2018年2月26日月曜日

神と運命 - 神(カルタ)は業(カルマ)よりも強し

◇「山の道(Mountain Path)」、1967年4月、p113~116

神と運命

A.デーヴァラージャ・ムダリアール
デーヴァラージャ・ムダリアールは、最古参の信奉者の一人です。彼は小誌の1964年10月号で、我々のために「マハルシと献身の道」という記事を記しました。主に衰えつつある視力のために、彼は1965年の終わりにアーシュラムを離れました。1966年1月号で、我々はアーシュラム広報にお別れの手紙を記しました。今、デーヴァラージャはすでに片目の白内障の手術を受け、再び字を書ことができます。我々は彼からのこの新たな記事をとても喜んで歓迎したいと思います。
(運命なる)動き続ける指は記し、記され
先へと進む。汝のあらん限りの祈りも、知恵も
それを呼び戻し、半行取り消させることあたわず
汝の全ての涙でも、その一語も洗い流せぬ
-ウマル・ハイヤームによるルバイヤートより

 私見では、これを記した時、ウマルは冷笑家ではなく、宿命の貫き通せない壁に出くわした熱心な探求者でした。大多数のヒンドゥー教徒もまた、運命に打ち勝つことはできないと信じています。彼らは、神が彼らのひたいに人生における彼らの運命を記し、その結果、全ての出来事は、心地よいものも痛々しいものも、定められたように彼らのもとにやって来るだろうと話します。しかしながら、カルマの問題を学んだ人々は、運命とは独断的な神によって彼らに課されたものではなく、因果法則の結果であり、各人がその過去の行為が引き起こした経験を経なければならないと言明します。人の各々の行為には、心地よいものであろうとも痛々しいものであろうとも、その結果が後に続き、誰もそれから逃れることはできません。一回の人生で行為の全ての結果を使い尽くすことが可能でないなら、カルマを使い尽くすために相次いで人生を経験しなればならないかもしれません。

 この教説は思慮深い思想家たちによって歓迎されてきました。なぜなら、それが我々が世界で見出す人と人との間の大きな相違にいくらかの理性的な説明を与えるからです。さもなければ、公明正大な愛情深い神によって創造され、統治された世界における膨大な相違をどうして説明しうるでしょうか。カルマの教説はヒンドゥー教にとってとても基本的なものであるため、我々はそれ抜きにヒンドゥー教を考えることはできせん。

 カルマは三つのカテゴリー-プラーラブダ、アーガーミ、サンチッタ-に分類されます。人が生まれるとき、この人生で片づけられる予定の蓄積したカルマの量が、プラーラブダ・カルマと呼ばれ、その残りがサンチッタです。今世で蓄積したものは、アーガーミと呼ばれます。少なくともプラーラブダは全ての人によって経験されなければならず、それからは逃れようがないと一般的に考えられています。私はここで、この事柄に関するバガヴァーンの教えを提供しようと思います。

 シュリー・クリシュナがアルジュナに語ること-「マーヤーによって惑わされ、あなたは戦うことを拒むが、あなた自身の本質があなたを戦うように強いるだろう*1」-に関して、ある信奉者がバガヴァーンに我々がいったい自由意志を持つのかどうか尋ねました。バガヴァーンは答えました。「あなたには、体とそのプラーラブダとしてそれにやって来る苦楽とあなた自身を同一視しない自由が常にあります」。これに続いて、私は言いました。「私は人の人生の重要な出来事があらかじめ定められていることは理解できますが、まさか人生のあらゆること-例えば、私が手に持つこのうちわを床の上に置くというような、どれほどささいな事でも、すでにあらかじめ定められているということであるはずがありません。まさかあなたは、これこれの日付の一日のこの特定の時間に私があなたの前で床の上にうちわ置くことが私の生まれる前に定められていたと言うのではないでしょうね」。バガヴァーンはためらうことなく答えました。「ええ(、言います)」。

 私が彼と交わした他の様々な会話から、これがバガヴァーンの教えであることを私は確信しています。私はここで、彼が若き賢者として彼の母親の一緒に家に戻るようにという涙ながらの願いを断ったときに、彼女に与えた返答にだけ言及しようと思います。「命じる彼が、プラーラブダに応じて各々の人生を形作っている。起こらないと運命づけられていることは、どれほどあなたが試みようとも、起こらないだろう。起こると運命づけられていることは、人がそれを阻止しせんと試みようとも、起こるだろう。これは確実である。そのため、最良の道は、静かにいることである」。

