(1972年)2月13日、聖なるシヴァラートリの日がアーシュラムで盛大に祝われました。いつもよりさらに大勢でやって来た訪問者はもちろん、外に住む信奉者らが、(アーシュラムの)居住者に加わりました。シュリー・バガヴァーンの恩寵の神殿で、信奉者の集団は夜通しプージャーに立会い、山もまた巡り歩きました。その活気に満ちた雰囲気は、今一度、主シヴァ自身により以下のように表される、この機会の計り知れない意義を証明しました。
この最も聖なる日に私(主シヴァ)にプージャーを行うことにより
人は丸一年のプージャーの(を行うことの)結果を得る
月が海面の上昇を引き起こすがごとく
この聖なる時間(時)は私の顕現の優れた力を高める
-アルナーチャラ・マーハートミャム
主シヴァの歌:マハー・シヴァラートリ特別版
聖なる夜 - シヴァラートリ
ヴィシュワナータ・スワーミー
アーディ・アルナーチャラとして知られる
不可思議な山のリンガの形を帯びたのは、マールガリ月(*1)のアールドラーの日である
そして、ヴィシュヌと他のデーヴァらが
光の山に顕現した彼を崇拝した日が、マーシ月(*2)のシヴァラートリである
-シュリー・バガヴァーン
これは「シュリー・アルナーチャラへの五つの賛歌」へのシュリー・バガヴァーンによって作られた導入の詩節の2番目のものです。着想は『シヴァ・プラーナ』からとられています。他の詩節の内容は、『スカンダ・プラーナ』の中の「アルナーチャラ・マーハートミャム(アルナーチャラの栄光)」からとられています。
シュリー・バガヴァーンの信奉者にとって彼自身がその日の夜(マールガリ月のアールドラー)に誕生した事は興味深いことです。
『シヴァ・プラーナ』には、創造者であるブラフマーと保護者であるビシュヌの間で、彼らの内の誰がより偉大なのかについての戦い(論争)があり、その結果、全世界の全てのことがうまくいかなくなったという記述が見られます。その重大事に、主シヴァが並外れた光の無限の柱としてそこに現れ、「あなたがた二人のどちらであっても、この光の柱の頂上か底を見つけられる者が、より偉大な者です」と言う声が聞こえました。それで、ブラフマーは白鳥の姿になり、頂上を見つけるために高く舞い上がり、ヴィシュヌは猪の姿になり、底を探し出すために沈んで行きました。長い長い年月の後、彼ら両者とも試みに失敗して戻らねばならず、偉大なるシヴァ神がいて、彼らは彼の恩寵によってのみ存在し、働く道具に過ぎないことを悟りました。彼らの願いにより、主シヴァはアルナーチャラという情け深い姿をとり、そのため、全ての者が彼のダルシャンを得て、彼の周りを歩き、彼を崇拝し、祝福を受けることができました。そして、ヴィシュヌと他のデーヴァたちが(かの光の柱から顕現した)主シヴァを讃え、崇拝した最初の日が、マーシ月の黒月(こくげつ)(*3)の第14日目です。
これが我々がプラーナに見るシヴァラートリについての記述です。シヴァラートリは主シヴァの祭日の中でもっとも神聖なものであり、信奉者は一日中断食し、夜の四つの区分の間中、彼を崇拝し続けます。
寺院や家でも、シヴァ・リンガに正式なプージャーが行われます。シヴァリンガは、シュリー・ルドラ(*4)やその他のヴェーダの賛歌の朗唱に伴われ、聖水、牛乳、凝乳、蜂蜜で洗われた後、装飾品や花で着飾られます。彼の千の名が崇拝において唱えられます。様々なお供え物は、食事の用意と果物からできています。長い間、灯りを波のように美しく振り、プージャは燃える樟脳を波のように振ることで終えられ、それは心が主シヴァとして知られる純粋な自覚という炎の中に完全に溶け込むことを意味します。
ティルヴァンナーマライでは、その夜、主シヴァに瞑想しながら、もしくは、彼の名やシヴァの賛歌を唱えながら、多くの信奉者がアルナーチャラの周り(約13キロメートルの距離)を歩きます。夜明けや夕暮れ、または、夜だけ静かに山の周りを歩き、アルナーチャラの存在は生き生きとした体験になります。
