2018年11月16日金曜日

バガヴァーンとの日々② - 45年6月5日から45年9月18日まで

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、p9~20

バガヴァーンとの日々

A.デーヴァラージャ・ムダリアールの日記から

45年6月5日

 私、ハリンドラナース・チャットパディヤイ、G.V.スッブラマイヤ、T.P.ラーマチャンドラ・アイヤルは、講堂で、バガヴァーンの真正面の最前列に座っていました。G.V.S.がH.C.に言いました、「私は最近、オウロビンドー・アーシュラムで作られたあなたのいくつかの詩節のタイプで打たれた写しをふと見つけました。その余白には、いくつかの詩節を高く称賛したシュリー・オウロビンドーの覚え書きがありました」。それに関して、H.C.はバガヴァーンに言いました、「私は2年間オウロビンドーのアーシュラムに滞在し、4000ほどの14行詩と50000行の詩に加えて他の詩を作りました」。以前、H.C.がオウロビンドーのアーシュラムに2年間いたということは、バガヴァーンにとって初耳だったようでしたが、我々の何人かにとってはそうではありませんでした。これはバガヴァーンへのH.C.の3回目の訪問でした。H.C.は、その後、彼の最初期の詩の中の2編を朗読してくれました。その中の1編は、ポンディシェリで作られました。それらは以下に示されます。バガヴァーンは、その朗読を楽しみました。(H.C.についてのyoutube動画 )

土で作られたゴブレット
(詩人とゴブレットの会話)

「おお、頭からかかとまで赤い、沈黙したゴブレットよ!
陶工があなたを世に出す前
陶工のろくろの上で
あなたがくるくる回されているとき
あなたはどのように感じたのか」
私は私の粘土の中に意識的な衝動を感じた
とても暖かくほてった
偉大なる陶工の手から
逃げ出そうという(衝動を)。
私は感じた
莫大な悲しみの感情が
私の現在の形へと
形作られるのを。
陶工のろくろの上で私が囚われ
この深紅のゴブレット-眠りへと形作られるのを目にした
かの宿命の時以前
私は感じていた
その根を私の胸の中深くに埋め込ませた
小さな花の香り高い友情を。
陶工は私から生き生きとした命を引き抜き
私の死である形を私に与えた。
ただ一本の花だけが私の胸を貫いて照り輝く
私の過去の不格好な自然な状態は最良だった。

粘土の水差し

道沿いの陶工の店の外で
辛抱強く列をなし、我々、粘土の水差しは立つ-
赤褐色に濁った黄金の空の下
売られるのを今か今かと待っている。

我々は言葉を持たないが、それでも我々は感じる
ひびはなくとも、我々の存在の法則に反するものを
形作るために、我々を型にはめた
陶工のろくろへの恨みを。

水差しはなるほど美しいが、それでも
美からさえも、我々は皆解放されるだろう
そして、大地へと滑り落ち、逃げ道を確保するだろう
形なる魅惑の圧制からの(逃げ道を)。

我々水差しの中には、存在することに飽き
陶工の店で落下し、粉々に割れるものもある。
哀れな物たち!土の器の青ざめた疲労に対して
陶工が何を気にかけようか。

形作る者、形作られる物

過ぎ去りし日、私は陶工だった
その指で従順な粘土を
ろくろの上で型へと流し込んだ。
しかし、今や、のちに勝ち得た知恵を通じて
その驕りは衰え
私は陶工であることをやめ
粘土になることを覚えた。

他日、私は詩人だった
人々の心を勝ち得るために
そのペンから無数の歌がもたらされた。
しかし、今や、私が長い間知らないでいた
新たに得た知識を通じて、
私は詩人であることをやめ
歌になることを覚えた。

私は剣の製作者だった、
今や過ぎ去りし日
百の戦場で
輝き、きらめき、光を放った。
しかし、今や、私は満ち溢れている
主の沈黙によって。
私は剣の作り手であることをやめ
剣になることを覚えた。

過ぎ去りし日、私は夢見る者だった
四方八方にエメラルドと真珠の
傲慢な言動を投げつけた。
しかし、今や、私はひざまずいている
至高者の足元に。
私は夢見る者であることをやめ
夢になることを覚えた。

