2015年11月3日火曜日

シヴァプラカーシャム・ピッライの遺産 「シュリー・ラマナ・ヴァチャナ・サーラム」

◇「山の道(Mountain Path)」、1984年10月 p229~230

シュリー・ラマナの言葉の精髄

シヴァプラカーシャム・ピッライ

 シヴァプラカーシャム・ピッライは、バガヴァーンに重要な質問、「私は誰か」を尋ね、沈黙の賢者の答えをその際立った教えとして保存した、幸運なバクタです。この知恵の宝庫は、今や、世界中の無数の探求者を導いています。

 彼は残りの人生をバガヴァーンの教えの観想に捧げました。時折、彼は数詩節記したものでした。この偉大なバクタは、1949年1月に亡くなりました。その後、彼の甥であり、彼の称賛者であるマニカム・ピッライがアーシュラムにやって来た時、バガヴァーンはシヴァプラカーシャム・ピッライの晩年について尋ねました。彼は「ピッライヤヴァルガル」(このようにバガヴァーンのシヴァプラカーシャム・ピッライを呼んでいました)が何か詩を後に残していないか尋ねました。甥はためらいがちに答えました。「バガヴァーン!確かに彼は私にいくらか原稿を残しましたが、彼の死後にそれを燃やし、他の人々に見せてはいけないという指示と共にでした」。「おや、そうですか!問題ありません。それを私に見せてみなさい!」。束からバガヴァーンは一枚手に取り、「この一枚で十分です」と言い、残りを返しました。

 後に、これは「ラマナ・ヴァチャナ・サーラム」の題で、ウッラドゥ・ナールパドゥへのシヴァプラカーシャム・ピッライのタミル語の注釈の前書きとして含められました。(サードゥ・オームとマイケル・ジェームズによる)その英訳が以下に記載されます。

シュリー・ラマナ・ヴァチャナ・サーラム

1-2
これが精髄である。これが精髄である。これがシュリー・ラマナの言葉の精髄である。

This is the essence, this is the essence, this is the essence of Sri Ramana's sayings.

3-4
言え、真の「あなた」とは誰か。あなた自身に専心せよ。実に、あなたは悪臭漂う肉体ではない。

Say who the real ' you ' are ; attend to yourself; truly you are not the foul-smelling flesh.

5-6
体は生まれ、体は死ぬ。体に意識はなく、眠る時、それは存在しない。

The body is born and the body will die ; the body is insentient and in sleep it does not exist.

7-8
意識こそが、あなたである。あなたこそが、意識である。意識こそが、生まれることもなく、死ぬこともなく存在するものである。

Consciousness alone is you ; you alone are consciousness; consciousness alone is that which exists without being born and without dying.

9-10
眠る時、意識はあるが、体はない。眠る時、体は存在しなかったと知る者が、あなたである。

In sleep there is consciousness but there is no body ; he who knows that the body did not exist in sleep is you .

11-12
体が生まれるのを知らない者が誰かいるのか。しかし、意識の誕生を知った者が誰かいるのか。

Is there anyone who does not know that the body is born? But is there anyone who knew the birth of consciousness?

13-14
上に述べられたことから、あなたは体ではない。あなたが体であるという邪悪な概念を破壊せよ。

From what is said above , (it is clear that) you are not the body ; (therefore) destroy the evil notion that you are the body.

15-16
あなたの本質とは何か常に思え。他の何をも思うな。

Always think what your real nature is; do not think of anything else.

17-18
「私は体である」という一つの思いが、根本である。それが退くなら、一切の思いは退く。

The one thought 'I am the body' is the root (of all thoughts); if it subsides, all thoughts will subside.

19-20
「この体は、意識ある『私』なのか」という探求こそが、「私は体である」という思いを破壊する。

The enquiry "Is this body the sentient 'I' ? " alone will destroy that thought 'I am the body' .

21-22
「私は体である」という錯覚を持つ者は、衣服や食べ物などのために精神的に苦しむ。

He who has the delusion 'I am the body' will mentally suffer for clothing, food and so on .

23-24
「私は体である」という錯覚を破壊する者は、衣服や食べ物などのために苦しまない。

He who destroys the delusion 'I am the body' will not suffer for clothing, food and so on .

25-26
たとえ死が近づいても、落胆するな。神により全てがなされていると知りて、在れ。

Even though death approaches, be not disheartened; knowing that all is done by God , be (in the actionless and care-free state of Self).

27-28
体は一つか、二つか、それとも、三つなのか知ることに、わずかの利益もない。

There is not the least benefit in knowing whether the body is one or two or three (that is, it is useless to try to know whether or not the body has three forms — the gross, subtle and causal).

29-30
我々が鋭く吟味し、それにより、この体を捨て去るならば、他のどの体も存在する余地はない。

If we keenly scrutinize (the feeling 'I' ) and thereby set aside this body (the gross body which we now identify as 'I'), there will be no room for any other body (to exist).

