2011年12月24日土曜日

クリシュナ・ビクシュ ( 権威ある伝記『Sri Ramana Lila』の著者)の思い出

◇『シュリー・ラマナ・マハルシに向かい合って(Face to Face with Sri Ramana Maharshi)』

62.
 クリシュナ・ビクシュ(ヴォールガンティ・クリシュナィヤ)は法律の学位を持っていましたが、ほとんど業務を行わず、宗教的探求に人生を捧げることを好みました。彼はシュリー・ラマナの権威ある伝記、Sri Ramana Lilaをテルグ語で著し、マハルシの教えを含んだRamana Yoga Sutraを著しました。彼はシュリー・オウロビンドーにも魅かれていましたが、1931年にシュリー・ラマナが彼が探し求めていたグルであると最終的に決断しました。
  マドラスで法律の学位のための準備をしていた時、私はガナパティ・ムニに出会いました。彼の風采はとても印象的でした。「この人がこれほど偉大であるならば、彼の師はどれほどさらに偉大なのか」と私は思いました。私はシュリー・ラマナーシュラマムに友人と一緒に行きました。我々が到着した時、バガヴァーンは食事の後で手を洗っていました。我々を愛情深く、熱心に見ながら、彼は、「もう食事を済ませましたか」と尋ねました。町で済ませたという我々の返答に対して、「ここで食事をとれましたよ」と言いました。

 3日間の滞在は、私に大変な感銘を与えました。私はシュリー・ラマナが本当のマハートマーであると思いました。私はベナレスに1か月間行き、ポンディチェリーに戻り、そこで5か月間過ごしました。どこへ私が行っても、人々は私について何かしら非難したものでした。バガヴァーンだけが何も求めず、何も非難しませんでした。当然のことながら、彼の恵みを受けとる資格は私の中に何もありませんでした。しかし、これはバガヴァーンにとって問題ではありませんでした。彼は私の善性でなく、私を求めました。彼に「私はあなたのものです」と言うだけで、彼にとって残りを行うには十分でした。その点で、彼に並ぶものはいませんでした。

 私にとってバガヴァーンはいつも偉大な人であり、父親のような人でした。私は彼を完全に信頼していました。彼は導き、私は従いました。私は安全な手の内いて、よく見守られていることを知っていました。私は自分の全存在でもって彼を愛し、彼のそばで暮らしました。同じ部屋で食べ、同じ講堂で眠り、おしゃべりをし、冗談を言いましたが、常に彼の限りない愛と気配りで彼に固く結ばれていました。私は自慢して、こう言っているわけではありません。彼は私に対してと同じように、すべてに対してそうあったからです。すべての人が、どこか独特である、なんらかの説明できない特別な方法でバガヴァーンにつながっているように感じました。我々みなが特別に感じました。バガヴァーンは我々みなを愛しましたが、それぞれを異なるように愛していました。

 彼と共にいると、私は母親と一緒にいる子供のようでした。完全に安全で、完全に幸福。困難な中にあるときはいつも彼を頼り、彼は楽々と私の問題を解決しました。私が彼から離れている時でさえ、私にとって「ラマナ」と口にすることは十分であり、一切の問題を追い払う彼の手助けを内に外に感じました。アーシュラムに行く時はいつでも、私はなんという気遣いを得たのでしょうか!彼は私がどこで床につくか、枕として何を使うかなどをよく尋ねました。(私たちは枕として木の塊をよくつかっていました。蒸し暑い夏の夜に頭を涼しくしておけるからでした。)

 私がアーシュラムを訪問し始めたころに、彼はガーヤトリー・マントラを繰り返し唱え続けるように私に勧めました。というのも、昔、私がそれを繰り返し唱えていたからです。しばらくして私は、「私はマントラの意味を知り、それについて瞑想するように求められているのでしょうか」と尋ねました。彼は、「私はガーヤトリーを繰り返し唱えているのは誰か、ジャパを行っている者は誰か確かめるようにあなたに求めているだけです」と言いました。私にジャパを行っている者を探させることによって、彼は巧みに、次第に私を自らの探求の修練に向けてゆきました。

