2016年6月12日日曜日

死とジニャーナ - 死(自我)をその源まで追求し、不死(自ら)を得よ

◇「山の道(Mountain Path)」、1973年7月、p123~125

 死とジニャーナ

 論説
(ルシア・オズボーン)

 死の問題は、二元性の観点からのみ生じ、アドヴァイタのそれ-ジニャーニの観点-どちらからも、何ら現実性を持ちません。

 「不死は、我々の本質です」、シュリー・ラマナ・マハルシはよく言ったものでした。ただ我々が我々自身を体と同一視するために、我々は誤ってそれ(不死)を体に帰し、それ(体)が永遠に生きると想像し、本当に不死であるものを見失っています。聖典には、重い荷物を運んでいる労働者がその目的地につき、それを下に降ろすことを待ち望んでいるのとまさしく同様に、ジニャーニは体が脱ぎ捨てられる時を心待ちにしていると記されていますが、厳密に言えば、ジニャーニは体を降ろすことを切望してさえいません。というのも、彼はそれにほとんど気づいていないため、その存在や非存在に等しく無関心であるからです!

 死の本質が自覚されるか理解されるまで、死の問題は、この全てに共通の運命に直面する時、人間にとって本質的な関心事です。人が体との誤った同一視という相対的次元に未だいるため、分離した個人的存在として、「私」は、自我の解消を恐れるかもしれません。しかし、サーダナを通じて死の性質は体にのみ属していると理解した後、探求者は最初の死への本能的恐怖に打ち勝ち、平静にそれを待ち望むことが難しいとは感じないでしょう。

 サーダナの間、人は死と死の後に生き残るものを体験するかもしれません。世俗の人々でさえ極端な、または、通常の状態において、そのように体験すると知られています(*1)。しかし、これはつかの間の一瞥でしかなく、心が十分に安定し、純粋でなければ、保つことはできません。その記憶と確信だけが残ります。そのような体験をしたテニソンがこの体験を描くには、最も明瞭なものの中で最も明瞭なもの、最も確かなものの中で最も確かなもの、そこでは死がほとんどばかげた不可能なこと-人格の喪失、消滅ではなく、無限の存在、唯一なる真の命の中への解消です!

 本格的に心を落ち着け、この最も自然な本来的に至福に満ちた「在る」という境地を実現するために、この地点からサーダナが始まります、あるいは、始まるべきです。

 シュリー・ラマナ・マハルシの場合、死の体験は、聖霊であり、あらゆる存在の自らである、普遍的な不死の自らと「私」が一つであるという実現に帰着しました。「体は死ぬが、それを超越する聖霊が死に触れられることはありえない。それは私が不死の聖霊であるということを示している。死の恐怖はこれを最後に消え去りました。自らの中への吸収は、その時以来、途切れることなく続いています」*2)。これは瞬間的な実現の並外れた事例です!

 バガヴァーンはそれについてとても断定的でした。その後にも先にも、どのようなサーダナも行ったことがないと彼は言いました。その体験は必要最小限かつ最終的なものでした。後に覚者の著作を読んだ時、彼の直感的な不断の自覚は確証を見出しました。ある人がシュリー・バガヴァーンの教えはシャンカラーチャーリヤのものと同じであるか尋ねた時、「バガヴァーンの教えは彼自身の体験と実現の表われです。他の人々はそれがシュリー・シャンカラのものに一致すると気づきます」と彼は答えました。

 ジニャーニの観点からは、死は現実性を持ちません。迫りくる死を嘆くのは、その真の境地を実現していない人々だけです。禅の第六祖がこの世を去るという彼の決意を宣言した時、僧たちは悲嘆にくれて涙を流しました。「誰のためにあなたたちは泣いているですか」と彼は彼らに尋ねました。「もし私がどこへ行くのか知らないならば、私はこのようにあなたたちを置いて行くことはできないでしょう。私がどこへ行くのか知らないのは、あなたたちです。もしあなたたちが知っているなら、あなたたちは泣かないでしょう。なぜなら、真の自然の境地には生も死もないということをあなたたちはまた知ってもいるだろうからです」。

 ある信奉者がバガヴァーンに恵み深くもの本当の姿を彼に見せてくださるようにお願いした時、バガヴァーンがもたれかかっていた長椅子が空っぽになりました。その信奉者は恐怖の中に取り残されました。ひと月ほど後に初めて、彼はそのことについてシュリー・バガヴァーンに話しかける勇気を奮い起しました。バガヴァーンはその時、「あなたは私の本当の姿を見せてもらいたいと頼みました。あなたはその消失を見ました。私は形を持ちません!」と説明しました。

 あるプラダクシナの間、信奉者の一団がラマナ・サッドグルと歌い始めました*3)。バガヴァーンはその歌に加わりました。信奉者の中の一人がバガヴァーンが自身の賛美を歌うことに驚きを表わしました。バガヴァーンは彼らに言いました。「あなたたちはラマナがこの6フィートであると思いますか。彼は全てに行き渡っています」。

 自我から離れて、誕生もなく死もないと彼はよく言ったものでした。自我そのものが、死です。自我を超越することが、死を破壊することです。自我の源の探求が、死を克服し、不死を得るための道です。「自我、世界、個々人は全てその人のヴァーサナーのためです。それが消滅する時、その人の幻は消え去ります」。

 我々は体に関連する現象を自らと混同しています。人が「私」という思い、もしくは、自我が生じる源を探求するなら、我々の原初の真の境地を隠す全ての混乱は消失し、自らそれが常にあるがごとくに顕されるでしょう。「『私』の源を追跡すれば、原始の『私‐私』が残ります。しかし、それは表現しえないものです!」探求は内にあり、探求者はそれを彼の外側の対象物として見出すことはできません。かの源は至福であり、全ての存在の核心であり、死によって触れられず、永遠です。

 人が日々眠っている時と目覚めている時に体験することを理解するために、どうして誕生と死に向かうのか、シュリー・ラマナ・マハルシは尋ねます。「あなたが眠る時、あなたにとって、目覚めている間に今存在する同じあなたにとって、この体と世界は存在しません。それは死と同じです。あなたが目覚めと眠りを適切に理解するなら、あなたは生と死を理解します」。我々は不死です。擦り切れた衣服のように捨て去られるのは、体だけです。相対的な観点からは、眠る時、体は修復され、死の時、新たなものに取り換えられます。夢と目覚めの状態はともに心の産物であり、唯一の相違はその持続期間にあります。

 ラマナ・マハルシはその信奉者たちに語る時、体の幻想的な性質を強調しました-「私が病気であるとあなたたちが思うなら、私はかえって病気になるばかりです。私が元気であるとあなたたちが思うなら、私は元気になるでしょう」。全く奇妙なことに、1950年4月14日-シュリー・バガヴァーンのブラフマ・ニルヴァーナの日に、ある信奉者はの健康を祈るための夜通しの2倍のプラダクシナの後、そのようにすることができず、代わりに「御身の御心が行われますように-あなたが最善をご存知です」と身を委ねました。その朝に、彼女は、まさに最後のダルシャンの間にが輝かんばかりの健康体で同意して微笑みながら長椅子に座っているのを目にしました。彼の目は名状しがたい恩寵で光り輝いていました。その一方で、その列の真後ろに続く信奉者は、まさにその同じ瞬間に、がすでに苦しみ悶えているのを目にしました!

 シュリー・ラマナ・マハルシは死を前にして言ったものでした。「彼らはこの体をバガヴァーンだとみなし、苦しみを帰し、彼の死を恐れます。何と気の毒なことですか!バガヴァーンが彼らを後に残し、去ろうとしていると彼らは気落ちしています。どこに彼が行けるのですか、それに、どうやって?・・・・『私』は決して死にません。体が抜け落ちても、『私』にとって喪失はありません。誕生と死は、体に属します。あなたたちは自らを体と同一視しています。それは誤った同一視です。誕生と死は、その問題をあなたに探求させ、誕生もなく死もないということを見出すためだけに言及されています・・・・」

 それでも、自分自身を体と同一視する錯覚と非現実を現実だとみなす混乱を超えて、人はおぼろげながらも永遠の自らに気づいています。なぜなら、それが真理であるからです。体の中の命がいかなる瞬間にも終わるかもしれないということを忘れ、人々はあたかも永遠に生きるつもりであるかのように行動し、計画します。人はとても多くの人々が死んでいくのを目にするが、それでも彼自身が永遠であると信じている、バガヴァーンは言いました。世俗の人々にとってさえ、その自然の真理は現れ出ます。我々をへ戻るように導くためのおとりのごとく、人間の姿でしばし現れた師-全ての者のハートの中の一者であるサッド・グル-に導かれる探求者にとっては、なおのことそうです。人がなさねばならない全ては、が我々に示した、その全くの簡素さゆえに困難に感じる人がいるかもしれない、最も直接的な道をたどることによって、誕生と死という、サンサーラ(浮世の人生)という、この夢から目覚めることです!

 シュリー・バガヴァーンは、導きが彼の身体的消失の後にも継続することを我々に請け負いました。「私は去ろうとしていません。どこに私が行けるというのですか。私はここにいます」。「私はここにいるでしょう」でさえなく、「私はここにいます」!彼、生ける内なるグルは、の途切れのない存在との継続する導きを確言しました。なぜなら、ジニャーニにとって、永遠の「」しかないからです。彼は体をあまり重要視しないように我々に注意しました。彼は体ではありませんでした。信奉者たちは、彼らがどこにいようとも、の恩寵と支え、の内なる存在が、以前よりも今、さらにいっそう力強いことに気づきます。そして、外部の強制なしに、内なる規律が、あらゆる思いの純粋性が問題であるという段階にまで厳密になりうるかもしれません!

原注
*1)「The Mountain Path」の1970年号10月に、そのような体験のいくつかの描写があり、このテーマを広範に扱っています。
*2)Arthur Osbornによる「Ramana Maharshi and the Path of Self-Knowledge」、第二章、p18
*3)「The Mountain Path」、1971年1月、p5を参照のこと

2016年5月29日日曜日

ガーディの物語 - 不可思議なマーヤーの働きを体験したバラモン

◇「山の道(Mountain Path)」、1975年7月、p173~175

『ヨーガ・ヴァーシシュタ』からの物語-Ⅴ


ガーディの物語

M.C.スブラマニアンによるサンスクリット語からの翻訳

ヴァーシシュタ曰く:
 おお、ラーマ!サンサーラと呼ばれる、この幻には、終わりがありません。自制によってのみ、それに終焉をもたらすことができます。その並外れた力を例示する物語をあなたに話しましょう。注意深く聞きなさい。

 コーサラ王国に、ガーディという名のバラモンがいました。彼はかつて家を離れ、禁欲行を修練するために森の中に進みました。鮮やかな褐色のハスが生えた池を見つけ、彼はその中に入り、首まで水に浸かって立ち、禁欲行を修練しました。8か月の終わりに、ビシュヌが彼の前に現れ、言いました。「おお、バラモン!水から出なさい。あなたの欠点のない禁欲行は実を結びました。あなたが好む、どんな願いでも求めなさい」。ガーディは言いました。「主よ!サンサーラと呼ばれる不可思議なマーヤーの本質を私は理解したいと思います」。ヴィシュヌは言いました。「あなたは今や私のマーヤーを見るでしょう。それを見た後、できるならばそれを乗り越えなさい」。このように言い、ビシュヌは姿を消しました。

 これを目にした後、ガーディは水から出てきました。世界の主を目にし、彼はとても幸福でした。彼はバラモンに定められた禁欲行に従事して、その森の中でさらに数日過ごしました。ある日、朝の沐浴をするために彼は湖に行きました。沐浴に先立つ儀式を終えた後、彼は水に足を踏み入れ、ひと浴びしました。まさにその瞬間、彼はつぶやいていたマントラを忘れ、いつものように瞑想することができませんでした。景色が完全に変化しました。大変悲しいことに、気づけば彼は、親族に囲まれ、彼自身の家の中で死んでいました。悲しみに打ちひしがれ、彼の妻は彼の足下に座り、彼の母親は彼のあごを撫でていました。次に彼は、彼の体が死体の残骸が散乱した火葬場に運ばれ、赤々と燃える火の中で燃やされ灰になるのを見ました。

