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2015年6月3日水曜日

「シュリー・アルナーチャラへの五つの宝石(Sri Arunachala Pancharatnam)」

◇「山の道(Mountain Path)」、1973年1月 p16~18

アルナーチャラ・パンチャラトナム

T.M.P.マハーデーヴァン

序論

 バガヴァーン・ラマナによって作られた「アルナーチャラへの五つの賛歌」の中で、この賛歌は元々サンスクリット語で記されました。優れたサンスクリット語学者であり、信奉者であるカーヴヤカンタ・ガナパティ・シャーストリは、1917年のある日にサンスクリット語で詩を作るようにバガヴァーンに請願しました。バガヴァーンは、自分はほとんどサンスクリット語を知らず、その言語に関する韻律論はさらに知る所が少ないと微笑んで答えました。しかし、カーヴヤカンタはそこで問題をそのままにしておく気はありませんでいた。彼はアールヤと呼ばれるサンスクリット韻律の一つの技法をバガヴァーンに説明し、請願を繰り返しました。夕方、彼がバガヴァーンを再び目にした時、絶妙なサンスクリット語で詩が用意されていて、アルナーチャラに呼びかける五つの短い詩節の中にヴェーダーンタの教えの全てを表現していました。

 この賛歌はアルナーチャラについての宝石のごとき五詩節から成り立ち、それゆえ、アルナーチャラ・パンチャラトナムなる名称です。最初の二詩節の中に、現実の本質が二つの水準-スワルーパ(本質的な)とタタシュター(付随的な)-から明らかにされています。残りの三詩節の中で、完成への道のりの概略が記されています。そのように、この短い詩の中に、バガヴァーンはスートラの形でヴェーダーンタの精髄を我々に授けます。それは彼の教えの中に見出される特有の強調点でもあります。タミル語を知る大志を抱く者たちのために、この詩はバガヴァーン自身によってタミル語のヴェンバに翻訳されています。その翻訳は、バガヴァーンによって記されたアルナーチャラについての他の四つのタミル語の詩にそれを加えて、「Arunachala Sthuthi Panchakam」という表題の下に出版したいと思った信奉者からの請願に応え、1922年に行われました。

 すでに述べたように、「アルナーチャラ・パンチャラトナム」の最初の二詩節の中で、現実の本質が指し示されています。ウパニシャッドは現実の本質を二つの方法で描きます-

 現実は、実在-意識-至福(サット-チット-アーナンダ)であり、その付随的な制限が世界の因果律です。現実なるものは、それ自体、無属性(ニルグナ)、無制限(ニルパーディカ)です。マーヤーのために、それは世界の原因のように見えます。第一詩節で、バガヴァーンはアルナーチャラ、至高なる自ら(パラマートマン)、即ち、無制限かつ無属性の実在-意識-至福に言及します。それは崇高な光であり、至福の大海です。その中に、多数性は、世界は存在しません。第二詩節で、アルナーチャラは、全世界の源かつ目的である神のように、世界の基盤として描かれています。しかしながら、創造は現実ではありません。それは幻の見せかけです。これが絵(映像)の類比の含意です。かつて、バガヴァーン自身がシュリー・ラマナーシュラマムの居住者へ意味を説明したように、「全世界はスクリーン上の絵のようです-スクリーンは赤き山、アルナーチャラです。生じ、沈むものは、それが生じたものから成り立っています。全世界の最終的な境地は、神アルナーチャラです」(Talks, p.215)。そのように、世界はアルナーチャラ‐ブラフマンの変形です。それはそれ自身で現実性を持ちません。アルナーチャラへの瞑想の目的のために、場所が体の中に割り当てられます-その場所は「ハート」であり、胸の左側にある身体的なハートではなく、右側にある精神的なハートです。アルナーチャラ自体が「ハート」として言及されるかもしれません。それは万物の中心であるからです。

 第三詩節で、バガヴァーンは自らの探求の道を教えます。これはジニャーナ・マールガ(知の道)と同じものです。アドヴァイタ・ヴェーダーンタによれば、ジニャーナはモークシャへの直接的な手段です。モークシャは新たに達成されるべきものではありません。それは自らの永遠の本質です。無知(アヴィドヤー)のため、それは認識されないままにあります。我々にそれを認識させるものは、自らについての真の知です。バガヴァーンのジニャーナ・マールガの定式化は、良く知られています。それは「私は誰か」という探求の形をとります。すべての人がこの道を歩むことができますが、確かで迅速な成功のためには、人は一点に集中した純粋な心を持たねばなりません。心を探求の道を実行するのに適したものにするための助けは、瞑想(ディヤーナ)、献身(バクティ)、行為(カルマ)です。第四、第五詩節で、バガヴァーンはこれらの鍛練に言及します。無私無欲の奉仕(カルマ・ヨーガ)は、心から一切の不純物を取り除きます。神への献身(バクティ・ヨーガ)と瞑想(ディヤーナ・ヨーガ)は、心に一点集中性を授けます。心が内に向き、その源に向かう時、それは至高なる自ら、アルナーチャラであるその源に溶け込みます。実在‐意識‐至福である完全な体験-これがすべての精神的鍛練の最終目的です。

バガヴァーン・ラマナのアルナーチャラ・パンチャラトナム
(アルナーチャラへの五詩節からなる賛歌)


(1)

おん身の光輝の中に全世界を飲み込む、恩寵で満ちた、神酒の大海!おお、アルナーチャラ、至高者そのものよ!おん身太陽となり、我がハートの蓮華を至福の内に開き給え!

Ocean of Nectar, full of Grace, engulfiing the universe in Thy Splendour! Oh Arunachala, the Supreme Itself! be Thou the Sun and open the lotus of my heart in bliss!

 これはバガヴァーン・シュリー・ラマナの「アルナーチャラ・パンチャラトナム」の最初の詩節です。ここで祈りは、ハートの蓮華の開花を求めています。ハートは蓮華になぞらえられています。なぜなら、それは主に捧げられるのに適したものであるからです。太陽が昇る夜明けに蓮華が開くのとまさしく同様に、ハートの開花は、主の恩寵がそれに降りきたる時にのみ果たされます。主は、太陽の中の太陽です。彼の恩寵によってこそ、個々人のハートは成熟性と純粋性を獲得するはずです。

 主は、アルナーチャラであり、不変のもの、絶えざる光です。彼は、至高なる自らです。彼は、恩寵と不死の大海です。彼こそが、邪悪で、不完全なもの一切を破壊します。アルナーチャラ以外の誰に、信奉者は永遠の命へ連れ行く聖なる輝きを求めて頼るのでしょうか。アルナーチャラの恩寵によってこそ、完全が得られます。

(2)

おお、アルナーチャラ!おん身の内に、全世界の絵(映像)が形作られ、留まり、溶け去る。これは崇高な真理である。おん身は、ハートの中で「私」として踊る、内なる自ら。「ハート」がおん身の名である、おお、主よ!

