2015年10月3日土曜日

『マハルシの福音』 第1巻 第8章 安らぎと幸福

◇『Maharshi’s Gospel -The Teachings of Sri Ramana Maharshi』 2009年15版、p31

マハルシの福音

第1巻 第8章 安らぎと幸福

信奉者:
 どうすれば私は安らぎを得られますか。私はヴィチャーラを通してそれを獲得しないようです。

マハルシ:
 安らぎは、あなたの自然な状態です。その自然な状態を妨げるのは、心です。あなたのヴィチャーラは心の中だけで行われてきました。心とは何か吟味しなさい。そうすれば、それは消え去るでしょう。思いと離れて心というようなものはありません。それにもかかわらず、思いの出現のために、あなたはそれが飛び出してくる何かを推測し、それを心と名付けます。あなたがそれが何か知ろうと探るとき、心というようなものは実際にはないとあなたは見出します。心がそのように消失するとき、あなたは永遠の安らぎを実現します。

信奉者:
 詩、音楽、ジャパ、バジャナ、美しい風景を見ること、霊的な詩節からなる詩を読むことなどを通して、人は時に真の全一性の感覚を体験します。(個人の自分が存在する余地がない)その深い至福に満ちた平静の感覚は、バガヴァーンが話すハートの中へ入ることと同じですか。その修練はより深いサマーディへ、そして、究極的には現実なるもの(the Real)を完全に見通すことに通じるでしょうか。

マハルシ:
 心に心地よい物事が提供されるとき、幸福があります。それは自らに本来備わっている幸福であり、他の幸福はありません。そして、それはかけ離れた遥か遠くにありません。あなたが楽しいとみなす、それらの場合に、あなたは自らの中に潜りつつあり、その潜ることは、自存する至福に帰着します。しかし、観念連合*がその至福を他の物事や出来事に押し付けることを招いていますが、実際、その至福はあなたの内にあります。それらの場合に、無意識的にですが、あなたは自らの中へ飛び込みつついるのです。まさしく自ら、唯一の現実である、その幸福とあなたが同一であるという体験から生じる確信をもって、あなたが意識的にそのようにするなら、あなたはそれを実現と呼びます。私はあなたに自らの中に、つまり、ハートの中に意識的に潜ってほしいのです。

*観念連合・・・association of ideas、「ヒュームの連合観念説とは、ある現象の後に特定のある現象が起ることを繰り返し体験すると、時間的に先行する現象を原因だと錯覚し、習慣的にその後に起った現象を結果だと思い込んでしまうという説である」とあるサイトに書かれています。ここでは、「ある現象」とは「心地よい物事」であり、「後に起こる特定のある現象」が「幸福」となるでしょうか。
 

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