2013年3月31日日曜日

シュリー・オーロビンドーとシュリー・ラマナ・マハルシの見解の比較

◇『存在の力-シュリー・ラマナ・マハルシとの出会いによる変容、第一部(The Power of the Presence-Trandforming encounters with Sri Ramana Maharshi、Part.1)』

7.スワーミー・マードハヴァティールタ(抜粋)

 滞在の二週目のある日に、私は山の道につづく北門のそばに立っていました。私と共に、シュリー・オーロビンドーのアーシュラムから戻った信奉者がいました。それは夕方のことで、シュリー・マハルシはいつもの夕べの散歩の後、その道を来ました。

 私は彼に創造論への見解について尋ねたいと思い、シュリー・オーロビンドーのアーシュラムから帰った信奉者の存在は私にそのテーマに関するシュリー・オーロビンドーの見解に言及することを促しました。ここで言わせていただくならば、私はシュリー・オーロビンドーの哲学をよく知っています。25年ほど前に、私が彼を訪問していた初めごろ、私はそれらの宗教的なテーマについて彼と自由に議論したものでした。

 前置きとして、私はマハルシにアーディ・シャンカラーチャーリアにより提示された創造についてのヴェーダーンタ的見解を抱いているのか尋ねました。その後で、シュリー・オーロビンドーの世界観についての議論に進みました。

質問:
 シュリー・シャンカラーチャーリアのヴェーダーンタにおいて、初心者のために世界の創造の原理が受け入れられていますが、進んだ者には非創造の原理が提唱されています。この問題についてのあなたの見解は何ですか。

マハルシ:
Na nirodha na chotpattir
Nabaddho na cha sadhakaha
Na mumukshur na vai mukta
Ityesha paramarthata

 このスローカ(詩節)は、ガウダパーダ・カーリカ(マーンドゥーキョーパニシャッドについての注釈書)の第二章(ヴァイタトゥヤ・プラカラナ、第32詩節)に記されています。それが意味することは、真に、「創造もなく、消滅もない。束縛もなく、聖なる修練をする者もいない。聖なる解放を探求する者も、解放されている者もいない。これが絶対的な真理である」です。自らに打ち立てられた者は、彼の現実の知によって、これを見ます。

質問:
 シュリー・オーロビンドーはこの地上で人間の体が最後のものではないと考えています。彼によれば、自らに打ち立てられることは人間の体で完全には得られません。なぜなら、自らの知はそこで自然な様子で働かないからです。それゆえに、自らの知が自然に働くことができるヴィジニャーナマーヤ・シャーリア(純粋な知からなる体)がこの地上にもたらされねばなりません。

マハルシ:
 自らの知は人間の体の中で全く十分に輝くことができるので、他の体は必要ありません。

質問:
 シュリー・オーロビンドーはヴィジニャーナマーヤ・シャーリアは病に襲われることはなく、年をとらないので、自分が望まなければ死なないと考えています。

マハルシ:
 体そのものが病です。その病が長く留まることを望むのは、ジニャーニの目的ではありません。いずれにしても、人は体との同一化を放棄せねばなりません。「私は体である」という意識が自らの知を得ることを妨げるのとまさしく同様に、自分が体でないという確信を得た人は(解放を)望まなくても解放されます。

質問:
 シュリー・オーロビンドーは人間の体に神の力をもたらしたいと思っています。

マハルシ:
 委ねた後に、この望みを未だ持ってるならば、委ねは成功していません。人が「より高い力が降りてくるならば、それは私の体に入らねばならない(入るに違いない)」という態度を持つならば、体との同一化を増大させるだけです。真実を話せば、そのような降下の必要はありません。「私は体である」という思いの破壊の後、個人は絶対者の姿になります。その境地において、上も下も、前も後ろもありません。

質問: 
 個人が絶対者の姿となるならば、それでは誰が絶対者の至福を楽しむのですか。絶対者の至福を楽しむためには、少し離れた距離から砂糖を味わうハエのように、我々はそれから少し離れていなければなりません。

マハルシ:
 絶対者の至福とは、自分自身の本質の至福です。それは生まれず、作り出されてもいません。作り出される楽しみは、必ず破壊されることになります。砂糖は感覚を持たないので、それ自身の味を与えられません。ハエはそれを味わうために少し距離を保たねばなりません。しかし、絶対者は自覚であり、意識です。それは自身の至福を与えられますが、その境地を得ることなしに、その本質を理解することはできません。

質問:
 シュリー・オーロビンドーは、地上に新しい神の人種をもたらしたいと望んでいます。

マハルシ:
 未来に得られるものは何であれ永遠ではないと理解されるべきです。あなたが今持っているものを正しく理解することを習いなさい。そうすれば、未来について考える必要はなくなります。

質問:
 シュリー・オーロビンドーは、神が様々な種類の世界を創造し、未だ新しい世界を作ろうとしていると言います。

マハルシ:
 我々の現在の世界そのものが現実でありません。各人が各々の想像に従い、様々な想像の世界を見ます。それでは、新しい世界が現実であるという保証がどこにありますか。ジーヴァ(個々人)、世界、神、これら全ては相対的な考えです。「私」という個人の感覚がある限り、それら三つもそこにあります。

 この「私」という個人の感覚から、心から、これらの三つが生じています。あなたが心を停止させるなら、それら三つは留まらず、ブラフマンのみが留まります。そして、それは今でさえ留まり、住しています。我々は誤りゆえに物事を見ます。この誤った認識は、このジーヴァの本質を探求することにより正されます。たとえジーヴァが超越した心(*1)に入っても、ジーヴァは心に中に留まりますが、心を委ねた後はブラフマン以外の何も残りません。この世界が現実でも非現実でも、意識でも不活発でも、幸福な場所でも悲惨な場所でも、それら全ての状態は無知の状態に生じています。それらは実現(悟り)の後、役に立ちません。

