2014年8月24日日曜日

心は常に謙虚な無学の農夫であらん - K.スワミナタン教授の決心

◇「山の道(Mountain Path)」、2003年4月 p55~56

パンディットと農夫

K.スワミナタン

 かつて1940年代のアーシュラムへの訪問の間に、私は旧講堂の外で多くの信奉者と共に、寝椅子にもたれていたシュリー・バガヴァーンに対面して、座っていました。学識あるパンディットの一団が、ウパニシャッドからのある文章について奥の深い議論を大変熱心に行っていました。バガヴァーンを含め、みながこの興味深い議論を注意深く傾聴しているように見えました。その時、突然、バガヴァーンは寝椅子から立ち上がり、北に30メートル歩き、そこで手のひらを組み、目線を落として立っていた村人の前に立ちました。

 たちまち議論は止み、みなの目は少し離れて立っているバガヴァーンと村人に向けられました。彼らは会話しているようでしたが、そのように離れていたため、誰も何についてか分かりませんでした。すぐに、バガヴァーンは寝椅子に戻り、議論は再開されました。

 私はこの村人について、そして、バガヴァーンがどうしてわざわざ彼に会ったのか知りたいと思いました。それで、議論が続いている間に私はこっそり抜けだし、彼がアーシュラムを離れる前に彼に追い付きました。私は彼とバガヴァーンが何について話していたのか彼に尋ねました。彼はバガヴァーンが彼にどうしてそんなに遠く離れて立っているのか尋ねたと言いました。「私はバガヴァーンに、『私は学のない貧しい村人に過ぎません。神の化身であるあなたにどうやって近づけばいいのでしょうか』」。

 「その時、マハルシは何を言いましたか」と私は尋ねました。

 「彼は私の名前、私がどの村から来たのか、私がどんな仕事をしているのか、私に子供が何人いるのかなど私に尋ねました。」

 「あなたは彼に何か尋ねましたか。」

 「どうしたら私は救われるのか、どうしたら彼の祝福を得られるのか彼に尋ねました。」

 「彼はあなたに何を言いましたか。」

 「彼は私の村に寺院があるのか尋ねました。私は彼にありますと言いました。彼はその寺院の神の名前を知りたがりました。私は彼にその名前を言いました。それで、彼は『あなたはその神の名前を繰り返し唱え続けるべきです。そうすれば、あなたは必要とされる一切の祝福を受け取るでしょう』と言いました。」

 私はバガヴァーンの面前に戻り、学問的な議論を傾聴している信奉者たちの間に座りました。この農夫の純真な謙虚さと献身が、どれほどの量の学識よりも、はるかに優れた応答を我々の師から引き出したことを悟り、今や私は議論に全く興味を失っていました。私は学者を職業としていましたが、「私はいつも心の底では謙虚な無学の農夫ままあり、あの村人のようにバガヴァーンの恩寵と祝福を願い求めなければならない」とその時、決心しました。

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