2019年3月27日水曜日

バガヴァーンとの日々⑥ - 45年11月24日から45年12月6日まで

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、p50~59

バガヴァーンとの日々

A.デーヴァラージャ・ムダリアールの日記から

45年11月24日 午前

 バガヴァーンは、昔、彼がよく山頂に登った方法について話しました。どのような道を通ってでも、もしくは、道がなくても、彼は登りたい気がした時にはいつでも登りました。草刈り人たちだけが彼の使った道のいくつかを知っていたと彼は言いました。「時々、人々がマドラスや他の場所からやって来て、山の頂上にたどり着こうとして、スカンダーシュラマム近くで道に迷っていたものでした。そこで座っていた私を見つけ、彼らは山頂への道を私に尋ねたものでした。私が道は彼らの右の方で、北に向いていると彼らに伝えたとき、『私たちが誰で、どこから来たのか知ってますか。私たちはマドラス出身です。その手には乗りません。頂上はここ私たちの真上です。あなたは私たちを道に迷わせたいんです』と言う人達もいました。私は黙っているのが常でした。彼らはまっすぐに登ろうとして、長い時間の後、頂上にたどり着こうとする彼らの努力が全て無駄だったとことに気づき、疲れ果てて戻って来ました。私に近づくと、彼らは恥じてこうべを垂れ、私を避けて去っていったものでした」。

45年11月25日

 バガヴァーンは、彼がスカンダーシュラマムで生活していた間、どのようにチーターたちがよく彼を訪れたのか語りました。「ある時、チーターが明らかに攻撃的に思える恐ろしい唸り声を上げましたが、我々に何もせず、サルたちを追いかけに行きました。別の時、チーターが悠然と歩いて上ってきて、アーシュラムに近づくや否や大きな唸り声を上げましたが、その声にはただ平穏だけが見受けられ、攻撃性は見受けられませんでした。それはただその到着を知らせたいだけで、それ以上なにもないかのようでした。それはとても近くに来ました。スカンダーシュラマムで山の小川が今、流れているところにです。そして、しばらくして、別れを告げるかのように、もう一度唸り声を上げ、ゆっくりと歩み去りました」。

 朝食後、バガヴァーンはいつもように付添人を一人だけ伴ってスカンダーシュラマムに行きました。最近、スカンダーシュラマムは完全に修繕され、完璧な状態になり、ラマナーシュラマムの背後のそこへ続く山上の道もまた改善されました。その出来事を祝うため、そして、バガヴァーンが存分に楽しむことを我々が知った彼の昔のアーシュラマムで彼がいくらか時を過ごす機会を与えるために、バガヴァーンと信奉者全員がそこでその日を過ごし、ここには夕方にだけ帰って来る手はずでした。午前9時30分ごろまでに、200人ほどの人々がスカンダーシュラマムに詰め込まれ、我々は皆、午後になってようやく帰りました。バガヴァーンは4時15分ごろに出発し、午後5時30分ごろにラマナーシュラマムに着きました。スカンダーシュラマムで、バガヴァーンは幸せそうで陽気なムードでした。天気は、しかしながら、いささか曇り、冷え冷えとしていて、身を切るように冷たい風がほとんどの時間吹いていました。バガヴァーンは、スカンダーシュラマムとヴィルーパークシ洞窟で彼が生活する間に起こった様々な出来事を丁寧に事細かに物語りました。スカンダーシュラマムという名前が付けられたのは、そのアーシュラマムが古くからの弟子、カンダスワーミという人によって、大変な自己犠牲と人の手を借りない彼の肉体的努力によって、もともと計画され、建てられたからだと彼は説明しました。「この山で、必要が生じるときに、水が以前なかったところに、それも何の気配も見られなかったところに湧き出る様子は、奇跡です。その必要がなくなる後、水もまた消えます」と彼は述べました。彼は、今スカンダーシュラマムを流れている山の小川の歴史をたどり、どのように彼が最初、はるか上にその水源を発見し、その後、それを下に導くために弟子たちと共に働いたか(話しました)。ある夜、暴風雨になり、朝、町の人たちには、その距離から、あたかも大きな道路が一夜にして作られたかのように見えました。この出来事の間、パーダ・ティールタム(タミル語)と呼ばれる貯水槽は完全に満杯になり、貯水槽がもとあった場所には泥と岩が15フィートほどの高さまで積み重なっていたようです(後で、45年12月12日に、ある信奉者によってこの貯水槽の半分か、4分の3が再び復元されたことをバガヴァーンから知りました)。

 バガヴァーンはまた、彼がヴィルーパークシ洞窟とスカンダーシュラマム滞在中に関わったサルたちの歴史を詳しく物語り、特にどのようにタミル語(「足の不自由な男の子」、バガヴァーンの彼への愛称)がバガヴァーンの影響を受けたのか説明しました。バガヴァーンがヴィルーパークシ洞窟にいた間に、一匹のサルが当時の王様ザルにひどくかまれ、ひっかかれ、死んだものと見なされて洞窟近くに捨てられたようです。バガヴァーンは彼を憐れみ、看護し、彼は回復しました。以来、彼はバガヴァーンを慕い、いつも一緒にいて、日々の食事をバガヴァーンのアーシュラマムで得ていました。他のサルたちがそこに来た時、足の不自由なサルは彼らがバガヴァーンに近づくのを許さず、バガヴァーンに彼の足を不自由にした王様を指さしました。しかし、後には、全てのサルがそこに来て、彼らのかつての敵、足の不自由なサルに敬意と愛情を示したものでした。そのうちに、足の不自由なサルはサル王になりました。ある日、バガヴァーンとその一行は、スカンダーシュラマムを出発し、ギリプラダクシナに出かけ、後に残る一人か二人にアーシュラマムを任せました。バガヴァーンの不在時に、足の不自由なサルと他のサルの群れが来て、スカンダーシュラマムの全ての木の枝先や細枝を折り、彼らがそこで見つけた全てを滅茶苦茶にしました。バガヴァーンはどうして彼らがそうしたのだろうかと思っていました。次の日、サルたちは再びやって来て、足の不自由なサルが最も高い木に登り、その頂上に達し、木を揺らし、その後、降りてきました。これはサルの間での王の優先権の合図のようです。バガヴァーンがいつものように足の不自由なサルに食べ物を与えたとき、彼は食べようとせず、それを与えた人を他の3匹のサルが座っているところへ連れ行き、そこで彼は彼女たちと食べ物を分け合いました。3匹のサルは退位した王の妃で、彼らの慣習、しきたりによれば今や足の不自由なサルの妃でした。それで、バガヴァーンは足の不自由なサルが王様になったこと、そして、前日、彼らは皆、バガヴァーンの面前で戴冠式を行うためにやって来て、バガヴァーンの不在に気づき、枝を折ることなどでその失望や悔しさを表したことを知りました。

 足の不自由なサルはその後、3匹の妃の間に6匹の子供をもうけ、彼が毎日食事をとるとき、6匹全てがバガヴァーンからそれぞれ一口もらったものでした。足の不自由なサルは2度無作法にふるまい、バガヴァーンを叩いて傷つけたようです。毎回、バガヴァーンはその面前に出るのを彼に許可しないことで彼を罰しようと思いました。しかし、彼のお気に入りが後悔していることに気づき、責任があるのは彼のいたずら好きの性質でしかないと知り、バガヴァーンは彼を許しました。その内の一度は、バガヴァーンがそのサルのための牛乳を一皿手に取り、サルにとってそれが熱すぎたので、冷ますために息を吹き込もうとしたときでした。サルはバガヴァーンが自分で飲むために口の近くに牛乳を持ってきていると思いました。スカンダーシュラマムでは、時々、クジャクとヘビが、一方は尾を広げ、他方は頭をもたげて、彼の前で並んで遊んだものだったとバガヴァーンは言いました。この日、大勢の信奉者全ての主人役を務めたの人々は、共にバガヴァーンの優れた信奉者、T.K.ドーライスワーミ・アイヤル教授とバンガロールのサタコーパ・ナイドゥ氏でした。ナイドゥ氏に関して、以下は心理学上の興味深い研究として語るに値します。

 ナイドゥ氏は、バガヴァーンと知り合って、今では35年ほどです。彼がバガヴァーンと知り合って数年後、彼は一度ヴィルーパークシ洞窟に行き、バガヴァーンが出かけたことに気づき、ある場所に座ったようです。少しして、バガヴァーンが戻り、ナイドゥ氏は彼が座っていた場所がバガヴァーンが普段腰かけとして使っていた、まさにその場所であったことを発見しました。これがナイドゥ氏に大変なショックを与えたと言われていて、彼はアーシュラマムのほとんど永住者になり、アーシュラマム内に彼自身の永久的な部屋を持つのに、バガヴァーンの前に全く来ようとせず、ましてや講堂で座ったり、バガヴァーンと共に食事をとったりしません。さらに前、ナイドゥ氏が年に1度か2度アーシュラマムを訪れていた時、彼はあまりに気恥ずかしく感じてバガヴァーンの前に姿を現せませんでした。彼はそのもともとの出来事について決して話しません。私はそれゆえに他の人々から聞いたことを語ることで満足しなければなりません。

45年11月27日

 この場所への2度目の訪問中で今ここにいる、サロージニ・ハティー・シング嬢(ジャワハルラール・ネルーの義理の兄(か弟)、ハティー・シング氏の姉(か妹))が、バガヴァーンの日々の生活を撮影し、世界に公開してもらいたいという望みを言い表しました。私は彼女に、K.K.ナンビアール氏が同様の考えを抱き、数か月前に映画撮影機で2、3場面を撮影しさえしたが、フィルムか操作者のどちらかに何か問題があったためか、なんの成果も得られなかったと話しました。ハティー・シング嬢は、今回ここから帰った後、その準備をすると言いました。食事の時間に、母親と他の人々と共に今月24日のオウロビンドーのダルシャンからここに来た、インドゥマティ嬢(アンバラール・サラバーイの親族)が、何気なかったり、ユーモラスな出来事や発言を含んだ、バガヴァーンの普段の生活を扱った本があるか私に尋ねました。私は否定的に返答し、彼女はそれがあってしかるべきだと言いました。彼女は、「私たちがここに来る前、私たちはバガヴァーンがとても人間的で、彼がとても自由に動き、話し、ユーモラスな発言さえすることを知りませんでした。私たちは彼の霊的卓越性についてだけ知っていました。彼を人として私たちのより近くに連れてくる、この全ての側面を明らかにする本があってしかるべきです」と言いました。

