2019年3月8日金曜日

バガヴァーンとの日々③ - 45年9月27日から45年10月19日まで

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)』、p20~30

バガヴァーンとの日々

A.デーヴァラージャ・ムダリアールの日記から

45年9月27日

 今、一週間ほど修繕が行われているスカンダーシュラマムをバガヴァーンは突然、訪れたい気分になったようです。それで、誰にも気づかれることなく、昼ごはん後、バガヴァーンはいつもの昼食後の散歩の途中で、付添人のランガスワーミーを伴い、スカンダーシュラマムに向けて歩みを進めました。午後3時30分ごろまで、これを知る人はほとんどいませんでした。しかし、3時30分以降、その知らせは徐々に広まり、ほとんど全ての信奉者がスカンダーシュラマムまで登り、寺院と街を見下ろす段々になった高台の前方に座っているバガヴァーンを見つけました。我々はバガヴァーンが上機嫌であり、彼がラマナーシュラマムに来る前、そこに滞在していた間に起こった様々な出来事や事件を話していることに気づきました。バガヴァーンはそこに居続け、その夜をそこで過ごしたいという気持ちさえありました。しかし、信奉者全員がそこに押し寄せていて、バガヴァーンが動くまでは誰も動こうとしなさそうでした。そのため、午後5時30分ごろ、バガヴァーンは出発し、アーシュラマムの様々な場所を見て、どこでよく彼が眠っていたのか、どこによく彼が座っていたのか、どこに母が座ったのか、どこで彼らが料理したのか、どこに古い蛇口があったのかなど我々に話し、その後、階段を下りました。途中、彼はヴィルーパークシ洞窟を訪れ、そこでの生活についても説明しました。ここで、彼はmaadattup pillaiyaar yaapam、壁龕を指さしました。そこは今、洞窟前のベランダにある東向きの壁面上の小さな窓です。maadattup pillaiyaar(つまり、壁龕の中のガネーシャ)は、二つの詩節で見出される表現であり、一つはイーシュワラ・スワーミーによって作られ、もう一つはバガヴァーンがヴィルーパークシ洞窟に滞在していた時期にその壁龕に置かれたガネーシャ像を称賛してバガヴァーンによって作られました。その洞窟に数日間住んでいたようである、あるサンニャーシが今、近くの井戸から水を持って来て、バガヴァーンはそれを嬉しそうに飲みました。その後、バガヴァーンはラマナーシュラマムに向けて洞窟を出発し、ゆっくりと階段を下って行きました。麓では、周りに高台があり、グーハ・ナマーシヴァーヤの洞窟の近くのピパル木の下で、我々は皆、彼とともに座りました。バンガロール出身のサタコパ・ナーイドゥがpoori(ポン菓子)とピーナッツを持って来ていました。一同は皆、バガヴァーンとともにそこに座り、このピクニックを楽しみました。その頃に暗くなってきて、我々は皆、グーハ・ナマーシヴァーヤの洞窟を通って町に続く山道沿いに出発し、本道を通り、午後8時30分ごろにアーシュラマムに到着しました。

 このようにバガヴァーンがこの旅行を全て徒歩で行ったことは驚くべきことでした。45年8月26日に、彼の左足の親指は脱臼したか、ひどく捻挫していて、その結果としてまだいくらかそこに痛みがあるので、なおさらです。

 バガヴァーンがスカンダーシュラマムを離れて以来、彼がここに腰を落ち着けた後の1、2年ほどの間に、彼はそこに2、3回行ったことがありました。しかし、その後、つまり、今ではほぼ22年間、彼は今日までそこに一度も行ったことはありません。バガヴァーンは上機嫌で、スカンダーシュラマムからラマナーシュラマムまで下る道中ずっと、数ヤードごとに止まり、様々な出来事を語り、間にあった木がなくなったことや、ヴィルパークシ洞窟の中の裂け目や、ジャーダスワーミーが石をころがしてバガヴァーンに落とした場所や(バガヴァーンはよくその話をしましたが、まったく面白半分にすぎませんでした)、ある夜にやって来て、巨大な岩々をずらし、バガヴァーンとその追随者たちの便宜のために泉を作った大雨と嵐について述べました。

