2013年11月17日日曜日

R.ラファエル・ハースト氏(ポール・ブラントン)の最初の訪問 - 悟りの探求

◇『大いなる愛と恩寵(Surpassing Love and Grace)』、p14~18

14. 初期の時代から 


 この文章は、スワーミー・オームカーラの1931年9月付の月刊誌「PEACE」から抜粋されたものです。それはポール・ブラントンのシュリー・ラマナーシュラマムの最初の訪問を描いています。彼の著書、『A Search in Secret India』は、初期のころにシュリー・バガヴァーンを広く知らしめるために、他の何よりも役立ちました。ポール・ブラントンが初めてインドに来た時、彼はR.ラファエル・ハーストという名前を使っていました。ポール・ブラントンは彼のペンネームであり、後に彼はそれを永久に採用しました。その名前で記した本によって、彼が大いに知られるようになったからです。

 興味深いことに、一人の外国人記者のアーシュラムへの訪問という出来事が、遠い昔には新聞に書かれるべき重要なことだったのです!

 それは午後4時半のことで、弟子たちは講堂でマハルシの前に座り、ハースト氏と仏教の比丘がアーシュラムを訪問しようとしているという趣旨の新聞に出た告示について話していました。時計は五時を打ち、砂糖菓子を一皿分携えたヨーロッパ人の服装をした男性が、仏教の比丘に伴われて講堂に入って来ました。訪問者らは砂糖菓子をマハルシに差し上げ、ヨーロッパ風にお辞儀した後、共に彼の前の床に座りました。彼らが弟子たちが話していた訪問者たちでした。英国の服装の男性はR.ラファエル・ハースト、当時インドを訪問していたロンドンの記者でした。彼は東洋の宗教的な教えに熱烈な興味を持っていて、その知的研究と理解により、東洋と西洋の間の協調の運動が大いに促進されるだろうと考えました。彼は多くの他のアーシュラムを訪れた後、シュリー・ラマナーシュラマムに来ました。彼と共に来た比丘もまた、生まれはイギリス人でした。彼は依然は陸軍将校でしたが、今はスワーミー・プラジニャーナンダとして知られています。彼はヤンゴンの英国人のアーシュラムの創設者です。訪問者たちは共に魔法にかけられたかのようにマハルシの前で座りました。水を打ったような静寂がありました。

 訪問者たちを連れてきた人が、彼らが何か質問をしたいかどうか尋ねることによって、静寂は破られました。しかしながら、彼らはそのようにする気分でなく、そうして一時間半がたちました。それから、ハースト氏は彼の訪問の目的を述べました。強烈な熱意がこもった声で、彼は靈的な悟りのためにインドへ来たのだと言いました。彼は「私自身だけでなく、西洋の多くの他の人々も東洋からの光を熱望しています」と付け加えました。マハルシは完全に内に引きこまれて座り、まるで注意を払いませんでした。そこに座っていた人々の中の一人が、彼らに比較宗教学の研究のために東洋に来たのかどうか尋ねました。比丘は答えました。「いいえ。我々はそれをヨーロッパでよりよく学べるでしょう。我々は真理を見つけたいのです。我々は光が欲しいのです。我々は真理を知ることができますか。悟りを得ることは可能ですか」。マハルシはいまだ沈黙し、内に引き込まれたままでした。訪問者たちが散歩を望んだので、会話は終わり、みな散りました。

 次の日の朝、訪問者たちは講堂に入り、大変な熱意を持ってマハルシにいくつか質問をしました。以下に再現された会話は、会話が進行している間にとられた大雑把な覚え書きからです。

比丘:
 我々は悟りを求め、至る所を旅しました。どうすれば我々はそれを得られますか。

マハルシ:
 深い探求と継続的な瞑想を通じて。

ハースト:
 西洋では多くの人々が瞑想しますが、進歩の兆候を示しません。

マハルシ:
 あなたはどのようにして彼らが進歩していないと知るのですか。靈的な進歩は簡単には見分けられません。

ハースト:
 数年前、私は至福を垣間見たのですが、次の数年の内にそれは再び失われました。それから、昨年、私は再びそれを得ました。それはなぜですか。

マハルシ:
 あなたの瞑想が自然(サハジャ)になっていなかったために、あなたはそれを失いました。あなたが習慣的に内向きになる時、靈的な至福の楽しみは普通の体験になります。

ハースト:
 それはグルがいないためではないでしょうか。

マハルシ:
 ええ。しかし、グルは内にいます。内にいるそのグルは、あなたの自らと同じです。

ハースト:
 何が神の実現への道ですか。

マハルシ:
 ヴィチャーラ、あなた自身に「私は誰か」と尋ねること、あなたの自らという本質への探求。

比丘:
 世界は堕落した状態にあります。どんどん悪くなってきています。靈的に、道徳的に 、知的に、そして、あらゆる方面において。靈的な師は、混沌から世界を救うために現れるのでしょうか。

マハルシ:
 必然的に。善が衰退し、悪がはびこるとき、は善を元通りにするために現れます。世界はあまりにも善かったり、あまりにも悪かったりしません。それは善と悪が混在したものです。混ざりけのない幸福と不幸は、世界の中に見つかりません。世界はいつも神を必要としていて、神はいつも訪れます。