 アートマ・ニシター(自らに住まうこと)の境地は、「私」という個人の感覚がなく、至高の境地です。この境地において、物事を考える余地も、この個々の存在という感覚の余地もありません。存在‐意識‐至福というこの自然な境地において、どのような類の疑問も存在しません。

 自分自身の中に名と形の認識がある限り、神は形を伴い現われますが、無形の現実の覚知(*2)が達成されるなら、見る者、見ること、見られるものという変形はありません。その覚知は意識そのものの本質であり、不ニで、分割されません。それは無制限で、無限で、完全です。

 「私」という個人の感覚が体の中に生じる時、世界が見られています。この感覚がないなら、その時、誰が世界を見るのですか。

(*1)超越した心・・・英語の「Supermind」の訳。
(*2)覚知・・・英語の「vision」の訳。wikitionaryには①視覚②考えたり、想像するもの③理想や目的④超常的現象の宗教的、神秘的体験などとあります。

この翻訳の投稿を、同書の編著者であるデイビッド・ゴッドマン氏が快く許可してくださいました。
(Mr.David Godman who is author and editor of this book willingly permitted me to post this translation.)

2013年3月26日火曜日

マハー・ニルヴァーナ(偉大なる寂滅)② - カラムチャンダリ軍医の記録

◇『静かなる力(The Silent Power)』、p142~145

最後は安らかであった

P.V.カラムチャンダニ中佐
シュリー・マハルシに付き添った軍医の目撃談
ここでは、どのようにシュリー・マハルシがその最後の瞬間でさえも、自然と速やかに真摯な望みと祈りに応じたかが、師のマハー・ニルヴァーナの物悲しくも感動的に荘厳な背景を書き表した高名な医者により詳述されています。
  最後の2か月間、バガヴァーン・シュリー・マハルシにつき添うという並みはずれた栄誉は、いくぶん思いがけなく、私の側の何らの計画もなしにやってきました。

 私がティルッチで働いていた15年ほど前、北インド出身の友人が私に手紙を送り、ティルヴァンナーマライとシュリー・ラマナ・マハルシについての詳細を尋ねました。その町とその聖者を見たことも聞いたこともなく、どちらにも関心がないと書いて私は返信しました。

 昨年12月、私は北アコットに配属され、ほんのすぐ後に軍医が私のところに来て、ティルヴァンナーマライの病院を訪れるように勧め、その機会を利用してシュリー・ラマナ・マハルシに会えると付け加えました。ティルヴァンナーマライへの何気ない言及は友人の質問の記憶を呼び起こしましたが、私にはその地方の町へ行こうとする駆り立てるような衝動はありませんでした。

 しかしながら、公務により、何か月か後に私はティルヴァンナーマライにやって来ました。視察業務が終わった時、私はアーシュラムを訪問してはどうかとの提案を受けました。私は同意しました。私はアーシュラムに行き、そこでシュリー・バガヴァーンに会いました。

 シュリー・マハルシに会う前に、肉腫ため彼が4回の手術を受けたということを聞かされていました。私が彼を診察した時、腕のひじの上に小さな潰瘍をみつけました。潰瘍の上端には、腫れがありました。それが手術の後に再び生じている腫瘍の成長なのか、一般的な炎症なのか私は確信が持てませんでした。疑いを晴らすためペニシリン(の投与)を提案しましたが、ペニシリンは投与されず、そのうちに、それは腫瘍の成長であると判明しました。

 ほんの6週間のちに、再び私はティルヴァンナーマライに呼ばれました。私がこの時分にシュリー・バガヴァーンに会った時、前方の2インチの場所を除き、大きな腫瘍が左手の上腕をほとんど覆っていることに気づきました。この腫瘍は出血し、リンパ液を失わせ、それにより直接的に体液システムを枯渇させていました。これに加え、痛みがあり、それは体を疲弊させていました。大量出血とリンパ液の喪失以上に、痛みは悩ませる特徴でした。

 シュリー・バガヴァーンが患った腫瘍の種類は紡錘形の肉腫で、おそらくは尺骨神経の鞘から生じていました。これは刺すような痛みという特徴を伴う大変に苦痛を与える腫瘍です。医学用語では、これを電撃痛と呼びますが、シュリー・バガヴァーンはそれを虫が腕を這い上ったり下りたりしているようなものと表現しました!まるで体が彼に属していないかのように彼は痛みに耐えました。私が痛みがあるかどうか彼に尋ねた時はいつも、シュリー・バガヴァーンは大したことではないと言いました。

 私が再びやってきたこの時期に、腫瘍は猛烈に成長し、体を急速に弱らせ、また、シュリー・バガヴァーンの確固不抜とした人格の内に何らかの痛みの感覚を生じさせていました。私はこれを一つの小さな出来事によってしか例示できません。シュリー・バガヴァーンの逝去の数日前、ある人が腫瘍の上の布に触れ、彼の顔に痛みの表情が現れました。腫瘍の上の布に触れただけで、腫瘍そのものには触れていないと言いました。それに対してシュリー・バガヴァーンは、その布が山々の重さを支えていると返答しました!

