2017年10月12日木曜日

オランダ人による「秘められしインドでの探求」-マハルシは人々を解放する

◇「山の道(Mountain Path)」、2014年4月、p9~15、FROM THE ARCHIVES

シュリー・ラマナ・マハルシ

アルナーチャラの賢者

Gualtherus Mees著
この文章は、アーシュラムの記録保管所で最近発見されました。それはオランダ人学者によって記され、オランダのデーフェンテルで、1939年8月にオランダ語の雑誌 Mensdhen Kosrnos, III No.3.に発表されました。Mees博士は素晴らしい学者であり、ヒンドゥー教についての古典 、Dharma and Societyを記しました。彼の代表作は、全三巻の象徴主義の解説、 The Revelation in the Wildernessです。1936年、33歳のとき、彼はバガヴァーンのもとに来ました。彼は多くのバガヴァーンの写真をとり、そのアルバムは今、記録保管所の収蔵品の中にあります。英訳は著者によるものだと思います。
    4年間、私はインドを旅しています。私は多くのヨーギとサードゥを村に、ジャングルに、時には町にさえ、この広大な大陸全域において訪ねました。聖者や賢者とみなされている人について耳にすれば、私はいつも彼を訪ねに行き、たいていはがっかりしましたが、時折、私が期待したものを見つけました。しかしながら、よく言われるように、本当に重要である人々には、私はいつも偶然に出会いました。ラマナ・マハルシは、この法則の例外です。私が思うに、マハルシは、存命のマハルシたちの中で公の生活を送ることを厭わない唯一の人です。この公開なる犠牲的行為は大変なものですが、しかし、彼を困らせたり、かき乱すものは何もないということを人は何度も何度も思い出さなければなりません。

 マハルシが送る生活は、短い時間で他のどのような人をも発狂させるでしょう。というのも、事実上、彼の生活のあらゆる瞬間、彼は公衆の関心の中心にいます。瞬間でさえ、彼は一人でいません。それは聖なる動物か神の生活です。

 言葉の通常の意味においては睡眠とは呼びえない、数時間のひと眠りの後、マハルシは起き上がり、アーシュラムの簡素な調理場に行き、コミュニティーの簡素な、もちろん、純粋な野菜だけの食事のために野菜を切り、調理することに数時間従事します。この仕事において、そのような早い時間に偶然目覚めている他の人たちに手助けされています。6時半過ぎ、沐浴の後、朝食、米粉でできたケーキが付いたコーヒーがとられます。その後、マハルシはアーシュラムの講堂の長椅子の上で事実上一日中座り、そこを離れるのは11時と8時の食事の間と神聖な山の斜面を少し散歩する間だけです。

 日の出と日の入りに、伝統的なヴェーダ学派のバラモンがやって来て、賢者の足元に座りながら、ヤジュルヴェーダからの賛歌を唱えます。さらに正確には、それは賛歌を半分は歌い、半分は唱えていると表現されるかもしれません。それは非常に印象的で、厳粛な方法です。

 一日中、訪問客が行き来し、頭の上で手を組んで体をまっすぐに伸ばして床に平伏することによって、神に捧げる敬意をもってマハルシにあいさつします。この敬意の表明は、他の人への通常のあいさつ以上に賢者に感銘を与えません。そのように賢者たちに敬意を表することは古典的なインドの伝統であり、マハルシは人々が望むように自己を表現する完全な自由を彼らに残しています。訪問者たちはマハルシの足元で何時間か座り、講堂には賢者の長椅子といくつかの本箱以外何も見当たりません。彼らは瞑想し、宗教的な歌、頻繁にアルナーチャラ・シヴァの栄光をたたえた賛歌を歌い、時に宗教的か哲学的な問題に関する質問をマハルシに尋ねます。

 通例、マハルシは黙っていますが、彼が何かの役に立ちうると思うなら、時に長い説明をするかもしれません。そして、彼は訪問者たちに、とりわけ子供たちが彼に会いに来るなら、心地よい言葉をいつでも喜んで話します。態度と振る舞いにおいて、いつも彼は自然で、飾りません。彼は私が知ることで恩恵を得ている、最も飾らない、のびのびとした人物であると私はわずかの躊躇もなく言えるでしょう。あらゆる見せ掛けは完全にありません。分析心理学の概念を使うなら、彼はペルソナを持たない人です。彼の態度が印象付けようと意図していないという、まさにその事実によって、彼の人格はそのような圧倒的な印象を与えています。多くのサードゥとヨーギは、訪問者や信奉者たちに彼らの知恵、神聖さ、もしくは、靈的な力を確信させたいと思います。印象付けようとするわずかの試みでも、しかしながら、真実の印象の可能性をただちに私から奪い去ります。

 この並外れた人物から発する雰囲気を描くことは極めて困難です。両極端が彼の中で出会っています。彼の子供のような無邪気さと高貴な知恵によって、よく親しんでいるものによって、そして、著しく非凡な何ものかによって、人はただちに感銘を受けます。

 マハルシは人生の大部分をアルナーチャラの聖山で隠遁して過ごしましたが、隠遁が世俗での生活よりも良いや、悟りを得るために必須であるとは彼は決して言いません。自らの実現に至る人は周囲の状況によっていかようにも妨げられたり、影響されることなく、どこにでも住むことができると彼は言います。彼の言葉の一つは次の通りです。「放棄とは、上辺(うわべ)を捨て去ることではなく、自我が沸き上がることの解消です。真のサンニャーシンにとって、独居と活動的な人生の間に違いはありません」。完全に公開された彼自身の生活において、彼はこれを実証しています。彼に影響を及ぼすものは何もないと人は感じ、人は知ります。とりわけ、数週間にわたり何千もの人々が毎日彼のもとに来て、警官が交通を規制しなければならない、ティルヴァンナーマライの寺院の祭りの時期、そのような公の生活なる犠牲的行為を可能ならしめるには超人的な力が必要であると人はまた感じます。

 仏教徒のニルヴァーナ、もしくは、ニッバーナに対応する意識の状態、サマーディについては多くの話があり、そのような靈的な放心または没頭、忘我の状態-もしそのようにそれを呼ぶのを好むなら-を私は数人のインドの賢者たちにおいて見ました。様々な種類のサマーディがあり、誰もがそれ独自の専門用語を持ちます。ここで、それらの用語が何であるかはあまり重要ではありません。マハルシの中にのみ、最高の境地、もはや忘我ではなく、絶対的な意識の状態である忘我の境を感じ、見ます。その中に魅力的な要素が形作られるのは、彼が言葉で言い表せない意識の状態に吸収されていると同時に、それでいて彼の周りの日々の生活のまったく通常の物事に気付いているという事実によってです。彼にとっては、彼の中では、「最も高きものと最も低きもの」が一体になっています。おそらく、「一体になっている」だけではなく、本質において一つであると実現されています。神と世界と彼の最深の自らは、彼にとって一つです。

 彼の教義は、最も高みにある哲学的観念論のそれです。それはアドヴァイタ・ヴェーダーンタ、ヒンドゥー教の一元論的哲学あり、一人の人間存在の中に体現されています。手短には、それは以下のようになります。「個々の主体と神聖な主体は、本質において一つである。それが唯一の真理であり、現実である。世界は、これから離れて、その現実の観点からは、無数の見せかけ、変化する夢のようである。あらゆる人の内で起こる創造の過程が、マーヤーである」。

 世界に住む人にとって(実際、あらゆる人が住んでいますが)、マーヤーは「幻」ではなく、考慮に入れなければならず、逃れ去ることのできない事態です。多くの西洋の思想家たちの非難は、このマーヤーの概念に基づき、ヒンドゥー教は厭世的であり、悲観的であるというものですが、これは根拠のないものです。ヒンドゥー教は大いに「実際的な感覚」を持っています。おそらくは、やや持ちすぎています!マーヤーは戯れです。マーヤーは自らの実現に必要です。人はそれを完全に受け入れるべきです。受容の中で、それは靈性の道になります。

 マハルシは生を見通します。彼のメッセージはインドの全ての偉大なリシたちのそれであり、新たな比較によってのみ印象的です。彼の面前、彼の存在は、解放する要素を形作っています。彼は、いわば、人類にとって巨大な磁石です-人々を束縛するためでなく、人々が一緒に持ち運ぶ重荷や問題から人々を解放するために引き付けるものです。他の教師たちはしばしば訪問者や弟子たちを新たな枷(かせ)で縛ります。人々は直感的にこれを感じるため、彼らはそのような教師たちから距離を置きがちです。マハルシに関しては、しかしながら、彼が「彼らをどうかしたい」と全く思わないことを彼らは直感的に感じます。それゆえ、彼の面前では皆が自由の感覚を得ます。さらに、マハルシの面前での素晴らしい体験は、マハルシが彼ら自身の魂に入ることにはなく、彼ら自身の魂の中で彼ら自身のマハルシが目覚めようとしていることにあるのを彼らは感じます。信愛を、その言葉の感傷的な意味において、マハルシの面前に見出すことを期待すべきではなく、また、それを探すべきではありません。

 マハルシは賢者、ジニャーニですが、ラーマクリシュナのように忘我状態になりやすいバクタではありません。しかし、彼は暖かい人情味に満ちていて、バクティ、愛を推奨します。彼の世界における宗教と奉仕の概念は、例えば、以下のような短詩の中に表現されています。

八つの形からなる、この天地万象
神自身の形として我々がただ認め
全世界に敬愛をもって仕えるならば
それが最勝たるの崇拝である

ウパデーシャ・サーラム、第五詩節

    瞑想とはマハルシにとって、自らの実現に向けての秩序だった努力でしかありません。彼が言うには、それは体の特定の姿勢でなく、目を閉じることでもなく、一日の特定の時間のための何かでもなく(もちろん、これら全てのことはその体系において助けになりますが)-人生の活動と休息の全局面にわたる昼夜を問わない一日中の人生の態度です。「最良の形の瞑想とは、単に目覚めの状態にだけ継続するのではなく、大志を抱く者の夢の状態と深い眠りの状態に及ぶ、それです。瞑想は、『私は瞑想している』という意識や考えの余地を残さないほどに力強くあるべきです。」
 
 彼の助言を求め、彼のもとにやって来た誰にでも彼は寛大に助言を与えました。しかし、彼は人々が大っぴらに彼の弟子と称することや、彼をグルとして掲げることを許しませんでした。彼の他の人々との関係性は内的なものであり、話すにはあまりにも微妙で、あまりにも神聖過ぎるテーマです。非常にしばしば、彼の助言の要点は、訪問者たちを励まして彼らの真の私を探求させることです。どこに意識の基礎があるのか。人々はジーヴァ-個々の私とシヴァ-世界が本質において一つであることを発見しなければなりません。単なる推論を通じてこの結論に達することにあまり価値はありません。その意味における理解がなければ、それは害にさえなるかもしれません。

 多くのヨーロッパ人がすでにマハルシを訪問し、彼について記しています。この驚嘆すべき人物の中の根幹となる要素が、まず第一に彼の言葉や行為の中になく、彼の存在という、彼の現前という単純な事実の中にあるのに、世界のごくわずかの人々しかこの恩恵にあずかれないことは、ほとんど気の毒なことです!私が話した幾人かのヨーロッパ人は、マハルシを訪れた後、この訪問のためだけにはるばるインドにやってくる以上の価値があるとみなしていました。

 高い位の英国軍将校(アラン・チャドウィック)は、ただマハルシに会うためだけに、数年前にインドにやって来て、それ以来、アーシュラムに留まっています。相当不慣れな南インドの環境において、ヨーロッパ人にとって-それも、特に英国人にとって-それは大した偉業となるものです。

 結びに、マハルシの著作から、上で言及された英国人によってマハルシと共同で翻訳された詩節のいくつかを選び出します。

あなたがどのような名や形に対して祈ろうとも
それは遍く行き渡る至高者を見出す
手段でしかない。あなたが気づくようになりますように-
汚れなきの中のあなたの真の自ら
そして、それに、祝福に満ちた安らぎに溶け込みますように!
なぜなら、そのようにして完全なる実現が見出されている!
(40詩節、8)

正反対の二組のもの、三組のものも
全てがその源を現実である何ものかの内に持つ
その礎(いしずえ)ハートの深みの中で探し出せ
この礎が見出されるなら、それらは消え去る
それを見出した人々のみが真理を知っている
そして、そのような人々は決して困惑しないであろう
(40詩節、9)

体が自らであると思う人にとって
「私はこれでない」や「私はそれである」という思いは
探求に役立つ。しかし、どうして人はこれを
「私はそれである」を常に思い続けなければならないのか
「私は人間である」と思う人が存在するのか
その思いなく、人は常にそれのみである
(40詩節、36)

人の真の自らから離れて、他の誰が存在するのか
他の人々が言うことが何だというのか
それはまさしく自分自身を褒めたり、けなしたりするかのごとくである
それゆえ、汝が分離している決してと感じず
汝自身の現実である、それから逸することもなく
」の内にしっかと汝を常に立たせよ
(40詩節・補遺、38)

朗々とした声で我に宣言させよ
ヴェーダーンタの本質、そして、他の学派
全ての真髄を。自我を死なせ
汝自身をそれであらせよう!その時、残さるるは
純粋な意識、「」である自ら
そして、これこそが唯一なる現実である
(40詩節・補遺、40)

(shiba注)以上の詩節の元の英文は、アーシュラム発行のThe Poems of Sri Ramana Maharshiに掲載されているチャドウィック少佐が翻訳した英文と部分的に異なっていますが、ここではThe Poems of Sri Ramana Maharshiの英文の日本語訳をのせています。

2017年9月16日土曜日

元不可知論者、物理学教授、N.R.クリシュナムルティ・アイヤル氏の思い出

◇『シュリー・ラマナ・マハルシと向かい合って(Face to Face with Sri Ramana Maharshi)』

48.
N.R.クリシュナムルティ・アイヤル教授(1898-1994)は 、マドゥライのアメリカン・カレッジで33年間物理学を教えていました。1920、30、40年代、彼はアーシュラムの定期的な訪問客でした。彼はThe Essence of Ribhu Gitaを著しました。
  1914年4月、ティルパティへの途中、私の両親はヴィルーパークシャ洞窟にいるバガヴァーンに会いに行きました。他の全ての人々と共にバガヴァーンにお辞儀したとき、彼の恵み深く神聖なまなざしが私に定められました。しかし、私は他の少年たちと一緒にその場所を走り回っていたので、彼にほとんど注意を払いませんでした。帰宅した後、大きな変化が私に訪れました。その時まで、私はどの寺院にも行きたいと思ったことは一度もありませんでしたが、いわば、何か不可思議な魅力によって、私の町のティルチラパッリの岩の寺院の巨大で厳かなマトゥルブーテーシュワラ・リンガムに引っ張られるように感じました。一度、寺院の内部で、大いなる安らぎが私を圧倒しました。私が感じた喜びは形容しがたいものでした。

 1919年1月、ティルヴァンナーマライの姉の家を訪れる機会があったとき、私はスカンダーシュラムでバガヴァーンのダルシャンを得ました。この時もまた、バガヴァーンの恵み深いまなざしは私に印象付けられました。家に着き、朝食後に寝たとき、二時間以上私はしっかり意識がありましたが、同時に、私の体と周囲をまったく意識していませんでした。昼食に起き上がった後でさえ、私の周りの全てのものが夢のように感じました。私の困惑した表情を見た人々は私をからかいました。

 1923年、私の教師としての経歴の最初の年の終わりに、私は再びティルヴァンナーマライの姉を訪れ、アーシュラムに行きました。当時、私は、インドの政治的向上のために働いていたガナパティ・ムニのような人々に対してとても共感していました。私はまた、国の解放のために指一本も上げないバガヴァーンのような人々に対して怒りを感じていました。私は、その時、不可知論者でした。私は言いました-自然は自分で自分の面倒を見る。どこに創造者の必要があるのか。

 当時、アーシュラムには、母のサマーディを覆う小屋を除き、建物はありませんでした。バガヴァーンが彼の近くの犬を撫でながら、木の下のベンチに座っているのを私は目にしました。我々バラモンの間では、犬は清浄を汚す動物でした。マハルシへの私の敬意の大半は消え失せました。私は彼に尋ねました-あなたはそのように座っています。あなたの次のスティティ(状態)は何でしょうか。

 私の考えは、肉体の解消の後に生き残る魂があり、後で神に統合するという答えを彼から引き出すことでした。そうではないということを証明するために、私は彼と言葉で一戦交えたかったのです。数分経ちましたが、何の返答もやって来ませんでした。私は心の中で思いました。「この人は、都合の悪い質問に答えるのを避け、馬鹿げた無関心の沈黙の下に逃げ込んでいるのか」。ちょうどその時、バガヴァーンの声が響き渡りました。「スティティ、あなたの言うスティティとはどういう意味ですか」。

 私はその質問に備えていませんでした。私は心の中で思いました。「うわっ、この人はとても危険だ、彼は危いぐらい生き生きしてるぞ。しかるべき配慮をして答えないといけない」。私は考え始めました。もし私が彼に体について尋ねるなら、それは無益な質問だ。体は埋められるか燃やされるだろう。さあ、質問が心の状態についてであると私が言うなら、当然、彼は心を定義するよう私に尋ねるだろう。その答えは私の内に現れようとしない。私は穴にはまり込み、無力な口をきけない人のようでした。バガヴァーンの目には凄まじい輝きがあり、それは私自身の目をしっかり捕らえ続けました。私は体と世界の意識を共に失いました。それがどれほど続いたのか分かりません。我に返った後、私はマハルシがひどく恐ろしくなりました。我知らず、私は平伏し、一目散に逃亡しました。

 次の訪問のとき、アーシュラムのサルヴァーディカーリが私を昼食に招待し、私の到着の数週間前、私の父と母がアーシュラムにやって来て、バガヴァーンとアーシュラムにいる人々にビクシャーを差し上げたと私に言いました。昼食後、バガヴァーンの写真と小さな本を二冊-アルナーチャラ・ストゥーティ・パンチャカムとラマナ・ストゥーティ・パンチャカム-を彼は私にくださいました。私がこれらの贈り物をもってバガヴァーンに近づいたとき、彼は二冊の本の中の印刷ミスを万年筆で訂正し、それらを手のひらで撫で、その神聖な彼の手でもって私に返しました。

 夕食を終えた後、私はバガヴァーンの短い散歩について行き、尋ねました。
N.R.K: バガヴァーン、私はラーマ・ジャパをしています。私は「ラーマ、ラーマ、ラーマ」と唱えています。「アルナーチャラ・シヴァ、アルナーチャラ・シヴァ」と唱えることは、それより優れていませんか。 
バガヴァーン: いえ!いえ!両者は同じものです。「ラ」は「それは~である」を意味し、「マ」は「あなた」を意味します。アルナーチャラの「ア」は「それ」を意味し、「ル」は「あなた」を意味し、「ナ」は「である」を意味します。それゆえ、両方ともが「そが汝なり-あなたはそれである」を意味します。 
 あなたの心を口として使い、主ヴィシュヌのチャクラ(円盤状の武器)のように、ラーマという名前を心の中で途切れなく回転させましょう。他の誰にもあなたがジャパをしていることを知らせないようにしましょう。 
N.R.K: もし私が全ての時間をそのように使うなら、私の教職はどうなるでしょうか。私の仕事が危険にさらされるのではないでしょうか。
バガヴァーン: あなたが復唱する名前を持つ者が、その責任を完全に負うでしょう。あなたがそれについて心配する必要ありません。ラーマ・マントラを復唱し続けなさい。 (↑ Ramana Periya Puranam p318からの内容を追加し、読みやすいように対話形式にしています。 shiba注)

 アーシュラムを離れる前、サルヴァーディカーリがミーナクシ寺院の厳かな聖像、ナタラージャの写真を彼に送るよう私に頼みました。少年ラマナは、マドゥライを永久に離れる前、恍惚の涙をさめざめと流しながら、その像の前で長い時間立っていました。彼はまた、ティルチュリのラマナが生まれた家とそこの他のいくらかの場所の写真も欲しがりました。それらはスッダーナンダ・バーラティによるタミル語の伝記Sri Ramana Vijayamの中に配置されるよう意図されていました。私の生徒であり、熟練の写真家、P.R.S.マニの助けによって、その要望を満たすことに成功しました。

 1930年の終わり頃、私は寝たきりでした。痛みと苦しみがとてもひどかったもため、ただこれ以上痛みに耐えられないという理由から、私は真剣に自殺を考えていました。妻は彼女の両親に私の命が危ないと電報を打ちました。翌日、私は妻に数日以上生きられないかもしれないと告げました。

 かろうじてそれらの言葉を話した後、ティルヴァンナーマライから帰ったばかりで、偶然そこにいたシュリー・ラマナの少年時代の友人、ヴィラチ・マニ・アイヤルが、バガヴァーンのヴィブーティとクムクムのプラサードを取り出しました。彼は少量のクムクムを私の額(ひたい)に置き、ヴィブーティを私の眉の上にこすり付けました。即座に、ゾクゾクするような喜びが私の全身を震わせ、良好な健康状態の感覚で私を満たしました。私はベッドから体を起こし、妻に言いました。「とても具合がいいよ。私は死なないだろう。心配無用だ」。

 その夜のうちに、妻の両親が私のいとこのラージャゴーパル医師とともに到着しました。彼は我々をカルールの彼の家まで連れて行き、ひと月私を治療し、それまでに私は健康を完全に取り戻しました。その時、私はトリッチーで聞いた歌を思い出しました。「ジャイ・シュリー・ラマナ!我が主ラマナ、シヴァに勝利あれ!」。私の魂は同じ歌を歌っていました。

 私の66歳の父は脱腸と喘息の両方を患っていました。これらの病気は、バガヴァーンが生まれた家を手に入れるための交渉に必要だった、マドゥライとティルチュリ間の頻繁な旅のためにさらに悪化しました。取引が終わり、その不動産を3000ルピーで獲得した後、交渉に関わった他の人たちと共に父はティルヴァンナーマライに戻り、そこで彼は絞扼性脱腸に襲われました。

 その発症は突然で、深刻なものでした。彼を車でヴェールールの病院に運ぶことは可能でありませんでした。バガヴァーンの忠実な信奉者、アーシュラム住み込み医師のクップスワーミー・アイヤルは思い切って、地元の病院に手術台を即席で作りました。

 手術に取り掛かる前に、彼はバガヴァーンのもとに行き、彼に成功を祈りました。父は手術を無事に切り抜けました。それはマドゥライの専門医がその年齢と健康状態では致命的になるだろうと言っていたものでした。

 父の命が救われたことが明らかになったとき、私はバガヴァーンの前で平伏し、言いました。「この一回、バガヴァーンは奇跡をもたらし、父の命を救いました!」。バガヴァーンは不意に言葉を差しはさみ、言いました。「どうしてあなたは『一回』と言ってるのですか。どうしてあなたは『三回』と言っていないのですか」。同じような状況で父の命を救うために何年も前に彼の恩寵が求められ、手に入れられた、以前の二回の機会について、どうしてバガヴァーンが覚えていたのか、いや、むしろ、知っていたのかは、私にとって常に謎のままでしょう。

2017年8月30日水曜日

第四の状態、トゥリーヤ - 心の消滅後に現れる最終的かつ自然な境地

◇「山の道(Mountain Path)」、1985年10月、p272~273

トゥリーヤ-自然な境地

N.N.ラジャン

   純粋な意識絶対的」境地は、ヴェーダーンタの用語でトゥリーヤと呼ばれています。それは目覚め・夢・眠り-三つの状態全てに行き渡っているため、通例、第四の状態と呼ばれています。

 バガヴァーン・シュリー・ラマナによれば、それは第四の状態と呼べません。それは自然な境地です。それは常に存在し、存在そのものと同じです。それは新たに得られません。それは無知のために実現されていません。目覚め・夢・深い眠り-三つの状態に言及するとき、分析のためだけに、それは第四の状態と名づけられています。文字通りそのように受け取られるべきでなく、厳密にはそれとして呼ぶことはできません。