45年10月6日

 どういうわけか葉っぱに隠れて、二つのマンゴーが猿たちの目を逃れ、とても大きなサイズに成長したこと、そして、それが今日見つかり、一つはサルたちに持っていかれ、もう一つはあとに残されたことがバガヴァーンに報告されました。これによってバガヴァーンは「ilai maraiva」(葉っぱに隠れて)という表現を思い起こし、そして、彼は「プラブリンガ・リーラ」の一節、「マルラ・サンカ・デーヴァル・ガティ」の中の第9(詩節)を連想し、我々に数詩節を読み上げました。そこで語られるには、昔、マルラ・サンカラが、あるムット(アーシュラム)前の、食後、葉っぱのお皿が捨てられる場所の近くに狂人のように住んでいました。ムットの首長も弟子たちも、この男について何も知りませんでした。しかし、アッラーマ・プラブがそちらに行くと、マルラは立ち上がり、彼の足元に平伏し、そして、今度はアッラーマ・プラブが彼を立ち上がらせ、抱擁しました。というのも、お互いが他方の価値を知っていたからです。ジニャーニのみがジニャーニを見分けられます。キリヤ、チャルヤ、ヨーガに従事する人は、彼が行うそれらの活動によって見分けられます。しかし、ジニャーニの場合、我々が彼を見分けうる、そのような外的なものは存在しません。

 私がこの出来事を書き留めたのは、とりわけ、ここにやって来る人々の中にも、時々バガヴァーンの価値を認めかねて、「あなたのこのバガヴァーンについて、彼が偉大な人物や覚者だとあなたに思わせる何があるのですか。彼は我々のように食べ、眠り、他の全てのことをします」と私に尋ねさえした人たちがいるからです。

45年10月8日

 この地域の警察の警視補、A.スッブラヤドゥ氏の娘、ジャーナキがバガヴァーンに尋ねました。「私はいつもナーマ・スマラナをしたいと思います。でも、私は高等教育を受けることにも熱意があります(彼女は大学一年生です)。私はどうすべきでしょうか」。

 バガヴァーン: その二つの望みの間に矛盾するものは何もありません。

 ジャーナキ: 私がいつもナーマ・スマラナを行っているなら、どうして心が必要とされる学業を私は続けられるでしょうか。

 バガヴァーンは答えませんでした。しかし、フリードマンと私はその女の子に、「両方が同時にできると言われていました」と言いました。フリードマンは、「心を学業に、ハートを神に捧げなさい」と言い足しました。

45年10月9日 午後

 K.マハタニ氏が上述のことの続きで尋ねました。「我々が世の中のどんな事業でも成功したいと思うのなら、我々の心とハートをまるごとそれに捧げなければなりません。そうでなければ、我々は成功できません。そのため、人の心を神と世俗的活動の両方に捧げることは、どうにも実践不可能です」。

 バガヴァーン: 人が自らに据えられたままであるなら、活動は依然として継続し、その(活動の)成功は影響されないでしょう。人は自分が行為者であるという考えを持つべきではありません。活動は依然として継続するでしょう。かの力、それをどのような名前で呼んでもかまいませんが、体を存在せしめた(その力)が、この体が経験することになっている活動がもたらされるよう取り計らうでしょう。

 マハタニ氏まだ十分に満足しておらず、直ちにバガヴァーンはギーター・プレス版のバガヴァッド・ギーターの末尾に載っている放棄に関する論文を彼に参照させました。その論文は7段階の放棄に言及していて、バガヴァーンは、「マハタニ氏に、この論文の中に何か彼に訴えかけるものがあるのか確かめさせましょう」と言いました。バガヴァーンの要望どおり、全員のために私は講堂でその論文を全て読み上げました。放棄の7段階目に達した者は、武器で体が切られたり、何か他の苦しみが彼に降りかかるとき時でさえ感じないだろうとそこに書いてあります。この箇所が読まれている最中に、バガヴァーンは以下の詩を思い出しました。

(タミル語の四行詩)

彼らは恐れないだろう
たとえ狡猾な敵たちがその胸を刺しても
たとえ火に囲まれても、コブラにかまれても
彼らにとって全ては至福となるだろう

 これはポンナンバラ・スワーミーのタミル語の詩節でのバガヴァッド・ギーターの注釈、第6章、17詩節(アーシュラマムの本の150ページ)に載っています。この話題を続けて、私は言いました。「確かにそのようなことが本に書かれています。しかし、我々はジニャーニが痛みを感じるのを見ます。ラーマクリシュナ・パラマハンサのような方でさえ、喉のガンにかかった時、痛みを感じ、『どうして母はこの痛みを私に送ったのか』と叫びました」。

 バガヴァーン: 長い間のかかわり、癖のために、最初、そのようであるかもしれません。しかし、その後、それは消えていくでしょう。

 これに関連して、ずっと以前に、かつてバガヴァーンが何かの病気を患っていて、私が懸念を示したとき、彼はその痛みを夢の中でのように感じていて、それだけのことだとバガヴァーンは快く私に説明してくれたことを私は記録しなければなりません。

