません。このカシュー・ナッツは彼らの所有物です。注意深く保管しておいてください。貯蔵庫に引き渡されないように注意してください」。

 年齢とリューマチのために、バガヴァーンは杖の助けを借りて歩き始めなければなりませんでした。ある日、彼がアーシュラム敷地へと2、3段(階段を)降りようとしていると、アーシュラムの犬に追われるリスが彼の足元を走り抜けました。
 彼は犬に呼びかけ、杖を彼らの間に投げました。その際、彼は足を滑らせ、倒れたことで鎖骨を折りました。犬は気を散らされ、リスは助かりました。
 信奉者を保護するとき、バガヴァーンは己の身の安全を気にかけませんでした。それは一匹のリスでしかないかもしれませんが、彼にとって一番の関心事は彼の友人であるリスを守ることでした。彼自身の身の安全には全く関心がありませんでした。

 別の機会に、ペットのリスたちの一匹が外に走り出す機会を待ち構えていました。バガヴァーンは述べました。
 「皆が外に駆け出したいと思います。際限なく外に出て行きます。幸福は内にあり、外にはありません」。

2018年4月5日木曜日

風変わりな陳情者 - 賢者は物言わぬ動物の訴えを聞く

◇『シュリー・ラマナーシュラマムからの手紙(Letters from Sri Ramanasramam)』

シュリー・ナーガンマ著
1946年1月2日
(19) 私の無言の訴えを聞いてくれませんか

 あなたはジャガディーシャ・シャーストリ()に会ったことがありましたよね。彼がここにいたとき、彼と一緒に犬が講堂によく入って来ました。とりわけ賢い犬でした。シャーストリや彼の奥さんがバガヴァーンの講堂にやって来たとき、犬が入ってきて、行儀のよい子供のように座り、彼らと一緒に出て行ったものでした。人々は犬が講堂に入らないようにするためにできることを何でもしましたが、無駄でした。

 かつて、その年配の夫婦がマドラスに行ったとき、彼らは犬を誰かに預け、15日間帰ってきませんでした。最初、はじめの四、五日の間、犬は講堂の中を探し、見て回り、その後、彼らがよく訪れていた全ての場所を歩き回りました。疲れて、おそらくはその甲斐のない努力に嫌気がさして、ある朝の10時ごろ、犬はバガヴァーンのソファーにやって来て、バガヴァーンをじっと見つめながら、そこに立っていました。その時、私は最前列に座っていました。バガヴァーンは新聞を読んでいました。クリシュナスワーミーたちは犬を脅して追い出そうとしましたが、無駄でした。私も犬に出ていくようにお願いしました。だめです、犬は動こうとはしませんでした。この騒ぎはバガヴァーンの注意をそらし、彼はそちらを見ました。バガヴァーンは犬と我々の興奮した様子をしばらく観察しました。その後、彼は新聞をわきにやり、あたかも彼の沈黙によって犬の言葉を理解したかのように、犬に向かって手を振り、言いました。「おや、どうかしましたか。あなたの家族がどこに行ったのか尋ねているのですね。ああ、なるほど、分かりました。彼らはマドラスに行っています。一週間後に戻るでしょう。怖がらないでいいですよ。心配いりません。落ち着きなさい。大丈夫ですか。さあ、行きなさい」。

 バガヴァーンが説明を終えるが早いか、犬は向きを変え、その場所を離れました。そのすぐ後、バガヴァーンは私に述べました。「あれを見ましたか。犬は家族がどこに行ったのか、いつ帰ってくるのか私に尋ねていました。どれほどここの人々が追い払おうとしようとも、私がその質問に答えるまで動こうとしませんでした」。

 かつて、奥さんが何かの理由でムチで犬に罰を与え、部屋に半日閉じ込めたようでした。外に出るのを許された後、彼女に不満を言うかのように、犬はバガヴァーンのもとにまっすぐに来て、アーシュラムに滞在し、四、五日、彼らの家に行きませんでした。バガヴァーンは犬の食事を用意し、女性を次のように叱りました。「あなたは犬に何をしたのですか。一体どうして犬はあなたに怒っているのですか。犬は私に不満を言いにやって来ました。どうしてですか。何をしたのですか」。ついに、彼女はバガヴァーンの面前で自分の非を認め、たいそうなだめすかして、犬に家に帰ってもらいました。

