2014年2月15日土曜日

ラマナ・マハルシの使命 - 危機の時代における精神的価値観の復活

◇「山の道(Mountain Path)」、1979年4月 p86~90

マハルシの使命


サダーシヴァ・ラオ博士

 「ラマナは誰なのか」という問いは、年若いころの彼の宗教的知識に驚愕したマハルシの初期の幾人かの弟子たちの心を捉えました。彼らは彼は神の化身か、過去からの偉大な聖者と認められうると信じました。しかし、誰もマハルシに直接に質問する勇気はありませんでした。その問いへの最も重要な答えは、1935年に著名なチベット語の聖典の翻訳者であるエヴァンス・ウエンツ氏によってなされた質問に答える時に、マハルシ自身によって与えられました。その問いは、「マハルシは自らを実現するのにどれぐらい時を要しましたか」です。

 マハルシは、「名と形が認識されているために、その質問が尋ねられています」と説明しました。名と形の下に、実在なる現実(自ら)があります。その中には「私」も「あなた」も「彼」もなく、現在も過去も未来もありません。そして、それは時間と空間を超え、言葉での表現を超えています。それゆえ、彼は自らが実現される時、質問は生じないと言いました。マハルシはさらに言いました。

 「バナナの木が、実をつけて枯れる前、その根元に新芽を作り、植え替えられたその新芽が同じく根元に新芽を作るのとまさしく同様に、沈黙において、リシである弟子たちの疑いを晴らした古(いにしえ)の原初の師、ダクシナームールティもまた常に増えゆく芽を残しています。グルはダクシナームールティの新芽です。」

 マハルシの答えの2番目の部分は、きっと質問者の心の中のマハルシの正体についての質問か疑いによって促されたのでしょう。それはダクシナームールティがまさに一番初めのグルであり、彼が沈黙において教えを説いたリシである弟子たちが次にはグルとなり、彼らの弟子たちも次にはグルとなり、プランテイン(バナナ)の木が増えるように、グルの数が増えてゆく結果になります。最後に、マハルシは、グル(マハルシ)がかのダクシナームールティの新芽(弟子)であると言うことによって質問者の心の中にある疑問に答えます。

 最後の文は、マハルシがダクシナームールティの直弟子であるという意味にとれるかもしれません。それはまた、一般的な意味において、彼が太古の系譜のグルの一人であるという意味にも取れるかもしれません。どちらの選択肢で理解されるかは重要ではありません。なぜなら、彼らはみな最高の序列のグルだろうからです。そのようなグルは、世界の歴史によって、とりわけ、インドの精神史によって示されているように、世界の師(ジャガッドグル)として重要な特別の使命において以外、名と形からなる世界にやって来ません。振り返ってみて、バガヴァーン・ラマナ・マハルシが至高の師であり、彼が特定の使命を帯びて世界の師としてやって来たことにほとんど疑いありません。彼の使命の評価は、彼の到来を必要とした世界の状況と彼の教えの正確な性質と目的を注意深く学ぶことによって可能です。比較のための背景として、10世紀ほど前に特定の使命を帯びてやって来た、もう一人の広く認められる世界の師、シャンカラーチャーリヤの時代と教えについて短く触れます。シャンカラーチャーリアとバガヴァーン・ラマナ・マハルシは共に、アドヴァイタとジニャーナ・マールガの立場から説きましたが、彼らの使命の目的は異なりました。