 この関与しない意識は、常に存在する目撃者であり、目覚め・夢・深い眠りという変化する状態と対比して、決して変化を経ません。それは三つの状態の下の礎(いしずえ)です。トゥリーヤは、自らの別名です。一人の自ら-実現した賢者は常にトゥリーヤの境地に打ち立てられています。三つの状態は変化し続け、束の間のショーのように見え、最終的にトゥリーヤにのみ溶け込みます。

 心は思いの束でしかありません。トゥリーヤに、心はありません。深い眠りの中にも、心はありませんが、無知のために、我々はトゥリーヤにいるような至福を実現しません。トゥリーヤでは、三つの状態は拭い去られ、誕生と死を引き起こす種は残っていません。

 月はその光を太陽から得ています。同じように、心はその光を自らから得ています。太陽が輝き始めるとき、青白い月の円盤だけが目に見え、太陽の光の中で不要になります。そのようにまた、自らが実現されるとき、心の必要はなく、無用となります。

 全創造物の共通の殻の内に、超越的な礎(いしずえ)、純粋な意識が存在します。眠りの中、我々は理解することなく広大無辺の至福を享受します。それが意識的に体験されるなら、それはトゥリーヤ、自然な境地です。

 反射した意識の光のために、ジーヴァは目覚め・夢・深い眠りの状態を経験しますが、自らは唯一の実体として不変不動のままであり、沈黙の目撃者として留まり、終始一貫して存続します。

 体、心、知性の自覚は、深い眠りの中で消え失せますが、それでも、ジーヴァは存在し、至福ははそこに、認識されずにですが、あります。

 心を失った場合の体験について恐れていた質問者に対して、バガヴァーンは返答しました-「毎日、あなたは眠りに入り、その中であなたは心を失ってますが、それを恐れていません。逆に、あなたは眠りを求め、その後、『気持ちよく眠った』と言います。ヴィチャーラ(探求)によって、心は水晶のように純粋になり、その進んだ状態で、自らに溶け込みます。心の消滅後、明確に現れる至高の意識は、普通の人間の理解を超えています。個人性は、心と関係のない継続的な過程である自らによって支えられています。心の消滅後、『私は体である』という思いを失った意識の、よりいっそう現実的で自然な境地(トゥリーヤ)が現れます。心は自らの反射した光によってそれ自体を投影します。元になるもの、自らそのものが実現されるとき、どうして非現実の影のことを気にしますか。行為と言葉のための指示は、何の媒介もなく独り輝く自ら(スプラナム)から直接、閃光のように湧き出ます。さらに、心のいたずらによってたいてい引き起こされる作りごと、混乱、歪曲はありません。自らのみ留まり、これが最終的かつ自然な境地です」。

 どうして心を信じられますか。対応する外的対象物なく、心が夢の中で考えを抱き、物事を想像し、投影できるなら、どうして目覚めの状態の間にも非現実である対象物を創造できませんか。目覚めの経験もまた、夢の経験ほどに現実的であるということになります。

 真理実現の結果として、一切の二元性は消え去るでしょう。その後、心はそれ自体を自らの中に失い、自らのみ輝きます。

2017年8月24日木曜日

ヴィータハヴヤの物語 - 一切を放棄し、トゥリーヤに自らを打ち立てた賢者

◇「山の道(Mountain Path)」、1976年4月、p116~118

『ヨーガ・ヴァーシシュタ』からの物語-Ⅷ


ヴィータハヴヤの物語

M.C.スブラマニアンによるサンスクリット語からの翻訳

ヴァーシシュタ曰く:
 おお、ラーマ!人に至高の境地を得させうる別の道、賢者ヴィータハヴヤが着実にたどった道があります。ヴィンディヤ山脈の洞窟に住む、この賢者は、ヴェーダの最初の部分に定められた宗教儀式の遂行をたいそう愛好していました。しかし、長い時間が過ぎ、これらの儀式が恐ろしいサンサーラにかかわる錯覚とぞっとするような身体的および精神的苦しみを作り出しただけであることに気づきました。彼は悲しくなりました。それで、彼は完全に行為を放棄し、ニルヴィカルパ・サマーディを修練するためにバナナの葉でできた小屋に通いました。彼は鹿皮を清潔な場所に広げ、その上に、上向きの足(裏)に(手の)指を乗せて、蓮華座で座りました。彼は徐々に外的および内的対象物から五感を引き戻し、心が様々な方向に出て行くのを止めました。彼は心の安定を保つ様々な方法について考えました。彼は心の中で考えました:

 「なんと奇妙なことか。全てのものから心を引き戻したときでさえ、波にとらわれた木の葉のように、心は何度も何度も不安定になる。それはその壺からその布へ、その布からその荷車へと行く。そのように、木々の間の猿のように、心は一つのものから別のものへと飛び移る。目や他の器官は、心のための五つの通路である。地下世界が地上世界と何の関わりも持たないのとまさしく同様に、それらは自らと異なり、それと何の関わりも持たない」。

 心に呼びかけ、彼は言いました:
 「おお、心なる、さ迷うチャールヴァーカよ!おお、どこにでも物乞いに行く、あなたよ!いたずらに嘆きながら、世界をさ迷うことなかれ。『私には意識がある』というあなたの確信は、誤りである。おお、愚か者よ!純粋な意識と心は同一ではない。それらは全く似通っていない。『私は自らである』というあなたの自己中心的でうぬぼれた概念は、まったく間違っている。自我意識の結果である、この錯覚を捨て去れ。探求しないかぎりにのみ、あなたは存在する。探求するとき、光の前の暗闇のように、あなたは存在しなくなる。あなたは過去に決して存在せず、現在も存在せず、未来も存在しない。私はあなたに別れを告げた。私は今や冷静で、穏やかである。私は幸運にも私の熱病から回復している。私は今や私の自らに、トゥリーヤの境地に住まう。生まれることなく、純粋な意識であるは、目撃者のごとくある。

 五感に向かって、彼は言いました:
 「おお、五感の集団よ!ああ!どうして無意味に自分自身を悩ませるのか。蛇を恐れる旅人のように、プッカサ(とても低いカーストの人々)を恐れるバラモンのように、純粋な意識は五感から距離を置いている。純粋な意識を忘れ、気まぐれな思いに向かうことが、悲しみを作り出すものである。自らが意識のない心の一切の概念を免れていて、体の自覚がないとき、それは純粋な意識として知られている」。

 これらの結論に達した後、ヴィータハヴヤは心を力づくで制御し、絶対的に無欲で、五感の動揺を免れたままありました。燃料を燃やし尽くした燃え盛る火のように、彼の生命力は徐々に彼の内に退きました。蓮華のつぼみが半ば開いたかのような彼のわずかに開いた目は、鼻に向けられました。彼は頭、首、胴体を真っすぐ一直線に保ちました。彼は石から切り出された彫像、絵画の中の人物像のように見えました。彼はこの状態で300年留まりましたが、この年月は半時間(ムフールタ)のように過ぎ去りました。そのうちに、彼の体は雨季の洪水によってもたらされた泥で覆われました。彼はさらに300年後に目覚めましたが、四方八方が泥にすっぽり覆われていたため、体を動かせませんでした。彼は体に気づいていましたが、全ての通路がふさがれていたため、その中には生命力の動きがありませんでした。この状況で、彼は様々な創造物を強く想像し始め、(彼の想像力の力によって)彼は実際にそれを体験しました。彼は、カイラーサ山の森の中のカダンバの木の下で賢者として100年(彼の想像の中で)生きました。彼は次に、ヴィディヤーダラとしてもう100年生き、5ユガの間、インドラとして神々に敬われて生きました。その後、彼は、1カルパ(4ユガ)の間、三日月を頭にかぶる神(つまり、シヴァ)の従者でした。彼はこの全ての人生を想像の中で体験しました。

 ヴィータハヴヤはまた、彼の全ての過去を見たいという望みを抱いていました。即座に、彼は彼の全ての以前の体を、いまだ存在していたヴィータハヴヤとして知られる体さえも見ました。彼はそれを適切に見るためにそれを立ち上がらせたいと望みました。彼は思いました。「この体は泥にすっぽり覆われている。それゆえ、私は太陽神に入り、それを立ち上がらせよう。彼の従者、ピンガラが私のためにそれを立ち上がらせるだろう」。それで、空気が取っ手が2個付いたふいごに入るように、彼は微細な体の形で太陽に入りました。全知のラヴィ(太陽神)が賢者が彼の中に入るのを見たとき、彼は従者ピンガラに適切な指示を出しました。その後、ヴィータハヴヤはピンガラの体に入り、ピンガラはヴィンディヤ山脈の洞窟に向かって進みました。彼はすぐに見事な雨雲が漂う美しいあずまやと洞窟を含む森に到着しました。彼はヴィータハヴヤの体を含む洞窟に入り、彼の爪で掘り、それをすっぽり包んだ泥を取り除き、湖から蓮華の根を引っ張り上げるのとまさしく同様に、それを引っ張り上げました。(ピンガラの内部にあった)ヴィータハヴヤの微細な体は今や彼自身の肉体に入り、ピンガラは彼の天空の住まいに戻りました。

 その後まもなく、ヴィータハヴヤは近くにある蓮華で覆われた澄んだ水の湖に進み、そこで沐浴した後、太陽神を崇拝しました。その後、彼は愛着なく以前のように生活し始めました。彼は友情、平静、知恵、満足、慈悲で満ちていました。

 彼は最上の世界を見ていましたが、もう一度、心を制御したいと望みました。彼は心の中で言いました。「五感は以前、私によってよく制御されていた。今や私が思いから得るものはこれ以上何もない。もろいつる草を引きちぎるのとまさしく同様に、私は存在および非存在についての一切の思いを絶とう。そして、後に残るものに没頭し、山の頂上のように、変わらぬままでいよう。私が目覚めているとき、私は眠っているようであり、私が眠っているとき、私は目覚めているようである。私は不変の自覚であり、善悪に無関心である。私は絶対的に純粋である。私自身をトゥリーヤの境地に確立し、今や私は心を完全に制御して留まってる」。彼は次に、6日間サマーディに入りました。彼が目覚めたとき、一瞬間、眠りに落ちていた旅人のように感じました。

 その後、かのシッダであり優れた禁欲行の人、バガヴァーン・ヴィータハヴヤは、ジーヴァンムクティの境地に長い間そこで住まいました。受容と拒絶についての全ての考えを取り除き、彼の心は欲望と無欲を超越しました。サンサーラの一切の痕跡なく、人生の終わりにヴィデーハムクティの境地を得るであろうことを彼は知っていました。かつて、蓮華座で洞窟の中で座りながら、彼は心の中で考えました:

 「おお、愛着よ!離欲せよ。おお、憎しみよ!憎しみであることをやめよ。私はあなたと長年にわたり戯れてきた。おお、世俗の楽しみよ!あなたに敬礼する!両親が子供にするように、私は何十万もの人生の間、あなたに愛撫されてきた。至高の至福なる、この聖なる境地さえ私に忘れさせた喜びに敬礼する!おお、苦しみ(ドッゥカ)よ、あなたに敬礼する!あなたによる刺し傷と促しのために、私は正しい道を探した。おお、好ましい(つまり、良い)行いよ!あなたは長年の間、私の親族であった。私の中に自らの知を作り出した後、あなたは自分自身を滅ぼした。おお、母なる欲望よ、あなたに敬礼する!あなたは独りぼっちになり、やせ、動かなくなった。私のために悲しまないように。主カーマ(愛の神)よ!あなたに対して私が犯した過ちを許したまえ。私は今や独居での静穏を楽しんでいる。私を祝福せよ。おお、善行の神よ、あなたに敬礼する!あなたは以前、私を地獄(ナラカ)から立ち上がらせ、天国(スヴァルガ)を得させた。おお、生命力よ!あなたが祝福されますように!あなたは私の生まれながらの古き友だった。しかし、私はあなたの元を離れ、去って行く」。

 このように、(あらゆるものを放棄しようと)心を決め、彼は完全に思いと欲望がなくなりました。ゆっくりとプラナヴァ(神聖な音、オーム)を発し、彼はヨーガの境地を得ました。彼は、単に想像されただけであった三世界の一切の対象物-内外の、微細な、粗大な-を拒絶しました。長々と続くオームの語末の音節の音が聞こえなくなったとき、彼は五感の一切の対象物を拒絶しました。その後、彼は上りつつある意識を妨害していた暗闇(無知)に打ち勝ちました。彼は一瞬間、突如出現した光輝を観想し、その後、それもまた拒絶し、その結果、暗闇も光もありませんでした。彼は一瞬間、彼の境地にも観想し、その後、それもまた拒絶しました。彼は次に、一瞬にして、傾向性なく出現した生得的な意識を拒絶しました。彼はパシャンティ(文字通りは、見ること)として知られる境地に達し、しばらくの間、純粋な存在として留まった後、深い眠り(スシュプティ)に似た境地へと移り、その中にしっかりと留まりました。自らを堅固にスシュプティに打ち立てた後、彼はトゥリーヤの境地へと移り、その中で至福-それを作り出す対象はありませんでしたが-を経験しました。彼は今や、存在し、かつ、存在していないかのように感じました。この境地で、彼は言葉で表現できないもの-空(くう)を信じる者たち(シューニャヴァーディン)にとっての空、ブラフマンを信じる者たちにとってのブラフマン、意識のみを信じる者たち(ヴィジニャーナヴァーディン)にとっての純粋な意識、サンキーヤ学派にとってのプルシャ、ヨーガ思想学派にとってのイーシュヴァラ、聖典シヴァ派にとってのシヴァ、時(カーラ)のみを信じる者たちにとっての時、アートマンを信じる者たちにとってのアートマン、自らを信じない者たちにとっての自らならざるもの、マーディヤミカ思想学派にとってのマーディヤマ(中)、あらゆるものを等しく扱う者たちにとっての全て、全ての聖典の結論、全ての核心(ハート)に存在し、万物であり、全てに行き渡り、万物の本質であるもの-になりました。彼は、絶対的に変化なきもの、実体験によってのみ理解されうる光輝の中の光輝になりました。彼は多でも一でもあるもの、不浄でも清浄でもあるもの、不完全でも完全でもあるものになりました。彼は誕生と死を超え、始まりも終わりもない、部分を持ちながらも部分を持たない、かの純粋な境地に打ち立てられました。彼は空(そら)よりも純粋なイーシュヴァラになりました。三万二千年間、望むままに生きた後、彼は分離した個人として存在するのを完全にやめたため、彼は再誕の可能性を失いました。

2017年8月12日土曜日

ジョン・A・チャンプニーズ (体に不自由のあるイギリス人)の思い出

◇「山の道(Mountain Path)」、1986年7月、p175~181

 どのように私はバガヴァーンのもとに来たのか

 ジョン・A・チャンプニーズ

 私はかなり変わった子供であったに違いありません。中等学校の時、私のおもちゃの一つが、水に浸かっているとき鮮やかな緑の染料を出していることに気づき、これはまさしく火星の精霊を呼び起こすためのものだと私は決めました。ある日、洗面所で、私はこの緑色の化合物を壁に塗り始め、私の信心の助けとなるように、紙をびりびり破いて火をつけました。黒煙の雲が学校の実験室から出ているのが目撃されると、消防隊が呼ばれました。異教の儀式に歓喜し、うっかり放火をはたらいている、この若い車いすに縛られた変人を目にすることは、校長にとって全く喜ばしいことではなかったはずです。

 10代後半の朝食後のある朝、母が健康雑誌を拾い読みしていたのを私は覚えています。ヨーガの長所を褒めたたえるディスプレー広告が私の注意を引きました。母にその言葉の意味をたずねると、それは体の姿勢の体系-実際、インドの体操の一種-であり、肉体的健康と長寿に資することになっていると彼女は答えました。引き続き彼女は、私の深刻な身体的障害のため、そのテーマへの私の興味は全く不適当であると言い足しました。彼女は正しく、確かにその広告は身体的幸福(健康)を大いに強調していました。

 しかしながら、私が感じていたものは「興味」とは言い難いものでした。なぜなら、何らかの理由から、ヨーガというまさにその言葉は私の胸の中に火を燃え上がらせたからです。食事を済ませることもなく、松葉づえを身に着け、よたよた歩いて外に出て、特別に改造した車まで行き、すぐに地元の貸し出し図書館まで-私自身や他の誰の好みにとってもあまりに速い速度で-運転し、ヨーガに関する本を5冊取り寄せました。

 翌週かそこらの間、私は食卓の前に座り、手を組んで親指をくるくる回しながら、本が到着するのを待っていました。この落ち着かない様子は母をいらだたせ、その訓練はボール一杯分のすりおろしたニンジンをむしゃむしゃ食べる間に逆立ちするような奇異な癖-ウサギによってはるかに効率よく行われうると彼女が正しくも主張した習慣-を身につける結果になるだけだという旨の証拠を(彼女は)提供し続けました。それよりも重要なものがヨーガにはあるはずだという立場を私は熱情的に継続し、私の身体的障害に起因する痛みや不快から解放する神秘的な螺旋や液状の恍惚状態を夢見ていました。

 ある晩、口論を終わらせんとして、父は卓越した良識でもって、その言葉が実際に何を意味しているか知るために辞書を持ち出してはどうかと提案しました。私は乗り気でこの助言に素早く従い、見出し語を見つけました : "yog'a, n. 信奉者の魂と遍在する靈との再結合をもたらすことを目的としたヒンドゥー教の哲学的瞑想および禁欲主義の体系。"

 私が得ていたかもしれない個人的勝利の利己的な感覚は、それが私に人生には確かに目的があるということを証明したという事実によって素早く縮こまりました。本が届いたとき、私は即座にむさぼり読みましたが、定義に関して「正しい」ことによる私の勝利はピュロス王のそれ(割に合わない勝利)
でした。なぜなら、それら(の本)は全てヨーガの目的がサマーディの至福であることに合意していましたが、その目的がニンジンをムシャムシャ食べることや体をもつれ合わせようとすること-重度の身体障害を持つ誰かさんには不可能なこと-なしには得られないということを規定する点においても同意見だったからです。

 絶望の時期に、私のヨーガへの情熱が身体的健康の強調によってどのように挫(くじ)かれつつあるのか図書館長に話し、精神的および靈的な道のりの輪郭を示す何か読むべきもの-端的に言えば、ハンディキャップのある人を分け隔てすることのない実現の方法-を私のために探してもらえるか彼女に尋ねました。彼女は自分が調べられるものは調べましょうと約束し、驚くほど短期間の内に、私への本が到着したという伝言が私の家に伝えられました。

 私はオースチン・ミニに乗って図書館へと馳せ参じ、図書館員は私にアーサー・オズボーンによるRamana Maharshi and the Path of Self-Knowledgeを差し出しました。習慣どおり、私は素早く遊び紙を探し、読みました-「知恵と理解のヨーガ(の修練)は・・・・煩雑な運動や無理して体をもつれさせる必要は・・・・ありません』。それはあたかも私の内部に閉じ込められた蝶が今まさに解き放たれたかのようでした!

 私は本を読みながら、私の魂の前庭で気分を浮き立たせる恋愛関係が展開されつつあるような感覚を覚えました。私の注意はアルナーチャラに釘づけにされ、奇妙にも本のページ自体がティルヴァンナーマライの香り、色、雰囲気を放っていました。別世界の使命に乗り出すためにティルチュリという村を離れた若者について読みました。私をまっすぐに見通し、私をのぞき込み、私をからかい、私と戯れる、この非常に美しい少年の写真を見つめながら、私の心臓が鋭い音をたてるように感じました。そして、私が年を取った年配の男性としてのマハルシの写真を熟視したとき、彼の慈悲が私の悪癖と弱点を理解し、一瞥でそれらを覆い隠したことを私は知りました。その後、その顔は私の全存在に浸透し、バガヴァーンは私の心を溶かしました。

 「マハーサマーディ」の章を読むや否や、両親が気付くといけないから、私は涙が顔から流れ落ちないようにしなければいけませんでしたが、両目をうるませないようにすることはできず、その抑圧の試みのせいでまぶたの背後がチクチク痛むのは、無数の針や星で刺されるようでした。

 その本の総合的な影響は、呆然とした方向感覚の喪失のそれでした。なぜなら、私の家庭生活なる小さな宇宙は、今やあまり重要でないように思えたからです-事実、それはほとんど重要でないように思えました。肝心であったのは、この信頼できる(credible)人-ラマナ・マハルシ-が、ニルヴァーナ、すなわち、自らの実現という信じがたい(incredible)境地を達成したこと、ごく最近まで我々の間で生活していたことでした。

 その頃、私は鮮明な夢を見ました。夢の中、砂砂漠で、私はバガヴァーンを前にして足を組んで座っていました。その後、私の自我が身体的に完全な体を帯びたことに気づきましたが、ほとんど全ての夢で私のスクシューマ・シャーリアは目覚めている時の体と同様にハンディキャップがあるように見えました。いつものように、バガヴァーンは沈黙していましたが、あまりにも輝きを放っていたために空気そのものが黄金のオーラをまとっていました。3人目の男が私の右に足を組んで座っており、しばらく後、彼は口を開き、バガヴァーンに質問しましたが、バガヴァーンは返答を差し控えました。数分経過後、その男は再び質問し、今回はその声に切迫した様子がありました。そのうちにバガヴァーンの唇から返答が発されましたが、彼はとても静かに話したので、彼が言っていたことを私は聞き取れませんでした。その男は文句を言い始め、まもなく彼の話し方は口汚くなりました。次の瞬間、彼はバガヴァーンから顔をそむけ、あまりに不機嫌に立ち去ったために彼の足は土煙と砂ぼこりを蹴り上げました。土の一部が私にかかりましたが、その大部分はバガヴァーンにかかり、彼は顔を私の方向に向け、静かではあるがとても強調して言いました。「あなたの怒りよりも、むしろ、あなたの愛をもらいたいですね」。

 私の即座の反応は驚愕のそれでした。「私はあなたに対して怒ったことは決してありません。あなたを罵ったのは別の人です-私でありません!」と言おうと試みましたが、その言葉は喉から出てこようとせず、この息の詰まる感覚は夢が消えつつ、終わりつつあることを意味するのを私は知っていました。私はまた知っていました-虚構の存在なる、この(夢の)世界の崩壊が、私の無言の訴えへの答えは私自身で解かなければならないであろう何かであることを意味することを。

 この夢は私にティルヴァンナーマライのラマナーシュラマムに手紙を書かせました。自由にコミュニティーに滞在してよいということを手紙でガネーサンから聞いたとき、私の熱意は高まり、インドに行こうとする私の決意は増しました。しかしながら、私はアーシュラムに私の身体的障害を知らせることを怠っており、私の家族は、公正を期してそれについて絶対伝えるべきだと指摘しました。それで私は再びガネーシュに手紙を書き、彼に完全に状況を説明しました。しかし、私の心が私が得るかもしれない返答への悪い予感で一杯であったことを認めざるをえません。しばらくして、手紙がインドから舞い戻ってきました。それは私が恐れていた答えを含んでいました。それは極めて思いやり深い手紙でしたが、私が意図した旅行を思いとどまらせようとしていました。シュリー・バガヴァーンの恩寵は時間と空間を超越すること、彼の愛には際限がないこと、そして、彼のサニッディ、彼の存在の直接的な体験を得るためには、ただ彼について瞑想し、考しなければならないだけであるとそれは指摘していました。もちろん、アーシュラム当局は全くもって正しかったのです。シュリー・バガヴァーンは、ティルヴァンナーマライにその身で旅することができない人々にとって恵み深さそのものです。実際、時折、彼はそこに行くことができない人々によりいっそう恵み深くさえあると大胆にも付け加えさせていただきたいと思います。しかし、遠い昔である1970年に、二十(はたち)の未熟な若者として、私はそのように見ることはできませんでした。なぜなら、夢にバガヴァーンが現れたことは、まい進し、付き添いなしで旅をする力を私に与えたからです。しかし、これは行うには非常に愚かなことであったかもしれないことを今や私は分かっています。