比丘:
 彼は東洋に生まれるでしょうか。それとも、西洋でしょうか。

 マハルシはその質問に笑いましたが、それに返答しませんでした。

ハースト:
 マハルシはアヴァターラがすでに肉体の内に存在しているかどうか知っていますか。

マハルシ:
 彼は知っているかもしれません。

ハースト:
 神性を達成するための最良の道は何ですか。

マハルシ:
 自らの探求が、自らの実現に通じます。

ハースト:
 靈的進歩のためにグルは必要ですか。

マハルシ:
 ええ。

ハースト:
 弟子が道を先に進むのをグルが手助けすることは可能ですか。

マハルシ:
 ええ。

ハースト:
 何が弟子の立場(期間)の条件ですか。

マハルシ:
 自らの実現への強い望み、熱意、心の純粋さ。

ハースト:
 グルは弟子の世俗的な事柄も管理したいと思いますか。

マハルシ:
 ええ、全てのことを。

ハースト:
 彼は弟子が必要とする靈的な閃きを与えられますか。

マハルシ:
 彼は弟子に弟子が必要とする全てを与えることができます。このことは体験から理解できます。

ハースト:
 グルと身体的に接触していることは必要ですか。もしそうなら、どれぐらいの期間ですか。

マハルシ:
 それは弟子の成熟性しだいです。火薬は一瞬で着火しますが、石炭に火をつけるには時間がかかります。

ハースト:
 務めについて生活しながら、(聖)靈の道に従い成長することは可能ですか。

マハルシ:
 務めと知恵の間に対立はありません。逆に、私心のない務めは自らの知への道を開きます。

ハースト:
 人が務めに従事しているなら、彼には瞑想のための時間がほとんど残されていません。

マハルシ:
 瞑想のために特別の時間を割く必要があるのは、靈的な道の初心者だけです。より進んだ人は、務めに従事していても、していなくても、常に至福を楽しみます。彼の手は社会にあっても、彼は頭を独り冷静に保てます。

比丘:
 メヘル・バーバー(*1)について聞いたことはありますか。

マハルシ:
 ええ。

比丘:
 数年以内に(自分は)アヴァターラ(*2)になるだろうと彼は言っています。

マハルシ 
 全ての人が神のアヴァターラです。「天の王国はあなたがたの内にあります」(*3)。イエス、ムハンマド、ブッダ、クリシュナ、皆があなたの内にいます。真理を知るものは、他の誰をも神の顕現として見ます。

比丘:
 マハルシはメヘル・バーバーについて意見があるでしょうか。

マハルシ:
 どんな意見ですか。それ(外的なアヴァターラの存在)は、真理の探求者が考慮する必要のない問題です。

比丘:
 世界は活力を取り戻すでしょうか。

マハルシ:
 世界を統治している一者(*4)がいて、その面倒を見るのはの仕事です。世界を創造したが、それをどのように導くか知っています。

比丘:
 今、世界は進歩していますか。

マハルシ:
 我々が進歩すれば、世界も進歩します。あなたがあるがごとく、世界もあります。自らを理解せずに、世界を理解することが何の役に立ちますか。自らの知がなければ、世界の知識は役に立ちません。内に潜り、そこに隠されている財宝を見出しなさい。ハートを開き、あなたの真の自らという目通じ、世界を見なさい。覆いを破りさり、あなた自身の自らという神の荘厳を見なさい。

(*1)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC
(*2)アヴァターラ・・・文字どうりの意味は「降下」。神聖な存在が、この世に現れること。「化身」。
(*3)「天の王国(the Kingdom of Heaven)」という言葉は使われていませんが、ルカによる福音書、17章20・21に以下のように記されています-神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちでくるものではない。また、『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。「天の王国」は、マタイによる福音書によく出てくる言葉のようです。
(*4)一者・・・英語のthe Oneの訳。「絶対者、神」

3 件のコメント:

  1. 初めまして。この「大いなる愛と恩寵」とは本ですか?ラフェル・ハーストと言う彼の本名の記載が書かれたプログを初めて拝見しました。「秘められたインド」と少し内容が違います。それで面白いと感じました。

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  2.  こんにちは。『大いなる愛と恩寵』は、ラマナ-シュラマムから2001年に出版された本です。内容は、信奉者によるバガヴァーンについての回想録やその教えの考察を集めたもので、「Mountain Path」と「The Call Divine」という機関誌からとられているようです。

     「PEACE」という月刊誌は、アーンドラ・プラデーシュ州のスワーミー・オームカーラのシャーンティ・アーシュラマから出版されたもので、「Mountain Path」の1966年4月号に再掲されたようです。

     『秘められたインド』では、ブラントンさんしか質問していないようなのに、この文章ではスブラマンヤさんも質問していたようですね。記録者によって、内容に違いがでるのは確かに興味深いですね。

     

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    1. どうも有難うございました。ポール・ブラントンは1981年に亡くなりましたが、1万7千ページのノートを残しました。そのメインアイデアが16巻のポール・ブラントンのノートブックとして出版されました。アマゾンジャパンでも入手可能です。私もthe tuneyoshiのidでレビューを書かせていただきました。よろしければご覧になってください。

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