 しかしながら、もし純粋な原因と結果としてのカルマの法則が絶対的に不可侵かつ無慈悲なほどに至高であるなら、人は宗教や神や祈りが何の役に立つのか尋ねるかもしれません。人が彼を罪と苦しみから救い、安らぎと祝福を与えられる全てを愛する全能の神を頼らなかった時代は存在していなかったようです。ヴェーダの時代に始まり、シヴァ派とヴィシュヌ派両方の偉大なバクタたちの時代を通じて、わりあい近代に至るまで、どのような罪を人が犯そうとも憐み深き神が彼を救うことができると全く明確に述べる大量の宗教文献があります。火によって綿が燃やされるように、神の恩寵によって、プラーラブダを含め、全てのカルマを破壊することができるとも彼らは述べています。西洋の聖者と神秘家は同じことを言っていて、神が公平、公明正大であるから、罪びとを救うことができず、その罪のためにまずは彼を罰しなければならないという考えをからかっています。というのも、もしそうであるなら、憐み父性母性といった神の他の属性はどうなるでしょうか。ヴィシュヌ派の信奉者は、神の中のヴァーッサリャ、つまり、慈愛の性質を強調し、牝牛のヴァーッサリャによって説明しています。子牛が生まれるやいなや、牝牛はその全身をなめ始め、子牛が不潔であるという事実を気に留めません。彼らは言います。神は罪びとを救いうるに先立って、彼が清らかになるのを待たず、見つけるとすぐに彼を救う-ただ人が救いを望み、それを求めて叫び、哀願するなら。苦しんでいる人が、「神は私を助けることができる」と十分に信頼して、助けと安らぎを求めて神を頼りとするなら、彼は確かに救われる。それが聖典の言うことであり、無数の聖者が言明することです。キリストは言いました。「労苦し、重荷を背負う汝ら皆よ、のもとに来きなさい。そうすれば、私はあなた方に安息を与えよう。恐れるなかれ」。主クリシュナはほぼ同じことを言いました。アルジュナが、解放を手に入れうる全ての異なる種類のヨーガについてクリシュナが話さなければならなかったこと聞いた後、これら全ての指導で混乱し、それらに従うことができないと感じたと彼が不満を言ったとき、クリシュナは言いました。「では、全てのダルマを放棄し、だけに寄る辺を求めなさい。嘆くなかれ。私があなたの全ての罪からあなたを救いましょう*2」。ここで要求されるものは、神への完全な委ねです。しかし、自分自身を完全に神の憐みに身を委ね、自分自身のために何も望まず、あらゆることを全てを愛する全知なる神に託すことは、思われるほど簡単ではありません。しかしながら、ここで私が主張したいことは、恩寵は全能であり、いかなる例外もなく人は蒔いたものを刈り取らねばならないと言われるカルマの法則にさえ打ち勝つことができるということです。私は気質的にこれを強く信じる傾向にあり、バガヴァーンが私のためにそれを裏付けてくれたと信じています。私はここで、私の小さな本 My recollections of Bhagavan Sri Ramana の101、102ページ上に、そのテーマに関して私が記したことを引用しようと思います。

 「私が一度ならずバガヴァーンと論じ合った別の点は、恩寵がプラーラブダ、つまり、運命をくつがえすことができる程度です。徹頭徹尾、私の言い分の主だった趣旨は、神は全能であり、にとって不可能なことは何もなく、もし人がそのために努力し、値するものだけを得るなら、得ることができるなら、恩寵まるで居場所はないだろうということでした(そして、それは相変わらず私の今の確信です)。自分一人でか、他の人々と私がそのような議論に携わっていた時-私に味方する人いれば、反対する人もいました-、バガヴァーンは黙っていました。しかし、彼がいろいろな機会にした様々な発言や所見から、私は以下がこの事柄に対する彼の態度であるという結論に至りました-『もちろん、神に不可能なことは何もありません。しかし、あらゆることが神の意志、または、計画によって定められた秩序に従って、起こり、例外はほとんどありません。我々のプラーナにマールカンデーヤが何人いますか』」。