 その後、彼が極めて苦悶したことに、彼が見たのは、村はずれのフナ(低いカースト:フン)の間で生活するスヴァパチャ(犬食い)という低いカーストに属する女性の子宮の中に悲嘆にくれて横たわっている自分自身でした。そのうちに、気づけば彼は、スヴァパチャの黒い顔色の赤子として生まれていました。彼はその家で幼少時代を過ごし、一家の寵児でした。彼は、その後、少年へと成長し、16歳になりました。彼は背丈が高く、肩幅が広く、厚い雲ごとく黒色でした。彼に心魅かれた彼のカーストのある若い女性が、木のつるのように彼にくっついて離れませんでした。彼女の胸は花束のように柔らかく、彼女の手はみずみずしく柔らかな葉のようだと彼は思いました。彼は森の木陰で彼女と戯れ、山の洞窟の中で彼女と共に眠り、葉の茂ったあずまやに彼女と共に座り、茂みの中に彼女と住み、彼の家系を存続するために彼女と子をもうけました。そのように結婚し、裕福な彼は、じきにその若さを失いつつあることに気づきました。彼は、その後、他の人々からいくらか離れた所に葉っぱでできた小さな小屋を自ら建て、隠者のごとくそこで生活しました。彼は自分自身が年を取り、弱り、息子たちが成長していくのを見ました。その後、彼は彼の家族全員が死に奪い去られるのを目にしました。彼は悲嘆にくれ、絶え間なくすすり泣いたことでその顔は腫れあがりました。

 彼は、その後、その国を離れ、深い悲しみと不安に沈んで放浪しました。放浪するうちに、彼はケーラ王国の首都にやって来ました。彼は王の公道に沿って歩み、それは天(スヴァルガ)に通じる道のように見え、高貴な生まれの男女でいっぱいでした。彼は目の前に宝石で装飾された門と山ように巨大な見事な象を目にし、象は亡くなった王の跡継ぎを探してあちらこちらに動き回っていました。彼が象を見ると、象はその美しい鼻を彼に巻き付け、持ち上げ、大変な敬意をもって彼をその背中にのせました。彼はメール山にかかる太陽のごとくに見えました。彼が象に座るや否や、太鼓が四方から鳴り響き、「王に勝利あれ」と言い、歓呼して彼を迎える人々の歓声で空は満たされました。美しい女性たちが、その後、彼を宮殿に連れ行き、王ごとく彼を着飾りました。全ての人々が彼に敬意を払いました。

 かくして、スヴァパチャ(つまり、ガーディ)はケーラ王国を手に入れました。彼の蓮華の御足はその王国の美しい女性たちの柔らかい手でマッサージされました。すぐに彼はその王権を国土のすみずみまで広げ、彼の命令は至る所で遵守されました。彼は王国の秩序を回復し、大臣たちの助けを得て、国をとてもうまく統治しました。彼はガラヴァ王として知られるようになりました。

 美しい少女たちに囲まれ、大臣たちに大いに敬われ、貴人全員に尊敬され、王にふさわしい傘の下に座り、王にふさわしいハエ払いで扇がれて、彼はケーラ王国を8年間統治しました。それから、ある日、王の記章のない普段着で、彼は何気なく宮殿の外に出ました。程なくして彼は、弦楽器を演奏しているスヴァパチャのキャンプに出くわしました。彼らの一人、赤い目をした老人が立ちあがり、彼に近づき、カタンジャと親し気に彼に呼びかけました。彼は言いました。「おお、カタンジャ、私の親族よ、今どこに住んでいるんだい。私は幸運にも、あなたに、私の古い親戚に出会った。森のどこに今まで住んでいたんだい」。

 その老人がそれらの言葉を話した時、ガラヴァは不快感を示す仕草をしました。しかし、彼の妻たちと彼の臣民のいくらかは、窓際にいて、全てを見ていました。彼らの王がスヴァパチャであったと知ることになった時、彼らは気が動転しました。彼が動揺して宮殿の内にある込み合った部屋に再び入った時、大臣、市民、女性たちは彼に近づかず、触れようともしませんでした。彼らは彼を死体ごとく見なしました。彼は彼の従者たちの真っただ中で孤独を感じました。

 程なくして、市民が内々で話し始めました。彼らは言いました。「私たちはこのスヴァパチャと長い間触れ合うことによって汚されてきた。たとえ大変な苦行をもってしても、我々の清らかさは取り戻せない。それゆえに、火の中に飛び込み、我々自身を破壊しようではないか」。そして、彼らは火を四方に点火し、親族もろとも火の中に飛び込みました。有徳の人々とともに生活した結果として、有徳になっていた王は、深い悲しみに打ちひしがれました。彼は思いました。「私はこの王国に降りかかったこの惨事に責任がある。もはやこれ以上どうして生きねばならないのか。私も死のう」。そのように決意し、わずかの後悔もなく、ガラヴァは蛾のごとく火の中にその身を投げ入れました。

 ちょうどその時、ガーディは火の熱さを感じ、夢から覚めました。彼がその錯覚から脱するのに、数瞬しかかかりませんでした。その後、彼は心の中で考えました。「私は誰だ。私は何を見ているんだ。私は何をしたんだ」。その信じがたい不思議な体験に思いめぐらしながら、彼は水から出てきて、この結論に至りました。「深い森の中の気が狂った虎のように、無数の幻の真っただ中で、全ての具現化した存在の心がこのようにさ迷うのを私は見ているのだ」。

 ガーディは彼のアーシュラムで生活し続けました。その後、ある日、彼の親しい友人が彼に会いにやって来ました。非常に喜び、彼は花を彼に差し出し、果物と美味しい食べ物を彼の前に置きました。彼らの夕方の祈りを終えた後、二人の友人は横たわり、互いに精神的意義を持つ話を語り合いました。会話の最中に、ガーディは友人に尋ねました。「おお、バラモンよ!どうしてあなたはそんなにやつれ、弱っているのですか」。友人は答えました。「この地の北部に、ケーラと呼ばれる有名な大王国があります。その都市の人々に敬われ、私は最近そこで一か月過ごしました。彼らと会話するうちに、彼らの一人が私に以下のように話しました。『おお、バラモン!スヴァパチャがここに8年間君臨していたのです。彼が終に見破られたとき、彼は即座に火に飛び込みました。二百人のバラモンも火に飛び込みました』。私がそれを聞いた時、私はその王国を離れました。私はプラヤガで沐浴し、禁欲行に耐えました。三回目のチャーンドラーヤナ(規定された断食を伴う苦行の一形態)の終わりに断食をやめ、私は直接ここに来ています。そのために私は弱り、やつれているのです。」

 ガーディがこれをバラモンから聞いた時、彼は驚きでいっぱいになりました。彼は思いました。「私の体験はこれと一致している。私は、それゆえ、自分自身でこの話の真実を見出しに行こう」。そこで、彼はアーシュラムを離れ、多くの王国を通り過ぎ、終にフナの国に到着しました。それは彼の幻とそっくりでした。正確な場所に、彼がとてもよく見覚えがあるもので囲まれた彼自身の小屋を見つけました。その時、彼はスヴァパチャとしての前世を全て思い出しました。

 信じられない様子で頭を振り、主の神秘について思い巡らし、彼はフナの国を離れ、ケーラ王国に着きました。そこで彼が見たのは、彼が生き、奇妙な体験を経た都市の中の場所でした。彼はまた、人々から同じ話を聞き、心の中で思いました。「この壮大な幻は主ヴィシュヌによって引き起こされている。私は今やその意義を理解した」。

 そのように熟慮し、ガーディはその王国を離れ、山々の洞窟に入りました。ヴィシュヌをなだめるための禁欲行に従事し、命を保つために日に数口の水のみを取りながら、彼はそこで一年半過ごしました。その期間の終わりに、ヴィシュヌが彼の前に現れ、言いました。「おお、バラモンの中の最上なる者よ!あなたは今や我が偉大なるマーヤーの性質を体験しました。その山々の真ん中で、どうしてあなたは再び禁欲行を修練しているのですか」。この言葉を耳にするとすぐに、ガーディは立ち上がり、主に水と花々を捧げました。全ての手足を地面につけ(つまり、転がりながら)、彼は恭しくヴィシュヌの周りをぐるりと回りました。その後、(雨を降らせるよう)雲に懇願するチャタカ鳥にごとく、彼はヴィシュヌに言いました。「主よ!あなたは私に計り知れないマーヤーの性質を示しましたが、私はその神秘を理解していません。どうして幻が現実になったのでしょうか」。

 ヴィシュヌは答えました。「おお、バラモンよ!全創造は心の内に現れ、何ものも外側として存在しません。夢や幻覚において、これは全ての人の体験です。その中に全世界が包含される心がスヴァパチャを映し出すならば、それは何か驚くに値するものですか。あなたの錯覚のために、あなたがスヴァパチャであるという考えをあなたが抱いたのとまさしく同様に、あなたの幻覚のために、来客がやって来たのを見ていたのです。同様に、『私は立ち上がり、行こう。私はフナ国に到着した。これはカタンジャが生活した家だ。私はケーラの都市に今着いた。私の幻覚の後でさえ、スヴァパチャの王の統治について私は知らされ、体験した』という考えを抱いたのです。あなたがスヴァパチャであるという考えがあなたの心にあった時、全てのフナの人々が偶然に同様の考えを彼らの心に抱いたのです。パルミラヤシの木の実の落下が、カラスが木に止まるのと同時に起こることのようです。心の方法は不可解なものです。カタンジャという名のフナ国のこのスヴァパチャは、全くの想像によって存在するようになりました。同様に、彼は、運命に強いられ、外国へ行き、ケーラの王となり、火の中に飛び込みました。その後で、あなたの心の中にある考えが生じ、その考えがあなたにカタンジャの体験を与えました。真の自らを知らない者は、『彼はこの人である、私はこの体である、それは私のものである』といった心の想像に夢中になっています。賢者は、『私は、顕現した万物の背後にある、ただ一つの現実である』と考えます。彼は、それゆえ、苦しみません。おお、バラモンよ!サンサーラと呼ばれる、このマーヤーが、終わりを迎えることは決してありません。自らの探求を通してのみ、それは終わりを迎えます。賢者は、対象物の間の相違という誤った概念を抱きません。それゆえに、彼は錯覚の影響に苦しみません。人が鋭く警戒し、賢明でなければ、心の錯覚に打ち勝つことはできません。心は、マーヤーという車輪のこしきです。それが静止しているなら、問題は全く起こりません。あなたは今や立ち上がり、山の空き地で10年間瞑想を続けなさい。その時、あなたは完全たる知恵を手に入れるでしょう。」

 そのようにガーディを祝福した後、ヴィシュヌは姿を消しました。その識別力を通じて、ガーディは完全な無執着を培いました。概念から完全に離れた心でもって、彼は完全な集中を10年間修練し、それによって自らの知を手に入れました。彼の本質を完全に理解し、一切の動揺と恐怖と悲嘆を免れ、彼は幸福を感じました。彼は一切の世俗の魅力あるものに完全に無関心になりました。彼は生きている間にさえ完全に解放されました。彼は絶対的安らぎの至高なる境地を達成しました。彼の心は満月のごとく完全になりました。

2016年5月21日土曜日

チャガンラル・V・ヨーギ - いかにして懐疑主義者は虎口に落ちたか

◇『The Call Divine(召命)』 Volume Ⅱ、Book 6、p318~323

虎の口の中で

シュリー・チャガンラル・V・ヨーギ著、ボンベイ

虎の口に落ちた獲物が決して逃れることを許されないのとまさしく同様に
グルの恩寵を得た彼は、疑いなく救われ、決して見捨てられることはない
-シュリー・ラマナ、『私は誰か』の中で

