2014年2月23日日曜日

マハー・シヴァラートリの由来、シュリー・バガヴァーンによる沈黙の教え

◇「山の道(Mountain Path)」、1972年4月 p128~131
(1972年)2月13日、聖なるシヴァラートリの日がアーシュラムで盛大に祝われました。いつもよりさらに大勢でやって来た訪問者はもちろん、外に住む信奉者らが、(アーシュラムの)居住者に加わりました。シュリー・バガヴァーンの恩寵の神殿で、信奉者の集団は夜通しプージャーに立会い、山もまた巡り歩きました。その活気に満ちた雰囲気は、今一度、主シヴァ自身により以下のように表される、この機会の計り知れない意義を証明しました。
この最も聖なる日に私(主シヴァ)にプージャーを行うことにより
人は丸一年のプージャーの(を行うことの)結果を得る
月が海面の上昇を引き起こすがごとく
この聖なる時間(時)は私の顕現の優れた力を高める
-アルナーチャラ・マーハートミャム

主シヴァの歌:マハー・シヴァラートリ特別版

聖なる夜 - シヴァラートリ

ヴィシュワナータ・スワーミー 

アーディ・アルナーチャラとして知られる
不可思議な山のリンガの形を帯びたのは、マールガリ月(*1)のアールドラーの日である
そして、ヴィシュヌと他のデーヴァらが
光の山に顕現した彼を崇拝した日が、マーシ月(*2)のシヴァラートリである    
-シュリー・バガヴァーン

 これは「シュリー・アルナーチャラへの五つの賛歌」へのシュリー・バガヴァーンによって作られた導入の詩節の2番目のものです。着想は『シヴァ・プラーナ』からとられています。他の詩節の内容は、『スカンダ・プラーナ』の中の「アルナーチャラ・マーハートミャム(アルナーチャラの栄光)」からとられています。

 シュリー・バガヴァーンの信奉者にとって彼自身がその日の夜(マールガリ月のアールドラー)に誕生した事は興味深いことです。

  『シヴァ・プラーナ』には、創造者であるブラフマーと保護者であるビシュヌの間で、彼らの内の誰がより偉大なのかについての戦い(論争)があり、その結果、全世界の全てのことがうまくいかなくなったという記述が見られます。その重大事に、主シヴァが並外れた光の無限の柱としてそこに現れ、「あなたがた二人のどちらであっても、この光の柱の頂上か底を見つけられる者が、より偉大な者です」と言う声が聞こえました。それで、ブラフマーは白鳥の姿になり、頂上を見つけるために高く舞い上がり、ヴィシュヌは猪の姿になり、底を探し出すために沈んで行きました。長い長い年月の後、彼ら両者とも試みに失敗して戻らねばならず、偉大なるシヴァ神がいて、彼らは彼の恩寵によってのみ存在し、働く道具に過ぎないことを悟りました。彼らの願いにより、主シヴァはアルナーチャラという情け深い姿をとり、そのため、全ての者が彼のダルシャンを得て、彼の周りを歩き、彼を崇拝し、祝福を受けることができました。そして、ヴィシュヌと他のデーヴァたちが(かの光の柱から顕現した)主シヴァを讃え、崇拝した最初の日が、マーシ月の黒月(こくげつ)(*3)の第14日目です。

 これが我々がプラーナに見るシヴァラートリについての記述です。シヴァラートリは主シヴァの祭日の中でもっとも神聖なものであり、信奉者は一日中断食し、夜の四つの区分の間中、彼を崇拝し続けます。

 寺院や家でも、シヴァ・リンガに正式なプージャーが行われます。シヴァリンガは、シュリー・ルドラ(*4)やその他のヴェーダの賛歌の朗唱に伴われ、聖水、牛乳、凝乳、蜂蜜で洗われた後、装飾品や花で着飾られます。彼の千の名が崇拝において唱えられます。様々なお供え物は、食事の用意と果物からできています。長い間、灯りを波のように美しく振り、プージャは燃える樟脳を波のように振ることで終えられ、それは心が主シヴァとして知られる純粋な自覚という炎の中に完全に溶け込むことを意味します。

 ティルヴァンナーマライでは、その夜、主シヴァに瞑想しながら、もしくは、彼の名やシヴァの賛歌を唱えながら、多くの信奉者がアルナーチャラの周り(約13キロメートルの距離)を歩きます。夜明けや夕暮れ、または、夜だけ静かに山の周りを歩き、アルナーチャラの存在は生き生きとした体験になります。

