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2015年4月26日日曜日

『A Search in Secret India』 第9章 ⑦出会いのごとき別れ

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

 私は彼のもとを離れ、密林の中の静かな場所へと遠ざかり、そこで覚え書きと書籍に囲まれて、その日の大半を過ごした。夕闇が迫るころ、私は講堂へ戻った。1、2時間の内に、ポニーの四輪車か雄牛の二輪車が到着し、隠遁所から私を運び去る。

 燃えているお香が空気に香りをつける。私が入ると、揺れているプンカーの下でマハルシは半ばもたれかかっていたが、すぐに上半身を起こし、彼のお気に入りの姿勢をとった。彼は足を交差させて座り、右足は左太ももの上に置かれ、左足は右太ももの下に単に収められていた。マドラス近郊に住むヨーギ、ブラマによって、よく似た姿勢を見せられたことを私は思い出した。彼はそれを「安楽座」と呼んだ。実際、それは半跏趺坐であり、なかなかにやりやすい。マハルシは、習慣通り、右手であごをつかみ、肘をひざの上に置いた。次に、彼は私を注意深くじっと見つめたが、全く沈黙したままだった。彼のそばの床上に、彼のひょうたんの殻でできた水差しと彼の竹の杖を私は目にとめた。一片の腰布を除き、それらは彼の唯一の浮世の所有物だった。我々西洋の貪欲の精神への何という無言の論評なのか!

 彼の両目は常に輝いているが、着実によりうつろになり、定まった。彼の体は硬直した姿勢になった。彼の頭はわずかに震え、その後、静止した。さらに数分後、私がはじめて彼に会った時に彼がいた忘我のような状態に彼が再び入ったことがはっきり見て取れた。何と奇妙にも、我々の別れは我々の出会いを繰り返すのだろうか!誰かが顔を私の顔に近づけ、「マハルシは聖なる忘我の状態へ入りました。今や話しても無駄です」と耳元でささやいた。

 静けさが小集団に訪れる。一分一分がゆっくりと過ぎるが、静寂はただ深まるばかりだ。私は宗教的ではないが、私の心をつかみ始めた増しゆく畏敬の感情に私が抗えないのは、蜂が香り高く咲く花に抗えないのと同じだ。つかみどころがなく、名状しがたい微細なが、講堂に充満していき、私に深く影響を及ぼす。疑いなく躊躇なく、私が感じるのは、この謎めいた力の中心がマハルシ自身に他ならないということだ。

 彼の両目が驚くべき光沢をもって輝く。奇妙な感覚が私の中に生じる。その光沢のある眼球は、私の魂の最も奥まった所をのぞき込んでいるように思える。一風変わった方法で、彼が私の心の中で見ることができる一切のものに気づいていると私は感じる。彼の謎めいた一瞥が私の思い、私の感情、私の欲求を見通す。その前に、私はなす術もない。はじめ、この当惑させる眼差しは私を悩ませた。私は漠然と不安になった。私が忘れていた過去に属する記録を彼が見てとったのだと私は感じた。彼はそれを全部知った、確かに私はそう思った。私には逃れる力がない。どういうわけか、逃れたいとも思わない。何らかの好奇心をそそる未来の暗示が、その無慈悲な眼差しに耐えるよう私に強いた。

 そうして彼は私の弱々しい魂をしばらく捕らえつづけ、私の雑多な過去を見てとり、私をあれやこれやの道にいざなった入り混じった感情を感じた。しかし、彼がまた、どのような心に破壊的な探求が私を駆り立て、一般的な道から離れさせ、彼のような人々を探し出させたのかも理解したと私は感じた。

 我々の間をたゆたうテレパシー的な流れの中に、はっきりと分かる変化が訪れた。その間、私の目は頻繁にまばたきしたが、彼の目はわずかの揺らぎもないままだった。彼が私自身の心を彼の心に確かに繋ぎつつあることに、彼が私の心を刺激して彼が永続的に享受しているように思える星々のごとくきらめく平穏の境地へ入らせようとしていることに私は気づいた。この並外れた安らぎの中で、私は高揚感と軽快感を見出した。時は静止しているように思えた。私の心は心配の重荷から解き放たれた。怒りの苦渋や満たされない欲求の憂鬱が私を悩ませることは二度とないだろうと私は感じた。種に生まれついてある深い本能、人に元気を出すよう命じ、希望を抱くように彼を励まし、人生に影が差した時に彼を支えるそれは、真の本能であると私は深く悟った。なぜなら、存在の本質は善であったからだ。この美しい高まった沈黙の中で、時計が動きを止め、過去の悲しみや誤ちが取るに足りないもののように思えた時、私の心はマハルシの心の中に沈み込みつつあり、知恵は今やその近日点にあった。この人の眼差しは、私の卑俗な目の前に予期せぬ輝きをもつ隠された世界を呼び出す魔術師の杖以外の何であるのか。

 この弟子たちが、わずかの会話とよりわずかの快適なもので、彼らを引きつける外的な活動もなしに何年も賢者のまわりに留まっているのはなぜなのか、私は時々自問していた。今や私は理解し始めていた-思考によってでなく、稲妻のような啓示によって-その年月の間中ずっと、彼らが奥深い静かな報酬を受け取っていたことを。

 今まで講堂の全ての人は沈黙し、死のような静寂に入っていた。ようやく誰かが静かに立ちあがり、出て行った。彼の後に別の人、さらに別の人と続き、終には全員いなくなった。

 私はマハルシと二人っきりだ!以前に一度もこんなことは起こらなかった。彼の目が変化し始める。両目が針の先まで狭まる。その現象は、カメラのレンズの焦点を「絞ること」に奇妙に似ている。今やほとんど閉じられた、まぶたの間で輝く強烈なきらめきにすさまじい高まりが訪れた。突如、私の体は消えたように見え、我々二人は空間の外にいた!

 それは決定的な瞬間だった。私は躊躇したが-この魔法使いの呪文を破ろうと決意した。その決意は力をもたらし、今一度、私は肉体の中に、講堂の中に戻った。

 一言も彼から私に伝えられなかった。私は気持ちを落ち着け、時計のほうを見て、静かに立ち上がった。別れの時間が訪れた。

 私はお辞儀して、別れの挨拶をした。賢者はその行為に気づいたことを無言で知らせた。私は感謝の言葉を二言三言述べた。再び、彼は無言でうなずいた。

 私は入り口で名残惜しげに居残っていた。外で、鈴がチリンチリンと鳴るのを私は聞いた。雄牛の二輪車が到着したのだ。今一度、私は手のひらを合わせ、両手を掲げた。

 そして、我々は分かれた。

2015年4月22日水曜日

『A Search in Secret India』 第9章 ⑥マハルシとの対話-(2)

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

 その後の数日間、私はマハルシとより親密に接触しようと努めたが、失敗した。この失敗には、三つ理由が存在した。一つ目の理由は、彼自身の控え目な性質、彼が論争や討論を明らかに好まないこと、人の信条や意見への感情を表わさない彼の無関心から自然と生じた。全く明らかとなったことは、賢者が、彼自身の意見が何であっても、それに誰をも転向させることをまるで望まず、ただの一人でも彼の追随者に加えようとする気がまるでないことだ。

 二つ目の理由は、確かにおかしなものだったが、それでもなお、それは存在した。あの奇妙な夢の夕べ以来、彼の面前に行く時はいつでも、私は大変な畏敬の念を感じた。そのように感じなければ私の口からとうとうと出たであろう質問は沈黙させられた。なぜなら、一般的な人類に関する限り、人が同列に対話したり、議論したりできる人として彼をみなすことは、ほとんど冒涜のように思えたからだ。

 私の失敗の三つ目の理由は、いかにも単純なものだ。ほとんどいつも、講堂には他に数人の人がいた。それで、私の個人的な思いを彼らの前で持ち出す気持ちにならなかった。つまるところ、彼らにとって私は見知らぬ人、この地方にいる外国人である。私が彼らの内の何人かに向けて異なる言語を発することはほとんど重要でないことだったが、私が宗教的感情によってかき乱されない皮肉っぽく懐疑的な見解を抱いていることは、私がその見解を述べようとする時、大いに重要なことだった。私には彼らの信心深い敏感な感情を傷つけようとする気はまるでなかったが、また、私にとってほとんど魅力的でない観点から問題を議論しようとする気もまるでなかった。それで、ある程度、このことは私を口ごもらせた。

 三つの障壁すべてを越える平坦な道を見出すことは、簡単ではなかった。数回、私はまさにマハルシに質問しかけたが、三つの要因の内の一つが邪魔に入り、私の失敗を引き起こした。

 予定された週末は早々と過ぎ、私はそれを1週間に延長した。私がその名にふさわしいマハルシと交わした最初の会話は、同様に、最後の会話となった。一つか二つのまったく通り一遍のありきたりの会話の断片を超えて、私はその人と正面からぶつかれないでいた。

 1週間が過ぎ、私はそれを2週間に延長した。日ごと、賢者の心の佇まいの素晴らしい安らぎ、彼の周りの空気そのものに行き渡る静穏を私は感じた。

 私の訪問の最終日がやって来たが、私は彼とまるでより親密になっていなかった。私の滞在は、崇高な気分とマハルシとの価値ある個人的接触を達成し損なうことでの気落ちとが、じれったく入り混じっていた。私は講堂を見まわし、少し意気消沈した。この人たちの大部分は、内輪でも表でも異なる言語を話している。どうすれば彼らに近づけるというのか。私は賢者自身を見た。彼はそこでオリンポス山の頂上に座り、人生の移り変わる光景を離れたところからじっと見ている。この人の中には、私が出会った他の一切の人と彼を区別する謎めいた特性がある。どことなく私は、彼は我々人類に属していないどころか、自然にも属しておらず、隠遁所の背後に唐突にそびえ立つ孤峯に、遠くの森にまで広がる密林の荒れ地に、全空間を満たす計り知れない虚空に属している、と感じた。

 孤独なアルナーチャラの石のように冷徹で不動の性質が、いくらかマハルシの中へ入ったようだった。彼が30年間山で生活し、たった一度の短い旅のためでさえ、山から離れることを拒んでいることを私は知った。そのような親密な付き合いは、必然的に人の性格にその影響を及ぼすはずだ。彼がこの山を愛していることを私は知った。というのも、賢者がこの愛を表すために記した、魅力的ではあるが哀れを誘う詩の数詩節を誰かが翻訳したからだ。この孤山が密林のへりからそびえ立ち、そのずんぐりした頭を空に真っ直ぐ立てているのとまさしく同様に、この奇妙な人は、人類一般という密林の中から孤独に気高く、いやむしろ、唯一人だけ、彼自身の頭を掲げている。アルナーチャラ、神聖なかがり火の山が、全景を取り巻く山々の不規則な連なりから離れ、遠ざかって立つのとまさしく同様に、彼自身の信奉者たち、彼を愛し、彼のそばで何年も過ごしている人々に取り囲まれている時でさえ、マハルシは謎めいて超然としたままだ。万物の非人格的で、計り知れない性質-殊更、この神聖な山において例証される(性質)-が、どういうわけか彼の中へ入った。それは彼のか弱い仲間たちから彼を隔絶した-おそらくは永遠に。彼がもう少し人間的であれば、ちょうど彼の非人格的な面前に示された弱々しい失敗のように、我々にとってまったく普通に思えるものにもう少し敏感であれば、と気がつけば願っていることもあった。そうかといって、彼が並々ならぬ何らかの崇高な悟りを本当に得ているなら、人間を超えることなく、彼の鈍重な種族を永遠に置き去りにすることなく、そうすることをどうして彼に期待できるのか。彼の奇妙な一瞥のもと、何らかの途轍もない啓示がすぐにでも私になされるかのように、私が奇妙な期待した状態を必ずも体験するのはなぜなのか。

 けれども、はっきりとした静穏の雰囲気と記憶の空にきらめく夢よりほかは、言葉やその他による啓示は私に伝えられていない。時間の切迫によって、私はいくぶん必死になっていた。ほぼ2週間が過ぎたが、重要な意味を持つ会話が一つだけだ!賢者の声の愛想のなさでさえ、暗に、私を遠ざけることに一役かっていた。この普通でない接見もまた、思いも寄らないものだった。というのも、黄色いローブをまとった聖職者が私に浴びせた、ここへ来るようにとの情熱的な勧誘を私は忘れていなかったからだ。じれったいことは、私が他の全ての人々よりも賢者に、私のために口を開くことを望んだことだ。なぜなら、ある一つの思いが、どういうわけか私の心を手中に収めていたからだ。私はそれをどのような推論の過程によっても得たわけではない。それは求められずとも、全く自ずからやって来た。

 「この人は一切の問題から脱しているので、どのような災難も彼を害することはできない。」

 この支配的な思いの趣旨は、そういったものだった。

 私は強引に質問を言葉に表そうとする新たな試みをしようと、マハルシを質問への応答に引っ張り込もうと決意した。私は彼の古くからの弟子の一人にもとへ赴いた。彼は隣接する小屋で何か仕事を行っていて、私にとりわけ親切にしてくれていたので、彼の師と最後に話をしたいという私の望みについて彼に熱心に伝えた。私が気後れを感じ、賢者と自ら論じ合うことができないことを打ち明けた。その弟子は、同情するように微笑んだ。彼は私を残して去り、彼の師が喜んで対談に応じるという知らせと共にすぐ戻って来た。

 私は急いで講堂に戻り、都合がいいように寝台のそばに腰を下ろした。マハルシはすぐさま顔を向け、彼の口元は緩み、愛想よく挨拶した。すぐに、私は気持ちが和らぎ、彼に質問し始めた。

 「ヨーギたちは、真理を見出すことを望むのなら、この世を放棄し、人里離れた密林や山々へ入らねばならないと言います。そのようなことは、西洋において、ほとんど行えません。我々の生活は、非常に異なります。あなたはヨーギたちの意見に賛成でしょうか。」

 マハルシは、上品な顔つきのバラモンの弟子のほうを向いた。弟子は、彼の答えを私に翻訳した。

 「活動的な人生を放棄する必要はありません。あなたが1時間か2時間、毎日瞑想するというのなら、その後、あなたの務めを続けられます。あなたが正しい方法で瞑想するなら、務めの最中でさえ、引き起こされた心の流れは流れ続けるでしょう。それは同じ考えを表わすのに、二つの方法が存在するようなものです。あなたが瞑想の中でとるのと同じ態度が、あなたの活動の中で表されるでしょう。」

 「それを行うことの結果はどうなるでしょうか。」

 「あなたが進む(続ける)につれ、人々や出来事や対象に対するあなたの態度が徐々に変化することにあなたは気づくでしょう。あなたの行為は、自ずからあなたの瞑想に倣う傾向になるでしょう。」

 「では、あなたはヨーギたちに賛成しないのですね」。私は彼に態度を明確にさせようとした。

 しかし、マハルシは直接的な回答を避けた。

 「人はこの世に彼を縛りつける個人的な利己性を放棄すべきです。偽りの自分を捨て去ることが、真の放棄です。」

 「世俗的に活発な生活を送りながら、無私無欲になることが、どうして可能でしょうか。」

 「務めと知恵の間には、何の衝突もありません。」

 「つまり、例えば、職業において、人はいつもの全ての活動を続けることができ、同時に、悟りを得ることができるということですか。」

 「もちろんです。しかし、その場合、務めを行っているのが、いつもの人格であると人は考えません。なぜなら、その人の意識は徐々に移され、終には、小さな自分を超えてあるそれの中心に置かれるからです。」

 「人が務めに従事するなら、彼には瞑想する時間がほとんど残されていないでしょう。」

 マハルシは、私の難題に全く動じないように見えた。

 「瞑想のために別に時間を設けることは、靈性の初心者のためだけでしかありません」と彼は答えた。「働いていても、働いていなくても、進歩しつつある人は、より深い至福を享受しはじめるでしょう。彼の両手は社会にありますが、彼は独り頭を冷静に保ちます。」

 「では、あなたはヨーガの道を教えないのですか」。

 「牛飼いが雄牛を棒で駆り立てるように、ヨーギは彼の心を目標へと駆り立てようとしますが、この道において、探求者はひとつかみの草を差し出すことで、雄牛をなだめ導きます!」