 私はシュリー・バガヴァーンに今月13日の真夜中ごろに会いに行きました。私は彼が目を閉じて休んでいるのを見ました。彼が目を開けた時、彼は付添人すべてに部屋から去るように頼みました。彼はこれを6回くり返して言い、これは譫妄(せんもう)であると判断されました。しかし、私は彼を診察し、彼が十分に意識があり、全く譫妄の状態ではないと気づきました。私は付添人たちに、シュリー・バガヴァーンの指示に従って、部屋の外に出るように求めました。夜通し、私は彼とともに座りました。呼吸は困難でした(我々が呼ぶところのチェーンストークス呼吸です)。痛みはとても激しいものでした。なぜなら、ほんのわずかの動きでさえも痛みの兆候を表したからです。

 私は朝方に離れ、夕方に戻りました。シュリー・バガヴァーンが息を引き取るほんの2時間前でした。その時に彼のそばにいるというこの栄誉は私が祈り願ったものでしたが、ほとんど期待していませんでした。私が彼の部屋に入った時、シュリー・バガヴァーンの目は閉じていました。彼はベッドにもたれ支えられ、呼吸はとても荒いものでした。唇が乾き切っており、私は水を数滴差し上げました。私は少しの果物ジュースの方がいいだろうと思いました。私は彼に、「バガヴァーン、オレンジジュースを差し上げましょうか」と尋ねました。私は質問を2回くり返し、それぞれにシュリー・バガヴァーンは「いいえ」を意味して頭を振りました。

 その時、奇妙なことが起こりました。私は彼のそばに立ち、祈るように熱心に心の中で質問を繰り返していました。突如、シュリー・マハルシは「はい」を意味してうなずき、口を開きました。私は彼にジュースをティースプーン3杯差し上げました。毎回、彼は口を開いて、ジュースを飲みこみました。これがシュリー・バガヴァーンがとった最後の栄養でした。これは午後7時45分ごろでした。

 8時10分前に、シュリー・マハルシの脈拍はまだ取れました。信奉者の大集団がいつ何時でも息を引き取るかもしれないと予期し、恐れながら、悲嘆にくれて外で待っていました。私はそれがすぐ起こる可能性はないと感じ、行きわたる緊張を和らげるために、生命に差し迫った危険はないとの趣旨の公示がだされました。これにより集まった信奉者は少し落ちつきました。9時25分前、脈拍はまだ取れ、呼吸はとても荒く、苦労するものでした。この力強い人物がそのような苦痛を被るのを見るのは言いようもなく心苦しいものでした。私はどうしてそのような偉大なる魂(人物)がこのような苦悩を経験しなければならないのか心の中で問いました。彼は他者のカルマを彼自身に引き受けたのか。彼がこれほどの苦痛を被るならば、他の人はどうなるのか。シュリー・バガヴァーンは、自分自身から苦しみを除くことはできないのか。シュリー・バガヴァーンを見つめながら立っていた時、そのような思いが私の心にのしかかりました。

 私の苦しみに答えを与えるかのように、状況が変わりました。それも、突如として変わりました。脈拍は消え、呼吸はゆっくりと、安らかになりました。そのような時期と段階において、それはとても稀な特徴でした。呼吸は徐々にゆっくりとなり、終に、9時13分前に完全に停止しました。我々は(彼が)息を引き取ったということを、その後に呼吸がないという事実のみから判断できました。普通の人の場合にたいてい(見受けられる)息を引き取ったことを知らせる痙攣、もがき、あえぎは、シュリー・バガヴァーンの場合にはそこに存在しませんでした。そして、とてもゆっくりと穏やかに、シュリー・バガヴァーンは肉体の器からの解放を手に入れました。これが最後でした。

 いいえ。どうしてそうなるでしょうか。シュリー・バガヴァーンに始まりも終わりもありません。

2013年3月22日金曜日

マハー・ニルヴァーナ(偉大なる寂滅)① - シャンカル・ラオ医師の記録

◇『沈黙の力(The Silent Power)』、p135~141

シュリー・バガヴァーンへの治療-1つの記録

シャンカル・ラオ医師
シャンカル・ラオ医師は引退した地方医療官であり、ほとんど病気の初めからシュリー・マハルシに付き添っていました。この文章の中で、彼はマハルシの病、そして、彼がそれに耐える様子の生き生きとした詳細な描写を記しています。
  バガヴァーンに医師として1年以上仕えたことは、非凡な栄誉であり、非凡な経験でした。それは最高の教育であり、比類ない特色をもつ訓練でした。それにより、私はシュリー・マハルシの超人的で神のような人格のみならず、人間的な人格を生き生きとかいま見ました。

 丸1年の間、私は病がシュリー・バガヴァーンの肉体の力と生命力をむしばむことに残酷に成功するのを見ていました。病は彼の無執着と平静に影響するのに失敗し、私は痛みと苦しみを伴うこの病気がどうにか不名誉な敗北にまみえるのを初めて目撃しました。これは、ついにはマハルシが死すべき鞘(覆い)を振い落とすことになる以下の病の歴史の記録に裏づけられます。

 1948年12月の2週目に、私はシュリー・ラマナーシュラマムにはじめてやってきました。その時、シュリー・バガヴァーンに乾燥エンドウ豆ぐらいの大きさの小さな瘤(こぶ)がひじの裏(*1)の皮膚の下にできていました。私がそれについて彼に尋ねると、彼は3か月ほど前に転んだことによるのかもしれないと言いました。圧迫により、それはよく痛みました。1か月の内に、それは小さなビー玉の大きさへ成長しました。シュリー・バガヴァーンは、ひじを表面が固いものの上に置く時にいつも痛みを感じていたので、それを取り除くことを勧めました。1949年2月9日、それは取り除かれました。1週間の内に、傷口は完治しました。

 3月の1週目に、それが成長していることが再び分かりました。3月の半ばごろ、マドラスのラガヴァチャリ医師が助手と一緒に来て、かなりの量の周辺組織とそれを覆う皮膚と共に、それを完全に取り除きました。顕微鏡検査で、それが肉腫であると判明しました。