45年11月29日

 27日の夕方、私はヴェールールに行き、今朝、地方判事のA.ロボ氏とその妻に彼らの家で会いました。二人ともバガヴァーンについて尋ね、ロボ氏は、アーシュラマムでのバガヴァーンの人生と行いの何らかの記録があってはどうかと提案しました。

  ロボ氏の家から、私は当時ヴェールールで仮住まいをしていた相談役、サー・ノーマン・ストラシーのところに行きました。そこでも再び自然と、我々はアーシュラマムについて話していました。彼は沈黙を通じてバガヴァーンの教えを聞いたと言い、「私たちはそれを理解できます」と言い足しました。

45年12月1日

 私は昨晩ここに戻りました。10月と11月の20日間ばかりここに滞在していて、ラーメシュワラムや他の場所へ巡礼に出かけていた、ウッタル・プラデーシュ州政府の主任技師、マハー・ヴィール・プラサードが、ここに戻っています。マハー・ヨーガのある一節に関連した彼のいつもの質問の続きで、彼は、「私は誰か」という心の探求を始める前に、呼吸を見守ることが人にとって必要なのか、先行条件なのかバガヴァーンに尋ねました。
  
バガヴァーン: 全ては、人のパクヴァ、つまり、彼の性質や適性しだいです。心を集中したり、制御し、それを探求に向ける心の力を持たない人々は、呼吸を見守るよう勧められています。なぜなら、そのように見守ることは、自然に、そして、当然のことながら、思いの停止につながり、心を制御下に置くでしょうから。

 息と心は同じ場所から生じ、その内の一方が制御される時、他方もまた制御されます。実のところ、探求の方法において-それはより正確には、単に「私は誰か」でなく、「私はどこより生じるか」ですが-私たちは、究極的な現実として残るものに達するために、「我々は体でない、感覚でない、など」と言って(体や感覚などを)単に取り除こうとしているのでなく、どこより自我として「私」なる思いが私たちの内に生じるのか見出そうとしています。その方法は、その内に、明示的でなく暗示的にですが、息の見守りを含んでいます。私たちがどこから全ての思いの源である「私」なる思いが飛び出すのか見守るとき、私たちは必然的に息の源もまた見守っています。「私」なる思いと息は同じ源から生じるからです。

 プラサード氏は、息を制御するために、1対4対2の割合で息を吸い、止め、息を吐くように規定されている規則的なプラーナーヤーマはより良いのかどうか再び尋ねました。バガヴァーンは、「時には、数を数えることによってでなく、マントラを口にすることなどによって調整される、そういった割合すべては、心の制御するための助けです。それが全てです。息を見守ることまた、プラーナーヤーマの一つの形です。息を止めることなどはより乱暴で、ある場合、例えば、サーダカを一歩一歩全ての段階で導く適切なグルがいない時には有害になるかもしれません。しかし、単に息を見守ることは簡単で、危険を伴いません」と答えました。

 年配の紳士、ティンドゥッカル出身の代議士、スワミナータ・アイヤル氏が来ました。彼と一緒に、ラマナと呼ばれる3歳ぐらいの男の子がいました。どうやらその子はその時までバガヴァーンに会ったことはなかったようですが、バガヴァーンについてたいそう聞いていたようです。それで、その子は講堂で「タミル語」(つまり、ラマナを今見つけた)と言いました。それは自然と我々皆の笑いを誘い、バガヴァーンもその笑いに加わりました。

 その年配の紳士は、サハジャ・サマーディを達成する前に、ニルヴィカルパ・サマーディをまず経るべきかバガヴァーンに尋ねました。バガヴァーンは、「私たちがヴィカルパを持っていて、それを放棄しようとしている時、つまり、私たちが未だ完成されず、心を一点に向け続ける、もしくは、心を思いなく保つための意識的な努力をしなければならない時、それはニルヴィカルパ・サマーディです。修練を通じて、サマーディに入ったり再び出たりすることなく、私たちが常にその状態にいる時、それがサハジャの境地です。サハジャにおいて、人は常に自分自身を見ます。彼はジャガットをスワルーパ、もしくは、ブラフマカーラとして見ます。ディヤーナやジニャーナやバクティ、人がどのような方法に従っても、かつては手段であるものが、終には、目的そのものになります。サマーディは、私たち自身の、私たちの真の境地の別名です」と答えました。

 夕方、パーラーヤナの後、バガヴァーンは本を拾い読みしていました。バガヴァーンは私のほうを向き、それはB.V.ナラシンハ・アイヤル氏によるGlimpses of Sai Babaであり、シュロフ氏がバガヴァーンに見てもらうために持ってきたと言いました。私は、「ええ、今朝、私はそれをシュロフの家で見ました。それは何か新たなもの、サーイー・バーバーに関する彼の前作に含まれていないものを含んでいるのでしょうか」と言いました。バガヴァーンは、クップスワーミ・アイヤル判事によるその本の前書きを読み上げました。講堂にいたサイード博士が、彼がその本を読んだと、そして、それは新たなものを何も含んでいないと言いました。彼はまた、ナラシンハ・アイヤル氏が、主題に関して問われたとき、サーイー・バーバーが自らの実現を誰かに教えたかどうか言えなかったと言いました。ほとんど間髪を入れずに、サイード博士に反対するかのように、バガヴァーンはその本への前書きから、サーイー・バーバーが信奉者たちに物質的救済のための恩恵を授けただけでなく、自らの実現という究極の目的に向けて彼らの後押しもしたと書かれた一文を読み上げました。

45年12月2日

 アーシュラマムに昨晩到着した、ヴィジャヤナガラム州の王太后が、今朝、2、3人の他の人と共に講堂にやって来ました。シュリニヴァーサ・ラオ医師がバガヴァーンの足をマッサージしていました。バガヴァーンはシュリニヴァーサ・ラオ医師に、「あなたは座りに行きなさい。そうでなければ、彼らが来て、バガヴァーンの健康状態がどうかしたのか尋ねるでしょう」と言いました。医師はそれに応じてマッサージをやめました。バガヴァーンは、どんな理由でも彼のことで騒ぎ立てられることを好みません。

 午後、私はWonderful Indiaという本をバガヴァーンに見せました。その中には多くの写真が含まれ、バガヴァーンは写真を見ながら、その本を1時間以上熟読していました。

45年12月4日

 先月の中頃、講堂で、いくらか再配置が行われ、柵がバガヴァーンの寝いす周りの西側と南側に置かれ、全ての棚が講堂の東半分などに移されました。この全てが行われたとき、私はバガヴァーンの寝いす近くにそのように家具が込み合っていたら害虫が増えるかもしれないと述べました。それで、我々は殺虫剤について、戦時中に発見された最も効果的な殺虫剤のDDTについて話しました。今朝、シュロフ大尉がDDTをいくらか持ってきて、バガヴァーンのソファーを含め、講堂内と家具に吹きかけました。バガヴァーンは牛小屋に試してみるよう勧めました。可能ならば牝牛たちから彼女たちを今悩ましている全ての蠅を取り除きたいと彼はとても強く願っていました。シュロフ大尉はどのように使用すべきかという指示とともに、アーシュラマムにいくらかDDTを残していきました。我々は、マウニがすでにDDTの使用についての十分な指示が与えられた何らかの文書からの切り抜きを持っていることに気づきました。

45年12月6日 午後

 G.スッバ・ラオ氏がコータラムの故マウナ・スワーミについてバガヴァーンに話しました。彼はもともと1906年にバガヴァーンと共にいました。当時、彼はシヴァイヤと呼ばれていました。今日、バガヴァーンは、彼にはじめてカマンダラムを与えたのがシヴァイヤであったことを思い出しました。シヴァイヤは1年かそこらバガヴァーンと共に住み、その後コータラムに行き、1909年か1910年に再びバガヴァーンのもとに来た時、彼はココナッツのカマンダラム、バガヴァーンが使った最初のものを持ってきたようです。バガヴァーンは「タミル語」(ラマナ・ヴィジャヤム)という本の中の写真を持ち出しました。本の中にはバガヴァーンが岩に座り、他ならぬこのカマンダラムを右手に持ち、左手を左のももに置いている写真があります。この写真の中で、バガヴァーンは健康と力の絶頂期にいました。


 「angiyuru vaayumoli」という詩節(Collected Works of Ramana Maharshiの中のシュリー・アルナーチャラ・マーハートミャの第3詩節)に言及して、私はバガヴァーンにその中で言及されている洞窟は神の内部にあるのか、(もちろん、それもまた神であると言われている)山の内部にあるのか尋ねました。バガヴァーンは、「もちろん、文脈上、洞窟は山の内部にあり、洞窟の中に全ての楽しみがあるということです」と答えました。バガヴァーンは、「その詩節は、この山の内部には洞窟があり、それは光輝そのものであるか、もしくは、光で輝いていて、全ての楽しみをそこで見出しうることをあなたは信じるべきだと言います」と言い足しました。私はまた、「私はこの地がボーガ・クシェトラと呼ばれていることをどこかで読みました。それは何を意味しているのでしょう」とバガヴァーンに尋ねました。バガヴァーンは、「ええ、そう言われています。でも、それはどういう意味ですか。このクシェトラを思うこと自体がムクティを与えることができるなら、この地が人が望むであろう他の全ての楽しみを与えることができても何の不思議がありますか」と答えました。シュリニヴァーサ・ラオ医師が、自分自身に「私は誰か」という質問をした後、静かにいるべきか、それとも、「私はこの体、五感などでない」というような答えを与え続けるべきなのか、それとも、「私は誰か」という質問を繰り返し言い続けるべきか尋ねました。

 バガヴァーン: どうしてそれがマントラであるかのように「私は誰か」を繰り返し言い続けなければいけないのですか。他の思いが生じるなら、その時、他の思いを遠ざけるために、「誰にこの思いが生じるのか」、「どこから、この思いがやって来る『私』が生じるのか」という質問が尋ねられるべきです。マントラ・ジャパムにおいてさえ、マントラを繰り返し損なうとき、つまり、他の思いが心を占拠し始めたときに、「私はマントラを止めていた」と自分に言い聞かせ、それを繰り返し始めます。全ての道における目的は、神や自ら以外の他の全ての思いを近づけないことです。

 これに関連して、バガヴァーンは再び「御名は神です」と言い、「初めに言葉があり、言葉は神と共にあり、そして、言葉は神であった」と聖書を引用しました。スワーミ・ラームダースはよくナーマ・スマラナの重要性を説いていて、彼が使うはシュリー・ラム・ジャイ・ラム・ジャイ・ジャイ・ラムです。Visionの最新号で、スワーミ・ラームダースは「そが汝なり」について記していて、バガヴァーンは私にそれを参照させました。

