2012年4月20日金曜日

バガヴァーン・シュリー・ラマナ・ダクシナームールティによる沈黙の教え

◇『At the Feet of Bhagavan - Leaves from the Diary of T.K.SUNDARESA IYER』、p31
 『At the Feet of Bhagavan』は、T.K.スンダレーサ・アイヤル氏の日記を編集したものです。彼は1908年に初めてバガヴァーンを訪問し、1926年からティルヴァンナーマライに留まり、実質、アーシュラムを家としていました。1965年に68歳で亡くなるまで、ほぼ50年間、バガヴァーンの親密な信奉者でした。(文:shiba)
9.沈黙の中の教え

 それはシヴァラートリ(*1)の日でした。母の霊廟での午後の礼拝が終わりました。信奉者たちは、シュリー・バガヴァーンと共に夕食をとりました。は今やその座に着き、信奉者たちはの足元で、を囲んで座っています。

 午後8時に、サードゥの1人が立ち上がり、プラナーム(*2)をし、手を合わせ、願いました。「今日はシヴァラートリの日です。シュリー・バガヴァーンがダクシナームールティへの賛歌(ストートラ)の意味を私たちに解説することによって、私たちはきっと大いに祝福されることでしょう」。シュリー・バガヴァーンが言うに、「ええ。座りなさい」。

 そのサードゥは座り、皆はシュリー・バガヴァーンを熱心に見て、シュリー・バガヴァーンは彼らを見ました。シュリー・バガヴァーンは、いつも通りの姿勢(pose)で、いえ、落ち着き(poise)で座り続けました。言葉なく、動きなく、全ては静寂でした!は静かに座り、皆は待ちながら静かに座りました。時計は鐘を打ち続けました。9時、10時、11時、12時、1時、2時、3時。シュリー・バガヴァーンは座り、彼らは座りました。静寂、平安、不動-体を、時間や空間を意識せずに。

 そうして、そのまま8時間が、安らぎの中で、沈黙の中で、存在の中で過ぎ去りました。そうして、神聖な現実が、バガヴァーン・シュリー・ラマナ・ダクシナームールティによって、沈黙なる言葉を通じて教えられました。

 午前4時の鐘を打ったとき、シュリー・バガヴァーンは静かに言いました。「さあ今や、ダクシナームールティへの賛歌の精髄が分かりましたか」。全ての信奉者は立ち上がり、彼らの存在の歓喜の中で、グルの聖なる姿にプラナームをしました。

(*1)シヴァラートリ・・・シヴァ神に敬意をあらわして祝われるお祭り。シヴァラートリは「シヴァの夜」を意味する。ヒンドゥー暦のマーガかパルグナの月(太陽暦の2月、3月)の後半の第13日の夜と14日に行われる。
(*2)プラナーム・・・相手の足に触れることにより、敬意を表す挨拶。

ラマナ・マハルシの教え-沈黙の力

2012年4月7日土曜日

ナーラーナヤ・アイヤル (昔は信仰心のない徹底した懐疑主義者)の思い出

◇『シュリー・ラマナ・マハルシと向かい合って(Face to face with Sri Ramana Maharshi)』 

100.
R.ナーラーヤナ・アイヤルは、シュリー・ラマナに個人的な奉仕をしました。彼は「Mountain Path」にヴィシュヌのペンネームで多くの記事を書きました。青年のころ初めてシュリー・ラマナのもとへ赴いた時、彼は現代主義者であり、自由思想家でした。
  1929年、ティルヴァンナーマライから30マイル離れたチェットプットで副登記官として雇われた時、私はまったく信仰心のない徹底した懐疑主義者であり、サードゥ、サンニャーシ、スワーミーに言い及ぶ時にはあざ笑い、彼らを私的な目的のために騙されやすい人々を搾取する詐欺師であり、社会への寄食者とみなしていました。

 私の唯一の友人で変わらない仲間は、ラクシュミー・アンマルの息子のラーマクリシュナ・アイヤル医師で、ティルチュリでの少年時代にシュリー・バガヴァーンの友人であり、遊び友達でした。彼はバガヴァーンをよく知っており、アーシュラムを折々訪問していました。ある時、彼は、カーティガイ・ディーパム祭の間、ティルヴァンナーマライに一緒に行くように私を誘いました。