 肉腫とは若い人々に一般的に起こる肉(筋肉と脂肪の組織)の悪性腫瘍で、他方、年配の人は皮膚や粘膜からの腫瘍である癌になります。これらの悪性腫瘍は、単なる腫瘍のように覆いや皮膜の中にしまわれていません。腫瘍の周りの組織の中のどこかの大変小さな細胞でさえ別の腫瘍へと成長し始めることがあります。細胞のいくつかが血管を通して体の他の部分に運ばれ、類似した第二の腫瘍を作ることがあります。

 2回目の手術の後、傷口は治らず、数日後に新しい腫瘍が現れ、それはおびただしく出血しはじめました。医師と放射線医がマドラスから来て、一時的に緩和するためにラジウム(療法)が行われました。彼らは腫瘍から数インチ上で手を切断することだけが病気を治しうると助言しました。シュリー・バガヴァーンの信奉者間の意見の総意は、切断に反対でした。シュリー・バガヴァーンもまた、その必要はないと言いました。切断という考えは諦められました。

 ラジウム療法の結果、腫瘍の成長は少しおさまりましたが、1949年の6月に再び成長し始めました。アーユルヴェーダの治療を試みることを希望する信奉者らがいて、地方のアーユルヴェーダの医師が治療を始めました。シュリー・バガヴァーンの健康は衰え、敗血症が起こり、腫瘍は非常に急速に成長し続けました。

 マドラスからの外科医らが再び来るように要請されました。彼らは唯一の治療として手術を勧め、周辺組織の白色の範囲と共に腫瘍が透熱性のメスで取り除かれました。その後、ラジウム(療法)が行われました。これは8月14日のことでした。

 3か月のあいだ腫瘍の成長は現れず、傷口の皮がむけた表面から採取された小片さえ陰性であると報告されたので、その結果はとても好ましいように見えました。しかしながら、1949年12月のはじめ、小さな瘤がもとの腫瘍の成長の痕から数インチはなれた腕の中央に現れつつある疑いが生じました。そこで、再びマドラスから医師たちが来て、それを第2の腫瘍で、それも非常に小さなものであると診断し、彼らは簡単に取り除くつもりでした。

 12月19日、腫瘍は手術されましたが、腫瘍を取り除くために深部組織にメスがいれられた時、腫瘍が筋肉の深部まで広がっていることが発見されました。よりいっそう大きな手術が必要となり、それにもかかわらず、外科医は再発の可能性を除外できないと感じました。

 外科医たちが治癒の望みをあきらめたので、ホメオパシーが試みられました。2月の中頃までに、手術創の上端で腫瘍は再び成長をはじめ、シュリー・バガヴァーンを治療していたホメオパシーの治療者は再発を防げなかったので、マラバルからアーユルヴェーダの医師が呼ばれ、治療を開始しました。これもうまくいかなかったので、信奉者の一人によって、カルカッタからカヴィラジ・ジョゲンドラナス・シャーストリがシュリー・バガヴァーンを治療するために招かれました。この期間中ずっと、シュリー・バガヴァーンの全身の健康状態は衰え続け、腫瘍の成長は急速に増しました。

 4月2日ごろまでに、私は終わりが近いと感じました。4月9日の日曜日の夜に、脈がとても弱くなり、心臓の機能が徐々に低下することは極度の疲労をもたらしまた。その日まで隣接した浴室に歩いて行けたシュリー・バガヴァーンはそのようにできなくなり、ベッドを離れられなくなりました。

 2月からシュリー・バガヴァーンの血圧は低下しはじめました。死の2週間前、血圧は88/48で、最低では66/36に達しました。予期された最後は4月14日、午後8時47分に訪れました。

 肉体に対するシュリー・バガヴァーンの態度は、完全な無執着でした。病気と痛みは彼の心に何の影響も残しませんでした。彼が病を治療されるにまかせていたのならば、彼が苦痛の軽減を求めたというより、信奉者が望んだからでした。彼の態度はいつも、肉体の病に対する至高の無関心でした。

 そのように、彼は信奉者によって決定されたどんな治療も疑わずに受け入れる理想的な患者でした。治療におけるどのような変更でも彼がそれを許可するときはいつでも、彼の唯一の関心は特定の治療が試みられることについて信奉者の間で合意があるべきであるということだけでした。彼個人としては、関心がありませんでした。

 彼のそばにいた全ての人にとって、時には非常に耐えがたい性質であった痛みを、苦しんでいる様子を表情にさえあらわさずに彼が耐える様子は驚くべきことでした。手(足)の下方に差すような痛みがあった病の後期のある時、彼のダルシャンを求めてきた紳士がお辞儀をし、ティルヴァンナーマライを去ることを告げました。シュリー・バガヴァーンは、その時どこも悪い所がないかのように、彼にいつも通りの恵み深いまなざしと微笑みを向けました。その紳士が去って初めて、シュリー・バガヴァーンは痛みがひどいことを認め、自分自身にその手当てがなされることを許しました。

 病の後期における腫瘍は大変な大きさに成長していたので、そのような光景になれている医療従事者でさえ、それを見た時ショックを受けました。腫瘍が手当てされる時、シュリー・バガヴァーンはそれを見て、冗談をよく言ったものでした。彼は医師たちが包帯の位置を調整するのを手伝いさえしました。

 腫瘍まわりの皮膚が蒸留アルコール(rectified spirit)で消毒されていたある時に、いくらかが腕の他の部分にかかり、体にも落ちました。シュリー・バガヴァーンは冗談っぽく自分は魂の沐浴(spirit bath)をしていると言い、シュリー・シャンカラーチャーリヤによる「アートマ・ボーダ」の最後の詩節(*2)を引用しました。それは単なる冗談ではなく、その中に深遠な聖なる教えも含まれていました。