 この後、私は、仕事の重圧でうめき苦しむ港湾労働者が抑えきれずに不満をぶちまける、彼の戯曲からの一節をバガヴァーンの前で朗読するよう(もしくは、むしろ、舞台上でのように演じるよう)H.C.に頼みました。H.C.はそのようにして、良い朗読がどれほど感動的になりうるのか皆が見て知りました。少し後、H.C.はバガヴァーンに尋ねました、「バガヴァーン、我々が時々、バガヴァーンの面前で涙に咽ぶように感じるのは、どうしてでしょうか」。バガヴァーンは微笑み、黙っていました。私は言いました、「そのように涙があふれ出すなら、それは良いことです。バガヴァーンに関してさえ、彼がここに来る前に、マドゥラの寺院の中の聖像の前に行き、立っていた時、何の喜びや苦しみの結果としてでもなく、純粋にバクティから、思わず涙が彼の目からよく流れ出たと記録されています」。バガヴァーンは、それに関して、親切にも付け加えて言いました、「ここに来た後さえ、そのようなことは起こりました。本から感動的な文章を読んだり、聞いたりした時でさえ、そのようなことは起こりました。どうやら感情的な涙の蓄えが我々のとても多くの中に潜んでいて、どんな都合の良い時にでも、もしくは、ほんのちょっとした事で、我々にはどうすこともできずに涙が湧き出すようです」。その後、バガヴァーンは、彼が22歳ぐらいで、ヴィルーパークシ洞窟に住んでいた時に起った出来事を、いつものごとく、とてもドラマチックに物語りました。彼は洞窟の近くの岩の上に座っていたようで、8歳か10歳ごろの少年がそこに来て、バガヴァーンを見ました。そのように若く元気な人が厳しい苦行の生活をしている光景に耐えることができず、とても心を痛め、彼は泣きじゃくり始め、しばらくの間、激しく泣きじゃくりました。バガヴァーンは言いました、「ただ私を見ただけで、彼が泣きじゃくる理由は何だったのか、なぜ涙が彼から流れ出たのか誰に分かるでしょうか」。その日の内に、バガヴァーンは引き続き昔を懐かしみ、またも8歳か10歳ごろの別の少年が、ヴィルーパークシ洞窟時代の別の日にバガヴァーンに会い、バガヴァーンをたいそう気の毒に思い、彼らの間で以下のような会話がなされたと言い足しました。バガヴァーンは洞窟近くの岩の上に一人っきりで座っていて、そこにその少年がやってきて、彼と出会いました。

 少年: そんな風に、どうしてここに一人っきりでいるんですか?

 バガヴァーン: 家で困ったことがあって、それで、こんな風に出て来たんです。

 少年: じゃあ、食べ物はどうですか。

 バガヴァーン: 誰かが私に何か食べるものをくれるなら食べます。

 少年: 僕には良い主人がいます。僕があなたを彼の所へ連れて行きます。最初、あなたは無料で奉公を申し出ないといけないかもしれません。彼があなたの仕事ぶりを認めるなら、彼はあなたに1日に3枚のパイをくれて、だんだんそれを6枚などにまで増やすでしょう。

 バガヴァーン: ええ、お願いします。

 バガヴァーンは言い足しました、「その少年が、彼が惨めな状態だとみなしたことを大変に心配していたこと、彼が純粋な大きな哀れみによって心動かされていたことに疑いはありませんでした」。

 バガヴァーンはまた、ハリジャンの老女の出来事を思い出しました。正午ごろのある日、彼が山を下って、うっそうとしたこぼこ道をぶらぶら歩いていると、彼女はバガヴァーンを呼び止め、言いました、「タミル語」。(「あなたに災いあれ!どうして一つの場所でおとなしくしていられないのか。」)

 バガヴァーンは、「ええ、これは良い助言です」と言い、そしてまた、当時その女性が教えたことを知らなかったことへの罰であるかのように、自分の頬をぴしゃりと打ちました。

 上述の出来事を話しながら、バガヴァーンは、最初その老女が彼をののしり始めたとき、彼はどうして自分がそれに値するのか理解できず、自分が何か無礼をその女性に働いたのかと唖然としたと言いました。

 これはT.S.ラージャゴーパラルに、バーラティと呼ばれるテルグ語の雑誌の中のミス・スーリーという人による文章を思い出させました。それをよく知らないハリンドラナース・チャットパディヤイと他の人々のために、バガヴァーンは再びその出来事を話し、我々全員を楽しませました。

 バガヴァーンは言いました、「ある日、マウニがタパル(郵便物)をいつものように持ってきました。私は新聞と雑誌を長椅子に置いて、手紙を見ていました。タパルを私に見せて、読んでから返すと言い、その号のバーラティを持って、マウニは講堂を離れました。少し後、彼は戻ってきて、その雑誌を長椅子の上に置いて、出て行こうとしていました。扉近くにいるとき、彼は突然言いました、「バガヴァーンは何という泥棒なのか!」。そして、私が彼にどうしてそう言ったのか尋ねる前に、彼はいなくなっていました。そのようにマウニに非難させるなんて、私は何をしたのだろうと私は不思議に思っていました。それはなんだか私の心に引っかかりました。バーラティの中の文章を読み、『おぉ、バガヴァーンは何という泥棒なのか』という、その一番最後の文まで来て初めて、私はその冗談の意味を理解できました」。

45年8月23日 午前10時

 8か月ほどここに滞在している、カラチ出身のクンダルラル・マハタニ氏が、全ての本がグルからのウパデーシャの助け以外、誰によっても何一つ達成しえないと強調していると、そして、彼は自らの探求のために、神が「私」として実現されうる心の静寂を得るためにバガヴァーンによって与えられた全ての指示を読んだが、彼個人にとって最良の方法は何かいまだに分からないと主張して、バガヴァーンに直接のウパデーシャを求めました。彼がそのようにお願いしたのは初めてのことではありませんでした。少なくとも以前に2回、一度目は6月で再び7月にも、彼はそうしていました。その時も今も、バガヴァーンは返答しませんでした。その紳士は非常に気落ちし、自分には答えを受け取る資格がないのか、自分が何か過ちを犯し、そのためにバガヴァーンが快く返答しないのか心配しました。