2015年11月8日日曜日

種族を超えた愛の光景を目撃した、T.R.A.ナーラーヤナ の思い出

◇「山の道(Mountain Path)」、1975年4月 p98~100

どのようにして私はマハルシのもとへ行ったのか

T.R.A.ナーラーヤナ

 その年は1948年でした。

 私は当時、39歳でした。私は妻と四人の子供と共にマドラスに住んでしました。私はイギリスの大会社の支店長であり、幸せな環境にいたので、宗教的修練、または、靈的探求の必要性を何ら見出しませんでした。私は人生の望ましい物事を楽しむことに満足していました。

 私の部下の視察員の一人、シュリー・パールタサーラティと共に、私は小さな町々を旅していました。それは4月のある暑い日でした。シュリー・パールタサーラティと私はティルヴァンナーマライに行くためにヴィルップラムで列車に乗り込もうとしていた時、25歳ぐらいの若者が隣のドアを通って一等客車に入ろうとしていることに我々は気づきました。その人はとても太っていたため、あの手この手でそのかさばる体を持ち上げ、その一方で、明らかに彼の召使いであるプラットホームのもう一人の人がドアの向こうへと彼を押し込んでいました。シュリー・パールタサーラティと私自身を含め、プラットホームにいる人々が彼の苦境をじっと見る詮索好きな様子を彼は恥ずかしがってもいました。彼は何とか乗り込み、我々の隣の小部屋を占拠しました。

 列車が数分走った時、その人が我々の客室にやって来て、ラティラル・プレームチャンド・シャーと自己紹介し、話し始めました。 

 シュリー・ラティラルはサウラーシュトラ・ヴァイシャであり、ゴンダルで生まれ育ち、その土地の裕福な商人である父の一人息子でした。彼は6年前に結婚していました。10歳から体の中のあまりに多くの脂肪に悩まされ、今や25歳の彼は肉と苦しみの巨大な塊でした。脂肪を取り除いて、男らしくなりたいと、どれほど彼は望んだことでしょうか!

 3月の最後の週、シュリー・ラティラルは夜眠っている間にあるヴィジョンを得ました。彼は苦行者が微笑み、彼に手招きしているのを見ました。その微笑みと手招きは長い間続き、シュリー・ラティラルが目覚めた時、彼の心の目の前にはっきりとしたままでした。彼はそのヴィジョンについて誰にも話しませんでした。二日後、彼の妻はグジャラート語の雑誌を読んでいました。彼女の肩越しに見て、彼はヴィジョンの中で見た苦行者の写真を見ました。彼はその苦行者がバガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシであると知るようになりました。彼はすぐさま父親のもとへ行き、信頼できる一家の召使いを伴ってのティルヴァンナーマライへの旅の手配をしました。バガヴァーンについて彼が知っていたこと全ては、グジャラート語の記事に載っていたことでした。それでも、彼は、バガヴァーンのもとへたどり着くや否や自分の苦しみは終わるだろうと確信していました。バガヴァーンのヴィジョンの微笑みと手招きは、彼にそのような確固とした確信を与えていました。

 シュリー・パールタサーラティはバガヴァーンのダルシャンを何回も得ており、彼に関する文献も相当読んでいました。丸々二時間の旅の間、彼とシュリー・ラティラルはバガヴァーンについて話しました。私は英語の小説を読んでいるという体(てい)でしたが、彼らの会話を興味深く、注意して聞いていました。

 ティルヴァンナーマライ駅で、シュリー・ラティラルは父親が彼が共に滞在するために手配した地元の商人に迎え入れられました。シュリー・パールタサーラティと私は、旅行者用のバンガローに向かいました。

 我々が入浴し、昼食をとった時、4時でした。シュリー・パールタサーラティは私がとてもビジネスライクであり、一分も無駄にはしないことを知っていました。市場を視察できますが、と彼は私に言いました。彼は私の返答にとても驚きました。「いいえ、パルタサラティー!最初にマハルシのダルシャンを得に行きます。その後、時間が許せば、寺院に行きます。仕事は後にしましょう!」