 ここで私は1924年の私の人生で最高のシヴァラートリを思い出します。夜8時ごろ、シュリー・バガヴァーンは、彼がいつも休む場所である寝椅子の近くに座りました。小さな机が彼の前にあり、側には落ち着いた灯りがありました。彼の前には、とてもわずかの信奉者しか座っていませんでした。彼らの一人が、他の人を代表して、シュリー・バガヴァーンにシュリー・シャンカラの「ダクシナームールティへの賛歌」の意味を説明して下さるよう頼みました。それはシュリー・バガヴァーン自身がタミル語の詩節に翻訳したものです。シュリー・バガヴァーンはとても恵み深い、穏やかなほほ笑みをたたえ、沈黙していました。数分が経過しました。その信奉者はシュリー・バガヴァーンに彼の願いを重ねて言いました。返答はなく、シュリー・バガヴァーンは同じく驚くほど優しげな表情をたたえ、沈黙したままでした。数分の間に、質問者を含めた全ての信奉者は、主ダクシナームールティが昔日に主ブラフマーの四人の息子、すなわち、サナカ、サナンダナ、サナトクマーラ、サナトスジャータに教えたことを、シュリー・バガヴァーンが沈黙の中で彼らに教えていることを理解しました。

 (その話は以下のように良く知られています。ブラフマーの四人の息子が、世界の仕組みの創造において彼を手助けするため、彼の心から創造されました。しかし、息子たちはむしろ彼らの周りにある不可思議な世界の源を見出したいと思い、そのような知を求めて一点に集中した心で巡り歩きました。バニヤンの木の下に座し、栄えある沈黙に包まれた主シヴァが彼らの前に現れ、彼らは彼を一目見るなり悟り、彼の足元に黙して座りました。シヴァのこの側面はダクシナームールティの名で知られており、我々は彼のこの聖像が主シヴァの全ての寺院の南側で顔を南に向けているのを見ます。さらに、ダクシナーは知を意味し、その面前において全ての中のただ一つの自らの知が自然と現れ出る彼がダクシナームールティとして知られています。)

 シュリー・バガヴァーンが我々の心を引き込み、彼自身に調和させていたため、その夜の時間は我々の誰にも気づかれずに過ぎて行きました。突然に夜が明け、バガヴァーンはほほ笑みながら立ちあがり、カマンダルを持って朝の散歩に出かけました。我々みなは、バガヴァーンの面前でのシヴァラートリの一晩中の素晴らしいサマーディから出ました。

 ここでバガヴァーンとの毎日、毎晩はそのようであったと言うことは、場違いではないでしょう。とりわけ夜の静かな時間に、私は彼の活発な沈黙の力をしばしば体験しました。シヴァラートリは、実際、その中に他の一切が溶け込む主シヴァの絶対的で純粋な自覚を意味しています。

 プラーナには別の記述もあります。デーヴァとアスラがアムリタ(不死の霊薬)を得るために乳海をかき混ぜていた時に上がってきた猛毒をシヴァが飲み込み、そうして、全世界を消滅から救いました。そして、彼は毒を喉に保ち一晩中座ったので、彼らみなを救わんとする偉大なる慈悲の行いのためにすべてのデーヴァとアスラによって崇拝されました。シヴァはこのためにニーラカンタ(青き喉をした)という名前で知られています。

 かき混ぜている(サーダナ)時に毒が上がってくることは、心の潜在的な不浄な傾向性が神の恩寵により破壊されるために持ち出されて行く過程です!

主シヴァの歌:マハー・シヴァラートリ特別版

(*1)マールガリ月・・・タミル暦の9番目の月。12月半ばから1月半ば。ヒンドゥー暦ではマールガシールシャ。
(*2)マーシ月・・・タミル暦の11番目の月。2月半ばから3月半ば。ヒンドゥー暦ではマーガ。クンバ月とも。
(*3)黒月・・・クリシュナ・パクシャ。満月から月が欠けてゆき、新月に至るまでの15日間。逆に、新月から月が満ちてゆき、満月に至るまでの15日間は、シュクラ・パクシャ(白月)と言われる。
(*4)シュリー・ルドラ・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%A9