 私は何が起ころうとも到着する予定であることをアーシュラムに知らせ、ルシア・オズボーン夫人がアーシュラム近くの彼女の家で私の世話をすることを親切にも了承しました。それは、(夫の)アーサー(・オズボーン)が亡くなったばかりであることを考慮すれば、彼女の側の極めて思いやりのある行為でした。

 ティルヴァンナーマライへの旅は行われ、それはとても美しく、興味深いものでしたが、私は根本的な間違いをしていました。若いヴェンカタラーマンが、一気に自らの実現を得た後、16の年でアルナーチャラヘ赴いたために、同じことが私にも起こるだろうと私は自然に思い込んでいました。私はアーサーの本に深く心動かされていて、バガヴァーンは夢の中で私のもとに現れました。今やただ一つのことだけが残っていました-私はティルヴァンナーマライに行き、私と車いすが旧講堂に入る手助けを誰かがしてくれます。次に、私は瞑想し、ラマナの顔つきを見るとすぐに彼はしかるべく私を手ほどきし、その後、私に完全な自らの実現が与えられ、ニルヴァーナの至福に浸ります。おしまい、おしまい。

 しかしながら、私は確かにアルナーチャラに行き、彼らは確かに旧講堂に(そこのかなりやっかいな踏み段にもかかわらず)私を入れてくれましたが、バガヴァーンは私に手ほどきせず、やすやすと実現を私に手渡しもしませんでした。私は希少疾患に苦しんでいるときに、専門家に会うために地球を半周旅する患者のように感じました-あいにく彼がついに待合室に入ると、医者はほんの少しもその症例に関心をがないようなのです。

 私はティルヴァンナーマライを愛していましたが、バガヴァーンからサークシャートカーラムを得なかったために、憂鬱の波が私を圧倒したものでした。実際、最も優れた靈的体験は、イングランドの頃にあったのです。

 後に私が発見したのは、実のところ、バガヴァーンはその専門の医者であり、悪い時は彼がその気遣いを引っ込めたことを意味しないということです。患者が治療のために医者に行くとき、彼はその患者に多大な痛み苦しみを引き起こす養生法を課すかもしれません。しかし、彼がその苦しみ、苦悩を負わせるとき、彼は患者自身のためにそれを行っています。なぜなら、長い目で見れば、それが最良の治療形態であり、最後にはそれが患者を元気にするであろうことを彼は知っているからです。

 私が1970年にインドを離れたとき、私は「正しく理解していなかったのだ」と感じていました。そして、自らの実現は最もシンプルなものではあるが、達成するのは最も難しいものであることも私はもう分かっていました。私は大学での生活を始めました。そして、バガヴァーンの教えは自我を小さくすることを目指していますが、大学の授業がそれを大きくすることを直接的に推奨していることに気づき、幾分ぞっとしました。他の自我とのあまり穏やかでない口論と論争の技術のために、それは手入れされ、水を与えられ、耕され、愛情深く整えられました。バガヴァーンの恵み深い写真は私の部屋に留まっていました。学生たちの意見は時に思いやりのあるものでしたが、残念ながら大抵、彼らは私の深く根付いた信念をからかい、それを原始的と呼びました。挙句の果てに、母が病気になり始めました。

 卒業すると、ぱちんこで放たれた石のように私は家から放り出されました。私は仕事と生活する場所を見つけなければなりませんでした。運命がこのように重度障害のある人を扱うとき、人生はとても、とても厳しいものですが、最も辛く、最も悲しいことは、私がバガヴァーンを手放したことでした。

 三年の「独立した生活」の後、一本の濡れたひものように私はかみ砕かれ、吐き出されているように感じていました。76年の秋、母が自殺し、私は自動車事故で足を骨折しました。全ては三日の間の内でした。それから回復した後、私はケンブリッジ大学出版局で専門の校正係として働きました。しかしながら、障害に加えての2年間のこの常勤の仕事と一人での生活は、私の健康を損ない始めました。私はきちんと食事をとれず、骸骨のように見え始めました。

 1979年のある日、私はある男に会い、彼は私が一人で悪戦苦闘しているのを見たくないと言い、私の面倒を見ることができないか私に尋ねました。彼が私と同居するようになり、私の物理的な負担を手助けしてくれた、その日から、私の健康は改善し始めました。

 そのデイビッドは強硬な無神論者であり、辛辣な反キリスト主義者であり、そのため控えめに言って我々はいつも見解が一致するわけではなかったと言わなければなりません。しかし、あなた自身の家をはじめに整頓せよ、というバガヴァーンの言明に私が従っていたなら、物事は我々両者にとってずっと良いものになっていたでしょう。

 1984年2月の終わりごろのある日、私は落胆の真っただ中に陥って、デイヴィッドが食料雑貨類をもって帰ってくるのを待ちながら、ケンブリッジのミル・ロードで車の中に座っていました。私は彼が入った店を見上げると、ARJUNA WHOLEFOODSという言葉を読みました。そして、霧に包まれた歳月と絶望の瘴気を通じて、私は次の言葉を聞きました。「ヨーガの目的、クリシュナがいる時はいつでも、弓に熟達するアルジュナがいる時はいつでも、美が、勝利が、喜びが、全ての正義がある」(第18章78節)。そして、私は主クリシュナが私に命綱を投げているのを感じました。我々が家に帰ると、飢えた犬が食べ物に覆いかぶさるように、私はギーターに覆いかぶさりました。そして、(全)18章が終ったとき、私は声をあげて泣きました。私はバガヴァーンについて改めて読みたいと思いましたが、アーシュラムの本を開くことさえできませんでした。なぜなら、私はバガヴァーンを手放していて、彼が私に対して怒り、非難していると思っていたからです。もちろん、当時、私はバガヴァーンとクリシュナの間に本質的な違いがないことを理解していませんでした。

 ついに、私は勇気を奮い起こし、Ramana Maharshi and the Path of Self-Knowledgeを開き、それを再度読むにつれ、同じ喜びと涙が私の存在に押し寄せ、同じ切望が、過ぎ去りし日々に私の魂を包んでいた、かのまったく同じ熱情が私を圧倒しました。私は全てのアーシュラムの本を読み、それらを徹底的に吟味し、守銭奴がその金銭を守るようにそれらを守りました。

 私のサーダナの最初、バガヴァーンがなかなか私に体験を与えなかったとすれば、彼は今その埋め合わせをしていました。たびたび、私は彼の美しい存在と一つでいたいと切望しました。しかし、私のサーダナは方向性を欠き、全く率直に言って、瞑想は相変わらず困難でした。

 1984年6月12日の夕方、強情で手に負えない心と一日中戦い、疲れ切って、ベッドに横たわっていました。その後、一瞬、焼けつくような不協和音が私の頭の中を荒れ狂っていましたが、次の瞬間には、全てのものが完璧に穏やかに落ち着きました。

 この静寂の深みから、私は歌を聞きました。とても美しい歌であり、それは私の心を鷲掴みにし、私に泣きたいと、それと同時に、笑いたいと思わせました。私は音量を上げるためにラジオのほうを見ましたが、ラジオはスイッチが切れていました。しかし今や、音量を上げる必要はありませんでした。なぜなら、壁自体が歌い始めたからです。私は開いているフランス窓に視線を向け、あたかも夜気が、星々が呼んだかように、耳を傾けました。

オーム・シヴァ オーム・シヴァ オーム・シヴァ オーム
オーム・シヴァ オーム・シヴァ オーム・シヴァ ア-ウ-ム
オーム・シヴァ オーム・シヴァ オーム・シヴァ オーム

 私にとって、この恍惚の踊りに加わらないことは、火に燃えないように頼むようなものだったでしょう。そして、ナタラージャとしてバガヴァーンが長年待ち焦がれていた手ほどきを私に与えたとき、喜びと驚嘆と共に、私は魂を歌に合わせ、その存在にうち震えました。私は歌を歌って私自身を寝かしつけ、翌朝、バガヴァーンの前で十字を切り、心の中で彼にそのマントラを伝えました。私は真夜中の恋人を得たばかりの恥ずかしがりやの少女のように感じました。この気恥ずかしさの感情は本当に馬鹿げたものでした。なぜなら、これはシュリー・バガヴァーンが私に授けたギートーパデーシャ、教えの歌だったからです。私はとても値しないと感じ、感謝の念から、私のサーダナの助けになるようにノート、the Diary of a Devoteeをつけ始めました。

 私はシュリー・バガヴァーンが人々を確かに助けることを示したいと思いましたが、私とは違い、彼はとても辛抱強く、その人が必要とし、それを受け取る用意があるときにのみ助けます。そしてまた、バガヴァーンからの手ほどきや直接的な手助けは、人生の全ての問題が終わりを迎えることを意味しないということを私は理解しました。事実、サーダカの人生は、しばしば、困難で汚されています。かつて、ある人が冗談交じりに、「SRI RAMANA MAHARSHI」は「I AM A HARSH MAN, SIRRA!(君よ、私は厳しい人である!)」のアナグラムであると私に指摘し、冗談の中に多くの真実があると私は答えました。実に、シュリー・バガヴァーンがその子供たちを真っすぐな狭い道へと導き、彼らに良いことだけでなく悪いことも受け入れるように教えるとき、彼はとても厳しくなりえます。けれども、仮に我々が時に人生について不平を言わないならば、我々は人間ではないでしょう。それゆえ、間違いなくサーダカではないでしょう。

 1985年の秋、私の世話をする私の忠実な付添人であり仲間のデイヴィッドを連れて、ティルヴァンナーマライに再び旅しました。彼はアーシュラムでの生活をこれっぽっちも楽しみにしていませんでした。私は彼の見解を理解し、彼が私の身体的要求を手助けするために、そして、それが世界で何よりも私がしてほしいことであると彼が知っているために私に付き添っていることをよく分かっていました。

 滞在二日目の夜、数分間の黙とうのために、彼は私を新講堂に押し上げました。私がじっと見ていたとき、彼がバガヴァーンの肖像画を見上げているのを目にしました。その時、驚いたことに、彼の目から涙が流れ出ていることに私は気づきました。そして、その後、驚きは驚嘆へと変わりました。デイヴィッドが、無神論者で反キリスト主義のデイヴィッドが、無意識的な服従の行為として前のめりに倒れたのです!人々の心を盗み、搾り上げる方を見て、私もまた泣いていることに気づきました。

 ガネーシュが北インドの旅から戻った時、15年の長い別離の後、我々は両手を広げて相会い、大いに心喜ばせて思い出を語り、いつものように師について話しました。

 デイヴィッドと私はアーシュラム向かいの訪問客用の立派な住居に宿泊し、食堂で食事をとることは我々にとって大きな喜びでした。我々の胃は体質的にやや弱く、我々に面倒をかけていましたが、ティルヴァンナーマライにいて、バガヴァーンのプラサードであるアーシュラムの食べ物をとっている間、我々が病気に苦しまなかったのは奇妙なことです。アーシュラムのスタッフは親切そのものであり、我々が欲しいものがあれば何でも、ただ頼みさえすればよく、我々の頼みは聞き入れられました。

 私が経験したThe Mountain Pathの編集長、シュリー・V・ガネーサンとの愛の絆は、親愛の情の響きを私の存在の核心の内にとても深く触れさせたため、折に触れ、私である(I AM)万物のまさにその本質が、一言も話さずに踊るアルナーチャラの喜びに打ち震え、共鳴しました。どうして彼がそんなにも私に親切だったのか私は理解できませんでしたし、依然、私はそれを理解できていません。そんな具合に、バガヴァーンへの私の愛は毎分ごとに増していますが、依然、私が彼を理解していないことを私はまた分かっています。どうして私に(理解)できるでしょうか。なぜなら、理解することは、対象化すること、測ること、制限することであるからです。ティーカップの中にある水が大海の広大さを測ることを一体どうして望めるでしょうか。

 私が知る全ては、私の中には邪悪なものがいまだ多くあり、私は悪いこと行いますが、何かの理由でバガヴァーンは今や私を愛したいと決意したということです。このサーダナのようなものによって、彼は私の人生を裏返し、上下逆さまにし、前後逆にしました。彼は私の心を拾い上げ、あたかも濡れたスポンジのように、それから涙を絞り出しました。しかし、涙と信愛を通じて、全世界の物質的盛衰を超越し、包摂する、全く異なった完全に澄み切った現実を私は垣間見ました。人生が進むにつれ、私は目を瞑(つむ)り、決定をますますバガヴァーンに任せています。なぜなら、彼は私のグルであり、私が称賛する方、私が非難する方、私の苦しみであり喜び、私のプルショーッタマ、私を助けるのに最もふさわしい人であるからです。
 

2017年7月18日火曜日

真の自らの探求 - 我々の内なるキリスト、移ろうことなきアッタを求めよ

◇「山の道(Mountain Path)」、1968年10月、p271~273

 真の自らの探求

 マックス・ホッペ
マックス・ホッペ氏(ブラザー・ダンマパーラ)は、西ドイツ、a.A.、ウッティング、8919、古代仏教共同体(Altbuddhistische Gemeinde)の長です。仏教とヴェーダーンタの多くの生徒、そして、西ドイツのシュリー・バガヴァーンの数人の信奉者もまた、この僧院の中に安らかな隠遁所を見出しています。マックス・ホッペ氏はその地域における我々の機関紙の熱心な仲介者でもあります。

 苦しみの中で、我々は我々自身に委ねられています。我々の悲しみ、我々の痛み、我々の不眠を誰も我々から取り除くことはできません。それらは我々自身の応答を要求します。それらは我々を苦々しさへと駆り立て、我々を感情的気質および身体的状態の奴隷にするか、もしくは、我々の理解の助けとなり、それによって本当の幸福への扉を我々のために開きます。マイスター・エックハルトの言葉によれば、「苦しみは、我々を完成へと運ぶ最速の馬である」。

 変容させる理解、すなわち、ブッダの教説の中に見られる苦しみの理解に導くゆえに、実り多きものとなる苦しみは、ハンス・ムッフによる以下の言葉の中に、見事な方法で特徴づけられています。「推進力は抵抗によって理解されるでしょう-原初の永遠なる存在は、無常の苦しみによって(理解されるでしょう)。無常の苦しみは、我々が不滅であると思い出させるものです」。

 K.O.シュミットは、彼の本、Dir ist das Licht(あなたの内にある光)の中で、49人の偉大な宗教的天才の人生と教えをその特有の輝かしい側面において我々の前に提示しています。近代における最も偉大な聖者、シュリー・ラマナ・マハルシ(1879-1950)もまた、発言の機会を得ています。彼の記述の中で、K.O.シュミットは言います。「デルフォイのアポロン神殿の入り口の上にそびえ立っていた、ギリシャの哲学者タレスの言葉、『グノーティ・セアウトン』-『汝自身を知れ』-は、マハルシの卓越した要求、『汝の自らを知れ』によって深みと質を増しています。なぜなら、哲学者の忠告は『私』の行動条件や指針、傾向、弱点や欠点、力と限界の認識を目指しますが、神秘家は超越的な、真実の、すなわち、神聖な自らを目指します。その光輝の中に、つかの間の『私』は消え去り-それと共に、一切の疑問、一切の不確かさと悲惨は(消え去ります)」。

 「神性の驚異を見通したいと欲する者は誰でも、彼自身の内から、彼の知恵を容易に引き出すだろう」とマイスター・エックハルトは我々に宣言します。そして、ヤーコプ・ベーメは言います。「あなたはどこに神を探したいのですか。星々の上にある深みの中ですか。そこにあなたは彼を見つけないでしょう。あなたのハートの中に、あなたの存在の中心に彼を探しなさい。そこにあなたは彼を見つけるでしょう!」。この自らの探求、アートマ・ヴィチャーラのために、シュリー・ラマナ・マハルシは、「私は誰か、私は何か、私はどこにいるのか」という質問、解決を要求する現在の存在から発する質問によって、明確な出発点を提供しています。

 シュリー・ラマナ・マハルシの著名な学者、アーサー・オズボーンは、これに関連して言います。「自らの探求へのこの呼びかけは実践的な鍛錬法であり、心理的内省とは何の関係もありません。それはさらに遥か深いものです。それは衝動や動機の問題ではなく、同上のもの(衝動や動機)の根底にある自らを求める問いかけなのです。」

 上に言及したK.O.シュミットの本の中で、以下のように書かれています。「自ら-すなわち、我々の本質の最奥の核、高き自ら、エマーソンの『オーヴァー・ソウル』とは、我々の内なる神聖なる火花です。そして、その探求は、それでない一切のものを取り除くことによって、そして、『私は誰か』という絶え間ない問いによって始められ、終には私は在るに、自らに通じます。正しい角度からそれを見れば、この探求はキリストの要望の成就以外の何物でもありません。『神の王国と彼の義をはじめに求めなさい。そうすれば、他の全てはあなたがたに加えられるでしょう』。この神の王国は我々の内にあり、それは神聖な自らの輝かしい王国、もしくは、キリスト教の神秘家たちがそう呼ぶような『我々の内なるキリスト』です」。

 これらの言葉の後、力強い結論を備えたブッダの偉大なメッセージへと我々は向かいます。

 「私が見る生じ、滅するもの、そして、この無常の結果として、私に苦しみをもたらすもの、それが私の自らであるはずがない。私自身に関する、私自身の周りで認識されるであろう一切が生じ、滅し、それによって私に苦しみをもたらすのを私は見る。それゆえ、認識されうる何物も私の真の自らではない」。

 すでにエフェソスのヘラクレイトスは、「万物は流転する」と理解し、普遍的な無常を以下の言葉で説明しました。「同じ川へと我々は足を踏み入れては、出てゆくが、それは我々自身であって、我々自身ではない」。彼の生徒の一人はもはや起こっている一切のこの絶え間ない急速な変化をあえて言葉で表現しようとせず、ただ最後に象徴的に指をパチリと鳴らしました。全現象の錯覚を起こさせる性質、非実体性を見た人はいつも多く存在するため、多くの人は私がかつてある墓石上に読んだものに感動を覚えるかもしれません。「世界は行為し続け、人々は去来する-あたかもあなたが一度も存在していなかったかのように、あたかもかつて何も起こらなかったかのように」。

 さらに賢明な人々は、あらゆるものは我々が手につかもうと思うと文字通り消え去り、まさしくそれ故に我々が愛着するであろうものはどれであれ全て、本質的な私、すなわち、自らを意味しないことを常に認識しています。我々が物事を個別に分離して見るとき、何物も永遠の価値を認められていません。それゆえに、常々、より深い洞察力を持つ人々は悲惨な状態、涙の谷間(悲しみの多い人生)について語っています。ブッダ、完全に目覚めし者は、しかしながら、現実の他の側面も見ています。目覚めに通じる瞑想において、全ては我々がこれらの移ろいゆく要因を我々の自らでないと、真の自らでないと明確にみなすことにかかっています。完全に目覚めし者は、古代パーリ聖典の経典、サンユッタ・ニカーヤの中でこれを明確かつ率直に言います。「移ろいゆくものは苦痛である。苦痛であるものは、アン・アッタである(アッタでない、自らでない)。アン・アッタが意味するは-それは私に属していない、それは私ではない、それは私の自らでない」。

アナッタ・ラッカナ・スッタ(非我相経)

 これを心に留めて瞑想する者は誰でも、揺れ動かず、難攻不落なるものの実現を彼自身の内にさらにさらに体験し、それによって、一切は、実のところ彼に全く属していない、非本質的なものとして抜け落ちます。ブッダの言葉は最奥の体験となります。「タターガタ(我々自身の内なる達成者)は大海のごとく深く、果てしなく、計り難い」。そして、これは我々を広げ、解放します。愛と慈悲は、我々がブッダの道を進むにつれて養われ、深い哀れみの感情が目覚め、我々がを我々の周りに心の喜び見るときも喜びが生じます。この体験の幸福はいつも繰り返しスッタの中で強調されています。「この教説は始まりで幸福にし、中ほどで幸福にし、終わりで幸福にする」。

 この態度において、我々の人生行路上の全てのものは我々にちょうど適したように自ずと整います。これは我々に正しい平静を与えますが、しかし、まさにここで、鈍感な無関心から我々をはるか遠ざけます。そうして、認識の上に成り立った自信、行く手に持続する喜びを与える自信が結果として我々に生じます。

 ジョージ・グリムによって適切な比喩が与えられています。彼は言います。「荒れ狂う滝のしぶき飛び散る水滴は雷のように速く変化していますが、虹-それを支えるものが水滴ですが-は、太陽自体-その反射が虹ですが-と共に、変わらずに穏やかに動かないままあり、この落ち着きのない変化に影響されないのとまさしく同様に、そのように、我々の人間存在の構成要素、いやむしろ、サンサーラ(再誕の循環)として互いにつながれた我々の無数の人間存在全体もまた、休みなく変化していますが、超越的な自らの反射としての私という思い-それを支えるものが無数の人間存在ですが-、および、この超越的な自らも、どれほど多くの我々の目が死によって閉じられようとも、永遠の存在の中のこの継続的な変化に完全に影響されないままあります。それ(自ら)は世界を、世界の生起と消滅を、それ自体それにより影響されずに、眺めています。

 移ろいやすく、もろく、それゆえに究極的には常に苦痛を与える、我々の人間存在を構成する属性は自らでないという体験から、内から本当に理解されるアン-アッタの見解は、Buddhistische Meditationen(仏教徒の瞑想) の中のジョージ・グリムの言葉によって明らかになります。

 「山ほどある人間存在の変化は我々を通り過ぎ流れている小川でしかありませんが、しかしながら、我々自身を運び去ることはできず、むしろ、我々は動けずに現在におり、その結果、どれほど多くの我々の目が死によって閉じられようとも、終わりなき時の間、何の価値も持たない『今』が常々我々の運命になるでしょう。人間存在の所有を渇望する我々の意思が消え去らないまでは、つまり、我々が我々であるものであることをやめ、我々でないものになるまでは、この苦悶に終わりはありません。これを見通し、その意思がそれゆえにさらにさらに消し去られている善良で賢明な人は、常に至福の境地により近づきますが、愚者にとってそれはいつも遠く離れたままです」。

2017年6月25日日曜日

バガヴァーンの甥の息子、ガネーサンによる回顧録② - 崇高なるラマナ

◇「山の道(Mountain Path)」、1985年7月、p165~169、Moment Remembered

 崇高なるラマナ

 V.ガネーサン

我々の師にまつわる逸話をもう一回分書き留めることができ、うれしく思います

 十代のころ、大学で学んでいたとき、私はしょっちゅうマドゥライに行かなければなりませんでした。私はN.R.クリシュナムルティ・アイヤル教授の家に滞在したものでした。常に活発に大学の仕事をしていましたが、彼が完全にシュリー・バガヴァーンへの思いに夢中であることに私は気づきました。事実、バガヴァーンの級友であった彼の父、N.S.ランガナータ・アイヤルが存命時、父も息子も夜更けまでバガヴァーンとその栄光について大声で話していたものでした!