シャンカラーチャーリヤの時代と教え

 8世紀にシャンカラーチャーリヤが到来した時、ヒンドゥー教の社会はその根本的な宗教的教義に関して混乱状態にありました。約4000年前、(ヴィヤーサとも知られる)クリシュナ・ドゥヴァイパーヤナがヴェーダーンタ・ダルシャナ学派を創設しました。その時以来、それはウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター、ブラフマスートラとして知られる聖典に加え、ヒンドゥー教に宗教的土台を与えました。紀元前500年ごろ、主ブッダによって創設された仏教が起こりました。彼もまた世界の師でした。それはヒンドゥー教の集団の中で一般の人々の向上のために展開し、ヴェーダのニヴリッティ・マールガ(行者の道)を模範とした倫理-宗教的運動でした。ヒンドゥー教と仏教の宗教的教義の間に対立はありませんでした。しかしながら、約13世紀後、インドの仏教徒集団が様々な教義を持つ複数の学派に分かれた時、二つの間に溝が生まれました。ヒンドゥー教の社会はそれ自身の宗教的教義に関して混乱状態にありました。シャンカラーチャーリヤがヴェーダーンタ、ウパニシャッド、バガヴァッド・ギーター、ブラフマスートラの権威への信仰の復活を促すためにやってきたのは、その時代でした。彼は上記の権威ある聖典が、個別の生命、ジーヴァと同一であるただ一つの無限なる至高の現実、ブラフマンを明らかにしていることを証明するために、論理でもって主導的な学者的な論敵を説き伏せねばなりませんでした。彼は32年という短い人生において、ヒンドゥー教の宗教的基礎のほとんど奇跡的な復活のための堅固な土台を築きました。彼は徒歩で全土を旅し、四つの地域に僧院を設立しました。加えて、彼は一般の人々の利益のために上述の聖典の明快な注釈書を記し、短い哲学的作品を記し、ダクシナームールティへの賛歌を含む多くの献身を表す賛歌を作りました。彼の教えは今日に至るまで圧倒的大多数のヒンドゥー教徒の宗教的教義の源として受け継がれています。

根本的価値観における危機

 19世紀の終わりごろ、バガヴァーン・ラマナ・マハルシの到来の時、状況は全く異なるものでした。精神的価値観に純粋な物質的主義的価値観が取って替わることによって引き起こされた、ほとんど全ての国に影響する、急速に進行する世界的危機がありました。科学技術は19世紀中ごろから発展し始め、ほとんどの国の産業の発展と人々の経済的状況を改善する手助けをしました。現代科学はそれと共に物質主義的見解をもたらしました。行為の支配的な動機は、社会的犠牲や結果を顧みない自己利益と物質的獲得になりました。宗教が単なる形式的行為へ衰えると共に、精神的価値観は1世紀かそこらの間に薄くすりきれ、結果、科学によってもたらされた新しい物質的価値観は容易くそれに置きかわることができました。これは、科学の発展により最も多くの利益を受けたヨーロッパやアメリカのより発展した社会で圧倒的に起こりました。20世紀において科学技術が加速したペースで発展したため、世界の人類の幸福を促進するための主要な動機を与える力として、物質主義に完全な信頼が寄せられるようになりました。この信頼はつかの間のものでした。原子力科学における進歩が、人類の幸福のために用いられるどころか、全ての人々を抹殺するために使われた時に、それは粉々にされました。それは科学の過ちではなく、人間とその動機の過ちでした。物質的価値観への信頼の喪失と支柱となる永続的な価値観の欠如によって、西洋のより富裕な人々の間、特に、若い世代の間で深い不満足感が顕著です。彼らは核による全滅以外の人類の行く末を予期していません。進歩的な思想家は、人類が生き残ろうとするならば、物質的価値観が精神的で人間味のある価値観で和らげられるべきだと理解しています。しかし、どのようにそのような価値観を取り戻しうるのか誰も示していません。西洋からの多くの人が、人生における新しい意味と目的を求め、インドとその豊富な精神的遺産に期待を寄せ始めています。