2014年2月15日土曜日

ラマナ・マハルシの使命 - 危機の時代における精神的価値観の復活

◇「山の道(Mountain Path)」、1979年4月 p86~90

マハルシの使命


サダーシヴァ・ラオ博士

 「ラマナは誰なのか」という問いは、年若いころの彼の宗教的知識に驚愕したマハルシの初期の幾人かの弟子たちの心を捉えました。彼らは彼は神の化身か、過去からの偉大な聖者と認められうると信じました。しかし、誰もマハルシに直接に質問する勇気はありませんでした。その問いへの最も重要な答えは、1935年に著名なチベット語の聖典の翻訳者であるエヴァンス・ウエンツ氏によってなされた質問に答える時に、マハルシ自身によって与えられました。その問いは、「マハルシは自らを実現するのにどれぐらい時を要しましたか」です。

 マハルシは、「名と形が認識されているために、その質問が尋ねられています」と説明しました。名と形の下に、実在なる現実(自ら)があります。その中には「私」も「あなた」も「彼」もなく、現在も過去も未来もありません。そして、それは時間と空間を超え、言葉での表現を超えています。それゆえ、彼は自らが実現される時、質問は生じないと言いました。マハルシはさらに言いました。

 「バナナの木が、実をつけて枯れる前、その根元に新芽を作り、植え替えられたその新芽が同じく根元に新芽を作るのとまさしく同様に、沈黙において、リシである弟子たちの疑いを晴らした古(いにしえ)の原初の師、ダクシナームールティもまた常に増えゆく芽を残しています。グルはダクシナームールティの新芽です。」

 マハルシの答えの2番目の部分は、きっと質問者の心の中のマハルシの正体についての質問か疑いによって促されたのでしょう。それはダクシナームールティがまさに一番初めのグルであり、彼が沈黙において教えを説いたリシである弟子たちが次にはグルとなり、彼らの弟子たちも次にはグルとなり、プランテイン(バナナ)の木が増えるように、グルの数が増えてゆく結果になります。最後に、マハルシは、グル(マハルシ)がかのダクシナームールティの新芽(弟子)であると言うことによって質問者の心の中にある疑問に答えます。

 最後の文は、マハルシがダクシナームールティの直弟子であるという意味にとれるかもしれません。それはまた、一般的な意味において、彼が太古の系譜のグルの一人であるという意味にも取れるかもしれません。どちらの選択肢で理解されるかは重要ではありません。なぜなら、彼らはみな最高の序列のグルだろうからです。そのようなグルは、世界の歴史によって、とりわけ、インドの精神史によって示されているように、世界の師(ジャガッドグル)として重要な特別の使命において以外、名と形からなる世界にやって来ません。振り返ってみて、バガヴァーン・ラマナ・マハルシが至高の師であり、彼が特定の使命を帯びて世界の師としてやって来たことにほとんど疑いありません。彼の使命の評価は、彼の到来を必要とした世界の状況と彼の教えの正確な性質と目的を注意深く学ぶことによって可能です。比較のための背景として、10世紀ほど前に特定の使命を帯びてやって来た、もう一人の広く認められる世界の師、シャンカラーチャーリヤの時代と教えについて短く触れます。シャンカラーチャーリアとバガヴァーン・ラマナ・マハルシは共に、アドヴァイタとジニャーナ・マールガの立場から説きましたが、彼らの使命の目的は異なりました。

