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K.R.K.ムルティは、工学学士(電気)であり、アーンドラ・プラデーシュ州の政府の電気局の主任電気技師でした。彼は『Sri Ramana Bhagavan』を著しました。1937年のある時、私は新聞で、ある高名な方がシュリー・ラマナ・マハルシのダルシャンを持つために、ティルヴァンナーマライに行くということを読みました。私はその紳士を大変尊敬しており、彼に会いたいと思いました。それで、ティルヴァンナーマライに行くことに決めました。
私は講堂へまっすぐに行き、砂糖菓子の小包を置きました。それは腰かけの上にいるマハルシへの贈り物として購入したもので、私は多くの男女と一緒に座りました。全ての人が無言の彫像のように座っており、集会の中のそれを妨害する唯一の者は、壁にかかった時計でした。活発に煙の渦をだしている香木を除き、講堂での物理的活動はありませんでした。しばらく私は辛抱強く待ちましたが、依然として同じ静寂が続きました。そのような静かな集会を以前に見たことがなかったので、とても奇妙に見えました。マハルシについて知りたかったのですが、誰に聞けばいいのでしょうか。
数人がやってきて、マハルシの前に平伏し、講堂で静かに座りました。これもまた、私の心に深い印象を残した見慣れない光景でした。しばらく後に、マハルシは立ち上がり、講堂の全員が立ち上がり、平伏しました。マハルシがアルナーチャラの山に散歩に出かけた時、人々は本来の姿を表わし始め、私はいつもの日常の世界を目撃しました。
かつて、アーシュラムのある訪問者が、シュリー・ラマナは話さず、誰にも何も有益なことをせずに静かに座っているだけだと私に言いました。私の非常に実際的な個人的体験によって、私はバガヴァーンが独自の特徴的な方法で、活発に、そして静かに、援助の手を差し出しているということを確信しました。彼はとてもひそかに信奉者を助けていたので、それを受けるもの以外はそれについて何も知りませんでした。
ある時、講堂に入って行くと、マハルシが左手の人差し指を右手で握っているのを見ました。そのとき、講堂には数人の人がいました。ある人はそれに気づいていなかったかも知れませんし、ある人はそれを重要でないと注意を払わなかったかもしれません。しかし、私にとって、それは忘れられないことでした。なぜなら、長い間、左手の人差し指に感じていた痛みが永遠に取り除かれたからです。
あらゆる医療の手当てにもかかわらず続いていた、ひじの痛みも取り除かれました。ある日、私はバガヴァーンが我々の家で食事をとっているのを夢見ました。食事の後、私はバガヴァーンに手を洗うためのマグ一杯の水を手渡しました。彼はマグを手に取り、手を洗う前に水を私のひじに注ぎました。次の日から、ひじに痛みはありませんでした。それが単なる夢であったなら、肉体にそのような効果を与えられたでしょうか。
ある時、アーシュラムでは、貧しい者に食事を与えるための準備が整えられました。人々は食事のために別に用意された場所に駆け込んでいきました。そのとき、権限をもつある人が、サードゥを除外するようにと大声で言いました。食べ物が配られようとする時、バガヴァーンが居合わせていないと分かりました。人々はあらゆる方向に駆け出し、バガヴァーンが木の下で座っているのを見つけました。信奉者に加わるよう懇願された時、バガヴァーンは、「あなたはサードゥがそこにいることを望みませんでした。サードゥですから、私はその場所を離れました」と言いました。バガヴァーンは自分を最も低い者と同一視しました。彼は間違いを怒りを示すことによってではなく、自己犠牲、もしくは、自分を罰することによって正しました。
アーシュラムは庭を造成していました。ある居住者たちは、植物を守り、育てることに出来る限りの努力をしていました。ある日、何頭かのアーシュラムの牝牛が庭に入り、その魅力的な植物を食べました。その居住者たちは非常に不満に思いました。その出来事は大変な騒ぎとなり、バガヴァーンの耳に届きました。彼は微笑んで、「どうして牝牛がとがめられなければならないのですか。そういった場所で草を食べていけないと彼女たちは知っていたのですか。庭が適切に柵で囲われていたなら、牝牛は入りません」と言いました。バガヴァーンは、一般的な人々が見落としていた物事の別の側面を見ました。
バガヴァーンの声を録音するために、ある信奉者たちが音声録音機について言及しました。バガヴァーンが彼らに賛成する様子を示しているのを見て、彼らは話をさらに進めて、声を録音するための日取りを決めたいと思いました。ちょうどその時、バガヴァーンは、「私の本当の声は沈黙です。どうすればそれを録音できますか」と言いました。