O Arunachala! in Thee the picture of the universe is formed, has its stay and is dissolved; this is the sublime Truth. Thou art the Inner Self, Who dancest in the Heart as 'I', 'Heart' is Thy name, Oh Lord!

 アルナーチャラは、至高なる神です。『タイッティーリヤ・ウパニシャッド』の聖句は、ブラフマンの本質を指し示して、そこから一切のものが存在するようになり、その中にそれらが住まい、そこへそれらが戻るものとして定義しています。ブラフマンは、全世界の基盤です。全世界の原因として、それは神と呼ばれています。しかし、どの創造の理論も満足のいくものにはなりえません。一者から多数のものがどのように現れるのかは、謎です。それゆえ、神が世界の質料因であり、作用因でもあると言われています。世界の起源、中間、終焉、全ては神の内にあります。そのように、バガヴァーン・シュリー・ラマナは、アルナーチャラの中に、この全てが現れると言います。それがそうでなければならないことは、実に不思議なことです。確かに、自らの腹から巣を編んで作り出す蜘蛛のような類比の助けによる説明が与えられてはいます。しかし、そういったどの説明も最終的に正当であることを意図してはいません。世界とその創造についての教えは、不二のブラフマンの実現への前置きとして与えられているに過ぎません。

 etacchitramという表現は、「これは絵のごとくである」を意味すると解釈されるかもしれません。芸術体験からの類比は、世界が単なる事実としてでなく、ブラフマンである最高の価値を示すものとしてみなされるために、与えられています。事実としてさえ、世界はその基礎をブラフマンに持ちます。ブラフマンはキャンバスであり、その上に世界の絵が描かれます。

 宇宙の現実性は、個人の現実性でもあります。ハートの内で、「私」、自らとしてそれは現れます。それそのものが「ハート」と呼ばれています。なぜなら、それは万物の中心であるからです。それはハートの内で踊ると言われています。なぜなら、それは万物を動かす原動力であるばかりでなく、歓喜の本源でもあるからです。

 アルナーチャラ、全世界の不動の基盤は、ハートの虚空の講堂(チダンバラム)で踊る舞踏王、ナタラージャと同じです。

(3)

内に向けられた純粋な心でもって、「私」なる思いがどこから生じたか探求する者は、自らの本質を悟り、おお、アルナーチャラ!大海の中の川のごとく、おん身の内に動きを止める。

He who inquires whence arise the ' I' thought, with a mind that is pure, inward-turned, and realizes his own nature, becomes quiescent, O Arunachala, in Thee, as a river in the ocean.

 ここでは、自らの探求の道が説かれています。その技法は、「私」なる思いをその源まで追跡することにあります。「私」なる思いは、全ての思いの中で最初に生じるものです。それはどこからやって来るのか。当然、それ自体が思いの性質を帯びた心を用いることによって、これを発見しなければなりません。しかし、この課題を達成できるのは、内に向かい、純粋である、かの心だけです。心が外に向かい、不純である時、それは注意散漫になり、散逸し、感覚の対象物にふけります。真理を知り、安らぎを見出すために、心はその外側にあるものの馬鹿げた追求に背を向けねばなりません。これを心が行えるのは、それが純粋である時だけです。純粋な心が内に向き、「私」なる思いの起源を探求する時、それはこの「私」が偽りの自分であることを発見します。この発見と共に、一切の思いは消え去り、真の自らのみが後に残ります。自我は自殺し、アルナーチャラである自らと一つになります。これが、川が海に合流し、その中に姿を消すことに例えられています。

 『ムンダカ・ウパニシャッド』(Ⅲ, ii, 8)は、次のように言明します-
流れる川が、名と形を捨て、大海の中に消え去るがごとく、 
賢なる者は、名と形から解放され、高きよりも高い、神聖なる方のもとへゆく

(4)

外的対象物を拒絶し、呼吸と心を制御して、心の中でおん身に瞑想し、ヨーギはおん身の光を見、おお、アルナーチャラ!おん身の内に喜びを見出す(または、これがおん身の栄光である)。

Rejecting the external objects, with breath and mind controlled, and meditating on thee within, the Yogi beholds thy light, O Arunachala, and finds his delight in Thee (or, this is Thy glory).

 ここでは、瞑想(ディヤーナ)の道である、ヨーガへの道のりの概略が述べられています。たいてい、心は対象物を楽しむために感覚器官を通ってそれへと流れ出ます。その喜びが対象物に存すると心は誤って思います。心がある対象物に失望する時、それは別のものに飛び付きます。ヨーガは、心が戻る過程です。ヨーガは、心を内に向けます。呼吸の制御は、心の制御の助けとして修練されます。体を鍛練し、呼吸を制御することは、心を手なずける助けになります。心が一点に集中され、自ら、または、神に定められる時、人は心の中に安らぎと喜びを見出します。最終的に、ヨーギは神を実現します。神は光の形-物質的な光でなく、純粋な意識または自覚-で見られます。アルナーチャラである、その光は、至高なる聖霊です。その光輝に匹敵するものはありません。その偉大さは、比類なきものです。この光を見ることとは、それであることです。ヨーギの個人性は溶け去り、至福である十全性のみがあります。

(5)

心をおん身に捧げ、おん身を見、全てをおん身の形として見ながら、絶え間ない愛を抱き、おん身を崇拝する彼は、おお、アルナーチャラ!至福である、おん身の内に没入し、勝利を得る。

With the mind offered unto Thee, seeing Thee, and seeing all as of Thy form, he who worships Thee with constant love conquers, O Arunachala, being immersed in Thee that art Bliss.

