2015年5月19日火曜日

カーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニ - 知の巨人、ラマナ・マハルシの命名者

◇『Ramana Smrti-Sri Ramana Maharshi Birth Centenary Offering』、p111~113

カーヴヤカンタ:学問とタパスの巨人

K.ナテーサン

 シュリー・カーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニ(1878-1936)は、同時に学者であり、詩人であり、愛国者であり、政治思想家であり、タパスヴィーであるという点で独特であり、彼の時代の最も尊敬された人物の1人でした。彼は人生のごく早い時期に、様々な分野なサンスクリット語の学問-ヴェーダ、ウパニシャッド、イティハーサ、プラーナ、マントラ、シャーストラ、アランカラ、アーユルヴェーダ、哲学、文法、詩学、天文学-をすべて習得しました。彼はサンスクリット語で流暢に話し、即興詩を作ることができました。ナディアで1900年に開催されたパンディットの集会は、彼の詩的能力に、とりわけ他の詩人によって始められた詩節を完成させるという特別な文学的課題の技量に大変に感銘を受けたため、カーヴヤカンタ(喉から自然と詩が湧き出る者)という称号を彼に授与しました。

 十二歳でさえサンスクリット語の詩人であったカーヴヤカンタは、宗教文学の泉でも大いに喉をうるおし、十八歳になる前には厳格な精神生活に十分準備が整っていました。結婚後、彼は精神的修練に真剣に取り組み、その目的のために様々な聖地を訪れました。彼はマントラ・ジャパを、インド独立の問題を含めた一切の問題を解決する、その力を固く信じていました。シヴァ・パンチャクシャリは彼のお気に入りのマントラであり、彼はそれを一千万回唱えました。1903年、彼はタパスを行うためにアルナーチャラにやってきました。彼がヴェールールでの教職を引き受ける前に、当時、ブラフマナ・スワーミーとして知られていたシュリー・ラマナ・マハルシを、彼は山の上で二度訪問しました。その組織力によって、彼は生徒集団を集めました。彼らのマントラ・ジャパは国の病を癒やし、その福利を促進するに十分な精神的な力を発生させるはずでした。国家の福利が個人の救済の上に位置すべきであるということは、ヴィヴェーカーナンダのように、実際、彼の強い確信でした。彼はすぐにヴェールールでの職を辞し、1907年にアルナーチャラへ戻りました。優れた業績を持つと自認し、大勢の追随者もまたそれを認める知的および精神的巨人、カーヴヤカンタは、それでも、彼の人生の目的が成就されていないと感じました。彼は以前に会ったブラフマナ・スワーミーのことを思い出し、再び彼の下へ行きました。このことは彼が未だ欠いているように思われた内なる安らぎを彼に与えるはずでした。その出会いはカーヴヤカンタだけにとってでなく、スワーミーの真の達成についてそのような優れた権威者から学ぶことができた、あまねく世界の人々にとっても意義深くありました。

クリシュナ・ダースによるオーム・ナマー・シヴァーヤ-アルナーチャラ

 カーヴヤカンタは、ブラフマナ・スワーミーが滞在していたヴィルーパークシャ洞窟に近づき、彼の前で平伏し、震える声で言いました。「読むべき一切のものを私は読みました。ヴェーダーンタ・シャーストラでさえ、私は完全に理解しました。私はジャパを心ゆくまで行いました。けれども、私はこの時まで、タパスとは何か理解していません。それゆえ、おん身の御足に寄る辺を求めました。どうかタパスの本質について私にお教えください」 。十五分間、シュリー・ラマナは沈黙してカーヴヤカンタをじっと見つめました。その後、彼は口を開きました。
この「私」という概念がどこから生じたのか見守るなら、心はその中へと吸収されます。それがタパスです。マントラが繰り返され、マントラの音が作り出される源に注意が向けられるなら、心はその中に吸収されます。それがタパスです。
  学者は喜びで満たされ、そのウパデーシャが独創的なものであり、ブラフマナ・スワーミーはマハルシであり、これ以後、そのように呼ばれるべきであると宣言しました。元の名前が(ティルパティの主にちなんで名づけられた)ヴェンカタラーマンであったブラフマナ・スワーミーに、彼はバガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシという正式名を授けました。カーヴヤカンタは、今やシュリー・ラマナの主要な弟子でした。彼の弟子たちもまた、マハルシのもとへ来ました。彼らは多くの不確かな点についての説明を求め、それを得ました。(1913年から1917年にかけて)それらの質問と答えを記録した、彼の『Sri Ramana Gita』は、バガヴァッド・ギーターのように十八章に分割され、閃きの偉大な源です。彼の『Ramana Chatvarimsat』は、信奉者たちによく知られた賛歌であり、バガヴァーンの神殿で毎日唱えられています。様々な場所へ移りましたが、彼は最後にはカラグプル近隣の村に落ち着き、1936年に亡くなりました。彼の起伏に富んだ人生は、執筆、研究、タパス、弟子たちを導くことに費やされました。