 寺院の祭りの華やかで壮観な景色は、私にとって何の魅力もありませんでしたが、友人の気持ちを傷つけたくなかったので私は承知しました。しかしながら、私は彼に祭りに出かけ、町に滞在している私の両親と一緒にいさせてほしいと頼みました。彼は承知しました。しかし、町の小さな家にぎっしり集まった人の数を見るとすぐ、私はそこより混雑していないアーシュラムにいることを承知しました。途中で、私はいわゆる聖者についての意見を繰り返し、アイヤル医師に、「私はあなたのどんな『馬鹿馬鹿しい行為』にも加わる気はありません。偶然、あなたのスワーミーに出会っても、彼の前に平伏する気はありません。侮辱する意図はまったくありませんが、私の信念に反することはできません」と言いました。

 我々は中に歩を進めました。白い腰布を身につけ、肩にタオルをかけ、一方の手にカマンダル(*1)を、もう一方に杖を持った人が、我々を見て歩みを止めました。友人は歩みを速め、私はゆっくりついていきました。彼はとても親切に挨拶をされ、彼の母親と兄弟の身の上について尋ねられました。礼儀として、私はマハルシに目を向けました。なんという素晴らしい顔つき、なんという好意的な笑顔!魅惑的で、うっとりさせる、そのうえ力強いまなざし!

 たちまちに、私は砂利の上にある彼の足もとにいたのです!私は落ち着きを取り戻し、恥ずかしく思いました。感じのよい微笑みと共に、彼は、「2・3日の休暇ですね、そうではありませんか。アーシュラマムに泊まってかまいません」と言いました。私は何も話す勇気がありませんでした。私は気が遠くなりました。すぐに私は元に戻り、彼が何か本を書いているのか確かめたくなりました。タミル語の「四十詩節で表される現実」の写しを私は受けとりました。最初の詩節を読もうとしましたが、理解できませんでした。単語があまりにぎっしりと詰め込まれ、なんとか詩節を形づくるためにごちゃ混ぜにされているように思えました。私は面食らって、「彼は言わなければならないことを、わかりやすい言葉で言うことはできないのか」と思いました。近くにいた人が、その夜にマハルシ自身が「四十詩節」を我々に解説することになっていると言いました。

 夜に、マハルシは、彼の母親のサマーディ(お墓)がある小屋の中の高座に座りました。我々はだいたい6人ぐらいで、彼の前の地面に座りました。厳粛な静寂が空気に広がりました。絶対的な沈黙がありました。マハルシは最初の詩節を読みました。詩節を読むだけで、その意味を簡単すぎるぐらい簡単にしました!彼は詩節を1つ1つ読み、とても甘美で、音楽のようで、あたかも「どこからか」来る声で説明しました。山場が着ました。ある詩節を説明しながら、彼は、「神を我々の目で見たり、感覚的認識によって知ることはできません。これが、『神を見るとは、神となること』という言葉の意味するところです」と言いました。ダンダパーニ・スワーミーという名の、こわもての、屈強な男性が、「自分自身の体験から、バガヴァーンはそのことを言っているのですか」と口をはさみました。

 このように素朴に、遠慮なく尋ねられた質問は、同じように率直に、「でなければ、どうして私がそのように言えますか」と答えられました。考えるのにたいへん時間のかかることが、一瞬で私に閃きました。神は我々の感覚器官によっては知りえない。唯一の道は、神となること。もし神が人の前に血肉をまとい、ここに現れるなら、彼である。私の体は、私の内の深みのどこからかやって来る身震いを経験しました。何度も何度も、次々にやって来る震えが私の体を揺らしました。私は落ち着くために外に出ました。

 ああ、私は網に捕らえられたようだ!彼と共にいる時間が長くなればなるほど、いっそう彼と共にいたくなる。しかし、ほどなく私は同じく30マイル圏内の町、アミに転勤になりました。そこでは、私は医師の友人がいないのを寂しく思いました。その他の一切の物事への一切の喜びを失い、私はアーシュラムへの訪問を月に1度から週に1度へかえ、他の休日に加え、日曜日にも訪問するようになりました。私はアーシュラムにいつも喜んで迎えられました。

 月に1度の満月の日に、シュリー・バガヴァーンは頭を剃りました。ナテーサンは、その奉仕をよく行った床屋でした。バガヴァーンは腰掛に座り、ナテーサンは立って彼(の頭)を剃ったものでした。ある時、シュリー・バガヴァーンは、床屋が腰掛に座り、その間、彼自身が床に座っているほうがより快適でしょうとナテーサンに大真面目で提案しました!

