シュリー・ラマナの左手側、順に、スワーミー・ヨーガーナンダ、ポール・ブラントン氏です。
Talk 106. 107. 1935年11月29日
午前8時45分、スワーミー・ヨーガーナンダが他の四人と共に到着しました。彼は尊大なように見えますが、温和で、身なりが整っています。彼は肩までかかっている黒くふさふさした髪をしています。一行はアーシュラマムで昼食をとりました。
C.R.ライト氏(彼の秘書):
どのようにして私は神を実現すればいいでしょうか。
マハルシ:
神は未知の存在です。さらに、彼は外側にいます。しかしながら、自らは常にあなたと共にあり、それはあなたです。親しいものを無視して、どうして外側にあるものを求めるのですか。
C.R.ライト氏:
あらためて、この自らとは何ですか。
マハルシ:
自らは全ての人に知られていますが、明確に知られていません。あなたはいつも存在しています。その「在る」ものが自らです。神の全ての定義の中で、実際、聖書の言明である出エジプト記(第3章)の「私は在る、が私である」より適切に表されているものはありません。ブラフマイヴァーハム(*1)、アハム・ブラフマースミ(*2)、ソーハム(*3)のような他の言明もあります。しかし、どれも「ジェホウヴァ(*4)=私は在る」という名前のように直接的ではありません。絶対的存在とは在るものです-それは自らです。それは神です。自らが知られるなら、神は知られます。それどころか、神は自ら以外の何者でもありません。
C.R.ライト氏:
なぜ善と悪が存在するのですか。
マハルシ:
それらは相対的な言葉です。善と悪を知る主体が存在するに違いありません。その主体は自我です。自我の源を突き止めなさい。それは自らに帰着します。自我の源は神です。この神の定義は、おそらくより具体的であり、あなたにより良く理解されるでしょう。
C.R.ライト氏:
本当にそうですね。どのようにして至福を得るべきですか。
マハルシ:
至福は得られるべき何かではありません。逆に、あなたは常に至福なのです。この望みは、不完全であるという感覚から生まれます。この不完全であるという感覚は誰にありますか。探求しなさい。深い眠りの中、あなたは至福に満ちています。今、そうではありません。その至福とこの至福でない状態の間に何が入っていますか。それは自我です。その源を探し、あなたが至福であると見出しなさい。
新たに得るべきものは何もありません。あなたは、逆に、あなたが至福と異っているとあなたに思わせる無知を取り除かなければなりません。この無知は誰にとってありますか。自我にとってです。自我の源を突き止めなさい。その時、自我は失われ、至福が後にすっかり残ります。それは永遠です。あなたは、今ここで、それなのです・・・・ それが一切の疑いを解決するためのマスター・キーです。疑いは心に生じます。心は自我から生まれます。自我は自らから生じます。自我の源を探しなさい。そうすれば、自らが明らかになります。それのみが残ります。全世界は広がった自らに過ぎません。それは自らと異なりません。
C.R.ライト氏:
最良の生き方とは何ですか。
マハルシ:
それは人がジニャーニか、アジニャーニかによって異なります。ジニャーニは何ものも自らと異なったり、自らから離れていると見ません。全ては自らの内にあります。世界が存在し、その中に体が存在し、体の中にあなたが住んでいると想像することは誤りです。真理が知られるなら、全世界とそれを超えてあるものは自らの内にのみ存在すると見出されるでしょう。視野は人の視力に応じて異なります。視力は目に由来します。目はどこかに位置しているに違いありません。あなたが粗大な目をもって見ているなら、他のものを粗大であると見ます。微細な目(つまり、心)でなら、他のものは微細に見えます。目が自らになるなら、自らは無限であるので、目は無限です。自らと異なるように見るべき他のものは何もありません。
彼はマハルシに感謝の言葉を述べました。彼は感謝する最良の方法は常に自らのままあることであると言われました。
後で、ヨーギが尋ねました:
どのようにして人々の精神的な向上はもたらされうるのですか。彼らに与えられるべき教えは何ですか。
マハルシ:
教えは個々人の気質に応じて、そして、彼らの心の精神的成熟性に応じて異なります。みなそろっての教えはありえません。
ヨーギ:
なぜ神はこの世の苦しみを許すのですか。彼はその全能の力でもって一遍にそれを取り除き、神の普遍的な実現を定めるべきではありませんか。
マハルシ:
苦しみは神の実現のための道です。
ヨーギ:
彼は別なように定めるべきではありませんか。
マハルシ:
それが道なのです。
ヨーギ:
ヨーガ、宗教などは苦しみへの解毒薬ですか。
マハルシ:
それらはあなたが苦しみを克服するのを手助けします。
ヨーギ:
なぜ苦しみがなければならないのですか。
マハルシ:
誰が苦しむのですか。苦しみとは何ですか。
返答なし!ついにヨーギは立ち上がり、彼の作品のためにシュリー・バガヴァーンの祝福を願い求め、彼があわただしく帰ることを詫びました。彼はとても真摯で、熱心で、感情的にさえ見えました。
(*1)ブラフマイヴァーハム・・・「ブラフマンは私である」
(*2)アハム・ブラフマースミ・・・「私はブラフマンである」
(*3)ソーハム・・・「彼は私である」
(*4)ジェホウヴァ・・・英語のJehovahの発音、エホバ、ヤハウェとも
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