 百以上に達するカーヴヤカンタの作品は、膨大な範疇に分類されます。賛歌、スートラ(警句)、注釈書、リグ・ヴェーダの研究、インドのための模範の形成、さらには小説まであります。『Uma Sahasram』は、千詩節の中で、聖母の栄光を歌います。終わりのほうの数百詩節は、シュリー・ラマナのまさに目の前で驚くほど短時間の内に作られ、カーヴヤカンタは4人にせっせと書き取らせました。『Indrani Saptasadi』、『Chandi Trisati』、『Gita Mala』は他の重要な作品であり、最後のものは、インドラやアグニのような神々の賛美です。 彼のスートラの中で最も群を抜いているのは、『Dasa Maha Vidya』についてのものです。それは十の広大無辺な力というテーマについて、ヴェーダーンタ的学派とタントラ的学派を調和させています。『Sahasranama』は、リグ・ヴェーダから抜粋されたインドラの千の名前を一列に並べています。彼のリグ・ヴェーダの注釈書は、説明を要する難解なテーマを読者の手の届く範囲にもたらしました。マハーバーラタについての彼の研究書は、そのヴェーダ的基礎についての問題を扱っています。シュリー・ラマナの『Ulladu Narpadu』のサンスクリット語の翻訳、『Satdarsanam』、そして、『Upadesa Saram』の彼の注釈は、シュリー・ラマナの信奉者たちにとても人気があります。

 カーヴヤカンタの燃えるような愛国心の証拠として、彼の『Indrani Saptasadi』から以下の例が挙げられるでしょう。
おお、母よ!我が国が、久しく打たれ、損なわれ、嘆いている、この国が繁栄するために、私はおん身の御足に寄る辺を求めます。
ダルマに仇なす者どもが滅びますように。我々の国の友邦が繁栄しますように。それは私の心を喜ばせるでしょう。おお、聖母よ!私はおん身の御足に寄る辺を求めます。
おお、インドラに愛されし人!密偵が我々の力強き人々のかかとをつけ回します。我々は悲しみをあらわにすることさえ恐れています。彼らは恩寵を求めて、おん身の御足に寄る辺を求めて、おん身を拝します。

2015年5月8日金曜日

シュリー・ラマナを讃える四十詩節(シュリー・ラマナ・チャトヴァーリムサット)

◇Sanskrit Documents collection - Forty Verses in Praise of Maharshi Ramana


    ある日の早朝、ティルヴァンナーマライのパチャイアンマン寺院で、シュリー・ヴァーシシュタ・ガナパティ・ムニと他の弟子たちみなが、いつものように完全に内に引き込まれて座っているバガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシを前にして座っていました。ムニは、空からきらめく光が下りてきて、マハルシの額に六たび触れるのを目にしました。

 その光景は、マハルシが主スブラマニヤの化身に他ならないとムニに悟らせました。直ちに、ムニの中の詩人が、美しいサールドゥーラヴィクリーディタ韻律の八詩節に花開きました。

 後に、時々に応じて、ムニはマハルシを賞賛する多くの詩節を作り、それらは最初の八詩節と共に、シュリー・ラマナ・チャトヴァーリムサット、「シュリー・ラマナを讃える四十詩節」として集められました。これら四十詩節は、彼の存命時、バガヴァーンの面前で毎日唱えられ、彼の神殿で毎朝唱えられ続けています。詩節は、マハルシの人間的特徴と神なる特徴を共に描き、彼とスカンダの間に何の区別もしていません。

 これらの詩節はアヴァターラ・プルシャとジーヴァンムクタを扱い、並々ならぬ学識を持つ、大いに精神的に強靭な人に作られたため、各々の詩節は、マハルシの存在を呼び起こすことにおいて、マントラのように働き、全ての真摯な大志を抱く者にとっての真の恩恵です。
(SRI RAMANASRAMAMの公式HP、RESORCE CENTER、AUDIO 10の文章より


シュリー・ラマナ・チャトヴァーリムサット
(シュリー・ラマナを讃える四十詩節)

暗闇を超えて、輝ける神を私に示した
聖師、リシ・シュリー・ラマナの蓮華の御足を礼拝いたします

I bow to the lotus feet of the spiritual teacher Rishi Sri Ramana,
who showed me the Lord, shining, transcending darkness

vande śrīramaṇarṣer ācāryasya padābjam |
yo me’darśayad īśam bhāntam dhvāntam atītya ||