シャンカラーチャーリヤの時代と教え

 8世紀にシャンカラーチャーリヤが到来した時、ヒンドゥー教の社会はその根本的な宗教的教義に関して混乱状態にありました。約4000年前、(ヴィヤーサとも知られる)クリシュナ・ドゥヴァイパーヤナがヴェーダーンタ・ダルシャナ学派を創設しました。その時以来、それはウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター、ブラフマスートラとして知られる聖典に加え、ヒンドゥー教に宗教的土台を与えました。紀元前500年ごろ、主ブッダによって創設された仏教が起こりました。彼もまた世界の師でした。それはヒンドゥー教の集団の中で一般の人々の向上のために展開し、ヴェーダのニヴリッティ・マールガ(行者の道)を模範とした倫理-宗教的運動でした。ヒンドゥー教と仏教の宗教的教義の間に対立はありませんでした。しかしながら、約13世紀後、インドの仏教徒集団が様々な教義を持つ複数の学派に分かれた時、二つの間に溝が生まれました。ヒンドゥー教の社会はそれ自身の宗教的教義に関して混乱状態にありました。シャンカラーチャーリヤがヴェーダーンタ、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター、ブラフマスートラの権威への信仰の復活を促すためにやってきたのは、その時代でした。彼は上記の権威ある聖典が、個別の生命、ジーヴァと同一であるただ一つの無限なる至高の現実、ブラフマンを明らかにしていることを証明するために、論理でもって主導的な学者的な論敵を説き伏せねばなりませんでした。彼は32年という短い人生において、ヒンドゥー教の宗教的基礎のほとんど奇跡的な復活のための堅固な土台を築きました。彼は徒歩で全土を旅し、四つの地域に僧院を設立しました。加えて、彼は一般の人々の利益のために上述の聖典の明快な注釈書を記し、短い哲学的作品を記し、ダクシナームールティへの賛歌を含む多くの献身を表す賛歌を作りました。彼の教えは今日に至るまで圧倒的大多数のヒンドゥー教徒の宗教的教義の源として受け継がれています。

根本的価値観における危機

 19世紀の終わりごろ、バガヴァーン・ラマナ・マハルシの到来の時、状況は全く異なるものでした。精神的価値観に純粋な物質的主義的価値観が取って替わることによって引き起こされた、ほとんど全ての国に影響する、急速に進行する世界的危機がありました。科学技術は19世紀中ごろから発展し始め、ほとんどの国の産業の発展と人々の経済的状況を改善する手助けをしました。現代科学はそれと共に物質主義的見解をもたらしました。行為の支配的な動機は、社会的犠牲や結果を顧みない自己利益と物質的獲得になりました。宗教が単なる形式的行為へ衰えると共に、精神的価値観は1世紀かそこらの間に薄くすりきれ、結果、科学によってもたらされた新しい物質的価値観は容易くそれに置きかわることができました。これは、科学の発展により最も多くの利益を受けたヨーロッパやアメリカのより発展した社会で圧倒的に起こりました。20世紀において科学技術が加速したペースで発展したため、世界の人類の幸福を促進するための主要な動機を与える力として、物質主義に完全な信頼が寄せられるようになりました。この信頼はつかの間のものでした。原子力科学における進歩が、人類の幸福のために用いられるどころか、全ての人々を抹殺するために使われた時に、それは粉々にされました。それは科学の過ちではなく、人間とその動機の過ちでした。物質的価値観への信頼の喪失と支柱となる永続的な価値観の欠如によって、西洋のより富裕な人々の間、特に、若い世代の間で深い不満足感が顕著です。彼らは核による全滅以外の人類の行く末を予期していません。進歩的な思想家は、人類が生き残ろうとするならば、物質的価値観が精神的で人間味のある価値観で和らげられるべきだと理解しています。しかし、どのようにそのような価値観を取り戻しうるのか誰も示していません。西洋からの多くの人が、人生における新しい意味と目的を求め、インドとその豊富な精神的遺産に期待を寄せ始めています。

マハルシの教え

 マハルシの教えは、今世紀(20世紀)のはじめの50年間のうちに、人々に伝えられました。この世界的危機の時代での彼の到来と彼の教えの性質は、全世界の人々にとってこの上ない重要性をもっています。彼の教えは、いかなる宗教や宗教的哲学の布教とも関係していませんでした。それはさらにもっと先へ進み、全ての人の能力の範囲内に十分ある簡素な聖なる修練を人々に教えています。それは自分自身の努力を通じて、聖なる知恵(ジニャーナ)とそれに伴う全てのものを獲得するためのものです。そのような計り知れない重要性をもつ務めに従事した世界の師は過去にいません。彼は旅に出かけず、教えを広めるための専門書を著しませんでした。彼の教えは、沈黙の恩寵(モウナ・ディークシャー)の授けと共に彼の話す言葉を通じ、直接的に本人によって彼に引き寄せられた個々人に伝えられました。これはダクシナームールティから始まる偉大なグルの最高の聖なる伝統に一致しています。偉大なグルの恩寵はとても力強いため、遅かれ早かれ、それを受け取る全ての人がその生涯の内にグルの教えを理解し、修練を始め、成功するのを助けます。恩寵は現世における個人のその後の人生にも同様に効果的です。マハルシは、「私は誰か」という小冊子の中で言います。「虎の口に落ちた獲物が決して逃れることを許されないのとまさしく同様に、グルの恩寵を受け取った人は間違いなく救われ、決して見捨てられません」。恩寵を受け取った全ての人が、終には益されます。ますます多くの個々の信奉者が世界中からマハルシに引き寄せられました。マハルシは、南インドの聖なるアルナーチャラ山の影にあるアーシュラムに留まりながら、半世紀の間に彼の恩寵によって膨大な数の個々人に届くことができました。

私は誰か?

