2011年12月25日日曜日

「ウパデーシャ・サーラム」(K.スワミナサン教授英訳、導入・結びあり)

◇『シュリー・ラマナ・マハルシの全集(The Collected Works of Sri Ramana Maharshi)』

 英訳は、K.スワミナサン教授のものです。(文:shiba)



教えの真髄

 リシたちの一団がかつてダルカの森に共に住んでおり、儀式を行い、それにより超自然的な力を得たという伝説があります。同じ方法で、彼らは最終的な解放も得ようと望みました。しかしながら、ここにおいて彼らは間違えました。というのも、行為は行為のみに帰着し、行為の終焉に帰着しないからです。儀式は力を作り出せますが、儀式と力と全ての形の行為を越えた解放の安らぎを作り出せません。

 シヴァは彼らに間違いを理解させようと決意し、彼らの前に遊行するサードゥとして現れました。彼と共にヴィシュヌが美しい女性の姿をしてやって来ました。全てのリシはこの女性への愛に打ち負かされ、彼らの平静は乱され、彼らの儀式と力は悪い影響を受けました。さらに、彼らと共に同じく森に住んでいた妻たちもみな、その不思議なサードゥへの恋に落ちてしまいました。これに激怒して、彼らは魔法の儀式で象と虎をつくり出し、彼に向けて放ちました。しかしながら、シヴァはそれらをやすやすと殺し、ローブのために象の皮を、襟巻のために虎の皮をとりました。そこで、リシたちは彼ら自身より強い人に相対していることを悟り、彼にお辞儀をして、教えを請いました。彼は行為によってではなく、行為の放棄により、解放を得ると説きました。

 詩人ムルガナールは、このテーマで100詩節を書こうと望みましたが、70を超えてから容易には進めなくなりました。そこで彼は、バガヴァーンがシヴァの教えに関する詩節を書くのにふさわしい方であると思いつきました。彼はバガヴァーンに詩節を書くよう請い、それに従いバガヴァーンはタミル語で300詩節を作りました。彼は後にそれをサンスクリット語に翻訳しました。続いて、この30詩節はバガヴァーンによって、初めは「アヌブティ・サーラム」、後に「ウパデーシャ・サーラム」の名でテルグ語に翻訳されました。バガヴァーンは同じようにそれをマラヤーラム語に翻訳しました。

 サンスクリット語の「ウパデーシャ・サーラム」は彼の前で毎日、ヴェーダと共に詠唱され、彼の聖堂の前で詠唱され続けています。つまり、これは聖典として扱われています。彼は解放への様々な道に言及し、それらを効果と卓越性の順に段階付け、その最高のものが自らの探求であると示しています。

(shiba注)
 「ウパデーシャ・サーラム」は、タミル語では「ウパデーシャ・ウンディヤール」と言いますが、それには序の詩節、導入の6詩節、結びの5詩節が添えられています。序を除いた11詩節は、ムルガナールが作ったティルヴンディヤールから選ばれています。序の詩節は、ムルガナールにより別に書かれたものです。そのうちで、導入の6詩節はシュリー・ラマナ自身が選んだもので、サードゥ・オームの英訳です。
 これらの情報は、マイケル・ジェームズ氏の書かれたPDFから得たものです。そのPDFは、デイヴィッド・ゴッドマン氏のHPからダウンロードできます。また、本文の最後の第30詩節は、ムルガナールが詠んだものです。


かのウパデーシャ・ウンディヤールは、我々の父なるラマナが作り、「行為(カルマ)という迷妄の放棄によって世界(の人々)が解放を得て、救われるように、聖なる修練の極意を(恵み深く)明かして下さい」と請願したムルガナールに授けた知(ジニャーナ)の光であると知れ。

導入の詩節

1.
ダルカの森で苦行(タパス)を行う人々は、プールヴァ・カルマ(の道に従う)ことで破滅へと進んでいた。

2.
人を惑わす自己欺瞞のために、彼らは過剰なうぬぼれに酔いしれ、曰く、「カルマ以外に神はいない」。

3.
彼らはなされる行為の結果(カルマ・パラ)が行為の結果を与える神(カルタ)を拒絶しているのを見て、(そえゆえ)うぬぼれを失った。

4.
彼らが(祈りを込めて)「恵み深く我々を助けてください」と嘆いた時、シヴァはその恩寵のまなざしを(彼らに)授け、恵み深くこれらの教え(ウパデーシャ)を授けた。