1.
彼自身の言葉は、汚れを取り除く。慈悲の大海であり、赤き山に楽しむ
鳥に担われし者*により語られる真理を知り、雄牛に担われし者*の沈黙の神秘を携える

The story of his own life removes impurities. He is an ocean of compassion,
taking delight in the red mountain (Arunachala). He knows the truth spoken
by the bird-borne Vishnu, and bears the mystery of the silence of the bull-borne Siva.

kathāyā nijayā kaluṣam haratā karuṇānidhinā’ruṇa śaila juṣā |
khaga vāhana bhāṣita tattva vidā vṛṣa vāhana mauna rahasya bhṛtā ||
*ヴィシュヌ *シヴァ
2.
ガナパティに始まる学識者の集いのグル、数多(あまた)の美徳の偉大なる宝庫
千の光線を放つもの*が雲に隠されるがごとく、その真の偉大さは体なる装いに隠されている

He is the guru of an assembly of learned men beginning with Ganapati, he is
a great repository of a wealth of virtues. Just as the thousand-rayed one (the sun)
 is hidden by a cloud, his true greatness is hidden by the garb of the body.

gaṇrāṇmukhasūrisabhāguruṇā guṇasanñcayaratnamahodadhinā|
ghanagūḍhasahasrakareṇa yathā tanukañcukaguptamahāmahasā ||
*太陽
3.
さ迷う五感を打ち負かすことに、他者の長所を称賛することに巧みである
偽りのない沈黙の安らぎに楽しみ、強く、非難される、恐るべき欲望の殺害者

Ingenious at defeating the roving senses, he is skillful in praising
the merits of others. He delights in the peace of silence which is without deceit, 
and is the the slayer of the strong, reviled, frightening passions.

catureṇa calendriyanigrahaṇe paṭunā parakīyaguṇagrahaṇe |
chalavarjita maunasamādhijuṣā balatarjita bhīkarakāmaruṣā ||

4.
適時のみに腹を満たし、断固たる誓いを立て、山のなぞえに住む
魚を旗印にする者*の武器により、その心を勝ちとることは難しく、自らの目覚めの方法を授けた

He fills his stomach only at the proper time, undertaking inflexible vows,
he lives on the slope the mountain. His heart is unable to be won over by the arrows of Cupid.
He is leading his devotees, and giving them the method for Self-Knowledge.

jaṭharam samaye paripūrayatā kaṭhinam vratam adritaṭe caratā |
jhaṣaketanaśastra durāpahṛdā kṛṣim ātmavibodhavidhau dadhatā ||
*愛の神
5.
恐れを生む生(せい)の大海を渡り、蓮華のごとき手は鉢として役立つ
そのまなざしは比類なく穏やかで、明るく輝き、蓮華の御足を頼りとする人々の恐れを取り除く

He has crossed the fear producing ocean of worldly life. He has a hands
as delicate as a lotus, which serve him as a bowl. His own gaze is unsurpassed
in calmness and brightness, and he removes the fear of those who resort to his lotus feet

bhavabhīkaravārinidhim taratā karatāmarasena supātravatā |
svadṛśā’ dhikaśītalakāntibhṛtā bhayam aṅghrisarojajuṣām haratā ||

6.
敬礼する、多大なる信愛を抱く人々にとっての宝、その存在は深い悲痛を破壊する
苦行者の義務を守り、あたり一面の暗闇を取り除く

He is a store-house of divine treasure for adoring devotees, his presence destroys dense misery. He maintains the duties of the ascetic, and he is preventing darkness all around.

namatām atibhaktimatām nidhinā ghanatāpa vidhūnanasannidhinā |
yatidharmatatim paripālayatā paritaśca tamo vinivārayatā ||

7.
蛇族の長*にのみ描きうる、あふれる美徳を持ち、心地よく、有益な、真実の言葉を話す
崇敬によって左右される幸福に支配されず、また侮辱に苦悩することもない

Having a flood of virtues able to be described only by Sesha, the leader of the serpents, 
he speaks words that are pleasing, beneficial and true. 
He is not governed by that happiness which is influenced by respect and honor (from others), 
nor does he have distress due to dishonor (from others).

phaṇināyakavarṇya guṇaughabhṛtā bhaṇitīh priyasatyahitā bhaṇatā |
bahumānavaśād ayatā sukhitām avamānatater avidūnavatā ||
*アディシェーシャ
8.
苦行者たちの王。その鋭く、光り輝く知性によって、断固として心を滅ぼした
喜びの波を常に帯び、内なる敵軍*を滅ぼした

He is the Lord of Ascetics. With his sharp and brilliant intellect, 
he has with firmness destroyed the ego. He is always bearing a wave of joy, 
and he has killed the array of inner enemies (the six passions).