 その日のうちの午後、バガヴァーンは何か他の事柄に関連して、あるタミル語の詩に言及しました。その翻訳を見るために、45年8月24日に、マハタニ氏は私のノートを借りました。必要な教えを間接的に受け取ることは信奉者によくあることで、マハタニ氏はノートの中に彼に適した教えを見つけました。さらに、45年8月25日の午後2時ごろ、彼が昼寝をしているとき、彼は夢の中でヴィジョンを見ました。夢の中でバガヴァーンが現れ、サンスクリット語のスローカを引用し、それは「自らの探求よりも良いカルマやバクティは存在しない」という意味だと説明しました。彼は大いに喜び、その後、同じ夢の中で、別の信奉者がバガヴァーンに同じ質問をして、マハタニは彼に上述の答えを繰り返し、思う存分笑いました。25日にマハタニによって、このことはバガヴァーンに報告されました。

45年9月8日 午前

 ベズワーダ出身のスッバ・ラオ氏がバガヴァーンに尋ねました、「想像とヴィジョンの間の違いは何ですか」。

 バガヴァーン: 一方は自発的で、他方はそうではありません。しかし、究極的な分析においては、直近の現在ではありませんが、ヴィジョンでさえ自発的な領域に起源を持っていたはずです。

 スッバ・ラオ: 夢がそこに起源を持つようにですか。

 B: ええ。

 別の訪問者: 眠りの間の夢と同様に、我々の目覚めている生活もまた夢であると言われています。しかし、夢の中で、我々は夢を取り除き、目覚めようと意識的な努力をしませんが、夢それ自体は我々の側の何らの努力もなく終わりを迎えます。同様に、実際はもう一つの夢のようなものでしかない目覚めの状態が、どうしてひとりでに、我々の側の何らの努力もなく、終わりを迎え、我々にジニャーナ、真の目覚めを得させてはいけないのですか。

 B: あなたが目覚めの状態という、この夢を取り除こうと努力をしなければならないと考えること、そして、あなたがジニャーナ、真の目覚めを得ようと努力をすることは、全てその夢の一部です。あなたがジニャーナを得るとき、眠りの間の夢もなく、目覚めの状態もなく、ただあなた自身とあなたの真の境地だけがあることを知るでしょう。

 私はバガヴァーンに迫りました、「しかし、その質問への答えはどうですか。夢が消え失せ、我々を目覚めさせておくように、どうして目覚めの状態も、我々の側の何らの努力もなく夢のように過ぎ、我々にジニャーナを得させてはいけないのですか」。

 B: 夢がひとりでに消え失せると誰が言えますか。一般的に考えられるように、我々の過去の思い、または、カルマの結果、夢がやって来たのなら、おそらく同じカルマが、夢がどれほど続くべきか、その後どのように夢が終わるべきかも決めます。

 私はまだ満足していませんでした。そして、バガヴァーンとのさらなる会話の結果、目覚めの状態は、夢のようなものではあるが、次のことで眠りの間の夢と明確に異なると感じました。つまり、夢の間、それが夢であると決して我々の頭に浮かびませんが、目覚めの状態では本やグルから、何らかの現象から、それが結局夢でしかないかもしれないと主張し、理解することができます。このことから、ジニャーナに目覚めようと努力することが我々の義務であるのかもしれません。バガヴァーンが言うには、我々は目覚めるまで夢を夢と思いません;夢が続く間、夢はとても現実的に見えます;同様に、我々がジニャーナに目覚めるまで、この目覚めの状態は夢のように見えないでしょう。それでも、夢と目覚めの状態の間の上述の相違のために、我々の努力が要求されると私には思われます。

45年9月14日

 3日か4日前、引退した副裁判官、デーサーイ氏が、(ラマナ・ギーターの中に書いてあることに関して)バガヴァーンに尋ねました、「ラマナ・ギーターの中で述べられているように、我々がチッタ‐ジャーダ・グランティの切断を達成できるためには、どのようにプラーナ、つまり、命の流れをスシュムナー・ナーディーへと向けるのでしょうか」。バガヴァーンは言いました、「『私は誰か』探求することによって」。

 「ヨーギは、クンダリニーを目覚めさせ、それをスシュムナーに送り込むことを確かに目指しているかもしれません。ジニャーニは、それを目的としていないかもしれません。しかし、両者は同じ結果、生命の力をスシュムナーに送り込み、チッタ‐ジャーダ・グランティを切断することを達成します。クンダリニーは、アートマや自らやシャクティの別名でしかありません。我々は自分自身がこの体によって制限されていると思っているため、それが体の内側にあるものとして話します。しかし、それは実際、内部にも外部にもあり、自ら、もしくは、自らのシャクティに他なりません」。

 デーサーイ: クンダリニーがスシュムナーに上がるために、どのようにナーディーをわき立たせればいいのでしょうか。

 バガヴァーン: ヨーギは、その目的のために呼吸の制御、プラーナーヤーマやムドラーなどの方法を持ちますが、ジニャーニの方法は探求のそれだけです。この方法によって心が自らに溶け込むとき、自ら、そのシャクティ、または、クンダリニーは自動的に昇ります。

 次の日、ガーヤトリーの中のディーマヒーという言葉に関連して、訪問者がバガヴァーンに尋ねました、「その考えはどういう意味ですか。私は正しくそれを理解できません」。

 B: その言葉は、アハムを自らの中に据えるということを意味するだけですが、文字通りは「我々は瞑想する」という意味です。

 訪問者: 私は「タット」や「自ら」を思い描くことができません。では、どのように私はアハムをタットに据えるべきなのでしょうか。

 B: どうしてわざわざ、あなたが知らないタットを想像しなければならないのですか。あなたが知っている「私」を見出そうとしなさい-それは何か、どこから生じるのか。それで十分です。