 シュリー・ラマナ・マハルシについて私が初めて耳にしたのは、私の人生の中で最も暗たんとした時期でした。当時、私は懐疑主義に向かって足早に進んでいるようでした。世界は私にとって、不正、残酷、貪欲、憎悪や他の邪悪に満ちているように見え、それらの存在は必然的に神への強い不信へと私を導きました。というのも、彼が真に存在していたのなら、何か邪悪なるものがかつて栄えることができたのでしょうか。暗い影のように疑惑に次ぐ疑惑が私を悩ませ、私の足跡をつけ回しました。結果として、私は、サードゥとサンニャーシに対して私が持っていたかもしれない、なけなしの敬意を失いました。気がつけば私は、ゆっくりとしかし確実に、宗教に興味がなくなっていきました。言葉そのものが、私の心の中では、世間の信じやすい人たちを欺くためのずる賢い策略の同意語になっていました。要するに、私は楽観主義と信仰を欠いた人生を送り始めました。私の心は荒れ狂う海の様相を呈しました。私の周り全ては灼熱の炎で燃え盛り、まさに私のはらわたを焼き尽くすようでした。

 ある日、いつものように電車に乗って事務所へ向かう間に、私は突然、ヨーロッパとアメリカで10年以上過ごしていた友人に偶然に出会いました。私はとても長い間彼に会っておらず、時々、彼はどこに姿を消したのか心の中で思いめぐらしたものでした。彼はシュリー・ラマナーシュラマムに行っていたのだと言い、マハルシのダルシャンの体験を私に説明しようとしながら、ポケットから小さな袋を取り出し、私に差し出しました。私はそれに何が入っているのだろうと思いました。彼はそれに極めて貴重なもの-アーシュラムからもたらされた灰、ヴィブーティが入っていると説明しました。彼は私がそれを受け取るよう強く要求しました。彼の親切な誘いは、少しも私の関心を引き起こしませんでした。一方で、それは私を面白がらせました。「失礼だけど、こういった類のものは全てインチキやペテンに過ぎないと思っています。だから、私がそれを拒んでも、あなたが私を誤解しないと信じています」。私の拒絶に対する彼の唯一の主張と私の理性に対するアピールは、ヴィブーティでなくとも、それを受け取らないことで、私が彼を侮辱したというものでした。私は、「では、もしそうであるなら、あなたを喜ばせるために、灰をひとつまみ取りましょう。私がそれでしたい気がするかもしれないことをするのをあなたが許すという条件で、ですが」と言いました。何の疑いもなく、彼は同意してうなづき、小袋を私に手渡しました。私が小袋からひとつまみ取り出すのを彼が見る間、微笑みが彼の唇に浮かびました。彼の微笑みは、シュリー・マハルシと彼の奇跡的な偉大さの熱心な詳細な説明の前触れでした。彼が伝道の熱狂に没頭している間に、私は密かに灰を客車の床に落としました。全く率直に言って、当時、私がはなはだ幼稚で不必要な講義だとみなしたものを友人が終えた時、ホッとしました。その最後に、「私はそれらのいわゆる聖者を全く軽蔑してます」と私は述べました。シュリー・ラマナ・マハルシは「いわゆる」聖者でなく、「本物の」賢者であり、世界中の優れた学識者から認められていると彼は私にどうしても印象づけたがり、私自身の利益のために、いくらかの書籍はとても簡単に手に入るからと、彼に関する本を読むことを勧めました。彼は私がそれによって第一歩を踏み出すかもしれない一冊の本-マドラス、サンデー・タイムズの故シュリー・カマス著の『Sri Maharshi』-を私にくれました。

 その本が私の中にマハルシへの関心を呼び起こしたことを私は認めざるを得ません。別の友人から、ほとんど間髪を入れずに『Self-Realization』(第二版)を一冊借りました。私がそれを意識することさえなく、私の関心は高まりました。何かが私に英語で手に入れられるマハルシに関する全ての著作をシュリー・ラマナーシュラマムに手紙で注文させました。私はそれをむさぼるように学び、私の人生観と世界観が微妙に変化し始めたことに気づきました。それでも、私の心の背後には、増しゆく輝きを汚す雲にも似た、重苦しい疑いが潜んでいました。私の古くからの懐疑主義は、私の心の中に植えつけられつつあるらしい、新たなる信仰にそうやすやすと場所を明け渡そうとはしませんでした。それはその信仰に戦いを挑みました。けれども、その信仰は明らかに生き残ることとなり、その後すぐに成長しました。私は心の中で論じました。とても多くの本が読むには素晴らしいが、その著者はたいがい同様に知るには素晴らしいわけではない。人々にとって彼ら自身が生きることができない真理を教えることは可能だ。では、どれほど素晴らしくても、本が何の役に立つのか。私はマハルシと文通しようと決心しました。私は数か月間文通し、それはますます頻度を増しました。私の手紙への返事は稀に見る迅速さで私のもとに届き、師の教えの息吹を放っていました。しかし、それらが彼によって生きられる日常生活の性質を私に垣間見せることはほとんどありませんでした。アーシュラマムを訪問し、自分自身で物事を見たいという説明しがたい願望が私を捕え始めました。

 その願望を満たすため、1938年のクリスマスに、私はシュリー・ラマナーシュラマムを訪問しました。それは私の最初の訪問であり、もちろん、最後の訪問ではありませんでした。アーシュラマムに到着した時、私はひどい失望を経験しました。なぜなら、何も私が期待していたように私の心を打たなかったからです。マハルシは、動きも話しもしない彫像と同じように静かに寝椅子の上に座っていました。彼の存在もまた、並外れたものを何ら発していないようでした。彼の態度全てが私に対していかに興味がないかに気づいた時、私はひどく悲しくなりました。私は温かみと親密さを期待していたのです。しかし、ああ、私は両方を欠いた誰かの前に立っているようでした。朝から晩まで、ボンベイからはるばるやって来た見知らぬ人である私の中に、彼の恩寵、彼の関心を垣間見ようと待ちながら座りました。しかし、彼は冷たく、心動かされないようでした。私の心はぽっかりと穴があき、私の胸は絶望のあまり張り裂けんばかりでした。以前よりいっそう懐疑的でかたくなになり、私はまさにその夜に去ろうと決めようとしていました。彼の面前では毎晩ヴェーダ・パーラーヤナが唱えられていて、それはアーシュラマムの日課の最も魅力的な項目の一つとみなされるものでしたが、私の耳には単調なものに聞こえました。悲しい別れの挨拶のように太陽は沈みゆき、暗闇がゆっくりと山と私の心に忍び寄りました。それは深まり、ついには我々の周り全てが大きな黒い染みとなりました。私はその雰囲気に耐えられませんでした。私の心は深い苦悩を経験していました。師の講堂は、空気の通りが悪く、息が詰まるようでした。私は外で新鮮な空気を吸うために、講堂から立ち去りました。

  ちょうどその時、少年-ゴーパランが彼の名前でした-が私のもとまでやって来て、私がどこから来たのかについて私に尋ねました。「ボンベイです」と私は言いました。そして、私が師に紹介されたのか、彼は尋ねました。私は「いいえ」と言いました。彼は驚きました。直ちに、彼は私を事務所に連れ行き、サルヴァーディカーリとシュリー・モウニスワーミーに私を紹介し、私と共に講堂に進み、そこで私をマハルシに紹介しました。マハルシが私の名前を耳にした時、彼の目はまっすぐに私の目をのぞき込み、星々のように瞬(またた)きました。恩寵で輝く微笑みをもって、彼は私がグジャラート人であるか私に尋ねました。そうですと私は言いました。即座に、彼は「Upadesa Sar」のシュリー・キショールラル・マシュルワラによる翻訳を一冊取りに行かせました。その数冊がちょうどその時、到着したばかりでした。それから、彼は私にその本からのグジャラート語の詩節を歌うように頼みました。「私は歌手ではありません」と言い、一瞬、私は躊躇しました。私は躊躇を乗り越え、本から詩節を歌い始めました。その15詩節を歌うか歌わないうちに、夕食の鐘が鳴りました。私が歌っている間、私はシュリー・バガヴァーンが私を鋭く注視しているのを感じることができました。彼の目の光は、私がそれに気づくことさえなく、いわば、私の意識を満たし、私の上に微妙ではあるがはっきりとした変容をもたらしました。しばらく前に重苦しく耐えがたく思えた暗闇は、徐々に光りがさし、幸福感に溶け込みました。私のかつての悲しみは完全に消え去り、私の心に説明のつかない歓喜の感情を残しました。私の四肢は、自由の大海の潮流の中で洗われたようでした。

 私は夕食時にシュリー・バガヴァーンのそばに座り、食べる間、その一口一口が並外れたこの世のものとは思われない味をしているようでした。これは実際の体験でしたが、朝の軽食や正午の昼食の間には、それを垣間見ることさえありませんでした。文字通り、私は、神の直接の面前において、天上の食事を取っているように感じました。その夜にアーシュラムを離れるという思いは、消え去りました。すでに始まっていた神聖な並外れた体験-精神的解放の感覚の明白な実感へ通じる神聖な恩寵の体験-を広げるために、私はもう三日長く滞在しました。

 私が神聖なる師のそばで三日間滞在する間、真の洞察の目を縛る鎖のようでさえある先入観と偏見に束縛された昔の自分を思い出すことができない程度にさえ、私の見方全体が完全に変わったことに気づきました。私の心は、その本質的性格を以前のそれからいくらか異こと)にしさえするほどの素早い変化を経験しました。私にとって世界の色そのものが変わり、日の光はこの世のものとは思えない様相を呈しました。私はそのまなざしを人生と世界の暗い側面にのみ向けることの愚かさと無益さに気づき始めました。

 神聖なる魔術師は、輝きと希望と喜びの未知なる新世界を私の前に広げました。地上に彼が存在するという事実そのものが、その頑固な無知のために苦しみ傷を負っている人類にとって十分な証しであり、約束でした。その時初めて私は理解しました-ダルシャン、目にすることの意義を。

 アーシュラマムの来客用寝室のベッドに横になっている間、閉じたまぶたの背後に、私が事務所へ行き帰りするボンベイの電車の全光景が現れました。私が友人と出会った、当時、私があざ笑い、私の残りの人生の間、祈り続けることになった聖なる者について彼から初めて耳にした、あの重要な機会が。鉄道客車の床上に極めて神聖なヴィブーティ-プラサードを軽蔑して落とすように駆り立てた盲目的なふてぶてしさを私は思い出しました。今日では、そのようなプラサードのひとかけらでさえ、私にとって全世界を意味します。師から受け取ったプラサードは、どんな地上の富も買えはしない恩寵の形です。人はそれをまぶたまで持ち上げ、それで額に筋をつけるのに値しないとさえ感じます。

 おお、師よ、何という変容の奇跡なのですか。私があなたに出会えるまでに、どうして人生の半分を要したのですか。しくじりに次ぐしくじりの半生!しかし、私は思うのですが、我が師よ、それは年、月、日、瞬間で計られる時間という心の概念でしかありません。あなたにとって、あなたのバクタは、時代を通じて、あなたと共に、あなたの近くに、あなたの側にいつもいます。

 これらの思いは次第に私を深い眠りに入らせ、翌朝、私は四肢に新たな活力を満たし、心に新たな光を満たし、眠りから目覚めました。三日目、沈んだ心で私はシュリー・バガヴァーンに別れを告げました。いまだ人間であるため、時間と空間の感覚に捕えられ、距離と別離は自然と心に虚無感と痛みを与えました。しかし、私に関する限り、私が想像しうるよりさえ早く師の足下に戻ることになると何かが私に請け負いました。私の直感は、ほぼ正しいよりもはるか上でした。というのも、翌年、訪問に次ぐ訪問が、奇跡的かつ容易に師によって手配されたようでした。折に触れ身体的に師の近くにいる必要性を彼は私の中に気づいていました。訪問を重ねるたびに、私の中の光は深まり、私の活力は強まり、増しゆく歓びに向けて私の意識をかき立てました。

 師が彼の子供たちに働きかける、名状しがたい意識下の方法は、驚くべきものです。彼の導きを必要とする時に、彼の手、私に差し出された力強い彼の手をはっきりと見た回数は、数知れません。これについては、将来いつか記すつもりです。