 「どのようにそれをするのでしょうか。」

 「あなたは、『私は誰か』という問いをあなた自身に尋ねなければなりません。この探求は、心の背後にある、あなたの内の何かの発見へ最後には通じるでしょう。この大問題を解決しなさい。そうすれば、それによって、あなたは他の一切の問題を解決するでしょう。」

 会話が途切れた。私が彼の答えを消化しようと試みたからだ。インドの大変多くの建物において窓の役割を果たす、鉄格子で閉じられた四角い枠組みの壁の穴から、私は神聖な山の低斜面の素晴らしい眺めを得た。その奇妙な輪郭は、早朝の太陽の光の中に浸っていた。

 再び、マハルシは私に語りかけた。

 「このように表現するなら、もっとはっきりするでしょうか。全ての人間は、悲しみに染まることなく、幸福を常に欲しています。彼らは終わりを迎えない幸福をつかみたいのです。その本能は、真のものです。しかし、あなたは今までに、彼らが彼ら自身をもっとも愛しているということに衝撃を受けたことはありませんか。」

 「というと」

 「では、それを、人間があれやこれやの手段を通じて、飲み物(お酒)を通じて、または、宗教を通じて、幸福を得ることを常に望んでいるということに結び付けなさい。そうすれば、あなたは人の本質への糸口を与えられています。」

 「私には分かりかね-」

 彼の声の調子は、さらに高くなった。

 「人の本質こそが幸福なのです。幸福は、真の自らの内に生まれついてあります。彼の幸福の探求とは、真の自らの無意識の探求です。真の自らは、不滅です。そのため、人がそれを見出す時、彼は終わりを迎えることのない幸福を見出します。」

 「しかし、世界はとても不幸ではありませんか。」

 「ええ。しかし、それは、世界がその真の自らに無知なためです。全ての人が、例外なく、意識的、もしくは、無意識的にそれを探し求めています。」

 「悪人、残忍な人、犯罪者でさえもですか」と私は尋ねた。

 「彼らでさえ、彼らが犯す、あらゆる罪の中に、自身の幸福を見出そうとしているために罪を犯します。この奮闘は人に本能的なものですが、彼らが実際は彼らの真の自らを探し求めていることを知らないがために、幸福への手段として、まずはそれらの邪悪な方法を試みます。もちろん、それらは誤った方法です。行いは己に跳ね返って来るからです。」

 「では、我々がこの真の自らを知る時、我々は永続する幸福を感じるのでしょうか。」

 もう一方(マハルシ)は、首を縦に振った。

 太陽の一筋の斜光が、ガラスのはまっていない窓を通じ、マハルシの顔に降り注いだ。その整った眉には静穏があり、その引き締まった口まわりには満足があり、その光輝く両目には聖堂のごとき安らぎがある。彼のしわのない顔つきは、彼の啓示の言葉に反していない。

 これらの一見すれば単純な文で、マハルシは何を言わんとしているのか。翻訳者はそれらの表面的な意味を英語で私に伝えた。なるほどそうではあるが、彼が伝えることができない、より深い意味が存在する。私がそれを自分自身で発見しなければならないことを私は分かっている。賢者は、哲学者としてでなく、自身の教説を説明せんとするパンディットとしてでなく、むしろ彼自身の心の奥底から語っているように思える。これらの言葉は彼自身の幸運な体験の表れなのか。

 「あなたが話す、この自らとは厳密には何なのでしょうか。あなたがおっしゃることが真実であるなら、人の中にはもう一人の自分がいるはずです。」

 一瞬、彼の唇は湾曲し、微笑んだ。

 「人が二つの人格、二人の自分を所有できますか」と彼は答えた。「この問題を理解するためには、人が彼自身を分析することが、まずは必要です。他の人が考えるように考えることが彼の長年の癖になっているため、彼は真の方法で彼の『私』に一度も向き合っていません。彼は彼自身を正しく捉えていません。彼はあまりに長く、彼自身を体や脳と同一視してきました。ですから、私はあなたに、この探求、『私は誰か』を追求するように言うのです。」

 彼は間を置き、これらの言葉を私に染み込ませた。私は彼の次の文に熱心に耳を傾けた。

 「あなたは、この真の自らをあなたに説明するように私に頼みます。何が言えますか。その中から個人の『私』という感覚が生じ、その中へと『私』が姿を消さなければならない、それです。」

 「姿を消すですって?」と私はおうむ返しに言った。「どうして人が人格の感覚を失うことができるのですか。」

 「全ての思いの中の一番最初の思い、全ての人の心の中の原始の思いは、『私』なる思いです。この思いの誕生の後はじめて、どのような他の思いも生じることができます。第一人称の『私』が心に生じた後はじめて、第二人称の『あなた』が姿を現すことができます。あなたがその『私』という糸を心の中でたどることができ、終には、それがその源まであなたを導くなら、それが最初に現れる思いであるのとまさしく同様に、最後に姿を消す思いでもあることをあなたは発見するでしょう。これは体験しうる事柄です。」

 「あなたが言わんとするのは、自分自身へのそのような心の探求を行うことが全く可能であるということでしょうか。」

 「もちろんです!内に進み、終には、最後の思いである『私』が徐々に消え去ることは可能です。」

 「何が残るのでしょうか」と私は尋ねた。「人は、その時、全く無意識になるのでしょうか、それとも、馬鹿者になるのでしょうか。」

 「そうではありません!それどころか、彼が人の本質である真の自らに目覚めた時、彼はかの不死なる意識を得、彼は真に賢明になるのです。」

 「しかし、『私』の感覚は、きっと、それにもまた付属するはずではありませんか」と私は食い下がった。

 「『私』の感覚は、人に、体と脳に付属します」とマハルシは穏やかに答えた。「人がはじめて真の自らを知る時、何か他のものが彼の存在の奥底から生じ、彼を手中に収めます。かの他のものは、心の背後にいます。それは無限で、神聖で、永遠です。ある人々はそれを天の王国と呼び、他の人々はそれを魂と呼び、さらに他の人々はそれをニルヴァーナと名づけ、我々ヒンドゥー教徒はそれを解放と呼びます。あなたが好むどんな名前をそれに与えてもかまいません。これが起こる時、人は、実際、彼自身を失っていません。むしろ、彼は彼自身を見出したのです。」

 最後の言葉が通訳者の口から出ると、ガラリヤのさすらいの教師によって発された印象的なあの言葉、大変多くの善人を困惑させた言葉が、私の脳裏を横切った。「己が命を救わんとする者は誰であれ、それを失い、己が命を失う者は誰であれ、それを保つ。(ルカによる福音書、17:33)

 その二つの文は、なんと奇妙にも似通っているのか!だが、そのインドの賢者は、彼独自の非‐キリスト教的方法で、はなはだ難しいように思え、なじみのないように映る心理学的な道を通り、その考えに到った。

 マハルシは再び話し、彼の言葉が私の思考に割って入った。

 「人がこの真の自らの探求に乗り出さないならば、乗り出すまでは、疑念や迷いが、一生、彼の後についてまわります。最も優れた王や政治家たちは、心の奥底では彼らが彼ら自身を支配できないことを知っているのに、他者を支配しようとします。それでも、最も優れた力は、最奥の深みへ貫通した人の意のままです。多くの物事についての知識を集めることに人生を費やす非凡な知性を持つ人々がいます。その人たちに、人間の神秘を解き明かしたのか、彼ら自身に打ち勝ったのか尋ねてみなさい。そうすれば、彼らは恥じ入ってうなだれます。あなたが誰か、いまだあなたは知らないのに、他の全てのことについて知ることが何の役に立ちますか。人は真の自らへのこの探求を避けますが、それほどにとりかかる価値があるものが他に何かありますか。」

 「それは実に困難で、超人的な課題です」と私は意見した。

 賢者は、ほとんど気づかれない程度、肩をすくめた。

 「その実現性の問題は、自分自身の体験の問題です。困難は、あなたが思うほど現実的ではありません。」

 「活動的で、実際的な西洋人である我々にとって、そのような内観は-」、私は疑い深げに始め、文を宙ぶらりんのままにしておいた。

 マハルシは上半身を倒し、新しい線香に火をともした。それは、赤い火花が消えかかっている線香と置き換えられる。

 「真理の実現は、インド人にとってもヨーロッパ人にとっても同じです。それへの道が世俗的生活に夢中である人々にとってより困難であることを認めざるをえないにしても、その場合でさえ、人は勝利を得られますし、勝利を得なければなりません。瞑想中に引き起こされた流れは、維持しようと修練することによって、習慣的に維持することができます。その時、人はまさにその流れ自体の中で務めや活動を行えます。途切れはなくなります。従って、また、瞑想と外的な活動の間の相違もなくなるでしょう。あなたがこの質問、『私は誰か』について瞑想するなら-あなたが体も、脳も、欲求も、実のところあなたではないことを知り始めるなら、その時、探求のまさしくその姿勢が、あなた自身の存在の奥底からあなたへ答えを引き寄せるでしょう。答えは、深い悟りとして、自ずからあなたのもとへ訪れるでしょう。」

 再び、私は彼の言葉をじっくり考えた。

 「真の自らを知りなさい」と彼は続けた。「そうすれば、その時、陽の光のごとく、真理があなたのハートの内から輝き出るでしょう。心に心配事はなくなり、本当の幸福が心にみなぎるでしょう。幸福と真の自らは、全く同じです。いったん、あなたがこの自らの自覚を得るなら、あなたはもはや疑念を抱かないでしょう。」

 彼は頭の向きを変え、その視線を講堂の遠くの端に定めた。彼が会話の限度に達したことが、その時、分かった。そうして我々の最後の会話は終わり、出発前に、寡黙という殻から運よく彼を引き出せたことを私は喜んだ。

2015年4月9日木曜日

『A Search in Secret India』 第9章 ⑤夢の中での導き

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

 我々がヤシの木に囲まれた中庭に馬車で入った時、ホタルが隠遁所の庭園中を飛び回り、暗闇の背景に光の奇妙なパターンを描いていた。そして、私が長い講堂に入り、床の上の座に身を沈めた時、崇高な静寂がこの場所に達し、空気に広がったように見えた。

 集まった客人は講堂のあちこちに列をなしてしゃがんでいるが、彼らの間にはざわめきも会話もない。角の寝台にマハルシは座り、彼の両足は下に折りたたまれ、彼の両手は無造作に両ひざに置かれている。あらためて、彼の姿は質素で地味だと私に印象づけたが、それでいて、威厳があり、印象的だ。彼の頭は、ホメロス時代の賢者の頭ように、堂々として落ち着いている。彼の両目は、講堂のはるか端の方をじっと見つめ、動かない。この眼差しが奇妙に定まっていることは、依然として困惑させるものだ。彼は最後の一筋の光が空から消えゆくのを窓ごしに見守っているに過ぎないのか、それとも彼は何か夢のような放心状態に夢中なために、この物質的世界をまるで見ていないのか。

 お香のいつもの煙が屋根の木製の梁の間をただよう。私は腰を落ち着け、マハルシに視線を定めようと試みたが、しばらくすると目を閉じたいという微(かす)かな衝動を感じた。賢者の付近で私をより深く貫きはじめた、つかみどころのない安らぎにあやしつけられ、私が半ば眠っているような状態に落ちるまで、さほど時間はかからなかった。ついに私の意識は途切れ、その後、私は鮮明な夢を体験した。

 私は5歳の小さな男の子になったようだった。アルナーチャラの神聖な山の周りを巻き上がる、でこぼこした道の上に私は立ち、マハルシの手を握っている。しかし、今や、彼は私のそばに高々とそびえ立つ姿をしている。彼は巨人サイズに成長したようだった。彼は隠遁所から私を連れ出し、見通すことのできない夜の暗闇にもかかわらず、道沿いに私を先導し、我々は共にゆっくりと歩いた。しばらくして、星々と月は協力して、我々の周囲にほのかな光を投げかけた。岩地の裂け目の周りと不安定に位置した非常に巨大な丸石の間を、マハルシが注意深く私を先導していることに私は気づいた。山は険しく、我々はゆっくりと登った。岩々と丸石の狭い裂け目に隠れ、密生した低木にかくまわれた、小さな隠遁所と人の住む洞窟が視界に入って来た。我々が通り過ぎる時、その住民たちは我々に挨拶しようと出てきた。彼らの姿は星明りの中で幽霊のような様相を呈したが、彼らが様々な類のヨーギであると私は認めた。我々は彼らのために立ち止まることなく、孤峯の頂きにたどり着くまで歩き続けた。我々はついに立ち止まり、何か重大な出来事が私に起ころうとしているという奇妙な予感で私の胸は高鳴っていた。

 マハルシは振り返り、私の顔をのぞき込んだ。それに応え、私は期待を込めて彼をじっと見上げた。私は心の中で謎めいた変化が非常な速さで起こっていることに気づいた。私を誘惑してきた古くからの動機は、私から去った。私の足をあちらこちらに運んできた切迫した欲求は、驚くほどの迅速さで消え去った。私の仲間との関係性を特徴づける嫌悪、不和、冷淡、利己性は、無の深淵へと崩れ去った。語ることのできない安らぎが私に降り注ぎ、私が人生から求めるべきものはこれ以上何もないことを今や私は知った。

 突然、マハルシは視線を山のふもとに向けるように私に言いつけた。私は素直にそのようにし、驚いたことに、地球の西半球がはるか下に広がっていることに気づいた。それは無数の人々で混み合っている。私はたくさんの人影として彼らをおぼろげに見分けたが、夜の暗闇はいまだ彼らを包み込んでいた。

 賢者の声が私の耳に届いた。彼の言葉はゆっくりと発された。

 「あなたがそこに戻る時、あなたが今感じている、この安らぎをあなたは味わうでしょう。しかし、その代価として、あなたはこれ以後、『私はこの体、もしくは、この脳である』という考えを捨て去ることになります。この安らぎがあなたに流れ入る時、あなたはあなた自身を忘れなければならないでしょう。なぜなら、あなたはそれにあなたの命を引き渡してしまっているだろうからです!」

 そして、マハルシは一筋の銀色の光の一端を私の手に置いた。

 その浸透する崇高さの感覚をいまだ持ったまま、私はその並外れて鮮明な夢から目覚めた。即座に、マハルシの目が私の目と合った。彼の顔は今や私の方向に向き、私の目をじっと見続けていた。

 その夢の背後に何があるのか。個人の人生の欲求や苦痛は、しばらくの間、忘却の彼方へと消えて行った。自らへの高貴な無関心、そして、私が夢の中で作りだした私の仲間への心からの憐れみのこの状態は、今、私が目覚めているにもかかわらず立ち去ろうとしない。奇妙な体験だ。

 しかし、その夢がその中に何らかの真実性を持つとしても、そのこと(体験?)は長く持つまい。それはまだ私にふさわしくない。

 どれぐらい私は夢の中に沈んでいたのか。というのも、講堂にいる全ての人が今や立ち上がり、寝るための準備をし始めたからだ。やむをえず、私も例に倣わねばならなかった。

 まばらに換気孔が設けられた、あの長い講堂で眠るのはあまりに息が詰まるので、私は中庭を選んだ。灰色のあご髭をした背の高い弟子が私のところに手さげランプを持ってきて、夜中ずっと灯し続けるように私に忠告した。蛇やチーターといった歓迎されない訪問者の可能性があるが、彼らは光に近づかないことが多い。

 地面はカラカラに固くなり、私はマットレスを持っていなかった。その結果、数時間、私は眠りに落ちなかった。しかし、問題なかった-私にはじっくり考えるべきことが十分にあった。マハルシの中で、人生がいまだ私の経験領域にもたらしたことのない最も謎めいた人格に出会ったと感じたからだ。

 賢者は私に相当な素晴らしい瞬間を運んだようだったが、その正確な性質をたやすく見定めることはできなかった。それはつかみどころがなく、計り知ることができず、おそらくは神聖なものだった。その夜、私が彼のことを思うたびに、あの鮮明な夢を思い出すたびに、奇妙な感覚が私を貫き、私の胸をおぼろげではあるが高尚な期待で高鳴らせた。

2015年4月6日月曜日

『A Search in Secret India』 第9章 ④アルナーチャラの大寺院

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

 私は乗り物を呼んでくるように言い付けて人を町区へ行かせた。寺院を視察したいと思ったからだ。もしその場所にあるなら、馬車を見つけてくるように私は彼に頼んだ。牛車は見る分には趣があるが、とても人が望みうる速度と快適さではないからだ。