 最後の詩節では、献身の道が説かれ、私心ない行為の道もまたそれとなく説かれています。献身の本質は、個々人の魂を神への奉仕に完全に捧げることにあります。バクティは、花や果物といった外的なものを神に捧げることから始まるかもしれません。しかし、それが成熟する時、捧げられるものは、心です。信奉者が神をあらゆる所に見て、あらゆるものを神の表れとして見る時のみに、彼はこれを行えます。その時、彼はあらゆるものの内の神に仕え、それがカルマ・ヨーガの心髄です。そのような奉仕を通じ、信奉者の神への愛は力強く、ひたむきなものになります。そして、最終的に、彼は有限で、自ら動けない、苦しみに満ちた一切に勝利を得ます。彼は彼の個人性が溶け去ったことに、ブラフマンである無限の至福の海のみが存在することに気づきます。

2015年5月8日金曜日

シュリー・ラマナを讃える四十詩節(シュリー・ラマナ・チャトヴァーリムサット)

◇Sanskrit Documents collection - Forty Verses in Praise of Maharshi Ramana


    ある日の早朝、ティルヴァンナーマライのパチャイアンマン寺院で、シュリー・ヴァーシシュタ・ガナパティ・ムニと他の弟子たちみなが、いつものように完全に内に引き込まれて座っているバガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシを前にして座っていました。ムニは、空からきらめく光が下りてきて、マハルシの額に六たび触れるのを目にしました。

 その光景は、マハルシが主スブラマニヤの化身に他ならないとムニに悟らせました。直ちに、ムニの中の詩人が、美しいサールドゥーラヴィクリーディタ韻律の八詩節に花開きました。

 後に、時々に応じて、ムニはマハルシを賞賛する多くの詩節を作り、それらは最初の八詩節と共に、シュリー・ラマナ・チャトヴァーリムサット、「シュリー・ラマナを讃える四十詩節」として集められました。これら四十詩節は、彼の存命時、バガヴァーンの面前で毎日唱えられ、彼の神殿で毎朝唱えられ続けています。詩節は、マハルシの人間的特徴と神なる特徴を共に描き、彼とスカンダの間に何の区別もしていません。

 これらの詩節はアヴァターラ・プルシャとジーヴァンムクタを扱い、並々ならぬ学識を持つ、大いに精神的に強靭な人に作られたため、各々の詩節は、マハルシの存在を呼び起こすことにおいて、マントラのように働き、全ての真摯な大志を抱く者にとっての真の恩恵です。
(SRI RAMANASRAMAMの公式HP、RESORCE CENTER、AUDIO 10の文章より


シュリー・ラマナ・チャトヴァーリムサット
(シュリー・ラマナを讃える四十詩節)

暗闇を超えて、輝ける神を私に示した
聖師、リシ・シュリー・ラマナの蓮華の御足を礼拝いたします

I bow to the lotus feet of the spiritual teacher Rishi Sri Ramana,
who showed me the Lord, shining, transcending darkness

vande śrīramaṇarṣer ācāryasya padābjam |
yo me’darśayad īśam bhāntam dhvāntam atītya ||

1.
彼自身の言葉は、汚れを取り除く。慈悲の大海であり、赤き山に楽しむ
鳥に担われし者*により語られる真理を知り、雄牛に担われし者*の沈黙の神秘を携える

The story of his own life removes impurities. He is an ocean of compassion,
taking delight in the red mountain (Arunachala). He knows the truth spoken
by the bird-borne Vishnu, and bears the mystery of the silence of the bull-borne Siva.

kathāyā nijayā kaluṣam haratā karuṇānidhinā’ruṇa śaila juṣā |
khaga vāhana bhāṣita tattva vidā vṛṣa vāhana mauna rahasya bhṛtā ||
*ヴィシュヌ *シヴァ
2.
ガナパティに始まる学識者の集いのグル、数多(あまた)の美徳の偉大なる宝庫
千の光線を放つもの*が雲に隠されるがごとく、その真の偉大さは体なる装いに隠されている

He is the guru of an assembly of learned men beginning with Ganapati, he is
a great repository of a wealth of virtues. Just as the thousand-rayed one (the sun)
 is hidden by a cloud, his true greatness is hidden by the garb of the body.

gaṇrāṇmukhasūrisabhāguruṇā guṇasanñcayaratnamahodadhinā|
ghanagūḍhasahasrakareṇa yathā tanukañcukaguptamahāmahasā ||
*太陽
3.
さ迷う五感を打ち負かすことに、他者の長所を称賛することに巧みである
偽りのない沈黙の安らぎに楽しみ、強く、非難される、恐るべき欲望の殺害者

Ingenious at defeating the roving senses, he is skillful in praising
the merits of others. He delights in the peace of silence which is without deceit, 
and is the the slayer of the strong, reviled, frightening passions.

catureṇa calendriyanigrahaṇe paṭunā parakīyaguṇagrahaṇe |
chalavarjita maunasamādhijuṣā balatarjita bhīkarakāmaruṣā ||

4.
適時のみに腹を満たし、断固たる誓いを立て、山のなぞえに住む
魚を旗印にする者*の武器により、その心を勝ちとることは難しく、自らの目覚めの方法を授けた

He fills his stomach only at the proper time, undertaking inflexible vows,
he lives on the slope the mountain. His heart is unable to be won over by the arrows of Cupid.
He is leading his devotees, and giving them the method for Self-Knowledge.

jaṭharam samaye paripūrayatā kaṭhinam vratam adritaṭe caratā |
jhaṣaketanaśastra durāpahṛdā kṛṣim ātmavibodhavidhau dadhatā ||
*愛の神
5.
恐れを生む生(せい)の大海を渡り、蓮華のごとき手は鉢として役立つ
そのまなざしは比類なく穏やかで、明るく輝き、蓮華の御足を頼りとする人々の恐れを取り除く

He has crossed the fear producing ocean of worldly life. He has a hands
as delicate as a lotus, which serve him as a bowl. His own gaze is unsurpassed
in calmness and brightness, and he removes the fear of those who resort to his lotus feet

bhavabhīkaravārinidhim taratā karatāmarasena supātravatā |
svadṛśā’ dhikaśītalakāntibhṛtā bhayam aṅghrisarojajuṣām haratā ||

6.
敬礼する、多大なる信愛を抱く人々にとっての宝、その存在は深い悲痛を破壊する
苦行者の義務を守り、あたり一面の暗闇を取り除く

He is a store-house of divine treasure for adoring devotees, his presence destroys dense misery. He maintains the duties of the ascetic, and he is preventing darkness all around.

namatām atibhaktimatām nidhinā ghanatāpa vidhūnanasannidhinā |
yatidharmatatim paripālayatā paritaśca tamo vinivārayatā ||

7.
蛇族の長*にのみ描きうる、あふれる美徳を持ち、心地よく、有益な、真実の言葉を話す
崇敬によって左右される幸福に支配されず、また侮辱に苦悩することもない

Having a flood of virtues able to be described only by Sesha, the leader of the serpents, 
he speaks words that are pleasing, beneficial and true. 
He is not governed by that happiness which is influenced by respect and honor (from others), 
nor does he have distress due to dishonor (from others).