ある時、グルの恩寵によって最高の状態が瞬間に達しうることが真実かどうか、バガヴァーンに尋ねられました。バガヴァーンは、「ええ。弟子が成熟した状態であれば、アジニャーナ(無知)はグルのアヴァロカナ(一瞥)によるだけで取り除かれます」と答えました。彼は付け加えて、「クリパ(恩寵)は、その人の徳(善)の割合に応じて人に流れ(あふれ)出るのです。容器が小さければ、受け取るクリパは小さくなります。容器が大きければ、クリパはそれに比例して多くなります」と言いました。
ある夜に、バガヴァーンの付添人が、彼に聖典を読み聞かせていました。その付添人はいびきの音を聞いて、読むのをやめました。即座に、バガヴァーンはどうして彼がやめたのか尋ねました。再び付添人は続け、バガヴァーンから同じようにいびきの音が聞こえ、再び彼はやめました。しかし、バガヴァーンはとても注意深くいて、彼に続けるよう求めました。
ある日、王子がバガヴァーンのダルシャンを求め、数人の友人と共に講堂に入りました。バガヴァーンの前では王子と農夫の間の違いは存在しないため、王子は我々のそばの座につきました。彼の友人の一人が質問をしたいと思いましたが、不安に思い、ためらっていました。彼にとって非常に驚くべきことに、ほとんど同じ質問が誰か他の人によりバガヴァーンに尋ねられました。バガヴァーンの返答は、その訪問者に大変な喜びを与えました。しばらくの間、王子は静かに座っていました。そして、何が起こったのか知るよしもありませんが、彼から涙がとめどなく流れだし、ついに彼は講堂を去りました。
ある時、英語の日刊新聞をいつものように目を通していると、バガヴァーンは新しい発明についての人目を引くような記事を読み上げ、微笑みました。間をおいて、彼は、「人はいくらでも力を得るかもしれませんが、ヤタールタ(真理)を悟らなければ、マノー・シャーンティ(心の安らぎ)を得ることはできません」と穏やかに言いました。誰かが、「ヤタールタとは何ですか」と尋ねました。バガヴァーンは、「常に在るそれ」と答え、間をおいて、「安らぎとは我々のスワバヴァ(本質)です。部屋に多くの物を置き、部屋に空いている場所がないと不平を言う人のように、我々は安らぎがないと言います。物が取り除かれる時、空いている場所は自動的に得られるのではありませんか」と付け加えました。
初めのころ、アーシュラムは密林の中の孤立した小屋でした。ある日、真夜中に、泥棒がアーシュラムに押し入りました。彼らは遠慮なく(木製の)鞭をバガヴァーンをふくめたみなに使いました。バガヴァーンは仕返ししようとする信奉者を制止しました。彼は、「サハナム(忍耐すること)はサードゥのダルマです」と言い、「歯が舌をかんだら、我々は歯を打ち倒しますか」と付け加えました(1)。
バガヴァーンは我々に、「人が自殺したいと思うなら、小さい道具か、もしくはナイフでさえも十分です。他人を殺害するためには、より大きなものが必要です。同じように、自分自身にとっては、ひと言か、ふた言で十分ですが、他人を納得させるには、本に次ぐ本が書かれねばなりません」と言いました。
ある西洋人が、バガヴァーンの注意を平均的なインド人の貧困と彼の不十分な家具しかない部屋に向けた時、バガヴァーンは、「インド人は多くの物質的な快適なものを所有していませんが、そのために幸せが少なくなるわけではありません。彼らはそれが欠けていると感じないので、自分が持っているもので人生を楽しめます」と答えました(2)。
バガヴァーンの筆跡は、まさに印刷のようでした。バガヴァーンによって書かれたものを保管しておきたいという強い望みを私は抱きました。しかし、とても多くの人の前で頼むことに非常にためらいを感じていました。そのとき、講堂にいたある人が、私がテルグ文字で、タミルの聖者ターユマーナヴァルのバガヴァーンによって選ばれた歌を書いたと大声で言いました。そこで、バガヴァーンはそれを見ることを望みました。ノートを手渡すように私に求め、彼は忍耐強く、いくつかの間違いを直しました。このようにして、彼は私の燃えるような望みを、それを表わす前にさえ、そして、私に特別な気遣いを示したと思われることなく満たしました。
原注:
(1)ポール・ブラントン博士は『A Search in Secret India』の中で、「聖者は、彼らの攻撃を忍耐強く耐えただけでなく、彼らが出発する前に食事をとるように願い出ました。実際に、彼は食べ物を提供しました。彼の心の中に、彼らに対する憎しみはありませんでした。彼は、自由に彼らが逃げることを許しましたが、一年以内に彼らはどこかで他の犯罪を犯しているときにつかまり、厳しい懲役刑を課されました」述べています。
(2)アメリカの前駐インド大使であるガルブレイス教授は、「インドの村は貧しい中で豊かである」と述べています。
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