45年10月10日

 1945年9月号のScience of Thought Review の中のGilbert Henry GedgeによるLetters to my friendsの110と111ページで下記のものが私の目に留まりました。

 「また、仕事をしているとき、神について思っている時間がない、心は『仕事中』でなればならないと時に人々は言います。

 「さあ、友よ、私は今一度あなたに言います。これら全ての様々な事柄について、治療法は同じであると。まずは神の王国を求めなさい。それがなされるとき、全ての物事は我々の心の中で適切な位置と適切な見方に収まります。今、神はあなたの中に、あなたの全ての環境の中におり、そして、今、あなたとあなた個人の小さな世界は神の中にあります。その事実の認識には、あなたの人生の全ての物事は正しい場所と秩序にあるという、神の法があなたの全人生と環境を支配しているという認識もまた伴います。我々の人生が実際は神の中で送られているということを悟るとき、何ものもその法から排除することはできません。我々が日々の務めに従事しているときでさえ、それは神を思うことの、の存在を我々と共に、我々の周りに、我々の仕事の中に認識することの助けになります。それは仕事を神の業とみなすことをさらにいっそう助けます。なぜなら、我々がそうするとき、それを行う新たなより良い方法を見つけ、その行いの中で祝福されるからです」。

 私はこれをバガヴァーンに読み上げ、彼はそれに賛成し、昨晩の談話の関連で、マハタニ氏にそれを見せるよう私に頼みさえしました。

45年10月11日

  G.V.スッブラマイヤ氏が到着しました。ちょうどその時、バガヴァーンはタミル語のダクシナームールティ・ストートラへの彼の序文のテルグ語の翻訳を読んでいました。数日前、P.C.デーサーイ氏が、彼によって書かれたダクシナームールティ・ストートラに関するグジャラート語の本についてバガヴァーンに話しました。そして、それに関連して、バガヴァーンはP.C.デーサーイ氏のためにそのストートラへのバガヴァーンのタミル語の序文の英訳をするよう私に頼みました。これがSmt.ナーガンマがテルグ語の翻訳を作ることにつながりました。上述のテルグ語の翻訳を読み、説明しながら、バガヴァーンはP.C.デーサーイ氏に前に彼が話したほとんど全てをG.V.スッブラマイヤ氏に話しました。その要約がこれです: 「ダクシナームールティ、つまり、偉大なシヴァ自身が、沈黙による以外は唯一なる現実という真理を表現できませんでした。しかし、この沈黙は、とても進んだ者以外には理解することができませんでした。その他の人々には語られなければいけませんでした。ですが、神自身が表現できなかったそれをどうやって言葉で言えますか。それゆえ、シャンカラはダクシナームールティを褒め称えるという方法を勧め、見かけの上の目的としてのそれと共に、実際は、全てはブラフマンであるということを説こうと努めています。初めの4詩節で、彼は世界の性質を説きます。我々が現実を知ることを妨げていているものが世界であるため、その(つまり、世界の)性質が理解されるならば、真理を悟る道における障害は取り除かれるでしょう。次の4詩節では彼はジーヴァの性質を説きます。それから、両者の関連性を説き、全ては自らであると教えます。シャンカラのダクシナームールティ・ストートラの構成と要旨を説明しようとして、私は上の短い前書きを書きました」。

45年10月18日

 パンジャーブ州からの訪問者がバガヴァーンに尋ねました。「私が瞑想するとき、時にいくらか至福を感じます。そのような場合、「この至福を体験しているのはいったい誰か」と私自身に尋ねるべきでしょうか。

 バガヴァーン: 体験しているものが自らの真の至福であるなら、つまり、心が自らに本当に溶け込んでいるなら、そのような疑いは全く起こらないでしょう。質問それ自体が真の至福に到達していなかったことを示しています。

 疑う者とその源が見出されたときにのみ、全ての疑いはやむでしょう。疑いを取り除いても無駄です。我々が一つの疑いを取り除くなら、別の疑いが生じ、疑いに終わりはないでしょう。しかし、疑う者の源を探し求めることによって、疑う者が本当は存在しないと見出されるなら、その時、全て疑いはやむでしょう。