 他方で、多くの権威ある書籍では、ジニャーニからの一目が、過去、現在、プラーラブダを含めた我々の全てのカルマの結果から我々を救うことができると明確に述べられています。そして、シュリー・ジャナキ・マータ*3が彼女のタミル語の日記の中で公表したことですが、彼女がこの疑問をかつてバガヴァーンと議論し、恩寵が人がプラーラブダに打ち勝つ手助けさえすると主張したとき、彼は彼女に言いました。「あなたがそのような信仰をもっているなら、そうなるでしょう」。

 私はこの引用に何も有益な付け加えができないことを分っていますが、マールカンデーヤへの言及を説明すべきかもしれません。プラーナに書かれていることですが、マールカンデーヤは16年間しか生きられないよう運命づけられていて、彼はシヴァに祈り、永久に16歳であるという恩恵を授かりました。バガヴァーンはそれに言及し、神聖なる恩寵の明白で劇的な介入はとても例外的であるという彼の趣旨を強調しました。

 いつ、なぜ、誰に恩寵が訪れるか人は言うことはできないとウパニシャッドの中で述べられています。それが選ぶ者にだけそれは到来すると言われています。百人が努力するかもしれませんが、その中の一人か二人だけが選ばれるのかもしれません。恩寵について、それが予測不可能であるということ以外、誰も何も予測できません。

 ここで、私の本 Day by Day with Bhagavan に記載されたポール・ブラントンからの以下の引用文に目を向けるのは興味深いでしょう。

 「神聖なる恩寵とは、活動中の広大無辺な自由意志の一つの顕現です。一切の自然法則に優越し、自然法則を相互作用にによって変更しうる、それ独自の未知の法則を通じ、それは物事の成り行きを不可思議な方法で変更できます。それは宇宙の中で最も力強い力です。」

 「それは完全な自らの委ねによって発動されたときにのみ、降りてきて、働きます。神は全ての存在のハートに住んでいるため、それは内から働きます。そのささやきは、自らの委ねと祈りによって清められた心の中でのみ聞くことができます。」

 上の二つの引用文は、D.C.デーサーイーという人による Divine Grace through total self-surrender と名づけられた本の中に含まれ、バガヴァーン自身が、その本に通読するとすぐ、それらを我々に読み上げました。

 神の恩寵は予測不可能であり、罪を免じ、カルマを消す力を持つという私の発言は、この恩寵が努力なしに得ることができること意味すると受け取られるべきではありません。逆に、大変な努力が必要です。人は、独力で自分自身を高めることができないことを認め、神の御足にくずれ落ち、叫ばなければなりません。「主よ、私は弱く、無力です。あなただけが私を救えます。私はあなたを寄る辺とします。あなたが私に望むことを行ってください」。これがなすべき努力です。我々自身のちっぽけな努力の無益さを理解した後の無努力の達成に向けての努力です。タゴールが言うように、「おぉ、汝自身の肩に汝自身を担わんとする、愚か者よ!おぉ、汝自身の門戸に物乞いをしに来る、乞食よ!一切を担うことができ、後悔して後ろを振り返ることのないの手に汝の一切の重荷を委ねよ」。我々がこれをするとき、神が責任をとるとタゴールは言います。「私が舵(かじ)を手放すとき、御身がそれを手にする時期が来たことを私は知る。なすべきことは即座になされるだろう。このあがきは無駄である」。

 宗教とは、私見では、人間の心に狼狽と絶望でなく、慰めと安堵をもたらすものであるべきです。もしそれができないなら、他の点においてどれほどあっぱれなものでも、知識人の称賛を勝ち取るためにどれほど哲学的思索にふけっていても、私はそれに用はありません。もし信奉者が神に保護を求めて近づくなら、「親愛なる息子よ、私はあなたを愛してますが、あなたを抱き上げ、私の保護下にあなたをかくまってあげたいのはやまやまなのですが、私の王国のおきては、あなたが戻ってきて、あなたの罪を取り除くか、もしくは、カルマを使い果たすまで、あなたを助けられないというものなのです」と言う神なるものに私は用はありません。むしろ私は神のことをキリストの放蕩息子のたとえ話の父親、道に迷った息子を絶えず注意深く捜していて、彼が引き返し、家路につくのを見た瞬間に、彼がまだ遠くにいるときでさえ、彼のもとに駆け寄り、抱擁し、家に連れ帰って、彼を洗い、真新しい衣服を与え、ごちそうのために太った子牛を屠った父親のようにみなすことを好みます。私は神がそのようであると本当に信じています。フランシス・トンプソンが The Hound of Heaven の中で言うように、神の恩寵こそが我々を追い求めていて、我々こそが逃げていっているのです。我々が世界の安っぽい目を引く飾りから背を向け、(「放蕩息子」のたとえのように)豚たちとの付き合いと我々が豚たちと分かち合ってきたもみ殻や皮の食事を断ち、神の方に向くのなら、その時、我々が神に向かって歩む一歩ごとに、神が我々に向かって十歩歩むと言われています。キリストと他の霊性の師たちはこう述べており、私はカルマの法則のもとに肉を一ポンド要求するシャイロックよりもむしろ彼らを信じることを好みます。バガヴァーンは Who am I? の中で言いました。「どれほど人が罪深くても、『あぁ、私は罪びとだ。どうして私が解放を得られるのか』と悲しみに沈んで泣き叫ぶのをやめ、自分が罪びとであるという思いすら捨て去り、熱心に自らへ瞑想を続けるなら、彼は間違いなく改められます」。

