2013年11月3日日曜日

ナテーサ・アイヤル (アーシュラムの料理人)の思い出

◇『シュリー・ラマナ・マハルシと向かい合って(Face to Face with Sri Ramana Maharshi)』

64.
 ナテーサ・アイヤルはチダンバラムからティルヴァンナーマライへと移り、アーシュラムで料理人としての職を見つけました。アイヤルはマハルシとの滞在と仕事の記述を残しませんでしたが、デイヴィッド・ゴッドマンが彼をよく知っていた信奉者達から情報を集めました。
ナテーサ・アイヤルが世俗を放棄しようという衝動を感じた時、彼は妻と娘を残し、ティルヴァンナーマライへ行き、そこで彼はバガヴァーンに魅せられました。彼が調理場での仕事を始めた時、調理の大部分はバラモンの未亡人の一団によってなされていて、彼を大変激しく働かせました。かつて彼は、1人のやかましい女性から逃げて、結局、5人のもとで働くことになったと笑って言いました。

 ある時、彼が調理場での扱いに疲れた時、彼は誰にも告げずアーシュラムを離れようと決心しました。彼の家に帰る途中で、彼はティルヴァンナーマライから40マイル離れたヴィリュップラムに到着しました。沐浴した後、そこで彼はヴィブーティを額につけ、目を閉じました。そして、彼がバガヴァーンへお祈りをしていた時、彼はバガヴァーン自身が彼の前に立っているのを感じました。「どうやってここに来たのですか」とアイヤルは驚いて尋ねました。バガヴァーンは微笑み、「私から離れてずいぶんと遠くに行ったものですね」と答えました。アイヤルは泣き崩れ、返答できませんでした。

 バガヴァーンの姿はティルヴァンナーマライに向かって歩き始め、アイヤルはためらいなく彼に従いました。その姿はついには消えましたが、アイヤルはバガヴァーンが彼の前にいつもいると感じました。そして、彼はアーシュラムに到着しました。彼が講堂に入り、平伏した時、バガヴァーンは、「私から離れてずいぶんと遠くに来たものですね」と言葉を繰り返しました。アイヤルは崩れ落ち、泣きました。彼は調理場へ戻り、仕事を再び始めました。

 この出来事はアイヤルの中に委ねの過程を起こし、終には、「バガヴァーンは、みながあちこちアーシュラムを動いているのを見る体ではない」という理解に到りました。彼はかつて言いました。「バガヴァーンは我々の心によってはかることのできる何かや、何者かではありません。我々は我々の無知を認め、彼について本当のことを何も言うことができないということを認めなければななりません。私は何もバガヴァーンについて言えません。なぜなら、本当のバガヴァーンは言葉で説明できないからです。それはあなた自身で味わうことによってのみ知ることができる甘美な味なのです」。

 彼がバガヴァーンの付添人であった時にバガヴァーンに行われた手術についての彼の体験を語ることが、彼は大好きでした。彼の言葉によれば-手術の間中のバガヴァーンの振る舞いは、体が単に彼が身につけている何かに過ぎないということをとても明確に示しました。肉が切開され、血が流れ、私は癌性増殖の周りの肉に差し込まれていたラジウム針を見ることができました。バガヴァーンは意識がはっきりしていましたが、彼の腕に行われていた手順に全く無関心でした。我々はみな、バガヴァーンの静寂の力に吸収されました。医者達さえも、それに吸い込まれました。手術が完了した時、医者達は自然にバガヴァーンに平伏しました。彼らの1人は、「私は多くの人々を手術しましたが、このような経験をしたことはありませんでした。部屋には、私が他のどこでも感じたことのない安らぎがありました。それが今まで私が経験した何ものとも異なっていたと言う以外は、それがどのようであったのか言い表せません」と言いました。

バガヴァーンの弟の孫であるV.ガネーシャンの記録

 バガヴァーンが亡くなった数年後、私がアーシュラムの門に近づいた時、ナテーサ・アイヤルがアーシュラム近くの寺院の踏み段に座っているのを見て驚きました。聞いてみると、彼は言いました。「アーシュラムの運営が私に去るように求めました。私は他に行くべき場所がありません。ここは私のサッドグルのアーシュラムです。私はここで座ることに決めました。なぜなら、ここが私がアーシュラムに最も近づける場所だからです」。彼がそのように扱われたことに閉口し、私はアーシュラムの会長である父のもとへまっすぐに行きました。しかし、父は彼を連れ戻すことを拒否しました。

 私は大変に心かき乱され、ムルガナールに会いに行きました。彼はアーシュラムの外の小さな小屋に住んでいました。目に涙をため、私は彼に起こったことを話しました。ムルガナールは私にいたずらっぽく微笑み、尋ねました。「どうしてあなたはこのことを私に話しているのですか。あなたは直接、バガヴァーンのもとへ行き、問題について彼に話せたのに。あなたが彼のサマーディへ行くなら、彼はあなたの言葉に耳を傾けないでしょうか」。私は神殿へ行き、あらん限りの大声で叫びました。「バガヴァーン!不正がナテーサ・アイヤルに行われています!私の心は痛みます!彼を仕事に戻らせて下さい」。幸運にも、私の奇妙な感情の迸(ほとばし)りを目撃する人は誰もいませんでした。バガヴァーンが問題に対処して下さるだろうと自信を持ち、私は平伏し、ギリ・プラダクシナへ出かけました。

 次の日の朝、私がアーシュラムへ行った時、私はアイヤルが調理場の彼のいつもの場所で働いているのを目にしました。尋ねられると、彼は私に、「昨夜、会長があるいて家に戻る時、彼は寺院の前で止まり、私にアーシュラムへ戻って来て、元の仕事を再び始めるよう頼みました」と言いました。

アイヤルの死去に関する、ブパティ・ナーラヤナ・ラジュによる「アルナーチャラ・ラマナ」の1983年9月号の記述

 ナテーサ・アイヤルは前もって自分が死去することを知っていました。彼は意気揚々と私に言いました。「ラジュ、バガヴァーンが私を呼んでいます。私は10日後に行くでしょう」。私が彼に次に会った時、彼は依然として元気でした。「ラジュ、もう5日だけです。私は5日後に行くでしょう」。彼の肉体の状態は衰えていきましたが、彼は依然として力に満ちていました。人々の中には、「彼は頭がおかしくなっている」と言う人もいました。私は何か奇妙なことが起こりつつあると知っていました。彼はとても弱り、流動食さえとることができませんでした。10日目に彼は意識を失いました。しかし、突然、彼の顔がとても晴れやかになりました。活発な口調で彼は尋ねました。「バガヴァーンは来ましたか。今、行きます」。それが彼の口から出た最後の言葉でした。

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