 ある晩、腫瘍が手当てされていた時、腫瘍から大量の出血があり、2・3人のバクタは感情を隠すことができませんでした。彼は彼らの方を見て、「どこに私が行くのでしょうか。それに、どこに私が行けるのですか」と言いました。彼が強調して「私」という時はいつでも、彼はいつもアートマンを意味していました。

 しばらく前、腫瘍を治療をしていた時、シュリー・バガヴァーンが日光浴をして、数分のあいだ腫瘍を日光に晒してはどうかという提案がなされました。ハエを防ぐために、香料がかまどに入れられ、彼が座る椅子の真下に置かれました。シュリー・バガヴァーンは冗談っぽく、我々は腫瘍の前で香料を焚き(ドーパム)、光を振る(ディーパム)ことによって、立ち去ってもらうように腫瘍に敬意を表していると言いました。

 ある日の午後、私の友人の一人がシュリー・バガヴァーンの写真を撮りました。夜に私たちは連れだって行き、私が傷の手当てをしている時、シュリー・バガヴァーンは写真のことに触れ、例として写真撮影の科学を使いながら深遠な聖なる講話をしました。シュリー・バガヴァーン曰く、「写真を撮るとき、暗闇で銀塩がフィルムにかぶせられ、そしてカメラの中でフィルムが光にさらされた時、外の光によって引き起こされた痕跡が写ります。フィルムがカメラに入れられる前に光に晒されるならば、フィルムの上には何の痕跡も写りません。我々のジーヴァについても同じです。それがいまだ闇の中にいる時は、漏れ入る小さな光により、その上に痕跡をつけることができます。しかし、知の光がすでにそれに押し寄せている時どのような外の対象の痕跡も得られません」。よく似たやり方で、彼はよく医療の付添人(主治医ら)を、深遠な聖なる教育がちりばめられた冗談で楽しませました。

 病気の期間中ずっと、彼は主治医らがどのような医療の体系に属していても、彼らに恥ずかしい思いをさせたくないと望んでおり、それは結果として凌ぐことのできない完璧な医者同士の間の礼儀の決まりとなりました。彼がアーユルヴェーダやホメオパシーのような特定の医学体系の治療を受けている時に、誰かが彼が被っている強い痛みの治療を提案したなら、いつも彼は付き添っていた医者にその人を紹介し、その人にその医者の同意を得るように求めました。

 ある時、彼を手術した外科医らが切断を除いて何もシュリー・バガヴァーンを治せないと打ち明け、古参のある信奉者が別の医学体系の高名な医者を連れてきました。この紳士はシュリー・バガヴァーンに会い、話をしました。シュリー・バガヴァーンはいつも通りの恵み深い微笑みで彼を迎え、この新しい医者はシュリー・バガヴァーンが彼の治療を望んでいると思いました。それはシュリー・バガヴァーンに特徴的なことで、信奉者の多くに目撃されたことなのですが、各々の人が彼のところへ行くと、その人は師が彼のみに恩寵を注ぎ、信奉者の中で最も彼が愛されているという感覚をもって戻りました!私はこのことを知っていたので、この医者をシュリー・バガヴァーンのもとに連れてゆき、彼に治療のための同意を得るように求めました。シュリー・バガヴァーンはこのことに微笑んで、「今、私を治療しているこれこれという医者を知っていますか。彼と話をしましたか。彼は何と言いましたか」と言いました。その紳士は途方に暮れ、去らなければなりませんでした。 
 
 バガヴァーンを目にし、彼の日常の会話に耳を傾けることさえ、彼の近くにいる人にとっては教育でした。宗教や哲学に関する本を読む必要はありませんでした。彼の全ての哲学と世々の哲学は、バガヴァーンの人生の中にありました。なぜなら、彼の人生が最高の哲学の顕れだったからです。彼は講義しませんでした。彼は外の博学な学者の啓発のために本を記さず、完全な人生を送ることにより、彼に触れにやって来た人々にどの本が与えられるよりも優れた教育を与えました。現代のもっとも偉大な聖なる人物が去ると共に、世界は生きている教師、最高の意味におけるグルを失いました。

(*1)ひじの裏・・・医学的には「ひじの表」が手のひらの側で、「ひじの裏」が手の甲の側のようです。
(*2)最後の詩節・・・68詩節:「今ここに、あらゆる場所で得ることができる、透明で、温かく、常に清涼なアートマンという水に沐浴する彼は、特別な中心地や時節のなかに探される必要はない。そのような人は行為なく留まっている。彼はすべてを知るものである。彼はすべてに行き渡っており、常に不死である。」

2013年3月5日火曜日

聖なる山、アルナーチャラの紹介 - アルナーチャラとバガヴァーン・ラマナ

◇『沈黙の力(The Silent Power)』、第一部、「アルナーチャラについて」、p1~9

アルナーチャラ

ルシア・オズボーン

アルナーチャラ!
あなたはハートの中で「私」として踊る内なる自ら
ハートがあなたの名である、おお、主よ!

シュリー・アルナーチャラへの五詩節、第二詩節

 プラーナ(*1)では、アルナーチャラは地上の最古の山として言及され、全世界のハート(核心)とみなされています。科学者もまた、デカン高原の東の山脈を最も古い土地として指摘しています。アルナーチャラは多くの名前を持ちます。少しだけ挙げるなら、アルナギリ、ソーナーギリ(黄金の山)、スダルシャナギリ、アンナーマライであり、また、テージョーリンガム(*2)としても言及されています。それは光輝のリンガムであり、シヴァの無形の象徴です。

 山の形はシュリー・チャクラ(*3)-宇宙とその礎の象徴-に似ていると言われ、シャクタ(*4)はこの山をシュリー・チャクラそのものとみなしています。バガヴァーンは、母へ捧げられた寺院へシュリー・チャクラを安置するのに積極的な役割を果たしました。