 「かくして、私は、虎口に捕われたのだ!」

2016年5月13日金曜日

プラフラーダの物語② - ヴィシュヌの信奉者になったアシュラの王

◇「山の道(Mountain Path)」、1975年4月、p101~103

『ヨーガ・ヴァーシシュタ』からの物語-Ⅳ


プラフラーダの物語

M.C.スブラマニアンによるサンスクリット語からの翻訳

 プラフラーダは続けました。「私の不可分の自らに敬礼を!おお、一切世界を照らす宝石よ!やっとのことで、私はあなたを得た。私はあなたについて注意深く考えた。私はあなたを明確に理解した。あなたは明確にあなた自身を顕した。あなたは私によって達された。いつもあったごとく、あなたは(今も)ある。あなたに敬礼を!吉祥たる至高なる自ら、主の中の主たる、あなたと異ならない私に敬礼を!雲が立ち去った満月のごとく、それを隠したものを取り除くや否やその真の姿を再び帯びた、私の自らに私は敬礼する。それは純粋なる至福として住し、独りで立ち、己の支配下に留まる。それは座しているように見えるかもしれないが、実際には座っていない。それは行くように見えるかもしれないが、実際には行かない。それは不活発なように見えるかもしれないが、活動的である。それが行う時でさえ、それは影響されない。風が木の葉を揺り動かすように、それは心を活動的にする。二輪戦車を駆る者がその馬を導くのとまさしく同様に、それは五感を導く。人は自らのみを探求し、それのみを思い、それのみを称賛すべきである。そうすれば、人は誕生と死なる錯覚を超え行き、自由になることができる。蓮華の上の蜂のごとく、それはハートの蓮華の中に明確に見られうる(つまり、体験されうる)。親しい身内のごとく、それに自由に近づくことができる。私はもはや感覚的快楽への何らの欲望も持たない。しかし、私は意図的にそれを断ったりもしない。何が去来しようとも、私は気にかけない。今まで、私は私の敵、独りいる私を悩ませていた無知によって識別力を奪われていた。私は心を心によって切り倒し、自我意識から自由になった。私は真の知の助けによって一切の誤った概念を取り除いた。私は今や私の真の境地に住する。私の体は、概念、自我意識、心、欲望を欠く、純粋かつ不変なる自らの内に存在する。縛りつけていた欲望なる紐を引きちぎり、自我なる鳥は私の体なる鳥かごから飛び去った。私はそれがどこへ行ったのか知らない。人がのぼせ上がらないなら、女性の美が盲目の人にとって存在しないのとまさしく同様に、その貴重な所有物は存在していないも同然である。

 「万歳!恐ろしい容貌をした、あなたよ!万歳!平和を愛する者である、あなたよ!万歳!一切の聖典を超える、あなたよ!万歳!一切の聖典の基礎となる、あなたよ!万歳!傷ついている、あなたよ!万歳!傷ついていない、あなたよ!万歳!存在する、あなたよ!万歳!存在しない、あなたよ!万歳!征服されうる、あなたよ!万歳!征服しえない、あなたよ!」

 プラフラーダ、敵の殺害者は、その後、無概念かつ至福に満ちた境地に入りました。五千年間、絵画の中の人物のごとく動きなく、彼はサマーディに留まりました。彼の王国は混乱に陥りました。魚類の掟(つまり、弱肉強食)がはびこりました。その時、乳海の中で蛇シェーシャによって形作られた寝椅子に横たわり、三世界なる蓮華にとって太陽のごとくあり、全世界の秩序を保つという務めを持つ、ヴィシュヌは思いました。「プラフラーダは自らに没頭している。パーターラの王国には統治者がいなくなった。もはやアシュラがいないため、創造は完全ではなくなる。アシュラがいなくなれば、デーヴァには誰をも征服する機会がない。彼らは平和を愛する者となり、解放を達成する。彼らが解放を達成する時、供儀のごとき宗教儀式や苦行は無意味になり、じきに終わりを迎える。それらが終わりを迎える時、世界は終わりを迎え、サンサーラの問題はもはや存在しなくなる。その時、太陽、月、星々を欠くこの世界において、私は静寂の境地を達成し、その境地に留まる。このように世界が時ならず終わりを迎えるのは、よろしくない。それゆえに、アシュラを繁栄させよう。彼らが繁栄する時、デーヴァは活動的になる。その時、供儀や苦行、サンサーラも再び働き始める。プラフラーダは現カルパの終焉まで、彼の体に留まるべきである。これが我が節理である。」

 こう決心して、至高なる主は乳海を離れ、プラフラーダの都市へやって来て、彼の宮殿に入りました。彼のそばでチャマラ(ハエ払い)を振るラクシュミーと共に、彼はガルーダの上に乗っていました。彼には武装した付添人と彼を称賛する神々しい賢者たちが同伴していました。彼はプラフラーダに「おお、偉大なる魂よ!目覚めよ」と言い、とても大きな音でほら貝を吹いたので、その地域には音が響き渡りました。ヴィシュヌの生命の息によって作り出された音を耳にするとすぐに、プラフラーダはゆっくりと目覚めました。彼の生命力はブラフマランドラ*1から生じ、ゆっくりと体の全てのナーディに行き渡りました。それが入口を通って五感に入った時、彼の心は内なる生命力の鏡に映し出され、知覚対象物に向けられました。鏡に映った顔がもう一つの顔のように見えるのとまさしく同様に、知覚対象物に向けられた心は対象物の形を帯びました。心が生じ始めた時、青蓮華のごとき眼もまた開き始めました。プラーナとアパーナの作用により、意識が入口を通り、ナーディ中に行き渡った時、風の中の蓮華ごとく、ナーディが活動し始めました。瞬間に、心が活動的になり、眼が開き、体が機能し始めました。

 プラフラーダの目が開き、彼の心が活動的になった時、雨雲が孔雀に語りかけるように(つまり、雷によって)、ヴィシュヌは彼に語りかけました。彼は言いました。「おお、偉大なる魂よ!あなたの偉大さとあなたの体を思い出しなさい。どうして適切な時節の前に、このようにそれを捨て去るのか。あなたはどのようなものにも受容や拒絶の概念をもはや持たない。では、どうしてあなたが体への好悪によって影響されているのか。サマーディから立ち上がり、現カルパの終わりまでこの体と共に留まりなさい。解放された魂のごとく、あなたの王国で煩わされることなく生きなさい。おお、善良なる魂よ!12の太陽は登っておらず、山々は地に沈んでおらず、世界は大火の中にない!*2では、どうして体を捨て去ることをを望むのか。死が歓迎されるのは、『私はやせ衰えた、私は惨めだ、私は愚かだ』と思う者にとってのみである。欲望の紐によってあちらこちらに引っ張られる心を持つ者にとって、それは魅力的になる。その心が何物によっても煩わされず、全生命に等しくある、自我意識を持たない彼は、栄光に満ちた人生を送る。愛憎を免れ、世界を見物人のごとく眺める、穏やかな彼は、栄光に満ちた人生を送る。何物も受容せず、拒絶せず、その心がそれ自体の内に安定している、自らの本質を知った彼は、栄光に満ちた人生を送る。知覚者と知覚されるものという一切の概念の終焉を伴う、心の安らぎが、解放(モークシャ)と呼ばれている。それゆえに、おお、アシュラ族の王よ、立ちて、あなたの玉座に登れ。私自らあなたに冠をかぶせよう。ここに集いしシッダ、サーディヤ、デーヴァたちにあなたを祝福させよう」

 そのように言い、ヴィシュヌは、乳海などやガンジス川のような川から持ってきた聖水によって、プラフラーダに清らかな沐浴をさせました。デーヴァとアシュラの喝采の真中でプラフラーダに冠をかぶせた後、ヴィシュヌは彼に言いました。「おお、罪なき者よ。大地、メール山、太陽、月が存続する限り、王として君臨せよ。あなたの美徳は皆によって称賛されるであろう」。そのように述べ、蓮華の目をした神は、彼に同伴していたデーヴァ、キンナラ、人間と共に、もう一人のシヴァごとく姿を消しました。

ラーマはヴァーシシュタに尋ねた:
 どのようにヴィシュヌのほら貝の音が、その心が至高なる存在に変容していた高貴なプラフラーダを目覚めさせたのですか。

ヴァーシシュタは答えた:
 生きている内にさえ解放された者たちの純粋な傾向は、芽吹かない煎られた種のごとくに彼らのハートの中に住しています。それは純粋なサットヴァ(知)の産物であり、自らのみに属しているため、それは純粋であり、至福に満ちています。彼らが深い眠りの中にいるのとまさしく同様に、それは解放された人々の中に留まっています。千年の隔たりの後でさえ、体が存在するならば、それは活動的になり、成長します。

原注
*1 頭頂にある開口部。それを通じて、魂が体を離れる時、抜け出ると言われている。
*2 これらの出来事は、世界が終わりを迎える時に起こることになっている。

2016年5月10日火曜日

プラフラーダの物語① - ヴィシュヌの信奉者になったアシュラの王

◇「山の道(Mountain Path)」、1975年1月、p29~30

『ヨーガ・ヴァーシシュタ』からの物語-Ⅳ


プラフラーダの物語

M.C.スブラマニアンによるサンスクリット語からの翻訳

ヴァーシシュタ曰く:
 おお、ラーマ!知恵を獲得し、解放を達成するために、アシュラの王、プラフラーダによって採られた方法を私は説きましょう。デーヴァの敵、ヒランヤカシプ(彼の父)が、(主ヴィシュヌ)によって殺害された時、プラフラーダはとても悲しくなりました。彼は思いました。「世界に終わりが訪れる時に嵐によって破壊されつつあるクーラの山々のように、我が父とアシュラの首長らは皆、ヴィシュヌによって滅し尽くされた。ヴィシュヌは我が先祖と多くの戦を交えた。彼は決して戦から身を引いたことがない。今や、彼が私を恐れるのか。ただ彼に委ねることによって、心の底から彼に完全な寄る辺を求めることによってのみ、私は彼を征服できる。彼は私の唯一の寄る辺である。この時より、私は彼を寄る辺としよう。実際、私はすでにヴィシュヌになっている。オーム・ナモー・ナーラーヤナーヤ(ナーラーヤナ、つまり、ヴィシュヌに礼拝いたします)というマントラは、我々皆の望みを満たす。大気が空中で震えるのとまさしく同様に、それは私のハートの中で震えることを決して止めない。ヴィシュヌでない者は、ヴィシュヌの形式的な崇拝によって、真の崇拝の結果を得ない。人はヴィシュヌになる後に、ヴィシュヌを崇拝すべきである。私は今やヴィシュヌとなった」。

 そのように、プラフラーダは彼の体をヴィシュヌの体であると想像し、彼を崇拝する適した方法について考えました。彼は心の中で思いました。「至高なる存在、ヴィシュヌは、出入りする息の形で、この体の外に存在している。然るべき儀式によって、私はこの息を心の中で崇拝しよう」。それに応じて、宝石がはめ込まれた器、サンダルペーストや他の香り、香料、灯、様々な類の装飾のような神聖な全ての道具一式が彼の前にあると想像し、プラフラーダは心の中で崇拝しました。次に、彼は崇拝に必要とされる実際の用具を含む寺院の中で(宮殿内で)ヴィシュヌを崇拝しました。そのように、彼は毎日、至高なる主を献身的に崇拝しました。彼の例にならい、彼の臣民、アシュラたちもまたヴィシュヌを崇拝し始めました。

 アシュラたちがもはやヴィシュヌに憎しみを抱いておらず、彼の信奉者になったという知らせが、天空の住まいに届きました。インドラ、デーヴァたち、マルト神群、皆が危惧しました。すぐさま彼らは乳海の上の蛇にもたれかかるヴィシュヌのもとへ行きました。彼らは祈りました。「バガヴァーン!いつもあなたに敵対していたアシュラたちが今やあなたの信奉者になったのは、一体どういうことですか。邪悪で、無情なアシュラたちが、最後の生においてのみ生じ、培われる、あなたへの献身と何の関わりがあるのですか。悪人が善人に変わる時、世界にとって悲しみと苦悩に終わると言われています。それは季節外れに咲く花々のようです」。

 これに対して、ヴィシュヌは言いました。「おお、デーヴァたちよ!プラフラーダの私への献身についてうろたえないように。これは彼の最後の生まれです。彼は今や解放に適しています。善人が善人でなくなる時、それは危険の徴です。しかし、悪人が善人に変わる時、それは良い徴です。デーヴァたちよ!あなたがたの住まいに戻りなさい。プラフラーダの善性は、誰にとっても害となりません」。こう述べて、タマラ花をつけた大きな枝のように、主は海の波間に消え去りました。