45年9月16日 午後

 訪問者が尋ねました、「全くの初心者である者は、この(つまり、霊的な)道において何をすべきでしょうか」。

 バガヴァーン: あなたがこの質問をしたという事実こそが、あなたは何をすべきか知っているということを示しています。あなたは安らぎの不足を感じているため、安らぎを手に入れるための手段を講じたいと切望しています。私は足に少し痛みがあるため、(今)この軟膏を塗っています。

 訪問者: 安らぎを手に入れるために採用すべき方法とは何でしょうか。

 B: 目的地とそれへの道があるという考えは間違いです。我々は常に目的地、つまり、安らぎです。我々が安らぎでないという概念を取り除くことが、必要とされる全てです。

 V: 全ての本に、グルの導きが必要であると書かれています。

 B: グルは、今私が言っていることしか言わないでしょう。彼はあなたに、あなたがすでに持っていないものを何一つ与えないでしょう。誰にとっても、すでに得ていないものを得ることは不可能です。何かそのようなものを得るにしても、それがやって来たように去るでしょう。やって来るものは去りもするでしょう。常にあるものだけが後に残るでしょう。グルはあなたに、あなたがすでに得ていない新たなものを何一つ与えられません。我々が自らを実現していないという概念の除去が、必要とされる全てです。我々は常に自らです。ただ、それを悟っていないだけです。

 アーシュラマムの調剤師が、瞑想中の彼の体験についていくつか質問しました。バガヴァーンは、自らはいつも存在する唯一の現実であり、その光によって他の一切のものが見られると説明しました。我々はそれを忘れ、見せかけに集中しています。人々がそこにいるときも、いない時も、劇場で人々が何かを演じているときも、何も演じられていない時も、ホールの光はともっています。ホール、その人々、その演技を我々が見えるようにするのは、その光です。我々はその光によって現される対象物、もしくは、見せかけにとても夢中になっているため、その光に注意を払いません。物事が現れる目覚めの状態または夢の状態において、我々が何も見ない眠りの状態において、ホールのランプが常にともっているように、自ら、または、意識の光はいつもあります。なすべきことは、見られる物でなく、見る者に、対象物でなく、それらを現わすに集中することです。

45年9月18日 午後

 ベンガル人の一行が来ました。彼らの一人は、最近子供を亡くしました。彼はバガヴァーンに質問しました、「どうしてその子はそんなに若くして亡くなったのでしょうか。我々がこのように嘆き悲しまなければならないのは、彼のカルマでしょうか、それとも、我々のカルマでしょうか。

 バガヴァーン: その子が今世で使い果たさなければならなかったプラーラブダが終わり、そのため、その子は亡くなりました。そのため、我々はそれを子供のカルマと呼べるかもしれません。あなたに関する限りは、その子はあなたのものではなく、常に神だけのものであり、神が与え、神が連れ行くのだと確信し、それについて嘆き悲しまず、穏やかに、それに動じずにいることは、あなたに開かれています。

 そして、これに関連して、バガヴァーンは英語のヨーガ・ヴァーシシュタを持ち出し、プニャとパーヴァナの物語に言及しました。奇妙なことに、彼が何気なくその本を開くとき、彼の頭にある物語(のページ)で本が本当に開きます。そして、その本から、彼は私にその部分を読み上げるよう頼みました。そこで、プニャは彼の弟のパーヴァナに彼らの両親の死を愚かしく嘆き悲しまないよう助言し、パーヴァナが過去に無数の生まれを持ち、そのそれぞれで彼が多くの親族を持っていたこと、そして、彼が今、その親族全員の死を嘆いていないのとまさしく同様に、今、彼らの父の死もまた嘆くべきでないと指摘しました。

 その訪問者は尋ねました、「ある人がまだ子供のうちに亡くなり、別の人が長生きする時、そのどちらがより罪深いでしょうか」。

 B: 私には分かりません。

 私はその訪問者に、彼が与えた情報それだけでは、どちらがより罪深いのか誰にも判断できないと言いました。

 訪問者: ある人が長生きするなら、彼は実現に達するための手段を完成させるより多くの機会を得ます。

 B: 若くして亡くなるその人はすぐに生まれ変わり、その人生において、今世で長く生きる別の人より、実現に向けて努力するより良い機会を得るかもしれません。

 ある訪問者が尋ねました、「我々は一切の活動を放棄しなければならないと言われるとき、それは我々の活動をできる限り減らすべきであるという意味でしょうか」。

 B: 活動を放棄するとは、活動やその結果についての愛着を放棄すること、「私は行為者である」という概念を放棄することを意味します。この体が経験するためにやって来た活動は、経験されなければならないでしょう。人が何を好んでも、好まなくても、そのような活動を放棄することはありえません。