 今や、シュリー・N.R.クリシュナムルティ・アイヤルは老境に入り、公認会計士であり、シュリー・バガヴァーンの忠実な信奉者である次男のシュリー・K.V.ラマナンと共に、ティルヴァンナーマライ自体に滞在しています。彼が奥さんと共にアーシュラムのゲストハウスにひと月過ごしに来たことで、我々みなは大いに喜びました。彼の滞在中、私は彼とより親密な交際をする機会を得ました。彼の本、Essence of Ribhu Gitaはバガヴァーンの命日、4月17日に発売されました。

 彼とのそのような喜ばしい会合の一つの間に、私は彼に特別な質問をしました。「バガヴァーンはあなたに何を教えましたか」。N.R.クリシュナムルティ・アイヤル教授は記します:

 「私はシュリー・バガヴァーンの個人的な習慣を観察し、彼の例に倣おうと試みました。バガヴァーンの日常生活の中で気づかされることは、

   ①身ぎれいさ、衣服が整っていること、額にヴィブーティとクムクムを習慣的につけること
   ②周りの人々と全ての楽しみを分かち合うこと
   ③タイム・スケジュールの厳格な遵守
   ④それがどれほど『低く』ても、役立つ仕事を行うこと
   ⑤いったん手に取った仕事を決してやり残したままにしないこと
   ⑥あらゆる行為に完璧を追求すること
   ⑦時間・モノ・お金の厳しい節約
   ⑧寝ている間やひとしきりの重労働の後の休息を除いた絶え間ない活動
   ⑨自分自身を他者より優れていると決してみなさないこと
   ⑩常に真実を話すこと、もしくは
     真実を表すことが他者の評判を傷つけたり、下げたりするなら、固く沈黙を守ること
   ⑪完全な自助自分自身でできる仕事を別の人にするよう決して頼まないこと
   ⑫もし(責任が)あれば、他者に責任転嫁せず、失敗の全責任を負うこと
   ⑬成功と失敗を平静に受け取ること
   ⑭他者の平安を決して妨げないこと
   ⑮食事を食べた後、葉っぱやお皿をきれいにしておくこと
   ⑯他者のことにまったく口出ししないこと
   ⑰将来についての心配を避けること

 これらはシュリー・ラマナが模範を示してその信奉者たちに教えた教訓です。体と心と魂のありったけの力で、我々はマハルシの例に倣おうと試みるべきです。

 魂の領域でマハルシが教えたことについて言葉は役に立たないので、私はあえて記しません。」

* * * *

 バガヴァーンはウパデーシャ・サーラムを四つの言語で記しています。テルグ語とサンスクリット語版は二行連句であり、タミル語は三行詩ですが、マラヤーラム語は四行詩です。ムルガナールでさえ、ウパデーシャ・サーラムの特定の詩節について疑問があるなら、拡大マラヤーラム語版を参照したものでした。マラヤーラム語版にはクンジュ・スワーミーが以下に指摘するように、別の特徴があります。

 「靈的な書物にはたいてい最後にパラスルティがあり、その書物を読むことによって生じるであろう利益を記述しています。ダクシナムールティ・ストートラのように、バガヴァーンはそのようなパラスルティをサンスクリット語原文からタミル語に翻訳しましたが、彼のどの作品にもパラスルティを与えることを避けています。しかし、マラヤーラム語のウパデーシャ・サーラムの中で、彼はパラスルティのつもりで30詩節の後に2詩節を付け足しました。バガヴァーンがそれらの詩節を付け加えたのは、マラヤーリ人の信奉者、バーラクリシュナ・スワーミーの求めに応じたものでした。

 私が講堂に入ったとき、バガヴァーンは私にそれらを見せました。そこには、『さあクンミを行い、手を叩こう。おお、娘たちよ!』というリフレインがありました。私はクンミは女性たちのためだけなのですかと発言しました。バガヴァーンは黙っていました。次の日、ムルガナールが講堂に入ったとき、バガヴァーンは彼に言いました。『彼が異議を唱えたので、私は<娘たち>という言葉を<信奉者たち>に変えました』。そのあと、私のほうを向き、彼は言いました。『さあ満足しましたか』。マラヤーラム語のウパデーシャ・サーラムは各詩節を『さあクンミを行い、手を叩こう。おお、信奉者たちよ』というリフレインで締めくくっています。バガヴァーンは恩寵の大海でした!」

 マラヤーラム語のパラスルティ:(省略)

 さあこれがK.K.ナンビアールによる上の英訳です。

 「(自らなる住まいに)十分に打ち立てられ、手を叩きながらクンミを踊り、このウパデーシャ・サーラムを喜びあふれて歌え。一切の苦しみからの自由と永遠の至福が得られるだろう。これについて疑いは存在しない。」

 「おお、信奉者たちよ!あなたを害することなく苦しみが完全に去るように、至福が得られるように、あなたがみな、このウパデーシャ・サーラムと共に手を叩き、クンミを踊れ」

* * * *

 ロダ・マッキーヴァ夫人は、奇妙ではあるが感動的な出来事を私に語りました。「バガヴァーンの最後の日々において、彼の健康を心配し、信奉者たちはあらゆる類の薬をバガヴァーンに送ったものでした。それらは戸棚に注意深く保管されていました。ある日、彼は大きなガラス製のジャーを求め、全ての小さい瓶をジャーに移し、よく混ぜるように命じました。彼は朝と晩にスプーンひと匙とると知らせました。薬のいくつかはかなり毒性が強かったため、我々は心配していました。『人々は私への愛情からこれらの薬を私に送ります。彼らを喜ばせるために私はそれら全てを取らなければなりません!』とバガヴァーンは主張しました。医者がやって来て、彼も怖がりました。その混合物は異様なものでした-アロパシー、アーユルヴェーダ、ホメオパシー、ハーブ、生化学物質、灰、粉末、毒物の-死に至る調合!バガヴァーンは頑として譲りませんでした。しかし、我々が自身のルールに訴え、我々一人ひとりにひと匙を要求したとき、彼は心やわらぎ、その飲み物を飲むという考えをあきらめました!」。

* * * *

 シュリー・クンジュ・スワーミーは以下の興味深い逸話を語りました。

 「バガヴァーンの存命時、真剣な探求者たち-B.V.ナラシンハ・スワーミー、ポール・ブラントン、ヨーギ・ラーミア、ムルガナール、ムナーガラ・ヴェンカタラーマイアー、S.S.コーエンなど-は隣接するパラコーットゥに滞在ました。かつてドイツ人がそこに滞在していて、精力的にサーダナを行っていました。彼はバガヴァーンのパラコーットゥでの昼の散歩の間に彼に会うことに熱心でした。旧講堂の外で、様々な機会にバガヴァーンが何人かの探求者に個人的な指導と実際的な援助をよくしていたことは多くの人には知られていません。この真剣なドイツ人は彼らの中の一人でした」。

 このようにして、クンジュ・スワーミーはどのようにバガヴァーンが彼を手助けしたのか知ることになりました。「ある日、郵便配達人がドイツ人のコテージの鉄製の扉をドンドン叩いていました。隣接した小屋に住む我々全員の邪魔になるには十分な騒音を長い時間たてていました。我々は郵便配達人に加わり、扉をたたき、ついにバガヴァーンがパラコーットゥ周辺のお昼の散歩をする時間となりました。バガヴァーンはどうして我々全員がドイツ人のコテージの入り口にいるのか尋ねました。ドイツ人に電報(海底電信)があり、彼にこの大音量を聞かせることに成功できていないことを彼に知らせました。バガヴァーンは笑い、言いました。『私が犯人です!彼は長く深い瞑想に入りたがっていて、周りの騒音が彼を邪魔しているとかつて私に不満を言いました。私は蜜蝋を手に入れ、それを綿と混ぜ合わせ、彼への耳栓を作りました。それは完全防音です!』 彼がバガヴァーンと会う時間になり、ドイツ人は耳栓を外しながら出て来ました。当然ながら、彼はバガヴァーンと共に彼のコテージにいる群衆を見て驚きました!

 それ以来、我々もまたそのような蜜蝋製の耳栓を作り、真剣な信奉者たちはこれが邪魔されずに瞑想をする大きな助けになると分かりました!」

* * * *

 偉大なヴィーナ奏者、カーメーシュワリ・アンマルという音楽界で人気のある女性がいます。彼女は音楽をサーダナとして修練し、アーシュラムに来た時はいつもバガヴァーンの前で演奏したものでした。ある日、講堂の全ての人を感動させる、とても素晴らしい演奏会を開いた後、彼女は尋ねました。「バガヴァーン!これは自らの実現の手段として役立ちますか」。バガヴァーンは沈黙を守りました。しばらく後、彼女は言いました。「トゥヤーガラージャ聖者などは音楽を通じて神を得ていませんか。私も彼らに倣うべきではないのでしょうか。彼ら皆が得たように、私も究極の目的を得ないのでしょうか」。バガヴァーンは一呼吸おいてから、テルグ語で言いました。「彼らは実現の後、偉大な音楽を作りました。彼らは音楽を通じてそれを得ていません!そのために、その音楽は永遠の命を得ているのです」。

* * * *

 これは引退した副登記官、R.ナーラヤナ・アイヤルがかつて私に話したことです。「シュリー・バガヴァーンの肉体的苦痛に対する反応はいつも私にとって謎めいたものでした。(バガヴァーンの古参の付添人から知らされたのですが)彼がかつて煮え立ったおかゆ(カンジ)をそのお尻にこぼし、しばらく後になって初めてバガヴァーンはそれに気づいたということは本当だったのか私は彼に尋ねました。シュリー・バガヴァーンはその出来事を次のように語りました。

 『私は米が茹でられていた容器からカンジを漉し取っていたのです!私は床の上に座っていました。煮え立ったカンジは床の上の小さめの容器に集められる予定でしたが、私は誰かと話していて、知らないうちにカンジが容器の中でなく、床の上に落ちました。床は私のほうに傾斜していたので、それは私のお尻の下にたどり着きました。それが冷えた後ではじめて、私はそれに気づきました。もちろん、水ぶくれになり、Zam Buk(軟膏)が後で塗られました。気づいた後、確かに痛みがありました。でも、だから何ですか』。
 
 自らの実現至福は、おそらく、その他の経験をかき消してしまうのでしょう!」。

* * * *

 バガヴァーン存命時のアーシュラム公認の写真家、T.N.クリシュナスワーミ医師は、素晴らしい信奉者でした。彼がバガヴァーンを撮った数千枚の写真は一枚残らずバガヴァーンの許可を得てのみ撮られたものですが、一枚だけはの許可なく-要するに、こっそりと-撮られたものだったと彼はかつて私に話しました。それは彼の蓮華の御足の写真でした。彼は付添人に花をいくつかの足元に置くよう頼み、あたかもの前で平伏するかのように、カメラをとても上手に配置したので、彼はいい写真を撮ることができました。なんという神聖な遺産をT.N.Kは我々みなに残したのでしょうか!

 我々の会話の一つの中で、彼は言いました。

 「マドラスでの忙しい生活のために、ティルヴァンナーマライに行ったとき、たいてい私はそこで一日だけか一日の一部しか過ごせませんでした。私はいつもカメラを持っていき、マハルシとずっと一緒に過ごし、できるだけ多くの彼の写真を撮りました。が私のしつこさを迷惑がることを私は心配しましたが、は決して迷惑がりませんでした。私はが歩き、座り、食べ、足を拭くところを写真に収めました。私はが微笑み、笑い、話し、沈黙している、そして、サマーディにいるところを捕らえました。かつてが山を登っていると雨が降り出し、は手作りのヤシの葉の傘を勧められ、私はそれを使っているを撮影しました。私は普通の傘を使い、そうしながら満面に笑みを浮かべたの別の写真を撮りました。


 「時々、の教えが『私は体ではない』であるのに、写真にそんなにも注意を払うことは馬鹿げていはしないか思ったものでした。私は影を追っていたのではないか、それを永続させようとさえしていたのではないか。当時、私はの教えにほんのわずかしか注意を払っていませんでした。私はただの人格の美しさと恩寵にだけ魅了されていました。を写真に収めることは計り知れない喜びを私に与えました。の教えよりも重要でした。

 「後に、がもはや肉体的には我々と共にいない時、私はの教えに向かいました。その時、彼の存在恩寵がそれに向けて私を準備していたことに私は気づきました。子供が母親に引き付けられるように、わけも知らずに、私はに引き付けられていました。そして、子供が母親から得るように、私はから栄養を得ていました。それ以後、が肉体的に我々と共にいるときに、彼の存在を十全に享受していたことを私はうれしく思いました!」

* * * *

 「クンバコーナムのアイアンガー・スワーミー」の方でよく知られている、シュリー・ランガスワーミ・アイアンガーは、バガヴァーンのとても忠実な信奉者でした。彼の信愛はとても熱烈なものであったため、彼は師の名、「ラマナ」を口にしようとしませんでした。ラマナ・ストゥーティ・パンチャカムのような賛歌を朗誦しているときでさえ、「ラマナ」という言葉が現れたときはいつでも彼はその言葉について沈黙を守りましたが、残りの詩節を流ちょうに続けました。例えば、アクシャラマナマーライの90詩節では、「あなたが『ラマナ』であるので、私はこの全てを言いました」を「あなたが・・・・であるので、私はこの全てを言いました」と彼は言ったものでした。サット・グル・ラマナへの熱烈なバクティを知り、彼の周りの人々さえ彼の近くでは「ラマナ」という言葉を口にしませんでした!かつて、旧講堂で、とても有名な人がうかつにもバガヴァーンに「ラマナ」と呼びかけました。アイアンガー・スワーミーは自然と彼の頬をピシャリと叩きました!後に、アイアンガー・スワーミーのエーカ・バクティについて知るようになると、腹を立てるのでなく、この紳士はアイアンガー・スワーミーを心から賞賛しました!

2017年6月15日木曜日

『ヨーガ・ヴァーシシュタ』のはじまり - ラーマ王子の気高き憂鬱

◇「ヴァーシシュタのヨーガ(Vasistha's Yoga)」、p4(Ⅰ:2)~p20(Ⅰ:32、33)
ヨーガ・ヴァーシシュタの構造は複雑であり、「スティークシュナとアガスティヤの対話」がまず始まり、その対話の中でアガスティヤが「カールンヤとアグニヴェーシャの対話」を語り、その対話の中でアグニヴェーシャが「アリスタネーミとヴァールミーキの対話」を語り、その対話の中でヴァールミーキが「ラーマとヴァーシシュタの対話」を語ります。そのようにとてもややこしいので、その始まりの部分は省略します(文:shiba)

ヴァーシシュタのヨーガ

スワーミー・ヴェンカテーシャーナンダ英訳

第一部 離欲について

 
 彼(アリスタネーミ)はヴァールミーキに尋ねた。「自分自身から誕生と死を取り除くための最良の道とは何ですか」。それに答え、ヴァールミーキは彼にラーマとヴァーシシュタの対話を語った。

ヴァールミーキは言った:
 「私は束縛されている、私は解放されなければならない」と感じる者、完全に無知でも完全に悟ってもいない者は、この聖典(ラーマとヴァーシシュタの対話)を学ぶ資格があります。物語の形式でこの聖典の中に提示される解放の手段を熟慮する者は、(誕生と死の)繰り返す歴史からの解放を確実に得ます。

 以前、私はラーマの物語を記し、それを私の愛弟子バラドヴァージャに伝えました。かつて彼がメール山に行ったとき、バラドヴァージャはそれを創造者ブラフマーに物語りました。これを非常に喜び、ブラフマーはバラドヴァージャに願いごとを許しました。バラドヴァージャは、「全人類が不幸から解放されますように」という願い事を求め、これを達成する最良の道を見つけてくださいとブラフマーに懇願しました。

 ブラフマーはバラドヴァージャに言いました。「賢者ヴァールミーキのもとへ行き、聞き手が無知の暗闇から解放されるようにラーマの気高い物語の続きを話すよう彼に願い求めなさい」。それで満足せず、ブラフマーは賢者バラドヴァージャに同伴し、私の庵(いおり)に到着しました。

 私の手でしかるべき崇拝を受けた後、ブラフマーは私に言いました。「おお、賢者よ。あなたのラーマの物語は、人々がサンサーラなる大海を渡る筏となるでしょう。それゆえ、物語の続きを話し、それを首尾よく完成させなさい」。こう言って、創造者は場面から即座に消えました。

 ブラフマーの唐突な命令によってあたかも困惑したかように、ブラフマーが今言ったばかりのことを私に説明するように私は賢者バラドヴァージャに頼みました。バラドヴァージャはブラフマーの言葉を繰り返しました。「全ての者が悲しみを超え行けるように、ブラフマーはあなたにラーマの物語を明かしてもらいたいのです。私もまたあなたに願います、おお、賢者よ。どのようにラーマやラクシュマナや他の兄弟が悲しみから自由の身となったのか、どうぞ私に詳らかに話してください」。

 それで私は、ラーマやラクシュマナや他の兄弟、同じく彼らの両親や王宮の成員の解放の秘訣をバラドヴァージャに明らかにしました。そして、私はバラドヴァージャに言いました。「我が息子よ。彼らのように生きるなら、今ここで、あなたも悲しみを免れるでしょう」。

ヴァールミーキは続けた:
 空の青さが目の錯覚であるのとまさしく同様に、この世界の外観は混同です。それに心を留めるのでなく、それを無視するほうが良いと私は思います。世界の外観が非現実であるという確信が人の中に生じない限り、悲しみからの自由も、人の本質の実現も可能ではありません。そして、この確信は、人がこの聖典を熱心に学ぶときに生じます。この対象的世界が現実と非現実の混同であるという堅固な確信に達するのは、その時です。そのようにこの聖典を学ばないなら、何百年後さえも真の知は彼の中に生じません。

 モークシャとは、わずかの留保もない、一切のヴァーサナ潜在傾向)の完全な放棄です。ヴァーサナには二種類-清浄なものと不浄なものがあります。不浄なものは誕生の原因であり、清浄なものは人を誕生から解放します。不浄なものは無知と自我意識の性質を帯びています。それらはいわば再誕なる木にとっての種です。その一方で、これらの種が捨て去られるとき、単に体を維持するだけのヴァーサナは清浄な性質を帯びています。そのようなヴァーサナは、生けるうちに解放されている人々の内にさえ存在します。それは現在の意欲によってでなく、過去の勢いによって維持されているだけなので、再誕に通じません。

 どのようにラーマが解放された賢者の優れた人生を送ったのかあなたに話しましょう。これを知れば、あなたは老いと死に関する一切の誤解から解放されるでしょう。

 師の庵から戻ると、ラーマは父の宮殿に住み、様々な方法で戯れました。全国を巡り、聖地を巡礼することを望み、ラーマは父の拝謁を求め、そのような巡礼に着手することを許してくださるようお願いしました。この巡礼の開始のために、王は吉日を選び、一族の年長者たちから祝福を受けた後、その日にラーマは出発しました。

 兄弟と共に、ラーマはヒマラヤ以南、全国を巡りました。その後、彼は首都に戻り、国の人々は大いに喜びました。

ヴァールミーキは続けた:
 宮殿に入るとすぐ、父親、賢者ヴァーシシュタ、他の年長者、聖者たちにラーマは心からお辞儀しました。ラーマの巡礼からの帰還を祝い、八日間、アヨーディヤー全市は祭りの様相を呈しました。

 しばらくの間、ラーマは宮殿に住み、日々の義務をきちんと行っていました。しかしながら、すぐに深刻な変化が彼に降りかかりました。彼はやせ細り、青ざめ、弱りました。ダシャラタ王は、愛息子の外見と振る舞いにおける、この突然の不可解な変化を心配しました。彼がラーマに健康に関して尋ねたとき、ラーマはどこも悪くないと答えました。ダシャラタ王がラーマに、「愛する息子よ、何がお前を悩ませているのか」と尋ねたとき、ラーマは「父上、なんでもありません」と礼儀正しく答え、沈黙を守りました。

 どうしようもなく、ダシャラタは答えを求めて賢者ヴァーシシュタを頼りました。賢者は謎めいた答えをしました。「確かに、ラーマがこのように振る舞う何らかの理由があります。この世界で大きな変化が起こるのに先立ち、その原因、すなわち、宇宙の構成要素が存在するようになるのとまさしく同様に、相応の原因がなければ、怒り、失望、喜びのような変化は高貴な人々の振る舞いに現れません」。ダシャラタはそれ以上追及したいと思いませんでした。

 このすぐ後に、世界に名だたる賢者、ヴィシュヴァーミトラが宮殿に到着しました。聖者の訪問を知らされたとき、王は彼を歓迎するために駆けつけました。ダシャラタは言いました。「ようこそ、ようこそ、おお、聖なる賢者よ!拙宅に来てくださり、うれしく思います。盲目の者にとっての視力、乾き切った大地にとっての雨、不妊の女性にとっての息子、死者の復活、失われた富の回復のように、それは私にとって歓迎すべきことです。おお、賢者よ、どのようなご用事でしょうか。願わくば、どのような望みをもってあなたが私のもとにやって来ようとも、その望みはすでに実現されているものとお考え下さい。あなたは私の尊敬すべき神です。私はあなたの命に従います」。

ヴァールミーキは続けた:
 ヴィシュヴァーミトラはダシャラタの言葉を聞いて大いに喜び、彼の使命を明らかにし始めました。彼は王に言いました。

 「王よ、私が着手した宗教儀式を遂行するためにあなたの助けが必要です。私が宗教儀式を始めるときはいつでも、カラとドゥーシャナの家来である悪魔たちが聖地に侵攻し、それを汚します。その宗教儀式の誓約を受けて、私は彼らを呪うことができません。

 「あなたは私を手助けできます。あなたの息子、ラーマはたやすくその悪魔たちに対処できます。そして、この手助けのお返しに、私は彼に数多くの恩恵を施しましょう。それはあなたに無比なる栄光をもたらすでしょう。息子への愛着によって義務への献身が打ち負かされることなきように。この世界において、高貴な人々はどのような贈り物も身分不相応だとみなしません。

 「あなたが『はい』と言う瞬間、まさにその瞬間に、私は悪魔たちが死んでいるものと考えます。なぜなら、私はラーマが何者か知っています。この宮廷の賢者ヴァーシシュタや他の聖者たちさえも知っています。王よ、ぐずぐず引き延ばすことなきように。遅滞なくラーマを私のもとに遣わしなさい。」

 この極めて歓迎しがたい頼みを聞き、王はしばらく茫然となり、黙ったままでしたが、その後、答えました。「おお、賢者よ。ラーマは16歳でさえなく、それゆえに、戦(いくさ)を行う資格がありません。宮殿内部の奥の部屋で行われることを除いて、彼は戦いを目にしたことさえありません。あなたに随行するよう私に命じてください。悪魔を根絶やしにするためにあなたに随行するよう私の巨大な軍勢に命じてください。しかし、私はラーマと離れられません。生きとし生ける者にとって、子供を愛することは自然ではありませんか。賢者でさえ子供への愛情から並々ならぬ活動に従事しませんか。人々は子供よりもむしろ、幸せや配偶者や富を捨て去りませんか。だめです、私はラーマと離れられません。

 「私は強力な悪魔ラーヴァナについて耳にしています。あなたの宗教儀式に妨げをもたらす者とは彼のことですか。その場合、あなたを助けるために何もできません。なぜなら、神々ですら彼に対して無力であることを私は知っています。幾度となく、そのような力強い存在はこの地に生まれます。そして、やがては、この世の舞台を去ります」。

 ヴィシュヴァーミトラは怒りました。これを見て、賢者ヴァーシシュタが間に入り、王に約束を反故にせず、ラーマをヴィシュヴァーミトラのもとに遣わすよう説得しました。「王よ、約束を反故にすることはあなたにふさわしくありません。王は正しい行いの模範であるべきです。おびただしい無敵の飛び道具を持ち、極めて力強いヴィシュヴァーミトラの保護の下、ラーマは安全です」。

ヴァールミーキは続けた:
 師ヴァーシシュタの望みに従い、ダシャラタ王は従者にラーマを呼んでくるよう命じました。従者が戻り、ラーマがすぐに後からやって来ることを知らせ、「王子は意気消沈しているようで、人付き合いを避けています」と言い足しました。この申し立てに当惑し、ダシャラタはラーマの侍従のほうを向き、ラーマの心と体の状態に関する真相を知りたがりました。

 侍従は目に見えて動揺し、言いました。
 
 「主よ、巡礼から帰って以来、大きな変化が王子に降りかかりました。沐浴や神の崇拝にさえ彼は興味がないようです。奥の部屋で彼は従者との付き合いを楽しみません。彼は装身具や宝石に興味がありません。喜ばしく魅力的なものが捧げられた時でさえ、彼はそれらに悲しげなまなざしを向け、興味を示しません。彼は王宮のダンサーを追い払い、彼らを拷問官とみなしています!耳が聞こえず口がきけない者のように、彼は自動人形のごとく食べる、歩く、休む、沐浴する、座るという動作を経ています。しばしば彼はひとり呟きます。『富と繁栄が何の役に立つのか。災難や家が何の役に立つのか。この全ては非現実だ』。ほとんどの時間、彼は沈黙し、娯楽を面白がりません。彼はただ孤独のみを楽しんでいます。四六時中、彼は物思いにふけっています。我々の王子に何が降りかかったのか、彼が何を心の中で考え込んでいるのか、彼が何を求めているのか、我々には分かりません。日に日に、彼はますますやせ細って行きます」。

 「何度も何度も、彼は歌を口ずさみます。『ああ、至高なるものに達っせんと努めることなく、我々は様々な方法で人生を浪費している!我々は苦しんでいる、我々は困窮していると人々は泣き叫ぶが、誰もその苦しみと困窮の源から真剣に背を向けようとはしない!』。この全てを見て、この全てを聞き、彼の忠実なしもべである我々はひどく心を痛めています。我々はどうすべきか分かりません。彼は希望を失っています。彼は欲望を失っています。彼は何ものにも愛着せず、何ものにも依存していません。彼は惑わされても気が狂ってもいません。そして、彼は悟りを開いてもいません。しかしながら、時に彼は失望感に駆り立てられ、自殺念慮に打ちのめされているかのように見えます。『富や母や親族が何の役に立つのか。王国が何の役に立つのか。この世で野望が何の役に立つのか』。主よ、あなただけが王子のこの状態の適切な治療法を見つけられます」。

 -ヴィシュヴァーミトラは言いました
 「それが事実であるなら、ラーマをここに来くるようにしてください。彼の状態は迷妄の結果でなく、知恵と離欲に満ちており、悟りを指し示しています。ここに彼を連れてきなさい。我々が彼の落胆を追い払いましょう」。

ヴァールミーキは言った:
 そこで直ちに、王はラーマを宮廷に招くよう侍従に促しました。しばらくして、ラーマ自身、父親に会う支度ができました。遠くからでさえ、彼は父親と賢者たちを目にすると、敬礼しました。彼らは、彼が若いにもかかわらず、その顔が成熟性の安らぎで輝いているのを目にしました。彼は王の足元にひれ伏し、王は彼を抱擁し、身を起こさせ、彼に言いました。「何がお前をそんなに悲しませるのか、我が息子よ。失意は多くの苦難の呼び水になるものだ」。賢者ヴァーシシュタとヴィシュヴァーミトラは王に同意しました、

 -ラーマは言いました
 「尊者よ、あなたの質問に十分に答えましょう。私は父の住居で幸福に育ちました。私は立派な先生がたに指導を受けました。近頃、私は巡礼に出かけました。その期間にある思考の流れが私を捕らえ、私からこの世の一切の希望を奪い去りました。私の心は疑問を感じ始めました-人々は何を幸福と呼び、そして、それはこの世の常に変化する事物の中に得られうるのか。この世の全ての存在は生まれては死に、死んでは生まれます!苦しみと罪過の根源である、これら一切の移ろいゆく現象の中に私は何らの意義も認めません。無関係の存在が同時に生じます。そして、心はその間の関係性を思い浮かべます。この世の万物は心に、人の心の持ちように依存しています。調べてみれば、心自体が非現実であるように思えます!しかし、我々はそれに魅了されています。我々は渇きを満足させるために砂漠の蜃気楼を追いかけ続けているようです!