2019年3月16日土曜日

バガヴァーンとの日々⑤ - 45年11月20日から45年11月22日

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、p39~50

バガヴァーンとの日々

A.デーヴァラージャ・ムダリアールの日記から

45年11月20日 午後

 ラーマクリシュナ・ミッションのリシケーシャーナンダ・スワーミいう人がここにいます。彼はスワーミ・シッデーシュワラーナンダにバガヴァーンを訪問するよう勧めらていたようです。バガヴァーンはシッデーシュワラーナンダについて話し、2冊の本を見せました。1冊は彼の講義(随筆)を含み、もう1冊は1941年にフランスから発送されたのに、ほんの3週間前に受け取られました。リシケーシャーナンダは、シッデーシュワラーナンダがフランス語をしっかり習得していて、その言葉を流暢に話したと言いました。彼はまた、ヴィジャヤーナンダ・スワーミという人が南アメリカで働いていて、キリスト教宣教師たちによる敵意あるプロパガンダにもかかわらず、とても人気があると言いました。二人の裕福な女性がそのスワーミーを支援して、彼にそこにとどまるよう頼みました。その女性の一人はGuirellis夫人で、(そのアーシュラムではMamitaとして知られています)カナラ族の少年Ramanを養子にし、ラーマクリシュナ・ミッション近くで今バンガロールに滞在しています。シッデーシュワラーナンダは数か月間インドに行くつもりで、その時にラマナーシュラマムも訪れたいと思っています。話題は、そのスワーミたちが外国で着ている服に移りました。リシケーシャーナンダはバガヴァーンに、たいてい彼らはヨーロッパの服を着ていて、講義を行う間は、ヴィヴィーカーナンダが何枚かの写真の中で身に着けているのが見られるような長く緩やかに垂れた黄土色のローブとターバンを身に着けていると言いました。

45年11月21日 午前

 そのスワーミは、ジニャーニの特徴についてバガヴァーンに尋ねていました。バガヴァーンは、それはバガヴァッド・ギーターのような本の中に全て描かれていると、しかし、ジニャーニの状態は心を超越するものであり、たかだか心の助けによっては描けず、全ての描写はそれゆえ不完全に違いないことを我々は念頭に置かなければならないと言いました。沈黙だけがその状態や特徴を正確に描けます。しかし、沈黙は言葉よりも効果的です。沈黙から思いが、思いから自我が、自我から言葉が現れます。そのため、言葉が効果的であるなら、その原初の源はどれほどより効果的になるはずでしょうか。これに関連して、バガヴァーンは以下の物語を話しました。「タットヴァラーヤは彼のグル、スワルーパーナンダをたたえてバラニ(タミル語での一種の詩的作品)を作り、その作品を聞き、その価値を評価する学識あるパンディットの集会を招集ました。そのパンディットたちは、バラニは千頭の象を殺すことができる偉大な英雄をたたえてのみ作られると、行者をたたえてそのような作品を作るためでないと異議を唱えました。そこで直ちに、その作者は、『我々皆で私のグルのところに行きましょう。そうすれば、我々はそこでこの問題を解決するでしょう』と言いました。彼らはグルのもとに行き、皆が座についた後、作者はグルに彼らがそこに来た目的を話しました。グルは黙って座り、他の全ての人々もまたモウナに留まりました。丸一日が過ぎ、夜が来て、さらに数昼夜、しかし、皆がそこに黙って座りました。まるで何の思いも彼らの誰にも起こらず、誰もなぜ彼らがそこに来たのか考えず、尋ねませんでした。このように3、4日後、グルは心を少し動かし、そこで直ちにその集会は思考活動を取り戻しました。そして、彼らは言明しました。『千頭の象を征服することは、寄せ集められた我々の全ての自我なる盛りのついた象を征服する、このグルの力に比べれば何でもない。そのため、確かに、彼はバラニでたたえられるにふさわしい』」。

午後

 シュリー・オウロビンドーのアーシュラムからの女性の訪問者がバガヴァーンに、「集中するとき、あらゆる類の思いが生じ、私を邪魔します。努力すればするほど、思いが起こります。どうしたらいいのでしょうか」と尋ねました。

 バガヴァーン: ええ。それはそうなるでしょう。内側にある全てのものが出てこようとするでしょう。心がわき道に逸れたいと思うたびに心を引き止め、自らに据える以外に方法はありません。

 バガヴァーンは、揺れ動く心が何の後を追おうとも、そのたびごとに心を引き離し、自らに据えなければならないと書いてあるバガヴァッド・ギーターの詩節を引用しました。

 シヴァ・モーハン・ラールがバガヴァーンに、「ここバガヴァーンの面前で集中するとき、私はたやすく思いを自らに据えることができます。しかし、私の家では、そのようにするには長い時間がかかり、大いに苦労します。とりわけ、バガヴァーンがあらゆるところにいて、私のアンタルヤーミ(内なる支配者、目撃者)であるとを私は確信しているので、それではどうしてそうでなければならないのでしょうか」と尋ねました。私は、「それはもちろんそうであるに違いありません。我々は神があらゆる所に遍在していると教わっていますが、が他の物や場所よりもある物や場所に、つまり、寺院や聖像、アヴァターラにより顕現するとも教わっていませんか」と言いました。バガヴァーンは、「ここにいるムルガナールに尋ねなさい。彼は歌を歌い、その中で彼は、ラマナーシュラマムは彼にとって単にここでなく、あらゆる場所である言います」と言いました。そこで直ちに、ムルガナールはラマナ・デーヴァマーライから以下の詩節を読み上げました。

タミル語の四行詩

 その意味は、「(彼の恩寵によって)心は静寂を得て、よくラマナーシュラマムで(落ち着いて)いるように、あらゆる所で落ち着いたままであるため、この世界のどこに行こうとも、私にとってそれは神々さえもが行くことを切望するラマナーシュラマムである」。言い換えれば、ラマナーシュラマムは、あらゆる所にあり、心を殺すことによって我々がアクセスするチダーカーシャです。バガヴァーンは、「時間と場所は本当は存在しません。ラジオの中でさえ、我々はこの真理のヒントを得ます。我々はハイデラバードをここに持っています。そこで歌われるものを、そこで歌われるのと同時に我々はここで聞きます。どこに時間と場所がありますか。

 シュリニヴァーサ・ラオ医師がバガヴァーンに、「タミル語、つまり、眠らない眠りにいる、とはどういう意味ですか」と尋ねました。

 バガヴァーン: それはジニャーニの状態です。眠っているとき、我々の自我は沈められ、感覚器官は活動的ではありません。ジニャーニの自我は殺されていて、彼は自発的に、もしくは、彼が行為者であるという概念を伴っては、どの感覚活動にも身を任せません。そのため、彼は眠っています。同時に、彼は眠っているように無意識ではなく、自らに完全に目覚めています。そのため、彼の状態は眠っていません。この眠らない眠り、目覚めている眠りは、どのように呼ばれるのであれ、自らなるトゥリーヤの状態であり、その上にスクリーンにように3つのアヴァスター、目覚め、夢、眠りが通過し、スクリーンは影響されないままあります。

 バガヴァーンは、存在するものをしっかりつかむ代わりに、我々は存在しないもの探し求めていると言いました。我々は過去と未来に気を揉み、現在の真実を理解しません。我々は「アーディ(始まり)や「アンタム」(終わり)を知りません。しかし、我々は中間を知っています。もし我々がこの真実を見出すなら、我々は始まりと終わりを知るでしょう。バガヴァーンはバガヴァッド・ギーターから引用しました。「私は全存在のハート(中心)であり、その始まりであり、中間であり、終わりである」。バガヴァーンはまた、現実はマウナでしかないと言い、ターユマーナヴァルを引用しました。

タミル語の四行詩(kallaalin-25)

我々がとても異なるように見える全ての宗教を吟味するなら
我々は見出す-その中に矛盾するものは何もなく
それはただあなたの(主の)戯れに過ぎないと
川が海に流れ入るように、それは全て静寂、マウナに帰する

 これに関連して、バガヴァーンはまた、人が心のことをブラフマーカーラ・ヴリッティと話すとき、それは大海に合流した川についてサムドラカーラ・ナディーと言うようなものであると言いました。


 バガヴァーンのギーターからの引用に続いて、リシケーシャーナンダがアーディとアンタという言葉が見出されるマンドゥーキャ・ウパニシャッドからの1詩節に言及しました。バガヴァーンはそれを取り出し、「中間にのみあり、始まりに存在しておらず、終わりに存在しなくなるものは、現実であるはずがない。中間にのみでなく、始まりと終わりにもあるものが現実となりうる」と書いてある、その文章を説明しました。

 シュリニヴァーサ・ラオ医師がバガヴァーンに、「我々が『私は誰か』と内に尋ねる時、それは何ですか」と尋ねました。

 バガヴァーン: それは自我です。それはまさしくヴィチャーラを行うものでもあります。自らはヴィチャーラを行いません。探求を行うものは自我です。探求が行われる「私」もまた自我です。探求の結果として、自我は存在しなくなり、自らのみが存在することが判明します。

 私はバガヴァーンに、「今朝、リシケーシャーナンダは、心がどこに行こうとも、それはサマーディであると書かれている文章を引用しました。そんなことがありますか。我々の心はそれが好むものを何でも追い求めます。それがサマーディになれますか」と尋ねました。

 バガヴァーン: その一節はジニャーニに言及しています。彼らの体は、プラーラブダによって彼らが経験するよう意図された、どのような活動にでも従事するかもしれません。しかし、彼らはいつも自らの中にいます。我々は我々自身を体と関係させます、もしくは、同一視します。何を体が行うのであれ、我々は我々が行うと言います。バガヴァット・ギーターは、「賢者は五感が感覚対象物の間を動くと思い、感覚器官の活動に無関心でいるだろう」と言います。私はさらに踏み込み、ジニャーニはそれさえも考えないと言わせてもらいましょう。彼は自らであり、彼自身の他に何も見ません。上述の一節の中でバガヴァッド・ギーターが言うことは、アバヤーシ、修練者にとってです。人に自然とやって来るどのような活動にでも従事して害はありません。障害や束縛は、我々が行為者であると想像し、そのような活動の結果に執着することにあります。