 しかるべく彼を称賛した後、デーヴァたちは天界に戻りました。彼はプラフラーダの友となり、彼をヴィシュヌの信奉者と見なしました。

 その間、プラフラーダはヴィシュヌの崇拝に夢中でした。彼は感覚的楽しみへの欲望を抱いていませんでしたが、安らぎを得られませんでした。彼の心は揺れ動き、不安定でした。ヴィシュヌはこれをその全知によって知り、彼の従者と共にパーターラ(の世界)にあるプラフラーダの寺院に行きました。主が実際に彼のもとへやって来たのをプラフラーダが見た時、彼は非常に喜び、より一層の献身を持って彼を崇拝しました。大変な熱意と意義を備えた言葉で持って、彼は前に立つ主を称賛しました。

 彼の称賛の言葉を耳にするとすぐに、ヴィシュヌは雨雲を目にした孔雀のごとく満足しました。彼はプラフラーダに言いました。「おお、アシュラ族の宝石、彼らの宝物庫よ!あなたの誕生と死に終焉をもたらす恩恵を求めなさい」。プラフラーダは答えました。「主よ、あなたは我々の一切の欲望を満たす者です。あなたは永遠に遍在しています。あなたが思う、私にとって最良なる恩恵を私に授けたまえ」。これに対してヴィシュヌは言いました。「おお、罪なき魂よ!ブラフマンを達成し、それに留まるまで、自らの探求を修練しなさい。あなたの迷妄は終わりを迎え、あなたは最高の善を達成します」。このように言い、ヴィシュヌは静かに姿を消しました。プラフラーダは送別の花を捧げ、蓮華座で床に座りました。適切な讃歌を唱えた後、彼は次のように熟慮しました。「ヴィシュヌによって定められたように、私は自らの探求を修練しよう。この広大な世界の中で、話し、歩き、立ち、進み、働く、私とは誰か。私は樹木、草木、草地を伴う、この大地ではない。外側にあるものは、全く意識がない。どうして私がそれでありうるのか。生まれる前、この体は独力で存在しなかった。それは生命の流れ(プラーナ)によって命を吹き込まれている。それはじきに存在しなくなる。私がこの意識のない体であるはずがない。

 また、私は、形を持たず、永続性を持たない音でもない。私は、意識のおかげで存在する、永続的でなく、意識のない触覚でもない。また、私は、対象物に依存して存在する、変わりやすく、意識のない味覚でもない。形に関して言えば、それは視覚と意識のない知覚対象物との接触に依存している。それは独力で存在せず、それゆえ、私は意識のない形でない。また、私は、断続的に経験される、意識のない嗅覚でもない。

 『これは私のものである』のような、一切の心の概念もまた私は欠く。私は、変わりやすい五感と異なる、一切の対象性のマーヤーを免れた、純粋なる意識である。純粋なる光輝として、私は万物の内に外に行き渡る。私は、汚れなく、不可分の純粋なる実在である。ああ!私自身が全世界であることを今や私は確かに知っている。私は、あらゆる概念を欠く、全てに行き渡る自ら、光り輝く意識である。太陽から壺や衣服のごとき些細なものにいたるまで、万物は私によって、私のみによって照らされている。私はブラフマーの住まいすらも超え、未来永劫も存在し続ける。私は今もこれからも永遠に広大無辺である。自らは、『私』なる概念を超えている。その(概念)は私を有限に見せるが、私は無限である。私は今や完全な平静として打ち立てられている。私は万物をとても喜ばしく見ている。私は純粋なる意識である。

 私は、完全に概念を欠く、全生命の内なる意識、私自身に敬礼する。(世界の創造のごとき)全ての素晴らしき偉業は、私によって、絶対的に純粋で、汚れなき、不可分かつ不変の、この至高なる意識によって行われている。過去、現在、未来を思い煩わない、一切の概念を欠き、相違を見ない、その心は、完全なものである。そのような心を描写したり、定義することは不可能である。自らなる現実を理解しない人々には、それは虚無のように見えるかもしれない。愛憎という垢により汚された心は、決して自由になれない。それはその足が紐につながれた鳥のごとくである。愛憎なる対になる両極によって惑わされ、全生命は、暗く不潔な穴の中を這う、惨めな芋虫のごとくである。
(続く)

2016年4月14日木曜日

ラマナーシュマラムのアマンガリ(未亡人)たち-喪失こそが聖者に導く

◇「山の道(Mountain Path)」、2010年7月 p21~23

精神的触媒としての未亡人であること

ラマナーシュラマムの未亡人たち

ヴィジャヤ・ラーマスワーミー
ヴィジャヤ・ラーマスワーミー教授は、ニューデリーのジャワハルラール・ネルー大学の歴史学研究機関で古代インドの歴史を教えています。彼女の家族は何世代にもわたり、シュリー・ラマナーシュラマムと密接なつながりがあります。
   未亡人であることによって引き起こされた社会的および感情的苦悩、そして、その精神的触媒としての役割を例示するために、ラマナーシュラマムにやって来て、そこで生き、働き、死ぬことに決めた女性たちの簡潔な紹介をしましょう。これらの未亡人の多くは、アーシュラムの調理場での奉仕に始まり、今日では、日記作者、随筆家、詩人、翻訳者として記憶されています。

 ラマナーシュラマムに寄る辺を求めにやって来た女性たちの人生における繰り返されるパターンは、窮乏、未亡人であること、大きな個人的な苦しみでした。シュリー・ラマナの存在は、癒しの感触を与え、彼女たちの高潔な感性と人生の目的を取り戻させ、精神性の道へ優しく彼女たちを向かわせました。最初、彼女たちは精神的な悟りよりもむしろ精神的な慰めをシュリー・ラマナの御足に求めにやって来ました。この女性たちの精神性を希求する者への変容は、ゆっくりとしかし確実に起こりました。精神的探求のためにラマナーシュラマムにやって来る女性の例は稀ですが、全く知られていないわけではありません。

 エッチャンマル(マンダコラトゥル・ラクシュミーアンマル)は、悲しい女性でした。25歳になる前に、彼女は夫、息子、娘を矢継ぎ早に失いました。人生の盛りにおいて、彼女は未亡人になり、子供を失い、貧窮しました。彼女の人生には、ただ苦しみと暗闇しかありませんでした。ナラシンハ・スワーミーは、彼女の人生を物語り、彼女は窓を開けることさえ耐えられなかったと言います。なぜなら、そうしたなら、娘が幸せな数年間を学び過ごした学校をすぐに眺めることになったからです。エッチャンマルはその悲嘆を和らげるために巡礼に行き始めました。彼女は多くの賢者に出会いましたが、誰も彼女を助けることはできませんでした。1906年に彼女が村に戻った時、彼女はアルナーチャラ山の若い沈黙のヨーギについて聞きました。

 1906年、エッチャンマルはヴィルーパークシャ洞窟のバガヴァーンのもとへやって来ました。午後6時以降、女性が洞窟に留まることは許されていなかったため、彼女は町に滞在しました。翌日、バガヴァーンを目にするとすぐ、彼女は悲しみの塊が落ちるのを感じました。夫と子供の記憶は、もはや悩み苦しみを引き起こしませんでした。後に、彼女はチェッランマルという女の子を養子にしましたが、悲劇的なことに、ラマナと名付けられる男の子を生んだ後、しばらくして彼女は亡くなりました。ナラシンハ・スワーミーに引用される主クリシュナの言葉の中には、「誰であれ私が祝福せんと望む時はいつでも、彼が彼のものと呼ぶ一切を私は彼から奪い去る」*1とあります。

 エッチャンマルが持っていた妻や母親としての一切の関係性は、今や、彼女が築いたマハルシとの精神的な絆にとって代わられました。1907年、彼女はバガヴァーンに食事を差し上げることを始め、それ以後、その人生を彼への奉仕に捧げました。

  シュリー・ナーガンマは、子供の未亡人でした。10歳の時、彼女は孤児となり、12の時に未亡人になりました。まだ十分に成長していない子供であるにも関わらず、彼女は伝統的なヒンドゥー教の未亡人の生活-家族に奉仕し、苦行を修練し、聖典を読むこと-を送るよう強いられました。彼女は自分の存在そのものが不吉であると感じ、それゆえ、人との接触を断ちました。彼女自身の言葉では、「手を枕にして、破れたマットの上で私はいつも床に横たわっていて、壁にしがみつくトカゲに似ていました」*2。彼女は読み書きができず、それゆえ、読書の楽しみは彼女に与えられませんでした。彼女が一切を委ねようと欲したヨーガの姿勢をした賢者のヴィジョンを得たのは、1913年のことでした。彼女がバガヴァーンの内にグルを発見したのは、ほぼ30年後のことでした。

 1918年、ベザワーダで、文学に通じた女性、インドゥマティから彼女はテルグの読み書きを習いました。本質的に彼女自身の心に呼びかけられた問答であるマナーサ・シャタカムと呼ばれる構成の108詩節の中に彼女の心を注ぎ込むために、彼女は新たに獲得した技能を使いました。瞑想と読書の生活を追求するためにヴィジャヤワーダにナーガンマが移った時、伝統的なバラモン共同体の女性たちは、伝統的な全ての未亡人が通常したように彼女が頭を剃っていないため精神生活にふさわしくないと言い、彼女を非難しました。しかし、ナーガンマは決して頭を剃りませんでした。なぜなら、ヴェンカターチャラ・マーハートミャムの作詞者であるタリコンダ・ヴェンカマンバという輝かしい例が彼女の前にあったからです。この女性は子供の未亡人でもあった偉大な聖者であり、彼女の親族が無理やり彼女の頭を剃ろうとした時、血がどっと流れ出し、彼らはやめざるを得ませんでした。この物語の別のバージョンに記されているには、新しく剃髪したヴェンカマンバが必要とされる川の中でのひと浴の後に出てきた時、彼女の髪はすでに腰まで伸びていました!

 ナーガンマが強烈な憂うつを乗り越えるのを助けるために、アーシュラムの調理場で奉仕していた彼女の親族であるデーブラパッリ・スッバンマ(スッバラクシュミーアンマ)と共に、ティルヴァンナーマライに短期間滞在することを彼女の兄は提案しました。このようにして、1941年6月、カーラハスティとティルパティで祈りをささげた後、彼女はラマナーシュラマムに到着する次第となりました。バガヴァーンの光輝く両目からの集中したまなざしによって、彼とのまさにその最初の出会いで彼女の心の中の無知は全て洗い流されたと彼女は記しました。彼女はこれを手ほどきとみなし、彼の足下での彼女の「委ね」を意味するサラナガティと呼ばれる8詩節を自然と作りました。
 
 ラマナーシュラマムにシュリー・ナーガンマを先導した、彼女の親戚、スッバラクシュミーアンマは、未亡人であることと貧窮という同様の背景を持っていました。16歳の時に未亡人になり、彼女が言うには、未亡人が生きるべく生きるために彼女はネルールの彼女の母の家に送り返されました。様々な聖地に行った後、スッバラクシュミーアンマはヴァーラナシーに定住しようと計画していました。しかしながら、彼女の運命は彼女をラマナーシュラマムに連れ行き、調理場の助手になりました。ラマナもまた、アルナーチャラ・アシュタカムの多数の手書きの写しを作るといった仕事を彼女に任せました。

 サンプルナンマの人生は、スッバラクシュミーアンマのそれをぴったり再現しています。子供のいない未亡人、彼女の人生は寂しさと絶望の終わりなき無駄話となりました。彼女の人生の転換点は、マドゥライで彼女が礼拝していた時にやって来ました。年配のバラモンが彼女に近づいてきて、「私のために食事を作ってくれませんか」と頼みました。彼女は礼拝の後に彼を彼女の家に連れていくことを申し出ましたが、寺院から戻ると、彼が姿を消していることに気づきました。1932年、彼女がシュリー・ラマナを見た時、彼女は彼を彼女が見た光景と同一視しました。彼女は調理場を担当し、シュリー・ラマナ自身が手伝いました。彼女は次のように言います。