 間違いなく、我々は主人へ売り払われた囚われの奴隷ではありません。それでも、我々は何ら自由もなく、奴隷身分の生活を送っています。真理を知ることなく、我々は世界と呼ばれるこの鬱蒼とした森の中を無目的にさ迷っています。この世界とは何ですか。何が生まれ、成長し、死ぬのですか。どうすればこの苦しみは終わりを迎えるのですか。友人たちの気持ちに敬意を払い、私は涙を流しませんが、私の心は深い悲しみを覚えています。

 -ラーマは続けました
 無知な者を惑わす富も、おお、賢者よ、同様に無益です。定まることなく、素早く過ぎゆく、この富は無数の心配事を生み出し、より多くを求める飽くことなき渇望を招きます。富はえこひいきしません。善人も悪人も裕福になれます。しかしながら、人々が善良で、情け深く、友好的であるのは、彼らの心が富の熱心な追及によって冷淡になるまでだけです。賢明な学者、英雄、感謝の気持ちを忘れない人、穏やかな話し方をする才気ある人の心さえ、富は堕落させます。富と幸福は同居しません。中傷する競争相手や敵対者がいない富裕な者は稀です。正しい行いなる蓮華にとって、富は夜です。(夜に咲く)悲しみなる白蓮華にとって、それは月の光です。明瞭な洞察力なる灯火にとって、それは風です。敵意なる波にとって、それは洪水です。混乱なる雲にとって、それは追い風です。落胆なる毒にとって、それは増悪因子です。それは邪悪な思いなる蛇のようであり、苦悩に恐怖を付け加えます。離欲なる這う動物(つる性植物)にとって、それは破壊的な降雪です。邪悪な欲望なるフクロウにとって、それは夜の訪れです。それは知恵なる月の食です。その存在によって、人の善良な性質はしなびます。実に、すでに死によって選ばれている者を富は探し求めます。

 寿命さえも同様です、おお、賢者よ。その持続期間は葉の上の水滴のそれのようです。自らの知を持つ人々にとってのみ寿命は実り多きものです。我々は風を取り囲むかもしれません。我々は空間を切り裂くかもしれません。我々は波に糸を通し首飾りにするかもしれませんが、寿命をあてにはできません。人はいたずらに寿命を延ばそうと努め、それによってさらなる悲しみを得て、苦しみの期間を延ばします。この世で唯一得る価値があり、それによってさらなる誕生に終止符を打つ、自らの知を得ようと努める者のみが生きています。他のものはロバ(阿呆)のようにここに存在しています。賢明でない者にとって、聖典の知識は重荷です。欲望で満ちた者にとっては、知恵ですら重荷です。落ち着きのない者にとって、彼自身の心は重荷です。そして、自らの知を持たない者にとって、体(寿命)は重荷です。

 時なるネズミは、休みなく寿命をガリガリかじります。病なるシロアリは生ける者のまさにその急所を食べます。ネズミを捕まえることに熱中する猫が、大変注意深く自ら進んでネズミに目を向けるのとまさしく同様に、死はこの寿命から常に目を離しません。

 -ラーマは続けました
 尊者よ、自我として知られる知恵の恐るべき敵の生起を熟慮するとき、私は当惑し、恐ろしくなります。それは無知の暗闇の中に生じ、無知の中で栄えます。それは終わりなき罪深い傾向性と罪深い行為を引き起こします。全ての苦しみは確かに自我の周りを回っています(それは苦しむ「私」です)。そして、自我は精神的苦痛の唯一の原因です。自我は私の最悪の病であると私は感じます!世俗的な快楽の対象の網を広げ、生ける者を罠にかけるのは、この自我です。実に、この世の全ての恐ろしい災難は自我から生まれます。自我は自制心を減退させ、美徳を破壊し、平静を霧散させます。『私はラーマである』という自我意識を放棄し、一切の欲望を放棄し、私は自らに休らうことを望みます。私が自我意識をもって行ったことは何であれ無駄だったと悟りました。無我のみが真理です。私が自我の影響下にいるとき、私は不幸です。私が自我から自由であるとき、私は幸福です。この自我のみが、わけも理由もなく、家族や社会関係の網を広げ、不用心な魂を捕らえます。私は自我から自由であると思います。しかし、私はみじめなのです。どうか私を教え導いてください。

 聖者たちへの奉仕を通じて獲得された恩寵を奪われ、不浄な心の要素は風のように落ち着きのないままです。それは得る何ものにも満足せず、日に日によりいっそう落ち着かなくなります。ふるいを水で満たすことはできず、どれほど世俗的な対象物を得ようとも、心が満ち足りた状態に達することも決してありません。心は四六時中あらゆる方向に飛び回りますが、どこにも幸福を見つけることができません。地獄で大きな苦しみを受ける可能性を気に留めず、心はここで楽しみを追い求めますが、それさえ得ません。檻の中のライオンのように、心は常に落ち着きなく、その自由を失い、現在の状態に満足してもいません。おお、聖者よ、私は心によって広げられている網への渇望の結び目に束縛されています。川の奔流が川岸の木々を根こそぎにするのとまさしく同様に、落ち着きのない心は私の全存在を根こそぎにしています。風の中の枯葉のように、私は心によって漂い流されています。それは私をどこにも休ませてくれません。心のみが世界の全対象物の原因です。三世界は心の要素のために存在しています。心が消え去るとき、世界も消え去ります。

 -ラーマは続けました
 心の要素が渇望に包まれるときにこそ、無知の暗闇の中に無数の過ちが次のように生じます。この渇望は、気質の優しさや穏やかさのような心の善良で気高い性質を干上がらせ、私をかたくなで冷酷にします。その暗闇の中、様々な形をした渇望は小鬼のように踊ります。

 私はこの渇望を抑制するために様々な方法をとりましたが、大風が藁(わら)を運び去るのとまさしく同様に、渇望は瞬く間に私を圧倒し、どうしようもなく私を堕落させます。離欲やそのような他の性質を養おうという希望をたとえ私が抱こうとも、ネズミが糸を噛みちぎるように、渇望はその希望を切り払います。そして、私は渇望の輪の中に捕らわれて、どうしようもなく回転します。網に捕らわれた鳥のように、我々には羽があるのに、自らの知なる我々の目的地、住まいまで飛んで行くことができません。たとえ私が神酒をがぶ飲みしようとも、この渇望は決して満たされもしません。この渇望の特徴とは、それが方向性を持たないことです。気が狂った馬のように、今、それはある方向に私を駆り立て、次の瞬間には別の方向に私を連れ去ります。それは我々の前に息子、友人、妻や他の親族なる、とても広い網を広げます。

 私は勇士であるのに、この渇望は私を怯えた臆病者にします。私には見るための目があるのに、それは私を盲目にします。私は喜びで満たされているのに、それは私をみじめにします。それは恐ろしい小鬼のようです。この恐ろしい小鬼なる渇望こそが、束縛と不運の原因になるのです。それは人を悲嘆に暮れさせ、彼の中に錯覚を作り出します。この小鬼につかまり、人は手の届くところにある楽しみさえさえ享受できません。渇望は幸福のためにあるかのように見えますが、この渇望は幸福にも実り多き人生にも通じません。逆に、それには無駄な努力が伴い、あらゆる類の不吉に通じます。様々な幸不幸の状況が演じられる人生と呼ばれる舞台を占拠するときでさえ、年老いた女優のように、この渇望は、良いことや気高いことを何も行えずに、ことあるごとに敗北と挫折をこうむります。それでも、それは舞台の上で踊ることをやめません!

 渇望は時には空に昇り、時には地下世界の深みに潜ります。それは常に落ち着きません。それは心の空虚感に基づいているからです。ほんの一瞬、心の中で知恵の光が輝きますが、次の瞬間には迷妄があります。自らの知なる剣でもって、賢者らがこれを切断しうるのは驚きです。

 -ラーマは続けました
 動脈、静脈、神経からなる哀れな体もまた苦しみの源です。不活発であるのに、それは知性があるように見えます。人はそれが感覚を持つのか感覚を持たないのか知らず、そして、それは迷妄のみを発生させます。少しの楽しみに大喜びし、わずかの不運に悩まされ、実にこの体は大いに卑しむべきものです。

 私は体を木にしか例えられません。枝は腕、幹は胴体、穴は目、果実は頭、葉は無数の病-それが生ける者にとっての休憩場所です。それが自分のものであると誰が言えますか。それに関係する希望や絶望はむなしいものです。それは誕生と死のこの大海を渡るために与えられた船です。しかし、人はそれを己の自らとみなすべきではありません。

 体であるこの木は、サンサーラとして知られる森の中に生まれ、落ち着きのないサル(心)がその上で戯れます。それはコオロギ(心配事)の住処であり、それは(終わりなき病なる)虫に絶え間なく食べられています。それは(渇望なる)毒蛇をかくまい、(怒りなる)野生のカラスがそこに住みます。その上には(笑いなる)花があり、その果実は善と悪であり、(生命力なる)風によって活発であるように見え、(五感なる)鳥を支え、それが快楽なる日陰を提供するゆえに(愛欲なる)旅人に頼られ、(自我なる)手に負えないハゲワシがその上に座り、その中は空っぽの空洞です。体は幸福に寄与するようになっていません。長く生きても、短い間で死んでも、それは以前として役に立ちません。それは血肉から成り、老いと死に従属しています。私はそれに魅惑されません。それは不浄な物質でいっぱいに満たされ、無知に苦しめられています。どうしてそれが私の希望を叶えられますか。

 この体は病の住処であり、精神的苦悩、変化する感情、精神状態にとっての畑です。私はそれに魅惑されません。富とは何ですか、王国とは何ですか、体とは何ですか。この全ては時(死)によって無慈悲に切り倒されます。死によって、この恩知らずな体はその中に住まい、それを守っていた心を捨てます。それに何の望みをかければいいでしょうか。恥もせず、それは何度も何度も同じ行為にふけるのです!その唯一確かな目的は、最後に燃やされることであるようです。富者と貧者に共通する老いと死を気に留めず、それは富と力を追い求めます。無知のワインに幻惑され、この体に束縛されている人々は、なんとみっともないのですか!

 -ラーマは言いました
 人々が愉快で幸福だと何も知らずにみなしている人生の一部、幼少期でさえ、悲しみに満ちています、おお、賢者よ。無力、不運な出来事、渇望、自己表現できないこと、まったくの愚かさ、遊び好き、移り気、弱々しさ-これら全てが幼少期を特徴づけています。子供はたやすく機嫌を損ね、たやすく怒りをかき立てられ、たやすくわっと泣き出します。実際、子供の苦悶は、死につつある人、年老いた人、病人や他のどの大人のそれよりひどいものだと人は大胆にも言うかもしれません。なぜなら、幼少期の人の状態は、他者のなすがままに生きている動物の生態のそれにまさしく類似しています。
 
 子供はその周囲の無数の出来事にさらされています。それは子供を悩ませ、子供を混乱させ、子供の中に様々な空想や恐怖をかき立てます。子供は感じやすく、悪人にたやすく影響されます。その結果、子供は親の支配と罰に従属しています。幼少期は従属の期間のようであり、他の何ものでもありません!

 子供は無邪気なように見えるかもしれませんが、日中、暗い穴の中にフクロウが隠れているように、あるゆる類の欠点、罪深い傾向性、神経質な態度がその中に隠れ、眠っているということが、その真相です。おお、賢者よ、幼少期が幸せな時期であったと愚かにも想像する人々を私は気の毒に思います。

 落ち着きのない心よりひどい苦しみがあり得ますか。そして、子供の心は極めて落ち着きがないのです。子供は毎日何か新しいものを得なければ、不幸を感じます。泣き叫ぶことは子供の主だった活動のようです。子供が欲しいものを得られないとき、心が打ち砕かれたかのように見えます。
 
 子供が学校に行くとき、教師たちの管理下で罰を受けます。この全ては不幸を増加させます。

 子供が泣くとき、親はなだめるために子供に世界を与える約束をします。その時から、子供は世界を値踏みし始め、世俗的な対象物を欲します。親は、『おもちゃに月をあげましょう』と言い、子供は、その言葉を信じ、その手に月をつかめると思います。そうして、迷妄の種が小さな心にまかれます。

 子供は暑さ寒さを感じても、それを避けることができません。では、どうして木よりもましでしょうか。鳥獣のように、子供は欲しいものを得ようとしていたずらに手を伸ばします。そして、家の年長者全員を恐れています。

 -ラーマは続けました
 この幼少期の時期を置き去りにして、人は青年期に進みますが、彼は不幸を置き去りにはできません!そこで彼はおびたたしい心の変化に従属し、悲惨からより大きな悲惨へと進みます。なぜなら、彼は知恵を捨て、愛欲として知られる彼の心に住まう恐ろしい小鬼を抱擁するからです。彼の人生は欲望と不安でいっぱいです。若かりし頃に知恵を奪われていない彼らは、どんな猛攻にも耐えられます。

 束の間の楽しみの後に長きにわたる苦しみが速やかに付き従う、はかない青年期に私は魅了されません。それによって幻惑され、人は変化するものを不変であるとみなします。さらに悪いことに、他の多くの人々に不幸をもたらすような行為にふけるのは、青年期なのです。

 木が森林火災によって焼き尽くされるのとまさしく同様に、若者の心は、愛する者が彼を捨てるとき、愛欲の火に焼き尽くされます。どれほど彼が心の清らかさを養おうと努めようが、若者の心は不浄で汚れています。彼の愛する者が近くにいないときでさえ、彼は彼女の美しさへの思いに気を散らされます。渇望で満ちたそのような人は、当然、善人から高い評価を得ません。

 青年期は病と精神的苦悩の住処です。それは鳥にたとえられます。その両翼は善悪の行為です。青年期は良い性質を吹き散らし、霧散させる砂嵐のようです。青年期は心にあらゆる類の邪悪を呼び起こし、そこに存在するかもしれない良い性質を抑圧します。そのように、それは邪悪の助長者です。それは迷妄と愛着を生ぜしめます。若々しさは体にとってはとても望ましく見えますが、心にとっては破壊的です。青年期、人は幸福の蜃気楼に誘惑され、その追及の中で彼は悲しみの井戸に落ちます。それゆえ、私は青年期に魅了されません。

 ああ、青年期が体から去ろうという時でさえ、青年期に呼び起こされた情欲はさらに猛烈に燃え、速やかな破滅を人にもたらします。この青年期に喜びを感じる者は、きっと人ではなく、人間の衣をまとった動物です。

 彼らは崇敬に値します。彼らは偉大な方々です。彼らだけです。青年期の邪悪によって打ち負かされず、その誘惑に屈服することなくその人生の段階を生き延びた人々は。なぜなら、大海を渡ることは簡単ですが、青年期の好悪に打ち負かされることなく、その彼岸に達することは実に困難であるからです。

 -ラーマは続けました
 青年時代、人は性的魅力の奴隷です。血肉、骨、髪、皮膚の集合物でしかない体の中に、彼は美と魅力を感じます。仮にこの『美』が永続的であるなら、その想像にもいくらか正当性があるでしょう。しかし、ああ、それはそう長くは続きません。逆に、すぐに、その魅力に貢献したその肉は、最愛の人の魅力と美は、まずは老年期のしなびた醜さに姿を変え、後には火や虫やハゲワシに食い尽くされます。にもかかわらず、それが持続する間、この性的魅力は人の心と知恵を食い尽くします。この魅力がやむとき、このサンサーラもやみます。

 子供がその幼少期に不満なとき、青年期が引き継ぎ、青年期が欲求不満に悩まされているとき、老年期がそれを打ち負かします-なんと人生は残酷なのですか。風が葉から露をはじき出すのとまさしく同様に、老年期は体を破壊します。一滴の毒が体に入ればすぐに広がるのとまさしく同様に、老いはすぐに全身に広がり、それを破壊し、それを他の人々の物笑いの種にします。

 老人は欲望を身体的に満たすことができませんが、欲望そのものは繁茂し、増大します。人生の流れを変えるには、生活態度を変えるには、人生をより意義深いものにするにはあまりにも遅すぎるとき、彼は自問し始めます-「私は誰なのか。私は何をすべきなのか」など。老いの始まりとともに、せき、白髪、息切れ、消化不良、やつれど、全ての身体的衰弱の痛ましい兆候が現れます。

 おそらく、死を統括する神が塩をまぶしたメロンのような老人の白い屋根付きの頭を見て、それを手に入れようと駆けつけるのでしょう。洪水が川岸の木々の根を切り払うように、老いは命の根を力いっぱい切断します。後には死が続き、それを運び去ります。老いとは、死なる王を先導する国王の従者のようです。

 ああ、それはなんと不可思議で、なんと驚くべきことなのですか!敵に打ち負かされておらず、到達しがたい山頂に居を構えている彼ら-彼らでさえ老いと衰退なる女悪魔に悩まされています。

 -ラーマは続けました
 狂人が感じる鏡に映った果物の味の楽しみのように、この世界の全ての楽しみは錯覚です。この世の人の全ての希望は、時によって終始破壊されています。時のみが、おお、賢者よ、この世の万物をすり減らします。創造の中で、時の手の届かない物は何もありません。時のみが無数の世界を創造し、瞬く間に万物を破壊します。

 年月、年代、時代としての部分的な現れを通じて、時はそれ自身を垣間見ることを許しますが、その本質は隠されています。この時は万物を圧倒します。時は冷酷無情で、欲深く、飽くことを知りません。時は最も優れた奇術師であり、人を欺く手品でいっぱいです。この時は分析できません。なぜなら、どれほど分割されようとも、それは依然破壊されずに存在し続けるからです。それは万物に対して飽くことを知らない食欲を持ち-最も小さな虫、最も大きな山々、そして天界の王さえ、それは食べ尽くします!少年が気晴らしにボールで遊ぶのとまさしく同様に、時は気晴らしに太陽と月として知られる二つのボールを使います。まさにこの時のみが、宇宙の破壊者(ルドラ)、世界の創造者(ブラフマー)、天界の王(インドラ)、富の主(クベーラ)、宇宙の消滅の無として現れます。まさにこの時が、何度も何度も世界を次々に創造し、解消します。力強い巨大な山でさえ大地に根を下ろしているのとまさに同じように、この力強い時もまた絶対的存在(ブラフマン)に打ち立てられています。

 時は無限の宇宙を創造しますが、うんざりすることも、喜ぶこともありません。それは行くこともなく、生じることもなく、沈むこともありません。

 美食家である時は、この世の対象物が太陽の炎によって熟されているのを知っています。そして、完全に熟していると分かれば、それを食い尽くします!時の楽しみのために、いわば、色とりどりの存在なる可愛らしい宝石によってそれぞれの時の時代は装飾されており、時はその全てを戯れに一掃します。

 若々しさなる蓮華にとって、時は夕暮れです。寿命なる象にとって、時はライオンです。この世界には、高いものであれ、低いものであれ、時に破壊できないものは何もありません。この全てが破壊されたときでさえ、時は破壊されません。あたかも無知の中にいるように、一日の活動の後、人が眠りにつくように、宇宙の解消の後、時もまたその中に隠された創造の潜在性とともに眠りにつきます。誰もこの時とは何か分かりません。

 -ラーマは続けました
 私が今説明した時に加えて、誕生と死の原因となる別の時があります。人々は死を統括する神とそれを呼びます。

 さらにまた、クルターンタ-行為の終わり、行為の必然的結果、結実として知られる、この時の別の側面があります。このクルターンタはダンサーのようであり、その妻としてニヤティ(自然法則)を伴っています。二人は連携して、全ての存在にその行為の必然的結果を授けます。世界の存在過程の間、彼らはその勤めに倦むことなく、瞬きもせずに警戒し、その熱意は衰え知らずです。

 そのように時がこの世で踊り、万物を創造し、破壊しているとき、どのような希望を我々は抱けますか。クルターンタは信仰心が篤い人々にさえ幅を利かせ、彼らを落ち着きなくさせます。このクルターンタのために、この世の万物は絶え間なく変化を経験しています。ここに不変のものはありません。

 この世の全ての存在は邪悪に汚染されています。全ての関係性は束縛です。全ての楽しみは大病です。そして、幸福への望みははかない夢でしかありません。自分自身の五感が自らの敵です。現実は非現実になっています。自分自身の心は自らの最悪の敵になっています。自我は邪悪の第一の原因です。知恵は乏しく、全ての行為は不快に通じます。そして、楽しみは性的に方向づけられています。知性が自我を支配するのでなく、知性が自我に支配されています。それゆえに、心に安らぎも幸福もありません。青年期は衰えゆきます。聖者との交際は稀です。この苦しみから抜け出る道はありません。真理の実現は誰の中にも見られません。誰も他人の繁栄と幸福を喜ばず、誰の心の中にも慈悲は見つかりません。人々は日ごとにますます卑しくなっていきます。弱さが強さに打ち勝ち、臆病が勇気を圧倒しています。邪悪な交際はたやすく得られ、良き交際は手に入れるのが困難です。時はいずこに人類を追いやろうというのか私は不思議に思います。

 聖者よ、この創造を支配する、この不可思議な力は、力強い悪魔さえ滅ぼし、永遠であると思われていたものからその永続性を奪い、神々ですら殺害します。では、私のような無知な者に何か希望がありますか。この不可思議な存在は全てに住しているようであり、その個人化された側面が自我としてみなされ、それによって滅ぼされないものは何もありません。全宇宙はその支配下にあり、その意思のみがここにはびこっています。

 -ラーマは続けました
 おお、賢者よ、そのように幼少期にも、青年期にも、老年期にも人は幸福を享受できません。この世の対象物はどれも誰にも幸福を与えないようになっています。この世の対象物の中にそのような幸福を見つけようと心はいたずらに努めます。自我を免れ、感覚的快楽への渇望に揺り動かされない者のみが幸福です。しかし、そのような人はこの世で極めて稀です。実に、強力な軍勢とうまく戦うことができる者を私は英雄とみなしません。心と五感として知られる大海を渡ることができる者のみを私は英雄とみなします。

 私はすぐ失われるものを『獲得』とみなしません。失われないもののみが獲得であり-どれほど努力しようとも、この世界でそのような獲得は手に入れられません。その一方で、探し求めずとも、つかの間の獲得と一時的な災難は人に訪れます。尊者よ、一日中、人があちらこちらをうわべは忙しそうに歩き回り、四六時中、利己的な活動に従事し、日中、善行の一つも行わないのに、依然、夜眠ることができることに私は当惑します!