ここで私は1924年の私の人生で最高のシヴァラートリを思い出します。夜8時ごろ、シュリー・バガヴァーンは、彼がいつも休む場所である寝椅子の近くに座りました。小さな机が彼の前にあり、側には落ち着いた灯りがありました。彼の前には、とてもわずかの信奉者しか座っていませんでした。彼らの一人が、他の人を代表して、シュリー・バガヴァーンにシュリー・シャンカラの「ダクシナームールティへの賛歌」の意味を説明して下さるよう頼みました。それはシュリー・バガヴァーン自身がタミル語の詩節に翻訳したものです。シュリー・バガヴァーンはとても恵み深い、穏やかなほほ笑みをたたえ、沈黙していました。数分が経過しました。その信奉者はシュリー・バガヴァーンに彼の願いを重ねて言いました。返答はなく、シュリー・バガヴァーンは同じく驚くほど優しげな表情をたたえ、沈黙したままでした。数分の間に、質問者を含めた全ての信奉者は、主ダクシナームールティが昔日に主ブラフマーの四人の息子、すなわち、サナカ、サナンダナ、サナトクマーラ、サナトスジャータに教えたことを、シュリー・バガヴァーンが沈黙の中で彼らに教えていることを理解しました。
(その話は以下のように良く知られています。ブラフマーの四人の息子が、世界の仕組みの創造において彼を手助けするため、彼の心から創造されました。しかし、息子たちはむしろ彼らの周りにある不可思議な世界の源を見出したいと思い、そのような知を求めて一点に集中した心で巡り歩きました。バニヤンの木の下に座し、栄えある沈黙に包まれた主シヴァが彼らの前に現れ、彼らは彼を一目見るなり悟り、彼の足元に黙して座りました。シヴァのこの側面はダクシナームールティの名で知られており、我々は彼のこの聖像が主シヴァの全ての寺院の南側で顔を南に向けているのを見ます。さらに、ダクシナーは知を意味し、その面前において全ての中のただ一つの自らの知が自然と現れ出る彼がダクシナームールティとして知られています。)
シュリー・バガヴァーンが我々の心を引き込み、彼自身に調和させていたため、その夜の時間は我々の誰にも気づかれずに過ぎて行きました。突然に夜が明け、バガヴァーンはほほ笑みながら立ちあがり、カマンダルを持って朝の散歩に出かけました。我々みなは、バガヴァーンの面前でのシヴァラートリの一晩中の素晴らしいサマーディから出ました。
ここでバガヴァーンとの毎日、毎晩はそのようであったと言うことは、場違いではないでしょう。とりわけ夜の静かな時間に、私は彼の活発な沈黙の力をしばしば体験しました。シヴァラートリは、実際、その中に他の一切が溶け込む主シヴァの絶対的で純粋な自覚を意味しています。
プラーナには別の記述もあります。デーヴァとアスラがアムリタ(不死の霊薬)を得るために乳海をかき混ぜていた時に上がってきた猛毒をシヴァが飲み込み、そうして、全世界を消滅から救いました。そして、彼は毒を喉に保ち一晩中座ったので、彼らみなを救わんとする偉大なる慈悲の行いのためにすべてのデーヴァとアスラによって崇拝されました。シヴァはこのためにニーラカンタ(青き喉をした)という名前で知られています。
かき混ぜている(サーダナ)時に毒が上がってくることは、心の潜在的な不浄な傾向性が神の恩寵により破壊されるために持ち出されて行く過程です!
主シヴァの歌:マハー・シヴァラートリ特別版
(*1)マールガリ月・・・タミル暦の9番目の月。12月半ばから1月半ば。ヒンドゥー暦ではマールガシールシャ。
(*2)マーシ月・・・タミル暦の11番目の月。2月半ばから3月半ば。ヒンドゥー暦ではマーガ。クンバ月とも。
(*3)黒月・・・クリシュナ・パクシャ。満月から月が欠けてゆき、新月に至るまでの15日間。逆に、新月から月が満ちてゆき、満月に至るまでの15日間は、シュクラ・パクシャ(白月)と言われる。
(*4)シュリー・ルドラ・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%A9
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