母の回復を請願する詩
1914年に、バガヴァーンの母は、ティルパティへの巡礼の帰りに、ティルヴァンナーマライで彼のもとへ少し立ち寄りました。そこにいる間に、彼女は、腸チフス性のものと思われる高熱に襲われました。彼女の生命は絶望視され、バガヴァーンは彼女の回復のために以下の詩を作りました。言うまでもなく、彼女は回復しました。2年後、彼女はやってきて、山の上のバガヴァーンのアーシュラムに永遠に居を定めました。(この前文のみ、『Collected Works of Sri Ramana Maharshi』からの引用です)
これらの詩節は、バガヴァーンの母親が重篤な病を患っていた時に作られました。当然ながら、彼女は回復しました。
1.
波の上に波が続くように見える誕生なる
一切の病を終わらせる万能の薬
おお、山として立ちあらわれた主よ
おん身の御足以外の支えを持たない
我が母を救い、彼女の熱を癒やすのは
今やおん身の務めである
A Panacea to terminate all ill
Of births which seem to follow wave on wave,
O Lord, that has uprisen as a Hill,
It is thy bounden now to save
My mother and to cure her fever-heat,
Who has no other prop except Thy Feet.
2.
死にとっての死よ!ハートの蓮華の内の
おん身の御足を彼女に明らかにせよ。おん身の蓮華の御足に
庇護を求めた若者-私を育てた彼女に
死が彼女に近づかぬよう
我々がそのもの自体を調べる時
死(の神)の主とはおん身自身以外の誰なのか
Death unto Death! reveal to her Thy Feet
In the Heart-Lotus, she who mothered me -
The lad who sheltered 'neath Thy Lotus-Feet -
So death to her gains no proximity.
When we enquire into the thing itself,
Who is the Lord of Death except Thyself?
3.
おお、アルナーチャラ、恵み深い冠
燦然と輝く知の火よ。願わくば変えよ
ジニャーナの炎でもって祝福を受けた母の体を
ジニャーナの姿に変容せよ
これが生ずるなら、なぜに死の火を点火する
必要がわずかでもあるのか
O Arunachala, the benign crest,
Effulgent Fire of Knowledge, pray transform
With flame of Jnanam Mother's body blest
And so transmute it into Jnanam's form.
To set alight death's fire why should there be,
If this occcur, the least necessity?
4.
マーヤーの迷妄を取り除く
偉大なるアルナーチャラよ。おん身はなぜに
我が母の幻を取り除くことを延ばすのか
おん身以外に誰が世界にいるのか
恐ろしいカルマの結果から
母となり、救い主として信奉者を解放する者が
Great Arunachala, who dost dispel
Maya's delusion, why dost Thou defer
Th' illusion of my mother to expel?
Other than Thee who in the world is there,
Becoming Mother, as a Saviour frees
From dire effects of Karma devotees?
運命についての詩
バガヴァーンの母がティルヴァンナーマライへやって来て、彼を自分と一緒に無理に家に帰らせようと試みた時、彼は以下の返答を彼女に書きました。
人々の運命は、全て神により定められている
彼らが成した行為に従い
決して達成されないと定められている、その目的は
誰によっても決して成し遂げられないだろう
どれほど懸命に彼らが試みようとも。いつの日か
必ず起こると定められている、それら全ての物事も
その行く手を阻み、食い止めようとして
あなたが何をなそうとも、起こることになるだろう
しかも、これは確かである。終に、我々は知ることになる
静かにいること、それが最良であると
The fates of souls are all by God ordained
According to the deeds that they have done
That end that's destined ne'er to be attained
Will never be achieved by anyone
However hard they try. All those things, too,
That it is destined must occur one day,
Will come to pass whatever you may do
To interfere and try their course to stay.
And this is certain. At length we come to see
That it is best that we should silent be.
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