映画「ナザレのイエス」から放蕩息子のたとえ話

 私の信条は次のようです。「神聖なる恩寵を信じなさい。完全に自らを委ねて、それを請い求めなさい。そうすれば、あなたは救われるでしょう。一切の哲学的論争をいたずらに学識ある人々に任せなさい。あなたがただのほうに向き、を寄る辺とするなら、あなたを迎え入れたいと切に願っている神に満足しなさい」。

 バガヴァーンは救いへの一つの確かな道として完全な自らの委ねの道を推薦し、献身を「ジニャーナの母」と呼んでいます。かのよく知られた初期のバガヴァーンの信奉者、シヴァプラカーシャム・ピッライ-彼のために Who am I? が書かれたのですが-は、彼の詩の一つの中で言います。「あなたと私、他の全てを動かす力があります。あなたの自我をそのの足元に置きなさい」。バガヴァーンの様々な行為と発言から、委ねの道を私にとって最良の方法だと彼がみなしていたことにわずかの疑いもありません。解放は自ら-それは、自らでいることです、なぜなら、知ることとはいることだからですーを通じてのみ可能であると彼がはっきりと明言したことは真実です。けれども、それがもたらされるのは、必ずも、完全に委ねた者に、です。

(原注)
*1 バガヴァッド・ギーター、18章、59詩節
*2 同上、18章、66詩節
*3 彼女に関する記事について、小誌の1966年6月号、p105参照

2018年2月9日金曜日

マハルシと献身の道 - 「労苦し、重荷を背負う汝ら皆よ、私のもとに来たれ」

◇「山の道(Mountain Path)」、1964年10月、p206~209

マハルシと献身の道

A.デーヴァラージャ・ムダリアール
デーヴァラージャ・ムダリアールは、バガヴァーンの最古参の信奉者の一人です。弁護士を職業とし、彼は言葉が正確で、表現が明確であり、それゆえ、しばしばバガヴァーンに頼まれ、西洋の訪問客の質問に答える折に通訳を務めました。数年間、彼はアーシュラム日記をつけ、Day by Day with Bhagavan という題名で二冊出版されています。彼はまた My Recollections of Bhagavan Sri Ramana も記しています。両方ともアーシュラムから出版されています。上の説明は彼を理知的に思わせるかもしれませんが、以下の文章が示すように、彼の心根は純粋なバクタです。
    インドだけでなく、全ての宗教において、献身または委ねの道は、神に到達する、または、解放を得るための一つの方法として重んじられてきました。ヒンドゥー教で推奨される四つの主要な道は、カルマ、バクティ、ヨーガ、ジニャーナ-行為、献身、ヨーガに関する発達、知識であり、人間の人生における務めとは、それらの中の一つまたは複数の道によって神に達せんとすることであると考えられています。上の四つは、様々な人々が霊的に進化し、完成を得ることを願って修練する多様な技法を含みます。バガヴァーン・ラマナはよく、それら全ては良く、全て難しいが、大志を抱く者の気質や能力に応じてのみ、いずれかが彼に最も魅力的に映り、最も簡単に見えるかもしれないと言いました。彼はまた、どのような方法を修練しようとも、人は最終的にジニャーナに、つまり、絶対者自らなる神聖な知に到達しなければならないと言いました。