 それでも、たとえその忙しい人が彼の地上の敵全員に打ち勝ち、富と豪奢で彼自身を囲っても、そして、自分は幸福だと彼が自慢するときでさえ、死は彼に忍び寄ります。どのようにそれが彼を見つけるのかは、神のみぞ知るところです。

 無知の中、人は自分自身を妻、息子、友人に縛り付けます。この世は巨大な巡礼地であり、そこで無数の人々が偶然に集まったということを彼は知りません。そして、彼が妻や息子や友人と呼ぶ者たちは、彼らの中にいます。

 この世界は陶工のろくろのようです。恐ろしい速さで回転していても、ろくろは静止しているかのように見えます。そのように、惑わされた人にとっても、絶え間なく変化しているという事実にもかかわらず、この世界は安定しているように見えます。この世界は毒のある木のようです。それに接触する人は殴られて気絶し、麻痺します。この世界の全ての見方は汚れています。この世界の全ての国は邪悪の領土です。世界の全ての人々は死に従属しています。全ての行為は欺瞞的です。

 多くの劫(こう、カルパ)がやって来ては去ります。それは時の中で瞬間でしかありません。なぜなら、ユガと瞬間の間に本質的な違いはなく、両方とも時間の尺度であるからです。神々の視点からは、ユガでさえ瞬間でしかありません。そのように、全大地は土の要素の変形でしかありません!それに信頼や希望を託すのはなんとむなしいことなのでしょうか!

 -ラーマは続けました
 おお、聖者よ!この世で永続するように、もしくは、移ろいやすく見えたりするものは何であれ-それは夢も同然です。今日、噴火口であるものは、以前は山でした。今日、山であるものは、間もなく大地の穴になります。今日、鬱蒼とした森であるものは、すぐに大都市に姿を変えます。今、肥沃な土壌であるものは、不毛の砂漠になります。人の体における、生活様式における、運勢における変化も同様です。
 
 この生と死の循環は熟練のダンサーのように見えます。彼女のスカートは生ける生命で作られ、その踊りの身振り手振りは、生命を天に持ち上げ、地獄に投げ落とし、この地に連れ戻すことから成り立ちます。全ての素晴らしい行為、人々がここで行う重要な宗教儀式さえ、すぐに記憶でしかなくなります。人間は動物として生まれ、その逆もまた然りです。神々はその神聖さを失います-ここで何が変化していないのですか。創造者ブラフマー、保護者ヴィシュヌ、救済者ルドラなどでさえ容赦なく破壊に向かってるのを見ます。彼がこの不可避の破壊を思い出すまでだけは、この世で感覚対象は人にとって心地よく見えます。土遊びをする子供が土の塊で様々な作品を作るのとまさに同じように、全世界の支配者は新たなものを作り続け、すぐにそれを壊し続けます。

 世界の欠陥のこの認識は私の心の中の望ましくない傾向を破壊しました。それゆえに、蜃気楼が水面上に現れないのとまさしく同様に、感覚的快楽への欲望は私の心に生じません。この世とその喜びは私にとって苦々しく思われます。私は快楽の園(その)をさまようことを好みません。私は女の子たちとの交際を楽しみません。私は富の獲得を評価しません。私は私自身の内に安らかなままありたいと思います。私は絶えず尋ねています。『どうすれば私は世界と呼ばれるこの常に変化する幻影について思うことからさえ私の心を引き離せるのか』。私は死を熱望せず、生きたいとも熱望しません。愛欲の熱を免れ、私はあるがままにあります(『私はある』として留まります)。王国や楽しみや富を私はどう扱えばいいのでしょうか。その全ては私の内にはない自我の遊び道具です。

 私が今、知恵に打ち立てられないなら、いつ別の機会が生じるでしょうか。なぜなら、感覚的快楽への耽溺は、その効果が複数の生涯にわたり続くような形で、心を毒すからです。自らの知を持つ者のみがこれを免れています。それゆえに、おお、賢者よ、あなたに願い求めます。私が苦悶、恐怖、悲嘆を永遠に免れるよう私を教え導いでください。あなたの教えの光でもって、私の心の中の無知の暗闇を滅ぼしてください。

 -ラーマは続けました
 そのように悲しみの恐るべき落とし穴に落ちた、この生ける者の哀れな定めを熟慮することによって、私は深い悲しみでいっぱいです。私の心は混乱し、ぞっと身震いし、一歩ごとに恐れています。私はあらゆるものを放棄しましたが、私は自分自身を知恵に打ち立てていません。それゆえに、私は一部分は捕われ、一部分は解放されています。私は伐られてはいるが、根っこから断たれていない木のようです。私は心を抑制したいと思いますが、そうするための知恵がありません。

 それゆえ、どうぞお教えください。人がどのような悲痛も経験しない、かの境地とは何ですか。私のように世界とその活動に巻き込まれた人が、どうすれば安らぎと至福の至高なる境地に達せられますか。様々な種類の活動と経験よって影響されないことを人に可能にする態度とは何ですか。どうぞお教えください。あなたがた悟りを開いた人々はどのようにこの世で生きるのですか。どうすれば心を愛欲から解放でき、世界を自分自身の自らと、同時にまた一本のわらと同程度の価値しかないと心にみなさせることができますか。知恵の道を学ぶために偉大なる方の伝記を学べばいいのでしょうか。この世で人はどのように生きるべきでしょうか。尊者よ、私の落ち着きのない心が山のように安定することを可能にするであろう、かの知恵を私にお教えください。あなたは悟りを開いた存在です。二度と私が悲痛に沈まぬように私を教え導いてください。

 明らかにこの世は苦しみと死で満ちています。心を酩酊させなければ、どうしてそれが喜びの源になるでしょうか。心は明らかに不浄で満ちています。どうすればそれは清められますか。どの偉大な賢者によって処方された、どの洗剤によってですか。愛憎なる対をなす流れの餌食になることがないように、どのように人はここで生きるべきですか。水銀が火の中に投げ込まれたときに影響されないのとまさしく同様に、明らかに、この世の悲痛と苦しみによって影響されないままでいることを可能にする秘訣があります。その秘訣は何ですか。この世界の形をとって広げられた心の習慣を打ち消す秘訣とはなんですか。

ヴァールミーキは言った:
 そのように言った後、ラーマは沈黙を守りました。

ヴァールミーキは言った:
 宮廷に集まっていた全ての人々は、心の迷妄を払いのけうる燃えるようなラーマの知恵の言葉に触発されました。彼らは自分自身が一切の疑いと思い違いから脱しているかのように感じました。彼らは大いに喜んで神酒のごときラーマの言葉を飲みました。ラーマの言葉を聞きながら彼らが宮廷に座ったとき、彼らはもはや生き物ではなく、彩色された彫像であるかのように見えました。彼らは一心不乱で、とても静かにいたからです。

 誰がラーマの談話に耳を傾けたのでしょうか。ヴァーシシュタやヴィシュヴァーミトラのような賢者、大臣、ダシャラタ王を含む王族の成員、市民、聖者、召使、籠の中の鳥、ペットの動物、王家の馬小屋の馬、そして、完成された賢者と天界の音楽家を含む天人たちです。確かに、天界の王や地下世界の首長たちさえもラーマの言葉に耳を傾けました。

 ラーマの演説を聞いて感激し、彼ら皆は声をそろえて「あっぱれ、あっぱれ」と喝采を送り、この喜ばしい声は大気を満たしました。ラーマを祝うために、天から花々が降り注ぎました。宮廷に集まった全員が彼を喝采しました。確かに、離欲に満ちたラーマ以外の誰も-神々の師でさえ-彼が表した言葉を発することはできなかったでしょう。彼の言葉に耳を傾けられるとは、我々は実に極めて幸運でした。我々が彼に言葉に耳を傾けている間、我々は天界にさえ幸福は存在しないという感情で満たされたかのように思えました。

 -集会の中の完成された賢者たちは言いました
 聖者らがラーマの重みのある賢明な問いに与えようとする答えは、確かに、世界の生きとし生けるものに聞かれるにふさわしい。おお、賢者らよ、来たれ、来たれ。至高の賢者、ヴァーシシュタの答えに耳を傾けるために、ダシャラタ王の宮廷にみな集ろうではないか。

ヴァールミーキは言った:
 これを聞き、世界の全ての賢者は宮廷に馳せ参じ、ふさわしく歓迎され、讃えられ、宮廷に座しました。確かに、我々の心の中でラーマの気高い知恵が熟慮されないなら、我々はまさしく敗北者になるでしょう。我々の能力や才能が何であれ、我々が知性を失っていることをそれによって我々は証明するでしょう!

2017年5月26日金曜日

フランク・ハンフリーズ- 初の西洋人信奉者となった神秘的な力を持つ警官

◇『ラマナ・ペリヤ・プラーナム(Ramana Periya Puranam)』、p64~66

フランク・ハンフリーズ

V.ガネーシャン

 ある日、一人の男性がヴィルーパークシャ洞窟にいるバガヴァーンに会いにやってきました。彼は一週間だけ滞在しました。その間に、彼はバガヴァーンを称える四つの歌を作り、歌いました。彼はヴェンカトラマ・アイヤルと名乗り、ティルヴァンナーマライに隣接する小さな村、サティヤマンガラム出身であると言いました。後に彼は五つ目の歌、有名な賛歌であるラマナ・サットグルを送りました。バガヴァーンが五つの歌を読んだとき、彼はその美しさに心打たれました。それ以来、タミル語を話す多くのバガヴァーンの信奉者らは、それらを歌い続けています。奇妙なことに、幾人かの古参の信奉者がヴェンカトラマ・アイヤルに会いに行ったとき、村の誰も彼について何も知りませんでした。後に信奉者らがこれについて話し合っていたとき、デーヴァラージャ・ムダリアールが「ヴィルーパークシャ洞窟にいるとき、バガヴァーンはアルナーチャラを称える五つの賛歌を記しました」と発言しました。これに対して、ムルガナールが答えました。「父なる(神)アルナーチャラは感謝の意を表したかったのです。それで、彼はヴェンカトラマ・アイヤルとして人間の姿でやってきて、バガヴァーンについての五つの歌を歌ったのです」(➡ SATURDAY – Sri Ramana Stuti Panchakam)。

 ラマナ・サットグルの詩節の一つは、バガヴァーンが何十億もの生命を解放へと導くために知恵の旗を掲げたと言明しています。十億とは何ですか。多くの0が後に続く1です。実際は何十億もの個々の自我である、存在しない一切の0を取り除くなら、残るものは1のみです。その1がアルナーチャラであり、その1がラマナであり、その1が本来の我々一人ひとりであるものです。我々が我々であると考える、ラム、ラヒームやロナルドたちではありません。

 ラマナーシュラマムで土曜日に歌われている「ラマナ・サットグル」

 バガヴァーンは我々本来の神聖な本質を我々に思い出させるためにやってきました。誰も彼の恩寵から除外されませんでした-男性であれ、女性であれ、獣であれ。今まで、彼の全ての信奉者はヒンドゥー教徒でした。今やその教えが国家や宗教という区分を超えて広がる時でした。そして、世界各地から探し求めにやってきた何千もの人々の信仰を妨げることなく、実際、それはまさしく広まったのです。

 フランク・ハンフリーズは若いイギリス人警察官であり、カトリック教徒でした。イングランドから転任し、彼はボンベイ、今のムンバイに到着しましたが、高い熱があり、病院に収容されざるを得ませんでした。

 神秘的な力を有する霊能者、ハンフリーズは、病院にいる間に彼が被っていた強烈な痛みから解放されるためにその力を使いました。彼はその時、彼が配属されていたティルヴァンナーマライ近くの町、ヴェールールにその微細身を移し、彼に地元のテルグ語を教えることになっていたナラシマイヤという人に会いました。後に、彼がヴェールールに到着したとき、ナラシマイヤは「私はあなたのテルグ語の家庭教師です」と言い、自己紹介しました。「知っています」とイギリス人は答えました。「どうして知っているのですか」と困惑した家庭教師は尋ねました。「あなたはボンベイを訪れたことは一度もありませんが、私はあなたに会っています。私はアストラル体で旅し、あなたに会いました」とハンフリーズは答えました。ナラシマイヤは多くの英国人の家庭教師をしましたが、その大部分は靈的な関心を持っていませんでした。この人は単に頭がおかしいだけだと彼は決めてかかりました。

 次にハンフリーズはナラシマイヤに頼みました。「私は英語でヒンドゥー天文学に関する本を読みたいと思っています。手伝ってくれますか」。ナラシマイヤはこれをまたしても馬鹿げた質問だと決めてかかり、無視しました。これを見て、ハンフリーズは続けました。「ここにマハートマーはいますか」(マハートマーは偉大な魂(人物)を意味します)。この最後の質問はナラシマイヤを驚愕させました。彼はハンフリーズを試してみたいと思いました。彼は何も返答することなく立ち去りました。翌日、彼は数多くの聖者、賢者の写真とともに戻り、ハンフリーズの部屋に行きました。そこで誰にも会わなかったので、彼は机の上に写真を残し、立ち去りました。彼が帰って来たとき、ハンフリーズも戻っていました。(写真の)山から一枚の写真を取り、彼は尋ねました。「ナラシマイヤ、この人があなたのグルですか」。彼はカーヴヤカンタ・カナパティ・ムニの写真を指し示していました。カーヴヤカンタは確かにナラシマイヤのグルでした。感激して、ナラシマイヤは、ハンフリーズは本物だ、そうでなければ、こんなにも多くの驚くべき偶然の一致はありないと結論づけました。ハンフリーズは、「昨晩、あなたのグルが私の夢に現れました。彼はベッドの中の私の隣に座り、私の理解できない言葉で何か言いました」と明らかにしました。これはナラシマイヤを確信させました。

 不運にもハンフリーズはすぐに病気にかかり、避暑地であるウーティに連れ行かれざるを得ませんでした。彼はそこに数か月滞在しました。彼が戻って来た時、彼はナラシマイヤに言いました。「昨晩、夢を見ました。私の言葉による描写をあなたは信じないかもしれないので、私が見たものを描こうと思います」。彼は山、山にある洞窟、洞窟のそばにある小さな滝、そして、そこに立つサードゥを描きました。それはヴィルーパークシャ洞窟とラマナ・マハルシの生き生きとした描写でした。ナラシマイヤは言葉を失いました。「この方は私の師の師です!」。今やハンフリーズについて完全に確信し、彼はハンフリーズをバガヴァーンのもとへ連れて行きたいと思いました。まず、彼はハンフリーズを当時ヴェールールにいたカーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニに紹介しました。カーヴヤカンタは、ほんの21才なのにすでに警視だった、このイギリス人に会い驚きました。ティルヴァンナーマライで神智学協会の会議があり、カーヴヤカンタはそれに参加する予定でした。彼ら三人はティルヴァンナーマライに向けて出発しました。

 目的地に着くとすぐ、ハンフリーズは落ち着かなくなりました。彼は夢で見た聖者に会いたくなったのです。彼らはヴィルーパークシャ洞窟に行き、バガヴァーンの正面に腰を下ろしました。長い間、バガヴァーンはハンフリーズを凝視しました。これはハンフリーズがバガヴァーンとの最初の出会いについて書き留めたものです。「午後二時、我々は山を登り、彼に会いに行きました。ヴィルーパークシャ洞窟に着くとすぐ、我々は彼の前で彼の足元に座り、何も言いませんでした。半時間、私はマハルシの目を見つめました。その目は決して深い観想の表情を変えませんでした。私はその体が聖靈の寺院であることをいくぶん理解し始めました。この師の体は人ではないことを感じることができました。それは神の道具、座っている動かない死体に過ぎず、そこからは神が恐ろしいまでに輝いていました。私自身の気持ちは言い表せるものではありませんでした。マハルシはその威厳、柔和さ、自制心、信念の静かなる強さの表れにおいて筆舌に尽くしがたい人です。あなたは彼の微笑みより美しいものを想像できません。奇妙なことです。彼の面前にいたことは、何という変容を人にもたらすのでしょうか」。

 これがその若者の初めてのバガヴァーンの体験でした。後に、カーヴヤカンタは師に質問をしてはどうかと彼に提案しました。とても若く、情熱的であり、世界に奉仕したいと思っているハンフリーズは、直ちに同意しました。彼のまさにその最初の質問は、「師よ、私は世界を助けられますか」でした。バガヴァーン:「あなた自身を助けなさい。そうすれば、あなたは世界を助けるでしょう」。ハンフリーズ:「私は世界を助けたいのです。私は役に立たないのでしょうか」。バガヴァーン:「いいえ。あなた自身を助けることによって、あなたは世界を助けます。あなたは世界にいます。あなたは世界です。あなたは世界と異なりません。世界もあなたと異なりません」。少し間をおいて、ハンフリーズ:「師よ、シュリー・クリシュナやイエス・キリストが行ったのとちょうど同じように私は奇跡を起こせますか」。バガヴァーン:「彼らの内の誰かが、奇跡を行ったとき、奇跡を行っているのは自分であると感じましたか」。ハンフリーズ:「いいえ、師よ」。これはバガヴァーンが彼に与えた、彼がその神秘的な力と行為者性の感覚に心奪われるべきでないという最初のヒントでした。

 彼はヴェールールにあまり長くは留まることができませんでした。彼は戻れるときはいつでも戻り、熱い夏の太陽の下をオートバイに乗って50マイル旅しました。彼がヴィルーパークシャ洞窟に着いたとき、バガヴァーンが必ずも彼に尋ねた最初のことは、「ご飯を食べましたか。お腹が空いていませんか」でした。ハンフリーズはたいていお腹を空かせていました。バガヴァーンは直ちに食べ物を用意して、彼に与えました。バガヴァーンは西洋人がスプーンを使って食べることを知っていました。それで、彼はココナッツの殻でできたスプーンをハンフリーズのためにこしらえました。これはハンフリーズをさらにいっそう感激させました。ある時、ハンフリーズは食事を終えた後、まだお腹が空いていました。バガヴァーンは、「あなたはまだ空腹を感じていますね」と述べました。そのあとすぐ、バガヴァーンは彼にもっと食べ物を与えるよう誰かに頼みました。昼食後、焼けるような熱帯の熱気のおかげで、若いイングランド人はとても喉が渇いたと感じました。しかし、彼の持って生まれたイギリス人的慎みのため、彼は何も要求することができませんでした。これを知って、バガヴァーンは直ちに他の信奉者の一人を見て、「彼にレモネードをあげて下さい。とても喉が渇いています」と言いました。この全ては、バガヴァーンの愛は靈的な師としてのそれのみならず、子を育てる母のそれでもあることを彼に印象付けました。洞窟で、何度も彼は見ました-話しもせず、遊びもせず、安らかにただ座っている小さな子供たちを。彼は困惑しました。彼は子供たちがそんなにも静かに、そんなにも安らかに、そんなにも長い間座っているのを見たことがありませんでした。その真相は、子供たちもまたバガヴァーンの靈的な安らぎを感じることができ、同様の方法で応えていたということです。

 バガヴァーンはハンフリーズの神秘学への傾倒について知っており、彼を思い留まらせました。「全ての神秘的な力よりも優れたものを追求しなさい」と彼に言いました。「あなたの目的はそれより高くあるべきです。より高いだけでなく、最高のものであるべきです。最高のものとは、あなたが真理であると認識することです。この全ての神秘的な力はあなたを惑わすでしょう。捨て去りなさい!」。バガヴァーンはハンフリーズに神秘的な力を使うのをやめさせる手助けしました。ハンフリーズはとても力強い人でした。神秘的な力を獲得する能力があったのとちょうど同じように、彼はまた師の教えを実践する力もありました。彼がその天賦の才である神秘学を放棄した時、バガヴァーンは彼を自らの探求と委ねの教えでもって導き、内に進むよう彼に教えました。

 彼は手紙に師についての彼の描写を書き留め、イングランドの友人に送り、それは『国際霊能誌(The International Psychic Gazette)』に次のように掲載されました。「我々が見る現象は興味深く、驚くべきものです-しかし、全ての中で最も驚嘆すべきものを我々は理解していません。それは我々が見る全現象、および、それを見る行為の原因である、かの唯一無二の無限なる力です。生と死、現象の中のこれら全ての変わりゆく物事にあなたの注意を定めないように。それらを見る、つまり、それらを知覚するという実際の行為についてさえ思うことなく、これら全ての物事を見るそれ、その全ての原因となるもののみを思いなさい。最初、これはほとんど不可能なのように思えますが、次第にその結果が感じられるでしょう。それは長年にわたる学習と日々の修練を要しますが、そのようにして師は作られるのです。一日に15分割り当てなさい。見るそれに心を揺ぎなく定め続けるよう試みなさい。それはあなたの内にあります。その『それ』が心を簡単に定められる何か確固としたものであると分かることを期待しないように。そうではないでしょう。その『それ』を見つけるのに何年もかかりますが、この集中の結果は-あらゆる類の意識されない千里眼として、心の安らぎとして、問題事に対処する力として、全面的な力、常に意識されない力として-四・五か月後に速やかに現れるでしょう。師が親しい弟子に授けるのと同じ言葉で、私はこれらの教えをあなたに授けました。今より、瞑想の中でのあなたの全ての思いを、見る行為でなく、あなたが見るものでもなく、断固として見るそれに向けましょう」。

 なんという力強い教えでしょうか!この教えを授かるとは若きハンフリーズはなんと恵まれていたのでしょうか!ハートに打ち立てれてた後、ハンフリーズは全てのものを受け取りました。彼は仕事を処理し、その上瞑想にも従事することが困難であると気づきました。彼はバガヴァーンのもとに行き、バガヴァーンは彼にもう少し職に留まるよう助言しました(師はいつ人が完全に準備できているのか見分けられます。最上の料理人であるバガヴァーンは、もうしばらく彼を「調理」する必要がありました)。数か月後、彼は再びバガヴァーンのもとへやって来ました。今度は、バガヴァーンは、「もう行ってかまいません」と言いました。ハンフリーズは、「私はより良い、より深みのあるカトリック教徒として帰って来ました」と書き留めています。彼の中に矛盾はまるでありませんでした。