phaṇināyakavarṇya guṇaughabhṛtā bhaṇitīh priyasatyahitā bhaṇatā |
bahumānavaśād ayatā sukhitām avamānatater avidūnavatā ||
*アディシェーシャ
8.
苦行者たちの王。その鋭く、光り輝く知性によって、断固として心を滅ぼした
喜びの波を常に帯び、内なる敵軍*を滅ぼした

He is the Lord of Ascetics. With his sharp and brilliant intellect, 
he has with firmness destroyed the ego. He is always bearing a wave of joy, 
and he has killed the array of inner enemies (the six passions).

yatinām adhipena kuśāgra-lasan matinā dhṛtināśita cittabhuvā |
laharīm pramadasya sadā vahatā nihatāntara śātrava samhatinā ||
*貪欲、怒りなど、六つの感情
9.
その功績によって一切を超越し、容易く得られはしない幸運な境地を勝ち得ている
「私のもの」なる意識から免れ、有徳の人々の友。彼はガナの主*のハートにしまわれている

Having transcended all by his own merits, 
he wins the supreme feet of the Lord, (which are) not easily accessible by others. 
He is free from the feeling of "mine'' and is the friend of the virtuous. 
He is treasured at heart by the Lord of the Ganas, Ganapati.

bhagavatpadam anyajanāsulabham svaguṇair adhigatya param jayatā |
mamatārahitena hitena satām nihitena gaṇaprabhuṇā hṛdaye ||
*ガナパティ
10.
山から生まれし者*の膝上を捨て去り、暗闇を取り除くために地上に住まう
人間の見た目をした、山を貫きし者*よ。この世界は、ラマナの内に守護者を見出した

Abandoning the lap of his Mother Parvati, he dwells on earth for the removal of darkness.
He is Skanda, having the appearance of a man. This world has found a Lord in Ramana!

dharaṇīdharajāṅkam api tyajatā dharaṇī tala vāsi tamodhutaye |
narave ṣabhṛtā nagarandhrakṛtā ramaṇena sanātham idam bhuvanam ||
*パールヴァティー*スカンダ
11.
苦行者であり、腰を飾る白い布切れのみを身につけている
至高なる師、人間の見た目をした孔雀にまたがりし者*。彼の内に、世界はグルを得た

He is an ascetic, wearing only a white piece of cloth adorning his loins. 
He is the Supreme guru, he is the peacock-riding Skanda,
wearing the guise of a man. In him the world has a Master!

parade śineva dhavalena vāsasah śakalena veṣṭita kaṭī-viśobhinā |
vara-deśikena nara-veṣa-dhāriṇā śikhivāhanena gurumat jagad bhavet ||
*スカンダ
12.
グナの網を乗り越えた完全なブラフマチャーリへ
マーヤーの作用によって死を免れえないグルへ、ターラカーの殺害者*へ敬礼いたします

Prostrations to him who has transcended the multitude of gunas
and is the perfect brahmachari! To him who is mortal by the workings of Maya, 
to the Guru, the enemy of Tarakasura (Skanda), prostrations!

atīta guṇajālāya naiṣṭhika brahmacāriṇe |
namo māyāmanuṣyāya gurave tārakāraye ||
*スカンダ
13.
乗るための孔雀族の王*はここにおらず、沐浴するための天上の川*もなく
飲むための偉大なる山の神々の王*の娘の乳房からの母乳なる神酒もない
歌を歌うための年を同じくするヴィーナを奏でるプラマタの王*たちもここにいない
では、なにゆえ黄金の山に居を定めたのか、おお、バガヴァーン、クラウンチャ山の破壊者*よ!

Here there is no king of the peacocks for riding, nor a celestial river for bathing, 
nor is there the nectar of milk from the breast of the daughter of the Mountain-Lord (Parvati). The divine vina-playing attendants of Shiva, who are your contemporaries,
are not even here to sing to thee! How is it then O Bhagavan,
Pounder of Krauncha hill,that you make your dwelling upon Arunachala ?

yānāyātra na kekinām kulapatih snānāya na svarṇadī
pānāya kṣitibhṛnmahendra duhitur na stanya-dugdhāmṛtam |
gānāya pramatheśvarāh savayaso naivātra vīṇābhṛto
vāsam śoṇagirau karoṣi bhagavan krauñcādri bhettah kutah ||
*パラヴァニ*ガンガー*ヒマヴァット*シヴァの従者、魔*スカンダ
14.
その顔は一つ、ウマー*の膝上から離れ、手に槍はない
死すべき定めにあり、どちら側にも旗を持つ神々の軍勢はいない
この装いは、世界で楽しむ迂闊(うかつ)な人々の目を覆うには十分であるが
おお、ターラカー*の敵よ!母の息子*の目からどこへ逃れるというのか

You have one face, you are separated from Mother Uma's lap!
You do not have a spear in your hand.
You are mortal, and there are no flag bearing armies of the gods on either side! 
This disguise is enough to cover the eyes of those unwary ones who delight in the world, 
but how will you, O enemy of Tarakasura, escape the notice your brother)?

ekam vaktram umāṅkavāsavirahah pāṇau na śaktyāyudham
martyatvam na patākinī ca pṛtanā pārśvadvaye nākinām|
veṣo’lam punareṣa mugdha nayana pracchādane bhūjuṣām
antardhānam upaiṣi tārakaripo kva stanyadāyādatah ||
*パールヴァティー*悪魔*ガナパティ
15.
ある人々は「ヨーガを知る者の中の先達」として、他の人々は「賢者*」として
または、「聖者*」として、またある人々は「正師*」として、あなたの蓮華の御足を崇拝する
人々の安らぎのために地上に生まれたラマナよ
二人か三人(のみ)が、ギリジャー*の膝上で休らう、聖なるグーハ*としてあなたを知る

Some (know you) as "the foremost of the knowers of yoga'', others as''gyAni'', 
some others as "sadhu'', while some thinking of you as "guru'' worship your lotus feet. 
Ramana, born on earth for the peace of men, (only) two or three know
 you as Lord Skanda, resting on the lap of Girija, the Divine Mother.

kecid yogavidām purahsara iti prajñāni buddhyā pare
sādhuh kaścid itītare gurudhiyā ke’pyaṇghri padmam tava|
sevante ramaṇābhidhāna manujakṣemāya jātah kṣitau
dvitrās tvām girijāṅkapīṭhanilayam jānanti devam guham ||
*プラジニャーニ、学識者*サードゥ*グル*パールヴァティー*スカンダ*ハートの洞窟に住まう者

