2018年2月9日金曜日

マハルシと献身の道 - 「労苦し、重荷を背負う汝ら皆よ、私のもとに来たれ」

◇「山の道(Mountain Path)」、1964年10月、p206~209

マハルシと献身の道

A.デーヴァラージャ・ムダリアール
デーヴァラージャ・ムダリアールは、バガヴァーンの最古参の信奉者の一人です。弁護士を職業とし、彼は言葉が正確で、表現が明確であり、それゆえ、しばしばバガヴァーンに頼まれ、西洋の訪問客の質問に答える折に通訳を務めました。数年間、彼はアーシュラム日記をつけ、Day by Day with Bhagavan という題名で二冊出版されています。彼はまた My Recollections of Bhagavan Sri Ramana も記しています。両方ともアーシュラムから出版されています。上の説明は彼を理知的に思わせるかもしれませんが、以下の文章が示すように、彼の心根は純粋なバクタです。
    インドだけでなく、全ての宗教において、献身または委ねの道は、神に到達する、または、解放を得るための一つの方法として重んじられてきました。ヒンドゥー教で推奨される四つの主要な道は、カルマ、バクティ、ヨーガ、ジニャーナ-行為、献身、ヨーガに関する発達、知識であり、人間の人生における務めとは、それらの中の一つまたは複数の道によって神に達せんとすることであると考えられています。上の四つは、様々な人々が霊的に進化し、完成を得ることを願って修練する多様な技法を含みます。バガヴァーン・ラマナはよく、それら全ては良く、全て難しいが、大志を抱く者の気質や能力に応じてのみ、いずれかが彼に最も魅力的に映り、最も簡単に見えるかもしれないと言いました。彼はまた、どのような方法を修練しようとも、人は最終的にジニャーナに、つまり、絶対者自らなる神聖な知に到達しなければならないと言いました。

 自らの実現を得るための最短かつ最も直接的な道は、「私は思う」「私は欲しい」「私はする」などのように我々が毎度言及する、この「私」または自我とは本当は誰か、どこからそれは生じるのか探求することであるとバガヴァーンが説いたことはよく知られています。この「私」とは心の別名であり、再び心とは思いの塊に過ぎません。心が外に出て、世界に関する思いに耽溺するのを許さずに、心が飛び出すところの源を見つけるために、絶え間なく、断固として心自体に心を引き戻すなら、心は我々を自らに連れ行くだろうと彼は説きました。この方法はヴィチャーラ、探求として知られており、ジニャーナ・マールガの部類に入ります。

 しかしながら、バガヴァーンが彼自身、ジニャーニと同じぐらいバクタである、知の人であるのと同じぐらい献身の人であったことは、あまりよく知られていません。私はこのテーマに関して詳細に記せますが、それはほとんど必要ありません。Five Hymns to Arunachala を一読すれば、彼がどれほど真摯で熱心な信奉者であったかを証明するのに十分です。私がここで明らかにしたいと望むことは、自らの探求を推薦し、質問者に「私は誰か」彼自身に問うように言うとき、バガヴァーンはしばしば次のように言って終えました-「もしあなたがそうする力がないと言うのなら、全ての面倒を見る唯一なる偉大なに身を委ねなさい」。私は彼がこれを言うのを一度だけでなく、何度も聞きました。彼の最初期の本、かの偉大な短い著作 Who am I? の中でさえ、彼は言います-「神は、どれほど重くとも、全ての重荷を担う用意ができています。あなたの全ての重荷もに委ね、自由になってはどうですか。鞄を網棚に置かずに膝や肩に乗せている鉄道列車の乗客のような馬鹿な真似はよしなさい」。カルマ・マールガであれ、ヨーガであれ、私は彼が自発的にこのように推奨するのを聞いたことがありません。

 これに関連して、バガヴァーンの最古参の信奉者の一人であり、バガヴァーンの教えについて語る権威を疑い難く持つであろう方、故シヴァプラカーシャム・ピッライによるタミル語の詩からの一節を引用したいと思います。「全ての者にあなたはこの教えのみを授けた-あなたは誰か熟慮し、見つけ出しなさい。その後、もし、さらに誰かが従順にそれ以上を望むなら、あなたは最後の助言として言う-あなたや私、全てを動かす力(シャクティ)が存在します。そのの足元にあなたの自我を引き渡しなさい」。

 我々の国の多くの古の聖者たちだけでなく、二人だけ言及するなら、シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサとシュリー・ラームダースのような近代の聖者たちも、委ねというバクティの道を推奨しています。プラーナはさらに踏み込んで、この霊的暗黒時代、カリ・ユガの間は、バクティの道が最も適しており、最も修練しやすいと断言しています。何もかもを神に任せ、の足元に身を委ね、ただ御名をいつも唱え続けなさい。他の何もする必要はありません-あなたは救われるでしょう。それが彼らの言うことです。