yatinām adhipena kuśāgra-lasan matinā dhṛtināśita cittabhuvā |
laharīm pramadasya sadā vahatā nihatāntara śātrava samhatinā ||
*貪欲、怒りなど、六つの感情
9.
その功績によって一切を超越し、容易く得られはしない幸運な境地を勝ち得ている
「私のもの」なる意識から免れ、有徳の人々の友。彼はガナの主*のハートにしまわれている

Having transcended all by his own merits, 
he wins the supreme feet of the Lord, (which are) not easily accessible by others. 
He is free from the feeling of "mine'' and is the friend of the virtuous. 
He is treasured at heart by the Lord of the Ganas, Ganapati.

bhagavatpadam anyajanāsulabham svaguṇair adhigatya param jayatā |
mamatārahitena hitena satām nihitena gaṇaprabhuṇā hṛdaye ||
*ガナパティ
10.
山から生まれし者*の膝上を捨て去り、暗闇を取り除くために地上に住まう
人間の見た目をした、山を貫きし者*よ。この世界は、ラマナの内に守護者を見出した

Abandoning the lap of his Mother Parvati, he dwells on earth for the removal of darkness.
He is Skanda, having the appearance of a man. This world has found a Lord in Ramana!

dharaṇīdharajāṅkam api tyajatā dharaṇī tala vāsi tamodhutaye |
narave ṣabhṛtā nagarandhrakṛtā ramaṇena sanātham idam bhuvanam ||
*パールヴァティー*スカンダ
11.
苦行者であり、腰を飾る白い布切れのみを身につけている
至高なる師、人間の見た目をした孔雀にまたがりし者*。彼の内に、世界はグルを得た

He is an ascetic, wearing only a white piece of cloth adorning his loins. 
He is the Supreme guru, he is the peacock-riding Skanda,
wearing the guise of a man. In him the world has a Master!

parade śineva dhavalena vāsasah śakalena veṣṭita kaṭī-viśobhinā |
vara-deśikena nara-veṣa-dhāriṇā śikhivāhanena gurumat jagad bhavet ||
*スカンダ
12.
グナの網を乗り越えた完全なブラフマチャーリへ
マーヤーの作用によって死を免れえないグルへ、ターラカーの殺害者*へ敬礼いたします

Prostrations to him who has transcended the multitude of gunas
and is the perfect brahmachari! To him who is mortal by the workings of Maya, 
to the Guru, the enemy of Tarakasura (Skanda), prostrations!

atīta guṇajālāya naiṣṭhika brahmacāriṇe |
namo māyāmanuṣyāya gurave tārakāraye ||
*スカンダ
13.
乗るための孔雀族の王*はここにおらず、沐浴するための天上の川*もなく
飲むための偉大なる山の神々の王*の娘の乳房からの母乳なる神酒もない
歌を歌うための年を同じくするヴィーナを奏でるプラマタの王*たちもここにいない
では、なにゆえ黄金の山に居を定めたのか、おお、バガヴァーン、クラウンチャ山の破壊者*よ!

Here there is no king of the peacocks for riding, nor a celestial river for bathing, 
nor is there the nectar of milk from the breast of the daughter of the Mountain-Lord (Parvati). The divine vina-playing attendants of Shiva, who are your contemporaries,
are not even here to sing to thee! How is it then O Bhagavan,
Pounder of Krauncha hill,that you make your dwelling upon Arunachala ?

yānāyātra na kekinām kulapatih snānāya na svarṇadī
pānāya kṣitibhṛnmahendra duhitur na stanya-dugdhāmṛtam |
gānāya pramatheśvarāh savayaso naivātra vīṇābhṛto
vāsam śoṇagirau karoṣi bhagavan krauñcādri bhettah kutah ||
*パラヴァニ*ガンガー*ヒマヴァット*シヴァの従者、魔*スカンダ
14.
その顔は一つ、ウマー*の膝上から離れ、手に槍はない
死すべき定めにあり、どちら側にも旗を持つ神々の軍勢はいない
この装いは、世界で楽しむ迂闊(うかつ)な人々の目を覆うには十分であるが
おお、ターラカー*の敵よ!母の息子*の目からどこへ逃れるというのか

You have one face, you are separated from Mother Uma's lap!
You do not have a spear in your hand.
You are mortal, and there are no flag bearing armies of the gods on either side! 
This disguise is enough to cover the eyes of those unwary ones who delight in the world, 
but how will you, O enemy of Tarakasura, escape the notice your brother)?