2018年11月9日金曜日

バガヴァーンとの日々① - 前書き、45年3月16日から45年3月31日まで

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、前書き~p9

バガヴァーンとの日々

A.デーヴァラージャ・ムダリアールの日記から

前書き

 この作品の由来に関する話は、場違いではないかもしれません。1942年8月から1946年末までの4年以上、シュリー・ラマナーシュラマムで暮らし、我々のバガヴァーンと日々触れ合うことの計り知れない恩恵を得ることは、私にとって大変な幸運でした。数か月間そこにいた後、アーシュラマムを訪れた様々な人々が、訪問者からの質問への答えであれ、他のどのような文脈であれ、霊的な話題に関するバガヴァーンの発言を私が記録してくれるとありがたいと提案し始めました。しかしながら、長い間、私は面倒くさがってその努力をしませんでした。それにもかかわらず、私が時折読んでいた、「シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの福音」を読むときはいつでも、我々のバガヴァーンの場合にも同様の本が編纂されるならなんと望ましいことか、と私は思いました。私が数年間そのように漫然と過ごしていた時、1945年1月1日の朝、1時間ほどの間に、異なる3人の人-アーシュラムで奉仕を行っているシャンカラ・アンマルの息子である、弁護士の事務員、チットゥールで少年時代から私が知っていたM.V.P.シャーストリという名前のマドラスのビジネスマン、のちにマドラスの首席大臣になったO.P.ラーマスワーミー・レッディ-全員がその仕事に着手するようしきりに私に勧めました。彼らの親切な意見では、バガヴァーンと常に親密に触れ合うという無くてはならない器用さを持つことに加えて、私がそれに最も適任であるからということでした。

 その年の初日のそのように大いに異なる人々から来る訴えと、そのように矢継ぎ早に、彼らの間で前もって何の相談もなく、彼ら全員が私に話を持ち掛けたことは、私にとても強い印象を与えたため、私はそれを確かにバガヴァーンからの要請だと受け取りました。そのため、まさにその日に、私はアーシュラマムの日記をつけ始めました。私の考えは、何らかの視点から興味深いか、重要であるかもしれないアーシュラマムで起こった全て、主には、世界各地からの訪問者によってバガヴァーンになされた質問への彼の答えをバガヴァーンの信奉者のために保存することです。訪問者の中の多くにとって、私はバガヴァーンの宮廷における公認翻訳者のごとく振舞いました。

 私はバガヴァーンに私がその務めを始めた状況について話し、そのようにして、それへの彼の祝福を求めました。その後、私はサルヴァーディカーリーから許可を得ました。また、最初の数日間、私が間違ったところをどこでもバガヴァーンが訂正できるように、私が記録したものは何でも彼に読み上げました。私が訪問者にバガヴァーン(の言葉)を通訳していたその時でさえ、私がわずかの間違いをしたなら、バガヴァーンは私を静止したものでした。バガヴァーンが意図したことに関して私自身に疑問があるときはいつでも、私はさらなる説明を求め、私のために再びバガヴァーンは快く物事を説明したものでした。最初の二日か三日後、私の書き付けをバガヴァーンに毎日読むことはやめましたが、バガヴァーンが言ったことを私が正確に記録したかどうか疑問がある時はいつでも、その日の書き付けを読み上げ、訂正が必要であると彼が指摘したときはいつでも訂正しました。

 ちょうど今は、私のそれらの記録の一部分だけしかアーシュラム当局は出版に応じられないようです。少なくともその分が当局によって直ちに出版される予定であることを私は嬉しく思います。記録が存在するようになったのはバガヴァーンがそれを望んだからだと私は信じています。そして、少なくともその一部が今、印刷されて世に出るべきであるということは彼の意志であると私は信じています。この出版が単に興味だけでなく、それを読む人々にとって大いに役立つことを、そして、熱意と信念をもってそれを熟読する全員に彼の恩寵が授けられんことを私は望み、バガヴァーンに心から願います。

1952年1月1日 A.デーヴァラージャ・ムダリアール



45年3月16日 午前

 訪問者: 私は仕事をやめて、ヴェーダーンタに関する本を読むことに専念すべきでしょうか。

 バガヴァーン: 対象物が独立した存在を持つなら、つまり、それがあなたから離れてどこかに存在するならば、あなたがそれから逃れることは可能かもしれません。しかし、それはあなたから離れて存在しません。それが存在しているのはあなた、あなたの思いのおかげです。ですから、それから逃れようとして、あなたはどこに行けますか。ヴェーダーンタに関する本を読むことに関して言えば、あなたはそれをいくらでも読み続けるかもしれません。本はあなたに、「あなたの内なる自らを実現しなさい」としか言えません。自らは本の中に見つかりません。あなたはそれをあなた自身で、あなた自身の中に見出さなければなりません。

夕方

 午後、ほとんど同じ質問が別の訪問者から行われ、バガヴァーンは言いました、「世界、もしくは、対象物から逃れて、あなたはどこに行けますか。それは人の影のようです。人は影から逃れられません。自分の影を埋めたいと思った男の面白い物語があります。彼は深い穴を掘り、彼の影が底にあるのを見て、それをとても深く埋められることをうれしく思いました。彼は穴を埋め続け、完全に埋め尽くしたとき、影がてっぺんにあることに気づき、驚き、がっかりしました。まさにそのように、あなたが自らを実現するまで、対象物やそれについての思いは、あなたと共にいつもあるでしょう」。

45年3月17日 午後

 T.P.ラーマチャンドラ・アイヤル氏がバガヴァーンに、ウッラドゥ・ナールパドゥ(Reality in Forty Verses)の一詩節の中のaar oli の意味について尋ねました。