 シュリー・パールタサーラティと私がアーシュラムに入った時、5時ごろでした。バガヴァーンの母のサマーディの周りを歩き、我々はそのそばのベランダにやって来ました。50人ぐらいの人々がそこに座っていて、シュリー・ラティラルと彼のホストと彼の召使いも含まれていました。バガヴァーンは、いつものようには寝椅子にいませんでした。訪問者たちはひそひそ声で話し、彼がどこにいるのか見つけ出そうとしていました。

 十分ほど待って、バガヴァーンが彼の座に来ていないことを知った後、シュリー・パールタサーラティは合間にゴーシャラ(牛舎)や他の場所を見て回ってはどうかと私に提案しました。

 視察を終え、我々が別の側を通ってベランダに戻ろうとした時、我々は子供のような声を聞きました。「チェー、アサッテ(こら、お前というやつは!)」。我々の周りに子供は見当たりらず、そのため、その声の源を見つけ出そうとのぞきました。ベランダ近くの家庭菜園の中のナスの葉っぱ、女性の指、そして、他の植物の間の動きに我々は目をとめました。さらにじっと見ると、小さなヤギと小さなサルとリス-そして、バガヴァーン・ラマナ・マハルシが見えました!バガヴァーンはお尻をついて座り、その足は組まれて胸まで上がっていました。ヤギは彼の膝の間に身をすり寄せ、サルは頭を彼の右ひざにもたれさせ、リスは彼の左ひざに腰かけていました。左の手のひらに紙の小箱を持ち、バガヴァーンは右手の指で一つずつそこからピーナッツを取り出し、ヤギ、サル、リス、そして、彼自身に順に与えていました。彼の発言は、リスの唇の間に彼が置こうとしていたナッツをひったくろうとしたサルに向けられたようでした。我々がじっと見る間、四人の仲間は食べることを楽しみ続けていました。四人全員が等しく幸せなように見えました。彼らが互いを見つめ、一緒に離れずにいた様子はとても感動的でした。ヤギとサルとリスとバガヴァーンは、明らかにその種の違いを忘れていました!そして、我々も眺めながら、彼らの姿形の違いにもかかわらず、四人全員をただの親友として見ました。言葉では、それを見て、私の存在を通り抜けた感情を描くことはできません。稲妻の閃光のごとく超越的なるもののビジョンが現れ、存在、意識、至福、サット‐チット‐アーナンダの本質を私に示現しました。

 ナッツはなくなりました。バガヴァーンは紙を投げ捨て、年寄りが孫に話しかけるのとちょうど同じように、「ポンコダ!(みんな、行きなさい!)」と言いました。ヤギとサルとリスは去りました。バガヴァーンは立ち上がろうとしました。シュリー・パールタサーラティと私は急いで立ち去り、神聖なるものに立ち入ったことに罪の意識を感じましたが、-後悔はしませんでした。

 シュリー・パールタサーラティと私がベランダで再び座ったすぐ後、バガヴァーンが寝椅子にやって来ました。私は彼が我々を見たとは言えません。彼は我々に顔を向けて立ち、彼の目は、地上の何物をもはるか超えた上の何かに定められていました。その目は、その目の背後で輝いている光から物質的世界を遮断するスクリーンのようでした。時折、スクリーンの繊維を通って閃光が放たれ、その閃光は注がれた人々の目を冷まし、粗大な覆いを貫通し、彼らの内なる燈心に火をともしました。

 バガヴァーンは寝椅子の枕にもたれ、頭を左の手のひらで支えました。我々みなは座り、彼の顔を見ました。我々は座り続け、見続けました。誰も話さず、何の音も立てませんでした。しかし、その対面は重苦しい沈黙ではありませんでした。それは我々各人の最奥の存在が、バガヴァーンである至高なる意識と心通わせる生き生きとした体験でした。