 しかし、誰が何と言おうとも、どれほどその方法が一見簡単に見えても、一たびあなたがそれを熱心に修練し始めるなら、委ねは、完全な本当の委ね、全く心に疑念を抱くことのない委ね、良いものであれ悪いものであれ、可もなく不可もないものであれ、あなたに降りかかる全てのものを神からもたらされるとして喜んで受け入れる委ねは、全くもって非常に困難なです。しかし、委ねが完全でないなら、効き目はないだろうと我々は教えられています。二つの物語があります-一つは偉大な叙事詩、マハーバーラタから、もう一つはシュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサによって語られたもので、これを例示しています。最初のものは、ドラウパディーの力強い夫たちが当時自由を失っていて、彼女が無防備になっていた時、邪悪なドゥルヨダーナとその友人たちが宮殿で彼女の衣服を脱がせようとし、彼女が最後の唯一の寄る辺としてシュリー・クリシュナに祈ったものです。しかし、彼女がサリーにしがみつき、腰からサリーを脱がされまいとする自然で、ほとんど無意識的な努力を放棄して初めて、彼からの助けがやって来ました。彼女が自分自身を助けようと苦闘する限り、神聖なる恩寵が彼女を助けるために湧き出ることはできませんでした。ラーマクリシュナによって語られる物語は、さらにいっそう力強いものです。洗濯人が衣類を洗っていた時、ある人がいちゃもんをつけ、彼をたたき始めました。洗濯人はヴィシュヌに助けを求めて叫びました。ヴィシュヌはその時、配偶者のラクシュミーとともに天界で興じていました。洗濯人の哀れを誘う叫び声を聞くや否や、彼は立ち上がり、地上に向かって駆け出しました。しかしながら、少しして、ラクシュミーは彼がのんびりぶらぶら歩いて帰って来るのを見ました。「どうしたんですか」と彼女は尋ねました。「どうしてあんなに突然、出て行ったのですか。それに、どうして今や急がずに戻って来たのですか」。
 
 主はそこで直ちに説明しました。「ある信奉者がたたかれて、私に助けと保護を願い求めました。それで、私は彼の救助に駆けつけなければなりませんでした。しかし、私がそこにつく前に、彼が自分自身を守るために棒を手に取りました。だから、どうして私が構う必要がありますか」。

 これがバガヴァーンが説いたことです-委ねは完全でなければならず、そうでなければ、効果的ではなくなるでしょう。あなたが霊的境地において何らかの進歩を期待しうる前に、あなたが持つもの全て、体、所有物、魂をグルに捧げる、差し出さければならないと我々の宗教文学の中で明確に説かれています。神、グル、自らは同等視されていることを我々はまた覚えておかなければなりません。そのような委ねは、我々の霊的目標、それをムクティ、モークシャ、ニルヴァーナ、解放や何とあなたが呼ぶのであれ、その達成のための十分かつ確実な手段として説かれてきています。アッラーフの意思への服従は、イスラム教の基本的な命令です。イエスは言いました。「労苦し、重荷を背負う汝ら皆よ、のもとに来きなさい。そうすれば、私はあなた方に安息を与えよう」。クリシュナは言いました。「あなたの一切の義務を放棄し、のみに寄る辺を求めよ。私はあなたを一切の罪から解放する。嘆くなかれ」。

 シュリー・クリシュナは、の御足に寄る辺を求め、完全に委ねるなら、他の何もする必要はない、他の何の義務にも気をもむ必要はないと明確に断言しました。この全き献身、自らの委ねの道は、全インド中の多くのバクタによって、特に、タミル地方の偉大なシヴァ派とヴィシュヌ派の詩聖たちによって、マハーラーシュトラのトゥカーラム、エークナート、ナームデーヴなど、そして、ベンガルのチャイタンヤによって、宣言され、従われてきました。私がすでに引用した、バガヴァッド・ギータのいわゆる「チャラナ・スローカ」で説かれるように、特にヴィシュヌ派は委ねの道を大変に重要視してきました。彼らはこの委ねをプラパッティと呼び、その教説をきわめて詳細に発展させ、その分枝がどれほど遠くまで及ぶか示しています。

 この「プラパッティ」の道の特に私にとって魅力的である一つか二つの側面にのみ言及しようと思います。例えば、他の道では神は目的であり、様々な他の物事が手段として使われるが、委ねの道では、手段と目的の両方が神であると彼らは言います。彼らが言う別のことは、他の道では二つ以上の手段がとられるかもしれないが、委ねの道では他の手段は必要ないか、許容さえされないということです。なぜなら、それは委ねへのあなたの信頼が完全でなく、それゆえにあなたの委ねそれ自体が存在しないことを暗示するだろうからです。彼らがこの論拠のために引用する一つの例示があります。ラーマーヤナで、インドラジットは「ブラフマー・アストラ」と呼ばれる強力な武器を使い、その神聖な力によってハヌマーンの手足をしばりました。ラークシャサたちは、しかしながら、念には念を入れようとして、彼を縄と鎖でも縛り始めました。するとすぐに、神聖なる武器は彼らのそれへの信頼の欠如のために働くのをやめました。完全に神に身を任せ、の愛と慈悲と力に安心し、恩寵意思による以外は何かなすことができると夢にも思わないことが、ヴィシュヌ派の信者によって説かれるプラパッティの方法であり、それは本当に熱心な信奉者にとって大変な価値があります。