 シヴァの信奉者は、この聖なる山をシヴァの姿と思っています。シヴァはブラフマンとヴィシュヌの真ん中に、始まりも終わりもない火の柱として彼らの無知を払うために現れました。両者とも物理的な(身体的な)努力で彼の存在を理解するのに失敗しました。これは心や知性がそれ自体を超えゆけないことを意味しています。アルナーチャラは、伝統的に、スダルシャナ(*5)(チャクラの形、もしくは、ビシュヌの円盤)と同一視されています。神の姿では、スダルシャナは破壊の武器を身につけ、恐ろしい顔つきで現れます。探求者が自分自身の中の恐ろしく見えるもの、つまり、自分自身の心の暗く、低くきに向かう性質を乗り越えようと苦闘しながら、恐ろしいものという外観を超えて見通す時、恩寵が愛と慈悲として現れます。象徴学の権威であるミーズ博士によれば、これがスダルシャナの語源であり、愛と美を明らかにするために、それらの性質の破壊を目的としています。


 多くの聖賢が、アルナーチャラとその重要性を讃えた歌を歌い、作り、ここで真理の光を得た者もいました。シャンカラもまた、アルナーチャラを訪れたようです。彼の詩の一つの中で、彼はこの山を「メール」と呼び、バガヴァーンと同様に、シッダ・プルシャ(*6)がここで見つかると言います。ナマーシヴァーヤ聖者は洞窟の一つに住んでいて、その洞窟はいまだに彼の名前で呼ばれています。彼の弟子は、アルナーチャラを讃えた賛歌である有名なアンナーマライ・ヴェンバを記しました。もう一人の有名なシヴァ派の聖者、ヴィルーパークシャもまた、斜面上のより高い所にある洞窟に住んでいました。その洞窟はオームの形をしている言われていて、そこでオームの音を静かな瞑想の中に聞いた信奉者もいました。その聖者のお墓もそこにあり、その洞窟は彼の名を冠しています。バガヴァーンは17年間その中で過ごし、後にスカンダーシュラムに移りました。そこでは、滴り落ちる水が一夜にして、ガンジス川の流れのように、時とともに衰えることのない四季を通じて続く流れに変わりました。別の有名な聖者であるアルナギリナータルもまた、アルナーチャラの寺院でムルガの恩寵を通じて(真理の)輝きを受け取った後、彼の賛美の歌で褒め称えられています。

 ある日、アガスティヤ・ティールタムと呼ばれるアーシュラムに隣接した池に話が及んだ時、その聖者が山を訪れたことがあるのかマハルシは尋ねられました。バガヴァーンは、「ええ、もちろんです。全ての人が、終には、ここに来なければなりません」と発言しました。それは全ての人が、終には、その源-アルナーチャラに帰らねばならないという意味です。

 ティルヴァールールでの誕生によって、ベナレスでの死によって、チダンバラムでの崇拝によって、そして、ただアルナーチャラを思うだけで救いが得られると聖者たちは言いました。バガヴァーンも、「ですから、輝く黄金の光沢のアルナーチャラを崇拝しなさい。ただを思い出すだけで解放を確かなものとするからです」と肯定しました。

 バガヴァーンは、その山は光の山であると述べました。時には、山の上で光の顕現を見ることができました。初期の年代に、フランス人の信奉者であるスジャータ・センは、かつて、日が暮れた後に女性の信奉者がアーシュラムに留まることを許さない管理秩序に抗議して、山で一夜を過ごしました。この時間は多くの信奉者にとって最も素晴らしい時間であり、バガヴァーンは輝く静寂の内に彼らと共に1時間ばかり座ったものでした。スジャータは彼女の不満を一心に考え続けました。次の日の朝、彼女は自分が山の中に取り込まれ、その中に全世界を発見したと私に語り、それを描写しました。私はそれにあまり注意を払わず、夢か想像として片づけました。たいへん不思議なことに、長い年月の後、正確には1970年に、S.N.タンドン氏という別の信奉者が同じような体験をして、彼はその年の1970年4月の「山の道」の記事に詳細を描写しました。それはダンテの地獄編を彷彿とさせ、段々と光へ通じてゆき、そこで全ての顕現が純粋な「私は在る」という感覚の中に消えます。

 シュリー・ヴィシュヴァナータ・スワーミーは、青年時代から長い年月をバガヴァーンと共に過ごしていた人です。彼は以下の話を我々に語りました。20年代初期、バガヴァーンは彼に、「私がこの山、アルナーチャラについて見たヴィジョンは無数です。私はその中に美しい木立や立派な宮殿を見ました。かつて、私は大きな池とリシやヨーギの大集会がその周りの大きな平原に座っているのを見ました。どの顔も良く知っており、その周辺も同じように良く知っていました。高座がそこにあり、私は昇り、右手をチン・ムドラーの形で掲げ、そこに座りました。それは私のいつもの場所で、いつもの仕草のようでした」と言いました。チン・ムドラーは、親指と人差し指をつなげ、残りの3本の指をまっすぐにして右手を掲げる仕草です。それはダクシナームールティの仕草です。それは個人とブラフマン-三つのグナ(*7)を超えた超越的な現実-の合一を意味します。

 永遠に若者の姿をした古(いにしえ)の教師、シッダ・プルシャが、聖なる輝きを沈黙の中で放ちながら、斜面の一つの高い所で、バニヤンの巨木の下に座しているとプラーナの中で述べられています。

 若い時分、バガヴァーンは山をたいそう歩き回ったものでした。ある日、彼は干上がった水路に途方もなく巨大なバニヤンの葉を見つけ、どのような木がこんな葉をつけるのかと好奇心を持ちました。先に進み、彼は遠くから、切り立った岩壁のようなものの上で成長しているバニヤンの巨木を見つけました。近くに行くと、バガヴァーンはうっかりスズメバチの巣に足を踏み入れてしまい、スズメバチが彼の足をひどく刺すことによって邪魔されたことへの怒りを収めるまで足を戻しませんでした。