 B: aar oli nirainda oli という意味です。それはマナスのかの光に言及しています。その中で、我々は全世界、世界の既知のものと未知のものの両方を見ます。最初、自らの、いわば、白い光があります。それは光も闇も超越しています。その中に対象を見ることはできません。見る者も見られる物もありません。次に、完全な暗闇、アヴィドヤーがあり、その中でも対象物は見られません。しかし、反射した光、純粋なマナスの光が、自らから発します。完全な光の中でも完全な暗闇の中でも見られず、抑えられた、もしくは、反射した光の中でしか見られない世界という映画全てに存在する余地を与えるのは、この光です。詩節の中で言及されているのは、この光です。
(*)「実在についての40詩節」の本文の第一詩節に該当。oliはおそらく「光」です。タミル語は今後、分かるところのみ表記します。

45年3月18日

 45年3月15日ごろ、どのように官能的な生活に完全に浸っていた者が、突然、嫌気を感じ、非常に敬虔な生活という全く正反対の行動をとったのか、トゥルシー・ダースの物語から説明するために、バガヴァーンは講堂にいる誰かにバクタ・ヴィジャヤムを朗読するよう頼みました。物語の中で、トゥルシー・ダースは妻と家から逃げ出し、バナーラス(ヴァーラーナシー)でハリ(ヴィシュヌ神)に夢中でした。妻と母親は彼に戻ってくるよう懇願しに行き、彼女たち皆への彼の大変な愛情を彼に思い出させました。彼は彼女たちに全く見向きもせずに、「私のハリは来ましたか。ええ、彼はそこに来ます!」などと彼女たちに尋ねました。彼はハリだけに夢中で、他の何にも興味がありませんでした。この部分が読み上げられていた時、バガヴァーンは言いました。「マドゥラ(マドゥライ)で、私は若干このようでした。学校に行き、本を手にし、空に神が突然私の前に現れることを熱心に待ち望んでいたものでした。そうして、私はよく空を見上げていたものでした。そのような者が学校の勉強でどの様な進歩ができたでしょうか!」
 [これは彼がマドゥラを離れる少し前のようでした。彼がマドゥラでそのように神に夢中であったことを、バガヴァーンからも他の人々からも、私は以前に聞いたことがありませんでした。そのため、私はそれをここに記録しました。]

45年3月19日 午前

 シンドからの訪問者、おそらくきっと、シンド(現パキスタン)のハイデラバード出身のクンダンラル・A.マハタニが尋ねました、「縄の中の蛇のように、世界と我々が見る対象物は全て非現実であると言われています。見る者と見られる物は同じものであると他の場所で述べられてもいます。見る者と見られる物が同じものであるなら、見られる物が非現実であると、我々はどうして言えますか」。

 B: それが意味する全ては、独立した実体、自らから独立しているとみなされる見られる物は非現実であるということです。見られる物は、見る者と異なりません。存在するものは、見る者と見られる物ではなく、唯一の自らです。自らとみなされる見られる物は、現実です。

 V: 世界は夢のようであると言われています。しかし、夢と目覚めの状態の間には、この違いがあります。夢の中で、私は友人や親戚たちを見て、彼らと共に何かを経験します。私が目覚め、夢の中で会ったその友人や親戚たちに夢について尋ねるとき、彼らはそれについて何も知りません。しかし、目覚めの状態で私が見聞きしたものは、とても多くの他の人々によって裏付けられます。

 B: 夢と目覚めの状態をごちゃ混ぜにすべきではありません。目覚めの状態においてあなたが見る人々から、目覚めの状態の体験についてあなたが裏付けを求めるのとちょうど同じように、夢の状態においてあなたが見た人々から、つまり、あなたが夢の中にいるときに、夢の体験についてあなたは裏付けを求めるべきです。その時、夢の中で、その友人や親戚たちがあなたの裏付けをするでしょう。

 要点は、あなたのどの夢の体験の現実性であれ目覚めているときに(それを)あなたが肯定しようという気になるか、です。同様に、ジニャーナに目覚めた者は、目覚めの体験の現実性を肯定できません。彼の視点からは、目覚めの状態は夢です。

 V: ある人たちだけが自らの実現に選ばれ、その人達だけがそれを得られると言われています。それはずいぶんと気落ちさせるものです。

 B: それが意味する全ては、我々は、神の恩寵の助力なしに、我々自身のブッディによって、自らの実現を達成できないということです。

 私は言い足しました、「バガヴァーンはまた、その恩寵でさえ恣意的にではなく、今世か前世における自分自身の努力によって、それに値するがゆえにやって来ると言います」。

 V: 人の努力は無駄であると明言されています。では、自分自身を改善しようとするどんな意欲をいったい誰が持てますか。

 私は尋ねました、「あなたが努力すべきでないや、あなたの努力は無駄であると、どこで言われているのですか」。

 その訪問者は、すぐに、Who am I?の一部を見せました。そこには、「全世界を世話している一つの偉大なが存在するとき、どうして我々が何をしたらいいのか悩まなければならないのか」と書いてありました。私は、そこで非難されていることは、人の努力ではなく、「私は行為者である」という感覚であると指摘しました。私がバガヴァーンにそうではないか尋ねた時、彼は私の説明を承認しました。

午後

 バガヴァーンは、彼がパラニに行き、パラニ神(主スブラマンヤ)を食い入るように見つめた夢を以前に見て、ティルチェンドゥル寺院(そこでも神は主スブラマニアンです)を訪れた夢を別の時に見たと言いました。その夢の詳細をバガヴァーンは覚えていません。