16.
オームの意味は、幸いなる方、ヴァーニー*の心を奪いし者*に説かれた
その父*にさえ説かれんとして、あなたの顔は少しく上を向いた
その知恵の重みによって、今や、その長兄*のグルの地位をあなたは得た
おお、スブラマンヤ!最も若輩ながらも、その功績によって、あなたは全ての人より偉大になった

The meaning of OM was explained (by you) to Lord Brahma.  (Opening)your mouth,
you had undertaken to explain something to even your father(Shiva). O Subramanya,
even though you are the youngest, by your merits you have become greater than all! 
By the weight of your wisdom, you have obtained the state of Guru to your elder brother.

omkārārtham upādiśo bhagavate vāṇī manohāriṇe
tātāyāpyupadeṣṭum udyatam abhūt kiñcit tvadīyam mukham |
jyeṣṭhasyādya sahodarasya gurutām prāpto’si dhīgauravāt
subrahmaṇya kaniṣṭhatām api gatah sarvādhikah tvam guṇaih ||
*サラスワティー*ブラフマー*シヴァ*ガナパティ
17.
かつてヴェーダをその際(きわ)まで見た、賢者ドゥヴァイパーヤナ*により登られ
後に、その知の一部によって(無知の)暗闇を払い、恐れを破壊するシャンカラによって登られた
世界で苦しむ人々のための聖師の獅子座は、今や、あなたを待つ
おお、人として具現した主よ、おお、神軍の主*よ!

That Lion's seat of honor which was previously mounted by the wise Vyasa, who
saw the fullest extent of the Vedas, was afterwards occupied by fear destroying Sankara, 
who with a single portion of his knowledge dispelled the darkness (of ignorance). 
Now that throne of Acharya (to save) those who are suffering in the world awaits thee, 
O Lord embodied as man, O Army Chief of the Gods (Skanda)!

yat pūrvam śrutipāradarśi dhiṣaṇo dvaipāyano’dhyāruhat
paścād bodhakalāvidhūta timirah śaṅkāpahah śaṅkarah |
tat samprat yakhilāvanī talajuṣām ācāryasimhāsanam
deva tvām prativīkṣate naratano gīrvāṇasenāpate ||
*ヴィヤーサ*スカンダ
18.
ダルマが破壊されている時、三世界が悪行により悩まされている時
学識者が真理を見失い、無益に論争している時
至高なる神、御父(おんちち)の実在が疑われる時
あなたの他に誰が善人の寄る辺であるのか、おお、人間を装った孔雀にまたがる者*よ!

When dharma has been destroyed, when the three worlds are bewildered by wrong doing, 
When everywhere the way of words(polemics) has been brought together by men in vain
as true knowledge, When the true existence of the supreme Lord the Father is doubted,
Who but you is the refuge of the good, O peacock-mounted one, disguised as a man?

dharme nāśam upāgate tribhuvane paryākule pāpatah
prajñāne parito girām pathi mudhā sañcāryamāṇe janaih |
sadbhāve parameśvarasya ca pituh sandehaḍolām gate
dvīpah kaitavamartya kekituraga tvām antarā kah satām ||
*スカンダ
19.
離欲はあなたの富やもしれないが、どうしてあなたが慈悲を捨てされるのか
努力はあなたにとって非難さるべきやもしれないが、御父の御足への瞑想はどうなのか
欲望はあなたにとって禁じられているやもしれないが、敬礼する人々に庇護が与えられないのか
おお、人間に身をやつしたスカンダよ!あなたは好機を待っているのか

Dispassion may be your weatlh, but how can you forsake compassion?
Great effort may seem reprehensibile, but what of meditation on the feet of the Father? 
Desire may by prohibited by you, but is protection denied to your devotees? 
O Skanda, in the disguise of a man, do you await a proper opportunity?

vairāgyam tava vittam astu karuṇām śaknoṣi hātum katham
dūṣyaste’stu samudyamah pitṛpada dhyānam ca kim tādṛśam |
kāmaste’stu vigarhito vinamatām rakṣā ca kim garhitā
skanda cchadmamanuṣya kim nu samayam kañcit samudvīkṣase ||

20.
はるか遠ざかれ、誹謗よ!ダルマなる雄牛よ、これ以後、あなたは足なえではなくなる
混乱よ、この世を去れ!有徳の人々との交際が至る所で増さんことを
彼の兄弟*に答えて、この世界は卓抜したグル
シューラ*の後宮の妖艶な目の破壊者、神々しいバヴァーニー*の息子を得た

O detraction, go far away! Bull of dharma, henceforth you will not be lame! 
Leave the world, O confusion, may associtaion with the virturous increase everywhere! 
In association with his brother, this world has obtained the chief of gurus, the destroyer
of the demon Sura and of the amorous passions, Lord, son of the Divine Mother Parvati.

dūram yāhi kuvāda dharmavṛṣa te netah param paṅgutā
durbhrānte bhuvanam jahīhi parito vardhasva samsat satām |
sodaryeṇa samanvito bhuvamimām prāpto gurugrāmaṇīh
śūrāntah puranetra vibhramaharo devo bhavānīsutah ||
*ガナパティ*悪魔?*パールヴァティー
21.
「私」なる思いの秘められし誕生の地を得て、一切の二元性を振り落とし
感覚ある存在の様々な知性の中のまさしく自らとして輝き
世界と一切の体に行き渡る彼は、その栄光により輝き出る
グルの姿をした、かの者に敬礼せよ。おお、巨大な腹を持つ者*の弟よ!