 近代の聖者たちでさえ、グルに完全に委ねるなら、他の何もする必要はないと幸運な弟子たちに慈悲深くも言いました。かつてギリシュ・チャンドラ・ゴーシュがラーマクリシュナの前で涙を流し、どれほど単純で短くても、どの修練にも彼が従うことができないと言明したとき、ラーマクリシュナは喜んで彼に言いました。「では、私に委任状をください」-その意味することろは、「委ねなさい、そうすれば、後のことは私が行います!」。

 私はかつてバガヴァーンに言いました。「私はもう一人のギリシュです。あなた自身が私を救わなければなりません。全ての聖者にギリシュがいるはずです」。

 バガヴァーンは答えました。「でも、彼は委任状を渡しました」。

 「私も私に可能な程度、委ねました」と言いました。「それ以上、私に何ができますか」。

 バガヴァーンは何も言いませんでした。

 「委ねなさい、そうすれば、私があなたの面倒を見ます」と言うのは、バガヴァーンのやり方ではありませんでした。しかしながら、その点に関して以下の出来事は意義深いものです。バガヴァーンが体を離れる一年ほど前、ある午後、私は彼に言いました。「バガヴァーン、私はシヴァプラカーシャム・ピッライによる詩から3詩節歌います。なぜなら、それは私よりも上手く私が言いたいことを表せるからです」。そして、私は歌いました。その意味は次のとおりです。「私はあなたの教えにも指導にも従ってきませんでした。しかし、救いがたい獣だとして信奉者に愛想をつかし、見放すことはグルにとってふさわしいことですか。あなたがこのように私に我が道を行かせるのなら、何が私に起こることになるでしょうか。私は改心しませんし、あなたは私を正しも、変えもしないでしょう。我が主よ、あなた以外に今世や来世において他の助けが何か私にあるのでしょうか。では、どうお思いなのですか。これはあなたにとって正しい振る舞いですか」。

 バガヴァーンはすぐには返答せず、それは私にいくらか失望をもたらしました。一、二分後、彼は言いました。「私が何をしてもしなくても、あなたの務めは、ただ委ね、じっとしていることだけです」。

 幾人かの友人は、私がこれを「心配しないでいいです。私は何をすべきか知っているし、それを行うでしょう」ということを意味すると受け取ってかまわないと私に言いました。逆に、それは「あなたが本当に委ねるなら、不平を言う権利はありません。ですから、信奉者が不平をいうなら、それは委ねていないという印です」ということを意味するだけかもしれません。いずれにせよ、私は楽観主義者でいるのを好み、どれほど私の委ねが不完全であろうとも、彼の恩寵が完全である限り、彼が私の面倒を申し分なく見てくれるであろうと信じています。

 私は最近、Bhavan's Journal の中で、ヴァジュレシュワリに30年ほど住み、数年前に亡くなったスワーミー・ニティヤーナンダ()の教えのいくらかを読みました。弟子が彼に尋ねました。「私は何をすべきでしょうか」。彼は返答しました。「あなたは何もする必要ありません」。私はそれを「何もかもをグルに委ね、託す以外何も」ということを意味すると受け取ります。

 知識人はバクティの道を見下したくなるかもしれませんが、そのような態度は正当化されないということを十分に示すほど私は記したと思います。これを例示するための物語をもう一つして終わりにしましょう。トータープリーは、ラーマクリシュナが、タントラ教徒のグルをすでに得ていた後、グルとみなしたアドヴァイタの唱道者です。彼は人々が人格神を崇拝することに我慢ならず、ラーマクリシュナが始終カーリーについて話し、彼女を崇拝し、「」と呼んでいることをからかっていました。彼は以前に一度も健康を損ねたことがありませんでしたが、突如、深刻で痛みがひどい種類の赤痢に襲われました。それはとてもひどかったため、数日後、彼はガンジス川に身を投げようと決意しました。彼は川に入り、対岸に向かっておそらく半マイルかそこら歩いたところで、水が膝よりも決して深くならないことに気づきました。ついに、ラーマクリシュナの「」、カーリーが彼の前に現れ、そのようにして奇跡的に彼を改心させました。

 それゆえ、幾人かの哲学者や聖者さえもが委ねの道を非難するとしても、謙虚な信奉者をがっかりさせないようにしましょう。プリンの味は食べてみなければわかりません。それはあまねく世界中で、インドのバクタだけでなく、ペルシャのスーフィ、西洋東洋双方の神秘主義者に対して、うまくいき、成果を上げてきました。とりわけ、シュリー・クリシュナは、彼のもとに来て、彼の足元に寄る辺を求める全ての者を彼が救うという保証を与えています。疑うのはよして、委ね、永遠の安らぎ至福を達成しようではありませんか。

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