 私は、ジーヴァンムクタが夢を見れるのか知りたいと思った人たちが以前いたことを思い出しました。その疑問は自然でした。なぜなら、ジニャーニたちが普通の人々のように夢を見ないと我々は信じているからです。そのため、彼らは夢を見ないかもしれません。私はそれゆえにバガヴァーンにこのことについて尋ね、彼は言いました、「ジニャーニが目覚めの状態を持てるのなら、彼が夢の状態を持つことの何が難しいのですか。しかし、もちろん、彼の目覚めの状態が普通の人の目覚めの状態と異なるように、彼の夢の状態もまた普通の人の夢の状態と異なるでしょう。目覚めであろうと夢であろうと、彼は、時に第4、すなわち、トゥリーヤの状態と呼ばれる彼の真の状態から滑り落ちないでしょう」。

45年3月24日 午後

 私はヴィチャーラ・サングラハSelf Enquiry)を読んでいました。ハートの中で何かがタミル語、つまり、ハートの中で何かが「私‐私」として輝いている、もしくは、響いているという記述に私は出くわしました。私はいつも、スプラナという言葉がそもそもどういう意味なのか疑問に思っていました。それで、私はバガヴァーンに尋ね、彼は言いました、「それは『タミル語』、つまり、『輝く、もしくは、照らす』という意味です」。私は尋ねました、「それは我々が聞く一種の音ですか」。バガヴァーンは言いました、「ええ、それは我々が感じる、もしくは、気づくようになる一種の音であると我々は言うかもしれません」。彼はまた辞書を参照し、言いました、「その言葉は、『鳴り響く』、『はっと思い出される』、『心に閃く』という意味です。そのように、音と光の両方がスプラナという言葉の中に含まれているかもしれません。全てのものは光と音からやって来ました」。

 私はバガヴァーンに、その「輝く」ものとは何か、自我なのかそれとも自らなのか、尋ねました。それは一方でも他方でもなく、その両者の中間の何か、「私」(自ら)と「私という思い」(自我)が組み合わさった何かであり、自らはこのスプラナすら欠くと彼は言いました。

 どのように自らが単なる光であるのか、どのようにそれが言葉や音でもあるのか、そしてまた、その中から言葉や音が最初にやって来たことを説明して、バガヴァーンは言いました、「人は3つの体を持ちます。5つの要素からなる粗大なもの、マナスとプラーナからなるスークシュマ、すなわち、微細なもの、そして、ジーヴァ。同様に、イーシュワラでさえ3つの体を持ちます。顕現した全世界はの粗大な体で、光と音はのスークシュマ体で、自らのジーヴァです」。

45年3月25日

 テナリ近く、ペッダパラヤムのP.シュリー・クリシュニアーという人が、22日にアーシュラマムにやって来て、彼がテルグ語の韻文で記し、バガヴァーンに捧げたダヌルダーサの人生に関する小冊子(タミル語)をバガヴァーンの許しを得て読み始めました。その献呈の辞はユーモラスであり感動的でもあり、カンヤーダーナが最良の贈り物とみなされるため、詩は結婚のためにバガヴァーンに捧げられる乙女とみなされています。彼ははじめに献呈の辞を書き、後で著作を記したようでした。そのように、彼は娘を生む前に娘婿を選びました。彼の献呈の辞の最後に彼は言います、「あなたはすでにムクティと結ばれています。私のこの娘もめとり、彼女の誤りを正し、彼女の欠点を看過し、彼女を優しく丁寧に扱ってください。あなたは私の娘婿になりましたが、我々の家に来るようあなたに頼むことは私にはできません。とても多くのラージャや他の人々があなたのダルシャンのためいつもここにやって来ているからです」。彼はまた言います、「私のヴィシュヌ派の娘とバガヴァーンのこの結婚によって、アドヴァイタとヴィシシュタードヴァイタは結ばれました」。
(*)ダヌルダーサは、ヴィシシュタードヴァイタの創始者・ラーマーヌジャの教えを受けたようです。

 25日の午後、もう一度献呈の辞を読み、彼の別れの、告別の歌を読み上げました。以下は、その歌の自由訳です。「我々のような者にとって、様々な望みがしばしば生じます。満たされるものあれば、満たされないものもあります。ここで私の全ての望みは満足を得ました。私の望みの一つは韻文でダヌルダーサの人生を記すことであり、もう一つは、友人や親族たちと共にここに来て、私の娘(詩)の手をあなたに捧げることであり、3つめは、上述の結婚の祝宴であなたと共に満足のいくまで食べることであり、4つ目は、ここに数日滞在し、あなたを見て私の目を楽しませることでした。あなたの恩寵のおかげで、この全てを同時に私は得ました。どうぞ私が立ち去ることをお許しください。おぉ、清らかな生涯の方よ!このあなたの姿の中に、それを見た人たちがうっとりするなんて、あなたはどんな魔法を蓄えているのですか。一切の苦悩を追い払えるなんて、あなたはどんな力をこの空間に注ぎ込んだのですか。一切の病を鎮められるなんて、あなたはどんな薬をこの地の水に混ぜたのですか。ここに来る人たちが立ち去ることを嫌がるなんて、どんな魅惑の力をあなたはこの敷地に広げたのですか。あなただけがあなたの偉大さを知ることができます。どれほど長く我々が留まろうとも、足はここを立ち去るために動こうとはしません。私に何ができますか。どうぞ私が立ち去ることをお許しください、プルショーッタマ(最上の人)よ」。