 私が中庭にはいると、ポニーの2輪馬車が私を待っていることに気づいた。馬車には座る所がなかったが、そのような特徴はもはや私を困らせなかった。運転手はいかつい顔つきの男で、汚れた赤いターバンを頭に巻いている。彼の唯一の他の衣服は、腰帯になった漂泊されていない長い布であり、一方の端が両ふとももの間を通り、ウエストに押し込まれている。

 ほこりまみれの長い道を経て、ついに、巨大な寺院への玄関が、彫刻を施された浮き彫り模様の立ち昇る階層と共に、我々を迎えた。私は馬車を降り、大まかに探索し始めた。

 「アルナーチャラの寺院がどれほど古いのか私には分かりません」と私の連れ合いが質問に答えて述べた。「でも、ご覧のように、その時代は数百年前にさかのぼるに違いありません。」

 門の周りと寺院の出入り口には、小さな店と派手な売店が数店あり、覆いかぶさるヤシの木々の下に建てられている。そのそばには、みすぼらしい装いの聖画の行商人と真鍮製の小さなシヴァや他の神々の聖像の売り手が座っている。私は圧倒的多数のシヴァの彫像に心を打たれた。というのも、他の場所では、クリシュナとラーマが首座を占めているように思えたからだ。私の案内人は説明を与えた。

 「我々の神聖な伝説によれば、シヴァ神はかつて、神聖な赤い山の頂上に炎として現れました。そのために、寺院の神官たちは、数千年前に起こったに違いない、その出来事を記念して一年に一度、大きなかがり火に火をともします。シヴァがいまだ山を統治しているので、寺院はそれを祝うために建てられたのだと思います。」

 数人の巡礼者がぼんやりと露店をうかがっている。そこでは、これら小さな真鍮製の神々だけでなく、宗教的な物語に由来する何らかの出来事を描いた派手な多色石板画、タミル語とテルグ語で印刷されたインクしみだらけの宗教的人物に関する本、ふさわしいカーストや宗派の印をひたいにつけるための色つき塗料も買える。

 ハンセン病にかかった物乞いが、ためらいがちに私の方に近づいてきた。彼の手足の肉は、ぼろぼろに崩れかかっている。可哀想に、私が彼を追い払うのか、それとも、私の憐れみの念を起こさせることができるのか、どうも彼には確信が持てないようだ。彼の顔は、恐ろしい病によって硬直している。私は地面に施し物を置きながら、恥ずかしく思ったが、彼に触れることを恐れていた。

 人物が彫刻されたピラミッド構造状に形作られた門が、次に私の注意を引いた。この大きくそびえ立ったポルティコは、とがった先端が切り落とさられたエジプト由来のピラミッドのようだ。その3基の仲間とともに、門はその地方を見下ろしている。人はそれらに近づくずっと前、数マイル前から、それらを目にすることができる。

 塔の正面は、おびただしい彫刻と古風な趣のある小さな彫像で覆われている。その題材は、宗教的神話や伝説から取られている。そこには風変わりな雑然とした状態が表現されている。人は熱心な瞑想に夢中になったヒンドゥーの神々が独りでいる姿を見たり、なまめかしい抱擁をした折合わさった姿を目にとめ、不思議に思う。それは人に、ヒンドゥー教の中には全ての人の好みに合う何かがあり、この教義の一切を包含する性質とはそういった具合であることを思い出させる。

 私は寺院の境内に入り、気がつくと巨大な中庭の一部にいた。巨大な建造物が、複雑に入り組んだ列柱、回廊、歩廊、神殿、部屋、廊下、屋根のある場所、屋根のない場所を取り囲んでいる。ここには、アテネ近くの神々のあれらの宮殿のように、数分間の静かな驚嘆の中に人の感情を静める円柱状の美をもつ石の建築物はなく、むしろ暗く謎めいた陰気な聖域がある。その広大な奥行きは、よそよそしい肌寒い空気によって私に畏怖の念を起させる。その場所は迷路のようであるが、私の連れ合いは自信ありげな足取りで歩く。外では、塔がその赤みがかった石の彩色で魅力的に見えたが、内では、石造物は灰色である。

 私たちは一枚壁と平屋根、屋根を支える趣ある彫刻が施された柱がある長い回廊を通り抜けた。薄暗い廊下と暗い部屋へ移り、ついに、この古の寺院の外庭に立つ巨大なパルティコに到着した。

 「千柱講堂です!」 私が時の経過で灰色になった建造物をじっと見ていると、私の案内人が知らせた。彫刻が施された巨大な平らな石柱の密集した列が、私の前に広がっている。その場所は、さびれ、人けがない。その巨大な柱は、薄暗がりの中から怪しげにぼんやりと現れている。柱の表面の多くを覆っている古代彫刻をよく見るために、私はさらに柱に近づいた。それぞれの柱は、単一の石のかたまりからできていて、柱が支える屋根さえも何枚もの平らな石からできている。彫刻家の腕の助けで神々と女神がはしゃいでいるのを、再び、私は目にした。見知った動物と見知らぬ動物の彫刻を施された顔が、再び、私をじっと見つめた。

 我々はこれらの柱で支えられた歩廊の敷石の上をぶらぶら歩いて横切り、芯がひまし油に浸かった小さなお椀状のランプによって、あちこち照らされた暗い通路を通りぬけ、そうして、中央の囲い地の近くに到着した。その囲い地へ渡る時に、再び明るい日差しの中に出ることは心地よかった。今や、寺院の内部に点在する、五つの小さな塔を目にすることができる。それらは、高い壁に囲われた中庭の玄関口を特徴づける、ピラミッド状の塔そっくりに形作られている。私は我々の近くに立つ一基を調べ、それが煉瓦で建造されていて、その装飾された表面は、実際、石の彫刻ではなく、焼成粘土か何らかの耐久性のある石膏から形作られているという結論に達した。肖像のいくつかは明らかに塗料で引き立たされているが、今や色あせている。

 我々が囲い地に入り、この驚くほど大きい寺院の少し長めの暗い通路をぶらぶら歩いて回った後、私の案内人は、ヨーロッパ人が足を踏み入れることを許されない中央神殿に近づきつつあると私に警告した。しかし、至聖所は異教徒に禁止されているにしても、その入り口に通じる暗い廊下から垣間見ることは許されている。彼の警告を裏づけるかのように、太鼓をたたく音、どらを激しく打つ音、聖職者の単調な呪文を私は耳にした。その声は、年月を経た聖域の暗闇の中でいくぶん薄気味悪く響く、単調な旋律へ入り混じっていた。

 期待をこめて、私はちらりとのぞいた。薄暗がりの中から、聖像の前に設置された黄金に輝く炎、2~3の薄暗い祭壇照明、何らかの儀式に従事する数人の崇拝者の光景が浮かび上がる。私は聖職者らしい音楽家たちの姿を認めることはできなかったが、今や、法螺貝とシンバルが耳触りで異様な調べをその音楽に加えるのを耳にした。

 私の連れ合いは、私がいることが聖職者たちに明らかに歓迎されないので、これ以上留まらない方が私にとって良いだろうとささやいた。そこで直ちに、我々は、寺院の外側部分の眠気を催す神聖さの中へ退いた。私の探検は終わった。

 今一度、我々が入り口に到着した時、私は脇へ寄らねばならなかった。年配のバラモンが、小さな真鍮製の水差しをそばに置き、道の真ん中で地面に座っていたからだ。彼はひたいに派手なカーストの印を塗り、左手に割れた鏡の破片を持っていた。目下、額の上に現れる赤と白の三つ又のほこ-南部の正統派ヒンドゥー教徒のしるし-は、西洋人の目には、道化師のように異様に映る。寺院の門のそばの売店の中に座り、聖なるシヴァの小さな像を売る、しわの寄った老人が視線を上げ、私の視線と合わさった。彼の暗黙の要求に応じ、私は何かを買うために立ち止まった。

 町区の遠くの端のどこかで、私は大理石のミナレットの輝く白さを目に留めた。そこで、私は寺院を後にし、地元のモスクへ馬車で向かった。私の中にある何かが、モスクの優美なアーチと丸天井の繊細な美しさにいつも感動を覚える。再び、私は靴を脱ぎ、素敵な白い建物に入った。何とうまく設計されているのか。というのも、その丸天井の高さが、否応なく人の気分を高揚させるからだ!数人の崇拝者がいる。彼らは、小さな色彩豊かな礼拝用マットの上に座り、ひざまずき、平伏している。ここには謎めいた神殿はなく、派手な聖像もない。ムハンマドが、人と神の間に何ものも-聖職者ですら!-入るべきではないと記しているからだ。全ての崇拝者は、アッラーの面前において平等である。人がメッカの方を向く時、聖職者もパンディットも存在せず、人の思考に介在する上位の存在の階層制度も存在しない。

 我々が大通りを通って戻る時、両替店、砂糖菓子の露店、織物商人の店、穀類と米の売り手を私は目に留めた。全ては、その場所をあらしめた古の聖域への巡礼者のために存在している。

 今や、私はマハルシのもとへしきりに戻りたくなった。運転手はポニーを急きたて、我々の前に延びる道のりを足早に進ませた。私は振り返って、アルナーチャラの寺院を最後に一瞥した。9基の彫刻された塔が、(古代エジプト神殿の)双塔状の門のように空中へそびえ立っている。それらは、古代の寺院の建設に至った、神の名の下での忍耐強い労苦について私に語る。それは建設するために人の一生涯以上を要したに違いないからだ。再び、エジプトの奇妙な追憶が、私の心を貫いた。通りの住宅建築さえ、その低い家々と分厚い壁の中にエジプトの特徴を有していた。

 これらの寺院が見捨てられ、見放され、これらが現れ出た赤色と灰色のちりへとゆっくり崩れ去る時が、いつの日か来るのだろうか。それとも、人は新たな神々を見つけ、その神々を礼拝するための新たな寺院を建設するのだろうか。

 我々のポニーが、さらに向こうの岩が散在する山の斜面の一つにある隠遁所へ向かう道沿いに疾駆する間、自然が我々の目の前に美の華やかな行列を全面に展開していることに気がつき、息を飲んだ。太陽が、その大変な輝きを伴い、夜の寝床に休みに行く、東洋のこの時間を私は幾たび待ったことか!東洋の夕焼けが、その鮮やかな色合いの美しい揺らめきで、心をつかむ。それでも、このすべての出来事は、あっという間に終わった。半時間足らずのことだった。

 ヨーロッパのあの長引く夕べは、ここではほとんどなじみがない。西のはずれに、巨大な燃える火の玉が、密林に向かって目に見えて下がり始めた。空の丸天井からの急速な消失の前触れとして、それは最も際立ったオレンジの色合いを帯びた。その周りの空は、あらゆる色のスペクトラムを帯び、どんな画家にも決して与えられない芸術的なご馳走を我々の目に提供した。我々の周りの田園と木立は、深まった静寂へと入った。小鳥たちのチュッチュッとなく声はもはや聞こえない。野生の猿たちのキャッキャとなく声は収まった。赤い炎の巨大な円は、どこか他の次元へと素早く消えていった。夕べのカーテンがさらにいっそう厚く下り、すぐに、突き出た舌のような炎と広がった色彩の全景は暗闇に沈んでいった。

 静けさが私の思考に染み込み、その美しさは私の胸にぐっときた。この穏やかな5分間が、人生の残酷な上っ面の下に、美しく情け深い力がいまだ隠れているかもしれないという思いと我々を戯れさせる時、運命が我々に割り当てた、この時間を人がどうして忘れられるのか。この数分は、我々の単調な時間を恥じ入らせる。暗い虚無から、それは隕石のように現れ、希望のはかない尾っぽに火をともし、その後、我々の視界から消え去った。
 

2015年3月30日月曜日

『A Search in Secret India』 第9章 ③マハルシとの対話-(1)

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

 昼食が済んだ。太陽は、私が以前に一度も経験したことがない程度にまで、午後の気温を無慈悲に上昇させる。そもそも、我々は今、赤道からそれほど遠くない緯度にいる。今度ばかりは、インドが活動を助長しない気候に恵まれていることを私はありがたく思った。なぜなら、ほとんどの人が、シエスタをとるために日陰になった木立の中へ姿を消すからだ。そのため、私は、不要な注目や騒ぎもなく、私が好む方法でマハルシに近づくことができた。

 私は広い講堂に入り、彼の近くに座った。彼は、寝椅子の上に置かれた白いクッションに、半ばもたれかかっている。付添人が、プンカーを動かす紐をたゆみなく引っ張る。穏やかな縄のきしむ音とうちわが風を切る優しげな音が、蒸し暑い空気の中を進み、私の耳に心地よく響く。

 マハルシは、折りたたまれた手書きの本を手に持っている。彼は極めてゆっくりと何かを記している。私が入って数分後、彼は本を脇にやり、弟子を呼んだ。二言三言、彼らの間でタミル語で交わされ、その人は、私が彼らと食事を共にできないことが残念であると彼の師が重ねて述べたいと思っていると私に伝えた。彼は、彼らが質素な生活を送っていて、以前にヨーロッパ人に料理を提供したことが一度もないため、ヨーロッパ人が何を食べるのか分からないと説明した。私はマハルシに感謝し、彼らの香辛料が使われてない料理を彼らと喜んで共にし、その他は町区から食べ物を手に入れると言った。彼の隠遁所に私を連れてきた探求よりも、私が食事の問題をはるかに重要でないとみなしていることを私は言い足した。

 賢者は熱心に耳を傾けた。彼の表情は穏やかで、少しも動揺せず、当たり障りのないものだ。

 「それは良い目的です」と彼はようやく意見を述べた。

 これに励まされ、私を同じテーマについて詳しく述べた。

 「師よ、私は西洋哲学と科学を学び、混み合った都市の人々の間で生活し、働き、彼らの楽しみを味わい、彼らの野心の対象に捕らわれるがままに任せていました。しかし、私はまた、孤独な場所へ行き、そこで、深い思索の孤独のただ中をさ迷いもしました。私は西洋の賢者たちに質問しました。今や、私は東洋に顔を向けています。私はさらなる光を探し求めています。」

 「ええ、よく分かりました」と言うかのように、マハルシはうなずいた。

 「私は多くの見解を聞き、多くの理論に耳を傾けました。あれこれの信条の知的な証拠が、私の周りいっぱいに積み重なっています。私はそれらが嫌になり、個人的体験によって証明できない何にでも懐疑的です。そのように言うことをお許しください。ですが、私は宗教的ではないのです。人の物質的存在を超える何かが存在するのでしょうか。もしそうなら、私はどのようにしてそれを自ら実現できますか。」

 我々の周りに集まっていた3、4人の信奉者たちは、驚いて目を見開いた。彼らの師にそのようにぶっきらぼうに、大胆に話しかけることによって、私は隠遁所の微妙な礼儀作法にそむいているのか。私には分からなかった。気にしなかったのかもしれない。長年の望みの蓄積した重みが、思いがけなく私の支配をのがれ、私の口をついて出た。もしマハルシがふさわしい人であるなら、彼は理解し、慣習からの単なる逸脱を払いのけるに違いない。

 彼は言葉での返答をせず、何らかの思考の流れに沈んでいるように見えた。他にすべきことが何もなかったため、そして、私の舌は今や軽くなっていたため、私は三たび彼に話しかけた。

 「西洋の賢者たち、我々の(国の)科学者は、その利口さのために非常に尊敬されています。けれども、彼らは、自分たちが生命の背後にある隠された真理に少しだけしか光を投げかけることができないと認めています。あなたの国には、我々の西洋の賢者たちが明らかにし損なっているものを与えることができる人がいくらかいると言われています。それは本当でしょうか。あなたは私が悟りを体験するのを手助けできますか。それとも、探求それ自体が、錯覚に過ぎないのでしょうか。」

 私は今や会話の目的に達し、マハルシの返答を待とうと決めた。彼は考え深げに私をじっと見続けた。おそらく、彼は私の質問をじっくり考えているのだろう。沈黙の中、10分が経過する。