 訪問者: 時々、私は内部の音を聞きます。そのようなことが起こるとき、私はどうすべきしょうか。

 バガヴァーン: 何が起ころうとも、現実に達するまで、「この音を聞くのは誰か」と尋ね、自らへの探求を続けなさい。

 アクシャラジニャによるSri Ramana, the Sage of Arunagiri の第2版が最近出版されました。あちこち拾い読みしていると、バガヴァーンが弟子を様々な方法で、弱めの者は見ることによって、中ぐらいの者は思いによって、進んだ者は触れることによって祝福するという文章が私の目に留まりました。かつて私がタミル語のカイヴァルヤムを読んでいたとき、私はバガヴァーンに尋ねました。「多くの本が、グルがその手や足で弟子の頭に触れることで弟子を祝福する、ディークシャーを与えることを伝えています。では、バガヴァーンがそのようなことを決してしないのは一体どうしてですか」。するとバガヴァーンは私に言いました。「確かに本は3つの方法の、つまり、見ること、触れること、思いによる、ディークシャーに言及しています。しかし、思いによるディークシャーが本当は最良です」。それで、私はアクシャラジニャの本の上述の文章について今日、バガヴァーンに尋ね、「彼もまたバガヴァーンをよく知っていました。彼がそのように言うのには何か理由があったはずです」と言いました。バガヴァーンは、「分かりません」と言い、「偶然にか、ほかの理由で誰かに触れたかもしれませんが、ディークシャーを与える意図はありませんでした」と言い足しました。これに関連して、(その出来事が起こった時に居合わせた)G.V.スッブラマイヤ氏を証人として、数年前、年を取った上品な感じのする北インドからの行者がアーシュラマムに一か月ほど滞在していてたこと、彼がバガヴァッド・ギーター全文をよく暗唱していたこと、そして、彼の出発の日にバガヴァーンが以下の状況で彼に触れたということを記録しても差支えないでしょう。

 朝の散歩の後、バガヴァーンは講堂に戻り、寝椅子に座りました。彼の足がまだ地面に触れている間に、上述の行者がバガヴァーンの足元にひれ伏し、彼の頭はほとんどバガヴァーンの足に触れんばかりで、バガヴァーンが触れることによるディークシャーで彼を祝福するよう懇願し、バガヴァーンがそうするまであくまでも立ち上がらないと言い足しました。そこで直ちに、バガヴァーンは快く片手をその老人の頭に置き、もう片方の手で彼を起こしました。

 この会話すべてが進行している間、シュリニヴァーサ・ラオ医師がリューマチ性の病気を患っているバガヴァーンの足をマッサージしていました。バガヴァーンはおどけて、「ドクターが今、触れることによって私にディークシャーを授けています」と発言しました。15日ほど前、そのドクターがバガヴァーンの足をマッサージしているとき、バガヴァーンは彼にやめるよう頼み、「あなたがしたことは十分です。あなたは座りに行ってかまいません。私は私自身をマッサージして、いくらかプンニャを得ましょう。どうしてあなただけが全てのプンニャを得なければならないのですか」と言い、彼自身をマッサージし始めました(プンニャは、例えば、師への奉仕によって得られる霊的な利益です)。

45年10月19日

 ボンベイからの法廷弁護士がバガヴァーンに尋ねました。「私はバガヴァーンの著作などを読み、それらを知的には理解できますが、体験において何も実現することができていません。私はバガヴァーンの方法を6年間試みていますが、まるで進歩していません。私が瞑想する時、他の思いがやって来ます。都市に住み、仕事を行い、たまにしかここに来ない私のような人々にとって、私がこれまですることができた以上に我々が成功するために、バガヴァーンはどのようなサーダナを勧めるでしょうか」。

 バガヴァーン: あなたの本質はいつもそこにあり、あなたの瞑想などは、一時的だけやって来ます。現実とはあなたの自らであり、あなたにとって実現すべきもの何もありません。必要とされる全ては、非現実を現実とみなすこと-それは皆が行っていることですが-をあなたが止めなければならないということです。全ての瞑想、ディヤーナ、ジャパの目的は、ただそれのみ、自らならざるものに関する全ての思いを放棄すること、多くの思いを放棄すること、一つの思いから離れないことです。

 サーダナに関して言えば、多くの方法があります。「私は誰か」とあなた自身に尋ね、ヴィチャーラを行ってもかまいませんし、もしそれがあなたにとって魅力的でないなら、「私はブラフマンである」や何かのディヤーナを行ってもかまいませんし、もしくは、ジャパでマントラや名前に集中してもかまいません。目的は、心を一点に向けること、心を一つの思いに集中し、そうして我々の多くの思いを排除することです。我々がこれを行うなら、終にはその一つの思いさえも消え、心はその源に消え去るでしょう。