 私は受け取った手紙へのバガヴァーンの返事をタミル語から英語に翻訳したものでした。私は付き添いの人たちと友人になりました。マードハヴァ・スワーミー、サトヤーナンダ・スワーミー、クリシュナ・スワーミー、ランガ・スワーミーなどです。私が足のマッサージや湿布といった個人的な奉仕をシュリー・バガヴァーンに徐々にはじめた時、彼らは抗議しませんでした。

 時々、彼の筋肉はこわばるか、痛みました。朝の早い時間に、野菜を切り、調理場で働く人に仕事を指示した後、彼は講堂の長いすの上にいて、雪花石膏に彫られた彫像のように、また絵描きや彫刻家のためにポーズをとっている人のようにそこに座っていたり、少しもたれたりしていました。このように1日中座っていることで、彼の筋肉は硬く、柔軟性がなくなったため、いくらかマッサージが必要でした。そうして、私とバガヴァーンの間にある種の親密さがゆっくりと育ちました。

 ある時、私は、「バガヴァーン、あなたはマドゥライの家を離れました。そこで、あなたの親戚はあなたに愛情と親切心をもって接し、あなたの教育にお金をかけていました。あなたはテイルヴァンナーマライへの運賃のために、彼らのお金を使い込みました。誰にも気づかれないように、駅までの道をこっそりと行きました。用具一式をなくした巡礼者を装いました。これらすべては、不正なく、適切であったのでしょうか」と尋ねました。彼は少し沈黙し、それから、「そのことは説明できます。それが汚れのない善であり、誰も害さない時、虚偽さえも真実に近いとクラル(*2)に述べられています」と答えました。

 ある時、私はバガヴァーンに、「私はここに何年もいます。人々は瞑想し、サマーディに入ります。私は1分のあいだ目を閉じると、心は世界を10回巡り、長いあいだ忘れていたとても多くのことが浮かび上がってきます」と言いました。これについて、彼は、「どうして他の人のことを問題にするのですか。彼らは瞑想しているか、寝ているか、いびきをかいているかもしれません。あなた自身を見なさい。心がさ迷い出る時はいつも、心を探求に引き戻しなさい」言いました。

 かつて、数人のとても博学なサンスクリット語の学者が講堂に座り、ウパニシャッドの一部や他の聖典の聖句をバガヴァーンと議論していました。私は心の中で、「この人々はなんと偉大で、なんと幸運なのだろう。彼らはとても博学であり、このように深い理解力と我々のバガヴァーンと議論する能力を持っている」と思いました。私は惨めに感じました。賢者たちが別れの挨拶をした後、バガヴァーンは私のほうを向き、私の目を見て、私の考えを読み、「何ですか。これは形だけのものに過ぎません!本から得るこの一切の知識や聖典を記憶して暗唱する能力は、まったく役に立ちません。真理を知るために、この一切の学習の苦悩を経験しなくていいのです。あなたが真理を得るのは、読書によってではありません。静かにありなさい(*3)、それが真理です。じっとしていなさい(*4)、それが神です」と言いました。

 それから、恵み深くも、再び彼は私のほうへ向き、彼の口調と態度が即座に変わりました。彼は、「あなたは顔を剃りますか」と尋ねました。この突然の変化に困惑して、私は震えながら、「剃ります」と答えました。彼は、「剃るためにあなたは鏡を使いますね。そうではありませんか。あなたは鏡を覗き込み、それから自分の顔を剃ります。あなたは鏡の中の像を剃りません。同様に、一切の聖典は、あなたに悟りの道を示すためだけにあります。それらは修練と達成のためにあります。単なる本から得た知識と議論は、鏡に映った像を剃る人に似ています」と言いました。その日以来、私の長年の劣等感はいっぺんに消えました。