 これに関連して、バガヴァーンはまた言いました。「人は『私はマドラスから来た』と言います。しかし、実際、『彼』は来ていません。ジュトカ(馬車)や何かほかの乗り物が彼を家から鉄道駅舎まで運び、そこから列車が彼をティルヴァンナーマライまで運びました。しかし、彼は『私は来た』と言います。このようにして我々は我々自身を体と五感の活動に同一視します」。バガヴァーンはまたヴェーダーンタ・チューダーマニから、ジニャーニの活動は全てサマーディである、つまり、彼の体が何を行っているのであれ、彼はいつも彼の真の状態にいるという趣旨の引用をしました。バガヴァーンはまたラージェーシュワラーナンダに言及し、かつて彼が巡礼者の大団体をバガヴァーンをその中心にして連れて行こうと計画したと言いました。バガヴァーンは、「私は行くことに同意しなかったので、そのことは取りやめなければなりませんでした。私が見に行けるものが何かありますか。私は何も見ません。私がどこかに行くことが何の役に立ちますか」(タミル語)と言いました。これは時々バガヴァーンの口から漏れる、自らの胸の内を明かす言明の一つです。

 以下の発言もまたバガヴァーンによって今晩、行われました。

 「ジニャーニは、彼が自らであり、スクリーンとしてのその自らの上に、いわゆる世界という様々な映画の映像が通り過ぎることを知っています。彼はそのスクリーンの表面で揺らめく影に影響されないままいます。

 「ウーナッカン(物質的な目)で見なさい。そうすれば、あなたは世界を見ます。ニャーナッカン(悟りの目)で見なさい。全てのものはピランママヤム(自らとして)現れます。

 「暗闇の中にある物を見るには、目とランプの光の両方が必要です。光だけを見るには、目で十分です。しかし、太陽を見るには、他のどの光も必要としません。あなたがランプを持って行っても、その光は太陽の光の中にかき消されるでしょう。我々の知性、ブッディは、自らを実現するのに役立ちません。世界、外的対象物を見るには、心といつもそれと共に生じる反射された光(または、チーダーバーサ)が必要です。自らを見るには、ただ心が内側に向けられれば良く、反射された光を必要としません。

 「我々がどの思いにでも集中し、その状態で眠るなら、目覚め次第、同じ思いが我々の心の中で継続するでしょう。クロロホルムを与えられた人々が、1、2などと数えるよう求められます。例えば6と言った後で意識を失う人は、彼が再び意識を取り戻したとき、7、8などと言い出すでしょう。

 「自我をヒルにたとえる本もあります。一方の体を離れる前に、それは別の体をつかみます。」

45年11月22日 午前

 バガヴァーンは、人間が得ることができる、または、ブラフマーのような神々で終わる人よりも高い10段階の存在が得ることができる、考えられうる最高の幸福は、押し寄せる自らの至福の洪水の中の泡のようであると本の中でどのように書かれているか説明しました。

 壮健であり、精力的な成年期にあり、比類なき富と権力を授けられ、知性と他の全ての才を持ち、美しく忠実な妻と結婚した人を思い描き、彼の幸福を想像しなさい。

 人より上の高い存在の段階はそれぞれ、下の段階よりも100倍大きい幸福を得ることができます。しかし、存在の全11段階の中での最上の幸福は、溢れ出る神聖な至福の大海の中の泡にすぎません。

 これに関連して、バガヴァーンは以下の物語を語りました。

 「軍隊と従者を後ろに従え、王が森を絢爛豪華に通り抜けていました。彼は腰布さえ身に付けていない男に出くわしました。彼は地面に横たわり、片足をもう片方の上にかぶせ、笑い続け、極めて幸福で、彼自身と全世界に満足しているようでした。王はその男の幸福な様子に感銘を受け、彼を呼びにやりました。しかし、王の兵士たちがその裸の行者に近づき、王の伝言を伝えたとき、彼は一切気に留めず、行者の至福に引き続き留まりました。これが伝えられるとすぐ、王自身がその男のもとへ行きましたが、その時でさえ、その男は気に留めませんでした。そこで直ちに、王はこれは只者でないに違いないとはっと気づき、『スワーミ、あなたは明らかに極めて幸福です。そのような幸福の秘訣とは何か、どのグルからそれを学んだのか教えていただけませんか』と言いました。そこで直ちに、行者は王に、『私には24人のグルがいました。全てのもの、この体、大地、鳥類、ある道具、ある人々、全てが私に教えました』と言いました。世界の全ての物事は善か悪のどちらかに分類されるかもしれません。善いものは彼に彼が追及すべきものを教えました。同様に、悪いものは彼に彼が避けるべきものを教えました。その行者はダッタートレーヤ、アヴァドゥータでした」。

 午前8時ごろ、バガヴァーンが朝の散歩から戻った後、平伏したある訪問者が、彼の手持ち全ての-かなりの量の-嗅ぎタバコをこぼしたようです。付添人のクリシュナスワーミーがそれに気づき、嗅ぎたばこを集め、投げ捨てました。これはバガヴァーンに彼の人生の中のある出来事を思い出せました。彼は言いました。「タバコは殺菌剤です。私がヴィルーパークシ洞窟にいたとき、ある日、冷や飯がある歯に当たった時にそれが鋭い痛みを発していることに突然気づき、それ以上食べられませんでした。私は食べるのをやめ、飢えで死ななければならないだろうと思いました。ヴァースデーヴァ・シャーストリがその時、私と一緒に住んでいました。彼はその時出かけていました。彼が洞窟に戻った時、私は彼に歯痛のことを話しました。彼は何でもないことだと、少しのタバコがあれば、菌を殺し、歯痛を直すだろうと言いました。我々は煙草を携帯していなかったので、嗅ぎたばこを携帯していた誰かが私に嗅ぎタバコを少しくれ、それを歯に押し付けるよう勧めました。それは即座に痛みを和らげたので、次の食事を食べられるほどでした。私がその歯を調べたとき、その表面にしみのような何かがあるようでした。徐々にそれは穴になりました。後に、ティルコーイルールの地方ムンシフ(判事)であり、私を訪問していた、ある紳士がそれについて知ることとなり、マドラスから歯医者を送りました。その歯医者が来て、ここに3日滞在し、その滞在に対して300ルピーを請求しましたが、私の歯を掃除して、ある歯と別の歯の一部を抜いた以外は何も実際的なことはしませんでした。

 「私がここに来る前にさえ、私はタバコの力を知っていました。ペリヤール・ダムが建設され、初めて水が運河を通るのを許可されたとき、水が大量に押し寄せました。その水の中には大量の魚がいました。漁師たちはわきの水路によって水を迂回させ、池の中に通しました。彼らは池の中に多くのタバコの茎の束、つまり、葉巻を作るために葉っぱが使われた後の軸が投げ入れていました。魚が池に入るや否や、タバコの毒のせいで、意識を失うか、死に、浮き上がり始めました。こうして、漁師たちは魚をどっさり取りました。その後、私は上述の漁師たちの手口に言及するターユマーナヴァルの以下の詩節に出会いました(tidamuravee 4)。

タミル語の4行詩

池にとらえられた魚のごとく私はもがいている
川を迂回させた、その水は魚を食べる者たちによって毒されていた
私があなたの隠された思いやりを理解することは可能なのか
おぉ、全能者よ、私のハートに隠されたまま、誰が私を操り人形よろしく動き回らせているのか

 この後、シュリニヴァーサ・ラオ医師の要望で、バガヴァーンは、ターユマーナヴァルの「ennaalum udalie」で始まるsukavaariの最後の詩節とmandalattinの中の最後の4詩節を説明しました。

 朝方遅く、リシケーシャーナンダの要望で、バガヴァーンは、マドゥラの彼の2階の部屋での最初の自らの体験を詳しく話しました。「私が手足を広げて横たわり、心の中で死の場面を演じ、体が運ばれ、火葬されても、私は生きていることを悟った時、何らかの力、それをアートマンの力や他の何と呼ぶのであれ、それが私の内から生じ、私を所有しました。それによって、私は生まれ変わり、新たな人間になりました。それ以降、私は好きなものも嫌いなものもなく、全てのことに無関心になりました」。シュリニヴァーサ・ラオ医師がバガヴァーンに、どのように彼が最初にバクティを抱くようになったのか尋ねました。バガヴァーンは返答しました。「私の中に初めてバクティを呼び起こしたものは、ペリヤ・プラーナムという本でした。私はそれを私の家でふと見つけたのですが、隣人のものでした。私はそれを読み通しました。しかしながら、上で説明した体験の後はじめて、私は毎日寺院に行き、ペリヤ・プラーナムの63人の聖者(ナーヤンマール)の一人ように私が献身的になるようよく願ったものでした。

午後

 シュリニヴァーサ・ラオ医師がスワーミに言いました。「私はそれを見たと言った人から、バガヴァーンがスカンダーシュラマムにいたとき、ヘビが一度その体に忍び寄ったと聞きました」。バガヴァーンは、「ヘビたちは鎌首をもたげ、我々の目をのぞき込みました。彼らは恐れる必要がない時を知っているようでした。その後、彼らは我々を横切りました。私もそれに対して何かしなければならないという考えは起きませんでした」と言いました。

 後で、バガヴァーンは言いました。「我々は通例、現実をサット、チット、アーナンダと表現しますが、それさえ完全に正確な表現ではありません。それは本当は表現できません。その表現によって、我々が明らかにしようと努力している全ては、それがアサットでないこと、それがジャーダでないこと、それが全ての苦しみを免れていることです」。

 再び、バガヴァーンは言いました。「我々は皆、実際には、サット‐チット‐アーナンダです。しかし、我々は、我々が束縛されていて、この全ての苦しみを抱えていると想像します」。

 私は、「どうして我々はそのように想像するのでしょうか。どうしてこの無知、アジニャーナは我々のもとに来たのでしょうか」と尋ねました。

 バガヴァーンは言いました。「誰にこの無知がやって来たのか探求しなさい。そうすれば、あなたはそれが決してあなたにやって来なかったこと、あなたがいつもサット‐チット‐アーナンダであったことを見出すでしょう。人はすでにそうであるものになるためにあらゆる類の苦行を行います。全ての努力は、単に、人がサンサーラなる災いによって制限され、束縛されているという、このヴィパリタ・ブッディ、間違った印象を取り除くためだけにあります」。