 ついに、彼は口を開き、静かに言った。

 「あなたは私と言います。『は知りたい』と。その私とは誰か、私に教えてください。」

 彼は何を言わんとしているのか。彼は今や通訳の奉仕を無視し、私に直接、英語で話しかけた。戸惑いが私の脳にじわじわ広がる。

 「申し訳ありませんが、私にはあなたの質問が理解できません」、私は呆然として返答した。

 「はっきりしていませんか。もう一度考えてみなさい!」

 今一度、彼の言葉に頭を絞った。ある考えが、私の頭にひらめいた。私は私自身を指さし、私の名前に言及した。

 「それで、あなたは彼を知っていますか。」

 「生まれてこの方ずっと!」、私は彼に微笑み返した。

 「しかし、それはあなたの体でしかありません!今一度、問います。『あなたは誰ですか。』」

 私は、この並外れた質問への答えを即座に見出せなかった。

 マハルシは続けて言った。

 「まずは、その私を知りなさい。そうすれば、その時、あなたは真理を知るでしょう。」

 私の心は、再び朦朧とした。私は非常に困惑した。この戸惑いを言葉で言い表すことはできた。しかし、マハルシは、どうやら彼の英語の限界に達したようだった。というのも、彼は通訳のほうを向き、回答がゆっくりと私に翻訳されたからだ。

 「なすべきことはただ一つです。あなた自身を見つめなさい。これを正しい方法で行いなさい。そうすれば、あなたの一切の問題への答えをあなたは見出すでしょう。」

 それは奇妙な返答だった。しかし、私は彼に尋ねた。

 「人は何をなさねばならないのでしょうか。どんな方法を私は実行できますか。」

 「自分自身の本質の深思を通じて、そして、絶え間のない瞑想を通じて、光は見つかります。」

 「私はたびたび真理への瞑想に没頭していましたが、進歩の兆しが見えません。」

 「進歩していないと、どうして分かるのですか。靈的領域で人の進歩に気づくことは簡単ではありません。」

 「師の助けは必要でしょうか。」

 「かもしれません。」

 「師は、あなたが提案した方法で、人が彼自身を見つめるのを手助けできますか。」

 「師は、この探求に彼が必要とする一切を彼に与えることができます。そういったことは、個人的体験を通じて知ることができます。」

 「師の助けによって、何らかの悟りを得るためには、どれぐらいかかりますか。」

 「それは全く探求者の心の成熟性しだいです。火薬は一瞬で着火しますが、石炭に火をつけるのには多くの時間を要します。」

 賢者が師らと彼らの方法の話題を議論するのを好まないという奇妙な印象を私は受けた。それでも、私の心の粘り強さは、この印象を乗り越えるほど十分に強く、私はこの事柄について彼にさらなる質問をした。彼は無表情な顔を窓に向け、向こうの丘陵の多い景観の広がりをじっと見つめ、答えを与えなかった。私はその意図を感じ取り、その話題を打ち切った。

 「世界の未来について見解を示してくださいませんか。我々は危機的な時代に生きているのですから。」

 「未来について、どうしてあなたが気を揉まねばならないのですか」と賢者は問いただした。「あなたは現在について正しく知りさえしていません!現在の面倒を見なさい。そうすれば、その時、未来は自分で自分の面倒を見るでしょう。」

 さらなるすげない拒絶!しかし、今回、私はそう易々と降参しなかった。というのも、この平和な密林の避難所よりも遥かに重く、人生の悲劇が人々にのしかかっている世界から私は来たのだから。

 「世界は、じきに、友好と相互扶助の新たなる時代に入るでしょうか。それとも、混沌と戦争へ陥るのでしょうか」と私は食い下がった。

 マハルシは全く嬉しく思っていないようだったが、それでも、彼は返答した。

 「世界を統治する一者が存在します。世界の世話をするのは、の務めです。世界に命を与えたが、世界の世話の仕方もまた知っています。が、この世界の重荷を背負っています。あなたではありません。」

 「ですが、人が公平な目で周りを見渡すなら、恵み深い配慮の出番がどこにあるのか理解することは困難です」と私は異議を唱えた。

 賢者は、より一層、嬉しくなさそうに見えた。だが、彼の答えはやって来た。

 「あなたがあるがごとく、世界はあります。あなた自身を理解せずに、世界を理解しようと試みることが何の役に立ちますか。それは真理の探求者が考慮する必要のない質問です。人々は、そういった質問全てに力を浪費します。まずは、あなた自身の背後にある真理を見出しなさい。そうすれば、その時、あなた自身がその一部である、世界の背後にある真理を理解するのにより良い立場にあなたはいるでしょう。」

 不意の中断があった。付添人が近づき、別の線香に火をともした。マハルシは青い煙が渦を巻いて上に登るのを見て、その後、彼の手書きの本を手にとった。彼はページを開き、再びそれに取り組み始め、そうして、私を彼の注意領域から退けた。

 この彼の再びの無関心は、私の自尊心に冷や水のごとく働いた。私はさらに15分間座って過ごしたが、彼が私の質問に答える気にないことが見て取れた。我々の会話は本当に終わったのだと感じ、私はタイル張りの床から立ち上がり、両手を合わせて別れの挨拶をし、彼のもとを離れた。

2015年3月23日月曜日

『A Search in Secret India』 第9章 ②マハルシとの最初の出会い

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド 

 20人の褐色と黒色の顔が、その目を我々にさっと向けた。その目の所有者たちは、赤色のタイル張りの床上に半円状にしゃがんでいる。彼らは扉の右手側に一番離れて位置する角から、控え目に少し離れて集まっている。どうやら我々が入る直前、全ての人がその角に顔を向けていたようだ。私は一瞬そこをちらっと見て、白い長椅子に座っている人物に気づいたが、それは私に、ここにまさしくマハルシがいる、と知らせるに十分だった。

 私の案内人は長椅子に近づき、床に平伏し、組まれた手の下に彼の目を隠した。

 長椅子は後ろの壁にある幅広の高窓から2、3歩しか離れていない。光が明るくマハルシに降り注ぎ、私は彼の横顔を隅々まで見てとることができた。というのも、我々が今朝やって来た、まさにその方向を窓ごしにじっと見つめながら彼が座っていたからだ。彼の頭は動かなかった。それで、私が果物を差し上げる時に彼の視線を捕らえ、彼に挨拶しようと思い、私は静かに窓のほうへ移動し、彼の前に贈り物を置き、1歩、2歩下がった。

 小さな真鍮の火ばちが彼の寝台の前にある。それは燃えている炭で満たされていて、心地よい香りによって、芳香性の粉末が赤々とした燃えさしの上に振りかけられていることが分かる。すぐ側には線香で満たされた香炉がある。青みがかった灰色の煙の筋が立ちのぼっているが、その刺激の強い芳香は全く異なる。

 私は薄い綿の毛布を床の上で折り重ね、座り、寝台の上でそのように頑なな態度で沈黙した人物を期待して見つめた。マハルシの体は、薄く狭い腰布を除き、ほとんど裸だったが、これらの地域においてそれは十分に一般的だった。彼の肌は少し赤褐色であるが、それでも平均的な南インドの人々の肌と比べてかなり白い。彼の背は高く、年齢は50代前半ぐらいであると私は判断した。彼の頭は短く刈られた白髪交じりの髪に覆われ、良く整えられている。額の縦横に広い広がりは、彼の人となりに知性的な特徴を加えている。彼の顔の造作はインド人よりもヨーロッパ人のものだ。私の最初の印象はそういったものだった。

 寝台は白いクッションで覆われ、マハルシの両足は見事な模様がついた虎の皮の上に置かれている。

 水を打ったような静寂が、長い講堂の隅々にまで行き渡っている。賢者は完全に静止して動きなく、我々の到着に全く乱されないままいる。浅黒い弟子が長椅子の向こう側で床に座っている。彼は竹で編まれたパンカー-うちわを動かす紐を引っ張り始めることで、その静けさを破った。うちわは木製の梁に据え付けられ、賢者の頭の真上につるされている。私はそのリズミカルなカラカラと鳴る音に耳を傾け、その間、注意を引こうとして座っている人物の目をまともにのぞきこんだ。それは暗褐色であり、中ぐらいの大きさで大きく開かれている。

 もし彼が私の存在に気づいているなら、彼は何の気配も表さず、何の兆候も示していない。彼の体は超自然的に静かであり、彫像のようにびくともしない。一度も、彼は私の視線を捕らえない。彼の目が遠くの、それも無限に遠いように思える空間を見つめ続けているからだ。私はこの光景に妙に見覚えがあることに気づいた。私はどこでそのようなものを見たのか。私は記憶の肖像画の画廊をかき回して探し、「決して話さない聖者」の肖像画を見つけた。私がマドラス近くの孤立した小屋で訪問した、あの隠遁者、あまりに動かなかったために石から切り出されたように思われた体を持つ、あの人である。今、私がマハルシの中に見る、このなじみのない体の静止において、奇妙な共通点がある。

 その人の目からその人の魂を見積もることができるというのが、私の古くからの持論である。しかし、マハルシの目を前にして、私は戸惑い、困惑し、面食らった。

 1分1分が言いようもない遅さで過ぎてゆく。はじめに1分1分が積み重なり、壁に掛けられたアーシュラムの時計で半時間になる。これもまた過ぎ去り、1時間になる。それでも、誰も講堂の中で身動きするようには見えない。まったく誰もあえて口を開こうとしない。私は視覚的な集中の段階に達し、寝台の上のこの沈黙した人物を除く、一切の存在を忘れていた。私の果物の贈り物は、彼の前にある彫刻された小さな机の上で顧みられないままだ。

  私の案内人は、「決して話さない聖者」によって私が迎えられたように、彼の師が私を迎え入れるという何の予告も与えていなかった。完全な無関心によって特徴づけられる、この奇妙な接見、それは不意に私に降りかかった。ヨーロッパ人なら誰の心にも浮かぶであろう最初の思い、「この人は、単に彼の信奉者たちの利益のためにポーズをとっているだけではないのか」が心を一度か、二度よぎったが、私はすぐにそれを考慮から外した。私の案内人は彼の師が忘我の状態にふけるということを私に知らせていなかったが、彼は確かに忘我の状態にいる。私の心を占拠した次なる思い、「この神秘的な黙想の状態は、無意味な放心状態でしかないのか」は、より長く影響力を持ったが、私がそれに答えられないという単純な理由から私はそれ以上追求しなかった。

 砂鉄が磁石に引きつけられるように、私の注意を引きつける何かがこの人の中に存在する。私は視線を彼から逸らすことができない。私の最初の当惑、完全に無視されたことによる困惑は、この奇妙な魅力が私をより強く捕らえ始めるにつれ、ゆっくりと消え去った。しかし、この珍しい光景の2時間目になってはじめて、私の心の内で起こっている静かな抗しがたい変化に私は気づくようになった。一つまた一つと、私が列車の中であれほど微に入り細に入り用意した質問が抜け落ちる。というのも、今やそれらが答えられても、られなくても、そして、私を今まで悩ませてきた問題を私が解決しても、しなくても、どうでもいいように思えたからだ。私に分かるのは、静けさの揺るぎない流れが私の近くを流れているように思えること、大いなる安らぎが私の存在の内なる領域を貫通しつつあること、思いに苦しめられた脳がいくぶん落ち着きつつあることだけだ。 

 私があれほど頻繁に自問していた、あれらの質問が何と小さく思えることか!失われた年月の全景が何と些細なものになるのか!知性が自らの問題を作り出し、その後、問題を解決しようと試みて自らをみじめにしているということを私は唐突にはっきりと知った。これは、今まで知性にあれほど高い価値を置いてきた者の心に浮かんだ、まったく新たな発想であった。

 私は着実に深まってゆく安らかさの感覚に自分自身を委ね、ついに2時間が経過した。時間の経過は、今や何の苛立ちも引き起こさない。なぜなら、心が作りだした問題の鎖が断ち切られ、投げ捨てられつつあると感じているからだ。その後、少しずつ、新しい問題が意識の領域を占領した。

 「この人、マハルシは、花が花びらから芳香を放つように、霊妙な安らぎの香りを放っているのか。」

 私は霊性を理解する資格がある者と自分自身をみなしていないが、私には他の人々に対しての個人的な受け取りかたがある。私の内に生じた謎めいた安らぎは、私が今置かれている地理的状況に帰せられるにちがいないという気づきの芽生えが、マハルシの人となりに対する私の受け取りかただった。魂の何らかの放射性、何らかの知られていないテレパシー的な過程によって、私自身の魂の混乱状態へ入り込んだ静寂が、本当に彼からやって来たのではないかと私は思い始めた。だが、彼は全く感情を表さず、私の存在そのものに全く気付いていないようだった。

 最初のさざ波が訪れた。誰かが私に近づき、私の耳元でささやいた。「あなたはマハルシに質問することを望んでいませんでしたか」。

 この私の元案内人、彼はしびれを切らしたのかもしれない。もっとありそうなことは、落ち着きのないヨーロッパ人である私が我慢の限界に達したと彼が想像したことだ。ああ、詮索好きな我が友よ!確かに私はあなたの師に質問をしにここに来たが、今は・・・全世界と、私自身と安らかにある私が、どうして質問で頭を悩ませなければならないのか。私の魂の船がその停泊地から逃れ始めつつあることを私は感じている。素晴らしい海が、渡られるのを待っている。しかし、私が大冒険を始めようというちょうどその時に、この世界という騒々しい港へあなたは私を連れ戻そうとする!

 しかし、魔法は解かれた。あたかもこの不適切な闖入が合図であるかのように、人々が床から立ち上がり、講堂を歩き回り始め、声が私の耳まで漂ってくる。何ということだ、信じられない!マハルシの暗褐色の瞳が、一度、二度揺らぐ。それから頭が回転し、顔がゆっくり、とてもゆっくりと動き、斜め下を向く。さらにわずかの時を経て、私はその視野に連れ行かれる。はじめて賢者の謎めいた視線が私に向けられる。彼が今や長い忘我の状態から目覚めたことは明らかだった。

 闖入者はおそらく私の無反応が彼の言葉が聞こえていなかった印であると思い、彼の質問を声に出して繰り返した。しかし、私を優しく見つめている光輝く瞳の中に、口に出されていないが、私は別の問いかけを読みとった。

 「あなたは今やもう、あなたと全ての人々が得るであろう深い心の安らぎをかいま見たのに、あなたが気を散らす疑問で今もなお苦しむなんてことがありうるのですか、可能なのですか。」

 安らぎが私を圧倒する。私は案内人の方を向き、答えた。

 「いえ。今、尋ねたいと思うことは何もありません。別の機会に-」

 マハルシ自身からではなく、とても活発に話し始めた小集団から私の訪問の何らかの説明が私に求められていると今や私は感じた。私の案内人の説明から、この人々のほんの一握りが住み込みの弟子であり、他の人々は周辺地域からの訪問者であると知っていた。妙な話だが、この時点で私の案内人その人が立ちあがり、必要とされる紹介を行った。彼は呼び集められた仲間に事情を説明する間、身ぶり手ぶりをふんだんに使い、精力的にタミル語で話した。彼の説明が事実に作り話を混ぜ合わせているのではないかと私は危惧した。というのも、それが驚きの叫び声を引き出したからだ。

2015年3月20日金曜日

『A Search in Secret India』 第9章 ①アーシュラムまでの道のり

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

第9章 聖なるかがり火の山

 南インド鉄道の終着駅マドラスで、スブラマンヤと私はセイロン連絡列車の客車に乗り込んだ。数時間、我々は非常に変化に富んだ光景の中をゆっくりと進んだ。育ちゆく稲の青々とした広がりが、荒涼とした赤い山々にとってかわり、堂々としたココナッツの木々の日影になった農園の後には、稲田を耕す農夫がまばらに続く。