 自らの実現を得るための最短かつ最も直接的な道は、「私は思う」「私は欲しい」「私はする」などのように我々が毎度言及する、この「私」または自我とは本当は誰か、どこからそれは生じるのか探求することであるとバガヴァーンが説いたことはよく知られています。この「私」とは心の別名であり、再び心とは思いの塊に過ぎません。心が外に出て、世界に関する思いに耽溺するのを許さずに、心が飛び出すところの源を見つけるために、絶え間なく、断固として心自体に心を引き戻すなら、心は我々を自らに連れ行くだろうと彼は説きました。この方法はヴィチャーラ、探求として知られており、ジニャーナ・マールガの部類に入ります。

 しかしながら、バガヴァーンが彼自身、ジニャーニと同じぐらいバクタである、知の人であるのと同じぐらい献身の人であったことは、あまりよく知られていません。私はこのテーマに関して詳細に記せますが、それはほとんど必要ありません。Five Hymns to Arunachala を一読すれば、彼がどれほど真摯で熱心な信奉者であったかを証明するのに十分です。私がここで明らかにしたいと望むことは、自らの探求を推薦し、質問者に「私は誰か」彼自身に問うように言うとき、バガヴァーンはしばしば次のように言って終えました-「もしあなたがそうする力がないと言うのなら、全ての面倒を見る唯一なる偉大なに身を委ねなさい」。私は彼がこれを言うのを一度だけでなく、何度も聞きました。彼の最初期の本、かの偉大な短い著作 Who am I? の中でさえ、彼は言います-「神は、どれほど重くとも、全ての重荷を担う用意ができています。あなたの全ての重荷もに委ね、自由になってはどうですか。鞄を網棚に置かずに膝や肩に乗せている鉄道列車の乗客のような馬鹿な真似はよしなさい」。カルマ・マールガであれ、ヨーガであれ、私は彼が自発的にこのように推奨するのを聞いたことがありません。

 これに関連して、バガヴァーンの最古参の信奉者の一人であり、バガヴァーンの教えについて語る権威を疑い難く持つであろう方、故シヴァプラカーシャム・ピッライによるタミル語の詩からの一節を引用したいと思います。「全ての者にあなたはこの教えのみを授けた-あなたは誰か熟慮し、見つけ出しなさい。その後、もし、さらに誰かが従順にそれ以上を望むなら、あなたは最後の助言として言う-あなたや私、全てを動かす力(シャクティ)が存在します。そのの足元にあなたの自我を引き渡しなさい」。

 我々の国の多くの古の聖者たちだけでなく、二人だけ言及するなら、シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサとシュリー・ラームダースのような近代の聖者たちも、委ねというバクティの道を推奨しています。プラーナはさらに踏み込んで、この霊的暗黒時代、カリ・ユガの間は、バクティの道が最も適しており、最も修練しやすいと断言しています。何もかもを神に任せ、の足元に身を委ね、ただ御名をいつも唱え続けなさい。他の何もする必要はありません-あなたは救われるでしょう。それが彼らの言うことです。

 しかし、誰が何と言おうとも、どれほどその方法が一見簡単に見えても、一たびあなたがそれを熱心に修練し始めるなら、委ねは、完全な本当の委ね、全く心に疑念を抱くことのない委ね、良いものであれ悪いものであれ、可もなく不可もないものであれ、あなたに降りかかる全てのものを神からもたらされるとして喜んで受け入れる委ねは、全くもって非常に困難なです。しかし、委ねが完全でないなら、効き目はないだろうと我々は教えられています。二つの物語があります-一つは偉大な叙事詩、マハーバーラタから、もう一つはシュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサによって語られたもので、これを例示しています。最初のものは、ドラウパディーの力強い夫たちが当時自由を失っていて、彼女が無防備になっていた時、邪悪なドゥルヨダーナとその友人たちが宮殿で彼女の衣服を脱がせようとし、彼女が最後の唯一の寄る辺としてシュリー・クリシュナに祈ったものです。しかし、彼女がサリーにしがみつき、腰からサリーを脱がされまいとする自然で、ほとんど無意識的な努力を放棄して初めて、彼からの助けがやって来ました。彼女が自分自身を助けようと苦闘する限り、神聖なる恩寵が彼女を助けるために湧き出ることはできませんでした。ラーマクリシュナによって語られる物語は、さらにいっそう力強いものです。洗濯人が衣類を洗っていた時、ある人がいちゃもんをつけ、彼をたたき始めました。洗濯人はヴィシュヌに助けを求めて叫びました。ヴィシュヌはその時、配偶者のラクシュミーとともに天界で興じていました。洗濯人の哀れを誘う叫び声を聞くや否や、彼は立ち上がり、地上に向かって駆け出しました。しかしながら、少しして、ラクシュミーは彼がのんびりぶらぶら歩いて帰って来るのを見ました。「どうしたんですか」と彼女は尋ねました。「どうしてあんなに突然、出て行ったのですか。それに、どうして今や急がずに戻って来たのですか」。
 