 後で、バガヴァーンは言いました。「ジニャーナの火花は万物を、それがあたかも山積みの綿であるかのように、焼き尽くすでしょう。何千万もの世界全てが、自我という脆弱な(もしくは、存在しない)土台の上に建てられていて、ジニャーナなる原子爆弾がその上に落ちるとき、それらは全て崩れ落ちます」と言いました。バガヴァーンは、「委ねについての全ての話は、ジャガリー(粗糖)製の主ガネーシャの像からジャガリーをつまみとり、それをナイヴェーディヤとして同じ主ガネーシャに捧げるようなものです。あなたは、あなたの体、魂、全ての所有物を神に捧げると言います。あなたがそれを捧げられると言うことは、それはあなたのものなのですか。せいぜい、あなたは、『私はあなたのもの(神のもの)であるこの全てが私のものであると今まで誤って想像していました。今や、それがあなたのものであると私は悟りました。私はもはやそれが私のものであるかのように振舞いません』と言えるだけです。神または自ら以外何も存在しないという、私および私のものは存在しないという、自らのみが存在するという、この知がジニャーナです」。彼は、「そのように、バクティとジニャーナの間に違いはありません。バクティはジニャーナ・マーター、ジニャーナの母です」と言い足しました。

  様々な神の探究者の無数の道について話し、バガヴァーンは言いました。「おのおのが彼自身の道を行くのを認められるべきです-そのためにのみ彼が作られているかもしれない道を。彼を腕ずくで別の道に転向させることは良くありません。グルは弟子自身の道を彼と共に進み、その後、機が熟すとき彼を徐々に至高の道に向かわせるでしょう。車が全速力で走っているとしましょう。それをすぐさま止めたり、その向きをすぐさま変えたりすれば、悲惨な結果を伴うでしょう」。

 その後、会話は神の名に移り、バガヴァーンは言いました。「全てのマントラについて言えば、ブリハダーランヤカ・ウパニシャッドは『アハム(अहम)』が神の最初の名であると言います。サンスクリット語の最初の文字はア『अ』、最後の文字はハ『ह』であり、『アハ』はそのように始まりから終わりまでの全てを含んでいます。『アヤム』は存在するもの-自ら輝き、自明である-を意味します。『アヤム』、『アートマ』、『アハム』は、全て同じものに言及しています。聖書にも、「私はいる」が神の名として与えらています」。

2019年3月12日火曜日

バガヴァーンとの日々④ - 45年10月26日から45年11月18日

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、p30~39

バガヴァーンとの日々

A.デーヴァラージャ・ムダリアールの日記から

45年10月26日 午前

 ある朝、バガヴァーンが私に話したことですが、彼がヴィルーパークシ洞窟のベランダに座っていた時、karunaiyaalennai yaanda nii という言葉がしきりに彼の頭に浮かびましたが、彼は特にそれを気に留めませんでした。同じことが翌朝も起ったようです。それで、バガヴァーンはアルナーチャラ・パディガム(アルナーチャラへの11詩節)の最初の詩節を作りました。次の日の朝、第2詩節の始めの言葉が同様に彼の頭に浮かび、彼は第2詩節を作りました。そのように、それは毎日続き、ついに最後の2詩節がある日作られました。その日、最後の2詩節を作った後、バガヴァーンはギリプラダクシナ(山の周りを巡ること)に出かけたようです。彼の弟子の一人、アイヤスワーミーが紙切れと鉛筆を持ってきて、バガヴァーンと一緒に行こうとしていた別の弟子に、「数日間、バガヴァーンは毎朝1詩節を作っていて、今日2詩節作りました。今日、もっと彼の頭に浮かぶかもしれません。詩節が浮かんだ場合に備えて、書き留められるように、この紙とペンを持ってなさい」と言いました。山を巡る途中で、バガヴァーンは実際、アルナーチャラ・アシュタカム(アルナーチャラへの8詩節)の最初の6詩節を作りました。エッチャンマが最初、アクシャラ・マナマーライ(文字による婚礼の花輪)を、あとでナーラーヤナ・レッディが出版したようです。そのあとすぐ、このナーラーヤナ・レッディがそのパディガムを知るようになり、それを出版したいと思いました。その後、バガヴァーンはアシュタカムを完成するためにもう2詩節を作りました。そして、パディガムとアシュタカムがナーラーヤナ・レッディによって出版されました。これが「アルナーチャラへの5つの賛歌」の中のパディガムとアシュタカムが作られることになった次第です。

 私はバガヴァーンに尋ねました。「私は、マドゥラの家その場所でバガヴァーンがジニャーナの悟りを得たこと、そして、それ以来ずっと、バガヴァーンがデーハートマ・ブッディ(私はこの体であるという意識)を持たなかったことを知っています。私はまた、バガヴァーンがターパム(燃えるような感覚)を体の中に感じていて、ここの寺院に到着し、その到着をアルナーチャラ神に報告するまでそれがやまなかったことも知っています。しかし、私は、これが婚礼の花輪の中で言及されている「ニンネリ」(55詩節最初の言葉)であるとは思いません。私はまた、体と精神の間の結び目が切り離されるときにたいていの聖者が経験しなければならなかったと私が本で読んだ激しい痛み、肉体的試練をバガヴァーンが経験したと思います。私はこれがバガヴァーンの人生でいつ起こったのか知りたいと思います。この情報が私の進歩のために必要でないことは知っています。しかし、バガヴァーンの歴史のために必要であると私は思います」。

  バガヴァーンは黙っていて、微笑んだだけでした。しかし、しばらくして、彼は婚礼の花輪は1914‐1915年ごろに書かれたと言いました。それによってバガヴァーンは、結び目が切り離されたのはそれよりずっと前、1896年その年ごろだと私に伝えようとしていたようでした。

午後

 今では数日間、バガヴァーンのリュウマチ性の病気がかなり悪く、そのため、彼の足は時々薬用オイルでマッサージされています。今では10日間ほど、あらゆる種類の病をビブーティで直すことができると公言する、とあるスワーミーが街にいます。それで、様々な村から人々が彼に会うために集まって来ていて、彼らの多くはまた、バガヴァーンに会いにアーシュラムをのぞきに来ました。そのため、バガヴァーンは言いました。「この全ての人々がやって来て、私自身がこの全ての肉体的な病気にかかっていて、薬用オイルでマッサージされる必要があるのを知れば、彼らは私が役立たずだと知って、もう来ないでしょう。ですから、このマッサージはある意味役立ちます」。

45年10月29日 午後

 シュリー・オウロビンドー・アーシュラムからここを訪問中の、歌手であり作家のディリップ・クマール・ローイが、バガヴァーンに尋ねました。「マハー・ヨーガによれば、賢者たちは互いに矛盾することを何も言っていないとあなたは言います。しかし、一人がバクティを、もう一人がジニャーナなどを唱えていて、あらゆる類の口論をそうして招いているのを我々は見ます」。

 バガヴァーン: そのような教えの中に矛盾するものは本当に何もありません。例えば、バクティ・マールガの追随者がバクティが最良であると言明するとき、彼は本当は、バクティという言葉で、ジニャーナ・マールガの人がジニャーナと呼ぶもののことを言っています。その境地、属性によるその描写、属性の超越において違いはありません。様々な思想家が様々な言葉を使っているだけです。この様々なマールガ、道々、サーダナは全て、同じ目的地に通じます。かつて手段であるものが、目的そのものになります。それが起こるとき、かつては意識的な骨の折れる努力であったディヤーナ、バクティ、ジニャーナは、自発的に、努力なしに、通常の自然な状態になります。

45年10月30日 午後

 ディリップ・クマール・ローイが、彼がバガヴァーンについて作った英語の詩を読み上げ、バガヴァーンの前でいくつか歌を歌いました。後で彼はバガヴァーンに、「全ての人がグルの指導は必要であるというのに、バガヴァーンはグルが必要でないと言ったようですが」と尋ねました。

 バガヴァーン: 私はそう言ってません。しかし、グルがいつも人間の姿である必要はありません。はじめ人は彼が劣っていると、そして、彼自身と世界の運命を支配する優れた全知全能の神がいると思い、を崇拝します、バクティを行います。彼が一定の段階に達し、悟りにふさわしくなるとき、彼が崇拝していた他ならぬその神がグルとして来て、彼を続けて導きます。そのグルは彼に、「神はあなた自身の内にいます。内に潜り、悟りなさい」と告げに来るだけです。神、グル、自らは同じものです。

 ローイ: しかし、バガヴァーンの場合、グルはいませんでした。

 バガヴァーン: 全世界が私のグルでした。グルは人間の姿である必要はないと、自らは内にあると、神とグルは同じものであるとすでに言われています。

 ローイ: これについて私はグルデーヴ(つまり、シュリー・オウロビンドー)にかつて尋ねましたが、彼は「バガヴァーンのような霊的ヘラクレスはグルを必要としません」と彼は言いました。

 バガヴァーン: 世界の全てのものが私のグルです。ダッタートレーヤを知りませんか。王にどのグルが彼に至福の秘訣を教えたのか尋ねられたとき、大地、水、火、動物、人々など全てが彼のグルであると答え、続いて、どのようにその中のいくつかが善なるものにしがみつくよう彼に教え、他のものがどのようなものを悪として避けるべきか彼に教えたと説明しました。

45年10月31日 午前

 ティルチュリの寺院の司祭、チェッラ・バッタル(ダイヴァシカーマニ・バッタル)が来ました。バガヴァーンは彼を私に指さして示し、言いました。「彼を見るときはいつも、左手の指に被った切り傷とそれが残した傷跡を思い出します。私は8才ぐらいで、彼は3才ぐらいでした。彼の家は我々の家から3軒となりにありました。彼が生まれる前、私が子供のころ、私は頻繁に彼らの家に連れ行かれたもので、ほとんど彼らの子供として可愛がられました。それはポンガルの時期で、片手にarivaan manai(野菜を切るために木切れに固定された刃)を握って、もう片方の手で長く太いサトウキビを引きずって、この子が我々の家にやって来ました。私は急いでその子にサトウキビを切ってあげ、うっかり左手の親指と人差し指の間を切りました。私はその子に家に帰るよう落ち着いてお願いし、病院に走って行き、傷を治療してもらいました。いくらか前にここにいて、カルプーラスンダラムと呼ばれ、ティルチュリのスンダラ・マンディラムで今プージャーを行っているのは、この紳士の息子です。

午後

 ガナパティ・シャーストリが、数年前ここにいて、バガヴァーンの大変な信奉者であるグラント・ダフから受け取った手紙を持って来ました。その手紙で、グラント・ダフは、彼がアメリカ合衆国政府の許可を得てカリフォルニアにいること、その国は快適であること、彼が80才近いこと、彼がこの世でまだ持っているであろう、ごくわずか時間をできるだけ有効に活用したいと切望していること、彼がバガヴァーンの恩寵によって空路で旅して、アーシュラムを再び訪問したいと望んでいることを書いています。