 窓辺に座っていると、素早いインドの夕暮れが景色を隠し始め、私は他のことをじっくり考えるために向き直った。ブラマが私にくれた黄金の指輪を身につけて以来起こった奇妙なことを、私は不思議に思い始めた。というのも、私の計画はその様相を変え始めたからだ。私が意図していたようにさらに東へ行くのではなく、予期せぬ出来事が連続して起こり、私をさらに南へ追いやった。「そんなことがあるのか」と私は自問した。「この黄金のかぎづめが、ヨーギが主張した不可思議な力を本当に有する石をつかんでいるなんてことが」。私は広い心でいようと努めたが、科学的に訓練された考え方をする西洋人なら誰でも、その考えを信じることは困難だった。私は頭から考え事を払いのけたが、私の思考の背後に潜む疑念をうまく追い払うことはできなかった。とても奇妙なことに、旅しつつある山の隠遁所へ私の足が導かれているのは、なぜなのか。私の乗り気でない目をマハルシに向けさせるという点において、共に黄色のローブを着た二人の男性が運命の仲介者として結びつけられているのは、なぜなのか。私は運命という言葉を使ったが、それは一般的な意味においてではなく、より適当な言葉に窮したからである。過去の経験は、一見すると重要でない出来事が、時に人生の青写真を描くことにおいて予期せぬ役割を果たすということを私に十分に教えていた。

 我々は列車を降り、それと共に、ポンディシェリ-フランス領インドの哀れを誘う、あの小さな名残り-から40マイル離れた本線を後にした。私たちは内陸へ進む、ほとんど使われない静かな支線へ移り、そっけない待合室の薄暗がりの中でほぼ2時間待った。聖職者は、外のよりそっけないプラットホームをゆっくり歩き、星明りの中で、彼の背の高い姿は半ば幻で、半ば現実のように見える。終に、時間どうりに来ない列車は、たまにポッポと蒸気を吐きながら路線を上へ下へ進み、我々を運び去った。他の乗客は、ほんのわずかしかいない。

 私は断続的な、とぎれとぎれに夢を見る眠りに落ち、私の連れ合いが起こすまで、それは数時間続いた。私は小さな沿線の駅で降り、列車は金切り声をあげ、きしらせながら、静寂の闇の中へ消えていく。夜はまだ十分に明けておらず、我々はがらんとしてわびしい小さな待合室に座り、その中の小さな石油ランプを自分たちで点火した。

 日光が暗闇に支配権を求めて戦う間、我々は辛抱強く待った。終に淡い夜明けが訪れ、我々の部屋の後ろの横木で囲った小さな窓から少しずつ忍び寄ってきた。目に見えるようになるにつれ、私は周囲の状況のそういった部分をまじまじと見た。朝の薄霧の中から、おそらく数マイル離れたところに、山のかすかな輪郭が一つ浮かび上がる。山麓は見事に広がり、山腹は広大な胴周りであるが、明け方の霧にまだ厚く覆われているため、山頂を見ることはできない。

 私の案内人は外へ繰り出し、小さな牛車の中で大きないびきをかいている男を見つけた。1度か2度、大声で呼びかけると、運転手はこのありふれた日常へ連れ戻され、そうして彼は近い将来に待ち受ける仕事に気づいた。我々の目的地を知らされた時、彼はたいそう我々を運びたがっているように見えた。私はいくぶん疑わしげに彼の狭い乗り物-二つの車輪の上で釣り合いを保っている竹製の天蓋-を見た。ともかくも我々はよじ登り、その男は我々の後から荷物を投げ込んだ。聖職者は、おそらくは人間が占めることができる最小限の空間へ何とかして自分自身を押し縮めた。私は足を外にぶら下げ、低い天蓋の下で腰を低くした。運転手は雄牛の間の棒の上にしゃがみ、彼のあごはほとんど彼の膝にふれんばかりだった。こうして、座席の問題は多かれ少なかれ順調に解決され、我々は彼に車を出すように言った。

 2頭の強く、小さい、白い雄牛の最善の努力にもかかわらず、我々の進行は決して迅速なものではなかった。このかわいらしい生き物は、馬よりも暑さに耐え、食べ物に関して好みがやかましくないため、インドの内陸で牽引用の動物として大変に役立っている。数世紀の間、内陸の静かな村々と小さな町々はあまり変化していない。紀元前1世紀に旅行者をあちらこちらに運んだ牛車は、二千年後の今でも旅行者を運んでいる。

 打ち延ばされたブロンズ色(赤茶色)の顔をした我々の運転手は、彼の動物をたいそう誇りに思っていた。彼らの長く、美しく曲がった角は、恰好のいい金色に塗られた装飾品で飾られ、彼らの細い脚は結んである真鍮の鈴をちりんちりんと鳴らす。彼は、彼らの鼻の穴に通された綱を使って彼らを動かしていた。彼らの足がほこりまみれの道の上を陽気にゆっくり進む間、私は素早い熱帯地方の夜明けが足早にやって来るのを見ていた。

 魅力的な景観が、我々の右手側にも左手側にも現れる。つまらない平坦な平原ではない。水平線を見渡す時はいつでも、丘や高地が視界から長く遠ざかることがないからだ。道は、棘を持つ低木が生い茂った地形と明るい新緑色の稲田が少し点在する赤色土の地域を横断している。

 労苦に疲れ切った顔をした農夫が我々と行き違う。おそらく、彼は稲田での長い日中の仕事に出かけようとしている。まもなく、我々は頭の上に真鍮の水入れをのせた少女に追いついた。1枚の朱色のローブが彼女の体に巻きつけられていたが、肩はむき出しのままだ。血の色をしたルビーの飾りが一方の鼻の穴につき、青白い朝の陽ざしの中、一組の黄金の腕輪が彼女の腕できらりと光っている。彼女の肌の黒さは、バラモンとイスラム教徒を除き、まさにこの地域の大部分の住民のように、彼女がドラヴィダ人であることを示している。これらドラヴィダ人の少女はたいてい生まれつき陽気で、幸せそうである。私は彼女達が浅黒い同郷の婦人たちよりもおしゃべりで、響きのよい声をしていることを知った。

 その少女は本当に驚いた様子で我々を見つめ、ヨーロッパ人は内陸のこの地域をめったに訪れないのではないかと私は推測した。

 そうして、我々は小さな町にたどり着くまで乗り続けた。その家々は裕福そうに見え、巨大な寺院の両側に密集する道々に並んでいる。私が間違っていないなら、寺院は4分の1マイルの長さがあった。しばらく後、我々が広々とした入り口の一つに到着した時、私はその建築の巨大さを大体において把握した。我々は1、2分間停車し、私はその場所の束の間の光景を目に刻みつけようと内部を凝視した。その風変わりな様子は、その大きさ同様に印象的である。以前に、このような建物を私は目にしたことがない。広大な四角形の中庭が巨大な内部を囲み、迷宮のように見える。四つの取り囲む高い壁は焦がされ、灼熱の熱帯の陽ざしに数百年間さらされることによって染められていることが分かる。それぞれの壁は一つの門によって貫かれ、その上には巨大な塔からなる風変わりな上部構造がそびえ立っている。奇妙にも、塔は、飾り立てられ、彫刻が施されたピラミッドのように見える。その下部は石で築かれているが、上部は分厚く漆喰が塗られたれんが積みのように見える。塔は多くの階層に分かれるが、表面全体が様々な人物と彫刻でおびただしく装飾されている。この四つの入口の塔に加えて、私は寺院の内部にそびえ立つ塔を他に五つも数えた。輪郭の類似性において、なんとも不思議なことに、それらはエジプトのピラミッドの一つを思い出せるのか!

 私が最後にちらっと見たのは、屋根付きの長い柱廊、大量の平らな石柱の林立した列、大きな中央の囲い地、薄暗い神殿と暗い廊下と多くの小さな建物だった。遠からず、この興味深い場所を探検するために私は頭の中に留めておいた。

 雄牛は早足で駆け、我々は再び広々とした平野に出た。我々が通った光景は、とても快いものだった。道は赤い塵で覆われている。どちら側にも、低木の茂み、時折、高木の木立がある。枝の間には多くの鳥が隠れている。というのも、世界中で彼らの朝の歌である、美しいあの合唱の終わりの調べだけでなく、彼らが羽ばたく音が聞こえるからだ。

 道沿いには、かわいらしい小さな路傍の神殿がたくさん点在している。その建築様式の相違は私を驚かせ、ついに私はそれらが時代の転換期に建てられたのだと結論付けた。大変に飾り立てられているものもあれば、いつものヒンドゥー様式で過剰に装飾され、入念に彫刻されているものもあるが、より大きな神殿は南部以外の他のどこでも見たことがない平らな表面の柱で支えられている。ほとんど古代ギリシア様式である、古典的に質素な輪郭をした神殿さえ2、3ある。

 私が駅からそのおぼろげな輪郭を見た、山のすそ野に我々が到着した時、今やもう、5、6マイルほど進んだと私は判断した。山は、赤茶色の巨人のごとく、澄んだ朝の陽光の中にそびえ立っている。今やもう、霧は流れ去り、(山は)上空に広い輪郭線を示している。山は赤土と茶色い岩石からなり、大部分はやせた土地で、ほとんど木のない地域が広くあり、岩の塊が大きな巨礫へ割れ、無秩序に転がっている。

 「アルナーチャラ!神聖な赤い山!」 私がじっと見る方向に気づき、連れ合いが叫んだ。熱烈な愛慕の表情が彼の顔を横切る。中世の聖者のように、彼は一瞬、歓喜に心奪われていた。

 私は彼に、「その名前は何か意味しているのですか」と尋ねた。

 「私は今、その意味をあなたに告げたところです」と彼は笑顔で答えた。「その名前は、アルナとアーチャラという二つの言葉から成り立ち、赤い山を意味し、また、寺院の主宰神の名前でもあるので、その全訳は『神聖な赤い山』となるはずです。」

 「では、聖なるかがり火はどこからやって来るのですか。」

 「あぁ!1年に1度、寺院の司祭たちが主要な祝祭を執り行います。寺院の中で祝祭が催されるや否や、巨大な火が山の頂上で燃え上がり、その炎には大量のバターと樟脳がくべられます。それは何日も燃え、周囲幾マイルまで見ることができます。それを見る人は誰でも、すぐにその前で平伏します。それは、この山が偉大な神によって支配された神聖な地であることを象徴しています。」

 山は今や、我々の頭上にそびえ立っている。それは無骨な雄大さを欠くわけではない。赤や茶や灰色の巨礫で模様が付けられた寂しい頂きは、その平らな頭を真珠のような色の空に数千フィート突き出している。聖職者の言葉が私に影響したのか、もしくは何か説明のつかない理由からか、私がその神聖な山の光景について黙想するにつれ、アルナーチャラの急こう配を不思議そうにじっと見上げるにつれ、奇妙な畏敬の念が私の内に生じていることに私は気づいた。

 「あなたは知っていますか」と私の連れ合いがささやいた。「この山は聖なる地として尊ばれているだけでなく、地元の言い伝えは、神々が世界の精神的中心地を示すために、それをそこに位置づけたとまで主張していることを!」。

 このちょっとした伝説は、私を苦笑いさせた。何とも無邪気なことだ。

 ようやく、我々がマハルシの隠遁所に近づきつつあることを私は知った。我々はわき道に逸れ、起伏のある道を下り、ココナッツとマンゴーの木々からなる密集した果樹園へ我々は連れ行かれた。我々がそれを横ぎると、終に、鍵のかかっていない門の前で、突如、道は不意に終わりを迎えた。運転手は降りて、門を押し開き、我々を舗装されていない広い中庭に運んだ。私は押し縮められた手足を伸ばし、地面に降り、周りを見渡した。

 マハルシがこもっている場所の正面は、間近に成長する木々と濃密に生い茂った庭によって取り囲まれている。その裏とわきは、低木とサボテンの生け垣で遮られている。西側には、サボテンの密林と深い森のようなものが広がっている。それは山の支脈の低い所に、絵のようにとても美しく位置している。人里離れているため、瞑想の深遠なテーマを追求する人々にとってふさわしい場所であるようだ。

 藁ぶき屋根の二つの小さな建物が、中庭の左側を占拠している。それらに隣接して、長い現代的な建造物が立ち、その赤いタイル張りの屋根が、突き出た軒天へ鋭く下に伸びている。小さなベランダが、正面の一部を横切り広がっている。

 中庭の中央は、大きな井戸で特徴づけられている。腰まで裸であり、真っ黒といえるほどに黒い肌をした男の子が、きしむ手動巻き上げ機の助けでバケツ1杯の水をゆっくりと表面まで引き上げているのを私はじっと見た。

 我々が入ってくる音で、数人の人が建物から中庭に出てきた。彼らの服装は、実に様々である。ある人はぼろぼろの腰布以外何も身にまとわない人もいれば、富裕な人々のように白い絹のローブで正装している人もいる。彼らはいぶかしげに我々をじっと見た。私の案内人は歯を見せてにっこり笑い、明らかに彼らの驚いた様子を楽しんでいる。彼は彼らのもとへ行き、タミル語で何かを話した。たちまち、彼らの顔の表情が変わる。というのも、彼らは一斉ににっこり笑い、うれしそうに私に微笑みかけた。私は彼らの顔つきと振る舞いを気に入った。

 「では、マハルシの講堂に入ります」と黄色いローブの聖職者は告げ、私に彼の後に続くように言った。私はむき出しの石造りのベランダの外で少し立ち止まり、靴を脱いだ。贈り物として持ってきた少しの果物をかき集め、私は開いている出入り口の中へ進んだ。

2015年3月17日火曜日

『A Search in Secret India』 第8章 ④スブラマンヤとの再会

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

 私が家に戻ったのは、ほとんど真夜中だった。私は頭上を最後にちらっと見た。数えきれない無数の星々が、広大な空の丸天井にちりばめられている。このように圧倒的な数の星々は、ヨーロッパのどこでもお目にかかれない。懐中電灯を照らしながら、私はベランダに続く階段を駆け上がった。

 暗闇から、うずくまっている人影が立ちあがり、私に挨拶した。

 「スブラマンヤ!」 驚いて、ビクッとなり、私は叫んだ。「ここで何をしているのですか」。黄褐色のローブをまとった、そのヨーギは、彼の歯を見せたとても素晴らしい笑顔の1つを、思う存分、浮かべていた。

 「あなたを訪問すると約束しなかったでしょうか」。彼はとがめるように私に思い出させた。

 「そうでした!」

 広い部屋の中で、私は彼に質問を浴びせた。

 「あなたの師は-彼はマハルシと呼ばれていますか。」

 驚愕して、後ずさりするのは、今度は彼の番だった。

 「どうして知っているのですか。どこでそれを知ることができたのですか。」

 「まあ、いいじゃないですか。明日、私たち二人は彼の住まいに向けて出発します。私は計画を変更します。」

 「それは嬉しい知らせです。」

 「それでも、私はそこに長くは滞在しないでしょう。おそらく2、3日です。」

 私は次の半時間、彼に質問をもう二つ、三つ浴びせ、その後、疲れきって、床に就いた。スブラマンヤは、床に敷いた一枚のヤシのござの上で眠ることに全く満足していた。彼は自分自身を薄い綿の布でくるみ、それは同時にマットレスとシーツと毛布として役立った。彼は私のもっと快適な寝具の申し出に見向きもしなかった。

 気づいてみると、私は突然目覚めていた。部屋は真っ暗だった。私は神経が妙に張りつめているのを感じた。私の周りの空気が、帯電しているように見えた。私は枕の下から時計を引っ張り出し、ラジウムに照らされた文字盤の輝きによって、時間が3時15分前だと知った。私がベッドの足元で光る何かに気づいたのは、その時だった。私はすぐさま起き上がり、それを真っ直ぐ見た。

 私の驚愕した目が、聖下シュリー・シャンカラの顔と姿に合う。それははっきりと、間違いなく目に見える。彼はこの世のものではない幽霊のようではなく、むしろしっかりした人間のように見える。その人物の周りには不可思議な輝きがあり、周囲の暗闇からそれを分け隔てている。

 いくらなんでも、この光景は不可能なものではないのか。私はチングレプットで彼と別れたのではなかったか。私は問題を吟味するために目を固く閉じた。何ら変わりなく、私は依然として彼を全くはっきりと見た!