 その美しさは、ヤギとサルとリスと共に親しげにピーナッツを食べるという、数分前に私が見た愚かしさの中にあるものと同じだという恐るべき気づきによって、私は呆然としました。私の心はその光景をずっと思い出していました。どのようにヤギが自分へのバガヴァーンの愛情を完全に信頼して彼の胸にすり寄ったのか。共にナッツをかむ時に、どのようにサルが嬉しそうににっこり笑い、どのようにバガヴァーンがにっこり笑い返したのか。どのようにリスがそのピンの頭のような目で夢を見ているかのようなバガヴァーンの目を見つめ、彼の鼻をその小さな左手でやさしくひっかいたのか。感覚的知覚の根底にあり、それを超えてある至高なる靈のヴィジョンは、家庭菜園のピーナッツ・パーティという控えめな光景によって味わいを添えられていました。

 バガヴァーンは寝椅子から立ち上がりました。我々はみな立ち上がりました。立ち去るべきだと暗黙の内に全員に了解されたようでした。我々は立ち去りました。私は今まで知らなかった安らぎと喜びを私の内側で感じました。他の人々の顔つきもまた、同じような様子を示していました。

 アーシュラムの門のところでシュリー・ラティラルと彼のホストと彼の召使いが牛車に乗り込むのを私は目にしました。シュリー・ラティラルの動作には新たな軽快さがありました。その若者のヴィジョンの中でのバガヴァーンの約束は、成就し始めたように見えました。

 私の人生において、あの日以来、多くのことが起こりました。私の物質的な状況は悪化しました。しかし、私の内面生活は、あの日以来、いつも、幸福でした。というのも、私はバガヴァーンのヴィジョンをとても多く得たからでした-とりわけ、私が非常に意気消沈していた時には。

 1953年、私はラージコートにいて、ロッジに一人で滞在していました。ある日、食堂にいた時、30歳ぐらいの人が私に近づいて来て、話しかけました。「私に見覚えありませんか」。「いいえ、すみません」と私は正直に返答しました。その人は続けました。「私はゴンダルのラティラルです!5年前のバガヴァーン・ラマナ・マハルシのダルシャンを覚えていませんか」。私はその人を再び見ました。彼は細く、筋張っていて、彼の顔は健康と幸福で輝いていました。私は愛情をこめて彼の手を握りました。彼は再び話しました。「シュリー・バガヴァーンは、素晴らしく完璧に彼の約束を果たしました。私を見てください。私は今や家業を経営していて、父は全く休んでいます。私には2歳になる息子がいて、1か月か2か月後、妻にもう一人子供が産まれることになっています」。

 私の心は即座にヤギとサルとリス-そして、バガヴァーン・ラマナ・マハルシに戻って来ました。バガヴァーンだけを思うことは決してできませんでした!

 長い間、そんな具合なのです。その光景はしばしば私の心の目にやって来ます。四人の友人がピーナッツ・パーティをする家庭菜園。

 そして、その美しき光景に私を導いてくれたシュリー・ラティラルとシュリー・パールタサーラティに私は感謝しています!

2013年7月29日月曜日

死の間際の解放 - パラニ・スワーミー、母アラガンマル、牝牛のラクシュミー

◇『大いなる愛と恩寵(Surpassing Love and Grace)』、p235~240

29.死の間際の解放 


ヴィシュワナータ・スワーミー 

 死と転生、束縛と解放というテーマにおいて、バガヴァーンの教えは、「死ぬのは誰か。生まれるのは誰か。再び生まれるのは誰か。束縛されているのは誰か。解放されるのは誰か」という探求を促すことでした。強力な自らの探求に通じるこの方法は、彼が明白に説くか、もしくは、純粋な不ニの真理を把握できる探求者らに静かに伝えたもので、彼らは質問者が存在していない自我であり、現実の自らは問うべき質問を持たず、誕生や死・束縛や解放に何の関わりもないことをすぐに学びました。しかし、バガヴァーンはまた、時おり、その教えを探求者の理解力に合わせ、純粋な自覚にいまだ準備ができていなかった人々の「より低い、臨時の見解」を認める用意がありました。ギーターの十一章で「誰も生まれず、誰も死なない」と断言し、四章で彼自身とアルジュナの「膨大な輪廻転生」について語るシュリー・クリシュナのように、バガヴァーンもその教えを変化させ、聞く者の心持ちや能力に合わせました。一般的なヒンドゥー教の教えは、誕生と死の輪廻からの解放は、人が神への献身と委ねにより成熟している時に、神の恩寵によって得られるというものです。相対的な視点から書かれているこの文章には、三つのそのような例が描かれています。