 マハルシが説いた聖なる修練は、「私は誰か」見出すための簡素な内なる探求です。それは誰も否定できない「自分が存在している」という確信以外、個人が受け入れるための事前の条件を要求しません。この確信は、人が自分自身に関して「私」や「私は(~で)ある」と言うたびごとに主張されています。家庭の中の静けさにおいて、それぞれの人によって行われるべき修練とは、内に向けられた心でもって「私」(もしくは、「私はいる」)に一点集中することです。これはその人自身、または、その存在への心の一点集中に等しいです。ひたむきな信念を持って行われる時、心は深く内に向き、聖なるハートの内深く達し、それに沈み、自らに触れるようになります。これが「私は誰か」という質問への答えです。それは言葉での答えでなく、自ら、もしくは、ハートの中に住む至高の存在の心による直接的な体験です。マハルシはこれを、「自らである、その源を探し求める心」と表現しています。個人が彼の心によって自らと触れることを習得する時、彼の努力は終わります。グルの恩寵が、彼の心の不純物からなる「自我」を取り除くために、彼を助けにやって来て、その結果、個人は自らの完全な道具となります。これが一般的に自らの実現と呼ばれていて、人間にとって可能な最高の聖なる達成です。

バナナの木の喩え

 次の質問が尋ねれるかもしれません。「この地味な個々人による修練における成功が、どうして世界の人々へ精神的価値観を復活させる助けとなるのか」。

 答えは、修練は地味に見えるかもしれませんが、それは全てのヨーガの中で最高であり、最も崇高なものであり、ジニャーナ・ヨーガやヴィチャーラ・マールガとして知られているという事実の中に見出されます。それはヴェーダのリシの時代からやって来て、インドの豊富な精神的遺産を建設するために時代を下って来ました。マハルシはそれを簡単にし、全ての人間の手の届く範囲に持ってきました。グルの恩寵により、この修練を受け継ぐものは、ジニャーナ(聖なる知恵)を得た者であるジニャーニになります。彼のまさにその存在が、彼に触れに来た人々を通じ、世界を益します。それゆえ、彼はバナナの木の喩えでマハルシによって描かれたグルが増えてゆく過程を動かし始めることができます。

 これが至高の師、バガヴァーン・ラマナ・マハルシがそのためにやって来た偉大な使命です。最初のグル、ダクシナームールティが築いたように、彼は全ての国が増えゆくグルの核を持つのを保証することによって、彼の使命の堅固な土台を築きました。全てのサッドグルのように、マハルシは彼の恩寵を受け取った全ての人、そして、自らへの内なる探求を始めるために彼の恩寵を請い願う他の人々を導き続けています。

2014年2月9日日曜日

バクティはジニャーナの母である - バクティとジニャーナのサーダナ

◇「山の道(Mountain Path)」、1976年4月 p96~98

バクティはジニャーナ・マーターである


 M.サダーシヴァ・ラオ博士

 一般的には、バクティの道の神の名への瞑想は、ジニャーナの道の自らへの瞑想よりもより簡単で分かりやすいと思われています。実のところ、サーダナ、つまり、聖なる修練としてのバクティ瞑想に関して、公にされた情報はほとんどありません。バガヴァーン・ラマナ・マハルシが自らの探求を説くまでは、ジニャーナ瞑想の正確な性質はさらにもっと不明瞭なものでした。13世紀以降に生きたマハーラーシュトラの偉大な聖者たちが、今日知られているようなバクティの道を明らかにし、彼らによって作られ、今日まで受け継がれる見事なバジャン、つまり、献身を表す歌を通じてそれを広めました。それらはバクティの道の主要な情報源であり、非常に気持ちを鼓舞するものです。それらのバジャンにおいて、聖者たちはバクティの道を詳しく述べただけでなく、彼らの絶対的な体験を語ることによって、バクティ・サーダナを一端をうかがわせました。絶対的な体験とはジニャーナであり、バクティ・サーダナが、神への強烈なバクティ、つまり、献身という最初のアプローチに関して以外、その本質において自らの探求と異ならないことを示唆しています。