 「調理場は当時小さく、私が動く必要があった時はいつでも、私は彼の周りの回り、彼が私の右手側にいるように十分注意したものでした。そうして、私は日中に無数のパラダクシナムを行ったものでした。彼は私の神ではありませんでしたか。私の調理場の真っただ中に彼を迎えることができて、私は幸運ではありませんでしたか。」*3

 ローカンマ、シャンカランマ、ブリハダンバルの物語はとても似通っています。ラマーナータプラムのブリハダンバルはそれを見事に要約し、「スマンガリ(「吉祥な」結婚した女性)でなく、アマンガリ(未亡人)だけがここに来ます」*4と言いました。シュリー・ラマナの足下に寄る辺を見出す前、ラマナーシュラマムの女性の人生を際立たせたものは、火の試練に等しき強烈な苦しみであり、彼女たちはラマナーシュラマムで計り知れない精神的喜びと平穏を見出しました。

 スッバラクシュミーアンマの感動的な言葉で締めくくることにします。

 「すりつぶすことの恍惚、調理の歓喜、信奉者にイドゥリーを給仕する喜び、心がハートの中にあり、ハートがの中にあり、が仕事の中にいる時の状態を体験していない人は誰であっても、人間のハートがどれほどの至福を含んでいるのか知ることはできません」。*5

*1 B.V.Narasimha Swami, Self-Realization. Reprint first edition, 1931. p.102. Yasyanugraham ichchami tasya sarvam haramyaham
*2 Nagamma, Suri, My Life at Sri Ramanasramam, 1974. p. 1.
*3 Ramana Smrti, Part Two. ‘Bhagavan in the Kitchen’ by Sampurnamma.1980. Trans. G.Venkatachalam.
*4 Interview dated 24.3.1994.
*5 Ramana Smrti, op.cit., ‘My Light, My Light’ by Subbalakshmiamma

2016年4月7日木曜日

時々聞きたくなる御経 - 修験道 読経 

修験道 読経




大日如来真言
アービラウンケン・バーサラ・ダートーバーン

釈迦如来真言
ナマク・サマンダ・ボダナン・バー

阿弥陀如来真言
オン・アミリタ・テイセイ・カラウン

薬師如来真言
オン・コロコロ・センダリ・マトウギ・ソワカー

地蔵菩薩真言
オン・カーカーカ・ビサマエイ・ソワカー

文殊菩薩真言
オン・アラハシャーナー

普賢菩薩真言
オン・サンマヤ・サタバーン

観世音菩薩真言
オン・アロリキャー・ソワカー

弥勒菩薩真言
オン・マイタレイヤ・ソワカー

勢至菩薩真言
オン・サンザンザンサク・ソワカー

龍樹菩薩真言
オン・キャダウン・バッター

法起菩薩真言
オン・ダルマー・ウチター・ソワカー

愛染明王真言
オン・ウン・ダキ・ウン・ザー・ウン・シッチー・ソワカー

孔雀明王真言
オン・マユラギ・ランテー・ソワカー

金剛童子真言
オン・キャニドニ・ウン・バッター

降三世明王真言
オン・ニソンバ・バサラ・ウン・バッター

蔵王権現真言
オン・バギリユー・ソワカー

三宝荒神真言
オン・ケンバヤ・ケンバヤ・ソワカー

毘沙門天真言
オン・ベーシュラマダヤー・ソワカー

弁財天真言
オン・ソラソバテイエイ・ソワカー

大黒天真言
オン・マカキャラヤー・ソワカー

歓喜天真言
オン・キリク・ギャク・ウン・ソワカー

不動明王・慈救真言
ナーマク・サーマンダー・バーサラナ
センダー・マーカロシャーナー・ソワタヤ・ウン・タラター・カン・マ(ー)ン

不動明王・火界真言
ナーマク・サールヴァ・ターター・ギャーテー・ビャーケ
サールヴァ・モッケー・ビャーケ・サールヴァ・ターター・ターター
センダー・マーカロシャーナー・ケーン・ギャーキ・ギャーキ
サールヴァ・ビギナー・ウン・タラター・カン・マーン

<五大尊明王の勧請>
東方に降三世夜叉明王
南方、軍荼利夜叉明王
西方、大威徳夜叉明王
北方、金剛夜叉明王
中央に大日大聖不動明王

今上天皇・玉体安穏

天下泰平・五穀成就

講中安全・業運繁栄

家内安全・息災延命

七難即滅・七福即生

法力成就・法満ボーロン

所願成就・皆令満足

天魔偈
天魔外道皆仏性
四魔三障成道来
魔界仏界同如理
一相平等無差別

<不動明王の誓願>
見我身者 発菩提心
聞我名者 断悪修善
聴我説者 得大智恵
知我心者 即身加持

三部総真言
オン・アサバー・ソワカー

諸天総真言
オン・ロキャロキャ・キャラヤー・ソワカー

一字金輪真言
ナマク・サマンダ・ボダナン・ボローン

南無神変大菩薩

2016年4月4日月曜日

『シュリー・ラマナ・ギーター』 第七章 自らの探求-適性と構成要素

◇『シュリー・ラマナ・ギーター(Sri Ramana Gita)』、Sri Vasistha Ganapati Muni著

第七章 自らの探求-適性と構成要素

1.
バーラドヴァージャ族のカルシュニとアーチャールヤ・ラマナとの間の
素晴らしき対話が、この第七章で語られる

This seventh chapter records the excellent conversation 
between Karshni of Bharadvaji line and Acharya Ramana.

In this seventh chapter, is told the excellent interchange 
between Karshni of the Bharadvaja clan and the Master Ramana.

2.カルシュニ曰く
自らの探求の特徴とは何ですか。何がその目的ですか
自らの探求によって得られうるよりも優れた成果を出しうるものが他にありますか

What is the nature of Self-enquiry? What is its purpose? 
Is there any greater good obtainable by the other means?

What is the form of Self enquiry? What is the use? 
Is there any other that can give greater result than can be obtained by Self-enquiry?

3.バガヴァーン曰く
全ての思いの集合体であると言われる
「私」なる思いの誕生の地が探求されねばならない

The 'I'-thought is said to be the sum-total of all thoughts. 
The source of the 'I'-thought has to be enquired into.

Deliberate on the birth place of the I-activity 
which is said to be the aggregate of all activities.

4.
これが自らの探求であり、聖典の学習ではない
その起源の地が探される時、自我は溶け込む

This is Self-enquiry, and not the study of scriptures. 
When the source is searched for, the ego gets merged in it.

This will be the Self enquiry, not an investigation into the Shastras. 
When the original place is searched, the I-concept gets merged.

5.
自らの反射でしかない自我が完全に消え去る時
真の自らが、あらゆる面で完全に、絶対的に、残る

When the ego, which is mere reflection of the Self, totally disappears, 
what remains is the true Self alone in all its plenitude and perfection.

The I-concept appears as the Self. When it gets lost, 
the true Self, complete all around remains as the absolute.

6.
自らの探求の成果とは、あらゆる苦しみの終焉である
これがあらゆる成果の中で最上のものである。これより優れた成果は存在しない

The result of Self-enquiry is freedom from all suffering. 
This is the highest of all fruits. There is nothing higher than this.

The result of Self enquiry will be the turning away from all miseries. 
This will be the climax of all results. There is no other result greater than this.

7.
驚くべきシッディ*が他の手段によって得られるやもしれないが
最終的に、あなたは探求によってのみ幸福(解放)を得る

Marvellous occult powers may be had through other means. 
But in the end Freedom can come only through Self-enquiry.

Though a person gets wonderful siddhis accomplished by other means, 
finally he is happy only by enquiry.
*達成、ここでは、「超常的な力」

8.カルシュニ曰く
この自らの探求に適した者であると誰が言われていますか
適性を獲得したことを自ら知ることはできますか

Who is considered fit for this enquiry? 
Can one by oneself know one's own fitness?

Who is said to be a fit person for the practice of this Self enquiry? 
Can a person know by himself that he has acquired fitness?

9.バガヴァーン曰く 
神の崇拝や他の手段によって、もしくは、過去生での善行によって浄められ
その心が体と感覚対象物に欠陥を感じる者

He whose mind has been purified through upasana and other means 
or by merit acquired in past lives, 
who perceives the imperfections of the body and sense-objects,

One who has been purified by waiting upon God and by other things 
or by good deeds in earlier births, 
one whose mind perceives the deficiencies in the body and sensory objects.

10.
その心が感覚対象物の中をさ迷うことに強い嫌悪を感じ
体が無常であると理解する者、彼は適した者であると言われる

and feels utter distaste whenever his mind has to function among sense-objects 
and who realises that the body is impermanent, he is said to be a fit person for Self-enquiry.

They call him a fit person whose mind wandering in sensory objects 
becomes completely disgusted and who thinks about the impermanence of the body.

11.
体の儚さへの理解、感覚対象物への離欲
これら二つの徴によって自分自身の適性を知りうる

By these two signs, that is by a sense of the transitoriness of the body
 and by non-attachment to sense-objects, one's own fitness for Self-enquiry can be known.

One's fitness can be inferred from these two signs, the thought of evanescence
in the body and a sense of dispassion in sensory objects.

12と13.カルシュニ曰く 
スナーナ、サンディヤー、ジャパ、ホーマ、スワーディヤーヤ、デーヴァ・プージャー*
サンキールタナ、ティールタ・ヤートラ、ヤジュニャ、ダーナ、ヴラタ*

これらは、離欲と識別によって探求に適した者にとって
役立ちますか、それとも、単に時間の無駄でしかないのでしょうか

When one is fit for Self-enquiry, by his non-attachment for sense-objects 
and by discrimination, are ceremonial baths, sandhya, repetition of mantras, 
oblations poured into the fire, chanting of Vedas, worship of Gods, bhajan, pilgrimage, 
sacrifice, giving in charity, and observance of special spiritual practices, 
of any use or are they a mere waste of time?

Sacred bath, japa in the Sandhyas, oblations in the sacred fire, Vedic recital, worship of
 the gods, singing the holy names, pilgrimage to sacred spots, sacrifice, charity, vows 
- all these, are they useful to a person empowered for enquiring 
by dispassion and discrimination? Or, are they intended simply to while away the time?
順に*沐浴*日に三度の勤行*神の名などの復唱*火の供儀*聖典読誦*神々の崇拝
順に*集団で音楽にのせて行うジャパ*聖地巡礼*祭式、崇拝*与えること、布施*誓戒

14.バガヴァーン曰く 
進取の気性に富む、欲望弱まりゆく適格者にとって
これら全ての行為は大いに心の浄化のためとなる

For competent beginners with waning attachments
 all these aids will make the mind increasingly pure.

For beginners and for all those eligible, with declining desires, 
all these actions contribute to a great deal of mental purification.

15.
心、口、体から生じる善い行為は
心、口、体から生じる逆の行為を破壊する

Virtuous activity of mind, speech and body 
destroys the contrary activity of mind, speech and body.

An action which is said to be a good deed arising out of mind, speech and body 
vanquishes another action arising out of mind, speach and body.

16.
完全に清浄な心の成熟した適格者にとって
この行為の網は世界の利益のためにある

All this (virtuous) activity of competent persons, mature 
and endowed with minds of highest purity, benefits the world.

For those fit mature persons, of utmost purity in mind, 
this network of actions is for the benefit of the world.

17.
他者の教化のため、福利のため、賢者は
成熟している時でさえ行為を行う。聖典の命(めい)への恐れからではない

Men of mature wisdom perform action for helping (by example) and for the welfare of others,
 not out of fear of (violating) scriptural injunctions.

For teaching others and for their welfare, the learned ones, 
even when mature, perform actions, not out of fear of the injunctions of the Shastras.

18.
徳行は探求に反しない、おお、人中(にんちゅう)の雄牛よ
愛着なく行われることにより、相違の認識を破壊するため

Virtuous actions, performed without a sense of difference and without attachment 
do not stand, O best of men, in the way of Self-enquiry.

O best amongst men, all that done without attachment,
 destroying the notion of division are sacred. They do not run counter to enquiry.