45年3月31日

 数日前の夜、夕食後、バガヴァーンが講堂の東のベランダにある簡易ベッドで休んでいた時、何やら面白いことが起こりました。彼は南に顔を向けていました。チャドウィックは、バガヴァーンの背後に座っていました。バガヴァーンが腰を下ろし、クッションに寄り掛かるとすぐ、チャドウィックは背後からこっそりと気付かれずにバガヴァーンを(うちわで)あおぎました。バガヴァーンが振り返って見ると、チャドウィックはうちわを引っ込め、じっとしていました。バガヴァーンが顔を南に向けると、チャドウィックは再びあおぎ始めました。バガヴァーンが振り返ると、チャドウィックはやめました。バガヴァーンは、どのようにそよ風が彼に当たったのか不思議に思っていました。すると、チャドウィックが笑い出し、バガヴァーンもその笑いに加わりました。このことは、非常に卓抜した師とさえ、どのように信奉者が戯れることができ、両者とも子供のように冗談を楽しめるのかを示しています。

午後

 訪問者、ウッタラ・プラデーシュ州のSivagharのラージャが、彼はバガヴァーンに彼自身を委ねたので、バガヴァーンが彼にジニャーナを与えなければならないとバガヴァーンに言ったようでした。バガヴァーンは、Vision の1937年9月号における、ナーム・デーヴが主の名前の重要性を強調したことに関する文章に言及しました。そこでは、「私」、自我が委ねられた時のみ、主の名前の重要性が理解されるだろうと指摘されていました。私が講堂に入ったとき、上述のラージャと他の訪問者たちのために、アシュターバクラ・ギーターが説かれるようになったいきさつが英語で詳しく話されました。その話が読み上げられた後、バガヴァーンは言いました、「ブラフマ・ジニャーナは、あなたが取りに行けるどこかはるか遠くにある、外側にある何かではないため、それを得るためにはこんなに長い時間がかかるやこんなに短い時間ですむだろうとあなたは言えません。それはいつもあなたと共にあります。あなたはそれです!アシュターバクラ・ギーターの話は、ブラフマ・ジニャーナを得るために必要であること全ては、完全にあなた自身をグルに委ねること、あなたの「私」および「私のもの」という概念を委ねることだと教えることを目的としています。それらが委ねられるなら、残されるものは現実です。その時、ブラフマ・ジニャーナを得るために、さらにどれほど時間がかかるか言うことは不可能になります。人が片足を一つ目のあぶみに置いた後に、もう片足を二つ目のあぶみに置くのに要する時間と同じぐらいかかると言うことは誤りでしょう。自我が完全に委ねられる瞬間に、自らが輝きます」。

 続けて、バガヴァーンは、ヨーガ・ヴァーシシュタからの以下の詩節の終わりの2行を引用しました、「タミル語」、それが言うには、神聖な意識(チダーカーシャ)なる月を覆う「私」、すなわち、「自我意識」なる雲が取り除かれないなら、「私」の感覚(アハンカーラ)をまるで知らないハートなるユリの花は満開に咲かないだろう。

 バガヴァーンはまた言い足しました、「我々は古くから続くサンスカーラと闘わなければなりません。それらは全てなくなるでしょう。ただし、過去にすでにサーダナを行っていた人たちの場合には、比較的すぐになくなり、他の人たちの場合は遅れます」。これに関連して、私は尋ねました、「サンスカーラは徐々になくなるのですか、それとも、ある日突然消え去るのでしょうか。私がこれを尋ねるのは、私はここにかなり長い間留まっているのに、私の中に段階的な変化を何も感じないからです」。バガヴァーンは、「太陽が昇るとき、暗闇は徐々になくなりますか、それとも、突然になくなりますか」と尋ねました。

 別の訪問者が、「どのように感情を征服するのですか」と尋ねました。バガヴァーンは言いました、「その感情が我々の外側にある何かであるなら、我々は武器と弾薬を手に取り、それを征服できます。それは全て我々の内側からやって来ます。もし、それが出てくる源を調べることによって、それが我々から出ていないと知るなら、我々はそれを征服するでしょう。我々の感情をかきたてるのは、世界とその中の対象物です。しかし、世界とその対象物は、我々の心によって創造されているに過ぎません。それは我々の眠りの間存在しません」。

 こういった会話の後、バガヴァーンはカマンダラムから水を少し飲み、付き添い人のほうを向き、彼がすでに水をいくらか飲んでいたか尋ねました(つまり、午後3時30分ごろに彼が講堂に戻った後に)。付き添い人は、「はい」と言いました。するとすぐに、バガヴァーンは(飲んだことを)忘れていたと言い、確かめるために再びいくらか飲みました。そのような体験について彼はめったに言葉にしないのですが、彼はさらに加えて、大体ぼんやりしているとき、時々、朝か正午か夕方かさえ分からず、その日の何時か知る前に時計を見て、思い出そうとしなければならない、と言いました。ある時、彼は私に、我々が寝ている間にひっかくように、以前に湿疹があったところの皮膚をひっかいたと言いました。また、以前、私が彼のある肉体的な痛みについて心配していたとき、彼は私に、その痛みを「タミル語」に感じる、つまり、夢の中の体験のようにぼんやりした束の間の体験だと言いました。これらは、我々がするように行動し、感じるように見えながら、実際は、我々が体験する物事が存在しない彼独自の世界に住んでいる、バガヴァーンが我々の中で送る人生への糸口です。