2015年4月6日月曜日

『A Search in Secret India』 第9章 ④アルナーチャラの大寺院

◇『秘められしインドでの探求(A Search in Secret India)』 邦題:秘められたインド

 私は乗り物を呼んでくるように言い付けて人を町区へ行かせた。寺院を視察したいと思ったからだ。もしその場所にあるなら、馬車を見つけてくるように私は彼に頼んだ。牛車は見る分には趣があるが、とても人が望みうる速度と快適さではないからだ。

 私が中庭にはいると、ポニーの2輪馬車が私を待っていることに気づいた。馬車には座る所がなかったが、そのような特徴はもはや私を困らせなかった。運転手はいかつい顔つきの男で、汚れた赤いターバンを頭に巻いている。彼の唯一の他の衣服は、腰帯になった漂泊されていない長い布であり、一方の端が両ふとももの間を通り、ウエストに押し込まれている。

 ほこりまみれの長い道を経て、ついに、巨大な寺院への玄関が、彫刻を施された浮き彫り模様の立ち昇る階層と共に、我々を迎えた。私は馬車を降り、大まかに探索し始めた。

 「アルナーチャラの寺院がどれほど古いのか私には分かりません」と私の連れ合いが質問に答えて述べた。「でも、ご覧のように、その時代は数百年前にさかのぼるに違いありません。」

 門の周りと寺院の出入り口には、小さな店と派手な売店が数店あり、覆いかぶさるヤシの木々の下に建てられている。そのそばには、みすぼらしい装いの聖画の行商人と真鍮製の小さなシヴァや他の神々の聖像の売り手が座っている。私は圧倒的多数のシヴァの彫像に心を打たれた。というのも、他の場所では、クリシュナとラーマが首座を占めているように思えたからだ。私の案内人は説明を与えた。

 「我々の神聖な伝説によれば、シヴァ神はかつて、神聖な赤い山の頂上に炎として現れました。そのために、寺院の神官たちは、数千年前に起こったに違いない、その出来事を記念して一年に一度、大きなかがり火に火をともします。シヴァがいまだ山を統治しているので、寺院はそれを祝うために建てられたのだと思います。」

 数人の巡礼者がぼんやりと露店をうかがっている。そこでは、これら小さな真鍮製の神々だけでなく、宗教的な物語に由来する何らかの出来事を描いた派手な多色石板画、タミル語とテルグ語で印刷されたインクしみだらけの宗教的人物に関する本、ふさわしいカーストや宗派の印をひたいにつけるための色つき塗料も買える。

 ハンセン病にかかった物乞いが、ためらいがちに私の方に近づいてきた。彼の手足の肉は、ぼろぼろに崩れかかっている。可哀想に、私が彼を追い払うのか、それとも、私の憐れみの念を起こさせることができるのか、どうも彼には確信が持てないようだ。彼の顔は、恐ろしい病によって硬直している。私は地面に施し物を置きながら、恥ずかしく思ったが、彼に触れることを恐れていた。

 人物が彫刻されたピラミッド構造状に形作られた門が、次に私の注意を引いた。この大きくそびえ立ったポルティコは、とがった先端が切り落とさられたエジプト由来のピラミッドのようだ。その3基の仲間とともに、門はその地方を見下ろしている。人はそれらに近づくずっと前、数マイル前から、それらを目にすることができる。

 塔の正面は、おびただしい彫刻と古風な趣のある小さな彫像で覆われている。その題材は、宗教的神話や伝説から取られている。そこには風変わりな雑然とした状態が表現されている。人は熱心な瞑想に夢中になったヒンドゥーの神々が独りでいる姿を見たり、なまめかしい抱擁をした折合わさった姿を目にとめ、不思議に思う。それは人に、ヒンドゥー教の中には全ての人の好みに合う何かがあり、この教義の一切を包含する性質とはそういった具合であることを思い出させる。