 バガヴァーンはその木の近くに行かずに、住まいに戻りました。続いて、彼は信奉者がその場所を見つけようと試みるのを強く思い留まらせました。それは近づき難く、そのようにすることは彼らにとって賢明ではないと言いました。彼は信奉者に、「それは不可能です。私はそれを知っています!なぜなら、を見て、生きている者は誰もいないであろう(出エジプト記、33・20)」と言いました。

 有限の自我は、無限をつかみ、溶け込みうる前に、死ななければなりません。かつて、信奉者の一団が、もちろんバガヴァーンの指示に気づかずにですが、その場所を見つけようと出かけました。気づいてみると彼らは、願い求めうる全ては安全に帰れることだけというような困難な状態にいました!

 アルナーチャラについて記そうとする努力は何であれ、適切な表現を借りるなら、「ユリの花に色を塗る」ようです。バガヴァーン自身よりも巧みに、明瞭にそれを描くことは不可能であり、その場合は両者の間に区別は存在しません。バガヴァーンの姿をしたアルナーチャラが自分自身について語るのです!バガヴァーンのように、その山は生命を持つようになり、我々のハートという最愛の人として、言い表わすことのできない優しさとして我々の前に現れえます。いったい自分自身の自ら、アルナーチャラより近しく、愛しいものがあるでしょうか。

おお、信奉者のハートに湧き出る神酒 .. 私の寄る辺の安息の場所...

-シュリ-・アルナーチャラへの十一詩節、第二詩節

唯一の自ら、唯一の現実のみが永遠に存在する
古の時代の若々しい教師、ダクシナームールティでさえ
無言の雄弁によって、それを明らかにした時
他に誰が、言葉によって、それを伝えられるのか

 -自らについての五詩節、第五詩節

 バガヴァーンは全世界はスクリーンの上の絵のようであり、そのスクリーンは赤い山、アルナーチャラであると説明しました。生じ、沈むものは、それが生じるところのものだけから成り立っています。全世界の最終的なもの(究極)は、アルナーチャラです。アルナーチャラ、もしくは、自らについて瞑想すると、「私」の響きがあります。「私」の源を追跡すると、原初の「私‐私」のみが残り、それは表現できません。「文字で編まれた婚礼の花輪」のまさにその最初の詩節は、これを簡潔に表現しています。

アルナーチャラ!
あなたはハートの内であなたのことを瞑想する人々の自我を根絶する
おお、アルナーチャラ!

 バガヴァーンは尋ねられなければ信奉者にめったに助言をしませんが、山の周回をサーダナの進歩に非常に有益であるとして心から承認し、勧めました。彼自身がギリプラダクシナを数え切れないほど行うことによって模範を示しました。崇拝は、静かに心に留めて、もしくは、バジャンを歌いながら-つまり、さ迷う思いに屈することなく、崇拝する対象を周回することによって表されます。たいていは裸足で行います。もっとも望ましい時期は、満月の日、シヴァラートリ(シヴァの夜)、そして、カールティカイ(・ディーパム)、夜にかがり火が山頂に灯される夜です。巡礼者は目に見えない大勢のシッダやリシ達に付き添われると言われています。祝祭の日、白や明るい色の衣服を着た巡礼者の流れは花輪に似ており、アルナーチャラの周りに振りまかれ、バジャンという方法でその香りを漂わせています。

 様々な精神性の様式を象徴するインドの多くの聖地中で、アルナーチャラはグルの沈黙の影響によって導かれる、もっとも直接的な道の中心として際立っています。それはグルとの身体的な接触を必要としない中心であり、道です。沈黙の教えは、直接的にハートに働き、語りかけます。バガヴァーンは千の顔を持ちますが、本質的に不変で、岩のような何かが彼の中にありました。尋ねられた時には彼は語り、説明しましたが、彼のもっとも偉大で目覚ましい教えは、その山のように、ダクシナームールティのように、沈黙の中で与えられました。バガヴァーンを通じて、彼が自分自身と同一視したアルナーチャラに内在する、聖なる再生のための計り知れない可能性に命がもたらされ、注目が向けられました。

 「シュリー・アルナーチャラへの五つの賛歌」への吉祥なる導入として採用された祝福の詩節は、「パラマートマ、それはアルナーチャラ、もしくは、ラマナと同じである」という言葉を実際に誰が書いたかはっきりしていなかったので、いくぶん困惑させるものでした。もっとも古くからの信奉者の一人で、バガヴァーンに仕えるために弁護士の職を辞したシュリー・T.P.ラーマチャンドラ・アイヤルは意見を求められ、シュリー・ヴィシュヴァナータ・スワーミーもまた意見を求められました。そのことについての彼らの説明は、(以下のようになります)ある日、バガヴァーンがヴィルーパークシャ洞窟を出て、いつもの朝の散歩に出かけた時、アムリタナータ・ヤーティという名前の人がバガヴァーンの座に紙切れを置きました。それには、マラヤーナム語の詩節でバガヴァーンが本当は誰なのか知りたいという彼の大変な熱望が語られていました。

あなたは主ヴィシュヌ、もしくは、シヴァ
もしくは、偉大な文法家ヴァラルチの顕現でしょうか
もしくは、ヤーティ(出家者)の中の最も偉大な方でしょうか

 彼の質問は、古典的な形式と文字で表現されていました。彼が少し後で洞窟に戻った時、バガヴァーンがすでに散歩から帰っていることに気づきました。紙切れの裏にはバガヴァーンの返答があり、同じく韻文とマラヤーナム文字で巧みに表現されていました。それを読むとすぐに、アムリタナータ・ヤーティは身震いを感じ、謙遜の限りを尽くし、バガヴァーンの足もとに、彼自身の言葉を使うなら、「ココナッツの高木が根元から切られたように」崩れ落ちました。答えは以下になります。