 バガヴァーンは言いました。「バクティはジニャーナ・マーターである(バクティはジニャーナの母である)」(*1)。バクティの道はジニャーナに通じ、自らの探求もまたジニャーナにのみ通じます。バクティの目的は、神への完全な委ねと表現されます。バガヴァーンは、「完全な委ねは、ジニャーナの別名です」(*2)と言います。再び、彼は、「バクタが委ねと呼ぶものを、ヴィチャーラ(自らの探求)を修練する人はジニャーナと呼びます。両者とも自我を源へ連れ戻し、それをそこで溶け込ませようと試みています」(*3)と言います。神の名と形への瞑想に関して、彼は信奉者に言います。「あなたが『私は名と形である』と思う限りは、ジャパにおいてもあなたは神の名と形から逃れられません。あなたが『私は名と形ではない』と悟る時、名と形はひとりでに抜け落ちます。他の努力は必要ありません。ジャパやディヤーナは自然と、自ずから、それに通じます。(神の)名と神は異なりません」(*4)

 自らの探求と瞑想に関わる他の一切のサーダナの核心は、バガヴァーンによって以下のように説明されます。

 「ハートに住まう無知の形である『私』という思い(自我)が破壊されるまで、心はハート(自ら)の中に留められねばなりません。これがジニャーナです。これがディヤーナでもあります・・・。それゆえ、人が心を自らの中に保つ技術を獲得するなら、他のことを心配する必要はありません。」(*5)

 どのように心を自らに到達させ、留められるのかを示すために、以下の文章が学ばれるかもしれません。それは簡潔に集中の本質を表しているだけでなく、集中に適当なサーダナにも言及しています。

 「サーダナに関しては、多くの方法があります。あなたはあなた自身に『私は誰か』尋ねるヴィチャーラを修練するかもしれません。もしくは、それがあなたに魅力的でないなら、『私はブラフマンである』(へ)のディヤーナに携わるかもしれません。ないしは、他の方法では、あなたはジャパにおいてマントラや(神の)名へ集中するかもしれません。目的は心を一点に集中すること、一つの思いに集中し、そうして、多くの思いを排除することです。そして、我々がこれを行うなら、終には、その一つの思いさえ消え、心はその源で消え去ります。(*6)(斜体は著者による)

 ここで述べられたはじめの二つのサーダナは、ジニャーナの道に属し、次の二つはバクティの道に属します。最後の文は、両方の道を含むサーダナ全体を要約しています。それはより十分な理解のため、以下のように詳しく説明できます。

 瞑想は、一つの思い(自らの探求では「私」という思い、バクティでは神の名)への(内に向けられた)心の一点集中を修練することによって始られます。同時に、集中を妨げる、迷い出る全ての思いを閉めだすために努力が行われます。この修練によって、心は一点に集中し、迷い出る思いがなくなります。結果、瞑想はより深くなり、心は(聖なる)ハート、自らへ沈みます。自らは、純粋な(思いのない)意識です。ただ一つの思いは、思いのない状態で生き残れません。心がハートに留められるなら、心から自我が取り除かれ、自らの中に溶け込み(消滅し)ます。

 初心者のために、さらなる説明が必要かもしれません。心から迷い出る思いを取り除くはじめの修練の後、ただ一つの思い-「私」、または、(神の)名-への集中はより深くなってゆき、ついには心はハートに溶け込みます。その後、それはサマーディと呼ばれる一切の思いがないハートへの内在のみとなり、終には、人はそれが自分自身の普通の状態であると気づきます。これが自らの実現として知られているものです。言及されるハートはその名前の身体的器官ではなく、精神的中心、自らそのものです。自らは思いを越えてあります。どのような外側の対象物とも関係しない、ただ一つの思いは、心全体を深く内に運び、ハート、または、自らに沈みます。自らの知はそれを対象物として知ることではありません。それはヴァーサナーが取り除かれた心が自らに溶け込む時に、自らと一体であることです。サマーディ、思いのない状態での心の自らの中の内在は、自らへの絶対的な溶け込みをもたらします。純粋な心そのものが、自らです。それは純粋で、無限の(絶対的な)意識でもあります。