 パラニ・スワーミーは、バガヴァーン・ラマナの最初期の信奉者の一人であり、何であれ世俗的なことへの無執着で特筆されます。バガヴァーンが昼夜サマーディに没頭して、グルムールタム(ティルヴァンナーマライの郊外の東部、ケールナトゥルの近くに位置するサマーディ神殿)に住んでいた時、パラニ・スワーミーは彼のことを耳にして行き、付添人として加わりました。彼はアルナーチャラのヴィルーパークシャ洞窟でのバガヴァーン滞在の最後まで、十六年以上も仕えました。

 バガヴァーンがスカンダーシュラム(より高い場所にある彼のために新しく建てられた住まい)へ移った時、パラニ・スワーミーは独居のためヴィルーパークシャ洞窟に留まることを選びました。それから、折にふれ、バガヴァーンはそこに彼を訪れ、彼が弱りつつあることに気付きました。バガヴァーンは毎日、彼を訪れはじめ、できることは何でも手助けしました。

 ある日、彼はヴィルーパークシャ洞窟からスカンダーシュラムに孔雀が大変興奮して飛んでくるのを見て、パラニ・スワーミーが危険な状態にいるのではないかと心に浮かびました。すぐにバガヴァーンは洞窟に下りて行き、彼の直観が正しいことが分かりました。パラニ・スワーミーは死の苦しみの中にいて、息が苦しく喘いでいました。バガヴァーンは右手を彼の胸に置き、彼のそばに座りました。パラニ・スワーミーの呼吸は穏やかになり、パラニ・スワーミーの胸の内で震えを感じた時、バガヴァーンは手を離しました。バガヴァーンは、これは生命が体の中で消える兆候であると言いました。しかし、バガヴァーンが手を離した時、まさにその瞬間、パラニ・スワーミーの目が開きました。「彼がハートに退いただろうと思ったのですが、彼は逃れました!」。バガヴァーンは加えて、「ハートでの即座の吸収ではありませんが、それは人が精神的体験のより高い状態に行く兆候であると言われています」と述べました。

 『シュリー・ラマナ・ギーター』からの以下の文章が、ここで関心を引くかもしれません。

 聖典によれば、ここで解放された者とブラフマローカへ行き、そこで解放を得る者の体験の間に違いは存在しない。

 上の2人の体験と同一であるのは、ここでさえ(死の時に)、プラーナが純粋な存在に溶け込むマハートマーの体験である。

 自らに住まうことはみなにとって同じであり、束縛の破壊はみなにとって同じであり、ただ一種のムクティしか存在しない。ムクタの間の相違は、他者の心にのみ現れる。

 自らに住まい、いまだ生きているうちに解放を得るマハートマー、彼の生命の力もまた、ここでさえ自らの内に吸収される。 (第14章、5・6・7・8)
 


 次に、地上における人生最後の日のバガヴァーンの母親、アラガンマルの例を取り上げます。彼女は長年ヴィルーパークシャ洞窟とスカンダーシュラムでバガヴァーンの間近で生活しており、精神的に向上していきました。彼女の人生最後の日-1922年5月19日-死が近づいてくる兆候に気付き、バガヴァーンは右手を彼女の胸に、左手を彼女の頭に置き、朝8時から夜8時まで彼女のそばに座りました。「それは母と私自身との間の闘いでした。彼女の蓄積された過去の傾向(ヴァーサナー)は繰り返し何度も上がってきて、その場で破壊されました。そうして、その過程は終わり、最上の安らぎが行き渡りました。私はハートの最後の震えを感じましたが、それが完全に止むまで手を離しませんでした。パラニ・スワーミーとの経験のおかげで、今回、私は注意深くいました。母のプラーナ(生命力)が完全にハートに溶け込んだのを見ました。」(何年も前に、ヴィルーパークシャ洞窟でアラガンマルが重篤な病にかかっていた時、バガヴァーンはタミル語で4詩節を作り、その中の1つで、死後に体を火葬する必要がないように、炎の山アルナーチャラにジニャーナの炎で母を焼き尽くすように祈ったことをここで記すことは興味深いことでしょう。アルナーチャラ自身であるバガヴァーンは、何年も前に彼が祈りの形で表したことを行いました。(*1)