マハルシの教え

 マハルシの教えは、今世紀(20世紀)のはじめの50年間のうちに、人々に伝えられました。この世界的危機の時代での彼の到来と彼の教えの性質は、全世界の人々にとってこの上ない重要性をもっています。彼の教えは、いかなる宗教や宗教的哲学の布教とも関係していませんでした。それはさらにもっと先へ進み、全ての人の能力の範囲内に十分ある簡素な聖なる修練を人々に教えています。それは自分自身の努力を通じて、聖なる知恵(ジニャーナ)とそれに伴う全てのものを獲得するためのものです。そのような計り知れない重要性をもつ務めに従事した世界の師は過去にいません。彼は旅に出かけず、教えを広めるための専門書を著しませんでした。彼の教えは、沈黙の恩寵(モウナ・ディークシャー)の授けと共に彼の話す言葉を通じ、直接的に本人によって彼に引き寄せられた個々人に伝えられました。これはダクシナームールティから始まる偉大なグルの最高の聖なる伝統に一致しています。偉大なグルの恩寵はとても力強いため、遅かれ早かれ、それを受け取る全ての人がその生涯の内にグルの教えを理解し、修練を始め、成功するのを助けます。恩寵は現世における個人のその後の人生にも同様に効果的です。マハルシは、「私は誰か」という小冊子の中で言います。「虎の口に落ちた獲物が決して逃れることを許されないのとまさしく同様に、グルの恩寵を受け取った人は間違いなく救われ、決して見捨てられません」。恩寵を受け取った全ての人が、終には益されます。ますます多くの個々の信奉者が世界中からマハルシに引き寄せられました。マハルシは、南インドの聖なるアルナーチャラ山の影にあるアーシュラムに留まりながら、半世紀の間に彼の恩寵によって膨大な数の個々人に届くことができました。

私は誰か?

 マハルシが説いた聖なる修練は、「私は誰か」見出すための簡素な内なる探求です。それは誰も否定できない「自分が存在している」という確信以外、個人が受け入れるための事前の条件を要求しません。この確信は、人が自分自身に関して「私」や「私は(~で)ある」と言うたびごとに主張されています。家庭の中の静けさにおいて、それぞれの人によって行われるべき修練とは、内に向けられた心でもって「私」(もしくは、「私はいる」)に一点集中することです。これはその人自身、または、その存在への心の一点集中に等しいです。ひたむきな信念を持って行われる時、心は深く内に向き、聖なるハートの内深く達し、それに沈み、自らに触れるようになります。これが「私は誰か」という質問への答えです。それは言葉での答えでなく、自ら、もしくは、ハートの中に住む至高の存在の心による直接的な体験です。マハルシはこれを、「自らである、その源を探し求める心」と表現しています。個人が彼の心によって自らと触れることを習得する時、彼の努力は終わります。グルの恩寵が、彼の心の不純物からなる「自我」を取り除くために、彼を助けにやって来て、その結果、個人は自らの完全な道具となります。これが一般的に自らの実現と呼ばれていて、人間にとって可能な最高の聖なる達成です。

バナナの木の喩え

 次の質問が尋ねれるかもしれません。「この地味な個々人による修練における成功が、どうして世界の人々へ精神的価値観を復活させる助けとなるのか」。

 答えは、修練は地味に見えるかもしれませんが、それは全てのヨーガの中で最高であり、最も崇高なものであり、ジニャーナ・ヨーガやヴィチャーラ・マールガとして知られているという事実の中に見出されます。それはヴェーダのリシの時代からやって来て、インドの豊富な精神的遺産を建設するために時代を下って来ました。マハルシはそれを簡単にし、全ての人間の手の届く範囲に持ってきました。グルの恩寵により、この修練を受け継ぐものは、ジニャーナ(聖なる知恵)を得た者であるジニャーニになります。彼のまさにその存在が、彼に触れに来た人々を通じ、世界を益します。それゆえ、彼はバナナの木の喩えでマハルシによって描かれたグルが増えてゆく過程を動かし始めることができます。

 これが至高の師、バガヴァーン・ラマナ・マハルシがそのためにやって来た偉大な使命です。最初のグル、ダクシナームールティが築いたように、彼は全ての国が増えゆくグルの核を持つのを保証することによって、彼の使命の堅固な土台を築きました。全てのサッドグルのように、マハルシは彼の恩寵を受け取った全ての人、そして、自らへの内なる探求を始めるために彼の恩寵を請い願う他の人々を導き続けています。

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