 自らの探求とバクティ瞑想の違いは、最初のアプローチにあります。ジニャーナの道のアプローチは、名や形のない神の非人格的な側面、すなわち、自ら、至高の実在に対してです。バクティの道では、アプローチは、名や形やその他の属性を持つ自分で選んだ人格神へです。自らの探求では、集中のために採用されるただ一つの思いは、「私」という思いです。瞑想が深く進む時、その思いは純粋になり、純粋な私、または、純粋な自覚へ帰着します。バガヴァーンはまた、眠りから目覚めるとすぐに経験される、その同一性や環境を意識するようになる前の過渡的な「私」の認識を推奨しました(*7)

 心全体が内に潜り、ハートに沈む時、完成が見出されます。それは自分自身の現実の生き生きとした体験です。瞑想やサマーディの間だけでなく、その後さえも、彼は彼自身を自らと一体として経験します。バクタは彼の神との一体性を感じますが、神の名と形は抜け落ちたでしょう。それらは思いのない状態では生き残れないからです。全ての二元性は、超越的な状態がはじめて経験される時に、一時的に消えます。未発達の心はハートに長く留まれず、二元性の世界にさ迷い出るでしょう。その経験が無努力で、自発的になるまで、それを深い瞑想において蘇えらすべきです。これはバガヴァーンによって、「自らに住まう」と呼ばれています。彼は信奉者に自らにいつも住まうように助言しました。それはタパスの最高の形であり、ヴァーサナーを取り除きます。更なる進展は、神、もしくは、グルの恩寵によります。バガヴァーンが指摘したように、「それ(恩寵)は実際あなたの内側に、あなたのハートの中にあり、(どのような方法によってでも)あなたがその源(ハート)での心の沈潜、もしくは、溶け込みを果たす瞬間に、恩寵が内から押し寄せます」(*8)。心が自らに溶け込んだ時のバクティ・サーダナの極致は、マハーラーシュトラの聖者たちによって様々な様子で美しく表現されています。聖者ジニャーネーシュワル(*9)曰く、「不死なる名は、サマーディの達成のためのサーダナである」。聖者ナームデーヴ(*10)曰く、「と私の間の一切の二元性が消える時、名はパラマートマン彼自身であると見出される」。聖者ゴーラ・クンバ(*11)曰く、「ニルグナへ達するために、私はサグナを通らねばならかった」。聖者トゥカーラーム(*12)曰く、「水の中の塩のように、私はおん身と一体となり、炎の中の樟脳のように、後に何も残さず、私はおん身の中に溶け込んだ」。

(*1)原注、『Day by Day with Bhagavan』、p39
(*2)原注、同上、p176
(*3)原注、同上、p38
(*4)原注、同上、p184
(*5)原注、「Self-enquiry」、p35
(*6)原注、『Day by Day with Bhagavan』、p30~31
(*7)原注、『Talks with Sri Ramana Maharshi』、p275~279、288 ; 1937年1月3日、talk.314に「trasitional I(過渡的な私)」についての記述があります。
(*8)原注、『Day by Day with Bhagavan』、p31
(*9)ジニャーネシュワル・・・http://en.wikipedia.org/wiki/Dnyaneshwar
(*10)ナーム・デーヴ・・・、http://en.wikipedia.org/wiki/Namdev、「kotobank」にナーム・デーオでのっています。
(*11)ゴーラ・クンバ(ル)・・・http://en.wikipedia.org/wiki/Gora_Kumbhar
(*12)トゥカーラーム・・・http://en.wikipedia.org/wiki/Tukaram、「kotobank」にのっています。

詩聖トゥカーラームのアバング



「アヌ・レニ・ヤ・トゥーカダ」、歌:Bhimsen Joshi
       
トゥカは言う、私は小さきものよりも小さいが、しかし、虚空を満たしている
私の体を超越し、私は私の死体を取り除いた。つまるところ、物質的世界は幻に過ぎない
私はこの物質的世界の三つ組を捨て去り、真の知でもって輝くようになった
トゥカは言う、今や私の存在は他者のためにのみある