ekam vaktram umāṅkavāsavirahah pāṇau na śaktyāyudham
martyatvam na patākinī ca pṛtanā pārśvadvaye nākinām|
veṣo’lam punareṣa mugdha nayana pracchādane bhūjuṣām
antardhānam upaiṣi tārakaripo kva stanyadāyādatah ||
*パールヴァティー*悪魔*ガナパティ
15.
ある人々は「ヨーガを知る者の中の先達」として、他の人々は「賢者*」として
または、「聖者*」として、またある人々は「正師*」として、あなたの蓮華の御足を崇拝する
人々の安らぎのために地上に生まれたラマナよ
二人か三人(のみ)が、ギリジャー*の膝上で休らう、聖なるグーハ*としてあなたを知る

Some (know you) as "the foremost of the knowers of yoga'', others as''gyAni'', 
some others as "sadhu'', while some thinking of you as "guru'' worship your lotus feet. 
Ramana, born on earth for the peace of men, (only) two or three know
 you as Lord Skanda, resting on the lap of Girija, the Divine Mother.

kecid yogavidām purahsara iti prajñāni buddhyā pare
sādhuh kaścid itītare gurudhiyā ke’pyaṇghri padmam tava|
sevante ramaṇābhidhāna manujakṣemāya jātah kṣitau
dvitrās tvām girijāṅkapīṭhanilayam jānanti devam guham ||
*プラジニャーニ、学識者*サードゥ*グル*パールヴァティー*スカンダ*ハートの洞窟に住まう者

16.
オームの意味は、幸いなる方、ヴァーニー*の心を奪いし者*に説かれた
その父*にさえ説かれんとして、あなたの顔は少しく上を向いた
その知恵の重みによって、今や、その長兄*のグルの地位をあなたは得た
おお、スブラマンヤ!最も若輩ながらも、その功績によって、あなたは全ての人より偉大になった

The meaning of OM was explained (by you) to Lord Brahma.  (Opening)your mouth,
you had undertaken to explain something to even your father(Shiva). O Subramanya,
even though you are the youngest, by your merits you have become greater than all! 
By the weight of your wisdom, you have obtained the state of Guru to your elder brother.

omkārārtham upādiśo bhagavate vāṇī manohāriṇe
tātāyāpyupadeṣṭum udyatam abhūt kiñcit tvadīyam mukham |
jyeṣṭhasyādya sahodarasya gurutām prāpto’si dhīgauravāt
subrahmaṇya kaniṣṭhatām api gatah sarvādhikah tvam guṇaih ||
*サラスワティー*ブラフマー*シヴァ*ガナパティ
17.
かつてヴェーダをその際(きわ)まで見た、賢者ドゥヴァイパーヤナ*により登られ
後に、その知の一部によって(無知の)暗闇を払い、恐れを破壊するシャンカラによって登られた
世界で苦しむ人々のための聖師の獅子座は、今や、あなたを待つ
おお、人として具現した主よ、おお、神軍の主*よ!

That Lion's seat of honor which was previously mounted by the wise Vyasa, who
saw the fullest extent of the Vedas, was afterwards occupied by fear destroying Sankara, 
who with a single portion of his knowledge dispelled the darkness (of ignorance). 
Now that throne of Acharya (to save) those who are suffering in the world awaits thee, 
O Lord embodied as man, O Army Chief of the Gods (Skanda)!

yat pūrvam śrutipāradarśi dhiṣaṇo dvaipāyano’dhyāruhat
paścād bodhakalāvidhūta timirah śaṅkāpahah śaṅkarah |
tat samprat yakhilāvanī talajuṣām ācāryasimhāsanam
deva tvām prativīkṣate naratano gīrvāṇasenāpate ||
*ヴィヤーサ*スカンダ
18.
ダルマが破壊されている時、三世界が悪行により悩まされている時
学識者が真理を見失い、無益に論争している時
至高なる神、御父(おんちち)の実在が疑われる時
あなたの他に誰が善人の寄る辺であるのか、おお、人間を装った孔雀にまたがる者*よ!

When dharma has been destroyed, when the three worlds are bewildered by wrong doing, 
When everywhere the way of words(polemics) has been brought together by men in vain
as true knowledge, When the true existence of the supreme Lord the Father is doubted,
Who but you is the refuge of the good, O peacock-mounted one, disguised as a man?

dharme nāśam upāgate tribhuvane paryākule pāpatah
prajñāne parito girām pathi mudhā sañcāryamāṇe janaih |
sadbhāve parameśvarasya ca pituh sandehaḍolām gate
dvīpah kaitavamartya kekituraga tvām antarā kah satām ||
*スカンダ
19.
離欲はあなたの富やもしれないが、どうしてあなたが慈悲を捨てされるのか
努力はあなたにとって非難さるべきやもしれないが、御父の御足への瞑想はどうなのか
欲望はあなたにとって禁じられているやもしれないが、敬礼する人々に庇護が与えられないのか
おお、人間に身をやつしたスカンダよ!あなたは好機を待っているのか