 誰もバガヴァーンの人々の出迎え方や扱い方を正しく言い当てられませんでした。国で地位が高く、権力を持つ者がぼんやりと見られることさえなかったかもしれませんが、その一方で、取るに足らない放浪者が何時間も、何日でさえも、集中した注意の対象になることがありました。かつて、プラナヴァーナンダ・スワーミー(No.130)がアーシュラムに来ました。彼は疲れ切っていて、踏み段の上に座っていました。バガヴァーンにそれが告げられた時、彼は出てきて、プラナヴァーナンダの足元に座り、「タータ(年長者への敬称)、長い道のりを歩きましたね。足がとても痛んでいるに違いありません」と言いながら彼の足をこすり始めました。年寄りのスワーミーは異議を唱えましたが、無駄でした。バガヴァーンは自分の思い通りにスワーミーの足をマッサージしました。この大変な幸運の受け手となるために、この老人がどれほどすぐれた善行を積んだのか誰にも分かりませんでした。

 食事時、バガヴァーンはとても少なく給仕するように頼んだものでした。そして、立ち上がる前に葉っぱのお皿の上の食べ物を最後の一粒まで注意深く食べました。ある時、私は、「私たちが食事の葉っぱをそんなにきっちり平らげてしまうと、犬や猫やサルやねずみやアリたちが飢えてしまします」と言いました。バガヴァーンの返答は、「あなたがそんなに哀れみ深いならば、自分自身が食事をとる前に動物たちに食べ物を与えてはどうですか」でした。

 バガヴァーンの親切と気遣いは植物にも及んでいました。アーシュラムのサルヴァーディカーリー(管理人)が、アーモンドの木から枯れた葉を取り除くように労働者に頼みました。彼は手当たり次第に切り始めました。バガヴァーンはその人を大声で呼びました。「あなたは木をあまりにひどく苦しめています。木が生きていることを知らないのですか。私があなたの髪を突然つかんで、引っ張るなら、どうなるのか想像してご覧なさい。あなたの髪には命はないかもしれませんが、あなたはそれを感じるでしょう。哀れな木をそっとして、立ち去る方がよろしい。」

 バガヴァーンの流儀は、命令するよりむしろ促すことでした。たとえば、彼はデーヴァラージャ・ムダリアールに菜食主義者になるように決して命令しませんでした。ムダリアールは菜食が彼にとって十分な栄養分を含んでいるのか確かでなかったので、バガヴァーンは彼が菜食でない食事をやめても困ることはないとはっきり請合いました。

 ラーマクリシュナ・スワーミーは長年バガヴァーンに仕えていた人ですが、町の女性を訪問し始めました。彼女の親戚は彼女の家で彼を捕まえて、彼の手足を縛り、部屋に閉じ込めました。彼は何とか逃れ、敵に追いかけられて、アーシュラムに走ってやってきました。彼がアーシュラムの門をくぐると、彼らは追跡を諦めました。彼は震えながら講堂に入り、「助けて下さい、助けて下さい」と叫びながら地面に倒れこみました。バガヴァーンはその男の告白を聞いた後、理解と憐れみをもってこの犯人を見て、「もうそのように恐れる必要はありません。寝てらっしゃい」と言いました。

 アーシュラムの人々はその人がいることがアーシュラムの名声を傷つけるだろうという理由から、その人を追い払うようバガヴァーンに頼みました。バガヴァーンはその人を呼び、皆の前で彼に、「あなたは悪いことをしましたが、あまりにも愚かでそれを隠すことができませんでした。他の人はもっと悪いことをしますが、見つからないよう注意します。今、見つかっていない人々が、あなたが見つかったという理由から、あなたにアーシュラムを離れて欲しいと思っています」と言いました。その人は、留まることが許されました。