2014年2月6日木曜日

ヒンドゥー教の精華、ブッダ - 内を見よ、汝がブッダである

◇「山の道(Mountain Path)」、1986年4月 p103、104

ブッダ - ヒンドゥー教の精華


スワーミー・ニルマラナンダ

 インド彫刻のおいて他の全ての神々は様々な姿勢で表現されますが、ブッダはいつも瞑想して座っているように表されます。それは彼のこの上ない瞑想の技術の卓越性を物語り、その点で彼に並ぶ者はいません。何百年もの間、ブッダの穏やかで輝かしい顔は、芸術の傑作の創作のために彫刻家が最も好むテーマであり、全歴史において、幸福な人、世に尊ばれる人(ブッダ)のように人間の心の究極的な完成について語った師はいません。

 ブッダの表情に見られる控え目なほほ笑み、O.C.ガンゴリーの言葉によれば、「光り輝く光輪」、もしくは、静穏のただ中の動きの感覚-モーリス・メーテルリンクが呼ぶ「活発な沈黙」という性質(バガヴァッド・ギーターの言葉では、「無為の為」)-、それは彼の説法として役立ち、同時に、人の究極的な目的が幸福であり、それが得られうることを彼が保証する印として役立ちます。そのほほ笑む知恵は、知性と心を同時に燃え立たせることにより、人を世俗的世界から持ち上げ、至福と静穏の天の住まいに住まわせ、一体性の中にすべてを抱く広く開いた心によって愛と慈悲の果てしない大海へ住まう道を人に示します。ブッダは言いました-「真理を知る者は私の教えを知る」。偉大なシャンカラが、「プラチャンナ・ブッダ」、変装した仏教徒というあだ名で呼ばれるのは意味のないことではありません。インドの他の全てのリシのように、ブッダはまさしくリシであり、ガンゴリーの言葉を再び借りるなら、「十分な資格のあるダルマの伝道師、グル・ブッダ、知恵の師、全世界へ不死の神酒を恵み深く配る者としてサンシャーシンの薄く透けるようなローブを身にまとって」います。


Imee Ooi、「オーム・マニ・ペメ・フーム」

 全生命への限りない慈悲によって、ブッダは動物の生贄(いけにえ)という悪しき風習を非難しました。ブッダはまたヴェーダの権威を退けました。それどころか、彼はどんなものへの盲目的信仰も退けました。それがいかに神聖であり、信頼のおけるものであってもです。彼は人の内なる体験に基づく明瞭な理性的な思考を最も重要視しました。ブッダは神や神々について問われた時、沈黙を保ちました。「卵が先か、鶏が先か」というきりのない論争に入ることは全くの時間の無駄ではないですか。ブッダによって説かれるまことに高貴な沈黙は、個人的な悪意を持って向かい合う二人が頼る邪な沈黙とは区別されます。毎朝、ブッダは、誰かが自分自身の灯に火をつけ、それによって彼の教えから利益を得てはいないか、その神聖な眼で世界を見渡すと言われています。

 簡素な自らの自覚の内に、完全な自己犠牲、それゆえに、自由と万物への慈悲があり、ブッダによれば、それが宗教の真髄です。ブッダはまさしく慈悲の主、全生命の真の同伴者、彼自身の信仰や思想を含めた一切の物事において極端を避ける中道の提唱者です。

 ブッダは、エドウィン・アーノルドが呼ぶように「アジアの光」であり、最も偉大なインドの息子、人類愛の優しい精華、ジャガット・グル(世界の師)、恵み深く与える者、人の心の病を治せる医者であり、なによりも、彼はアジアと世界への母なるインドの最大の贈り物です。ブッダの知恵は幾世紀の後も確固たるままであり、彼の教えは何千年後もまたそのようにあり続けるでしょう。ブッダは全ての人の心の中に住んでいます。なぜなら、彼は単に歴史的なブッダであるだけでなく、バガヴァッド・ギーターやウパニシャッドが自らとして語る全ての人の中の不滅の本質であるからです。

 永遠の自らが実現されている時、死すべき人間は不死となります。我々はこの格言をよく覚えておくべきです。

石のブッダは微塵に砕け
(かね)のブッダは鉱炉に溶く
土のブッダは水に溶け
木のブッダは火にて灰に帰す
真のブッダのみが永久(とわ)に生く

真のブッダとは誰ですか。答えは-内を見よ、汝がそのブッダである!