5.
(この)ウパデーシャ・サーラムを受け入れ、従うこと(により)、祝福が内から起こり、内にある悲惨が破壊される。

6.
このウパデーシャ・サーラムの真意(サーラム)が、私たちの心に入りますように。豊饒な喜びが得られますように。苦しみが止みますように、それが止みますように。

本文

1.
行為は結果を生む
なぜなら、そのように(しゅ、神)がそれを定めている
どうして行為がとなりうるのか
それには意識がない

Action yields fruit,
For so the Lord ordains it.
How can action be the Lord?
It is insentient.

2.
行為の結果は過ぎ去る
しかし、行為は後に残す
さらなる行為の種を
終わりなき行為の海に導き
モークシャ(解放)にはまるで導かない

The fruit of action passes.
But action leaves behind
Seed of further action
Leading to an endless ocean of action;
Not at all to moksha.

3.
に委ねられた
私心なき行為は
心を浄化し、指し示す
モークシャ(解放)への道を

Disinterested action
Surrendered to the Lord
Purifies the mind and points
The way to moksha.

4.
これは確かである
崇拝、賛美、瞑想は
身体、言葉、心の働きであり
秩序だった向上のための段階である

This is certain:
Worship, praise and meditation,
Being work of body, speech and mind,
Are steps for orderly ascent.

5.
地、水、火、風、虚空
太陽、月、生けるもの
全てがの姿とみなされた
それらの崇拝が
の完全な崇拝である

Ether, fire, air, water, earth,
Sun, moon, and living beings --
Worship of these,
Regarded all as forms of His,
Is perfect worship of the Lord.

6.
賛美の歌より良いのは
(神の)の復唱である
大声よりも抑えた声がよく
しかし、全ての中の最上は
心の中の瞑想である

Better than hymns of praise
Is repetition of the Name;
Better low-voiced than loud,
But best of all
Is meditation in the mind.

7.
一時的な瞑想より良いのは
油の流下や
小川のごとく安定した
一つの連続した流れである

Better than spells of meditation
Is one continuous current,
Steady as a stream,
Or downward flow of oil.

8.
として見るより良いのは
まさしく、全ての中で最も高貴な態度とは
を内なる「私」として捉えることである
まさに「私」として

Better than viewing Him as Other,
Indeed the noblest attitude of all,
Is to hold Him as the 'I' within,
The very 'I'.

熱烈な愛を通じて、思いを超越し
純粋な存在に留まることが
至高なる献身の
まさに精髄である

Abidance in pure being
Transcending thought through love intense
Is the very essence
Of supreme devotion.

10.
そこから我々が飛び出た
存在のハートの中への吸収が
行為の、献身の
合一の、そして、知の道である

Absorption in the Heart of being,
Whence we sprang,
Is the path of action, of devotion,
Of union and of knowledge.

11.
網に捕えられた鳥のように
息を止めることは心を制御する
呼吸の制御は手助けする
ハートの中への吸収を

Holding the breath controls the mind,
Like a bird caught in a net.
Breath-regulation helps
Absorption in the Heart.

12.
心と呼吸は(思いと行為として)
二本の枝のように分かれている
しかし、共に出ている
ただ一本の根から

Mind and breath (as thought and action)
Fork out like two branches.
But both spring
From a single root.

13.
吸収には、二種ある
埋没と破壊
埋没した心は再び浮かび上がる
死んでいれば、もはや蘇らない

Absorption is of two sorts:
Submergence and destruction.
Mind submerged rises again;
Dead, it revives no more.

14.
呼吸が制御され、思いが抑制され
内へ一方向に向けられる心は
次第に弱まり、消える

Breath controlled and thought restrained,
The mind turned one-way inward
Fades and dies.

15.
心が消滅し、力ある見る者は
彼自身の自然な存在へ戻る
(彼に)なすべき行為はない

Mind extinct, the mighty seer
Returns to his own natural being
And has no action to perform.