 バガヴァーンは、シカゴ会議でのヴィヴェーカーナンダの演説の50周年記念を機にコロンボで行われ、アイッパシ・タミル月のラーマクリシュナ・ヴィジャヤムに掲載されたコロンボ・ラーマチャンドラの演説に私の注意を引きました。その中で、ラーマチャンドラが言うに、「アメリカから戻ったヴィヴェーカーナンダは演説の中で、南インドが世界の霊的復興における主導的役割を果たすようになると、20世紀、全インドだけなく、全世界を満たすアートマンの力の奔流が南インドで起こるようになると言いました。その力は、南インドでオウロビンドーとバガヴァーンによって今、生じさせられ、放射されつつあるものです」。

 バガヴァーンは、チェコスロヴァキアのジコーフスキーという人とその家族から受け取ったフランス語の手紙の英訳を読んでいました。その趣旨は次のようになります。「私と家族はこれまでのその全ての祝福をバガヴァーンに感謝します。神の思し召しがあれば、私はバガヴァーンに会いに行きたいと存じます。それまでは、バガヴァーンがふさわしいとみなすような指示や導きを送ってくださるよう祈ります」。バガヴァーンは書いた人を思い出せませんが、彼は(ブラントンがバガヴァーンについて初めて記した時期ごろに)ヨーロッパから手紙を書いた人たちの一人に違いないと、彼らはずっと前、つまり、ブラントンが記したずっと前に、バガヴァーンとその教えを知っていたと、そして、彼らがバガヴァーンの説いたことを実践してきたと(バガヴァーンは)言います。手紙を書いた人は当時何かの雑誌に(1910‐11ごろにバガヴァーンの信奉者になった)ハンフリーのペンによって載ったものから彼とその教えについて読んだ人たちの一人にちがいないとバガヴァーンは考えています。

45年11月2日 午前

 ディリップ・クマール・ローイが、バガヴァーンについて彼が作った別の詩を読み上げました。その後、彼はいくつか歌を歌いました。その後、彼はバガヴァーンに、「自我を殺す最良の方法とは何ですか」と尋ねました。

 バガヴァーン: それぞれの人にとって、最も簡単に思えるか、最も気に入る、その方法が最良です。全ての方法は等しく良いのです。それらは自我を自らに溶け込ますという同一の目的に通じるからです。バクタが委ねと呼ぶものを、ヴィチャーラをする人はジニャーナと呼びます。両者は自我をそれが現れ出た源に連れ戻し、それをそこで溶け込まそうとしているだけです。

 ローイ: しかし、私にとって最良の方法とは何ですか。バガヴァーンはご存知のはずです。

 バガヴァーンは返答しませんでした。(これはバガヴァーンによくあることでしかありません。彼はそれぞれの信奉者に何のサーダナが彼にとって最も簡単か見つけ出すのを任せていました)。

午後

 ローイ氏は再びいくつか歌を歌いました。終わりに、彼は、「音楽もまた人がバクティを成長させる助けになるのではありませんか」とバガヴァーンに尋ねました。

 バガヴァーン: ええ。ええ。

 ローイが別れを告げていたとき、彼はバガヴァーンにバクティ・マールガは有効に追及できるのか、それがジニャーナに通じるのか尋ねました。

 バガヴァーン: ええ。ええ。バクティはジニャーナ・マーター、つまり、ジニャーナの母です。

45年11月6日 夕方

 年配の紳士と若者がバガヴァーンの前に座っていました。バガヴァーンが夕方の散歩に出かけようとした少し前に、その若者がバガヴァーンに近づき、彼の同伴者が視力を失ったと言いました。いつも通り、バガヴァーンはうなずきました。すぐ後、バガヴァーンは立ち上がり、「彼は彼が目を失った言います。私は足を失いました。彼は私に言いに来ます。私は誰に不満を言いに行けるでしょうか!」と我々に言いました。リューマチかビタミンB不足のどちらかのせいで、ほぼ一か月かそれ以上、ずっとバガヴァーンは普段以上に足の具合が良くありません。しかし、それがどれほど深刻かは彼が「足を失った」という言葉から理解されるかもしれまんせん。「あなたたちは皆、私に不満を言いに来ます。私は誰に不満を言いに行けるでしょうか」と彼が言ったのはこれが初めてではありません。これは、自ら以外に何も存在しないという、彼はそれである!という彼の教えにまったく一致しています。

45年11月8日 午前

 ローイ氏がバガヴァーンに自我を殺す最良の方法を尋ねたとき、バガヴァーンは言いました。「心に心を殺すよう求めることは、泥棒を警官にすることのようです。彼はあなたと共に行き、泥棒を捕まえるふりをするでしょうが、何も得るものはないでしょう。そのため、あなたは内側に向かい、どこから心が生じるのか確かめなければなりません。その時、それは存在しなくなるでしょう」。この答えに関連して、ジャフナ出身のタンビ・トラーイ氏が私に、心に内側に向かい、その源を探すよう求めることも心を用いているのではないのか尋ねました。それで、私はこの疑いをバガヴァーンに提示し、バガヴァーンは言いました。「もちろん、我々は心を用いています。心の助けによってのみ心が殺されなければならないことは、よく知られ、認められています。しかし、心というものが存在し、私はそれを殺したいと言い出す代わりに、あなたが心の源を探し始めれば、あなたは心が全く存在していないことを見出します。心は、外側に向かえば、思いと対象物をもたらします。内側に向かえば、心それ自体が自らになります。そのような心は時にアルーパ・マナスやスッダ・マナスと呼ばれます」。

 今日、バガヴァーンの席に面する南側の出入口が閉じられ、代わりに窓が建設されました。北壁の腰高窓が南壁から取り除かれた出入口に取り換えられました。この出入口を通れば、バガヴァーンは踏み段を上る必要がありません。

45年11月11日 午前

 20日ばかりここに滞在している、ウッタル・プラデーシュ州政府の主任技師、マハー・ヴィール・プラサードがバガヴァーンに尋ねました。「マハー・ヨーガには、瞑想のはじめに呼吸、つまり、吸気と呼気に注意を向けてかまわないこと、そして、ある程度の心の落ち着きがそれによって得られた後、心の源を探してハートに飛び込むことができると書かれています。私は何かそのような実際的な助言を大いに必要としています。私はこの方法を追及できますか。それは正しいですか。

 バガヴァーン: 要点は、どうにかして心を殺すことです。探求の方法を追及する力がない人々には、心を制御する助けとして、プラーナーヤーマが勧められます。プラーナーヤーマは2種類あり、一方は呼吸を制御し、調整するもので、他方は単に呼吸を見守るものです。

 プラサード: 瞑想の間、15分ほど、私は時々ある状態を得ます。その間、私は何にも気づかず、全ての思いを免れています。ある人たちは、そのような状態はヨーガ・ニドラと呼ばれることがあるもので、そのような状態は悪いものとして用心すべきだと私に言いました。

 バガヴァーン: 人は眠りを乗り越えようと努力すべきです。(何らかの理由から、バガヴァーンはプラサードがした問いにそれ以上答えませんでした)。私はそこで直ちにプラサードに特にこの事柄が扱われているCrumbs from the Table を読むよう勧めました。バガヴァーンもまた、その本を一冊持ってきて、プラサードに与えるよう我々に頼みました。我々はそうしました。

午後

 訪問者: 私はクンダリニーが何であるか分かりません。

 バガヴァーン: クンダリニーは、体の内部のアートマ・シャクティと呼ばれることがあるものにヨーガの人々によって与えられる名前の一つです。ヴィチャーラの学派は、同じ力をジニャーナと呼びます。バクタはそれを愛やバクティと呼びます。ヨーガの学派は、この力は脊髄の付け根のムーラダーラで眠っていて、モークシャを得るためには、それを目覚めさせ、様々なチャクラを通って脳の中の頂点のサハスラーラ上に連れていかなければならないと言います。ジニャーニは、この力の中心はハートであるなどと考えます。

45年11月12日 午前

 パンジャーブからの訪問者がバガヴァーンに、「心、もしくは、アハンカーラが殺されるとき、その段階は不活発な段階ですか」と尋ねました。

 バガヴァーン: どうしてジニャーニの状態について気を揉むのですか。あなたはあなたの現在の状態を理解しなさい。

 訪問者: ムムクシュは当然、その目的地であるムクティの状態について知りたいと思います。

 バガヴァーンは少しの間黙っていて、その後、「あなたは心が殺されなければならないと認めています。はじめにそれを行い、その段階が不活発であるのか、意識を欠くのかその後あなた自身で確かめて見てはどうですか」と言いました。

 訪問者: アハンカーラが去る時、アハム・ヴリッティは存在するでしょうか。

 バガヴァーン: あるそれは、いつもあります。アハンカーラが死ねば、それ現実は、それがいつも存在していたように存在します。あなたはそれのことをアハム・ヴリッティを持っているや、単にアハムだと言うかもしれません。それは全く同じものです。存在するそれは、「私はいる」または「アハム」です。

45年11月18日

 今朝6時ごろ、付添人のヴァイクンタ・ヴァサルが、バガヴァーンの足をマッサージしていました。30分ほどマッサージした後、バガヴァーンは「タミル語」(何かがマッサージされているのをかすかに感じます)と言い表しました。これはおそらくバガヴァーンの内的生活を垣間見せるものです。彼は忘我状態、特別なサマーディでなく、普段の状態にいました。