 私は寺院の境内に入り、気がつくと巨大な中庭の一部にいた。巨大な建造物が、複雑に入り組んだ列柱、回廊、歩廊、神殿、部屋、廊下、屋根のある場所、屋根のない場所を取り囲んでいる。ここには、アテネ近くの神々のあれらの宮殿のように、数分間の静かな驚嘆の中に人の感情を静める円柱状の美をもつ石の建築物はなく、むしろ暗く謎めいた陰気な聖域がある。その広大な奥行きは、よそよそしい肌寒い空気によって私に畏怖の念を起させる。その場所は迷路のようであるが、私の連れ合いは自信ありげな足取りで歩く。外では、塔がその赤みがかった石の彩色で魅力的に見えたが、内では、石造物は灰色である。

 私たちは一枚壁と平屋根、屋根を支える趣ある彫刻が施された柱がある長い回廊を通り抜けた。薄暗い廊下と暗い部屋へ移り、ついに、この古の寺院の外庭に立つ巨大なパルティコに到着した。

 「千柱講堂です!」 私が時の経過で灰色になった建造物をじっと見ていると、私の案内人が知らせた。彫刻が施された巨大な平らな石柱の密集した列が、私の前に広がっている。その場所は、さびれ、人けがない。その巨大な柱は、薄暗がりの中から怪しげにぼんやりと現れている。柱の表面の多くを覆っている古代彫刻をよく見るために、私はさらに柱に近づいた。それぞれの柱は、単一の石のかたまりからできていて、柱が支える屋根さえも何枚もの平らな石からできている。彫刻家の腕の助けで神々と女神がはしゃいでいるのを、再び、私は目にした。見知った動物と見知らぬ動物の彫刻を施された顔が、再び、私をじっと見つめた。

 我々はこれらの柱で支えられた歩廊の敷石の上をぶらぶら歩いて横切り、芯がひまし油に浸かった小さなお椀状のランプによって、あちこち照らされた暗い通路を通りぬけ、そうして、中央の囲い地の近くに到着した。その囲い地へ渡る時に、再び明るい日差しの中に出ることは心地よかった。今や、寺院の内部に点在する、五つの小さな塔を目にすることができる。それらは、高い壁に囲われた中庭の玄関口を特徴づける、ピラミッド状の塔そっくりに形作られている。私は我々の近くに立つ一基を調べ、それが煉瓦で建造されていて、その装飾された表面は、実際、石の彫刻ではなく、焼成粘土か何らかの耐久性のある石膏から形作られているという結論に達した。肖像のいくつかは明らかに塗料で引き立たされているが、今や色あせている。

 我々が囲い地に入り、この驚くほど大きい寺院の少し長めの暗い通路をぶらぶら歩いて回った後、私の案内人は、ヨーロッパ人が足を踏み入れることを許されない中央神殿に近づきつつあると私に警告した。しかし、至聖所は異教徒に禁止されているにしても、その入り口に通じる暗い廊下から垣間見ることは許されている。彼の警告を裏づけるかのように、太鼓をたたく音、どらを激しく打つ音、聖職者の単調な呪文を私は耳にした。その声は、年月を経た聖域の暗闇の中でいくぶん薄気味悪く響く、単調な旋律へ入り混じっていた。

 期待をこめて、私はちらりとのぞいた。薄暗がりの中から、聖像の前に設置された黄金に輝く炎、2~3の薄暗い祭壇照明、何らかの儀式に従事する数人の崇拝者の光景が浮かび上がる。私は聖職者らしい音楽家たちの姿を認めることはできなかったが、今や、法螺貝とシンバルが耳触りで異様な調べをその音楽に加えるのを耳にした。

 私の連れ合いは、私がいることが聖職者たちに明らかに歓迎されないので、これ以上留まらない方が私にとって良いだろうとささやいた。そこで直ちに、我々は、寺院の外側部分の眠気を催す神聖さの中へ退いた。私の探検は終わった。

 今一度、我々が入り口に到着した時、私は脇へ寄らねばならなかった。年配のバラモンが、小さな真鍮製の水差しをそばに置き、道の真ん中で地面に座っていたからだ。彼はひたいに派手なカーストの印を塗り、左手に割れた鏡の破片を持っていた。目下、額の上に現れる赤と白の三つ又のほこ-南部の正統派ヒンドゥー教徒のしるし-は、西洋人の目には、道化師のように異様に映る。寺院の門のそばの売店の中に座り、聖なるシヴァの小さな像を売る、しわの寄った老人が視線を上げ、私の視線と合わさった。彼の暗黙の要求に応じ、私は何かを買うために立ち止まった。