 私は恵み深く、親しみを感じる(超自然的)存在の実感を得ている、それで十分としよう。私は目を開け、ゆったりした黄色のローブを着た優しそうな人物をじっと見た。

 表情が変わった。というのも、口元がにっこりし、次のように言っているようだった。

 「謙虚でありなさい。そうすれば、あなたは、あなたが探し求めるものを見出すでしょう!」

 どうして私は、生きている人間がそのように私に話しかけていると感じたのか。どうして私は、少なくともそれを幽霊とみなさなかったのか。

 その光景は、それがやって来たのと同じように不可思議に消え去った。それは、その超常的性質によって、私を意気揚々と感じるままに、幸福に感じるままに、落ち着きを感じるままにしておいた。夢としてそれを退けたらいいのか。どうだっていいではないか。

 その夜、私はそれ以上眠ることができなかった。私は目を覚ましたまま横になり、その日の出会いについて、クンバコナムの聖下シュリー・シャンカラ、南インドの素朴な人々にとっての神の大司教との忘れることのできない対談について思いを巡らした。
 

2015年3月14日土曜日

『A Search in Secret India』 第8章 ③聖下シュリー・シャンカラとの謁見

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

 私は黙ったまま彼を見た。この背の低い男性は、黄土色の僧衣を身につけ、修道士の杖に体重を預けている。私は彼が40歳手前であると知らされていた。そのため、彼の髪にかなり白髪が混じっていることに気づいて驚いた。

 彼の気品ある顔つきは、心の中で灰色と茶色で描かれ、私の記憶の中の長い肖像画の画廊で名誉ある地位を占めている。フランス人がスピリチュエルと適切に呼んだ、あの捉え難い要素が、この顔には存在する。彼の表情は慎み深く、温和であり、その大きな黒い瞳は並外れて穏やかで、美しい。鼻は低く、真っ直ぐで、模範的に均整がとれている。顎にはぼさぼさの小さい髭があり、彼の口元の厳粛さは注目に値する。この人がさらに知性という性質を所有しているという点を除けば、そのような顔立ちは、中世のキリスト教団を輝かしいものにした聖者の一人に属していたかもしない。実際的な西洋に属する我々は彼が夢想家の目をしていると言うだろうと私は思った。どういうわけか、表現できない方法で、彼の厚いまぶたの背後に単なる夢以上の何かがあると私は感じた。

 「私を迎え入れて下さり、誠にありがとうございます」と私は前置きとして述べた。

 彼は私の連れ合いである作家の方を向き、その土地の言葉で何か話した。私はその意味を正確に推察した。

 「聖下はあなたの英語を理解しますが、あなたが彼の英語を理解できないであろうことを大変に懸念しています。ですから、彼は答えを私に翻訳してもらうことを選びます」とヴェンカタラマニは言った。

 彼らがここにいるヒンドゥー教の大主教よりも私自身に関心があったために、私はこの対談の初期段階をさっと通り抜けたのだろう。彼はこの国での私の個人的な体験について尋ねた。インドの人々と制度が外国人に与える正確な印象を確かめることに彼はとても興味があった。称賛と批判を自由に、遠慮なく織り交ぜながら、私の率直な印象を彼に伝えた。

 その後、会話はより幅の広い水路に流れ入り、彼が日ごろから英字新聞を読み、外の世界の時事に精通していることを知って私はとても驚いた。実際、彼はウエストミンスターでの最近の騒ぎはどうなのか知らないわけではなく、民主主義の厄介な赤ん坊がどれほどの痛々しい陣痛をヨーロッパで経験しつつあるのかもまた十分に知っていた。

 シュリー・シャンカラが預言的な洞察力を所有しているというヴェンカタラマニの断固たる確信を私は思い出した。それは世界の未来について何らかの意見を催促するという私の気まぐれな思いを引き起こした。

 「政治的、経済的状況が至る所で改善し始めるのはいつだと思いますか。」

 「改善が早急に訪れるのは容易なことではありません」と彼は答えた。「それはいくらか時を要さねばならない過程です。国々が一年ごとにいっそう多くのお金を死の武器に費やしている時、どうして物事が改善できますか。」

 「しかしながら、この頃は、非武装化についての協議もたくさんあります。それは考慮に値しませんか。」

 「あなたが戦艦を解体し、大砲を錆びさせても、それによって戦争は止まらないでしょう。たとえ人々が棒きれを使わざるを得なくても、彼らは戦い続けるでしょう!」

 「しかし、事態を改善するために何ができるのでしょうか。」

 「国々の間、富める者と貧しい者の間の精神的理解のみが、友好的な態度を作り出し、そうして、本当の平和と繁栄をもたらすでしょう。」

 「それは遥か遠いことのように思えます。それでは、我々の展望はまったく明るいものではないのですね?」

 聖下は、彼の手をさらに少し重く杖に寄りかからせた。

 「神は、それでも、存在します」と彼は穏やかに述べた。

 「たとえ存在しても、彼は遥か彼方にいるようです」と私は大胆にも主張した。

 「神は、人類に対してただ愛のみを持っています」と柔和な答えがやって来た。

  「この頃、世界を苦しめる不幸と悲惨から判断すれば、彼はただ無関心しか持っていません」と声から痛烈な皮肉の響きを締め出すことができずに、私は衝動的に突然叫んだ。聖下は、いぶかしげに私を見た。すぐさま、私は自分の軽率な発言を悔いた。

 「忍耐強い人の目は、より深く見ます。神は、定められた時に物事を調整するために人間の道具を使うでしょう。国家間の混乱、人々の間の道徳的邪悪さ、哀れな民衆の苦しみは、反作用として、神から啓示を受けた偉大なる者が助けに来ることをもたらすでしょう。この意味において、あらゆる世紀には、それ独自の救世主がいます。その過程は物理学の法則のように働きます。靈的無知や物質主義によって引き起こされる悲惨さがより大きくなるにつれ、世界を救うために立ち上がる者はより偉大になるでしょう。」

 「では、我々の時代にも誰かが立ち上がることをあなたは期待しているのでしょうか。」

 「我々の世紀に」と彼は訂正した。「間違いありません。世界の必要性はとても大きく、その靈的暗闇はとても濃いため、啓示を受けた神の子が確かに立ちあがるでしょう。」

 「では、あなたの意見では、人はより堕落しつつあるのですか。」

 「いいえ、そうは思いません」と彼は寛大に返答した。「人の中には内に住まう神聖なる魂が存在し、最後には、それが彼を必ず神へ連れ戻します。」

 「しかし、我々の西洋の都市には、彼らの中に内に住まう悪魔が存在するかのように振る舞う無法者が存在します」と現代のギャングのことを考えながら、私は反論した。

 「人々ではなく、むしろ彼らが生まれた環境を責めなさい。彼らの周囲の状況や境遇が、彼ら本来よりも悪くなるように彼らに強いています。それは東洋にも西洋にも当てはまります。社会は、より優れた目的に調和させられねばなりません。物質主義は、理想主義によって釣り合いを保たれねばなりません。世界の困難への本当の解決策は他に存在しません。失敗がたびたび別の道を指し示す道しるべになるのとまさしく同様に、国々が至る所で陥っている問題は、実のところ、この変化を強いる、もがき苦しみなのです。」

 「では、あなたは人々が彼らの世俗的な関係に靈的な道徳律を導入することを望んでいるのでしょうか。」

 「まさしくそうです。それは実践不可能ではありません。なぜなら、それは最終的に全ての人を満足させ、そして、足早に消え去らないであろう結果をもたらす唯一の方法だからです。そして、仮に靈的な光を見出した人がより多く世界に存在するなら、それは一層素早く広がるでしょう。インドは、名誉あることに、その靈的な人々を支え、尊敬しています-前の時代より、そうではなくなっていますが。仮に全世界が同じことをするなら、そして、靈的な見識を持つ人々から導きを受けるなら、全世界はすぐに平和を見出だし、次第に繁栄するでしょう。」

 我々の会話は長引いた。シュリー・シャンカラが、彼の国の実に多くの人々がするように、東洋をほめそやすために西洋をけなそうとはしないことに私はすぐに気づいた。それぞれ地球の半分が、それ独自の美徳と悪徳一式を所有しており、その点において、それらは大体等しいと彼は認めた!より賢明な世代がアジアとヨーロッパ文明の最良の点を融合させ、調和のとれた、より優れた社会計画を作ることを彼は望んでいた。

 私はその話題を中断し、プライベートな質問の許可を求めた。それは難なく許された。

 「聖下は、どれぐらいの間、その称号を保持しているのでしょうか。」

 「1907年以来です。当時、私はたった12歳でした。任命から4年後、私はカーヴィリ川沿いの村へ隠遁し、そこで3年間、瞑想と勉学に専念しました。その後に初めて、私の公的な務めが始まりました。」

 「あなたはクンバコーナムの本山にほとんど留まらないと私は理解していますが。」

 「その理由は、1918年にネパールのマハーラージャにしばらく彼の客人となるように私が求められたからです。私は受け入れ、その時以来、はるか北にある彼の県に向かってゆっくり旅し続けています。しかし、見て下さい!-その何年もの間中に、私はせいぜい2、3百マイルしか進むことができていません。なぜなら、私の役目の伝統が、あまりにも遠く離れていなければ、私が向かう途中で通るか、もしくは、私を招待する全ての村や町に滞在することを求めるからです。私は地元の寺院で靈的な講話を話し、何らかの教えを住民に授ければなりません。」

 私は私の探求の問題を切り出し、聖下は私がこれまで出会った様々なヨーギや聖者について質問した。その後、私は率直に彼に言った。

 「ヨーガにおける優れた達成を得ていて、その何らかの類の証拠を提示できるか、実演できる人に私は会いたいのです。あなたの(国の)聖者の多くは、この証拠を求められると、話をさらにもう一つすることしかできません。私はあまりに多くを求めているのでしょうか。」

 穏やかな目が私の目と合わさった。

 丸々1分間、沈黙があった。聖下はあご髭を指で触った。

 「あなたが高度な類の真のヨーガへの手ほどきを求めているのなら、あなたはあまりに多くを求めているわけではありません。あなたの熱意が、あなたを手助けするでしょう。私はあなたの決意の力を感じることができます。ですが、光があなたの内で目覚め始めています。それは、疑いなく、あなたが欲するものへあなたを導くでしょう。」

 私は私が彼の言うことを正しく理解したのかどうか分からなかった。

 「これまで、指針として私は自分自身に頼って来ました。あなたの(国の)古の賢者たちの何人かさえも、我々自身の内にいる神より他に神は存在しないと言います」と私は思い切って言った。

 すると、答えは速やかにやって来た。

 「神はあらゆる所にいます。どうして彼を自分自身に限定することができますか。彼は全世界を支えています。」

 私の手にあまりつつあると私は感じ、すぐさま、このやや神学的な調子から会話をそらした。

 「私が進むべき最も実践的な道とは何でしょうか。」

 「あなたの旅を続けなさい。あなたが旅を終えた時、あなたが出会った様々なヨーギや聖者について考えなさい。その後、あなたに最も訴えかける人を選び出しなさい。彼のもとへ戻りなさい。そうすれば、彼が必ずや彼の手ほどきをあなたに授けるでしょう。」

 私は彼の穏やかな横顔を見て、その並外れた落ち着きに感心した。

 「しかし、仮に、聖下、彼らの誰もが十分に私に訴えかけなければ、その時は、どうすれば。」

 「その場合、神自身があなたを手ほどきするまで、一人で進まねばならないでしょう。日ごろから瞑想を修練しなさい。あなたの心の中で、愛を持って、高尚な事柄を観想しなさい。魂についてよく思いなさい。そうすれば、そのことが、あなたを魂へ連れゆく助けになるでしょう。修練する最良の時間は、目覚める時です。次に最も良い時間は、薄明(はくめい)の時です。それらの時間に世界はより穏やかになり、あなたの瞑想を妨げることが少なくなるでしょう。」

 彼は慈愛深く私を見つめた。彼の髭のある顔に住まう、聖者にふさわしい安らぎを私はうらやましく感じ始めた。本当に、彼の心は、私の心に傷跡を残している破壊的な混乱を一度も経験したことがないのか。私は衝動的に彼に尋ねるように駆り立てられた。

 「もし私が失敗すれば、その時は、あなたの援助を仰いでもよろしいでしょうか。」

 シュリー・シャンカラは静かに首を振った。

 「私は公的機関の指導的立場にあり、時間がもはや自分自身のものではない人間です。私の活動は、私のほぼ全ての時間を要求します。数年間、毎晩、私は睡眠に3時間だけ費やしています。どうして私が個人的な弟子をとれますか。あなたは自分の時間を弟子に注いでいる師を見つけねばなりません。」

 「しかし、真の師はめったにおらず、しかも、ヨーロッパ人が見つけ出すことはありそうもないと私は伺っています。」

 彼はうなずいて私の発言に同意したが、言い添えた。

 「真理は存在します。それは見出せます。」

 「そのような師、私に高次のヨーガが実在する証拠を示す力のある者への道を私に教えることはできませんか。」

 長引く沈黙の間の後、聖下はようやく答えた。

 「ええ。あなたが望むものをあなたに与えられるであろう師を、私はインドで二人だけ知っています。彼らの一人はベナレスに住んでいて、大きな家の中に人目を離れ隠され、家自体が広大な庭園の中に隠されています。彼に近づくことを許される人はほとんどいません。もちろん、彼の隠遁所に立ち入ることのできたヨーロッパ人は未だにいません。私はあなたを彼のもとへやることはできますが、ヨーロッパ人が入ることを彼が拒むのではないかと危惧しています。」

 「では、もう一人は-?」 私の興味は妙にかき立てられた。

 「もう一人の人は内陸に、さらに南に住んでいます。私は彼を一度訪れたことがあり、彼が崇高な師であると知っています。私はあなたが彼のもとへ行くことを勧めます。」

 「彼は誰ですか。」

 「彼はマハルシと呼ばれています。私は彼に会ったことはありませんが、彼が崇高な師であると知っています。あなたが彼を発見できるように、詳しい指示をあなたに提供しましょうか。」

 私の心の目の前に、ある心象がさっと浮かんだ。

 私は黄色のローブをまとった修道士を見た。彼は彼の先生のもとへ同行するように私を説得したが、無駄だった。私は彼が山の名前をささやくのを聞いた。それは、「聖なるかがり火の山」だった。

 「どうもありがとうございます、聖下」と私は答えた。「ですが、私にはその場所からやって来た案内人がいます。」

 「では、あなたはそこへ行くのですか。」

 私はためらった。

 「明日、南部から発つための全ての手はずが整えられています」と曖昧につぶやいた。

 「もしそうなら、あなたに一つお願いがあります。」

 「喜んで。」

 「あなたがそのマハルシに会わないうちは、南インドを離れないと私に約束して下さい。」

 私を助けたいという真摯な願いを彼の目に私は読みとった。約束は結ばれた。

 慈愛深い笑顔が、彼の顔を横切った。

 「心配しないで。あなたはあなたが探し求めるものを発見するでしょう。」

 路上にいる群衆からの不満のつぶやきが、家を貫いた。

 「私はあなたの貴重な時間をあまりにも取りすぎてしまいました」と私は謝罪した。「誠に申し訳ありません。」

 シュリー・シャンカラの厳粛な口元が緩んだ。彼は私の後について控えの間に入り、私の連れ合いの耳に何かささやいた。私はその文の中に私の名前を聞き取った。

 別れの挨拶にお辞儀をするため、玄関で私は振り返った。聖下は私を呼び戻し、(私は)別れのメッセージを受け取った。

 「あなたはいつも私を思い起こすでしょう。そして、私はいつもあなたを思い起こすでしょう!」

 そうして、この謎めいた、まごつかせる言葉を聞き、幼少期から神に全人生を捧げている、この興味深い人の前から私はしぶしぶ引き下がった。彼は世俗的な権力を求めない管長だった。なぜなら、彼は一切を放棄し、一切を断念していた。物質的なものが何であれ彼に与えられても、彼はそれを必要とする人々に再びすぐに与える。彼の美しく、温和な人格は、きっと私の記憶の中に留まり続けるだろう。

 私は夕方までチングレプットをぶらつき、その芸術的な、古風の美を探索し、それから、家に帰る前に、最後に一目見ようと聖下の姿を探した。

 私はその町で最も大きい寺院で彼を見つけた。ほっそりした、慎み深い、黄色のローブをまとった人物が、男性と女性と子供からなる大群衆に教えを説いている。大勢の聴衆の中に、全くの静寂が行き渡る。私は彼の現地の言葉を理解できないが、知的なバラモンから文字の読み書きができない農夫まで、参加者すべての注意を彼は深く引きつけている。私には分からなかったが、彼が最も深遠な話題について最も簡単な方法で話していると私は大胆に推測した。私が彼の中に読み取った性格が、そういうものだったからだ。

