読みやすいように対話形式にするため、訳を多少変えています。(文:shiba)
46年3月24日 (後略)
私はスワーミー・サンブッダーナンダの最後の質問(➡)-神への信仰を失った人々、彼らの源を見つけだすように求められるなら、「我々の両親が我々が生じる源です」と言うかもしれない人々をどう扱うか-について言及しました。
バガヴァーン:
我々の源が両親と言う人がいるなんて。
私(デーヴァラージャ・ムダリアール):
しかし、神を信じない純粋な物質主義者についてはどうですか。彼をどのように扱うべきですか。
バガヴァーン:
「私」の源を見つけだすため、徐々に、一歩一歩、彼は近づきます。はじめに不運な出来事が彼の計画を狂わせ、彼の手に負えない力があると彼に感じさせます。それから、彼は儀式、儀式的崇拝から始め、ジャパ、キールタン、ディヤーナを通り、ヴィチャーラへ進みます。
46年8月17日
今朝、数人のグジャラート州からの訪問客がここに到着しました。どうやら、15日のポンディチェリーでのダルシャンの後の帰りのようでした。彼らの中の一人がバガヴァーンに尋ねました。
質問者:
自らの実現とは何を意味しているのですか。物質主義者は、神や自らといったものは存在しないと言います。
バガヴァーン:
物質主義者や他の人たちが言うことを気にしないように。また、自らや神について思い悩まないように。あなたは存在していますか、存在していませんか。あなた自身についてのあなたの考えは何ですか。あなたは何を意図して、「私」と言いますか。
質問者:
私は「私」を体ではなく、体の内にある何かと理解しています。
バガヴァーン:
あなたは「私」が体でなく、その内にある何かであると認めています。では、どこからその「私」が体の内に生じるのか確かめなさい。それが生じ、消えるのか、常に存在するのか確かめなさい。あなたが目覚めるとすぐに現れ、体、世界、その他の全てを見て、あなたが眠る時に存在しなくなる「私」があり、別の「私」が体から離れ、体から独立して存在することをあなたは認めます。それは、例えば眠りにおけるように、あなたにとって体と世界が存在しない時に、あなたと共に独りあります。では、眠りの間とその他の状態の間で、あなたが同じ「私」でないのかあなた自身に問いなさい。二人の「私」がいますか。あなたはいつも同じ一人の人です。さて、どちらが現実になれますか。去来する「私」ですか、いつも留まる「私」ですか。その時、あなたはあなたが自らであると知ります。これが自らの実現と呼ばれています。
しかしながら、自らの実現はあなたにとって異質であり、あなたからはるか離れていて、あなたによって到達されなければならない境地ではありません。あなたはいつもその境地にいます。あなたはそれを忘れ、あなた自身を心とその創造物と同一視しています。あなた自身を心と同一視するのをやめることが、必要とされる全てです。我々は我々自身を自らでないものとたいへん長く同一視してきたため、我々自身を自らとみなすのが困難であると気づきます。そのような誤った実現を放棄することが、自らの実現が意味する全てです。どのように自らを実現(realize)、つまり、現実にする(make real)のですか。我々は非現実なもの、自らでないものを実現、つまり、現実とみなしています。そのような誤った実現を放棄することが、自らの実現です。
午後、パーラーヤナの後で、訪問客がバガヴァーンに尋ねました。
質問者:
私は私を悩ませている疑問をバガヴァーンに尋ねたいと思います。どのようにさ迷う心を制御すべきでしょうか。
バガヴァーン:(笑った後)
それはあなたに限ったことではありません。それは全ての人によっていつも尋ねられ、ギーターのような全ての本で扱われている問いです。ギーターが助言するように、心がさ迷ったり、外へ行くたびに、心をたぐり寄せ、心を自らに定める以外にどんな方法がありますか。もちろん、それを行うのは簡単ではありません。それは修練、すなわち、サーダナと共にのみ、現れます。
質問者:
心は欲するものだけを追い求め、我々がその前に置いた対象に定まろうとしません。
バガヴァーン:
全ての人が自分に幸福を与えるものだけを追い求めます。幸福が何らかの対象から来ると考え、あなたはそれを追い求めます。あなたが感覚の対象物からやって来るとみなす幸福を含め、全ての幸福が本当はどこからやって来るのか確かめなさい。あなたは全ての幸福がただ自らのみからやって来るのを理解し、その時、あなたは常に自らに留まります。
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