1946年4月23日
(43)在るそれは、ただ一つである
今日の午後、ムスリムの若者が2、3人の友人と共にここにやって来ました。彼が座った様子から、彼が質問を尋ねたいのだと私は感じました。少し後で、彼はタミル語で質問を尋ねはじめました。「どうすれば人はアッラーを知ることができますか。どうすれば人は彼を見ることができますか」。それが彼の質問の趣旨でした。いつものようにバガヴァーンは、「はじめに、質問しているのは誰かあなたが見出すならば、その時、あなたはアッラーを知ることができます」と言いました。
若者は再び、「この棒がアッラーであると思いながら、私がそれに瞑想するなら、私はアッラーを見ることができますか。私はどのようにアッラーを見るべきですか」と言いました。「決して破壊されない、かの真のものが、アッラーとして知られています。はじめに、あなた自身についての真理をあなたが見出すなら、アッラーについての真理が現れます」とバガヴァーンは言いました。それは彼を扱うには十分でした。彼は友人と共に去りました。彼らが去ったすぐ後、バガヴァーンは側にいる人々に、「ほら、彼はアッラーを見たいのです!この目でもって(それを)見ることができますか。この目がどうして(それを)認められますか」と述べました。
昨日、ヒンドゥー教徒がバガヴァーンに、「オームカーラ(*1)はイーシュワラの名前ですか」と尋ねました。バガヴァーンは、「オームカーラはイーシュワラであり、イーシュワラはオームカーラです。それはオームカーラそのものがスワルーパ(真の自ら)であるという意味です。スワルーパそのものがオームカーラであると言う人もいます。それをシャクティであると言う人もいれば、それはイーシュワラであると言う人もいます。それはイエスであると言う人もいれば、それはアッラーであると言う人もいます。どのような名が与えられても、そこに在るものはただ一つです」と言いました。
4日か5日前、誰かの質問へ与えられた答えを思い出して、アーシュラムに住んでいる信奉者がバガヴァーンにこのように尋ねました。「あなたはアーナンダ(至福)もまた解消されると言いました。もしそうなら、ディヤーナ、サマーディ、サマーダーナの意味は何ですか」。バガヴァーンは、「ラヤ(*2)ということで何が意図されていますか。それはアーナンダで止まるべきではありません。それを経験するための誰かがいるはずです。その誰かを知るべきではありませんか。その誰かを知らなければ、それがどうしてディヤーナとなれるのですか。経験する人が知られるならば、その人は自らです。人が自分自身になる時、それはディヤーナになります。ディヤーナは自分自身の自らを意味します。それがサマーディです。それはサマーダーナ(瞑想の唯一の対象、すなわち、至高の神霊への思いの完全な吸収)でもあります」と言いました。
「アッラー - 99の名」
(*1)オームカーラ・・・文字通りの意味は、「オームという音節」。
(*2)ラヤ・・・「解消、消滅」
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