ビシュヌから始まる全て(の者)の蓮華の形をしたハートの内に
パラマートマンが絶対的な意識として輝いている
それはアルナーチャラ-ラマナと同じである
心がへの愛に溶け
が最愛の人として住まうハートの奥底に到達する時
微細なる目、純粋なる知性が開き
純粋なる知性としてがその姿を現わす

 (アーサー)オズボーンは、「バガヴァーンの力強い恩寵を通じて、自らの探求の道は、この時代の男女の能力の範囲に持ち込まれ、儀礼も儀式もない現代社会の状況の中で歩める新しい道に形づくられました。・・・時代の必要性に応じる、この新しい道の創造は、アルナーチャラを世界の聖なる中心にしました。今や彼は肉体を脱ぎ捨て、アルナーチャラと一体であるため、彼の方を向き、彼の助けを求める人々に対して彼から発する恩寵と導きは、今まで以上に外面的にはアルナーチャラに集中しています。そこには多くの人々が、バガヴァーンの存命時にその弟子であった人々と後から来た人々が共に引き寄せられています」と記しました。

 バガヴァーンの存命時と同じく、今でも、「シュリー・アルナーチャラへの五つの賛歌」から選ばれた適当な詩節を繰り返すことで、自分自身の言葉よりもはるかに効果的にアルナーチャラ-ラマナに話しかけることができます。それは、彼と離れていない彼の弟子の代わりに、バガヴァーンが記したものです。絶対的な意識の一つの形態に過ぎない個人は、恩寵を通じ、絶対的な自由という根源的な境地を取り戻すため、その有限性と戦います。これらの詩節は信奉者自身の心(ハート)から出ています。

五感という盗賊が私の中に押し入ったときでさえ
あなたは依然として私のハートにいるのではないのか
おお、アルナーチャラ?

あなたの本当の自らを勇敢に求めるとすぐに
私は心の支えを失った
私に憐れみを持ちなさい、おお、アルナーチャラ!

あなたが恩寵の手を憐れんで延ばさないなら
私は道に迷っている、おお、アルナーチャラ!

今、目を向けるなら私は愛されそうもないが
それでも、あなたの恩寵で私を飾り、私を見つめなさい
おお、アルナーチャラ!

あなたは私に混乱への薬を処方した
それなら、私は困惑していなければならないのか!
あなたは恩寵として、一切の混乱の治療薬として輝いている

おお、アルナーチャラ!
主よ!荘厳たるソーナーギリを統治する意識そのものよ
この浅ましい私の重大な悪事を許し
雨雲のように恵み深いあなたの慈悲深いまなざしで
わびしい荒れ地で道に迷う私を、今いちど、救いなさい
そうでなければ、私は容赦のない(万物の)現われ(の流れ)を渡ることができない

主よ!恵み深くも
罠にかかった鹿のようにもがく疲労の中の私を楽にしなさい
主、アルナーチャラよ!あなたの意図はいったい何なのか

おお、純粋な方よ!
五つの要素、生ける者、そして、顕現した一切万物が
あなたの全てを包む光でしかないなら
どうして私だけがあなたから離れていられるのか・・・

 バガヴァーンは、彼が存在し続けているという多くの示唆を与えました。常に存在し、全てに行き渡っているため、いったい彼がどこに行けるというのでしょうか。外面上は山として現われ、目に見えますが、以前のように導きながら、彼はいつもここに留まります。「体だけが移動し、自らはただ在る」とバガヴァーンはよく言いました。彼の体は移動し、消え去りました。彼は常に在るがごとく、ただ在り、その恩寵の目に見える支えはアルナーチャラです。ここに来れること、ここに滞在できることは大変な祝福です。長い年月の後も、毎日は依然として贈り物のようです。人はその生き生きとした存在、輝き、そして、力強い聖なる助けを感じざるをえません。その助けは、それを求める人々、とりわけ、この信仰の持つ働きに身を委ねるほど十分に謙虚な人々に与えられます!

ジニャーナ・タパスに富んだ人々(智慧を得ようと常に意図する者たち)を
それ自体に引き付ける山は、このアルナーチャラである

-アンナーマライ・ヴェンバ



(*1)プラーナ・・・トリムールティ(ブラフマー、ビシュヌ、シヴァ)を主要として、様々な神々を賛美するヒンドゥー教の聖典。
(*2)テージョーリンガム・・・テージョーは「火、光」を意味し、リンガムは「しるし」という意味で、シヴァ神を表したもの。
(*3)シュリー・チャクラ・・・物質的全世界とその未顕現の源の結節点である中心点を囲み、9つの三角形が組み合わさり、43の三角形を形作っているヤントラ(象徴的図形)。シュリー・ヤントラとも言う。トリプラ・スンダリーという名の女神の象徴的表現でもある。
(*4)シャクタ・・・シャクティズムを信奉する人々。シャクティズムは、シャクティ、または、デヴィー-聖なる母-を至高のブラフマンそのものとして信仰している。
(*5)スダルシャナ・チャクラ・・・ヴィシュヌ神により使用される、回転する108つのノコギリ状の刃をもつ円盤状の最上の武器。プラーナによると、スダルシャナ・チャクラは敵を究極的に滅ぼすために使われる。
(*6)シッダ・プルシャ・・・悟った人、完全な存在、聖者
(*7)3つのグナ・・・自然(プラクリティ)を構成するサットヴァ(創造)、ラジャス(保持)、タマス(破壊)という3つの働き。