 訪問者: 実際の修練において、私は私の努力が報われていないことに気づきます。バガヴァーンの恩寵が私に降りて来なければ、私は成功できません。

 バガヴァーン: グルの恩寵はいつもそこにあります。あなたは、それが空高く、はるか離れたどこかにあり、降りて来なければならない何かだと想像しています。それは本当はあなたの内側に、あなたのハートの中にあり、(どんな手段であれ)あなたが心のその源への沈み込み、溶け込みを達成する瞬間、恩寵が押し寄せ、泉からのようにあなたの内から吹き出します。

 別の訪問者: この世界の現実性とは何ですか。

 バガヴァーン: はじめにあなたがあなたの現実性を知るなら、世界の現実性を知ることができるでしょう。奇妙なことに、たいていの人々は彼ら自身の現実性について知りたいとは思わないのに、世界の現実性についてしきりに知りたがります。あなたははじめにあなた自身の自らを実現しなさい。その後、世界があなたから独立して存在するのか、その現実性や存在をあなたの前に主張しに来れるのか確かめなさい。

 別の訪問者: 例えば子供たちのように、罪なき人々にさえとても多くの苦しみが存在するのはなぜでしょうか。どのようにそれは説明されるべきでしょうか。前世か何かに関連してでしょうか。

 バガヴァーン: 世界について言えば、あなたがあなた自身の現実を知るなら、これらの質問は起こらないでしょう。この全ての相違、あなたが言うような罪なき人々の痛みや苦しみ、それはあなたから独立して存在しますか。その物事を見て、それについて尋ねるのは、あなたです。「私は誰か」という探求によって、あなたが見る者を理解するなら、見られるものについての全ての問題は完全に解決されるでしょう。

 サイード博士: 人が霊的利益を2年ほど願い求めているのに聞き入れられないなら、彼はどうすべきですか。

 バガヴァーン その願い事が叶えられないことが、彼のためであるのかもしれません。

午後

 バガヴァーンは以下のことを語りました: 「私の叔父のネッリアッパ・アイヤルが私に会いに来た時、私はグルムールタム近くのマンゴー・トーペ(林)にいました。鉄道駅からその場所への最短の直線ルートは、あるスワーミー(タミル語)が住んでいた場所を通り抜けていました。叔父はそのスワーミーに会い、心配して(というのも、私は直接学生生活から離れ、そのために宗教や霊的真理についてほとんど何も知ることができなかったので)、上述のスワーミーに私が入った道において私が何か本当に知っているのか尋ねました。スワーミーは、私は何も知らないが、断固とした強情な様子で目を閉じて座っていて、ある種のハタ・ヨーガを行っていると叔父に言いました。そのため、ヴェーダーンタ・シャーストラと読むことなしには誰も霊的生活において価値あるものを何も知ることはできないという考えを持っていた叔父は、私を大変低く評価していて、私に憐れみだけを感じました。後に、私がヴィルーパークシ洞窟にいたとき、ある日、頻繁に私のもとに来ていて、ダクシナームールティ・ストートラを説明するよう私に頼んだ若者に私はストートラの第4詩節を説明していました。当時、私はまだたいてい黙っていたので、人々は私がマウナを守っていると思っていました。叔父は突然その場面に現れ、私はストートラを説明している最中に見つかりました。私は不意を突かれ、一瞬、話を続けるべきか、マウナを守るべきか躊躇しました。ですが、私が話すことを嫌がっていないのを叔父がすでに知ったことが分かり、講話を続けました。このことで、私が知りえないと叔父が思う多くのことを私が知っているのを叔父は確信しました」。バガヴァーンは言い足しました。「私が何も知らないと最初、叔父に知らせたスワーミーも意見を変えざるを得ませんでした。それはこのように起こりました。ある日、山の周りのプラダクシナから帰るとき、私はエアサニャ・ムットに入り、そこでそのスワーミーを目にしました。彼はヴィヴェーカチューダーマニを見せ、そのいくつかの詩節について私に尋ねました。同じ本からの別の箇所や他の本を引用して、私がそれを説明した時、彼は完全に私の評価を変えました」。

 今まで記録されていなかったようなので、ここで私が記録しても差支えないでしょうが、叔父がやって来て、彼が入場許可を得られる前にバガヴァーンにメッセージを書いて送らなければならなかったとき、その哀れな紳士はインクもペンも持っておらず、ペンとして枝を、インクとしてウチワサボテンの実の果汁を使って紙切れにメッセージを書いたことをバガヴァーンは私たちに話しました。

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