19.
自らを探求する成熟した人にとって、行為を行わないことも罪にならない
自らの探求が、最大の徳行、神聖の中の神聖であるがゆえに

The non-performance of prescribed actions by a mature person pursuing Self-enquiry is no sin. For, Self-enquiry is itself the most meritorious and most purifying (of actions).

For a mature person deliberating on his Self, non-performance of action does not lead to sin. Deliberation on one's Self is the most meritorious act, the sacred of sacreds.

20.
成熟した適格者のあり方は二通りあると見られている
ヨーガへの専念のための放棄、そして、他者のための配慮ある行為

Two ways of life are seen in the mature among competent seekers; 
renunciation of action for solitary communion and action for the good of others.

The poise of the mature fit persons is seen to be of two kinds: 
a rejection for one-pointed yoga and a regard for work for the sake of others.

21.カルシュニ曰く
ニルヴァーナへの自らの探求以外の道があるならば
一つですか、それとも、複数ですか。どうか私にバガヴァーンがお教え下さいますように

If besides Self-enquiry there be another way to nirvana, is it one or varied? 
May Bhagavan be pleased to tell me.

If there is a way other than Self enquiry for salvation, is it one or many? 
Bhagavan may kindly explain.

22.
一方は得るために努力し、他方は得る者へ向かう
長い間、前者は歩み、終には自らを得る

One strives to attain something; the other seeks the one who strives to attain. 
The former takes longer time and in the end attains the Self.

One strives to attain; the other reaches the attained. 
The first one traverses for long and finally attains the Self.

23.
瞑想する者の心は、ただ一つの形になる
心がただ一つの形であることは、本質に住まうことに通じる

The mind of one meditating on a single object becomes one-pointed. 
And one-pointedness of mind leads to abidance in the Self.

For the one, the mind becomes of one form through meditation. 
And the one form of the mind contributes to its stationing in one's true form.

24.
たとえ望まなくとも、瞑想する者は、自らへの安住を得る
しかし、探求者は、理解の上、自らに安住する

One who meditates attains, even without dersiring it, abidance in the Self. 
The seeker, on the other hand, knowingly abides in the Self.

Meditating even without desire, one gets stationed in the Self. 
On the other hand, the enquirer, with knowledge is established in the Self.

25.
神、マントラ、もしくは、他の優れた目標に瞑想する者にとって
瞑想の対象は、自らの偉大なる輝きの中に溶け込みうる

The deity, mantra, or any other excellent object on which one meditates 
merges in the end in the great effulgence of the Self.

For the one who meditates on a deity, Mantra or any other worthy goal, 
the object of meditation will finally get lost in the great effulgence of the Self.

26.
瞑想する者と自らを探求する者にとって共に、目的はそのように同一である
瞑想によって一方は安らかになり、知によって他方は静められる

The goal is thus same both for the one who meditates and the one who practises Self-enquiry. One attains stillness through meditation, the other through knowledge.

Thus the one who meditates and the one who deliberates on the Self,
both have the same goal. By meditating one has the peace and the other knowing appeased.

これがラマナの弟子、ヴァーシシュタ・ガナパティによって作られたブラフマンの知とヨーガの聖典
シュリー・ラマナ・ギーターの「自らの探求-適性と構成要素」と題される第七章である

This is the seventh chapter entitled 'Self-enquiry; competence and constitutes'
in Sri Ramana Gita, the Science of Brahman, and the Scripture of Yoga
composed by Ramana's disciple Vasishta Ganapati.

2016年3月20日日曜日

『シュリー・ラマナ・ギーター』 第六章 心の征服

◇『シュリー・ラマナ・ギーター(Sri Ramana Gita)』、Sri Vasistha Ganapati Muni著

第六章 心の征服

(1)
このようにハートに関する真理を説いた後、真理を知る者の中の最上の方
ラマナ・ムニは、心を征服する方法について語った

Having thus explained the truth regarding the Heart, Sri Ramana Muni,
the best among the knowers of truth, spoke of the method controlling the mind.

The sage Ramana, excellent among the knowers of the Truth, 
having thus defined the truth about the heart, spoke on the means of controlling the mind.

(2)
常に思いに取り付かれ、その心が感覚対象物に張り付いた人々にとって
ヴァーサナー(潜在傾向)の力のために、心は征服し難くなる

Men attached to sense-objects, ever obsessed by thought
find it difficult to control the mind because of the strength of their vasanas.

For men constantly active, their mind attached to sensory objects, 
because of their strong impressions, the mind becomes difficult to control.

(3)
人は呼吸の制御によって、揺れ動く心を征服すべきである
あたかも捕えられた動物のごとく、心は動かない

One should control the fickle mind by controlling the breath
and then it, like tethered animal, ceases to stray.

Man should subjugate that wavering mind by restraint of life-breath.
The mind does not move like an animal entangled in a net.

(4)
呼吸の制御によって、思いの抑制もまた達成される
思いが抑制されている時、人は思いの誕生の地に打ち立てられている

With the control of breath, control of thoughts also is achieved.
When thoughts are controlled one stands established at their source.

By the restraint of Prana, the check on the activities will be established.
When activities are checked, the person is established in the birthplace of these activities.

(5)
呼吸の制御とは、心による呼吸への傾注である
そのような継続的な傾注により、クンバカ(止息)が達成される

Control of breath means merely watching with the mind the flow of breath.
Through such constant watching kumbhaka does come about.

Watching the life breath by the mind is regulation of Prana.
Retention results by such watching all the time.

(6)
この方法でクンバカ(止息)を修練することができない者たちのために
クンバカ(止息)を達成するためのハタ・ヨーガの方法が定められている

For those unable to achieve kumbhaka this way,
the method of Hatha Yoga is prescribed.

For those who are not capable of practising retenton under this method,
The Hatha Yoga method of achieving retention is prescribed.

(7)
レチャカ(吐息)は一単位なされるべきであり、プーラカ(吸息)は一単位
クンバカ(止息)は四単位なされるべきである。そのようにして、ナーディー*の浄化が生じる

That is: rechaka should be done for one unit of time; pooraka for one unit;
 and kumbhaka for four units. Thus the channels of life force are purified.

Exhalation has to be done once, inhalation to be done once and the retention four times.
As a result the nerve channels are purified.
*プラーナ(生気、生命力、呼吸)の通り道、気道、気脈
(8)
浄められたナーディーにおいて、呼吸は徐々に抑制される
呼吸の完全な制御が、スッダ・クンバカ(清浄な止息)と言われている

When they become pure, the breath gets controlled gradually.
Complete contol of breath is called suddha kumbhaka.

In the purified nerve channels, Prana gradually comes under control.
The control of Prana by all means is said to be the pure retention.

(9)
他に、ジニャーニは言う-レチャカ(吐息)は「私は体である」という概念の放棄
プーラカ(吸息)自らの探求、クンバカ(止息)はサハジャ・スティティ*と

Others, that is, jnanis, define rechaka as giving up the idea 'I-am-the-body',
pooraka as the quest for the Self, and kumbhaka as sahaja-sthiti or abidance in the Self.

Other Jnanins say that the abandonment of the notion of the body as the Self is exhalation,
the seeking of one's Self is in inhalation and the natural state of poise is retention.
*自らに住まう)自然な境地
(10)
もしくは、マントラの復唱によって、心の征服は生じる
生気*とマントラは、心と一体になる

Also by repetition of mantras, the mind gets controlled.
Then the mantra becomes one with the mind and also with the prana.

Or else, by the japa of Mantra, subjugation of mind take place.
Then Prana and Mantra will become one with mind.
*プラーナ、生命力、3.4..5.8詩節では「呼吸」と訳している
(11)
マントラの音節と生気の合一が、ディヤーナと名付けられる
ディヤーナは、サハジャ・スティティのための堅固な土台として働く

When the syllables of the mantra become one with the prana, it is termed dhyana 
and when dhyana becomes deep and firm it leades to sahaja sthiti.

The union of the life force with the letters of the  Mantra is known as meditation.
Meditation acts as the firm ground for the natural state.

(12)
また、高貴な心を持つ偉大なる方々との常なる交際によって
心はそれ自体の(誕生の)地に溶け込む

Also by constant association with great, enlightened seers
the mind gets merged in its own source.

Or else, by keeping constant company with the great good men of exaleted minds,
mind wil get merged in its place.

これがラマナの弟子、ヴァーシシュタ・ガナパティによって作られたブラフマンの知とヨーガの聖典
シュリー・ラマナ・ギーターの「心の征服」と題される第六章である

This is the sixth chapter entitled 'THE MIND CONTROL'
in Sri Ramana Gita, the Science of Brahman, and the Scripture of Yoga
composed by Ramana's disciple Vasishta Ganapati.

2016年3月12日土曜日

『シュリー・ラマナ・ギーター』 第三章 最も重要な務め

◇『シュリー・ラマナ・ギーター(Sri Ramana Gita)』、Sri Vasistha Ganapati Muni著
英文は、上がProf.K.Swaminathan、下がS.Sankaranarayanan のものです。上の英文は意訳的で、下は逐語訳的です。日本語訳は、その二つの英訳とサンスクリット語の原文を参考にして翻訳しています(文:shiba)

第三章 最も重要な務め

(1)
賢者の喜びのために、この第三章において
ダイヴァラータとアーチャーリヤ・ラマナの対話を書き記す

In this third chapter we record, for the delight of the wise,
the conversation between Daivarata and Acharya Ramana.

In this third chapter we shall compile the conversation 
between Daivarata and Guru Ranama for the delight of the learned.

(2)ダイヴァラータ曰く
このサンサーラ(生死流転する世界)において、人の最も重要な務めとは何ですか
願わくばバガヴァーンが一つを選び出し、私に説いて下さいますように

In samsara what is the paramount task of a man?
May Bhagavan be pleased to decide and explain it to me.

In this world of births and deaths what is important that a man should do?
May Bhagavan be pleased to explain to me 
after due deliberation the one (that has to be done).

(3)バガヴァーン曰く
志高き者は、己自身の本質を知らねばならない
(それは)全ての行為と結果の礎である

The aspirant has to discover his own real nature
which is the basis of all actions and their fruits.

For those aspiring high, to know one's own form is important.
In it lies the foundation of every thing, of fruits and actions.

(4)ダイヴァラータ曰く
己自身の本質を知るためのサーダナ(修練)とは、端的に何ですか
どのような努力によって、偉大なる内なる眼(まなこ)を達成するのですか

What in brief is the means to know one's own real nature?
What is the effort that can bring about the sublime inner vision?

What in brief is the means for attaining the knowledge of the true form of one's Self?
Which is the effort that will accomplish the great inward vision?

(5)バガヴァーン曰く
感覚対象物から全ての思いを引き戻す努力によって
動きなく、制限なく、絶対的(非対象的)な探求に留まらねばならない

Strenuously withdrawing all thoughts from sense-objects,
one should remain fixed in steady, non-objective enquiry.

Trurning away with effort all the activities from sensory object
one should take his stance in absolute deliberation,
unchanging, without any motive whatsoever.

(6)
端的に、これが己自身の本質を知るためのサーダナ(修練)である
その努力こそが偉大なる内なる眼(まなこ)を達成する

This, in brief, is the means of knowing one's own real nature;
this effort alone brings about the sublime inner vision.

That is in brief the means of knowledge of one's true form.
Only by that effort the great inward vision will be accomplished.

(7)ダイヴァラータ曰く
おお、賢者の中の象よ、人々がヨーガにおける達成を得るまで
その限りまでニヤマ(勧戒)はウパクルヴァナ*の努力の助けとなるでしょうか

O Best of Sages, will niyamas continue to aid spiritual effort,
until success in yoga is achieved?

O Elephant amongst sages! Do regulations help effort 
as long as men have to get Siddhi in Yoga?
*師のもとでヴェーダを学んだあとで、家庭生活を予定している者

(8)バガヴァーン曰く
ニヤマ(勧戒)は、ウパクルヴァナの熱心な努力の助けとなる
なすべきことを成し遂げた者たちから、ニヤマ(勧戒)は自ずと抜け落ちる

Niyamas do help the earnest efforts of aspirants.
These niyamas drop away of their own accord
from those who have attained success and have nothing more to do.

Regulations help the efforts of the good who practice Yoga.
Regulations drop away of their own accord 
in the case of the Siddhas who have accomplished their purpose.