 ここで、『バガヴァッド・ギーター』の以下の有名なスローカが思い出されます。「死の瞬間にさえ私だけを思い起こし、体を放棄した者は、私の存在に溶け込む。これについて疑いは存在しない。何であれ思いながら、人が最後にその体を離れる時、その最後の思いの力により、人はそれを得る。おお、パルタ!これがブラフマンの境地である。これに到達し、もはや惑わされない。最後の瞬間にさえこの境地に留まり、人はブラフマンとして解放される。」(第8章-5・6、第2章-72)

 バガヴァーンはその時まで食事をとっていませんでした。それで、母親への付き添いが終わった後、彼は穏やかに食事をとりました。その夜の間ずっと、祈りの歌が歌われ、バガヴァーン自身もティルヴァーチャカム(聖者マーニッカヴァーチャカルによりタミル語で作られたシヴァを讃える賛歌の集成)すべてを歌うことに加わりました。翌朝、アラガンマルの体は山から山の南の場所に下ろされ、そこで埋葬されました。体は通常のように火葬されませんでした。それはアラガンマルが長年サンニャーシニであり、カーシャヤ(黄土色の服)を身につけていただけでなく、バガヴァーンの驚くべき恩寵によって解放されたからでもあります。バガヴァーン自身により、リンガが彼女のサマーディに安置されました。その時居合わせたガナパティ・ムニは、アラガンマルの解放についてサンスクリット語で六詩節詠いました。これはその中の二つの翻訳です。

ヴェーダーンタの聖句により示される最上の光
一切世界に行き渡る光
その光は息子の恩寵によって母アラガンマルに明るく輝き
彼女自身がかの光として輝いた
マハルシの聖なる母が輝き出ますように
彼女の恩寵の神殿が輝き出ますように
安置されたリンガが永久(とわ)に輝き出ますように
清涼な泉が永久に湧き出ますように

(ここで言及されているのは、母のサマーディの近くでバガヴァーンにより示された場所を掘るとすぐに湧き出た澄みきった泉のことです。)

 天来の詩人の言葉の通り、今やそこには、聖域に安置された花崗岩のシュリー・チャクラ・メールと共にある母のサマーディの上に建造された美しい寺院が立っており、その恩寵の絶えることのない泉と共にバガヴァーンの恩寵の神殿が隣接してあります。


  次は、牝牛のラクシュミーです。子牛の時、彼女は夢で指示を受けた村人によって母牛と共にシュリー・ラマナーシュラマムに贈られました。受け入れの表れとして、バガヴァーンは子牛を優しくなでましたが、世話するためのアーシュラムの設備不足のため、彼女達はティルヴァンナーマライに住んでいる信奉者へ任されました。彼は彼女達の世話をして、牛乳をアーシュラムに毎日持ってきました。タイの月の二日、牝牛の崇拝(ゴープージャ)の日に、信奉者らは子牛のラクシュミーと母牛をアーシュラムへと連れてきました。ラクシュミーはバガヴァーンにより優しくなでられ、彼女は特に彼になついていました。以来、ラクシュミーが家で柱につながれていなかった時、彼女は自分でアーシュラムに走って行き、バガヴァーンのもとへまっすぐ行き、バガヴァーンは彼女を優しくなで、果物や食べ物をあげました。

 数年後、アーシュラムで牝牛を養うための適切な準備がなされた時、彼女はアーシュラムに戻されました。アーシュラムでさえ、牝牛の小屋(ゴーシャラ)でラクシュミーが柱につながれていなかった時はいつも、彼女はまっすぐバガヴァーンの講堂へ走って行き、彼のもとに現れました。バガヴァーンは手元にどんな仕事があっても、ラクシュミーを迎え、優しくなでるために全部わきにやり、彼女の目を深く見つめたものでした。ラクシュミーがバガヴァーンに感じた愛着はそのようであり、彼女が彼から受けとった応答はそのようでした。年月は流れ、ラクシュミーはバガヴァーンのまさに誕生日にしばしば子牛を生みました。