 ある時、私は泣きながら、私はヴェーダーンタについて何も知らないし、家長であるから苦行(禁欲生活)も実践できないとマハルシに言いました。私は現実(*5)か、もしくは、それへの道を示すことによって、私を助けてくださいと彼に懇願しました。また、私は率直に、自らの探求という彼の方法は私には難しすぎると言いました。彼は恵み深く、「あなたは『ウッラドゥ・ナールパドゥ』(四十詩節で表される真理)を知っています。それは純粋な真理を伝え、扱い、説明しています。1詩節ずつ、読み進めて行きなさい。蛇がその皮を捨て、輝きながら出てくるように、やがては詩節の言葉は消え、純粋な真理(サット)のみが輝きます」と言いました。

 ある日、私は、世界にある一切のものはマーヤー、すなわち、幻であるという教えに困惑しました。我々の目の前の物質的な存在と共に、我々がまったく非現実で、存在しないことがどうしてありうるのか私はバガヴァーンに尋ねました。バガヴァーンは笑い、昨夜に夢を見たか私に尋ねました。私は、「数人が横になって寝ているのを見ました」と答えました。彼は、「夢の中にいるその人たちみなを起こしに行き、彼らに彼らが現実でないと告げてくるように、今、私があなたに頼むとするなら、それはなんと馬鹿げたことでしょう!それは私にとってそういうものです。夢を見る人以外何も存在しないので、夢の中の人々が現実か、非現実かという問題が起こるでしょうか。ましてや、彼らを起こし、彼らに彼らが現実でないと告げる問題が起こるでしょうか。我々はみな非現実です。どうしてそのことを疑うのですか。それのみが現実です」言いました。この説明の後、私は客観的な世界の非現実性について疑いを決して抱きませんでした。

 ジーヴァムクタ(*6)について、バガヴァーンは、「ジーヴァムクタとは、どんな思いも、サンカルパ(*7)もない者です。思考の過程は、彼の中で完全に止んでいます。何らかの力が、彼に物事をなさせています。ですから、彼は行為者ではなく、行為させられる者です」と言いました。

 バガヴァーンの慈悲は、私の人生に何度も輝きを添えました。私の妻が亡くなった日は、土砂降りの雨でした。私は火葬が延期になることを心配しました。バガヴァーンは私を手助けするために、アーシュラムの働き手を幾人かよこしました。葬儀を行うには雨があまりに激し過ぎるとバガヴァーンに伝えられた時、彼は、「葬儀を続けなさい。雨は気にしないで」と言いました。遺体が火葬場に運ばれた時、雨はやみ、遺体が燃やされ白い灰に変った後、雨は再び降り始めました。

 1942年に、私は娘を結婚させたいと思いました。私は心の中である適当な若者を考えていたのですが、彼はいくつか異議を唱えました。心配して、私は彼の手紙をバガヴァーンに見せると、彼は、「心配要りません。うまくいきます」と言いました。その後すぐに、その若者自身がやって来て、結婚式は挙行されました。

 人間の体の装いをして現れた至高の意識が、恵み深くも我々の理解の水準まで降りることを引き受け、我々にアートマ・ヴィドヤー(*8)を授けるという途方もない務めを荷ったことは、我々の最大の幸運です。私が得たバガヴァーンとの触れ合いとその衝撃は、「知ってか知らずのうちに、(数々の)人生のうちで、私はこの比類ない恩恵に値する何かを行ったに違いない」と私に思わせるほどに大変なものでした。

(*1)カマンダル・・・水差し、ポット
(*2)クラル・・・タミル文学の代表的古典。ティルバッルバル作(5世紀ごろ)1330詩節から成る箴言集で,インド人が掲げる人生の三大目標〈徳〉〈富〉〈愛〉を題名とする3章から構成されている。
(*3)静かにありなさい・・・Be Quietの訳。
(*4)じっとしていなさい・・・Be Stillの訳。
(*5)現実・・・the Realityの訳。「真実」とも訳せる。
(*6)ジーヴァムクタ・・・サンスクリット語。「生きているうちに解放を達成した者」
(*7)サンカルパ・・・サンスクリット語。「意図、目的」。
(*8)アートマ・ヴィドヤー・・・「自らの知識、知恵」。