16.
心にとって真の知恵とは
外的対象物から離れ
自らの燦然と輝く姿を見ることである

It is true wisdom
For the mind to turn away
From outer objects and behold
Its own effulgent form.

17.
絶え間なく、心が
自らの姿を綿密に調べる時
そのようなものは存在しない
全ての人にとって
このまっすぐな道は開かれている

When unceasingly the mind
Scans its own form,
There is nothing of the kind.
For everyone
This path direct is open.

18.
思いのみが心をつくっている
そして、全ての思いの中で、「私」なる思いが根本である
心と呼ばれるものは、「私」なる概念でしかない

Thoughts alone make up the mind;
And of all thoughts the 'I' thought is the root.
What is called mind is but the notion 'I'.

19.
この「私」という思いはどこから生じるのか
内に向き、探す時
恥じ入った「私」は消え失せ
知恵の探求が始まる

When one turns within and searches
Whence this 'I' thought arises,
The shamed 'I' vanishes
And wisdom's quest begins.

20.
この「私」なる概念が消えゆく場所に
今や私として、私として生じる
一者(神)、まさしく自ら無限なるもの

Where this 'I' notion fades,
Now there as I, as I, arises
The One, the very Self, The Infinite.

21.
「私」という言葉の不変の真意は
それ」である。なぜなら、深い眠りの中で
「私」という感覚がなくとも
我々は存在しなくはならない

Of the term, 'I' the permanent import
Is 'That'. For even in deep sleep
Where we have no sense of 'I'
We do not cease to be.

22.
体、五感、心、呼吸、眠り
全ては意識がなく、非現実であり
「私」であるはずがない
現実なるものである「私」では

Body, senses, mind, breath, sleep --
All insentient and unreal --
Cannot be 'I',
'I' who am the Real.

23.
「在る」それを知る
他の知る者は存在しない
ゆえに、「在る」もの自覚であり
我々は自覚そのものである

For knowing That which Is
There is no other knower.
Hence Being is Awareness
And we are all Awareness.

24.
それらの存在の本質において
創造物と創造者は実質的に一つである
それらが異なるのは
付属物と自覚においてのみ

In the nature of their being, creature and creator
Are in substance one.
They differ only
In adjuncts and awareness.

25.
一切の属性を免れた自分自身を見ることが
を見ることである
なぜなら、は純粋な自らとして常に輝いている

Seeing oneself free of all attributes
Is to see the Lord,
For He shines ever as the pure Self.

26.
自らを知ることは、ただ自らであるのみである
なぜなら、それは不二である
そのような知の中で
人はそれとして留まる

To know the Self is but to be the Self,
For It is non-dual.
In such knowledge
One abides as That.

27.
知識と無知を共に超越する
それは真の知である
なぜなら、純粋な知の中に
知られるべき対象は存在しない

That is true knowledge which transcends
Both knowledge and ignorance,
For in pure knowledge
There is no object to be known.

28.
自らの本質を知り、人は留まる
始まりも終わりもない存在として
途切れなき意識と至福の中に

Having known one's nature one abides
As being with no beginning and no end
In unbroken consciousness and bliss.

29.
束縛と解放を超え
この至福の境地に留まることが
への奉仕における
不動である

Abiding in this state of bliss
Beyond bondage and release,
Is steadfastness
In service of the Lord.

30.
一切の自我が去り
それのみとして生きることが
繁栄にふさわしい苦行である
(そのように)自らであるラマナは歌う

All ego gone,
Living as That alone
Is penance good for growth,
Sings Ramana, the Self.

結びの詩節

1.
神の御足に触れ、全てのリシは恭順の意を表し、彼の賛美を歌った。

2.
信奉者への保証として、ウパデーシャ・ウンディヤールを歌った至高のグルは、幸運な方、ヴェンカタン(シュリー・ラマナ)である。

3.
彼(シュリー・ラマナ)が、幾年月も、華々しく地上で輝きますように。

4.
罪を犯す人々、(このウパデーシャ・ウンディヤールを)聞き、間違いなく理解する人々が、永劫、華々しく輝きますように。

5.
(このウパデーシャ・ウンディヤールを)学ぶ人々、学び理解し、そこに(自らの内に)留まる人々が、永劫、華々しく輝きますように。

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