23.ラーマスワーミー・アイヤル
1928年4月、マナヴァシ・ラーマスワーミー・アイヤル(ティルヴァンナーマライの公共機関の管理官)は、ヴィルーパークシャ洞窟にいるマハルシを訪れました。彼に同伴した友人の一人は、訪問は無駄だったと感じました。しかし、ラーマスワーミー・アイヤルはマハルシのダルシャンを再び持ちたいと望みました。それで、彼はマハルシを彼一人だけで訪れました。その時、マハルシは全くひとりっきりでした。
何か説明のつかない理由で、マハルシを見て、アイヤルの中に感情の高ぶりが起こり、彼は尋ねました。「スワーミー、イエスのような偉大な方々は、罪びとを救うためにこの世に現れました。私には希望がないのでしょうか。」
スワーミーは心を動かされ、座から立ち上がりながら、英語で答えました。「いいえ、希望はあります。確かに、あります(*1)」 。アイヤルは、このことを日記に書きました。日記を書くことは、それ以来、彼の習慣になりました。
(*1)英文では、マハルシは「There is hope.」を3回繰り返しています。
◇『シュリー・ラマナ・マハルシと向かい合って(Face to Face with Sri Ramana Maharshi)』
94.
マナヴァシ・V.ラーマスワーミー・アイヤルは、1908年にティルヴァーンナーマライの公共機関の管理官でした。以下は、彼の日記からの短い抜粋です。私の心はかき乱され、彼に訴えかけました。「イエスや他の偉大な方々は罪びとを救うために世界にやって来ました。私には希望がありますか」。スワーミーは(英語で)言いました-「希望はあります。ええ、希望はあります」。これらはまさに神の言葉(*1)であり、以下の詩が生まれました。
御身は私の唯一の寄る辺。私には頼るべき他の人はいない
おお、御身の御足へ集まる信奉者なる蜂にとって、甘美で香り高い魅力的な花束よ
私はしょっちゅう消化不良で、ちゃんと食べ物を消化することも、よく寝ることもできませんでした。私は悩んでいて、スワーミーはそれについて私に尋ねました。私は彼に私の健康状態について話しました。ある時、女性の信奉者が祝祭のためのケーキと食べ物を持ってきました。私はカンジ(おかゆ)を常食としていました。多くの人が私を招きましたが、「消化できないんです」と言い、いつも断っていました。しかし、スワーミーが私に無理に勧めたので、私はとても硬くて高価な食べ物をたくさん食べました。その夜、とても奇妙なことに、私はぐっすりと眠りました。これは私にとって、スワーミーをより完全に信頼するための大きな刺激となりました。私が治っていくにつれ、私がスワーミーのもとへ行くのに反対していた私の家族は、彼の前で食べられるように私の食事を送り始めました。
スワーミーの一瞥は魂を揺さぶりました。グルが手のひらを弟子の頭の上におくことにより人々は祝福を受けると聞いていましたが、彼のまなざしはより力強いものでした。スワーミーの教えとは、「自らを忘れないように。全ての悲惨は自らを忘れることによるのです」でした。
私はオリッサ州のベルハンプルに転勤になりました。ある時、多くの腫れ物が私の足にでき、どんな治療も効果がありませんでした。ある朝、ティルヴァンナーマライから二人の訪問客が来ました。彼らは北部への巡礼の途中で、バガヴァーンが私を世話するように彼らに特別に頼んだと言いました。私の状態を見て、彼らは簡単な家庭薬を処方し、それは奇跡的な治癒をもたらしました。彼らは確かに慈悲深いバガヴァーンの使者でした。私は彼を称える歌-サラナガティ(*3)(私の寄る辺)-を自然とつくりました。
マナヴァシ・ラーマスワーミー・アイヤルによるサラナガティ
(*1)神の言葉・・・「the very words」の訳、福音とも。
(*2)タマリンド・・・マメ科の常緑高木。葉は長楕円形の小葉からなる羽状複葉。淡黄色の花が集まって咲く。
(*3)サラナガティ・・・「委ねること」。サラナは「避難所、休憩所、保護」、アガティは「(矢のように)行くこと」。
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