He who has shaken off all duality having obtained the great secret of the place of birth
(of the "I'' thought), and who shines as the very self in the various intellects
of sentient beings, he who having pervaded the world and all bodies shines forth
with his glory, oh men! salute that one, in the form of the Guru, the brother of Ganapati!

janmasthānam avāpya guptam ahamo yo bhedam ādhūtavān
bhūtānām caratām pṛthagvidha dhiyām ātmaiva yo bhāsate |
deham sarvam idam jagacca vibhavād ākramya yah prollasat
yekas tam gurumūrtim ānamata re lambodarabhrātaram ||
*ガナパティ
22.
内外から暗闇を取り除き、光で満ちた永遠の
汚れなき境地を達成し、敬礼する人々の無知を根こそぎにし
この世界を見て、その中で戯れながらも、世界を超えている彼へ
世界のグル、悲しみの破壊者、シュリー・ラマナへ敬礼いたします

He who removes the darkness from within and without, having obtained 
that eternal state made of light, who uproots the ignorance of his devotees, 
who though seeing and sporting in this universe is beyond the universe, 
to him, Sri Ramana, the Guru of the world and destroyer of sorrow, salutations!

antaryaśca bahir vidhūtatimiram jyotirmayam śāśvatam
sthānam prāpya virājate vinamatām ajñānam unmūlayan |
paśyan viśvam apīdam ullasati yo viśvasya pāre parah
tasmai śrī ramaṇāya lokagurave śokasya hantre namah ||

23.
今や、あなたの吉祥なる眼差しの奔流によって
おお、ラマナ!一度でも私が祝福されますように

Oh Ramana, now, by the flowing forth of your splendid gaze, 
may I at once be blessed!

prasaratād itah śubhavilokitam |
ramaṇa te sakṛt phalatu me kṛtam ||

24.
おお、ラマナ!あなたは人々のグルである
分かれの存在しない、あなたの心は、真に偉大である

Oh Ramana, you are the Guru of men. 
Infinite is your heart, in which there is no differentiation.

ramaṇa janminām ayi bhavān guruh |
abhida āśayas tava mahān uruh ||

25.
「世界」、「私」、「至高者」の三つ組は私の中に輝く
分かれなき現実として。あなたの言葉によって、疑いなく


Your word destroys for me the triad of "world", "I", and "the Supreme", 
(and there remains) the one reality without differentiation, without doubt.

jagad aham parah sphurati me trayam |
sadabhidam girā tava visamśayam ||

26.
あなたの教えを通じ、私と不可分の意識によって
現実と私の間の相違は失われた

From your teaching, by knowledge inseparable from me, 
the difference between the reality and the ego is lost.

tvad upadeśato galati samvidā |
mayi niranyayā sadahamor bhidā ||

27.
私の内なる、かの汚れなきものをハートの中で
あなたの恩寵を得るならば、我々は体験しうる

Oh (Ramana), if your grace (extends to us), 
we could experience the supreme self in the pure heart, hidden within the ego.

ahami yo’ntaras tam amalam hṛdi |
anubhavema bhos tava kṛpā yadi ||

28.
慈悲はあなたの性質ではなく、おお、賢者らの主よ!
ハートの光輝として、あなたにとって自然である

Oh Lord of the wise! Compassion is not just a quality of yours. 
It is natural for you, as the effulgence of your heart.

na karuṇā guṇas tava vidāmpate |
hṛdayatejasah sahajabhaiva te ||

29.
あなたの体は、稲妻のごとくまばゆく輝き、おお、汚れなき方よ!
あなたのまなざしは、明るく輝き、行き渡っている

Oh spotless one, your body blazes like lightning. 
Bright and pervasive is your look.

tava tanur jvalat yanagha vidyutā |
tava dṛg ātatā lasati bhāsvatā ||

30.
あなたの心はハートによって溶かされている、おお、支配者よ!
あなたは至福によって永久(とわ)に輝く

Your mind has been dissolved by the heart, oh Lord! 
You are eternally shining with bliss.

kabalitam manas tava vibho hṛdā |
tvamasi santatam vilasito mudā ||

31.
人類と全世界の主、幸運な方にとって
あなたは料理人である。おお、自制ある者たちの主よ!

For the Divine Universal Lord of mankind, 
you are the cook, oh Lord of the self-controlled!

bhuvanabhūpater bhagavatah kṛte |
bhavasi pācako yamavatām pate ||

32.
これら人間の姿をした獣たちの「私」を殺害し、調理し
あなたは至高なるシヴァのための食事をこしらえる

Slaying the ego of these man-beasts (humans steeped in ignorance),
and cooking them, you prepare food for the supreme Shiva.

narapaśūn imān ahami tāḍayan |
paraśivaudanam vitanuṣe pacan ||

33.
その言葉によってだけでなく、その慈悲深い流し目によっても
人々のハートにはびこる暗闇を破壊する、グル・バガヴァーン・ラマナを礼拝いたします

I bow to the guru Bhagavan Ramana,
who destroys the darkness prevailing in the hearts of men,
not only by his words, but by his sidelong glances of grace and compassion.

timirāṇi na kevalam vacobhih karuṇāpāṅgavilokitaiś ca nṝṇām |
hṛdaye prasaranti mardayantam bhagavantam ramaṇam gurum namāmi ||

34.
生の大海へ幾度も幾度も飛び込み、疲れ切り
今や、あなたの蓮華の両の御足なる島に庇護を求める
おお、バガヴァーン・ラマナ!あらゆる吉祥の住まい
その流し目から信奉者たちへ溢れ出る恩寵によって我らを守りたまえ

Oh Bhagavan Ramana, diving again and again into the ocean of the world,
we are extremely tired. Now, at this moment, we approach the island
of your lotus feet for refuge. You, the merciful abode of virtues, please protect us
with the grace that pours out to your devotees from the glances of your eyes.

bhavajalanidhim gāham gāham cirād alasālasān
padajalaruha-dvandva-dvīpam śritāms tava samprati |
ramaṇabhagavan kalyāṇānām niketana pāhi naù
sadaya dayayā siktair bhaktān apāṅgavilokitaih ||

35.
母が乳を与えないならば、ああ、子の運命はどうなるのか
牛飼いが憤るならば、牝牛のための保護はどこにあるのか
聖師たる、あなたが、その御足を頼る人々の疑いを晴らさないならば
数多(あまた)の混乱によって打ち負かされた人々は、いかにこの生を渡り切るのか

If the mother would not give milk, alas, what would be the fate of the child? 
If the cowherd would be angry, where would be protection for the cow? 
If you Teacher, do not dispel the doubts of those resorting to your feet, 
how will those overcome by multiple confusions cross over this worldly existence?

yadi na jananī stanyam dadyāt śiśor bata kā gatih
yadi paśupatih krodham kuryāt paśor avanam kutah |
yadi padajuṣām ācārya tvam nihamsi na samśayam
bhramaśataparābhūta ete tarantu bhavam katham ||

36.
月のごとく輝かしいその微笑みは、安らぎで満ち、定まり
比類なき光沢を持つ、その大きな眼(まなこ)は、力に満ちている
ハートの蓮華の中に永遠に住い、その輝きは外へと流れ出る
おお、バガヴァーン・ラマナ!一体、いかな聖者があなたに比肩するのか