 それでも、私は彼の美しい魂を高く評価していたが、膨大な聴衆の素朴な信仰心を私はうらやましく思った。人生は、見たところ、彼らに深い疑惑の気分を少しももたらしていないようだ。神は存在する。それで、一見落着である。世界が残酷な弱肉強食の闘争の現場のように見える時に、神がぼんやりした無へ後退する時に、そして、人間の存在自体が、我々が地球と呼ぶ、全宇宙のこのはかない小さな断章を横切る断続的な一節に過ぎないように思える時に、魂の暗い夜を経験するとはどういうことなのか彼らは知らないようだ。

 星がちりばめられた藍色の空の下、我々はチングレプットから車を走らせた。突然のそよ風の中、水辺の上でその枝を雄大に揺らすヤシの木々に私は耳を傾けた。

 私の連れ合いが突然に我々の間の沈黙を破った。

 「あなたは実に幸運です!」

 「どうしてですか。」

 「なぜなら、これは聖下がヨーロッパ人の作家に許した最初の会談だからです。」

 「では-?」

 「それはあなたに彼の祝福をもたらします!」
 

2015年3月9日月曜日

『A Search in Secret India』 第8章 ②いざ、第66代シャンカラのもとへ

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

 軽食、つまり、お茶とビスケットの時間ぐらいに、使用人が大声で訪問者を知らせた。訪問者はインクのしみがついた同業者仲間の一員、すなわち、作家のヴェンカタラマニであると分かった。

 数枚の紹介状が、私がそれらを放った所、トランクの底に置いてあった。私はそれらを使いたいとは思わなかった。これは、そこにいる神々がどんなものでも、彼らに最良を-もしくは、最悪を-尽くす気にさせたほうがいいかもしれないという奇妙な気まぐれに答えたものだった。しかしながら、私の探求を始めるための準備として、一通をボンベイで使い、もう一通をマドラスで使った。それと共に個人的な伝言を伝えるように指示されていたからだ。そのようにして、この第二の手紙はヴェンカタラマニを私の扉まで連れて来た。

 彼はマドラス大学の評議会の一員であるが、村の生活についての優れた随筆と小説の著者としてより良く知られている。彼は英語媒体を使うマドラス管区で最初のヒンドゥー人の作家であり、文学への貢献を理由に、彫刻された象牙の盾を国から授与されている。彼はインドのラビンドラナート・タゴールとイングランドのホールデン卿の高い称賛を得るほどに価値ある繊細な文体で著述する。彼の散文には美しい隠喩が山と積まれているが、彼の小説は見捨てられた村々の物悲しい人生を伝えている。

 彼が部屋に入る時、彼の背が高く細い体、とても小さい髪の毛の房がついた小さな頭、小さな顎と眼鏡をかけた目を私は見た。思想家と理想主義者と詩人が合わさった目をしている。それでいて、苦しむ農夫の悲哀がその悲しげな虹彩に映し出されている。

 我々は共通の興味の対象となる様々な道の上いることにすぐに気づいた。我々がたいていの物事についての原稿を比べた後、我々が政治をさんざんに非難し、我々の大好きな著者の前で敬意のつり香炉を振った後、私は唐突に心動かされ、彼に私のインド訪問の本当の理由を明らかにしたくなった。まったく率直に、私の目的が何であるか彼に告げた。私は証明しうる技能を持つ本物のヨーギの所在について彼に尋ねた。汚れまみれの苦行者や曲芸を演じるファキールに特に興味はないと私は彼に注意した。

 彼は頭を垂れ、その後、それを否定的に振った。

 「インドは、もはやそのような人々がいる国ではありません。我々の国のますます増大する物質主義、一方でのその広汎な堕落、他方での非靈的な西洋文化の衝撃によって、あなたが探している人々、偉大な師らはほとんどいなくなりました。それでも、いくらかは隠所に、おそらくは人里離れた森に存在すると私は固く信じていますが、あなたが全人生をその探求に捧げなければ、彼らを見つけることは困難を極めるでしょう。私と同じインド人があなたがするような探求に着手するなら、今日では彼はほうぼうを放浪しなければなりません。それでは、ヨーロッパ人にとっては、どれほどいっそう大変になるでしょうか。

 「では、あなたはほとんど希望を抱かせてはくれないのですね」と私は尋ねた。

 「う~ん、何とも言えません。あなたは幸運かもしれませんし。」

 何かが私に唐突な質問をするよう駆り立てた。

 「北アルコットの山々に住む師について聞いたことがありますか。」

 彼は頭を振った。

 我々の会話は横道にそれ、文学の話題に戻った。

 私は彼にたばこを勧めたが、彼は喫煙を辞退した。私が自分でたばこに火をつけ、トルコ産の刻みたばこの香りのよい煙を吸いこむ間、ヴェンカタラマニは急速に消えつつある古きヒンドゥー文化の理想を情熱的に褒め称えて彼の心情を吐露した。彼は生活の簡素さ、共同体への奉仕、余裕のある生活、靈的目的というような考えに言及した。彼はインド社会の主要部で成長する寄生的な愚かな行いを取り除きたいと思っていた。しかしながら、彼の心の中の最大の問題は、インドの50万の村々が工業化された大都市の貧民街にとっての単なる求人センターになることから救うという彼の未来像だった。この脅威は現実からは遠いものであったが、彼の預言的な洞察と西洋産業史の記憶はこれを現代的風潮の一定の結果とみなしていた。ヴェンカタラマニは、彼が南インドの最古の村の一つの近くの資産ある家庭に生まれたと私に言い、村の生活が陥った文化的退廃と物質的貧困を大いに嘆いていた。彼は素朴な村の人々の(暮らしの)改善のための計画を立てることを好み、彼らが不幸でいるのに幸福でいることを彼は拒否していた。

 彼の見解を理解しようとして私は静かに聞いていた。ついに、彼は立ちあがって去り、背が高く細い彼の姿が道を下って消えてゆくのを私はじっと見ていた。

 翌日の早朝、私は彼の予期せぬ訪問を受けて驚いた。彼の馬車があわてて門まで押し寄せてきた。というのも、彼は私が外出するかもしれないと危惧していた。

 「昨晩遅く、私の最大の後援者がチングレプットに一日滞在するという伝言を私は受け取りました」と彼は唐突に言い出した。

 呼吸を整えた後、彼は続けた。

 「クンバコーナムの聖下シュリー・シャンカラ・アーチャールヤは南インドの靈的指導者です。何百万の人々が神の教師の一人として彼を敬っています。偶然にも彼は私に大変興味を持ち、私の文芸活動を奨励しました。もちろん、彼は私が靈的な助言を求める人です。昨日、私が言及を避けたことを今やあなたに話してもいいでしょう。我々は彼を最高の靈的達成をなした師とみなしています。しかし、彼はヨーギではありません。彼は南部ヒンドゥー世界の大主教、真の聖者、偉大な宗教哲学者です。彼は我々の時代の靈的潮流の大部分に十分気づいているために、そして、彼自身の達成のため、おそらく彼には本物のヨーギについて並外れた知識があります。村から村へ、都市から都市へと、彼はたいそう旅します。その結果、彼はそのような事柄にとりわけ精通しています。彼がどこへ行こうと、聖者が敬意を表するために彼のもとへやって来ます。彼はおそらくあなたに何らかの有益な助言を与えられるでしょう。彼を訪問してはいかがですか。」

 「とてもご親切にありがとうございます。喜んで参ります。チングレプットはどれぐらいの距離ですか。」

 「ここからたったの35マイルです。でも、待って下さい-」

 「何でしょうか。」

 「聖下があなたの謁見を許すかどうか疑わしく思えてきました。もちろん、私は彼を説得するようできる限りのことをするつもりです。ですが-」

 「私はヨーロッパ人です!」 私は彼にかわって文を完成させた。「分かっています。」

 「あなたはすげない拒絶の危険を冒すのですね?」 彼は少し心配そうに尋ねた。

 「もちろんです。行かせてください。」

 軽い昼食の後、我々はチングレプットへ出発した。私は私の文筆仲間に私が今日会いたいと望む人についての質問を浴びせた。シュリー・シャンカラが食事と衣服に関してほとんど苦行者のような質素な生活を送っているが、彼の崇高な役目の品位によって、旅する時、彼は壮麗な装いで移動するように求められていることを私は知った。たいてい、彼にはその時、人が乗った象とらくだ、パンディットとその弟子たち、お触れ役と支持者のお供が伴っている。彼がどこに行っても、周辺地域からの大勢の訪問者を引きつけることになる。彼らは靈的、精神的、身体的、経済的援助を求めてやって来る。毎日、お金持ちから何千ルピーものお金が彼の足元に置かれるが、彼は清貧の誓いを立ているため、この収入は価値ある目的に充てられる。彼は貧しい者を救援し、教育を援助し、朽ちゆく寺院を修繕し、南インドの川のない地域でとても役立つ寺院の人工の天水池の状態を改善する。しかしながら、彼の使命は、主に靈的な事柄に関する。立ち寄る場所すべてで、彼は人々の心を高めるだけでなく、人々にヒンドゥー教の彼らの遺産をより深く理解するように鼓舞する。彼はたいてい地元の寺院で教えを説き、その後、彼のもとに集まる大勢の探求者に個人的に応じる。

 初代シャンカラからの直系継承において、シュリー・シャンカラがその称号の第66代目の担い手であることを私は知った。頭の中で彼の役目と力を正しい視点から把握するため、私はヴェンカタラマニにその系列の創始者についていくつか質問を尋ねざるをえなかった。初代シャンカラは千年以上前に活躍し、彼は歴史上のバラモンの賢者の中で最も偉大な人の一人であったようだ。彼は理性的な神秘主義者として、そして、一流の哲学者として評されるかもしれない。彼の時代のヒンドゥー教が混乱し、老朽化した状態で、その靈的活力が急速に衰えつつあることに彼は気づいた。彼はある使命のために生まれたようだ。18歳の時から、彼はインドをくまなく放浪し、彼が通り過ぎる、あらゆる地方の知識階級や僧侶と論じ合い、彼自身が創始した教説を説き、相当の支持者を得た。彼の知性はとても鋭かったため、たいてい彼は彼が会った人々の手に余る相手だった。彼は、彼の喉から命が消えた後でなく、存命時に預言者として受け入れられ、敬われるという幸運に恵まれた。

 彼は多くの目的を持った人だった。彼は彼の国の主要な宗教を擁護したが、それを口実にして発達した有害な慣習を強く非難した。彼は人々を徳行の道に連れてこようと試み、飾り立てた儀式に頼るだけの無益さを暴いた。彼は実の母の死に際して葬儀を行うことによってカーストの決まりを破り、そのために僧侶たちは彼を破門した。この恐れを知らない若者は、最初の有名なカーストの破壊者である仏陀の後継者にふさわしかった。僧侶たちに反対し、彼は全ての人が、カーストや肌の色に関係なく、神の恩寵に、そして、最高の真理の知に達することができると説いた。彼は特殊な教義を創設せず、誠実に守られ、その神秘主義的な内なる本質まで辿られるなら、全ての宗教が神への道であると考えた。彼はその論点を証明するために完全で、精緻な哲学体系を念入りに作りあげた。彼は多くの文学的遺産を残し、それは国中の聖典を学ぶ全ての都市で敬われている。パンディットたちは彼の哲学的、宗教的遺産を非常に大切にしている。当然ながら、彼らはその意味についてつまらない議論をし、言い争っているが。

 シャンカラは、黄土色のローブを身につけ、巡礼の杖を携え、インドをくまなく旅をした。彼は賢明な方策の一つとして、周囲四地点に四つの巨大な施設を設立した。北部のバドリーナートに一つ、東部のプリーに一つ、という具合に。総本山は、寺院と僧院と共に、彼が務めをはじめた南部に設立された。今日まで、それはヒンドゥー教の至聖所のままある。これらの施設から、雨季が終わると、訓練された僧の一団が出て、シャンカラの教えを伝えるために国を旅したものだった。この驚嘆すべき人物は32歳という若さで亡くなったが、ある伝説は彼はただ消え去ったと表現している。

 今日、私が会うであろう彼の後継者が同じ務めと同じ教えを継承していることを私が知った時、この情報の価値は明白となった。これに関連して、奇妙な伝統が存在する。初代シャンカラは、彼の心が弟子たちの所に今までどおり留まるだろうこと、そして、彼の後継者に「影を投げかける」不可思議な過程によってこれを達成するだろうことを彼らに約束した。いくぶん似たような理屈は、チベットのダライ・ラマの役目にも結びつけられている。役目の前任者は、彼の死の最後の瞬間に、彼の後を継ぐにふさわしい者を指名する。選ばれる者は、たいてい幼い子供であり、得られうる最良の教師たちから指導され、彼の高い地位に彼をふさわしくするために徹底した訓練が行われる。彼の訓練は宗教的および知的なだけでなく、高度なヨーガと瞑想の系統に従ってもいる。この訓練の後には、彼の信徒たちに奉仕する非常に活動的な人生が続く。この系列が打ち立てられていた何世紀もの間中ずっと、この称号の保持者で、最も気高く、最も無私なる人格を持つと知られていない人は今まで誰一人としていない。

 ヴェンカタラマニは、第66代シャンカラが保持する驚くべき天分についての物語で彼の語りを潤色した。彼自身の従弟の奇跡的な治癒についての話がある。従弟はリューマチのために不自由な体になっており、何年も床に伏せっていた。シュリー・シャンカラは彼を訪れ、彼の体に触れ、3時間の内に病人はずっと良くなり、床を離れた。すぐに彼は全快した。

 さらなる主張では、聖下は他者の考えを読む力を持つと信じられている。いずれにせよ、ヴェンカタラマニはこれが真実であると完全に信じていた。

§

 ヤシの木に囲まれた公道を通り、我々はチングレプットに入り、しっくい塗りのもつれ合った家々、乱雑に密集した赤い屋根、細い道々を見た。我々は下車し、大群衆が集まっている都市の中心部へ向かって歩いた。私はある家に連れて行かれ、そこでは秘書の一団がクンバコーナムの本山から聖下に伴ってきた膨大な書状の処理に忙しそうに携わっていた。ヴェンカタラマニが秘書の一人にシュリー・シャンカラへの伝言を渡す間、私は椅子のない控えの間で待った。半時間以上たって、その人は私が求める謁見は許されないという答えを持って帰って来た。聖下がヨーロッパ人を歓迎できるように思えない。その上、2百人の人が会見を待っている。多くの人が会見の約束を取り付けるために町に泊まりがけで滞在している。秘書はしきりに弁明した。

 私は諦観して状況を受け入れたが、ヴェンカタラマニは特権を持つ友人として聖下の面前に出られるよう努力してみると言い、その後、私の理由を訴えた。群衆の数人は、あこがれの家に順番ぬかしで入ろうとする彼の意図に気づくと、不愉快な様子でぶつぶつ言った。たいそう話し、ぺちゃくちゃ説明した後、彼は成功を収めた。微笑み、勝ち誇って、ついに彼は戻って来た。

 「あなたの場合に、聖下は特別の例外をもうけます。1時間ほど後、彼はあなたに会います。」

 主要な寺院へと延びる、絵のように美しい小道をあてもなくぶらついて、私はその時間をつぶした。灰色の象と黄褐色がかった茶色の大きならくだの行列を水飲み場まで連れてゆく、従者たちに出会った。旅する時に南インドの靈的指導者を運ぶ見事な動物を、誰かが私に指し示した。彼は壮麗な装いで乗り、背の高い象の背中の上の豪華絢爛な天蓋つきの御輿に空高く支えられている。それは豪華な装飾、高級な織物、黄金の刺繍に美しく覆われている。年老いた威厳ある生き物が道沿いに歩を進めるのを私はじっと見ていた。それが通り過ぎる時、その鼻は巻き上がり、再び垂れ下がった。

 靈的な人物を訪問する時に、果物や花や砂糖菓子の捧げ物を少し持って行くことを人に要求する古びれた慣習を思い出し、私は威厳ある主人の前に置くための贈り物を手に入れた。オレンジと花が目に映る唯一のものであり、私は便利に運べる精一杯の量を集めた。

 聖下の仮住まいの外に押し掛ける群衆の中で、私はもう一つの重要な慣習を忘れていた。「靴を脱いで」とヴェンカタラマニは即座に私に思い出させた。私は靴を脱ぎ、通りに置いていった。私が戻った時に、まだそこに靴があることを願いながら!