Dispassion may be your weatlh, but how can you forsake compassion?
Great effort may seem reprehensibile, but what of meditation on the feet of the Father? 
Desire may by prohibited by you, but is protection denied to your devotees? 
O Skanda, in the disguise of a man, do you await a proper opportunity?

vairāgyam tava vittam astu karuṇām śaknoṣi hātum katham
dūṣyaste’stu samudyamah pitṛpada dhyānam ca kim tādṛśam |
kāmaste’stu vigarhito vinamatām rakṣā ca kim garhitā
skanda cchadmamanuṣya kim nu samayam kañcit samudvīkṣase ||

20.
はるか遠ざかれ、誹謗よ!ダルマなる雄牛よ、これ以後、あなたは足なえではなくなる
混乱よ、この世を去れ!有徳の人々との交際が至る所で増さんことを
彼の兄弟*に答えて、この世界は卓抜したグル
シューラ*の後宮の妖艶な目の破壊者、神々しいバヴァーニー*の息子を得た

O detraction, go far away! Bull of dharma, henceforth you will not be lame! 
Leave the world, O confusion, may associtaion with the virturous increase everywhere! 
In association with his brother, this world has obtained the chief of gurus, the destroyer
of the demon Sura and of the amorous passions, Lord, son of the Divine Mother Parvati.

dūram yāhi kuvāda dharmavṛṣa te netah param paṅgutā
durbhrānte bhuvanam jahīhi parito vardhasva samsat satām |
sodaryeṇa samanvito bhuvamimām prāpto gurugrāmaṇīh
śūrāntah puranetra vibhramaharo devo bhavānīsutah ||
*ガナパティ*悪魔?*パールヴァティー
21.
「私」なる思いの秘められし誕生の地を得て、一切の二元性を振り落とし
感覚ある存在の様々な知性の中のまさしく自らとして輝き
世界と一切の体に行き渡る彼は、その栄光により輝き出る
グルの姿をした、かの者に敬礼せよ。おお、巨大な腹を持つ者*の弟よ!

He who has shaken off all duality having obtained the great secret of the place of birth
(of the "I'' thought), and who shines as the very self in the various intellects
of sentient beings, he who having pervaded the world and all bodies shines forth
with his glory, oh men! salute that one, in the form of the Guru, the brother of Ganapati!

janmasthānam avāpya guptam ahamo yo bhedam ādhūtavān
bhūtānām caratām pṛthagvidha dhiyām ātmaiva yo bhāsate |
deham sarvam idam jagacca vibhavād ākramya yah prollasat
yekas tam gurumūrtim ānamata re lambodarabhrātaram ||
*ガナパティ
22.
内外から暗闇を取り除き、光で満ちた永遠の
汚れなき境地を達成し、敬礼する人々の無知を根こそぎにし
この世界を見て、その中で戯れながらも、世界を超えている彼へ
世界のグル、悲しみの破壊者、シュリー・ラマナへ敬礼いたします

He who removes the darkness from within and without, having obtained 
that eternal state made of light, who uproots the ignorance of his devotees, 
who though seeing and sporting in this universe is beyond the universe, 
to him, Sri Ramana, the Guru of the world and destroyer of sorrow, salutations!

antaryaśca bahir vidhūtatimiram jyotirmayam śāśvatam
sthānam prāpya virājate vinamatām ajñānam unmūlayan |
paśyan viśvam apīdam ullasati yo viśvasya pāre parah
tasmai śrī ramaṇāya lokagurave śokasya hantre namah ||

23.
今や、あなたの吉祥なる眼差しの奔流によって
おお、ラマナ!一度でも私が祝福されますように

Oh Ramana, now, by the flowing forth of your splendid gaze, 
may I at once be blessed!

prasaratād itah śubhavilokitam |
ramaṇa te sakṛt phalatu me kṛtam ||

24.
おお、ラマナ!あなたは人々のグルである
分かれの存在しない、あなたの心は、真に偉大である

Oh Ramana, you are the Guru of men. 
Infinite is your heart, in which there is no differentiation.

ramaṇa janminām ayi bhavān guruh |
abhida āśayas tava mahān uruh ||

25.
「世界」、「私」、「至高者」の三つ組は私の中に輝く
分かれなき現実として。あなたの言葉によって、疑いなく


Your word destroys for me the triad of "world", "I", and "the Supreme", 
(and there remains) the one reality without differentiation, without doubt.

jagad aham parah sphurati me trayam |
sadabhidam girā tava visamśayam ||

26.
あなたの教えを通じ、私と不可分の意識によって
現実と私の間の相違は失われた

From your teaching, by knowledge inseparable from me, 
the difference between the reality and the ego is lost.

