英訳は「ウパデーシャ・サーラム」のサードゥ・アルナーチャラ(A.W.チャドウィック少佐)の翻訳です。スワミナタン教授による英訳などを参考にして訳しています。(文:shiba)
教えの精髄
多くのリシたちがその妻と共に森のアーシュラムに住んでおり、ヴェーダに定められたように儀式と供儀の形でカルマ・ヨーガを行っていました。彼らはこの道において、そしてこの道のみにおいて解放が得られると確信していました。主シヴァは彼らを訓戒し、彼らの過ちを自覚させようと決意しました。
彼はサードゥの姿をして、美しい乙女の姿をしたヴィシュヌを伴い、彼らを訪れました。リシたちはみな、その乙女に惚れ込んでしまい、一方で、彼らの妻たちもそのサードゥに魅了されました。このことはリシたちを激怒させ、彼らはシヴァを攻撃し、滅ぼすために、その魔術的な力により象と虎を作り出しました。しかしながら、シヴァは易々と両方とも打ち倒し、象の皮をローブとして使い、その肩に虎の皮をまといました。そこで、リシたちは彼ら自身よりもはるかに強力な者と相対していたことに気付きました。今や、彼らは自分たちの力が浅薄なものに過ぎないことを悟り、シヴァの足もとに平伏し、正しい教えを授けて下さるように頼みました。
バガヴァーンは主シヴァの教えを授ける詩を書くよう懇願されました。それは以下になります。
本文
1.
カルマはそれに相応(ふさわ)しい報いを必ずももたらす
なぜなら、そのように定められている-至高なる創造者
神自身により。では、カルマは神なのか
神自身により。では、カルマは神なのか
否。なぜなら、それそのものには意識がない
Karma must ever yield its proper fruit,
For thus it is ordained by God, Himself,
Supreme Creater. Then is Karma God?
No, for it is itself insentient.
2.
カルマの結果は必ずも過ぎ去る
けれども、それは種を残し、順番が巡りくると芽吹き
その行為者を投げ戻すだろう-溢れる
カルマの大海へ。カルマは(行為者を)救えない
カルマの大海へ。カルマは(行為者を)救えない
Of Karma the results must pass away,
Yet it leaves seeds which in their turn will sprout
And throw the actor back into the flood
Of Karma's ocean, Karma cannot save.
3.
しかし、愛着の衝動なく、ただ主への
奉仕のためにのみ行われる行為は
奉仕のためにのみ行われる行為は
心を浄化し、終には道を指し示すだろう
最終的な目的に通じる(道を)
But acts performed without attachment's urge
And solely for the service of the Lord
Will cleanse the mind and indicate the way
Which leads at length unto the final goal.
4.
崇拝、神の聖名(せいな)の朗唱
瞑想が、行われるは主に
瞑想が、行われるは主に
体、声、心によって。それらは勝る
互いに、ここに定められた順で
互いに、ここに定められた順で
Worship, reciting of God's Holy Name,
And meditation, mainly are performed
By body, voice and mind, and they excel
Each other in the order here set down.
5.
八つの姿からなる、この天地万象を
神自身の姿として我々がただ認め
全世界に敬愛をもって仕えるならば
それが神の最勝たる崇拝である
If we but recognise this Universe
Of eightfold form as form of God, Himself,
And serve in adoration all the world.
This is of God most excellent worship.
6.
聖名を絶えず唱えることは
賛美に勝り、終には、その声は沈みゆくだろう
ハートの内の無言の復唱へ
このようにして瞑想は習得される
Constant repeating of the Holy Name
Is more than praise, at length the voice will sink
To silent repetition in the Heart,
And in this way is meditation learnt.
7.
途切れ途切れに繰り返される瞑想に
勝るは、途切れることなき安定した流れである
それ(瞑想)である-流れ落ちる油、もしくは
一年を通じて続く小川の道筋のごとき
勝るは、途切れることなき安定した流れである
それ(瞑想)である-流れ落ちる油、もしくは
一年を通じて続く小川の道筋のごとき
Better than meditation that recurs
In broken fits and starts is that which is
A steady ceaseless flow, like to the course
Of falling oil or a perennial stream.
8.