 しばらく後、彼は全ての俗事に背を向けて、修道院に入り、修道士になりました。ハートに打ち立てられた後、ヒンドゥー教徒もキリスト教徒もイスラム教徒もいませんでした。男性も女性もおらず、ただ純粋な存在のみありました-まさにイエスが一人の従者にそうなるよう望んだであろうように。

2017年5月15日月曜日

バガヴァーンの甥の息子、ガネーサンによる回顧録① - 神々しきラマナ

◇「山の道(Mountain Path)」、1982年7月、p193~196、Moment Remembered

 神々しきラマナ

 V.ガネーサン
 この寄稿に古参の信奉者たちとの会話から集められた公にされていない逸話を記録することは、共に探求する者たちに行われる奉仕であると私は考えます。私は各号に寄稿を続けたいと思います。 
 シュリー・バガヴァーンの恩寵によって私は、1956年以降ずっと、の古参の信奉者たちをお世話するという誇るに足る名誉と彼らの回顧談に耳を傾けるという莫大な利益を得ていました。これらの談話は決まった型にも年代順にも従いません。主要な目的は、折に触れ様々な信奉者から私が耳にしたことを志を同じくする友と共有することです。
    詩聖であり、シュリー・バガヴァーンの忠実なバクタ、シュリー・ムルガナールは、いつも喜んで熱心な探求者を手助けし、導いていました。彼は「ラマナ」という名前が挙がるだけでうっとりとしたものでしたが、しかしの教えのことになると彼は岩のように断固たるもので、揺るぎませんでした。彼の中に、人はバクティとジニャーナの完全な混合を見出しました。シュリー・バガヴァーンという人物に関する限り、彼はまったく盲目的に身を捧げ、「バガヴァーンの影」という名を博するほどでした!探求者を導き、バガヴァーンの教えを説き聞かせることにおいて、彼は厳格で、妥協しませんでした。

 かつて私が彼のもとへ行き、ヴィチャーラ・マールガに従うのは私にとって難しく、それゆえ、他のより簡単な方法を取り、成熟したそののちに探求の方法を試みるほうが良いと報告しました。彼はほとんど私に怒鳴らんばかりに、即座に返答しました。「それは全くの現実逃避です。バガヴァーンのもとに来て、の教えを知っているなら、自らの探求に身を投じるべきです。バガヴァーンに引き寄せられている者は、すでに直通路上にいます。バガヴァーンが他の方法を進めるとき、それはその質問者だけに向けられていて、あなたに向けらていません。バガヴァーンの道が、あなたに向けられた唯一の道です。のもとにやって来て、どうしてふらふらさ迷うのですか」。

 同じムルガナールは、彼の形彼の名の中の調べの魅力について私が数日後に彼に話しかけたとき、目に涙をあふれさせ、堰を切ったように話し出しました。「そう、そうです。バガヴァーンのそのものが我々にとって十分です。彼の姿は我々をに引き寄せ、ただ我々をの中に吸収することになります。彼の名は全てを包み込んでいます!彼の形は全てを焼き尽くします!」
 
* * * * *

 プラバヴァティ・ラジェ王女は、結婚の直後、バガヴァーンからの祝福をいただきに夫を伴いやって来ました。彼女は二本の美しいバラの花輪を持ってきていて、彼女自身と夫がシュリー・バガヴァーンの首にかけたいと願いました。そのようなことは厳格に禁じられていました。それでも、その熱烈な愛情から、彼女はあくまでお願いし続け、長椅子に座るバガヴァーンに花輪を持って行きました。バガヴァーンは、花輪を拒みながら、「母の神殿にかけなさい」と提案しました。彼女はがっかりし、立ち去る前に、平伏しようとかがんだ時、長椅子に花輪をそっと置きました。彼女は立ち上がり、花輪を手に取り、泣きじゃくって講堂を去りました。しばらく後、シュリー・クンジュ・スワーミーが慰めるために遠くから彼女に驚くべき光景を見せました。バガヴァーンは長椅子の上の花輪から落ちた花びらを一枚一枚つまみ、ゆっくりとその口に次々と入れていたのです!クンジュ・スワーミーは王女に言いました。「御覧なさい!あなたはなんと幸運なのですか!あなたはバガヴァーンがバラの花輪を受け取らなかったとがっかりしていました。でも、今やあなたのバラはの食べ物として役立てられています。これが本当に受け取ったことではありませんか」。彼女ははなはだ満足し、苦悶の涙は歓喜の涙へと変わりました!

* * * * *

 アーシュラムのイドゥリーはとても有名なため、何かまれな機会にイドゥリーはグジャラート州のサバルマティ・アーシュラムで出され、ガーンディーは「ラマナーシュラマム・イドゥリー!」と言ったものでした(「インドのナイチンゲール」、サロージニー・ナーイドゥは、しばらくバガヴァーンと共にいて、アーシュラムのイドゥリーをたいそう気に入ったため、それをガーンディーに説明していたのです!)。アーシュラムでイドゥリーがどのように作られるようになったのか思い起こすことは興味深いかもしれません。当時、バガヴァーンは朝とても早くに起床し、野菜を切り、時にはウップマの調理を手伝ったものでした。かつてローカンマルは、彼女の村、テンカシ近くのパッタクリチからかなり大量の最高品質のパーボイルド米を送りました。別の調理アシスタント、サンタンマは、半分ゆでた米の活用法を知らなかったため(アーシュラムでは生米のみが調理されています)、バガヴァーンと相談し、その日の朝食にイドゥリーをこしらえました。それは全ての人にたいそう気に入られました。その時以来、イドゥリーは主要な朝食になりました。今日でさえ、アーシュラムのイドゥリーは大きさ、柔らかさ、味において称賛を浴びており、その全ての功績ははローカンマ・パーティに帰せられるべきです!

* * * * *

 「ティルヴァンナーマライで夏は10か月続く」は、アーシュラムの信奉者の間でのお気に入りの冗談でした!五月、六月の間、太陽は最も苛烈になります!言うなれば、大地全てが燃えます。バガヴァーンはその生涯で決して靴を使いませんでした。昼食の後、毎日、12時と1時半の間にはパラコットゥに歩いて行ったものでした。むき出しの砂の道を裸足で歩くことは不可能でしたが、バガヴァーンは、雨が激しく降っていても太陽がじりじり照り付けていても、歩くペースを決して変えませんでした。はゆっくりと歩きましたが、の後に従う付添人には「走って、走って。あの木の下に避難しなさい。上着を足の下において、しばらくその上に立ちなさい」と言ったものでした。付添人がそのようにするよう強く求める一方で、彼自身は着々とゆっくり歩いていました!

* * * * *

 シュリー・バガヴァーンの信奉者、シュリー・シャンカラーナンダは、マドラスの郵便局に勤めていました。マントラ・ジャパを長い間修練した結果、彼はマノー・ラヤ、心の静止を達成しました。彼は全ての俗事に興味を失い、事務所でも家でも務めにもはや専念できませんでした。彼は四六時中ラヤ・サマーディにいました。6か月の休暇を取り、彼がバガヴァーンのもとへやって来たのは、この時期でした。彼はバガヴァーンと共に旧講堂に座り、すぐに一切の外的な意識を失いました。昼食の鐘が鳴った後でも、彼は動かずに座っていました。バガヴァーンはその足で軽く押すことで彼に意識を取り戻させ、彼を食堂に連れて行きました。

 マノー・ラヤ・サマーディは人を究極の真理に導こうとはしないため、バガヴァーンはシュリー・クンジュ・スワーミー、シュリー・ヴィシュヴァナータ・スワーミーなどにシャンカラーナンダを朝は寺院に、夕方はスンダラム池に連れて行き、彼を日中ずっとあれやこれやに従事させるよう頼み、そうして彼がラヤに逆戻りするのを妨げました。彼が眠りに圧倒されるまで、彼を日中目覚めさせておくというこの措置は何日も続きました。しばらく後、シュリー・バガヴァーンの恩寵によって、シャンカラーナンダは正常になりました。休暇の終わりに彼は家に戻り、普段どおりに生活を続け、昇進を勝ち取りもしました。

 マトゥルブーテーシュワラ寺院の建設のためのチーク材を手に入れるために、後にシュリー・ニランジャーナンダ・スワーミーをビルマに連れて行ったのは、このシャンカラーナンダでした。

* * * * *

 夜でさえ、バガヴァーンは信奉者に囲まれていました。彼の長椅子の周り一面で、人々は眠ったものでした。犬もまたそうでした。

 アーシュラムの入居者、シュリー・ソーマスンダラム・スワーミーは、猿を追い払い、信奉者を妨害から救ったものでした。彼は他の信奉者とともに講堂で眠ったものでした。時々、真夜中に彼は夢の中で猿を追い払うことになっている妙な音を立てました。シュリー・ラーマクリシュナ・スワーミーは、「よし、よし!猿は立ち去りました。寝なさい」と言ったものでした。彼の心が夢に住まわないように、バガヴァーンはラーマクリシュナ・スワーミーに彼を起こすように言ったものでした。バガヴァーンは、人は夢をみることなく直接眠りに入るべきであり、同様に目覚めに関しては、目覚めの最初の衝動の直後に起き上がるべきだと言いました。

 バガヴァーンがかつて眠ったことがあるのか誰もわかりませんでした。朝の2時か3時に、バガヴァーンは長椅子の上で身を起こしていたものでした。眠っている間、バガヴァーンは決して誰も妨げようとはしませんでした。しかし、目覚めた後、誰かが再び眠ろうとするなら、バガヴァーンは、目覚めた後に眠りを延長し、夢に耽溺しないよう彼らに言ったものでした。は彼らを起こす合図を送るために彼らを杖でつつきました。バガヴァーンはまさしく信奉者の母親でした!

* * * * *

 アルナーチャラへのシュリー・バガヴァーンの熱烈な信愛はよく知られていますが、次の事実を知る人はわずかです。バガヴァーンが新しいペンを手に入れたり、ペンに(インクを)充填したり、鉛筆をとがらせたりする時はいつも、ちゃんと書けているかどうか試すために紙切れに走り書きしたものでした。そのような機会にはいつも決まって、シュリー・バガヴァーンは(タミル語で)「アルナーチャラム」という言葉を記しました。

* * * * *

 我々は過去の号の中で、シュリー・クンジュ・スワーミーのノートの中のシュリー・バガヴァーン自身によって描かれたアルナーチャラ山のスケッチを掲載しました。別の近しい付添人、シュリー・シヴァーナンダ・スワーミーが、ごく最近、バガヴァーンがアルナーチャラ山の絵を描いたノートを私に手渡しました。それを以下に複写します。

2017年4月24日月曜日

恐れなき者、シュリー・ラマナ- 一切の恐怖の克服が賢者の証である

◇『The Call Divine(召命)』 Volume Ⅴ、Book 12、1957年8月1日

2017年4月24日、バガヴァーンの第67回アラダナ(命日法要)に、その遺徳を偲んで
(文shiba)

恐れなき者、シュリー・ラマナ

チャガンラル・V・ヨーギ、マドラス

 生きとし生けるものに最も深く根差した最大の恐怖は、死の恐怖です。死の恐怖を完全に克服した稀有な巨人たちは、片手で数えられるほどです。世事に夢中になっている人々は、死を恐れるあまり、それを口にすることさえ嫌がります。彼らは、死への言及を避けることで、その到来を延期できるという甘やかな幻想を抱いています。そのような人々と対照的に、常に死に立ち向かう覚悟のある人々は、いつも陽気で、恐れを知りません。

 死の恐怖を免れていることは、確かに人間にとって崇高な境地です。しかし、その至高の境地は死の征服そのものなのです。アルナギリの賢者、シュリー・ラマナは、弱冠17才で、この靈的高みの頂きに到達し、それ以後、マハー・ニルヴァーナを得るまで、その至高の境地に留まりました。

 ヴェンカタラーマン(当時のシュリー・ラマナの名前)が学生としてマドゥライで叔父と一緒に暮らしていた時、彼は17才ぐらいでした。その時期のある日、彼が上の階の床に横になっていたとき、驚嘆すべき体験をしました。彼は実際に死の状態を経験したのです。けれども、彼は心の中で完全に意識があり、生き生きとしていました。彼は体が突如、厚板のように固くなったことに気づきました。彼の手先、足先、四肢全ては不活発になり、その結果、動かすことさえできませんでした。彼は横に向くこともできませんでした。全ての死の兆候が体に存在しましたが、驚くべきは、彼が体に起こっていた全てに完全に気づいていたことでした。そのため、体が死んだという事実について疑いは全くありませんでした。

 そして、この死体のような状態で、以下の思いが彼に起こりました。

 「親類が来て、この体が死んでいることに気づけば、彼らはそれを火葬場に運び、燃やして灰にするだろう。しかし、それは私の存在を無にするだろうか。私は生きている、そして、確実に生き続けるだろう。私の原初の存在なる、この意識、それこそが私の真の自らだ。自らは永遠に生きている。体はいつでも滅びうる。私は体ではない。私は自ら以外の何物でもない」。

 そうこうするうちに体は復活し始め、短い時間で正常になりました。かくして、シュリー・ラマナに、この類い稀な死の体験がやって来ては去ってゆき、後に彼が自ら以外の何物でもないという色あせることのない真理の実現を残しました。

 古き時代、ナチケータは死の神、ヤマのもとへ行き、その心をつかむことに成功しました。ヤマは彼を気に入り、自らの真理を彼に明らかにしました。我々の時代には、ヴェンカタラーマン少年もまた死を抱擁し、偉大な真理を得た後、生還しました。ヴェンカタラーマンは死なるライオンのひげをその巣穴の中でつかみました(捨て身で死に立ち向かいました)。この二つの出来事の間の類似はとても明確であるため、シュリー・ラマナの信奉者の多くは、彼が死の主自身から手ほどきを受け、ヤマが彼の師であると信じています。

 マハーラーシュトラの偉大なる賢者、聖トゥカーラムは、彼の歌の一つの中で歌います。「私は私自身の目でもって私の死を見た」。このことは彼がシュリー・ラマナのように、生きている間にさえ死の体験を得たことも示しています。どのように聖トゥカーラムがこの素晴らしい体験を得たのか、彼の心と体にそれがどのような影響をもたらしたのかは、それについて彼が何も記していないため、我々の知るところではありません。それ以上の比較は、そのため、不可能です。

 最大の恐怖、すなわち、死の恐怖を克服した後、シュリー・ラマナはあらゆる類の恐怖から完全に解放されました。まさしく、彼はシュリー・ラマナ、恐れなき者となりました。それ以来、彼は決して恐れなかっただけでなく、恐れなき心と勇気で他者を満たしました。

 1908年、ティルヴァンナーマライはペストの流行に見舞われ、人々は慌てふためき町から逃げました。そのため、町は荒涼たる様相を呈しており、ヒョウたちが白昼堂々と商店街をうろついていました。アルナーチャラ山のふもとに位置するパチャイアンマン女神の寺院に避難する人々もいました。当時、シュリー・ラマナはこの寺院で暮らしていました。彼のダルシャンのためにやって来て、そこに滞在していたランガスワミ・アイエンガーと呼ばれる信奉者は、用を足すために隣接する森に行きました。彼が歩いていると、行く道にヒョウが座っているのを目にしました。彼は追い払おうとしましたが、これはただヒョウを激怒させ、ヒョウは彼にうなり始めました。シュリー・アイエンガーは震え上がり、一目散に逃げ出し、身の安全を図るために寺院に向かって駆け出しました。彼はシュリー・バガヴァーンの名前をこの間中ずっと唱えていました。ヒョウは、その習性と本能に従い、怯えて走るアイエンガーを追いかけました。彼の足が彼を運びうる限界の速さで走っていると、シュリー・バガヴァーンが彼に向ってやって来るのを目にしました。激しくあえぎながら、シュリー・アイエンガーは叫びました。「バガヴァーン!助けてください。ヒョウが私を追いかけてきます」。シュリー・ラマナはただ笑い、彼に尋ねました。「でも、どこにヒョウがいるのですか」。アイエンガーはその頃には後ろを振り返られるほどに回復し、驚いたことにヒョウが全然いないことに気づきました!シュリー・アイエンガーの心から恐怖のわずかの痕跡も除き去るために、シュリー・ラマナは彼に同行して彼が最初にヒョウを見た場所に行きました。しかし、驚いたことにアイエンガーはそこでもヒョウを見ませんでした。これは彼を安心させ、彼は恐怖を免れました。シュリー・ラマナは、そうして、彼自身の恐れを知らない性質を通じて信奉者の恐怖を取り除きました。

 続いて起こった別の出来事には、似たような語るべき話があります。ある時、マドラスからの信奉者が、シュリー・バガヴァーンに敬意を表するためにパチャイアンマン寺院にやって来ました。彼は近くの貯水池に沐浴しに行きました。夕闇へと消えゆく黄昏(たそがれ)時でした。シュリー・ラマナは、その時、寺院で誰かと話すのに忙しくしていました。出し抜けに彼は会話を打ち切り、何か急な用事を思い出したかのように、足早に貯水池にまっすぐ向かいました。あわやというところで彼はそこに到着しました。トラが不用心な沐浴者に背後から今にも跳びかからんとしていたのです。信奉者はトラに気づいておらず、とてもくつろいで沐浴していました。しかし、シュリー・バガヴァーンが誰かに「そこのあなた、向こうに行きなさい」と呼びかけているのを見聞きしたとき、彼は振り返り、トラを目にし、ただただ恐怖に襲われました。トラは、もちろん、シュリー・バガヴァーンの命を受るとすぐに体の緊張を緩め、向きを変え、茂みの中に消え去りました。その時になってやっと、信奉者は安堵のため息をつきました。彼の命を救うというシュリー・バガヴァーンのとりなしに大いに感謝して、彼はシュリー・バガヴァーンを前にして地面にひれ伏し、繰り返し感謝の意を表しました。

 この出来事はシュリー・バガヴァーンの完全に恐れなき心だけでなく、トラのような獰猛な動物に対してさえ、彼が限りない愛と完全な支配力を持つことを示しています。そのような愛は、最高水準の恐れなき心を得た後にのみ、訪れうるものです。他に何が信奉者にとびかからんとするトラに勝ち得たでしょうか。信奉者もまた、シュリー・ラマナがトラをとても愛情深く、恐れずに扱うのを目にするとすぐに、恐れなき心で満たされました。

 1896年9月1日、シュリー・バガヴァーンがティルヴァンナーマライに到着した後、しばらく彼は巨大なアルナーチャレーシュワラ寺院に住みましたが、なにがしかの理由で彼は寺院の敷地自体の中で数回住まいを変えました。その時、彼は住むための全く人が訪れることのない場所を探し求めました。千本の柱のある広々としたマンダパムの中に、そのような場所が片隅にありました。それは放置された地下寺院であり、その中にはシヴァ・リンガが安置されていました。それは地表面より下にあったため、誰かがそれをパーターラ・リンガムとふさわしく名づけました。内部は真っ暗闇であったため、それは崇拝されないままで、地下室も掃除されないままでした。そのため、人々は踏み段を下りて行くのを怖がっていました。しかし、シュリー・ラマナの場合は異なりました。彼は完全に恐れを知らなかっため、この寂しい地下室を滞在地に選びました。彼は下りて行き、都合のいい姿勢で座り、すぐに深いサマーディに入りました。心に恐怖の高まりが生じることさえなく、何か月か彼はその恐ろしい地下牢のような場所に住みました。

 バガヴァッド・ギーターの以下の一節に描かれるように、まさしくシュリー・バガヴァーンは賢者、シュティタプラジニャでした。

その心が情欲、恐怖、怒りから解き放たれた者は、賢者、シュティタプラジニャと呼ばれる

 1922年にシュリー・ラマナーシュラマムが開かれる前、シュリー・バガヴァーンは、アルナーチャラ山の斜面に位置するスカンダーシュラムと呼ばれる素敵な洞窟で長年暮らしていました。1922年に彼の崇敬される母、シュリー・アラガンマルがこの世の煩わしさを捨て去った(亡くなった)のは、ここでした。シュリー・バガヴァーンと数人の信奉者は、このアーシュラムの前壁を建てるために力仕事を行っていました。壁が建設中のとき、ある日、ヘビがそこにやって来ました。それを目にするや否や信奉者たちは怯え、仕事を投げ出し、右往左往の大わらわでした。シュリー・ラマナは彼らがたいそう怖がっているのを目にし、ただ笑い、そのヘビに呼びかけ、言いました。「そこのあなた、向こうに行きなさい。この友人たちがあなたをたいそう怖がってますので」。ヘビは即座にシュリー・バガヴァーンの要請に従い、すぐに視界から消えました。このようにして、彼自身に備わっている恐れなき心によって、シュリー・バガヴァーンは恐れなき心と勇気で信奉者を満たしました。

 1924年に、強盗団がシュリー・ラマナーシュラマムを襲撃し、窓ガラスを打ち壊し、戸棚をこじ開け、アーシュラムに火をつけるぞと脅したとき、シュリー・バガヴァーンは動じず、全く恐れないままでした。強盗団は、居住者たち、そしてバガヴァーンさえも、強(したた)かに打ちつけるまでに及びました。その時でさえも、シュリー・バガヴァーンは全く恐れませんでした。泥棒たちが戸棚と他の箱のカギを要求したとき、ある居住者がアーシュラムのカギ束をもって町に出ていたため、彼らに渡すことは不可能でした。シュリー・ラマナは泥棒たちにこの事実を穏やかに伝えましたが、それでも彼らは暴れまわり、彼を殺すぞと脅しました。この一連の出来事と襲撃の間のシュリー・ラマナの穏やかで冷静な態度は、いかにシュリー・バガヴァーンが生きとし生けるものの根元的な性向、すなわち、死の恐怖を超越しているかを明確に示しています。

 これら全てとシュリー・ラマナの人生の他の多くの出来事は、人も獣も彼に恐怖心を抱かせることができず、彼の完全に恐れなき心が勇気と大胆さで他者を満たしたということを示しています。それは全ての信奉者に教訓を教え込む彼の方法でした。彼は惜しげなく彼が持つもの全てを与え、幸運にもその一部でさえ吸収できた人々は救われ、高められました。

 恐れなき者、シュリー・ラマナに恭しくお辞儀いたします。

ラマナーシュラマムでのバガヴァーンの第67回アラダナ(命日法要)の様子

2017年4月11日火曜日

ヴァーサとヴィラーサの物語 - 偉大なる二人の禁欲行者の対話

◇「山の道(Mountain Path)」、1976年1月、p34~35

『ヨーガ・ヴァーシシュタ』からの物語-Ⅶ


ヴァーサとヴィラーサの物語

M.C.スブラマニアンによるサンスクリット語からの翻訳

ヴァーシシュタはラーマに言った:
 スラグとパリガは世界の本質について語り、互いに敬意を払い、別れました。常にその心が内に向けられ、自らに定められた者は、決して悲しみに染まりません。

 おお、ラーマ!このジーヴァなる去勢された若い雄牛は、数百の欲望なる縄で縛られています。彼は世俗の快楽なる牧草地でしきりに草を食べたがっています。彼は悲しみなる重荷を運び、迷妄なる濁った水たまりの中をのたうち、病と呼ばれる虫類にかまれ、欲望の縄に繋がれ、涼やかな日陰を見つけられずに、せわしなく行き来して喉が渇いています。あなたは最大限の努力をもってサンサーラなる泥沼から彼を引き上げなければなりません。よい船とまさしく同様に、おお、ラーマ、サンサーラなる大海を渡る方法もまた偉大なる方々との交際によって学ばれます。よい果実と涼やかな木陰がある賢者なる木のない山で、賢者は一日も過ごすべきではありません。富も友も、聖典も、親族も、サンサーラに沈んだ人を救うためには役立ちません。自らは知恵者(ジニャーニ)との交わり、彼による導きによってのみ、保たれます。体は丸太や土くれのごとくであるという知だけによって、人は至高なる自らを実現できます。