2019年3月8日金曜日

バガヴァーンとの日々③ - 45年9月27日から45年10月19日まで

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、p20~30

バガヴァーンとの日々

A.デーヴァラージャ・ムダリアールの日記から

45年9月27日

 今、一週間ほど修繕が行われているスカンダーシュラマムをバガヴァーンは突然、訪れたい気分になったようです。それで、誰にも気づかれることなく、昼ごはん後、バガヴァーンはいつもの昼食後の散歩の途中で、付添人のランガスワーミーを伴い、スカンダーシュラマムに向けて歩みを進めました。午後3時30分ごろまで、これを知る人はほとんどいませんでした。しかし、3時30分以降、その知らせは徐々に広まり、ほとんど全ての信奉者がスカンダーシュラマムまで登り、寺院と街を見下ろす段々になった高台の前方に座っているバガヴァーンを見つけました。我々はバガヴァーンが上機嫌であり、彼がラマナーシュラマムに来る前、そこに滞在していた間に起こった様々な出来事や事件を話していることに気づきました。バガヴァーンはそこに居続け、その夜をそこで過ごしたいという気持ちさえありました。しかし、信奉者全員がそこに押し寄せていて、バガヴァーンが動くまでは誰も動こうとしなさそうでした。そのため、午後5時30分ごろ、バガヴァーンは出発し、アーシュラマムの様々な場所を見て、どこでよく彼が眠っていたのか、どこによく彼が座っていたのか、どこに母が座ったのか、どこで彼らが料理したのか、どこに古い蛇口があったのかなど我々に話し、その後、階段を下りました。途中、彼はヴィルーパークシ洞窟を訪れ、そこでの生活についても説明しました。ここで、彼はmaadattup pillaiyaar yaapam、壁龕を指さしました。そこは今、洞窟前のベランダにある東向きの壁面上の小さな窓です。maadattup pillaiyaar(つまり、壁龕の中のガネーシャ)は、二つの詩節で見出される表現であり、一つはイーシュワラ・スワーミーによって作られ、もう一つはバガヴァーンがヴィルーパークシ洞窟に滞在していた時期にその壁龕に置かれたガネーシャ像を称賛してバガヴァーンによって作られました。その洞窟に数日間住んでいたようである、あるサンニャーシが今、近くの井戸から水を持って来て、バガヴァーンはそれを嬉しそうに飲みました。その後、バガヴァーンはラマナーシュラマムに向けて洞窟を出発し、ゆっくりと階段を下って行きました。麓では、周りに高台があり、グーハ・ナマーシヴァーヤの洞窟の近くのピパル木の下で、我々は皆、彼とともに座りました。バンガロール出身のサタコパ・ナーイドゥがpoori(ポン菓子)とピーナッツを持って来ていました。一同は皆、バガヴァーンとともにそこに座り、このピクニックを楽しみました。その頃に暗くなってきて、我々は皆、グーハ・ナマーシヴァーヤの洞窟を通って町に続く山道沿いに出発し、本道を通り、午後8時30分ごろにアーシュラマムに到着しました。

 このようにバガヴァーンがこの旅行を全て徒歩で行ったことは驚くべきことでした。45年8月26日に、彼の左足の親指は脱臼したか、ひどく捻挫していて、その結果としてまだいくらかそこに痛みがあるので、なおさらです。

 バガヴァーンがスカンダーシュラマムを離れて以来、彼がここに腰を落ち着けた後の1、2年ほどの間に、彼はそこに2、3回行ったことがありました。しかし、その後、つまり、今ではほぼ22年間、彼は今日までそこに一度も行ったことはありません。バガヴァーンは上機嫌で、スカンダーシュラマムからラマナーシュラマムまで下る道中ずっと、数ヤードごとに止まり、様々な出来事を語り、間にあった木がなくなったことや、ヴィルパークシ洞窟の中の裂け目や、ジャーダスワーミーが石をころがしてバガヴァーンに落とした場所や(バガヴァーンはよくその話をしましたが、まったく面白半分にすぎませんでした)、ある夜にやって来て、巨大な岩々をずらし、バガヴァーンとその追随者たちの便宜のために泉を作った大雨と嵐について述べました。

45年10月6日

 どういうわけか葉っぱに隠れて、二つのマンゴーが猿たちの目を逃れ、とても大きなサイズに成長したこと、そして、それが今日見つかり、一つはサルたちに持っていかれ、もう一つはあとに残されたことがバガヴァーンに報告されました。これによってバガヴァーンは「ilai maraiva」(葉っぱに隠れて)という表現を思い起こし、そして、彼は「プラブリンガ・リーラ」の一節、「マルラ・サンカ・デーヴァル・ガティ」の中の第9(詩節)を連想し、我々に数詩節を読み上げました。そこで語られるには、昔、マルラ・サンカラが、あるムット(アーシュラム)前の、食後、葉っぱのお皿が捨てられる場所の近くに狂人のように住んでいました。ムットの首長も弟子たちも、この男について何も知りませんでした。しかし、アッラーマ・プラブがそちらに行くと、マルラは立ち上がり、彼の足元に平伏し、そして、今度はアッラーマ・プラブが彼を立ち上がらせ、抱擁しました。というのも、お互いが他方の価値を知っていたからです。ジニャーニのみがジニャーニを見分けられます。キリヤ、チャルヤ、ヨーガに従事する人は、彼が行うそれらの活動によって見分けられます。しかし、ジニャーニの場合、我々が彼を見分けうる、そのような外的なものは存在しません。

 私がこの出来事を書き留めたのは、とりわけ、ここにやって来る人々の中にも、時々バガヴァーンの価値を認めかねて、「あなたのこのバガヴァーンについて、彼が偉大な人物や覚者だとあなたに思わせる何があるのですか。彼は我々のように食べ、眠り、他の全てのことをします」と私に尋ねさえした人たちがいるからです。

45年10月8日

 この地域の警察の警視補、A.スッブラヤドゥ氏の娘、ジャーナキがバガヴァーンに尋ねました。「私はいつもナーマ・スマラナをしたいと思います。でも、私は高等教育を受けることにも熱意があります(彼女は大学一年生です)。私はどうすべきでしょうか」。

 バガヴァーン: その二つの望みの間に矛盾するものは何もありません。

 ジャーナキ: 私がいつもナーマ・スマラナを行っているなら、どうして心が必要とされる学業を私は続けられるでしょうか。

 バガヴァーンは答えませんでした。しかし、フリードマンと私はその女の子に、「両方が同時にできると言われていました」と言いました。フリードマンは、「心を学業に、ハートを神に捧げなさい」と言い足しました。

45年10月9日 午後

 K.マハタニ氏が上述のことの続きで尋ねました。「我々が世の中のどんな事業でも成功したいと思うのなら、我々の心とハートをまるごとそれに捧げなければなりません。そうでなければ、我々は成功できません。そのため、人の心を神と世俗的活動の両方に捧げることは、どうにも実践不可能です」。

 バガヴァーン: 人が自らに据えられたままであるなら、活動は依然として継続し、その(活動の)成功は影響されないでしょう。人は自分が行為者であるという考えを持つべきではありません。活動は依然として継続するでしょう。かの力、それをどのような名前で呼んでもかまいませんが、体を存在せしめた(その力)が、この体が経験することになっている活動がもたらされるよう取り計らうでしょう。

 マハタニ氏まだ十分に満足しておらず、直ちにバガヴァーンはギーター・プレス版のバガヴァッド・ギーターの末尾に載っている放棄に関する論文を彼に参照させました。その論文は7段階の放棄に言及していて、バガヴァーンは、「マハタニ氏に、この論文の中に何か彼に訴えかけるものがあるのか確かめさせましょう」と言いました。バガヴァーンの要望どおり、全員のために私は講堂でその論文を全て読み上げました。放棄の7段階目に達した者は、武器で体が切られたり、何か他の苦しみが彼に降りかかるとき時でさえ感じないだろうとそこに書いてあります。この箇所が読まれている最中に、バガヴァーンは以下の詩を思い出しました。

(タミル語の四行詩)

彼らは恐れないだろう
たとえ狡猾な敵たちがその胸を刺しても
たとえ火に囲まれても、コブラにかまれても
彼らにとって全ては至福となるだろう

 これはポンナンバラ・スワーミーのタミル語の詩節でのバガヴァッド・ギーターの注釈、第6章、17詩節(アーシュラマムの本の150ページ)に載っています。この話題を続けて、私は言いました。「確かにそのようなことが本に書かれています。しかし、我々はジニャーニが痛みを感じるのを見ます。ラーマクリシュナ・パラマハンサのような方でさえ、喉のガンにかかった時、痛みを感じ、『どうして母はこの痛みを私に送ったのか』と叫びました」。

 バガヴァーン: 長い間のかかわり、癖のために、最初、そのようであるかもしれません。しかし、その後、それは消えていくでしょう。

 これに関連して、ずっと以前に、かつてバガヴァーンが何かの病気を患っていて、私が懸念を示したとき、彼はその痛みを夢の中でのように感じていて、それだけのことだとバガヴァーンは快く私に説明してくれたことを私は記録しなければなりません。

45年10月10日

 1945年9月号のScience of Thought Review の中のGilbert Henry GedgeによるLetters to my friendsの110と111ページで下記のものが私の目に留まりました。

 「また、仕事をしているとき、神について思っている時間がない、心は『仕事中』でなればならないと時に人々は言います。

 「さあ、友よ、私は今一度あなたに言います。これら全ての様々な事柄について、治療法は同じであると。まずは神の王国を求めなさい。それがなされるとき、全ての物事は我々の心の中で適切な位置と適切な見方に収まります。今、神はあなたの中に、あなたの全ての環境の中におり、そして、今、あなたとあなた個人の小さな世界は神の中にあります。その事実の認識には、あなたの人生の全ての物事は正しい場所と秩序にあるという、神の法があなたの全人生と環境を支配しているという認識もまた伴います。我々の人生が実際は神の中で送られているということを悟るとき、何ものもその法から排除することはできません。我々が日々の務めに従事しているときでさえ、それは神を思うことの、の存在を我々と共に、我々の周りに、我々の仕事の中に認識することの助けになります。それは仕事を神の業とみなすことをさらにいっそう助けます。なぜなら、我々がそうするとき、それを行う新たなより良い方法を見つけ、その行いの中で祝福されるからです」。

 私はこれをバガヴァーンに読み上げ、彼はそれに賛成し、昨晩の談話の関連で、マハタニ氏にそれを見せるよう私に頼みさえしました。

45年10月11日

  G.V.スッブラマイヤ氏が到着しました。ちょうどその時、バガヴァーンはタミル語のダクシナームールティ・ストートラへの彼の序文のテルグ語の翻訳を読んでいました。数日前、P.C.デーサーイ氏が、彼によって書かれたダクシナームールティ・ストートラに関するグジャラート語の本についてバガヴァーンに話しました。そして、それに関連して、バガヴァーンはP.C.デーサーイ氏のためにそのストートラへのバガヴァーンのタミル語の序文の英訳をするよう私に頼みました。これがSmt.ナーガンマがテルグ語の翻訳を作ることにつながりました。上述のテルグ語の翻訳を読み、説明しながら、バガヴァーンはP.C.デーサーイ氏に前に彼が話したほとんど全てをG.V.スッブラマイヤ氏に話しました。その要約がこれです: 「ダクシナームールティ、つまり、偉大なシヴァ自身が、沈黙による以外は唯一なる現実という真理を表現できませんでした。しかし、この沈黙は、とても進んだ者以外には理解することができませんでした。その他の人々には語られなければいけませんでした。ですが、神自身が表現できなかったそれをどうやって言葉で言えますか。それゆえ、シャンカラはダクシナームールティを褒め称えるという方法を勧め、見かけの上の目的としてのそれと共に、実際は、全てはブラフマンであるということを説こうと努めています。初めの4詩節で、彼は世界の性質を説きます。我々が現実を知ることを妨げていているものが世界であるため、その(つまり、世界の)性質が理解されるならば、真理を悟る道における障害は取り除かれるでしょう。次の4詩節では彼はジーヴァの性質を説きます。それから、両者の関連性を説き、全ては自らであると教えます。シャンカラのダクシナームールティ・ストートラの構成と要旨を説明しようとして、私は上の短い前書きを書きました」。