 私は小さな玄関口を通りぬけ、がらんとした控えの間に入った。突きあたりに薄暗く照らされた囲いがあり、そこで私は影の中に立つ背の低い人物を見た。私は彼に近づき、私の小さな捧げ物を置き、低くお辞儀をして挨拶した。この儀式には、敬意の表現として、そして、害のない礼儀としての必要性と別に、私の心に強く訴えかける芸術的な価値があった。私はシュリー・シャンカラが教皇的存在ではないことを良く知っていた。ヒンドゥー教にそういったものは存在しないからだ。しかし、彼は莫大な規模の宗教的集団の教師であり、鼓舞する人である。南インド全土が、彼の指導に従う。

2015年3月5日木曜日

『A Search in Secret India』 第8章 ①アルナーチャラへの誘い

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

第8章 南インドの精神的指導者と共に

 マドラスへと我々を連れ行く道の終わりに到着する前に、誰かが私のそばに近づいた。私は顔を向けた。私に歯を見せる堂々とした笑い顔で報いたのは、黄色いローブをまとったヨーギ、彼だったからだ。彼の口はほとんど耳から耳まで広がり、彼の目はしわが寄って狭い隙間となっている。

 「私と話をしたいのでしょうか」と私は尋ねた。

 「ええ、そうです」と良いアクセントの英語で彼はすぐに答えた。「あなたが私たちの国で何をしているのか伺ってもよろしいでしょうか」。私は彼のこの詮索好きな様子にとまどい、あいまいな答えをしようと決めた。

 「あぁ!ただ旅してまわっているだけですよ。」

 「あなたは私たちの聖者に興味があるのではと思うのですが。」

 「ええ-少し。」

 「私はヨーギです」と彼は私に知らせた。

 彼は私が今まで見た中で最も屈強そうなヨーギだった。

 「どれぐらいヨーギでいるのですか。」

 「三年です。」

 「うーん、こう言っては何ですが、あなたは全然やつれていないようですね!」

 彼は誇らしげに身を正し、気をつけの姿勢で立った。彼は素足だったので、彼のかかとのコツンという音を当然のことと思った。

 「7年間、私は王‐皇帝陛下の兵士でした!」と彼は声をあげました。

 「どうりで!」

 「そうです。私はメソポタミアの戦いの間、インド軍の兵士に所属していました。戦争の後、私は知的に秀でていたため、軍の会計課で働きました!」

 私は彼自身へのこの頼まれてもいない賛辞の言葉に苦笑した。

 「私は家族の問題のために軍を辞め、大変苦しい時期を過ごしました。それが私に聖なる道に専念する気にさせ、ヨーギとなっています。」

 私は彼に名刺を手渡した。

 「名前を交換しませんか」と私は提案した。

 「私の個人名はスブラマンヤで、私のカースト名はアイヤルです」と彼はすぐに名乗った。

 「では、スブラマンヤさん、私はあなたが沈黙の賢者の家でささやき述べたことの説明を待っているのですが。」

 「私もあなたに説明する時を今まで待ち続けていたんです!あなたの疑問を私の師へ持って行きなさい。なぜなら、彼はインドでもっとも賢明な人であり、ヨーギさえよりも賢明だからです。」

 「では、あなたはインド全土をくまなく旅行したのですか。そのような発言ができるということは、あなたは優れたヨーギ全員に会ったのでしょうか。」

 「私は彼らの内の数人に会いました。私はこの国をケープ・コモリンからヒマラヤまで知っています。」

 「なるほど。」

 「私は彼のような人に会ったことがありません。彼は偉大な人物です。それで、私はあなたに彼に会って欲しいのです。」

 「どうしてですか。」

 「彼が私をあなたのもとへ導いたからです!あなたをインドに引き寄せたのは、彼の力です!」

 この大げさな発言は私にはあまりにも誇張したものに感じられ、私は彼から身を引き始めた。私はいつも感情的な人々の美辞麗句の誇張した表現を恐れていて、黄色のローブをまとったヨーギがとても感情的であるのは明らかだった。彼の声、仕草、風采、雰囲気は明らかにそれを示している。

 「私には分かりません」が私の冷やかな答えだった。

 彼はさらなる説明を始めた。

 「8か月前、私は彼を知るようになりました。5か月間、私は彼と共にいることを許され、その後、私は再び旅に送り出されました。私はあなたが彼のような別の人に会いそうだとは思いません。彼の精神的恩恵は大変に偉大なため、彼はあなたの口に出さない思いに答えるでしょう。彼の崇高な精神的段階を理解するために、あなたは少しの間、彼と共にいさえすればいいのです。」

 「本当に彼は私の訪問を歓迎するのでしょうか。」

 「あぁ、そうです!もちろんです。私をあなたのもとへ寄こしたのは、彼の導きです。」

 「彼はどこに住んでいますか。」

 「アルナーチャラ-聖なるかがり火の山に。」

 「では、それはどこにありますか。」

 「さらに南方にある北アルコット地方に。私があなたの案内人を買って出ましょう。私にあなたをそこへ連れて行かせてください。私の師はあなたの疑問を解決し、あなたの問題を取り除くでしょう。なぜなら、彼は最高の真理を知っているからです。」

 「それはとても興味深く聞こえますが」と私はしぶしぶ認めた。「でも、その訪問が今のところ不可能であることを残念に思います。私のトランクは荷造りされ、私はすぐに北東部へ出発します。守らなければならない二つの重要な約束がありますからね。」

 「しかし、これはもっと重要です。」

 「残念です。私たちは会うのが遅すぎました。私の支度は終わり、容易に変更することはできません。私は後で南部に戻るかもしれませんが、私たちは差し当たりこの旅を取り止めなければなりません。」

 そのヨーギは明らかにがっかりした。

 「あなたは好機を逃そうとしています。それに」

 私は無用な議論を予感し、彼の言葉を遮った。

 「私はもうあなたと別れなければなりません。とにかく、ありがとう。」

 「私はあなたの拒絶を受け入れることを拒否します」と彼は頑固に言い放った。

 「明日の午後、あなたのもとを訪れましょう。その時、あなたが心変わりしたということを聞きたいと思います。」

 我々の会話は唐突に終了した。私は強健な、引きしまった、黄色いローブをまとった彼の姿が道の向こう側へ歩き出すのをじっと見ていた。

 私が家に着いた時、判断を誤ったということもありうると感じ始めた。もし師が弟子の主張の半分の価値があるなら、半島の南端への面倒な旅に彼は値する。しかし、私はいくぶん熱狂的な信奉者たちに疲れていた。彼らは師らの賛歌を歌うが、師らは西洋のより批判的な基準には残念ながら達していないということが調べてみると分かる。さらに、眠れない夜々と蒸し暑い日々は私の神経を本来よりも落ち着きのないものにしていた。それゆえ、旅が無駄な努力となるやもしれない可能性は、本来よりも大きく立ちはだかった。

 それでも、議論は意見を変えることに失敗した。奇妙な直観が、彼の師への独特の主張をヨーギが熱心に強調したことには何らかの本物の根拠があるかもしれないと私に警告していた。私は自分への失望感を遠ざけることが出来なかった。

2013年11月17日日曜日

R.ラファエル・ハースト氏(ポール・ブラントン)の最初の訪問 - 悟りの探求

◇『大いなる愛と恩寵(Surpassing Love and Grace)』、p14~18

14. 初期の時代から 


 この文章は、スワーミー・オームカーラの1931年9月付の月刊誌「PEACE」から抜粋されたものです。それはポール・ブラントンのシュリー・ラマナーシュラマムの最初の訪問を描いています。彼の著書、『A Search in Secret India』は、初期のころにシュリー・バガヴァーンを広く知らしめるために、他の何よりも役立ちました。ポール・ブラントンが初めてインドに来た時、彼はR.ラファエル・ハーストという名前を使っていました。ポール・ブラントンは彼のペンネームであり、後に彼はそれを永久に採用しました。その名前で記した本によって、彼が大いに知られるようになったからです。

 興味深いことに、一人の外国人記者のアーシュラムへの訪問という出来事が、遠い昔には新聞に書かれるべき重要なことだったのです!

 それは午後4時半のことで、弟子たちは講堂でマハルシの前に座り、ハースト氏と仏教の比丘がアーシュラムを訪問しようとしているという趣旨の新聞に出た告示について話していました。時計は五時を打ち、砂糖菓子を一皿分携えたヨーロッパ人の服装をした男性が、仏教の比丘に伴われて講堂に入って来ました。訪問者らは砂糖菓子をマハルシに差し上げ、ヨーロッパ風にお辞儀した後、共に彼の前の床に座りました。彼らが弟子たちが話していた訪問者たちでした。英国の服装の男性はR.ラファエル・ハースト、当時インドを訪問していたロンドンの記者でした。彼は東洋の宗教的な教えに熱烈な興味を持っていて、その知的研究と理解により、東洋と西洋の間の協調の運動が大いに促進されるだろうと考えました。彼は多くの他のアーシュラムを訪れた後、シュリー・ラマナーシュラマムに来ました。彼と共に来た比丘もまた、生まれはイギリス人でした。彼は依然は陸軍将校でしたが、今はスワーミー・プラジニャーナンダとして知られています。彼はヤンゴンの英国人のアーシュラムの創設者です。訪問者たちは共に魔法にかけられたかのようにマハルシの前で座りました。水を打ったような静寂がありました。

 訪問者たちを連れてきた人が、彼らが何か質問をしたいかどうか尋ねることによって、静寂は破られました。しかしながら、彼らはそのようにする気分でなく、そうして一時間半がたちました。それから、ハースト氏は彼の訪問の目的を述べました。強烈な熱意がこもった声で、彼は靈的な悟りのためにインドへ来たのだと言いました。彼は「私自身だけでなく、西洋の多くの他の人々も東洋からの光を熱望しています」と付け加えました。マハルシは完全に内に引きこまれて座り、まるで注意を払いませんでした。そこに座っていた人々の中の一人が、彼らに比較宗教学の研究のために東洋に来たのかどうか尋ねました。比丘は答えました。「いいえ。我々はそれをヨーロッパでよりよく学べるでしょう。我々は真理を見つけたいのです。我々は光が欲しいのです。我々は真理を知ることができますか。悟りを得ることは可能ですか」。マハルシはいまだ沈黙し、内に引き込まれたままでした。訪問者たちが散歩を望んだので、会話は終わり、みな散りました。

 次の日の朝、訪問者たちは講堂に入り、大変な熱意を持ってマハルシにいくつか質問をしました。以下に再現された会話は、会話が進行している間にとられた大雑把な覚え書きからです。

比丘:
 我々は悟りを求め、至る所を旅しました。どうすれば我々はそれを得られますか。

マハルシ:
 深い探求と継続的な瞑想を通じて。

ハースト:
 西洋では多くの人々が瞑想しますが、進歩の兆候を示しません。

マハルシ:
 あなたはどのようにして彼らが進歩していないと知るのですか。靈的な進歩は簡単には見分けられません。

ハースト:
 数年前、私は至福を垣間見たのですが、次の数年の内にそれは再び失われました。それから、昨年、私は再びそれを得ました。それはなぜですか。

マハルシ:
 あなたの瞑想が自然(サハジャ)になっていなかったために、あなたはそれを失いました。あなたが習慣的に内向きになる時、靈的な至福の楽しみは普通の体験になります。

ハースト:
 それはグルがいないためではないでしょうか。

マハルシ:
 ええ。しかし、グルは内にいます。内にいるそのグルは、あなたの自らと同じです。

ハースト:
 何が神の実現への道ですか。

マハルシ:
 ヴィチャーラ、あなた自身に「私は誰か」と尋ねること、あなたの自らという本質への探求。

比丘:
 世界は堕落した状態にあります。どんどん悪くなってきています。靈的に、道徳的に 、知的に、そして、あらゆる方面において。靈的な師は、混沌から世界を救うために現れるのでしょうか。

マハルシ:
 必然的に。善が衰退し、悪がはびこるとき、は善を元通りにするために現れます。世界はあまりにも善かったり、あまりにも悪かったりしません。それは善と悪が混在したものです。混ざりけのない幸福と不幸は、世界の中に見つかりません。世界はいつも神を必要としていて、神はいつも訪れます。

比丘:
 彼は東洋に生まれるでしょうか。それとも、西洋でしょうか。

 マハルシはその質問に笑いましたが、それに返答しませんでした。

ハースト:
 マハルシはアヴァターラがすでに肉体の内に存在しているかどうか知っていますか。

マハルシ:
 彼は知っているかもしれません。

ハースト:
 神性を達成するための最良の道は何ですか。

マハルシ:
 自らの探求が、自らの実現に通じます。

ハースト:
 靈的進歩のためにグルは必要ですか。

マハルシ:
 ええ。

ハースト:
 弟子が道を先に進むのをグルが手助けすることは可能ですか。

マハルシ:
 ええ。

ハースト:
 何が弟子の立場(期間)の条件ですか。

マハルシ:
 自らの実現への強い望み、熱意、心の純粋さ。

ハースト:
 グルは弟子の世俗的な事柄も管理したいと思いますか。

マハルシ:
 ええ、全てのことを。

ハースト:
 彼は弟子が必要とする靈的な閃きを与えられますか。

マハルシ:
 彼は弟子に弟子が必要とする全てを与えることができます。このことは体験から理解できます。

ハースト:
 グルと身体的に接触していることは必要ですか。もしそうなら、どれぐらいの期間ですか。

マハルシ:
 それは弟子の成熟性しだいです。火薬は一瞬で着火しますが、石炭に火をつけるには時間がかかります。

ハースト:
 務めについて生活しながら、(聖)靈の道に従い成長することは可能ですか。

マハルシ:
 務めと知恵の間に対立はありません。逆に、私心のない務めは自らの知への道を開きます。

ハースト:
 人が務めに従事しているなら、彼には瞑想のための時間がほとんど残されていません。

マハルシ:
 瞑想のために特別の時間を割く必要があるのは、靈的な道の初心者だけです。より進んだ人は、務めに従事していても、していなくても、常に至福を楽しみます。彼の手は社会にあっても、彼は頭を独り冷静に保てます。

比丘:
 メヘル・バーバー(*1)について聞いたことはありますか。

マハルシ:
 ええ。

比丘:
 数年以内に(自分は)アヴァターラ(*2)になるだろうと彼は言っています。

マハルシ 
 全ての人が神のアヴァターラです。「天の王国はあなたがたの内にあります」(*3)。イエス、ムハンマド、ブッダ、クリシュナ、皆があなたの内にいます。真理を知るものは、他の誰をも神の顕現として見ます。

比丘:
 マハルシはメヘル・バーバーについて意見があるでしょうか。

マハルシ:
 どんな意見ですか。それ(外的なアヴァターラの存在)は、真理の探求者が考慮する必要のない問題です。

比丘:
 世界は活力を取り戻すでしょうか。

マハルシ:
 世界を統治している一者(*4)がいて、その面倒を見るのはの仕事です。世界を創造したが、それをどのように導くか知っています。

比丘:
 今、世界は進歩していますか。

マハルシ:
 我々が進歩すれば、世界も進歩します。あなたがあるがごとく、世界もあります。自らを理解せずに、世界を理解することが何の役に立ちますか。自らの知がなければ、世界の知識は役に立ちません。内に潜り、そこに隠されている財宝を見出しなさい。ハートを開き、あなたの真の自らという目通じ、世界を見なさい。覆いを破りさり、あなた自身の自らという神の荘厳を見なさい。

(*1)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC
(*2)アヴァターラ・・・文字どうりの意味は「降下」。神聖な存在が、この世に現れること。「化身」。
(*3)「天の王国(the Kingdom of Heaven)」という言葉は使われていませんが、ルカによる福音書、17章20・21に以下のように記されています-神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちでくるものではない。また、『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ。「天の王国」は、マタイによる福音書によく出てくる言葉のようです。
(*4)一者・・・英語のthe Oneの訳。「絶対者、神」