崇拝する者と少しも異ならない
神の崇拝、換言すれば即ち
「彼は私である」と思うことは、遥かに勝る
神の崇拝、換言すれば即ち
「彼は私である」と思うことは、遥かに勝る
他のどのような類の崇拝よりも
Worship of God in no way distinct
From him who worships, or in other words
Thinking that "He is I", is better far
Than any other kind of worshipping.
9.
心に抱かれた何らかのものへの我々の献身の
力ゆえに、我々のあらゆる思いを
超越する現実の存在に安住すること
力ゆえに、我々のあらゆる思いを
超越する現実の存在に安住すること
これが至高なる献身の真理である
To rest in the Real Being, that transcends
Our every thought, by reason of the strength
Of our devotion to some thing conceived;
This of supreme devotion is the truth.
10.
自らの源に再び吸収されることが
カルマ、バクティ、ヨーガ、ジニャーナ
真に、これら全てのものである。換言すれば即ち
善業、献身、合一、靈知でもある
To be absorbed again into one's Source
Is Karma, Bhakti, Yoga, Jnanam, all
These things in truth. Or put in other words,
Good works, Devotion, Union, Gnosis, too.
11.
猟師によって鳥が網に捕らえられるがごとく
息を内に留めることで
心は制御されうる。この仕掛けは
心の吸収をもたらすだろう
心は制御されうる。この仕掛けは
心の吸収をもたらすだろう
As by the fowler birds are caught in nets
So by the holding of the breath within
The mind can be restrained. This a device
That will effect absorption of the mind.
12.
なぜなら、思いと行為に表わされる、即ち、
思いと行為をその機能として持つ、心と生命は
思いと行為をその機能として持つ、心と生命は
一本の木の二本の大枝のごとく分かれているが
それらは共にただ一本の幹から生じているゆえに
For mind and life expressed in thought and act,
That is with thought and action as their function,
Diverge and branch like two boughs of a tree,
But both of them spring from one single stem.
13.
心の抑制は、二通りで起こる
吸収と消滅-吸収された心は
再び蘇(よみがえ)るだろうが、破壊されている心は
もはや二度と復活しないだろう。なぜなら、それは死んでいる
再び蘇(よみがえ)るだろうが、破壊されている心は
もはや二度と復活しないだろう。なぜなら、それは死んでいる
Suppression of the mind in two ways comes,
Absorption and extinction; mind absorbed
Will live again, but mind which is destroyed
Will never more revive, for it is dead.
14.
呼吸の制御なる手段によって
心が制御されている時、その時に、それを注げ
一つの流れに沿って。それが達成されるなら
心の形は、その時、完全に消え去るだろう
心が制御されている時、その時に、それを注げ
一つの流れに沿って。それが達成されるなら
心の形は、その時、完全に消え去るだろう
When, by the means of restraint of the breath,
The mind has been controlled, then make it flow
Along a single current, that achieved
Its form will then entirely disappear.
15.
心の一切の形が消え去り、現実と常に一体である
偉大なる賢者にとって、カルマはもはや存在しない
なぜなら彼は、まさしく、真の自らとなっている
For the Great Sage for whom all form of mind
Has disappeared and who is ever one
With the Reality, there is no Karma more,
For He, indeed, the True Self has become.
16.
心が外側にある感覚対象物を放棄し
内に引き込まれ
内に引き込まれ
自らの燦然と光り輝く姿を知る時
その時、まさに真の靈知のみある
When mind has given the sense-objects up
Which are external and has drawn within,
And has percieved its own refulgent form,
Then verily alone True Gnosis is.
17.
心の実態について
不断の警戒をもって熟思する時
心というようなものは存在しないことに人は気づく
まさしく、これが皆にとっての直道(ひたみち)である
When pondering with constant vigilance
Upon the actual nature of the mind
One finds that there is no such thing as mind;
This, of a truth, is the straight course for all.
18.
心とは多くの思いに他ならず
これら多くの一切の思いの中で、「私」なる思いこそが
その根である。そのように、それによって我々は知りうる
その根である。そのように、それによって我々は知りうる
心とは、実際、「私」なる思いでしかないと
The mind is nothing but a lot of thoughts,
Of all these many thoughts 'tis the thought 'I'
That is the root. So we can see by that
The mind in truth is only the thought 'I'.
19.