45年10月18日

 パンジャーブ州からの訪問者がバガヴァーンに尋ねました。「私が瞑想するとき、時にいくらか至福を感じます。そのような場合、「この至福を体験しているのはいったい誰か」と私自身に尋ねるべきでしょうか。

 バガヴァーン: 体験しているものが自らの真の至福であるなら、つまり、心が自らに本当に溶け込んでいるなら、そのような疑いは全く起こらないでしょう。質問それ自体が真の至福に到達していなかったことを示しています。

 疑う者とその源が見出されたときにのみ、全ての疑いはやむでしょう。疑いを取り除いても無駄です。我々が一つの疑いを取り除くなら、別の疑いが生じ、疑いに終わりはないでしょう。しかし、疑う者の源を探し求めることによって、疑う者が本当は存在しないと見出されるなら、その時、全て疑いはやむでしょう。

 訪問者: 時々、私は内部の音を聞きます。そのようなことが起こるとき、私はどうすべきしょうか。

 バガヴァーン: 何が起ころうとも、現実に達するまで、「この音を聞くのは誰か」と尋ね、自らへの探求を続けなさい。

 アクシャラジニャによるSri Ramana, the Sage of Arunagiri の第2版が最近出版されました。あちこち拾い読みしていると、バガヴァーンが弟子を様々な方法で、弱めの者は見ることによって、中ぐらいの者は思いによって、進んだ者は触れることによって祝福するという文章が私の目に留まりました。かつて私がタミル語のカイヴァルヤムを読んでいたとき、私はバガヴァーンに尋ねました。「多くの本が、グルがその手や足で弟子の頭に触れることで弟子を祝福する、ディークシャーを与えることを伝えています。では、バガヴァーンがそのようなことを決してしないのは一体どうしてですか」。するとバガヴァーンは私に言いました。「確かに本は3つの方法の、つまり、見ること、触れること、思いによる、ディークシャーに言及しています。しかし、思いによるディークシャーが本当は最良です」。それで、私はアクシャラジニャの本の上述の文章について今日、バガヴァーンに尋ね、「彼もまたバガヴァーンをよく知っていました。彼がそのように言うのには何か理由があったはずです」と言いました。バガヴァーンは、「分かりません」と言い、「偶然にか、ほかの理由で誰かに触れたかもしれませんが、ディークシャーを与える意図はありませんでした」と言い足しました。これに関連して、(その出来事が起こった時に居合わせた)G.V.スッブラマイヤ氏を証人として、数年前、年を取った上品な感じのする北インドからの行者がアーシュラマムに一か月ほど滞在していてたこと、彼がバガヴァッド・ギーター全文をよく暗唱していたこと、そして、彼の出発の日にバガヴァーンが以下の状況で彼に触れたということを記録しても差支えないでしょう。

 朝の散歩の後、バガヴァーンは講堂に戻り、寝椅子に座りました。彼の足がまだ地面に触れている間に、上述の行者がバガヴァーンの足元にひれ伏し、彼の頭はほとんどバガヴァーンの足に触れんばかりで、バガヴァーンが触れることによるディークシャーで彼を祝福するよう懇願し、バガヴァーンがそうするまであくまでも立ち上がらないと言い足しました。そこで直ちに、バガヴァーンは快く片手をその老人の頭に置き、もう片方の手で彼を起こしました。

 この会話すべてが進行している間、シュリニヴァーサ・ラオ医師がリューマチ性の病気を患っているバガヴァーンの足をマッサージしていました。バガヴァーンはおどけて、「ドクターが今、触れることによって私にディークシャーを授けています」と発言しました。15日ほど前、そのドクターがバガヴァーンの足をマッサージしているとき、バガヴァーンは彼にやめるよう頼み、「あなたがしたことは十分です。あなたは座りに行ってかまいません。私は私自身をマッサージして、いくらかプンニャを得ましょう。どうしてあなただけが全てのプンニャを得なければならないのですか」と言い、彼自身をマッサージし始めました(プンニャは、例えば、師への奉仕によって得られる霊的な利益です)。

45年10月19日

 ボンベイからの法廷弁護士がバガヴァーンに尋ねました。「私はバガヴァーンの著作などを読み、それらを知的には理解できますが、体験において何も実現することができていません。私はバガヴァーンの方法を6年間試みていますが、まるで進歩していません。私が瞑想する時、他の思いがやって来ます。都市に住み、仕事を行い、たまにしかここに来ない私のような人々にとって、私がこれまですることができた以上に我々が成功するために、バガヴァーンはどのようなサーダナを勧めるでしょうか」。

 バガヴァーン: あなたの本質はいつもそこにあり、あなたの瞑想などは、一時的だけやって来ます。現実とはあなたの自らであり、あなたにとって実現すべきもの何もありません。必要とされる全ては、非現実を現実とみなすこと-それは皆が行っていることですが-をあなたが止めなければならないということです。全ての瞑想、ディヤーナ、ジャパの目的は、ただそれのみ、自らならざるものに関する全ての思いを放棄すること、多くの思いを放棄すること、一つの思いから離れないことです。

 サーダナに関して言えば、多くの方法があります。「私は誰か」とあなた自身に尋ね、ヴィチャーラを行ってもかまいませんし、もしそれがあなたにとって魅力的でないなら、「私はブラフマンである」や何かのディヤーナを行ってもかまいませんし、もしくは、ジャパでマントラや名前に集中してもかまいません。目的は、心を一点に向けること、心を一つの思いに集中し、そうして我々の多くの思いを排除することです。我々がこれを行うなら、終にはその一つの思いさえも消え、心はその源に消え去るでしょう。

 訪問者: 実際の修練において、私は私の努力が報われていないことに気づきます。バガヴァーンの恩寵が私に降りて来なければ、私は成功できません。

 バガヴァーン: グルの恩寵はいつもそこにあります。あなたは、それが空高く、はるか離れたどこかにあり、降りて来なければならない何かだと想像しています。それは本当はあなたの内側に、あなたのハートの中にあり、(どんな手段であれ)あなたが心のその源への沈み込み、溶け込みを達成する瞬間、恩寵が押し寄せ、泉からのようにあなたの内から吹き出します。

 別の訪問者: この世界の現実性とは何ですか。

 バガヴァーン: はじめにあなたがあなたの現実性を知るなら、世界の現実性を知ることができるでしょう。奇妙なことに、たいていの人々は彼ら自身の現実性について知りたいとは思わないのに、世界の現実性についてしきりに知りたがります。あなたははじめにあなた自身の自らを実現しなさい。その後、世界があなたから独立して存在するのか、その現実性や存在をあなたの前に主張しに来れるのか確かめなさい。

 別の訪問者: 例えば子供たちのように、罪なき人々にさえとても多くの苦しみが存在するのはなぜでしょうか。どのようにそれは説明されるべきでしょうか。前世か何かに関連してでしょうか。

 バガヴァーン: 世界について言えば、あなたがあなた自身の現実を知るなら、これらの質問は起こらないでしょう。この全ての相違、あなたが言うような罪なき人々の痛みや苦しみ、それはあなたから独立して存在しますか。その物事を見て、それについて尋ねるのは、あなたです。「私は誰か」という探求によって、あなたが見る者を理解するなら、見られるものについての全ての問題は完全に解決されるでしょう。

 サイード博士: 人が霊的利益を2年ほど願い求めているのに聞き入れられないなら、彼はどうすべきですか。

 バガヴァーン その願い事が叶えられないことが、彼のためであるのかもしれません。

午後

 バガヴァーンは以下のことを語りました: 「私の叔父のネッリアッパ・アイヤルが私に会いに来た時、私はグルムールタム近くのマンゴー・トーペ(林)にいました。鉄道駅からその場所への最短の直線ルートは、あるスワーミー(タミル語)が住んでいた場所を通り抜けていました。叔父はそのスワーミーに会い、心配して(というのも、私は直接学生生活から離れ、そのために宗教や霊的真理についてほとんど何も知ることができなかったので)、上述のスワーミーに私が入った道において私が何か本当に知っているのか尋ねました。スワーミーは、私は何も知らないが、断固とした強情な様子で目を閉じて座っていて、ある種のハタ・ヨーガを行っていると叔父に言いました。そのため、ヴェーダーンタ・シャーストラと読むことなしには誰も霊的生活において価値あるものを何も知ることはできないという考えを持っていた叔父は、私を大変低く評価していて、私に憐れみだけを感じました。後に、私がヴィルーパークシ洞窟にいたとき、ある日、頻繁に私のもとに来ていて、ダクシナームールティ・ストートラを説明するよう私に頼んだ若者に私はストートラの第4詩節を説明していました。当時、私はまだたいてい黙っていたので、人々は私がマウナを守っていると思っていました。叔父は突然その場面に現れ、私はストートラを説明している最中に見つかりました。私は不意を突かれ、一瞬、話を続けるべきか、マウナを守るべきか躊躇しました。ですが、私が話すことを嫌がっていないのを叔父がすでに知ったことが分かり、講話を続けました。このことで、私が知りえないと叔父が思う多くのことを私が知っているのを叔父は確信しました」。バガヴァーンは言い足しました。「私が何も知らないと最初、叔父に知らせたスワーミーも意見を変えざるを得ませんでした。それはこのように起こりました。ある日、山の周りのプラダクシナから帰るとき、私はエアサニャ・ムットに入り、そこでそのスワーミーを目にしました。彼はヴィヴェーカチューダーマニを見せ、そのいくつかの詩節について私に尋ねました。同じ本からの別の箇所や他の本を引用して、私がそれを説明した時、彼は完全に私の評価を変えました」。

 今まで記録されていなかったようなので、ここで私が記録しても差支えないでしょうが、叔父がやって来て、彼が入場許可を得られる前にバガヴァーンにメッセージを書いて送らなければならなかったとき、その哀れな紳士はインクもペンも持っておらず、ペンとして枝を、インクとしてウチワサボテンの実の果汁を使って紙切れにメッセージを書いたことをバガヴァーンは私たちに話しました。