 自らは大海原のようであり、言葉を超えています。それは何ものとも比較できません。それは何かを必要とすることもありません。それは意識の光がおぼろげであるが、しっかり見られるトゥリーヤの体験と比べられるかもしれません。それは空のように全てを包んでいる深い眠りにいくぶん似ています。

 心と自我が解消されたときに生起する内なる至福は、至高なる主の本質そのものです。おお、ラーマ!それはヨーガの達成です。ある程度、それは深い眠りに似ていますが、言葉を超え、ハートの内に体験しうるのみです。全世界は無限の自らです。それは変化を被(こうむ)る心の内にあります。世界が現れなくなる時、(諸々の)主の主、動く存在と動きなき存在の自らが実現されます。その時、感覚対象物への欲望がやみます。これはまばゆく輝く自らの体験とともにやって来ます。そして、これに続いて次に、同質的な自らへの変容が起こり、それは偉大な方々でさえ心に描けません。自らは、心が心そのものによって殺害されないまで、実現できません。その時まで、世界の悲しみに終わりはないでしょう。心が消滅するとき、至高の喜びの体験が生じます。

  これに関連して、古(いにしえ)の伝説、天に達するほど高く、大地をその礎にして立ち、パーターラ(地下世界)にまで広がるサヒャ山の谷間に住んでいた、ヴァーサとヴィラーサという名の二人の友の対話をあなたに話しましょう。果実がたわわになる木々を抱(いだ)く谷間の南側に位置するは、賢者アトリの大きく美しいアーシュラムであり、シッダたちは心配事を取り除くために足しげく通います。そのアーシュラムに住んでいたのは、惑星シュクラ(金星)とブリハスパティ(木星)のごとく空に輝く、二人の禁欲行者です。彼らにはヴァーサとヴィラーサという名の二人の息子がいました。彼らは献身的な夫婦のように互いを愛していました。彼らは大変に気心が合ったため、彼らの心は一つになっていたようでした。彼らの父親はほぼ時を同じくしてなくなりました。葬儀を行った後、彼らは父親を哀悼しました。その後、彼らは別れ、完全に超然とした態度で森の異なる場所に住みました。彼らの体は禁欲行のためにやせ衰え、彼らは全く無欲になりました。月日は流れ、年月が過ぎ去りました。そして、ある日、彼らは出会いました。そこで、ヴィラーサはヴァーサに尋ねました。「おお、気高き生き方なる木の果実よ!おお、この世界における我が唯一の友よ!心の安らぎを求める人々にとって神酒の大海よ!ようこそ。私と離れて以来、どのように日々を過ごしていましたか。あなたの禁欲行は実を結びましたか。あなたの心は焦燥的ではなくなりましたか。あなたの自らを実現しましたか。あなたの学びは実り多きものとなりましたか。あなたは幸福ですか」。

 ヴァーサは答えました。「ようこそ、我が親愛なる友よ!幸運にも、私はあなたに、我が尊敬すべき友に会いました。我々がサンサーラの中にいる限り、どうして我々が幸福でいられますか。知識の対象が超越され、心の世界が枯れ落ち、サンサーラが渡られるまで、どうして我々が幸福でいられますか。木こりによってつる草が切り落とされるように、ハートから生じる欲望が切り落とされるまで、どうして我々が幸福でいられますか。我々が(真の)知を獲得し、平等感を養い、知恵を得るまで、どうして我々が幸福でいられますか。おお、有徳の者よ!自らを達成し、知の万能薬を得ることなければ、この悲惨なサンサーラなる病は何度も何度も我々を襲うでしょう。様々な類の悲しみの真中に落ち、生死なる強風によって打ち倒され、世界なる岩の上を転がり、人々は枯れ葉のごとく老いゆきます」。

2017年4月1日土曜日

シヴァプラカーシャム・ピッライ - 最も謙虚な師の教えの実践者

◇『ラマナ・ペリヤ・プラーナム(Ramana Periya Puranam)』、p31~34

シヴァプラカーシャム・ピッライ

V.ガネーシャン

 1902年、シヴァプラカーシャム・ピッライがバガヴァーンのもとに来た時、ガンビラム・セーシャイヤのように、彼は哲学を学んだ公務員でした。大学時代にさえ彼は内省的であり、「私は誰か」と熟思したものでした。「それは束の間の思いだと思っていました」とシヴァプラカーシャム・ピッライは後に述懐しました。彼はヴィルーパークシャ洞窟にバガヴァーンを訪ねました。ガンビラム・セーシャイヤ同様、バガヴァーンからの恩寵の一瞥だけで、彼は完全に心奪われました。とても実際的で、明快な考え方をする人であったため、彼のまさに最初の質問は、「スワーミー、私は誰ですか」でした。この質問は教えの水門を開放し、教えは今日まで世界中の諸文化に浸透しつつあります。バガヴァーンの教えへの彼のアプローチは、実践本位でした。シヴァプラカーシャム・ピッライはバガヴァーンに14の質問を提示し、バガヴァーンは石板と砂の上に答えを記しました。そのうち、答えは消されました。シヴァプラカーシャム・ピッライは、記憶をもとに、それらの質問への答えを記しました。

 シヴァプラカーシャム・ピッライ:「スワーミー、私は誰ですか。どうすれば救いが得られるのですか。」
 マハルシ:「絶え間ない内に向かう探求、『私は誰か』によって、あなたはあなた自身を知り、それにより救いを得るでしょう。」

 「私は誰ですか。」
 「本当の『私』、すなわち、自らは、体ではなく、五感のどれでもなく、感覚対象物でもなく、活動器官でもなく、プラーナでもなく、心でもなく、それらの認識がない深い眠りの状態でさえありません。」

 「私がそのどれでもないなら、他の何が私なのですか。」
 「『これは私でない』と言い、そのそれぞれを拒絶した後、唯一残るものが『私』であり、それは意識です。」

 「その意識の本質は何ですか。」
 「それは、わずかの『私』なる思いの痕跡さえない、サット‐チット‐アーナンダです。それはモウナやアートマとも呼ばれています。それは存在する唯一のものです。世界、自我、神の三つ組が分離した実体とみなされるなら、それらは単なる幻です-真珠母貝の銀色の外観ように。神、自我、世界は、実際、シヴァ・スワルーパ、アートマ・スワルーパです。」

 「どうすれば我々は、その現実を実現できますか。」
 「見られる物が消え去るとき、見る者、主体の本質が現れます。」

 「外側の物を見ながらも、それを実現することはできませんか。」
 「できません。なぜなら、見る者と見られる物は、縄とその中の蛇の外観のごとくであるからです。あなたが蛇の外観を取り除くまで、存在するものは縄でしかないと知ることはできません。」

 「いつ外側の物はいつ消え去るのでしょうか。」
 「全ての思いと活動の原因である心が消え去る時、外側の物もまた消え去るでしょう。」

 「心の本質とは何ですか。」
 「心とは思いでしかありません。それは力の一つの形です。それは世界として顕現します。心が自らの中に沈むとき、その時、自らが実現されます。心が飛び出すとき、世界が現れ、自らは実現されません。」

 「どうすれば心は消滅しますか。」
 「『私は誰か』なる探求を通じてのみ。この探求もまた心の活動ですが、それは、それ自体を含め、一切の心の活動を破壊します。火葬用の薪山をかき混ぜる棒そのものが、薪山と死体が焼かれた後、灰に帰すのとまさしく同様です。その時にのみ、自らの実現が訪れます。『私』なる思いは破壊されると、呼吸や他の生命の兆候も静まります。自我とプラーナは共通の源を持ちます。あなたが何を行うのであれ、利己心なく、つまり、『私がこれを行っている』という感覚なく、行いなさい。人がこの境地に達するとき、彼自身の妻でさえ彼には万物の母として現れるでしょう。真のバクティとは、自らへの自我の委ねです。」

 「心を破壊する他の道はありませんか。」
 「自らの探求以外、適切な方法はありません。心が他の手段で静められるなら、しばらくの間おとなしくしていますが、その後再び生じ、以前の活動を再開します。」

 「しかし、自己防衛といったような、全ての本能や傾向(ヴァーサナ)がいつ我々の中で抑えられるのでしょうか。」
 「あなたが自らの中に退けば退くほど、それらの傾向は衰えゆき、終には抜け落ちます。」

 「多くの生まれを通じて我々の心の中に染み込んでいる、これら全ての傾向を根絶することは本当に可能ですか。」
 「あなたの心にそのような疑問の余地を決して与えず、固い決意をもって自らの中に飛び込みなさい。この探求によって、心が常に自らに向けられるなら、心はやがては溶かされ、自らに変じます。あなたがどのような疑問を感じても、それを解明しようとせず、疑問が起こるのは誰なのか知ろうとしなさい。」

 「この探求をいつまで続けるべきでしょうか。」
 「あなたの心の中に思いを引き起こす傾向の痕跡がごくわずかでもあるかぎり。敵軍が砦を占拠している限り、彼らは出撃し続けるでしょう。あなたが出てくるに従い一人ひとり殺すなら、ついには砦はあなたの手に落ちるでしょう。同様に、思いが頭をもたげるたびに、この探求によってそれを押しつぶしなさい。一切の思いをその源で押しつぶすことが、ヴァイラーギャと呼ばれています。そのため、自らを実現するまで、ヴィチャーラは必要であり続けます。必要とされることは、継続的な途切れない自らの想起です。」

 「この世界とその中で起こることは、神の意志の結果ではないのですか。そして、もしそうなら、なぜ神の意志はこのようにあるべきなのですか。」
 「神は目的を持ちません。彼はどんな行為にも束縛されません。世界の活動は彼に影響できません。太陽を例にとりましょう。太陽は欲望、目的、努力なく昇りますが、それが昇るや否や、無数の活動が地上で起こります。その光線の中に置かれたレンズは、焦点で炎を作り出し、蓮華のつぼみは開き、水は蒸発し、生きとし生けるものは活動を開始し、続け、終にはやめます。しかし、太陽はそのようなどんな活動にも影響されません。太陽は、その性質に従い、定まった法則によって、何ら目的もなく活動するに過ぎず、目撃者でしかないからです。神についても同様です。あるいは、虚空を例にとりましょう。地水火風はその中にあり、その中にそれらの変形物を持ちますが、そのどれも虚空に影響しません。神についても同じです。生命が従属する創造、維持、破壊、覆い隠し、救いというその活動の中に、神は欲望や目的を持ちません。彼の法則に従って、生命はその行為の結果を得るため、その責任は生命にあり、神にありません。神はどんな行為にも束縛されません。」
 
 のちに、シヴァプラカーシャム・ピッライはさらに14の質問を提示しました。バガヴァーンはそれにも回答しました。これら24の質問と回答が、小冊子「私は誰か」を構成し、それはバガヴァーンの教えの核心を具現化し、探求者へのなくてはならない手引きです。それは我々が悟ることを可能にします-我々が、シュリー・ラマナ・マハルシに行き渡り、さらには全創造物に穢れなき真理として行き渡る、同じ自ら、同じ意識であることを。他の14の質問へのバガヴァーンの回答の要諦は、以下になります。

. 「私」として肉体の中に生じるものが、心です。「私」という感覚はハート、存在の核心から生じます。「私は誰か」問うことによって、注意は内に向かい、それゆえ、思いから逸らされます。この修練を粘り強く行うことにより、心は力を得て、源へ行き、自らに吸収されます。適量の質素な栄養のある食べ物を食べるというようなサットヴァな原則に従うこと、簡素な善行の規範を守ることが、心の清浄な性質の発展に最も寄与します。これが今度は、障害なく、どのような形も自らの中に生じる余地を与えることなく、人が自らの探求を追及するのを助けます。全てのヴァーサナは解消されるでしょう。人は、しっかりと絶え間なく、唯一なる自らに集中すべきです。人は逸れることなく、絶えず師の教えを実践すべきです。自らは至福です。深い眠りやサマーディなどの場合、もしくは、望ましい物が得られるときに、心が幸福を体験するときはいつでも、それは心がその欲望を手放し、自らの至福でいるためです。灼熱の太陽を避け、影を決して離れない賢明な人のように、人は心が外に向かい活動することを許さず、常に自らに吸収されているべきです。自らは、太陽のように、それが支える生き物のどんな活動にも影響されません。心を絶えず内側に向け続け、そのように自らとしていること、それのみがアートマ・ヴィチャーラ、自らの探求です。心が退くなら、他の全てが退くでしょう。自ら、人の本質の中にいること、留まること、それのみがムクティ、解放です。

 シヴァプラカーシャム・ピッライは、これらの教えを体現しました。彼は、自らの探求の後、どのように探求者たちが彼ら自身を自らの中に保つべきか示しました。彼はバガヴァーンを崇拝し、彼が言ったことを何でも吸収し、それを実践しました。しかしながら、バガヴァーンの教えを実践するとき、信奉者は誤解するかもしれません。例えば、バガヴァーンが放棄を褒め称えたとき、シヴァプラカーシャム・ピッライはバガヴァーンがサンニャーサを意図しているとばかり思いました。彼は家に行き、頭を剃り、布切れ一枚を身に着けました。彼は常に身に着けていた聖糸さえ捨てました。バガヴァーンは彼を見て、尋ねました。「どうして頭を剃ったのですか。髪を伸ばし、聖糸を身につけなさい」。その時、彼は、バガヴァーンがを意図していたことは、ジニャーナであり、外的な象徴でない、内なるサンニャーサであると理解しました。世界への、その対象物への愛着が、内から放棄されねばなりません。

 ヴィルーパークシャ洞窟とスカンダーシュラムで、彼は頻繁にバガヴァーンと共にいました。師のそばにいて、その教えを吸収したため、彼は精神的に成熟し始めました。そして、彼は仕事をやめ、自らの探求に完全に専念したくなりました。バガヴァーンはそのようにする許可を彼に与えませんでした。しかしながら、三年後、彼は再びまた、もうこれ以上仕事に行けませんとバガヴァーンに伝えました-仕事中でさえ、彼は自らの探求に没頭し、結果、事務仕事に関心を向けられませんでした。今度は、バガヴァーンは彼に職を辞す許可を与え、彼の村に戻り、サーダナを続けるよう求めました。

 彼は村のはずれの古いガネーシャの寺院に、また、時には近くの森に一人とどまりました。彼は絶えず探求を修練しました。この期間に、彼の意識状態と行動が突如変化しました。彼は明確な理由もなく笑いはじめ、タミル語で聖歌を大声で唱え、彼が出くわした全ての形に平伏し、聖灰の袋を挟み込んだ長い腰布を身に着けました。バガヴァーンは数年前にこの袋を彼に与え、体にその中身を塗りつけるよう求めました(これは私が出会った、バガヴァーンが信奉者に聖灰を塗り付けるよう指示した唯一の事例です)。シヴァプラカーシャム・ピッライは全身を聖灰で覆い、小さな杖を持ち歩き、カーストの制約を忘れ、いわゆるアウトカーストに占拠される火葬場やその他の地域をよく訪れました。この状態で、彼はまた、はるばる近くの門前町に歩いて行き、歩いて戻りました。彼に差し出されたおかゆと酸っぱい食べ物を誰からでも受け取りました。村に戻った時、彼は通常の意識を取り戻しました。それ以来、彼はバガヴァーンを年に何度も訪れ、毎回、15日ぐらい滞在しました。この間中ずっと、外のグルは彼を押し入れ続け、一方、内のグルはより長時間のアートマ・ヴィチャーラへとさらに内側に彼を引っ張っていました。しばしば、恍惚状態で、シヴァプラカーシャム・ピッライは多くの詩を作りました。バガヴァーンはそれらを高く評価し、承認しました。彼はそのいくつかを日々のパーラーヤナ、アーシュラムでの朗誦に含めさえしました。

 これらはシヴァプラカーシャム・ピッライの詩の中の四編です。

 「夜明けから日暮れまで、私は無駄話に日々を費やしている。瞬間でさえ、私は、『私は誰か』と思わない。わが主よ、あなたは私に告げた-あなたが一言話すなら、それは多くの言葉に増殖するだろう、と。ラマナ・デーヴァよ、私はあなたの信奉者のふりをしているに過ぎず、一者としてわが身を処していない。」

 「私は他者の悪行に聞き耳を立て、それについて語り、時間の大部分を浪費する罪びとである。私自身多くの欠点を持つが、他者がそれに言及するなら、私の心は怒りで沸き立つ。それに何ら害もないと思い、私は小さな嘘を口にするのをためらわない。おお、ラマナ・デーヴァよ、私があなたの信奉者であるかのように、あなたの足元に崩れ落ちるのは見せ場ではないのか。」

 「私は年老い、種々の病を患っているが、女性への欲望を滅ぼしていない。私の心なる亡霊は、その美しい顔を見、言葉を交わし、その蜜のごとき言葉に耳を傾けることを欲する。たとえ私が心に助言しても、それは退かず、彼女たちを追いかけ、さまよう。ラマナ・デーヴァよ、いつこの迷妄は終わり、私の心は堅固になるのか。」

 「私の資質や徳性が劣っていることは、あなたの知るところである。欠点に満ちた愚か者の中で、私が最下であることも、あなたの知るところである。あなたはこの全てを知っているのに、それでもあなたは私を探し、私を所有した。ラマナ・デーヴァよ、この不可思議をいかに私は説明しうるのか。」

 ある信奉者がかつてバガヴァーンに尋ねました。「バガヴァーン、シヴァプラカーシャム・ピッライは実に優れた禁欲行者でした。彼は逸れることなくあなたの教えを実践しました。彼の詩を読めば、自分の立ち位置はどこなのか疑問に感じます!彼がこの哀れな状態であるなら、私はどうなるでしょうか」。バガヴァーンは美しい返答で応じました。「神を称賛するとき、アーディ・シャンカラや他の賢者は、彼ら自身を叱りつけ、同じことを述べています。そのようにして、賢者は他者を導き、探求者に警告するのです」。

 ヴィシュワナータ・スワーミーは、シヴァプラカーシャム・ピッライが講堂のどこかに座っているのを知っていたので、シュリー・バガヴァーンに彼を教えて下さるよう頼んだことがあると私に話しました。講堂は信奉者で混みあっていました-おそらくは祭りの日だったのでしょう。バガヴァーンは最も遠く離れた角のほうを指さし、言いました。「ほら、あそこです!両腕で裸の上半身を覆い、田舎の村人のように目立たずに座っています。あれが我々のシヴァプラカーシャム・ピッライです。彼は飼いならされた猫のようにここで座っています。人は彼の事務所で彼を見るべきです。そこでは、彼は野生のライオンのようです。実直、正直、勤勉が彼を特徴づけており、そのために全ての人は畏怖と尊敬の念をもって彼に近づきます」。

 シヴァプラカーシャム・ピッライが年を取り、病気になり、彼の村から旅することができなくなったと知ることになり、私の父は、彼に会ったことありませんでしたが、クンジュ・スワーミーにチダンバラム近くの彼の村に自分を連れていくよう迫りました。シヴァプラカーシャム・ピッライの質素な風采と謙虚さは、傑出していました。彼の体は、精神的成熟性によって、溶けた黄金のように輝いていたものでした。父をシヴァプラカーシャム・ピッライに紹介する間、クンジュ・スワーミーは、シュリー・バガヴァーンの率直な教えをもたらした最も謙虚な学者の信奉者として彼を心から恭しく褒め称えました。シヴァプラカーシャム・ピッライは、謙遜の限りを尽くし、熱烈な愛情をもって、クンジュ・スワーミーの両手を握り、それを彼の目と頭の上に置きました。その目から涙を流しながら、彼は言いました。「この神聖な手は、わが師の聖なる体に触れ、仕えるという大変な幸運を得ました。それは私の人生で決して得ることのなかった功徳です。あなたは本当に恵まれていて、はるかに偉大です!」。この出来事を語った後、クンジュ・スワーミーは言いました。「このようにして、真に偉大な人々は、他者の栄光を高めるために自らを低きに置くのです。彼らにとって『他者』がどこにいますか。全ての者は、同じ唯一なる自らでしかありません!」。

 1948年にシヴァプラカーシャム・ピッライが体を降ろそうとしていた時、その知らせはバガヴァーンに伝えられました。バガヴァーンはとても長い沈黙に入りました。後に、彼が亡くなったという知らせが来たとき、バガヴァーンは確言しました-シヴァプラカーシャム・シヴァ・プラカーシャム・アーナール。「シヴァプラカーシャムはシヴァの光に溶け込んだ」という意味です。そうです、この美しき人物は、アルナーチャラ・シヴァのもとへ永遠に帰ったのでした。

(shiba注) こちらも参照のこと ⇒ シヴァプラカーシャム・ピッライによる「シュリー・ラマナ・ヴァチャナ・サーラム」、追加の翻訳あり

2017年3月15日水曜日

自分自身、自らを知る場合にのみ、真のサマーディとなる

◇「山の道(Mountain Path)」、1964年10月 p239、247

兄への手紙-4
サマーディ

ナーガンマ著

 今朝、バガヴァーンの前に座っていたヨーロッパ人が、通訳を介して、言いました。「マーンドゥーキョーパニシャッドには、どれほどのディヤーナ(瞑想)やタパス(禁欲行)が行われようとも、サマーディもまた体験されなければ、モークシャ(解放)はあり得ないと述べられています。そうなのでしょうか」。

 バガヴァーンは返答しました。「正しく理解されるなら、それらは同じものです。あなたがそれをディヤーナやタパスやサマーディや他の何と呼んでも、違いはありません。油の流れのように、安定し、継続的なそれが、タパスであり、ディヤーナであり、サマーディです。その者自身の自らであることが、サマーディです。」

質問者:
 しかし、マーンドゥーキャでは、モークシャを得る前に、サマーディが必ず体験されねばらならないと言われています。

バガヴァーン:
 おや、そうでないと誰が言いましたか。マーンドゥーキャだけでなく、全ての聖典の中で、それは述べられています。しかし、あなたがあなた自身を知る場合にのみ、それは真のサマーディです。生命のない物のように、しばらくの間、じっと座っていることが何に役立ちますか。仮にあなたの手に腫れものができ、クロロホルムをかけ、それを手術してもらうとしましょう。あなたはその時、痛みをまるで感じません。ですが、それはあなたがサマーディにいることを意味しますか。これもまた同じことです。人はサマーディとは何か知らなければなりません。そして、あなた自身を知ることなく、一体どうしてサマーディを知ることができますか。自らが知られるなら、サマーディは自動的に知られるでしょう。

 そうしている間に、タミル人の信奉者がティルヴァーチャカムを開き、「追求に関する10の歌」を歌い始めました。終わりのほうの一節に、こうありました。「おお、イーシュヴァラ、あなたは逃れようとするが、私はあなたをしっかりつかんでいる。ゆえに、どこへあなたが行けるのか。どうしてあなたが私から逃れられるのか」。バガヴァーンは微笑んで意見を述べました。「どうやらは逃れようとしていて、彼らはをしっかりつかんでいるようですね!がどこに逃れられるというのでしょうか。がどこに存在していませんか。は誰ですか。この全ては一つの野外劇でしかありません。同じ本の中に別の連続した10の歌があります。その一つは次のようになります。『おお、我が神よ!あなたは私の心をあなたの住まいとした。あなたあなた自身を私に与え、その代わりに、あなたの中へ私を取り込んだ。主よ、我々の内のどちらがより賢明なのか。あなたが私に手渡されるなら、私は終わりなき至福を享受するが、あなたが私を取り込んでも、あなたにとって私は何に役立つのか。我が父なる神よ、私への限りない憐れみの中、あなたが私の体をあなたの寺院とした時、私は何をあなたに与えられるというのか』。これは、『私』というようなものはないということを示しています。その美しさを御覧なさい。『私』というようなものがない所に、誰が行為者ですか。献身であれ、自らの探求であれ、サマーディであれ、何が行われていますか。」