2013年9月27日金曜日

ギリプラダクシナの意義 - シュリー・ラマナ・マハルシによる解説

◇『シュリー・ラマナーシュラマムからの手紙(Letters from Sri Ramanasramam)』

 1949年6月26日

(251)ヤートラー(*1)とプラダクシナの重要性

 いくぶん前にバガヴァーンは体調がすぐれないことが続いていました。そのために私は心苦しく思い、何をすべきか分からないので、私は山の周りをいつも通りの火曜日だけでなく、金曜日も巡り、バガヴァーンの健康をアルナーチャレーシュワラへ祈ることに決めました。この決心をもって、私は木曜日の午後、私が明日の朝に山の周りを巡ろうとしていることをバガヴァーンに告げに行きました。

 「明日?明日は火曜日ですか?」とバガヴァーンは尋ねました。

 「いいえ。金曜日です」と私は言いました。彼は私の目的を理解しているかのように、「うむ、うむ」と言いました。

 最近やってきて、しばらく滞在していた信奉者の一人がバガヴァーンに、「ここでは様々な人が山の周りを頻繁に巡ります。その偉大さとは何ですか」と尋ねました。

アルナーチャラ-聖なる山。内道(インナーパス)を歩く

バガヴァーンは以下の話を彼に語りました:
 このギリプラダクシナの偉大さは、『アルナーチャラ・プラーナム(*2)に詳細に描かれています。主ナンディケーシャはサダーシヴァに似たような質問をして、サダーシヴァは以下のように語りました。「この山の周りを巡ることは良いことです。『プラダクシナ』という言葉は独特な意味を持ちます。『プラ』はあらゆる類の罪の除去を意味します。「ダ」は望みを叶えることを意味します。『クシ』は来世の誕生からの自由を意味します。『ナ』はジニャーナを通じての解放を意味します。プラダクシナとして、あなたが一歩進むなら、それはこの世界の幸福を与え、2歩歩くなら、それは天界の幸福を与え、3歩歩くなら、それは達成されうるサティヤローカ(*3)の至福を与えます。人はモウナ(沈黙)か、ディヤーナ(瞑想)か、ジャパ(主の名前の復唱)か、サンキールタナ(バジャン)をして周りを巡るべきであり、それによって神を常に思うべきです。人は妊娠9か月目の女性のようにゆっくり歩むべきです」。ここでタパスを行っていたアンバは、クリティカイ星(*4)の日の夜の4つの区分の最初に山の周りを巡ったようです。聖なるかがり火のダルシャンの後、彼女は最終的に主シヴァに吸収されました。聖なるかがり火の祝祭の後の3日目に、シヴァ自身が彼の従者(信奉者)みなを連れてプラダクシナに出かけたと述べられています。実のところ、このプラダクシナにより人が得る楽しみや幸福を言い表わすのは困難なことです。体は疲れ、感覚器官はその力を失い、体の全ての活動は内に吸収されます。従って、自分自身を忘れ、瞑想の状態に入ることが可能なのです。人が歩き続けるにつれ、体はアーサナの状態にあるように自動的に調和がとれたものになります。そのため、体の健康状態が改善されます。それに加え、山には数種類の薬草があります。それらの香草の上を通った空気は肺に良いのです。車両の通行がないので、車やバスのために道をあける心配はありません。人は思いのまま気楽に歩けます。

 私たちがプラダクシナに出かけていた当時、それはとてもわくわくするものでした。したいと思った時にいつでも、出発しました。特に祝祭の日であったなら、遅くなったり、疲れていると感じた時はいつでも休息し、自分たちで料理して食べたものでした。特定の場所に止まらねばならないという決まりはなかったので、何の心配事もありませんでした。

 列車の旅が始まる前は、巡礼は全て徒歩で行われました。彼らは特定の時間に特定の場所に到着しようという考えや、特定の場所に特定の期間とまらねばならないという考えをもって、決して出発しませんでした。カーシー(ベナレス)へ行く人々とカティ(火葬場)へ行く人々は等しいという諺があります。帰って来るという望みを持たない人々のみが、カーシーへと出発したものでした。全財産を持って、彼らはディヤーナに浸って歩み、つかれたと感じた時はいつでも止まり、しかるべき時に再び出発しました。巡礼者が町の中心部に入る必要がないように、町の外れにはダルマシャーラー(宿泊所)がありました。ダルマシャーラーがない所には、彼らには避難場所として利用できた寺院、洞窟、木々、積み重なった石がありました。巡礼者たちは神への思い以外の思いを持たずに歩くことにより彼らのアートマに吸収されました。

 ギリプラダクシナもまた同じことです。体は軽くなり、ひとりでに歩きます。歩いているという感覚はなくなります。あなたがプラダクシナに行くなら、あなたが座っている間に入ることができないディヤーナへと自動的に入ります。その場所と雰囲気はそのようなのです。人が歩くことができなくても、一度山の周りを巡るなら、彼は何度も何度も行きたいと思うようになります。あなたが行けばいくほど、より一層それへの熱意が起こります。それは決して衰えません。人が一度プラダクシナの幸福になじむなら、彼はそれを決して放棄できません。ナーガンマを見なさい!彼女は週に一度だけ、火曜日ごとに周りを巡っていました。今、彼女は金曜日にも周りを巡っています。彼女は夜に何の恐れもなく一人だけで周りを巡ります。

 その信奉者は、「カンナッパという名前のサードゥが毎日周りを巡っているようです」と言いました。「ええ、ええ。彼はとても年をとった男性です。彼は目が見えません。毎日、夜の8時に彼は始めます。荷馬車の通行があまりないからです。彼は法螺貝を持ち、行くにしたがい鳴らします。その音を聞いて、人々はみな、彼に道を開けます。目が見えない人々のための道具がいくつかあります」とバガヴァーンは言いました。

 「夜にバガヴァーンが信奉者達と山の周りを巡った時、シッダの集団をよく見たと言うのは事実ですか」と別の人が尋ねました。「ええ。そのすべては伝記に書かれています」。そう言って、バガヴァーンは再び沈黙に戻りました。

(shiba注)上の文章のサダーシヴァが語った内容に関して、英文中に閉じかっこが見当たらなく、終わりがどこまでなのかよく分からなかったのですが、一応、「人は妊娠9か月目の女性のようにゆっくり歩むべきです」までとしています。

(*1)ヤートラー・・・「旅、行進」を意味するサンスクリット語。ヒンドゥー教では、一般的に聖地への巡礼を意味する。
(*2)アルナーチャラ・プラーナム・・・アルナーチャラに関する主要な神話を記録した16世紀のタミル語の作品。特定の聖地の宗教的な話をまとめたプラーナである「スタラ・プラーナ」の1つであり、Saiva Ellappa Navalarの作(ディヴィッド・ゴッドマン氏のブログから情報)。
(*3)サティヤローカ・・・メル山にあるブラフマー神がすむ場所。ブラフマローカ、ブラフマプラと同じ。
(*4)クリティカイ星・・・Krithikai star、プレアデス星団、おそらくタミル語かテルグ語です。サンスクリット語では「クルッティカー」、タミル語では「カールティカイ」とも呼ぶようです。

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