 バガヴァーンの通例の道徳律は、他人の欠点と思しきことに目を向ける前に、自分の過ちや問題の世話をするということでした。ある時、社会奉仕などに関心を持った人がバガヴァーンに、「私が行いたいことは、巡り歩いて、物事を正すことです。この仕事を行うための力を求めて、私はあなたのもとにやって来ました」と言いました。バガヴァーンは、「あなたはやって来る全ての人にご馳走しようと申し出る物乞いのようです。はじめに、あなた自身を正しくし、その後、他人を改善しようと試みなさい。しかし、人はどこかで始めなければなりませんが、自分自身のみから始めることができます」言いました。

 バガヴァーンの信奉者への配慮を大げさに言うのは難しいことです。かつて、ハイデラバードのD.S.メルコテ医師がバガヴァーンの湿疹の治療をしていたのですが、改善が見られませんでした。突然の差し迫った必要性から、医師は家に帰らなければなりませんでした。彼はこの状態のバガヴァーンを残して去らねばならないことから、自責の念でいっぱいになりました。私はバガヴァーンが自分自身を治療するようにバガヴァーンに祈るよう彼に助言して、彼はそれを行いました。その夜から、バガヴァーンの湿疹は治療に好ましい反応を示しました。医師はこの奇跡に文字どおり涙を流し、なんの良心の呵責もなく出発できました。

 牝牛のラクシュミーは、日中の間のいつかしらバガヴァーンと共にいることを求めずには、一日も過ごせませんでした。ある日、彼女は講堂へやって来て、バガヴァーンのもとへ真っ直ぐに行き、彼の肩の上で文字どおり涙を流しました。バガヴァーンは彼女が落ち着くまで、「お母さん、どうしてそんなに悲しいのですか。あなたの世話をするために、私はここにいませんか」など言いながら、30分間、彼女を慰めつづけました。

 ネロール出身の弁護士であるR.ラーマクリシュニアは長い質問のリストを携え、やって来ました。彼は自分の質問をとても誇っており、バガヴァーンでも答えるのが難しいと思うだろうと確信していました。しかし、彼が講堂に来て、バガヴァーンの前に座った時、彼の心は麻痺し、1つの質問さえも尋ねられませんでした。

 サイード教授(No.23)と彼の妻は、バガヴァーンのすぐれた信奉者でした。彼らはアーシュラムの外の仮家によく滞在していました。ある日、サイード婦人はバガヴァーンを家の食事に招待したいという強い願望を感じました。彼女は夫にしつこくせがみましたが、彼にはまったく通例でないことを頼む勇気はありませんでした。この大胆な女性は夫に要求し続け、ついに彼はその頼み難さよりも彼女を恐れるようになりました。彼がバガヴァーンに妻の望みについて話した時、彼はただ微笑み、黙っていました。しかし、妻は決してあきらめようとはしませんでした。ある日、バガヴァーンが丘を登っている時、夫妻は彼の前に立ち、サイード教授は彼に彼女の望みを言いました。バガヴァーンはただ笑って、山を登りました。

 彼らが帰宅した時、家ではたいへんな口論になりました。妻は夫がバガヴァーンに適切な方法で頼まなかったと感じたので、彼を責めました。十分に言い合い、ついに彼は、「どうして私に責任があるんだ。事の真相は、お前の献身が不十分ということだよ」と彼女に言いました。この言葉は彼女に強い影響を与えたに違いありません。というのも、彼女はその夜の間ずっと瞑想して座ったからです。たいへん熱心に祈ることによって、バガヴァーンを夕食につれてくるよう望みました!朝の早い時間に、彼女はうとうとしたに違いありません。というのも、バガヴァーンが夢か幻で彼女にあらわれ、「あなたはどうしてそんなにも強情なのですか。アーシュラムを離れて、あなたの家に食事に行くことがどうして私にできますか。私はここにいる人々と一緒に食事を取らねばなりません。そうでなければ、彼らは食べようとしません」と彼女に言ったからです。

