2017年5月15日月曜日

バガヴァーンの甥の息子、ガネーサンによる回顧録① - 神々しきラマナ

◇「山の道(Mountain Path)」、1982年7月、p193~196、Moment Remembered

 神々しきラマナ

 V.ガネーサン
 この寄稿に古参の信奉者たちとの会話から集められた公にされていない逸話を記録することは、共に探求する者たちに行われる奉仕であると私は考えます。私は各号に寄稿を続けたいと思います。 
 シュリー・バガヴァーンの恩寵によって私は、1956年以降ずっと、の古参の信奉者たちをお世話するという誇るに足る名誉と彼らの回顧談に耳を傾けるという莫大な利益を得ていました。これらの談話は決まった型にも年代順にも従いません。主要な目的は、折に触れ様々な信奉者から私が耳にしたことを志を同じくする友と共有することです。
    詩聖であり、シュリー・バガヴァーンの忠実なバクタ、シュリー・ムルガナールは、いつも喜んで熱心な探求者を手助けし、導いていました。彼は「ラマナ」という名前が挙がるだけでうっとりとしたものでしたが、しかしの教えのことになると彼は岩のように断固たるもので、揺るぎませんでした。彼の中に、人はバクティとジニャーナの完全な混合を見出しました。シュリー・バガヴァーンという人物に関する限り、彼はまったく盲目的に身を捧げ、「バガヴァーンの影」という名を博するほどでした!探求者を導き、バガヴァーンの教えを説き聞かせることにおいて、彼は厳格で、妥協しませんでした。

 かつて私が彼のもとへ行き、ヴィチャーラ・マールガに従うのは私にとって難しく、それゆえ、他のより簡単な方法を取り、成熟したそののちに探求の方法を試みるほうが良いと報告しました。彼はほとんど私に怒鳴らんばかりに、即座に返答しました。「それは全くの現実逃避です。バガヴァーンのもとに来て、の教えを知っているなら、自らの探求に身を投じるべきです。バガヴァーンに引き寄せられている者は、すでに直通路上にいます。バガヴァーンが他の方法を進めるとき、それはその質問者だけに向けられていて、あなたに向けらていません。バガヴァーンの道が、あなたに向けられた唯一の道です。のもとにやって来て、どうしてふらふらさ迷うのですか」。

 同じムルガナールは、彼の形彼の名の中の調べの魅力について私が数日後に彼に話しかけたとき、目に涙をあふれさせ、堰を切ったように話し出しました。「そう、そうです。バガヴァーンのそのものが我々にとって十分です。彼の姿は我々をに引き寄せ、ただ我々をの中に吸収することになります。彼の名は全てを包み込んでいます!彼の形は全てを焼き尽くします!」
 
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 プラバヴァティ・ラジェ王女は、結婚の直後、バガヴァーンからの祝福をいただきに夫を伴いやって来ました。彼女は二本の美しいバラの花輪を持ってきていて、彼女自身と夫がシュリー・バガヴァーンの首にかけたいと願いました。そのようなことは厳格に禁じられていました。それでも、その熱烈な愛情から、彼女はあくまでお願いし続け、長椅子に座るバガヴァーンに花輪を持って行きました。バガヴァーンは、花輪を拒みながら、「母の神殿にかけなさい」と提案しました。彼女はがっかりし、立ち去る前に、平伏しようとかがんだ時、長椅子に花輪をそっと置きました。彼女は立ち上がり、花輪を手に取り、泣きじゃくって講堂を去りました。しばらく後、シュリー・クンジュ・スワーミーが慰めるために遠くから彼女に驚くべき光景を見せました。バガヴァーンは長椅子の上の花輪から落ちた花びらを一枚一枚つまみ、ゆっくりとその口に次々と入れていたのです!クンジュ・スワーミーは王女に言いました。「御覧なさい!あなたはなんと幸運なのですか!あなたはバガヴァーンがバラの花輪を受け取らなかったとがっかりしていました。でも、今やあなたのバラはの食べ物として役立てられています。これが本当に受け取ったことではありませんか」。彼女ははなはだ満足し、苦悶の涙は歓喜の涙へと変わりました!

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 アーシュラムのイドゥリーはとても有名なため、何かまれな機会にイドゥリーはグジャラート州のサバルマティ・アーシュラムで出され、ガーンディーは「ラマナーシュラマム・イドゥリー!」と言ったものでした(「インドのナイチンゲール」、サロージニー・ナーイドゥは、しばらくバガヴァーンと共にいて、アーシュラムのイドゥリーをたいそう気に入ったため、それをガーンディーに説明していたのです!)。アーシュラムでイドゥリーがどのように作られるようになったのか思い起こすことは興味深いかもしれません。当時、バガヴァーンは朝とても早くに起床し、野菜を切り、時にはウップマの調理を手伝ったものでした。かつてローカンマルは、彼女の村、テンカシ近くのパッタクリチからかなり大量の最高品質のパーボイルド米を送りました。別の調理アシスタント、サンタンマは、半分ゆでた米の活用法を知らなかったため(アーシュラムでは生米のみが調理されています)、バガヴァーンと相談し、その日の朝食にイドゥリーをこしらえました。それは全ての人にたいそう気に入られました。その時以来、イドゥリーは主要な朝食になりました。今日でさえ、アーシュラムのイドゥリーは大きさ、柔らかさ、味において称賛を浴びており、その全ての功績ははローカンマ・パーティに帰せられるべきです!