31-32
他と見なされる全ての現象(見せかけ)を「私」でないとして捨て去れ。

Set aside as not 'I' all the appearances which are seen as other (anya).

33-34
他である、がらくたのごとき原理の群れをまとめて捨て去れ。

Set aside collectively the garbage-like crowd of principles (tattvas) which are other (anya).

35-56
あなたが「私は誰か」とさらにさらに思う時、その思いのみが残り、他の一切の思いは灰に帰すだろう。

When you think more and more ' who am I', that thought alone will remain and all other thoughts will be reduced to ashes.

37-38
その思いすら灰に帰した時に残るであろう、思いのない境地、それのみが真の「あなた」であると知れ。

Know that the thought-free state which will remain when even that one thought (' Who am I') has been reduced to ashes, alone is the real 'You'.

39-40
生ずることも退くこともなく存在する、それが、あなたの真の自らであり、おのずから輝き出るだろう。

That which exists without rising and subsiding is your real Self, which will shine forth spontaneously.

41-42
太陽のごとく自らがそのように輝き出るまで、このように間違いなく追求せよ。

Until Self thus shines forth like the sun, pursue (the enquiry 'Who am I') in this manner without fail .

43-44
これが精髄である。これが精髄である。これがシュリー・ラマナの言葉の精髄である。

This is the essence, this is the essence, this is the essence of Sri Ramana's sayings.


◇「シュリー・ラマナーシュラマム公式HP、シヴァプラカーシャム・ピッライ」(、他

シュリー・ラマナの言葉の精髄

シヴァプラカーシャム・ピッライ

 シヴァプラカーシャム・ピッライは幸運な信奉者であり、バガヴァーンに重要な質問、「私は誰か」を尋ね、彼の答えを保存しました。この知恵の宝庫は、今や、世界中の無数の探求者を導いています。

 彼は残りの人生をバガヴァーンの教えの観想に捧げました。時折、彼は数詩節記したものでした。シヴァプラーカシャム・ピッライは1949年1月に亡くなりました。その後、彼の甥、シュリー・マニカム・ピッライがアーシュラムにやって来た時、バガヴァーンはシヴァプラカーシャム・ピッライの晩年について尋ねました。彼は「ピッライヤヴァルガル」(このようにバガヴァーンはシヴァプラカーシャム・ピッライを呼びました)が何か詩を後に残していないか尋ねました。甥はためらいがちに答えました。「バガヴァーン!確かに彼は私にいくらか原稿を残しましたが、彼の死後にそれを燃やし、他の人々に見せてはいけないという指示と共にでした」。「おや、そうですか!問題ありません。それを私に見せてみなさい!」。束からバガヴァーンは一枚手に取り、「この一枚で十分です」と言い、残りを返しました。

 シュリー・ピッライヤヴァルガルの追悼の神聖な日に、我々はバガヴァーンによって選らばれた彼の詩の英訳を提供します。

シュリー・ラマナ・ヴァチャナ・サーラム

信奉者らによる翻訳

これが精髄である。これが精髄である!
これこそがシュリー・ラマナの言葉の精髄である!
真のあなたは誰か、私に教えよ。真のあなたを探せ!
まさか、あなたが悪臭を放つ肉体であろうか
体は生まれ、体は死ぬ
深い眠りの中、体はそれ自体を知らない
あなたはである。があなたである
永遠なる知は決して生まれず、死にもしない
眠りの中、自ら自覚はあるが、体のそれはない
あなたのみが体の意識の欠如を目撃する
全ての者が体が生まれることを知っていないか
意識の誕生に気付く者が誰かいるのか
上に言明されたように、あなたは体ではない
あなたが体であるという虚偽の概念を破壊せよ
あなたの本質を絶え間なく探求せよ
他の思いを思うな
「私は体である」という根本の思いが退くなら
その時、他の全ての思いも退く
「体に気付いているのは誰か」-この探求のみが
「私は体である」という概念を取り除く
「私は体である」と思う、欺かれた者は
食べ物、衣服、その上、望みの物を渇望するだろう
「私は体である」という錯覚から解放されている彼-
彼の心は食べ物、衣服、膨大な望みの物を渇望しないだろう
死が近づいても、慌てふためくな
平静であれ、それは全て神の御業である
体が一つか、二つか、三つかと思いふけるな
そのような探求は無益である
あなたが注意深く観察するなら
体の意識の余地はまるでない
(あなたから)別れて見える全ての外観を拒絶せよ
「私でない」として拒絶せよ
他の全ての教義・信条はがらくたのごとき収集物である
それら全てを取り除け
繰り返し「私は誰か」探求すれば
私なる思いのみが留まり
残りは灰になるだろう
私なる思いが燃え尽きたとき
思いは奪われ、「真のあなた」を知るだろう
生ずることもなく、沈むこともない、それが真のあなたであり、燦然と輝いている
まばゆく輝く太陽のごとく、自らが輝くように
決して後退することなく、それであれ
これが精髄である、これが精髄である!
これこそがラマナの教えの精髄である!

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