 夢で彼女は3人の信奉者を見ました。バガヴァーンは彼らに食事が与えられるべきであり、それは自分に食事を与えるのと同じことになると言いました。彼らは、カナラ出身のハイデラバードでよく知られた人物であるG.S.メルコテ医師、ベンガル出身のサンニャーシであるスワーミー・プラビュダッーナンダ、アーンドラ出身の独身男性である私でした。彼女はサイード教授に夢を詳しく説明し、彼はさっそく3人とも家の食事に招待しました。我々は皆バラモンでした。我々は祝宴でバガヴァーンの代理をすることを大いに喜びましたが、アーシュラムのバラモンの反応を心配しました。

 メルコテ医師は、花の庭園の近くのゲストハウスに滞在していました。私は彼のところに行き、「あなたは何について考えているのですか」と尋ねました。彼は、「私はあのことについてまだ考えているのです。彼らはムスリムです。我々が行けば、必ず多くの揉めごとに巻き込まれます。彼らは我々をアーシュラムから追い出すかもしれません」と言いました。私はメルコテ医師に、「私は行くつもりです。なぜなら私はそれをバガヴァーンの直接の指示として受け取るからです。そうでなければ、どうしてサイード婦人が我々を選べますか。どうして夫に説明するのに十分なほど彼女が我々の名前と顔を知ることができますか」と言いました。メルコテ医師は、「では、行くことにしましょう。バガヴァーンが危険に対処してくれます」と答えました。

 この勇気ある言葉にも関わらず、メルコテ医師は途方にくれていました。ムスリムがバラモンの規則や清潔の習慣について何を知っているのか。どうして我々はあるムスリムの女性の夢を信じるべきなのか。我々はバガヴァーンの指示に従っていると本当にいえるのか。我々の言うことを誰が信じるのか。

  翌日、夕飯の鐘がなった時、我々3人はバガヴァーンの前に行き、お辞儀しました。バガヴァーンは理由を聞きませんでした。彼は我々を見ただけでした。ほかの人と一緒に食堂へと行くかわりに、我々はアーシュラムの外へ悠々と歩いていき、サルヴァーディカーリー(管理人)の前を過ぎました。まったく不思議なことに、どうして我々が食事を食べずに外に出て行くのか彼は尋ねませんでした。

 全てのものを徹底して清潔にした後、サイード婦人は愛情こめて次々と料理の準備をしました。食事は素晴らしいものでした。食事の終わりに、彼女は手ずからキンマの葉を我々に差し出しました。我々がアーシュラムに歩いて帰る時、メルコテ医師は目に涙を浮かべていました。彼は、「私はハイデラバード出身で、ムスリムの流儀や慣習をよく知っています。ムスリムの女性は、夫かファキアー(ムスリムの行者)以外の誰にも手ずからキンマの葉を渡しません。彼女の目には、我々はファキアーという、バガヴァーンが彼女のところへ行くためにとった形なのです」と言いました。

 我々がアーシュラムに帰った時、どうして食堂にいなかったのか、どこに行っていたのか誰も尋ねないことに我々は驚愕しました。バガヴァーンはなんと不可思議にも彼に従う人々を守るのでしょうか!

  かつて私はバガヴァーンを称賛する詩を書き、そこで私は、「あなたの未来の生まれ全てにおいても、我々と共にあなたがありますように」と言いました。バガヴァーンはこれを聞き、「彼が私にさらに多くの生まれを望むのは、この生まれでは十分ではないからですか」と言いました。とても失礼に書いたということで人々は私を叱りました。バガヴァーンは転生を超えていると言う人もいれば、偉大なるシヴァ自身の息子である彼は人間の肉体を決して必要としないと主張する人もいました。私は、「バガヴァーンは何度も転生します。彼が必要とするわけでなく、我々が彼を必要とするからです」と声を上げました。

 バガヴァーンは注意深く聞きました。「その通りです」と彼は言い、沈黙しました。講堂は力と静寂で満ち、限りない愛が、力強い海のごときバガヴァーンから溢れ出ていました。

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