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 「ティルヴァンナーマライで夏は10か月続く」は、アーシュラムの信奉者の間でのお気に入りの冗談でした!五月、六月の間、太陽は最も苛烈になります!言うなれば、大地全てが燃えます。バガヴァーンはその生涯で決して靴を使いませんでした。昼食の後、毎日、12時と1時半の間にはパラコットゥに歩いて行ったものでした。むき出しの砂の道を裸足で歩くことは不可能でしたが、バガヴァーンは、雨が激しく降っていても太陽がじりじり照り付けていても、歩くペースを決して変えませんでした。はゆっくりと歩きましたが、の後に従う付添人には「走って、走って。あの木の下に避難しなさい。上着を足の下において、しばらくその上に立ちなさい」と言ったものでした。付添人がそのようにするよう強く求める一方で、彼自身は着々とゆっくり歩いていました!

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 シュリー・バガヴァーンの信奉者、シュリー・シャンカラーナンダは、マドラスの郵便局に勤めていました。マントラ・ジャパを長い間修練した結果、彼はマノー・ラヤ、心の静止を達成しました。彼は全ての俗事に興味を失い、事務所でも家でも務めにもはや専念できませんでした。彼は四六時中ラヤ・サマーディにいました。6か月の休暇を取り、彼がバガヴァーンのもとへやって来たのは、この時期でした。彼はバガヴァーンと共に旧講堂に座り、すぐに一切の外的な意識を失いました。昼食の鐘が鳴った後でも、彼は動かずに座っていました。バガヴァーンはその足で軽く押すことで彼に意識を取り戻させ、彼を食堂に連れて行きました。

 マノー・ラヤ・サマーディは人を究極の真理に導こうとはしないため、バガヴァーンはシュリー・クンジュ・スワーミー、シュリー・ヴィシュヴァナータ・スワーミーなどにシャンカラーナンダを朝は寺院に、夕方はスンダラム池に連れて行き、彼を日中ずっとあれやこれやに従事させるよう頼み、そうして彼がラヤに逆戻りするのを妨げました。彼が眠りに圧倒されるまで、彼を日中目覚めさせておくというこの措置は何日も続きました。しばらく後、シュリー・バガヴァーンの恩寵によって、シャンカラーナンダは正常になりました。休暇の終わりに彼は家に戻り、普段どおりに生活を続け、昇進を勝ち取りもしました。

 マトゥルブーテーシュワラ寺院の建設のためのチーク材を手に入れるために、後にシュリー・ニランジャーナンダ・スワーミーをビルマに連れて行ったのは、このシャンカラーナンダでした。

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 夜でさえ、バガヴァーンは信奉者に囲まれていました。彼の長椅子の周り一面で、人々は眠ったものでした。犬もまたそうでした。

 アーシュラムの入居者、シュリー・ソーマスンダラム・スワーミーは、猿を追い払い、信奉者を妨害から救ったものでした。彼は他の信奉者とともに講堂で眠ったものでした。時々、真夜中に彼は夢の中で猿を追い払うことになっている妙な音を立てました。シュリー・ラーマクリシュナ・スワーミーは、「よし、よし!猿は立ち去りました。寝なさい」と言ったものでした。彼の心が夢に住まわないように、バガヴァーンはラーマクリシュナ・スワーミーに彼を起こすように言ったものでした。バガヴァーンは、人は夢をみることなく直接眠りに入るべきであり、同様に目覚めに関しては、目覚めの最初の衝動の直後に起き上がるべきだと言いました。

 バガヴァーンがかつて眠ったことがあるのか誰もわかりませんでした。朝の2時か3時に、バガヴァーンは長椅子の上で身を起こしていたものでした。眠っている間、バガヴァーンは決して誰も妨げようとはしませんでした。しかし、目覚めた後、誰かが再び眠ろうとするなら、バガヴァーンは、目覚めた後に眠りを延長し、夢に耽溺しないよう彼らに言ったものでした。は彼らを起こす合図を送るために彼らを杖でつつきました。バガヴァーンはまさしく信奉者の母親でした!

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 アルナーチャラへのシュリー・バガヴァーンの熱烈な信愛はよく知られていますが、次の事実を知る人はわずかです。バガヴァーンが新しいペンを手に入れたり、ペンに(インクを)充填したり、鉛筆をとがらせたりする時はいつも、ちゃんと書けているかどうか試すために紙切れに走り書きしたものでした。そのような機会にはいつも決まって、シュリー・バガヴァーンは(タミル語で)「アルナーチャラム」という言葉を記しました。

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 我々は過去の号の中で、シュリー・クンジュ・スワーミーのノートの中のシュリー・バガヴァーン自身によって描かれたアルナーチャラ山のスケッチを掲載しました。別の近しい付添人、シュリー・シヴァーナンダ・スワーミーが、ごく最近、バガヴァーンがアルナーチャラ山の絵を描いたノートを私に手渡しました。それを以下に複写します。

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