 主はそこで直ちに説明しました。「ある信奉者がたたかれて、私に助けと保護を願い求めました。それで、私は彼の救助に駆けつけなければなりませんでした。しかし、私がそこにつく前に、彼が自分自身を守るために棒を手に取りました。だから、どうして私が構う必要がありますか」。

 これがバガヴァーンが説いたことです-委ねは完全でなければならず、そうでなければ、効果的ではなくなるでしょう。あなたが霊的境地において何らかの進歩を期待しうる前に、あなたが持つもの全て、体、所有物、魂をグルに捧げる、差し出さければならないと我々の宗教文学の中で明確に説かれています。神、グル、自らは同等視されていることを我々はまた覚えておかなければなりません。そのような委ねは、我々の霊的目標、それをムクティ、モークシャ、ニルヴァーナ、解放や何とあなたが呼ぶのであれ、その達成のための十分かつ確実な手段として説かれてきています。アッラーフの意思への服従は、イスラム教の基本的な命令です。イエスは言いました。「労苦し、重荷を背負う汝ら皆よ、のもとに来きなさい。そうすれば、私はあなた方に安息を与えよう」。クリシュナは言いました。「あなたの一切の義務を放棄し、のみに寄る辺を求めよ。私はあなたを一切の罪から解放する。嘆くなかれ」。

 シュリー・クリシュナは、の御足に寄る辺を求め、完全に委ねるなら、他の何もする必要はない、他の何の義務にも気をもむ必要はないと明確に断言しました。この全き献身、自らの委ねの道は、全インド中の多くのバクタによって、特に、タミル地方の偉大なシヴァ派とヴィシュヌ派の詩聖たちによって、マハーラーシュトラのトゥカーラム、エークナート、ナームデーヴなど、そして、ベンガルのチャイタンヤによって、宣言され、従われてきました。私がすでに引用した、バガヴァッド・ギータのいわゆる「チャラナ・スローカ」で説かれるように、特にヴィシュヌ派は委ねの道を大変に重要視してきました。彼らはこの委ねをプラパッティと呼び、その教説をきわめて詳細に発展させ、その分枝がどれほど遠くまで及ぶか示しています。

 この「プラパッティ」の道の特に私にとって魅力的である一つか二つの側面にのみ言及しようと思います。例えば、他の道では神は目的であり、様々な他の物事が手段として使われるが、委ねの道では、手段と目的の両方が神であると彼らは言います。彼らが言う別のことは、他の道では二つ以上の手段がとられるかもしれないが、委ねの道では他の手段は必要ないか、許容さえされないということです。なぜなら、それは委ねへのあなたの信頼が完全でなく、それゆえにあなたの委ねそれ自体が存在しないことを暗示するだろうからです。彼らがこの論拠のために引用する一つの例示があります。ラーマーヤナで、インドラジットは「ブラフマー・アストラ」と呼ばれる強力な武器を使い、その神聖な力によってハヌマーンの手足をしばりました。ラークシャサたちは、しかしながら、念には念を入れようとして、彼を縄と鎖でも縛り始めました。するとすぐに、神聖なる武器は彼らのそれへの信頼の欠如のために働くのをやめました。完全に神に身を任せ、の愛と慈悲と力に安心し、恩寵意思による以外は何かなすことができると夢にも思わないことが、ヴィシュヌ派の信者によって説かれるプラパッティの方法であり、それは本当に熱心な信奉者にとって大変な価値があります。

 近代の聖者たちでさえ、グルに完全に委ねるなら、他の何もする必要はないと幸運な弟子たちに慈悲深くも言いました。かつてギリシュ・チャンドラ・ゴーシュがラーマクリシュナの前で涙を流し、どれほど単純で短くても、どの修練にも彼が従うことができないと言明したとき、ラーマクリシュナは喜んで彼に言いました。「では、私に委任状をください」-その意味することろは、「委ねなさい、そうすれば、後のことは私が行います!」。