tvad upadeśato galati samvidā |
mayi niranyayā sadahamor bhidā ||

27.
私の内なる、かの汚れなきものをハートの中で
あなたの恩寵を得るならば、我々は体験しうる

Oh (Ramana), if your grace (extends to us), 
we could experience the supreme self in the pure heart, hidden within the ego.

ahami yo’ntaras tam amalam hṛdi |
anubhavema bhos tava kṛpā yadi ||

28.
慈悲はあなたの性質ではなく、おお、賢者らの主よ!
ハートの光輝として、あなたにとって自然である

Oh Lord of the wise! Compassion is not just a quality of yours. 
It is natural for you, as the effulgence of your heart.

na karuṇā guṇas tava vidāmpate |
hṛdayatejasah sahajabhaiva te ||

29.
あなたの体は、稲妻のごとくまばゆく輝き、おお、汚れなき方よ!
あなたのまなざしは、明るく輝き、行き渡っている

Oh spotless one, your body blazes like lightning. 
Bright and pervasive is your look.

tava tanur jvalat yanagha vidyutā |
tava dṛg ātatā lasati bhāsvatā ||

30.
あなたの心はハートによって溶かされている、おお、支配者よ!
あなたは至福によって永久(とわ)に輝く

Your mind has been dissolved by the heart, oh Lord! 
You are eternally shining with bliss.

kabalitam manas tava vibho hṛdā |
tvamasi santatam vilasito mudā ||

31.
人類と全世界の主、幸運な方にとって
あなたは料理人である。おお、自制ある者たちの主よ!

For the Divine Universal Lord of mankind, 
you are the cook, oh Lord of the self-controlled!

bhuvanabhūpater bhagavatah kṛte |
bhavasi pācako yamavatām pate ||

32.
これら人間の姿をした獣たちの「私」を殺害し、調理し
あなたは至高なるシヴァのための食事をこしらえる

Slaying the ego of these man-beasts (humans steeped in ignorance),
and cooking them, you prepare food for the supreme Shiva.

narapaśūn imān ahami tāḍayan |
paraśivaudanam vitanuṣe pacan ||

33.
その言葉によってだけでなく、その慈悲深い流し目によっても
人々のハートにはびこる暗闇を破壊する、グル・バガヴァーン・ラマナを礼拝いたします

I bow to the guru Bhagavan Ramana,
who destroys the darkness prevailing in the hearts of men,
not only by his words, but by his sidelong glances of grace and compassion.

timirāṇi na kevalam vacobhih karuṇāpāṅgavilokitaiś ca nṝṇām |
hṛdaye prasaranti mardayantam bhagavantam ramaṇam gurum namāmi ||

34.
生の大海へ幾度も幾度も飛び込み、疲れ切り
今や、あなたの蓮華の両の御足なる島に庇護を求める
おお、バガヴァーン・ラマナ!あらゆる吉祥の住まい
その流し目から信奉者たちへ溢れ出る恩寵によって我らを守りたまえ

Oh Bhagavan Ramana, diving again and again into the ocean of the world,
we are extremely tired. Now, at this moment, we approach the island
of your lotus feet for refuge. You, the merciful abode of virtues, please protect us
with the grace that pours out to your devotees from the glances of your eyes.

bhavajalanidhim gāham gāham cirād alasālasān
padajalaruha-dvandva-dvīpam śritāms tava samprati |
ramaṇabhagavan kalyāṇānām niketana pāhi naù
sadaya dayayā siktair bhaktān apāṅgavilokitaih ||

35.
母が乳を与えないならば、ああ、子の運命はどうなるのか
牛飼いが憤るならば、牝牛のための保護はどこにあるのか
聖師たる、あなたが、その御足を頼る人々の疑いを晴らさないならば
数多(あまた)の混乱によって打ち負かされた人々は、いかにこの生を渡り切るのか

If the mother would not give milk, alas, what would be the fate of the child? 
If the cowherd would be angry, where would be protection for the cow? 
If you Teacher, do not dispel the doubts of those resorting to your feet, 
how will those overcome by multiple confusions cross over this worldly existence?

yadi na jananī stanyam dadyāt śiśor bata kā gatih
yadi paśupatih krodham kuryāt paśor avanam kutah |
yadi padajuṣām ācārya tvam nihamsi na samśayam
bhramaśataparābhūta ete tarantu bhavam katham ||

36.
月のごとく輝かしいその微笑みは、安らぎで満ち、定まり
比類なき光沢を持つ、その大きな眼(まなこ)は、力に満ちている
ハートの蓮華の中に永遠に住い、その輝きは外へと流れ出る
おお、バガヴァーン・ラマナ!一体、いかな聖者があなたに比肩するのか