 町区の遠くの端のどこかで、私は大理石のミナレットの輝く白さを目に留めた。そこで、私は寺院を後にし、地元のモスクへ馬車で向かった。私の中にある何かが、モスクの優美なアーチと丸天井の繊細な美しさにいつも感動を覚える。再び、私は靴を脱ぎ、素敵な白い建物に入った。何とうまく設計されているのか。というのも、その丸天井の高さが、否応なく人の気分を高揚させるからだ!数人の崇拝者がいる。彼らは、小さな色彩豊かな礼拝用マットの上に座り、ひざまずき、平伏している。ここには謎めいた神殿はなく、派手な聖像もない。ムハンマドが、人と神の間に何ものも-聖職者ですら!-入るべきではないと記しているからだ。全ての崇拝者は、アッラーの面前において平等である。人がメッカの方を向く時、聖職者もパンディットも存在せず、人の思考に介在する上位の存在の階層制度も存在しない。

 我々が大通りを通って戻る時、両替店、砂糖菓子の露店、織物商人の店、穀類と米の売り手を私は目に留めた。全ては、その場所をあらしめた古の聖域への巡礼者のために存在している。

 今や、私はマハルシのもとへしきりに戻りたくなった。運転手はポニーを急きたて、我々の前に延びる道のりを足早に進ませた。私は振り返って、アルナーチャラの寺院を最後に一瞥した。9基の彫刻された塔が、(古代エジプト神殿の)双塔状の門のように空中へそびえ立っている。それらは、古代の寺院の建設に至った、神の名の下での忍耐強い労苦について私に語る。それは建設するために人の一生涯以上を要したに違いないからだ。再び、エジプトの奇妙な追憶が、私の心を貫いた。通りの住宅建築さえ、その低い家々と分厚い壁の中にエジプトの特徴を有していた。

 これらの寺院が見捨てられ、見放され、これらが現れ出た赤色と灰色のちりへとゆっくり崩れ去る時が、いつの日か来るのだろうか。それとも、人は新たな神々を見つけ、その神々を礼拝するための新たな寺院を建設するのだろうか。

 我々のポニーが、さらに向こうの岩が散在する山の斜面の一つにある隠遁所へ向かう道沿いに疾駆する間、自然が我々の目の前に美の華やかな行列を全面に展開していることに気がつき、息を飲んだ。太陽が、その大変な輝きを伴い、夜の寝床に休みに行く、東洋のこの時間を私は幾たび待ったことか!東洋の夕焼けが、その鮮やかな色合いの美しい揺らめきで、心をつかむ。それでも、このすべての出来事は、あっという間に終わった。半時間足らずのことだった。

 ヨーロッパのあの長引く夕べは、ここではほとんどなじみがない。西のはずれに、巨大な燃える火の玉が、密林に向かって目に見えて下がり始めた。空の丸天井からの急速な消失の前触れとして、それは最も際立ったオレンジの色合いを帯びた。その周りの空は、あらゆる色のスペクトラムを帯び、どんな画家にも決して与えられない芸術的なご馳走を我々の目に提供した。我々の周りの田園と木立は、深まった静寂へと入った。小鳥たちのチュッチュッとなく声はもはや聞こえない。野生の猿たちのキャッキャとなく声は収まった。赤い炎の巨大な円は、どこか他の次元へと素早く消えていった。夕べのカーテンがさらにいっそう厚く下り、すぐに、突き出た舌のような炎と広がった色彩の全景は暗闇に沈んでいった。

 静けさが私の思考に染み込み、その美しさは私の胸にぐっときた。この穏やかな5分間が、人生の残酷な上っ面の下に、美しく情け深い力がいまだ隠れているかもしれないという思いと我々を戯れさせる時、運命が我々に割り当てた、この時間を人がどうして忘れられるのか。この数分は、我々の単調な時間を恥じ入らせる。暗い虚無から、それは隕石のように現れ、希望のはかない尾っぽに火をともし、その後、我々の視界から消え去った。
 

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