 私はかつてバガヴァーンに言いました。「私はもう一人のギリシュです。あなた自身が私を救わなければなりません。全ての聖者にギリシュがいるはずです」。

 バガヴァーンは答えました。「でも、彼は委任状を渡しました」。

 「私も私に可能な程度、委ねました」と言いました。「それ以上、私に何ができますか」。

 バガヴァーンは何も言いませんでした。

 「委ねなさい、そうすれば、私があなたの面倒を見ます」と言うのは、バガヴァーンのやり方ではありませんでした。しかしながら、その点に関して以下の出来事は意義深いものです。バガヴァーンが体を離れる一年ほど前、ある午後、私は彼に言いました。「バガヴァーン、私はシヴァプラカーシャム・ピッライによる詩から3詩節歌います。なぜなら、それは私よりも上手く私が言いたいことを表せるからです」。そして、私は歌いました。その意味は次のとおりです。「私はあなたの教えにも指導にも従ってきませんでした。しかし、救いがたい獣だとして信奉者に愛想をつかし、見放すことはグルにとってふさわしいことですか。あなたがこのように私に我が道を行かせるのなら、何が私に起こることになるでしょうか。私は改心しませんし、あなたは私を正しも、変えもしないでしょう。我が主よ、あなた以外に今世や来世において他の助けが何か私にあるのでしょうか。では、どうお思いなのですか。これはあなたにとって正しい振る舞いですか」。

 バガヴァーンはすぐには返答せず、それは私にいくらか失望をもたらしました。一、二分後、彼は言いました。「私が何をしてもしなくても、あなたの務めは、ただ委ね、じっとしていることだけです」。

 幾人かの友人は、私がこれを「心配しないでいいです。私は何をすべきか知っているし、それを行うでしょう」ということを意味すると受け取ってかまわないと私に言いました。逆に、それは「あなたが本当に委ねるなら、不平を言う権利はありません。ですから、信奉者が不平をいうなら、それは委ねていないという印です」ということを意味するだけかもしれません。いずれにせよ、私は楽観主義者でいるのを好み、どれほど私の委ねが不完全であろうとも、彼の恩寵が完全である限り、彼が私の面倒を申し分なく見てくれるであろうと信じています。

 私は最近、Bhavan's Journal の中で、ヴァジュレシュワリに30年ほど住み、数年前に亡くなったスワーミー・ニティヤーナンダ()の教えのいくらかを読みました。弟子が彼に尋ねました。「私は何をすべきでしょうか」。彼は返答しました。「あなたは何もする必要ありません」。私はそれを「何もかもをグルに委ね、託す以外何も」ということを意味すると受け取ります。

 知識人はバクティの道を見下したくなるかもしれませんが、そのような態度は正当化されないということを十分に示すほど私は記したと思います。これを例示するための物語をもう一つして終わりにしましょう。トータープリーは、ラーマクリシュナが、タントラ教徒のグルをすでに得ていた後、グルとみなしたアドヴァイタの唱道者です。彼は人々が人格神を崇拝することに我慢ならず、ラーマクリシュナが始終カーリーについて話し、彼女を崇拝し、「」と呼んでいることをからかっていました。彼は以前に一度も健康を損ねたことがありませんでしたが、突如、深刻で痛みがひどい種類の赤痢に襲われました。それはとてもひどかったため、数日後、彼はガンジス川に身を投げようと決意しました。彼は川に入り、対岸に向かっておそらく半マイルかそこら歩いたところで、水が膝よりも決して深くならないことに気づきました。ついに、ラーマクリシュナの「」、カーリーが彼の前に現れ、そのようにして奇跡的に彼を改心させました。

 それゆえ、幾人かの哲学者や聖者さえもが委ねの道を非難するとしても、謙虚な信奉者をがっかりさせないようにしましょう。プリンの味は食べてみなければわかりません。それはあまねく世界中で、インドのバクタだけでなく、ペルシャのスーフィ、西洋東洋双方の神秘主義者に対して、うまくいき、成果を上げてきました。とりわけ、シュリー・クリシュナは、彼のもとに来て、彼の足元に寄る辺を求める全ての者を彼が救うという保証を与えています。疑うのはよして、委ね、永遠の安らぎ至福を達成しようではありませんか。