In your moon-like splendid smile peace reigns. 
Your large broad eyes are steady and unequalled in luster. 
You are eternally abiding in the lotus of the heart with your splendor outwardly flowing.
Oh Bhagavan Ramana! What Sage on earth is possibly your equal?

viśadahasite pūrṇā śāntih sudhākara sodare
sthirapṛthulayoh pūrṇā śaktir dṛśor atulārciṣoh|
hṛdayakamale nityā niṣṭhā bahiśca saratprabhe
ramaṇa bhagavan ko vā maunī samas tava bhūtale ||

37.
眼の中には、人の無知に終止符を打つデーヴィー・シャクティ
千の表情を持つ顔には、蓮華のごとき眼をしたヴィシュヌの妻、デーヴィー・シュリー*
発する言葉に隠さるるは、勝利をもたらす至高なるブラフマーの妻、デーヴィー*
おお、偉大なる体験を持つ全世界の聖師、ラマナよ!いかな凡人があなたを賞賛しうるのか

In your eyes is Devi Shakti, effecting the end of the man's ignorance. 
In your face of a thousand expressions is LakShmi, the wife of the lotus-eyed Vishnu. 
Concealed in your utterance is victory-causing Saraswati, supreme. 
Oh universal teacher Ramana of great experience! What ordinary man could praise you!

devī śakti riyam dṛśoh śritajanadhvānta kṣayādhāyinī
devī śrī riyam ambujākṣa mahiñī vaktre sahasracchade |
devī brahmavadhūr iyam vijayate vyāhāra-gūḍhā parā
viśvācārya mahānubhāva ramaṇa tvām stautu kah prākṛtah ||
*ラクシュミー*サラスワティー
38.
このシャクティの踊りが始まる重大な時節に
たとえ私自身があなたの御足から遥か遠くに離れていても、おお、バガヴァーン・ラマナ!
光り輝く太陽のごとき、あなたの全世界で最上たるシャクティが
遠く離れていないと知ることによって、私の心の悲しみは消え去った

Even though I myself am very far away from your holy feet Oh Bhagavan Ramana, 
when on this great occasion the dance of Shakti commences, 
the knowledge that your power, blazing as the sun and foremost in the universe,
is not remote from me, has caused the sorrow of my mind to vanish.

so’ham jāto ramaṇabhagavan pādayos te daviṣṭho
yadyapyasmin mahati samaye śaktilāsye pravṛtte |
sūryasyeva jvalitamahaso dūragām nātha śaktim
viśvasyāgryām tava mama mano vītaduhkham tathā’pi ||

39.
多くの賢者が住まうことより得られた、赤色の山が獲得した、かの幸運は、今やまさに比類がない
バガヴァーン・ラマナ・マハルシが、他の多くの聖地の中からこれを選んだがゆえに

Verily, that good fortune acquired by the red colored mountain (Arunachala), 
gained by the dwelling there of many sages, is now unequalled, 
because Bhagavan Ramana Maharshi has chosen this from among other holy places

tad bhāgadheyam asamānam anekamauni vāsārjitam kṣitibhṛtah khalu lohitasya |
aṅgīcakāra bhagavān ramaṇo maharṣir anyeṣu satsu yadimam bahuṣu sthaleṣu ||

40.
その並外れた安らぎ、卓越した至高なる力、最勝たる離欲、力強い慈悲心のために
偽善を払いのけた知、心地よい行いのために、ラマナ・マハルシは人類に指し示されている

For his extraordinary peace, supreme power, most extraordinary dispassion, intense compassion, for knowledge that has banished hypocrisy and for his sweet conduct,
Ramana Maharshi is indicated (as the ideal) for mankind.

śāntir nitāntam adhikā paramāsya śaktir vairāgyam adbhutatamam karuṇā tu sāndrā |
jñānam nirastakuhanam madhuram ca vṛttam nṝṇām nidarśanamayam ramaṇo maharṣih||

結びの詩節

ナラシンハの息子、ヴァーシシュタ・ガナパティは
拍子の整った四十詩節で、リシ、スカンダの化身、グル・ラマナを賞賛した

Vasishta Ganapati, son of Narasimha, has praised with forty measured verses
 the Rishi, the incarnation of Skanda, Guru Ramana.

nārasimhir gaṇapatir vāsiṣṭho ramaṇam gurum|
catvārimśanmitaih padyaih skandāmśam stutavān ṛṣim ||

☆shiba注☆翻訳にあたって、上記の英訳だけでなく、「Mountain Path 68年4月号 Vedaparayana」の英訳と「SRI RAMANASRAMAMの公式HP、RESORCE CENTER、AUDIO 10のpdf」の英訳、および、サンスクリット語の原文を参考にしています。