In your moon-like splendid smile peace reigns. 
Your large broad eyes are steady and unequalled in luster. 
You are eternally abiding in the lotus of the heart with your splendor outwardly flowing.
Oh Bhagavan Ramana! What Sage on earth is possibly your equal?

viśadahasite pūrṇā śāntih sudhākara sodare
sthirapṛthulayoh pūrṇā śaktir dṛśor atulārciṣoh|
hṛdayakamale nityā niṣṭhā bahiśca saratprabhe
ramaṇa bhagavan ko vā maunī samas tava bhūtale ||

37.
眼の中には、人の無知に終止符を打つデーヴィー・シャクティ
千の表情を持つ顔には、蓮華のごとき眼をしたヴィシュヌの妻、デーヴィー・シュリー*
発する言葉に隠さるるは、勝利をもたらす至高なるブラフマーの妻、デーヴィー*
おお、偉大なる体験を持つ全世界の聖師、ラマナよ!いかな凡人があなたを賞賛しうるのか

In your eyes is Devi Shakti, effecting the end of the man's ignorance. 
In your face of a thousand expressions is LakShmi, the wife of the lotus-eyed Vishnu. 
Concealed in your utterance is victory-causing Saraswati, supreme. 
Oh universal teacher Ramana of great experience! What ordinary man could praise you!

devī śakti riyam dṛśoh śritajanadhvānta kṣayādhāyinī
devī śrī riyam ambujākṣa mahiñī vaktre sahasracchade |
devī brahmavadhūr iyam vijayate vyāhāra-gūḍhā parā
viśvācārya mahānubhāva ramaṇa tvām stautu kah prākṛtah ||
*ラクシュミー*サラスワティー
38.
このシャクティの踊りが始まる重大な時節に
たとえ私自身があなたの御足から遥か遠くに離れていても、おお、バガヴァーン・ラマナ!
光り輝く太陽のごとき、あなたの全世界で最上たるシャクティが
遠く離れていないと知ることによって、私の心の悲しみは消え去った

Even though I myself am very far away from your holy feet Oh Bhagavan Ramana, 
when on this great occasion the dance of Shakti commences, 
the knowledge that your power, blazing as the sun and foremost in the universe,
is not remote from me, has caused the sorrow of my mind to vanish.

so’ham jāto ramaṇabhagavan pādayos te daviṣṭho
yadyapyasmin mahati samaye śaktilāsye pravṛtte |
sūryasyeva jvalitamahaso dūragām nātha śaktim
viśvasyāgryām tava mama mano vītaduhkham tathā’pi ||

39.
多くの賢者が住まうことより得られた、赤色の山が獲得した、かの幸運は、今やまさに比類がない
バガヴァーン・ラマナ・マハルシが、他の多くの聖地の中からこれを選んだがゆえに

Verily, that good fortune acquired by the red colored mountain (Arunachala), 
gained by the dwelling there of many sages, is now unequalled, 
because Bhagavan Ramana Maharshi has chosen this from among other holy places

tad bhāgadheyam asamānam anekamauni vāsārjitam kṣitibhṛtah khalu lohitasya |
aṅgīcakāra bhagavān ramaṇo maharṣir anyeṣu satsu yadimam bahuṣu sthaleṣu ||

40.
その並外れた安らぎ、卓越した至高なる力、最勝たる離欲、力強い慈悲心のために
偽善を払いのけた知、心地よい行いのために、ラマナ・マハルシは人類に指し示されている

For his extraordinary peace, supreme power, most extraordinary dispassion, intense compassion, for knowledge that has banished hypocrisy and for his sweet conduct,
Ramana Maharshi is indicated (as the ideal) for mankind.

śāntir nitāntam adhikā paramāsya śaktir vairāgyam adbhutatamam karuṇā tu sāndrā |
jñānam nirastakuhanam madhuram ca vṛttam nṝṇām nidarśanamayam ramaṇo maharṣih||

結びの詩節

ナラシンハの息子、ヴァーシシュタ・ガナパティは
拍子の整った四十詩節で、リシ、スカンダの化身、グル・ラマナを賞賛した

Vasishta Ganapati, son of Narasimha, has praised with forty measured verses
 the Rishi, the incarnation of Skanda, Guru Ramana.

nārasimhir gaṇapatir vāsiṣṭho ramaṇam gurum|
catvārimśanmitaih padyaih skandāmśam stutavān ṛṣim ||

☆shiba注☆翻訳にあたって、上記の英訳だけでなく、「Mountain Path 68年4月号 Vedaparayana」の英訳と「SRI RAMANASRAMAMの公式HP、RESORCE CENTER、AUDIO 10のpdf」の英訳、および、サンスクリット語の原文を参考にしています。


2015年2月6日金曜日

ラマナーシュラマムでの朝夕のヴェーダ・パーラーヤナ(詠唱)一覧

◇「山の道(Mountain Path)」、1968年1月 p71~72

ヴェーダ・パーラーヤナ

はじめに

 シュリー・ラマナの存命中、ヴェーダの詠唱、または、ヴェーダ・パーラーヤナが朝夕、1日に2回催されていました。それぞれの場合に40分ほど続き、それは今でも続けられています。その後に続くプージャーと共に、これはアーシュラムで扱われた、または、通常扱われている唯一の儀式です。バガヴァーンは明らかに人々がそれに参加することに賛成しましたが、これに関してさえ、強制は存在しません。それはとてつもない静寂の時間であり、彼はその時、岩に刻みつけられたかのように、動かずに座りました。彼は何がそれを妨げることも決して許しませんでした。それを理解するために、人々がその意味を学ぶべきなのか尋ねられた時、彼は「いいえ。詠唱が瞑想の支えとして役立てば、十分です」と言いました。

 しかしながら、そうであっても、詠唱に使われる部分がシュリー・バガヴァーン自身によって注意深く選ばれ、認められていることも本当です。厳密に言えば、ヴェーダとは明確に定義された聖典の集まりですが、シュリー・バガヴァーンの前で唱えられた文章の全てが厳密にはヴェーダではありません。その全てはシュリー・バガヴァーンの存在によって吹きこまれた神聖さを備えています。その全てはサンスクリット語で唱えられます。それらをバガヴァーンの定期刊行物の読者に翻訳で手に入るようにすべきであると思いました。バガヴァーンの存命中以来、それらから何も取り除かれてはいませんが、一つだけ付け加えられました。それは「ダクシナームールティ・ストートラ」であり、主に故チャドウィック少佐(サードゥ・アルナーチャラ)の要望で、今では夕べの詠唱の前の開始の賛歌として使われています。その英訳は、シュリー・バガヴァーンによってサンスクリット語からタミル語に翻訳された、シュリー・シャンカラによる他の二つの作品と共に、この号の『Mountain Path』に掲載されています。

