2013年8月22日木曜日

ラーマチャンドラ・アイヤル氏の思い出 - あなたが持てるもので満足せよ

◇『シュリー・ラマナ・マハルシと向かい合って(Face to Face with Sri Ramana Maharshi)』

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T.P.ラーマチャンドラ・アイヤルはティルヴァンナーマライ生まれです。彼の宗教と哲学への関心は、彼を1920年代にシュリー・ラマナへ導きました。マドラスの弁護士として、彼は多くのアーシュラムの法的業務を扱いました。彼はまたマハルシの講堂で通訳として、付添人として仕えました。

 私はシュリー・バガヴァーンの講堂へ入り、彼を見ました。確信させるほどに全く強烈な体験と共に、私は顔をつけてうつぶせに倒れ、彼に平伏しました。私が何年もずっと思い焦がれ、私の全存在を揺り動かし、私の力を導くことのできる「彼」がここにいたのだという発見。彼はとても偉大でしたが、とても簡素でした。私は立ち上がりました。バガヴァーンは微笑み、席を勧めました。すべての感情、思いと湧き上る疑問はどこにもありませんでした!私は寄る辺、人生における最大の幸運を見つけたと感じました。

 多くの人々は、バガヴァーンがいつもアドヴァイタの哲学を語り、彼に助言を求めるすべての人に自らの探求を指示したという印象を持っています。しかし単純にそうではありません。バガヴァーンの助言は状況の必要性に応じて変わりえました。

 アーシュラムの郵便局が設けられた時、一人息子を亡くした郵政省の高官が妻と共にアーシュラムにやって来ました。彼は、「私たちはその子をたいへん愛していました。彼を亡くした後、私たちには安らぎも、幸福もありません。私たちに唯一残された願いがあります。来世で息子に会えますか」と言いました。彼はそのための保証を求めました。いくらかの説得が効果的でないと判明した後で、バガヴァーンは身を乗り出し、彼らに保証するかのように手を掲げ、「ええ、今世であなたがあなたの息子を見たのと同じようにはっきりと来世であなたは彼を見ます」と言いました。このことはその人を大いに幸せにしました。彼はバガヴァーンの足に何度も触れ、とても満足した様子で帰って行きました。

 彼が去った後、私は、「バガヴァーン、どうしてあのように話したのですか。どうしてそんなことが起こりうるのですか」と言いました。バガヴァーンは、「どうすればいいのですか。私があのように話さなかったら、彼の信仰は土台から粉々になってしまったでしょう」と答えました。私がまだ懐疑的であったので、バガヴァーンはギーターからの1詩節を私に読むよう求めました。その意味するところは、「知識はそれを把握する能力に応じて与えられるべきである。受け入れる用意のない人々に哲学を教えるならば、彼らの信仰は破壊される」でした。

 1945年、バガヴァーンはディリップ・クマール・ローイ(*1)にバクティはジニャーナの母であると言いました。バクティ・マールガの追随者がバクティが最良であると言明する時、彼は実際そのバクティという言葉でジニャーナ・マールガの人がジニャーナと呼ぶものを意味しているのです。その境地、属性によるその描写、属性の超越において、違いは存在しません。ただ、様々な思想家が様々な言葉を使っているだけです。

 数日後、ローイはバガヴァーンに、「自我を殺す最良の方法は何ですか」と尋ねました。バガヴァーンは、「心に心を殺してくれるように頼むことは泥棒を警察官にするようなものです。彼はあなたと一緒に行き、泥棒を捕まえるふりをしますが、何も得られるものはないでしょう。ですから、あなたは内に向かい、どこから心が生じるのか見なければなりません。その時、心は存在するのをやめます」と答えました。

ディリップ・クマール・ローイによる歌

 母の寺院が建設されている時、深刻な資金の不足が起こりました。サルヴァーディカーリー(*2)は私とチャガンラール・ヨーギに5万ルピーの寄付を求めてボンベイのジャマナ・ラール・バジャージ(*3)を訪問して欲しいと思いました。これにはバガヴァーンの許可が必要でしたが、彼には許可を求める勇気はありませんでした。私は幾人かの信奉者を集め、許可を得るためにバガヴァーンのもとへ行きました。いくらかの間、我々は彼の前に立ちましたが、彼は我々を見ようとさえしませんでした。我々のそれぞれが他の人が話して欲しいと思いました。我々が尋ねた時、彼は長いあいだ返答しませんでした。ついに、彼は我々の方を向き、「私はすでに私の名において請い求めないようにあなた方に言っています。今、もう一度あなた方に言います。あなた方が持っているもので満足しなさい。アーシュラムのこれら全ての建物は、私の物乞いの結果としてやって来たのですか。全ては起こるべくして起こりました。単に個人的努力の結果だけでは何も起こりません」と言いました。

 特にバガヴァーンの人生の最後の数年間、我々みなが彼の健康状態を心配していましたが、バガヴァーン自身は彼の体が招いた様々な痛みや問題に無関心でした。彼が何らかの関心をもったならば、それは彼の均整のとれた体の問題が彼に会いに来た信奉者らに不便となることでした。

1966年10月の「山の道(The Mountain Path)」に、T.P.ラーマチャンドラ・アイヤルは以下のように書き留めています。

 大学での私の専攻科目は哲学でした。かつて私が講堂に入った時、自らの性質についての議論が行われていました。書籍から学ぶ知識が記憶に新しかったので、私は西洋体系における意識の様々な段階について読んだことを述べ始めました。私は特に超越意識と潜在意識という用語を口にしました。バガヴァーンは耳に留め、鋭く反応しました。「何ものかに関連してのみ、あなたはそれに『超越』や『潜在』状態を仮定できます。意識は真理であり、それについてのどのような仮定も無知の創造物であり、心を曇らせますが、それでも知性にとっては魅力的です。真理は単純で、直接的であり、変化を経験しません。自ら、アートマン、ブラフマン-それをどんな名で呼ぼうとも、存在するものは意識です」。私はバガヴァーンの言葉を聞いただけでなく、何か他のものも経験しました。私は私の本質に触れ、経験し、私の意識の中へ深く潜り、至福の大海の中で泳ぎました。私はバガヴァーンの前でひれ伏し、心の中で大声で叫びました-おお、バガヴァーン!私の師よ!私の暗闇を払う者よ!あなたに帰依します!私をあなたの僕(しもべ)として受け入れよ!

(*1)ディリップ・クマール・ローイ・・・ベンガル地方出身の音楽家・音楽学者・小説家・詩人・随筆家。ロマン・ローラン、ガーンディー、タゴールと親交があった。バートランド・ラッセルとの対話:http://russell-j.com/ROY-01.HTM
(*2)サルヴァーディカーリー・・・「全ての支配者」。アーシュラムの運営・管理をしていたバガヴァーンの弟のチンナ・スヴァーミのこと。
(*3)ジャマナ・ラール・バジャージ・・・原注によるとインドのバジャージ・グループの創立者。マハートマー・ガーンディーへの奉仕に人生を捧げた裕福な実業家。

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