 ついには、ラクシュミーは年をとり、病気になりました。バガヴァーンは牛小屋で彼女を毎日訪れたものでした。そしてある日、彼女はまもなく亡くなりそうに見えました。バガヴァーンは彼女のそばに座り、憐れみをもって彼女に触れ、見ました。その後すぐ、彼女は亡くなりました。ラクシュミーの体をアーシュラムの構内に埋葬する準備がなされました。通例の聖なる沐浴が彼女に与えられ、しかるべき儀式の後、バガヴァーンの講堂から数ヤード離れたアーシュラムの北側の敷地の近くに埋葬されました。バガヴァーンはそばで椅子に座り、すべての手順を見ていました。果物と揚げた米が、その時にいたすべての人に配られました。

 その夕方、バガヴァーンは、その日の日付と星の配置を尋ねました。信奉者たちは、どうして彼がそれを尋ねるのだろうと思いました。それはとても珍しいことでした。次の朝、バガヴァーンは彼がタミル語でつくった牝牛のラクシュミーが解放を得た年月日、曜日、星座の配置を述べた詩節を見せました(*2)。デーヴァラージャ・ムダリアールはバガヴァーンに彼がムクティそのもの(誕生と死の輪廻からの最終的な解放)を意図しているのか、もしくは、その用語を形式的な方法で使ったのか尋ねました。バガヴァーンはその言葉を意図的に、その本来の意味で使ったと請け合いました。それゆえ、バガヴァーンが彼女の解放をもたらしたことが明らかになりました。ラクシュミーのサマーディの上に彼女の石像があり、背後の石板に(彼女の解放について)バガヴァーンによって書かれたタミル語の詩節が刻まれています。

 近くに、最後の瞬間にバガヴァーンに世話してもらった犬(ジャッキー)、鹿(ヴァリィ)、カラスのサマーディがあります(*3)。それらは我々に知られているほんのわずかのバガヴァーンの恩寵の働きです。ジニャーニのすぐ近くはブラフマローカ(ブラフマンの領域)として描かれ、生きているうちに、もしくは、最後の瞬間にそのような人のそばにいる機会を得た人々は実に幸運です。

 究極的な真理では束縛も解放もなく、純粋な自覚のみ、一切の中の唯一の自らが存在するのですが、相対的な真理もまた真剣に受け取られるべきです。なぜなら、そこから我々は始まり、それからのみ一切のサーダナが生じるからです。バガヴァーンが「ウパデーシャ・サーラ」でニシュカームヤ・カルマ、献身、ジャパ、ディヤーナという一切の段階を扱っていることは覚えておかれるべきことです(*4)。その後、人は自らの探求へ到り、その成果は、分離した個人性自体が存在せず、それゆえに、束縛も解放もないという実現です。

(*1)http://arunachala-saint.blogspot.jp/2012/12/blog-post_16.html
(*2)「On Friday, the 5th of Ani, in the bright fortnight, in Sukla Paksham, on dvadasi in visaka nakshatra in sarvadhari year [that is, on 18th June 1948] the cow Lakshmi attained mukti.」
「アーニ月(6月)の5日の金曜に、シュクラ・パクシャム(月が満ちて行く2週間)に、サルヴァダリ(1948年)のヴィシャーカー・ナクシャトラ(月の位置)のドヴァダーシー(第12日)に、牝牛のラクシュミーはムクティを得た。」
(*3)http://www.geocities.jp/ramana_mahaananda/ramanasramam-holder/photo-holder/lakshmi-samadei.htm、シリウスさんのHPでラクシュミーやその他の動物のお墓の写真が見れます。
(*4)http://arunachala-saint.blogspot.jp/2012/12/quintessence-of-instructionupadesa-saram.html、第3詩節がニシュカームヤ・カルマ(無欲の行為)を、第4~9詩節で献身・ジャパ(朗唱)・ディヤーナ(瞑想)が扱われています。