それゆえ、この「私という思い」はどこより生まれ出たのか
油断なき常に活発な心でもって
これを探求せよ、そうすれば、「私」は意気消沈する
この探求が、それ自体、知恵の追求である
Whence, therefore, does this 'I-thought' have its birth?
With vigilant and ever active mind
Seek this, and crestfallen the 'I' becomes.
The search, itself, the quest of Wisdom is.
20.
「私」が消え去るまで、この探求は遂行され
今や、ただ「私‐私」のみ響いている
追求は終わり、もはや追い求めるべきものはない
なぜなら、これがまさしく無限の自らである
This search pursued till 'I' has disappeared
There now vibrates the 'I-I' all alone,
The quest is finished, there's no more to seek.
For this is really the Infinite Self.
21.
これが永遠に「私」なる言葉の真意である
なぜなら、最も深い眠りにおいて
我々は存在しなくならない。我々はなおも存在する
我々は存在しなくならない。我々はなおも存在する
たとえここに「私」の感覚がなくとも
This is eternally the true import
Of the term 'I'. For in the deepest sleep
We do not cease to be. We still exist
Even though here there is no sense of 'I'.
22.
私は純粋な実在であるため
私は体でなく、五感や心でもなく、生命でもなく
無知でさえもない。なぜなら、これら一切のものは
無知でさえもない。なぜなら、これら一切のものは
まったく意識がなく、まるで非現実である。
As I am pure Existence, I am not
The body nor the senses, mind nor life,
Nor even ignorance, for all these things
Are quite insentient and so unreal.
23.
実在を知る他の意識は存在しない
それゆえに、必ずもなる
それゆえに、必ずもなる
実在そのものがその意識である、と
ゆえに、私自身が、他ならぬ、その意識である
As there is not a second consciousness
To know Existence, it must follow that
Existence is itself that consciousness;
So I myself am that same consciousness.
24.
実在としてのその本質において共に
創造物と創造者は、同一のもの
唯一なる本源である。属性と
知識においてのみ、相違が見出される
唯一なる本源である。属性と
知識においてのみ、相違が見出される
In their real nature as Existence both
Creatures and the Creator are the same,
The Unique Principle. In attributes
And knowledge only is a difference found.
25.
その一切の属性を排した
自らの実現のみが
まさしく神の実現である
自らとして輝き出るは、彼であるがゆえ
Realization of the Self alone,
Eliminating all its attributes;
Is God-Realization of a truth,
As it is He that shines forth as the Self.
26.
自らに二元性は存在しないため
自らであることが、自らを知ることである
これこそがタンマヤ・ニシター、すなわち
絶対的にそれである境地である
絶対的にそれである境地である
To be the Self that is to know the Self,
As there is no duality in Self,
This is Thanmaya-Nishta, or the state
Of absolutely being That in truth.
27.
かの知は、知識と無知を共々等しく
超越する、真の知である
そして、これのみが真理である。なぜなら、そこには
主体も知られうる対象も存在しない
主体も知られうる対象も存在しない
That knowledge is true knowledge which transcends
Knowledge and ignorance both equally.
And this alone is truth. For there is no
Subject or object there that can be known.
28.
人が自らの本質であるものを
ハートで実現できさえすれば、その時、人は気づくだろう
ハートで実現できさえすれば、その時、人は気づくだろう
それが始まりもなく終わりもない
無限の知恵、真理、至福であることに
無限の知恵、真理、至福であることに
If one can only realize at Heart
What one's true nature is, one then will find
That 'tis Infinite Wisdom, Truth and Bliss,
Without beginning and without an end.
29.
束縛も自由も欠く
この最上の至福の境地に留まることが
人が主への永久(とわ)の奉仕に
心奪われている境地であると見出されている
Remaining in this state of Supreme Bliss,
Devoid of bondage and of freedom too,
Is found to be a state in which one is
Rapt in perpetual service of the Lord.
30.
熱心な追求と自我の覆いを取り除くことにより
自ら、無我なる一者を実現せよ
そのように務めを果たせ-これが唯一正しき苦行(贖罪)である
そのように務めを果たせ-これが唯一正しき苦行(贖罪)である
存在する万物の自らである
バガヴァーン・シュリー・ラマナはそのように説く
By ardent quest and shedding ego's veil
Realize the Self, the One that's ego-less,
And function thus; the sole right penance this.
So teaches Bhagavan Sri Ramana,
Who is the Self of everything that is.
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