 厳密には、ヴェーダの朗唱を聞くことさえバラモンだけに許されていることになっていますが、この禁止はシュリー・バガヴァーンによって廃止されました。ジーヴァン・ムクタの言葉は聖典以上のものであると認められており、バガヴァーンの言葉は受け入れられました。バガヴァーンの言葉は生けるヴェーダであり、彼は(諸々の)ヴェーダの源でした。我々の記事、1965年10月のクリシュナ・ビクシュによる「Above Orthodxy and Unorthodxy」の中で説明されるように、彼が適当であると分かるような正統派的慣行の要素だけを彼は保持しました。彼の面前では、バラモンと非バラモン、ヒンドゥー人と西洋人が詠唱の時に肩を並べて座りました。ある北インドの訪問者がかつて無謀にもこれに異議を唱え、バガヴァーンはそっけなく、「座って、あなた自身のサーダナに専念しなさい」と答えました(それは、「自分のなすべきことに集中しなさい(人のことに口出ししないように)」と翻訳されるかもしれません)。

 以下は、唱えられる項目の一覧表です。

 (shiba注:以下の一覧表は、英文そのままの翻訳ではなく、分かりやすくするために手を加えています。MPは「Mountain Path」の略で、次に発行された年と月を記し、それぞれの作品が掲載された号を示しています。)

<朝のヴェーダ・パーラーヤナ>


ラマナ・チャトヴァーリムサット(Ramana Chatvarimsat) <MP:68. Apr>(

 カーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニによるバガヴァーン・シュリー・ラマナを讃えた40詩節

シュリー・アルナーチャラ・パンチャラトナム(Sri Arunachala Pancharatnam)

 バガヴァーン・シュリー・ラマナによるシュリー・アルナーチャラへの5詩節

タイッティリーヤ・ウパニシャッド(Taittiriya Upanishad)

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・アーランヤカ、第7・8・9プラシュナ(章)

   第7プラシュナ・・・シークシャー・ヴァッリー <MP: 68. Jul・Oct>
   第8プラシュナ・・・ブラフマーナンダ・ヴァッリー <MP: 69. Jan>
   第9プラシュナ・・・ブリグ・ヴァッリー <MP: 69. Apr>

シュリー・スークタム(Sri Suktam) <MP: 69. Jul>

 リグヴェーダのキラーニ(98ある外典)の一つ

 繁栄の女神ラクシュミー(または、シュリー)への賛歌であり、様々な富をラクシュミーに願い求めている。ラクシュミーはシヴァやブラフマーの力の源、全ての支配者として描かれてもいる。



マハーナーラヤナ・ウパニシャッド(Mahanarayana Upanishad)の一部 <MP: 69. Oct>

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・アーランヤカ、第10プラシュナ(章)である「マハーナーラヤナ・ウパニシャッド」、第12アヌヴァーカ(項)、1~17詩節

 その内の14~17詩節は「ナ・カルマナ(Na Karmana)」と呼ばれている。

<夕べのヴェーダ・パーラーヤナ>


ダクシナームールティ・ストートラム(Dakshinamurti Stotram) <MP: 70. Jan>(

 アーディ・シャンカラーチャーリヤによるシヴァ神の化身・ダクシナームールティへの賛歌。

シュリー・ルドラム(Sri Rudram)

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・サンヒター、第4カーンダ(書)、第5・7プラパータカ(章)

   第5プラパータカ・・・ナマカム(Namakam) <MP: 70. Apr - 71.Oct(70.Octを除く)>
   第7プラパータカ・・・チャマカム(Chamakam) <MP: 72. Jan>

 ナマカムでは、「ナモー」や「ナマ」という言葉でルドラ(シヴァの別称)に繰り返し敬意を表している。また、ルドラに自分たちに危害を加えず、敵から守り、幸福を与えるように願い求めてもいる。ルドラは、世界の主として、あらゆる存在に住まう者として、あらゆる存在そのものとして描かれている。
 



 チャマカムでは、様々な望みの成就を願い求めている。繰り返される「チャメー」や「チャマ」という文句は、「私に(これが授けられますように)」という意味。



プルシャ・スークタム(Purusha Suktam) <MP: 72. Apr>

 リグヴェーダ、第10マンダラ(書)、第90スークタ(賛歌)

 プルシャ(普遍的実在)へ捧げられた賛歌。プルシャは全ての源であり、それから全てが創造されていることを表現している。また、プルシャは真理として、不死の授け手としても描かれている。



ナーラーヤナ・スークタム(Narayana Suktam) <MP: 72. Apr>

 上述の「マハーナーラヤナ・ウパニシャッド」、第13アヌヴァーカ(項)、1~12詩節

 至高の現実、至高の自らなどとして描かれるナーラーヤナへの賛歌。第12詩節では、「彼はシヴァ、ハリ(ヴィシュヌ)、インドラである」と表現されている。



ドゥルガー・スークタム(Druga Suktam) <MP: 72. Jul>

 上述の「マハーナーラヤナ・ウパニシャッド」、第2アヌヴァーカ(項)、1~7詩節

 女神ドゥルガーへの賛歌とされるが、火神アグニやインドラへも向けらけられている。障害の除去、幸福を授けてくれるように神々に願い求めている。ドゥルガーは、「近づき難い者」、「征服できない者」という意味であり、アーディ・パラシャクティ(=パラ・ブラフマン)が顕現した元々の姿。



アールナ・プラシュナ(Aruna Prasna)の一部 <MP: 72. Jul>

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・アーランヤカ、第1プラシュナ(章)である「アールナ・プラシュナ」の一部

ウパデーシャ・サーラム(Upadesa Saram) <MP: 72. Oct>(

 バガヴァーン・シュリー・ラマナによるサーダナの真髄を表わした30詩節。

ナ・カルマナ(Na Karmana) <MP: 72. Oct>

 バガヴァーン・シュリー・ラマナによってタミル語に翻訳され、バガヴァーンの監修のもとでチャドウィック少佐によって英訳された。不死を得るための手段を明らかにしている。

・・・

 さらに、朝と夕方のプージャーで毎日唱えられる、バガヴァーンの108の名前の連なりがあります。特別な機会には、拡大された1008の名前の連なりが唱えられます。両方の一覧表が掲載されます。

 (一つの号で引用するには、もちろん、これはあまりに多いので、我々はそれを連載します。)