実現と身体的体験
信奉者:
では、バンダとムクタ、束縛された者と解放された者の違いとは何ですか。
マハルシ:
自ら‐中心であるハートから、シャクティ・シュターナ(*1)であるサハスラーラ(*2)に通じる微細な通路があります。普通の人はハートにいる彼自身に気づかずに、脳に住んでいます。ジニャーナ・シッダ(*3)はハートに住んでいます。彼が動き回り、世の中のことを扱う時、彼は彼が見ているものが唯一なる至高の現実、彼がハートの中で彼自身の自らとして実現したブラフマン、現実のものと分離していないと知っています。
信奉者:
普通の人についてはどうですか。
マハルシ:
ちょうど今、私は彼が彼自身の外側にものを見ると言いました。彼は世界から、彼自身の深みにある真理から、彼を支える真理と彼が見るものから分離しています。自分自身の存在の至高の真理を実現した人は、彼の背後に、世界の背後にあるものが、唯一なる至高の現実であると理解しています。実際、彼は一者(*4)を現実のもの、私たち全てと万物の中の自ら、永遠であり、不変のもの、永続的でなく、変化する全てとして気づいています。
信奉者:
あなたは学問の高度な用語をつかって話しますが、私は身体から始めたのです。身体的な体験において、ジニャーニとアジニャーニの間で違いはありますか。
マハルシ:
あります。違いがないわけがありません。私はたびたび違いをはっきり言っています。
信奉者:
では、話され、議論されるヴェーダーンタ・ジニャーナは、実践され、実現されるものと違うのかもしれません。あなたはハートの中に「私」の真意があるとたびたび言います・・・
マハルシ:
ええ、あなたがより深く進む時、いわば、底知れない深みに、あなたは自分自身を失います。その時、あなたの背後にずっといた、アートマンである現実が、あなたを捉えます。それは「私という意識」の絶え間ない閃きです。ある意味で、あなたはそれに気づき、それに触れ、それを聞き、それを感じます。これが私がアハム・スプルーティ(*5)と呼ぶものです。
信奉者:
アートマンは「不変で、自ら光輝く」などとあなたは言いました。しかし、同時に、「私という意識」の絶え間ない閃きについて、このアハム・スプルーティについてあなたが話すならば、それは動きを伴わないのではありませんか。動きは、動きが存在しない完全な実現のはずがありません。
マハルシ:
完全な実現ということで、あなたは何を意味していますか。それは動きのない塊である石になることを意味するのですか。アハム・ヴリッティ(*6)は、アハム・スプルーティと異なります。前者は自我の活動であり、それ自身を失い、自らの永遠の表現である後者に道を譲ることになります。ヴェーダーンタの用語では、このアハム・スプルーティはヴリッティ・ジニャーナ(*7)と呼ばれています。実現、もしくはジニャーナは、常にヴリッティです。ヴリッティ・ジニャーナ、もしくは、実現とスワルーパ(*8)、現実のものには違いがあります。スワルーパはジニャーナそのものであり、それは意識です。
スワルーパは、遍く存在するサット‐チットです。それは常にそこで自らを達成しています。あなたがそれを実現する時、その実現はヴリッティ・ジニャーナと呼ばれます。あなたが実現、もしくは、ジニャーナについて話すのは、あなたの存在に関連してだけです。それゆえ、我々がジニャーナについて話す時、我々はいつもスワルーパ・ジニャーナでなく、ヴリッティ・ジニャーナを意味しています。なぜなら、スワルーパそのものは、常にジニャーナ(意識)であるからです。
信奉者:
これまでのところは理解しました。しかし、身体についてはどうですか。身体において、このヴリッティ・ジニャーナを私はどのように感じられるのでしょうか。
マハルシ:
あなたは自分自身が存在する一者(*9)と一体であると感じられます。全身は、単なる力、力の流れになります。あなたの生命は巨大な磁石のかたまりに引きつけられた針になり、さらに深く深く進むにつれ、あなたは単なる中心になり、それから、それですらなくなります。なぜなら、あなたは単なる意識になるからです。もはや、思いも、心配もありません-それらは入り口で粉砕されました-それは洪水です。藁(わら)に過ぎないあなたは生きたまま飲み込まれますが、それはとても喜ばしいことです。なぜなら、あなたはあなたを飲み込むそれ自体になるからです。これがジーヴァとブラフマンの合一、現実の自らの中の自我の喪失、虚偽の破壊、真理の達成です。
(*1)シャクティ・シュターナ・・・「力の場、住処(すみか)」
(*2)サハスラーラ・・・第七の主要なチャクラ。頭頂に位置する。
(*3)ジニャーナ・シッダ・・・「真実の知の達成者」
(*4)(*9)一者・・・英語の「the One」の訳。「神、絶対者」とも訳せる。
(*5)アハム・スプルーティ・・・「私の鼓動、振動、顕現」
(*6)アハム・ヴリッティ…「私という思い、心の働き」
(*7)ヴリッティ・ジニャーナ・・・「(真実の)知という思い、心の働き」
(*8)スワルーパ・・・「本当の姿、本質」
0 件のコメント:
コメントを投稿