(9)ダイヴァラータ曰く
絶対的(非対象的)な探求への制限のない定着によって達成が得られるように
マントラの復唱によってもそのように達成は得られるでしょうか、それとも得られないのでしょうか

Does repetition of mantras bring about the same result
as the steady practice of pure, non-objective enquiry.

As the Siddhi is obtained by an absolute fixed motiveless deliberation, 
will Siddhi be acquired in the same way, by the japa of Mantras, as well, or not?

(10)バガヴァーン曰く
落ち着いた心によってマントラを絶え間なく復唱する
信ある者には達成が生じる。もしくは、プラナヴァの復唱によっても

Success attends the earnest seekers who
, incessantly and with steady mind, repeat mantras or pranava.

If the japa of the Mantras or the Japa of Pranava, is done 
without any intermission with an unwavering mind, 
there will be accomplishment in the case of the faithful.

(11)
マントラ、もしくは、純粋なプラナヴァのみの復唱によって
思いは感覚対象物から引き戻され、自らなる己の本質が生じる

By repetition of mantras or of pure pranava alone,
one's mind is withdrawn form sense-objects and becomes identical with one's own real Being.

By the japa of mantras or of Pranava alone, 
the activity is turned away from sensory objects and becomes the form of one's Self.

(12)
この素晴らしき対話は
西暦一九一七年、第七の月、第七の日に行われた

This marvellous conversation took place on the seventh day of July 1917.

In the year 1917 of Christian era, on the seventh of the seventh (month)
this wonderful conversation took place.

これがラマナの弟子、ヴァーシシュタ・ガナパティによって作られたブラフマンの知とヨーガの聖典
シュリー・ラマナ・ギーターの「最も重要な務め」と題される第三章である。

This is the third chapter entitled 'THE PARAMOUNT TASK'
in Sri Ramana Gita, the Science of Brahman, and the Scripture of Yoga 
composed by Ramana's disciple Vasishta Ganapati.

2016年3月5日土曜日

S.C.ローイ博士 (御足に触れることを許された盲目の紳士)の思い出

◇「山の道(Mountain Path)」、1983年1月 p31~33

アルナーチャラでの私の体験

S.C.ローイ博士
S.C.ローイ博士は、17歳の時に失明しましたが、著名な学者および作家となるまでになりました。その障害にもかかわらず、彼は日本、アメリカ、そして世界の他の場所へ付添なしで旅行しました。彼はボンベイのタタ社会学研究所のカルカッタ大学、そして、クーパー・ユニオンを含む様々なアメリカの高等教育機関の講師でした。現在、彼はニューヨーク市に居住し、そこでアルナーチャラ・アシュラマを訪れています。
  ポンディシェリー見物の後、1946年10月16日、私はシュリー・ラマナーシュラマムに到着しました。有名なインド人音楽家であり、シュリー・オウロビンドーの弟子である、ディリップ・クマール・ローイ氏が、カルカッタへ戻る前にアルナーチャラを訪問するように私に勧めました。彼は私のそこへの到着についてティルヴァンナーマライへ電報を二通送り、私が盲目であるため、私の身体的障害を説明しました。私が駅に到着した時、私は二人の女性-スイス人のミス・ボウマンとパルシー教徒のミセス・タリヤーカン-が私を出迎え、アーシュラムまで私をエスコートするために待っていることに気づきました。

 私はバガヴァーン・シュリー・ラマナ・マハルシの前に連れ行かれました。夕食の前、私は彼と短い会話をしました。「あなたにはすでに良い視力があります。それは障害物によって曇らされています。あなたがなすべきことは、それらの障害物を取り除くことです」と彼は言いました。

 私は休息し、眠るための部屋を提供されました。翌朝目覚めた後、バガヴァーンの弟子の一人が私を大きな部屋にエスコートし、そこで彼はもう座っていました。数人の信奉者、インド人と西洋人の両方が、講堂にまんべんなく座っていました。誰もバガヴァーンに話しかけたり、質問しませんでした。私は質問を尋ねた唯一の人であり、彼の答えを点字で書き留めました。私の問いかけは、哲学的、宗教的テーマに関わっていました。それらは第一にヴェーダーンタ哲学に関連し、私が理解していたところでは、それは彼の哲学でもありました。彼はとても辛抱強く、そして、快く私の質問全てに答えて下さいました。バガヴァーンは私の点字の読み書きについて知りたがりました。彼は私が点字を書いた紙を取っておきたいと望みましたが、アーシュラムの誰もそれを解読できないでしょう。

 私は講堂でただ一人の話す人であったため、少々気恥ずかしく感じました。他の人々は何らの言葉の妨げもなく、崇高な雰囲気をただ吸い込んでいました。バガヴァーンは彼の信奉者にダルシャンと祝福を与えるために午前と午後にこの部屋にやって来ると私は教わりました。彼の祝福を受け取るために午後に私は彼の前に現れ、さらに質問を尋ねました。

 私は翌朝早くに出発することになっていたため、午後に再びシュリー・バガヴァーンに会いに行きました。インドの習慣に従って、彼の足に触れようと私がひれ伏した時、彼は私から後ずさりました。バガヴァーンは誰にも彼の足に触れることを許しませんでした。なぜなら、彼の考えは、同じ神が全ての人の中にいるので、誰も別の人にひれ伏すべきでないというものでした。その時、ドラマチックな出来事が起こりました。私はバガヴァーンに告げました-「他の人々はあなたを見ることができるので、あなたの足に触れる必要はありません。しかし、私はあなたを見ることができず、それに、盲人にとって、現実性とは触覚性です。盲目の者にとって、人やものは、触れることを通してより現実的で、実際的になります。それゆえに、バガヴァーンは私からあなたの現実の存在を感じるための機会を奪うべきではありません」。彼はこれに心和らぎ、私が彼の足に触れられるように、私の近くに進み出ました。彼は私に祝福を与え、私の出発のための用意が全て整えられいることを私に告げました。彼が私をもう「身体的に」見ることはないだろうとも言いました。実際、この予言は本当になりました。私が翌朝4時にアーシュラムを発って以来、1950年に彼がその死すべき体を離れるまでに、私は戻れませんでした。バガヴァーンの祝福を受け取るように私をエスコートした弟子は、私が彼の足に触れるのを目にし、非常に驚いていました。我々が講堂から出た後、12年間でバガヴァーンがその足に誰かが触れることを許したのはこれが初めてであると言いました。

 部屋に戻った後、私は出発の準備をし、しばらく眠りました。午前4時、牛車が私をバス・ターミナルまで連れて行きました。私はマドラスへ行き、そこで「Indian Express」の編集者から取材を受けました。美味しい夕食の後、私はカルカッタへ発ちました。

 しばらくの間、シュリー・バガヴァーンの信奉者と私はアーシュラムから文通していました。彼はその最初の手紙の中で、翌朝、バガヴァーンが講堂で座につくやいなや、私の出発について尋ねたと私に書き送りました。

 私は稀有な人物を訪問し、話をする機会を得たことを非常にうれしく思いました。私の唯一の後悔は、再び彼に会うのに間に合うようにシュリー・ラマナーシュラマムに戻れなかったことです。

・・・
S.C.ローイ博士の訪問は、A.デーヴァラージャ・ムダリアールによるDay by Day with Bhagavan(p285~287)の中で、以下のように記録されています。
1946年10月16日

 夜、盲目の紳士、別のローイ博士が、シュリー・オウロビンドー・アーシュラムからここに到着しました。そこでディリップ・クマール・ローイが彼にここに行くように勧めたようです。彼は17歳の時に盲目になったようでしたが、それにもかからず、なんとか独学で大いに学んだ結果、最近まで彼はカルカッタ大学の講師であり、今はボンベイのタタ社会学研究所の講師です。彼はアメリカ人妻と結婚し、親切にも私とそこにいる他の幾人かに彼が見せてくれた写真から、彼女は美しい女性です。彼は非常に驚くべき人物です。今、彼は一人っきりでボンベイから旅行しています。しかし、これは何でもありません。彼はアメリカ、日本や他の場所を一人っきりで旅行しています。我々が彼が成し遂げられている全てについて彼を称賛した時、18か月の時に一切の感覚を失ったヘレン・ケラーが自ら成し遂げられていることに比べれば何でもありませんと彼は言いました。

 この紳士は今日の午後8時以降にバガヴァーンとプライベートな話をし、その時、彼は目の病気について話し、バガヴァーンの慈悲を願い求めました。

1946年10月17日

 今朝、ローイ博士がどのように彼が書き、時計を読むかなどをバガヴァーンの前で見せました。彼がカルカッタ大学の文学修士、文学士であり、その後、アメリカの大学の博士になったことを私は知りました。午後、私が午後3時ごろに講堂に入った時、ローイ博士がバガヴァーンに尋ねていました。「長い瞑想ができない人々の場合、彼らが他者へ善を行うことに従事するなら、それは十分ではないのでしょうか」。バガヴァーンは返答しました。「ええ、それで間に合います。善の考えが彼らの心にあるでしょう。それで十分です。は全て同じものです。人が継続的にそれらのどれかを考え続けるなら、それで十分でしょう。全ての瞑想は、他の一切の思いを締め出す目的のためにあります」。しばらく間が空いた後、バガヴァーンは言いました。「人が真理を実現し、見る者も見られるものもなく、両者を超越する自らのみあることを、自我とそれが見る全ての両方の映像が行き帰する自らのみがスクリーン、または、礎であると知る時、視力を持っておらず、そのために様々な物の光景を見そこなっているという感覚は消え失せるでしょう。実現した存在は、正常な視力を持っていますが、これら全ての物を見ません」(彼は自らだけを、ただ自らのみを見ます)。

 ローイ博士とのさらなる議論の後、バガヴァーン言い添えました。「この体や世界、何を見るのにも全く問題はありません。間違いは、あなたが体であると思うことにあります。体があなたの中にあると思うことに害はありません。体、世界、全ては自らの中にあるはずです。というよりも、映像を投げかけられるスクリーンがなければ映画が見られないように、何ものも自らから離れて存在できません」。目標への最良の道は何かについての質問に答え、バガヴァーンは言いました。「到達されるべき目標はありません。得られるべき何ものもありません。あなたは自らです。あなたは常に存在します。それが存在するという以外の何ものも自らの性質であると断言できません。、もしくは、自らを見ることとは、自ら、もしくは、あなた自身であることでしかありません。見ることとは、あることです。あなたは、自らであるのに、どのように自らを得るのか知りたいと思います。それはラマナーシュラマムにいる人が、ラマナーシュラマムに到達するための道がどれぐらいあるのか、彼にとってどれが最良の道か尋ねるようなものです。あなたに必要とされる全ては、あなたがこの体であるという思いを放棄すること、外側の物事や自らならざるものについての全ての思いを放棄することです。心が外的対象物に向かって出て行く度に、それを引き止め、それを自ら、もしくは、『私』に定めなさい。それがあなたの側に要求される全ての努力です。様々な思想家によって定められる様々な方法は全て、これについて一致しています。アドヴァイタ、ドヴァイタ、ヴィシィシュタードヴァイタ学派や他の学派は全て、心が外側の物事について思うのを止めなければならず、自ら、もしくは、それらが呼ぶところのについて思わなければならないということで一致しています。それが瞑想と呼ばれています。しかし、瞑想は我々の本質であるため、あなたが自らを実現する時、かつて手段であったものが今や目的であることを、かつて努力しなければならなかったのに今やたとえ望んでも自らから逃れられないことをあなたは見出すでしょう」。

2016年2月23日火曜日

目覚め、夢、夢を見ない眠り ⇒ 目覚めた意識ある眠り、純粋な意識

◇「山の道(Mountain Path)」、1964年7月 p174、175

兄への手紙-3
三つの状態を超えて

ナーガンマ著
1947年9月6日

 先月、義理の妹(姉?)がここに滞在していた間に、「ヴィチャーラ・マニ・マーラー」のテルグ語版を印刷業者から受け取りました。午後、バガヴァーンはそれを訂正し、その後、私に回しました。それを読むや否や、義理の妹が私にswapnathyantha nivritthi の意味を私に尋ねました。私は自分自身はっきり分かっていなかったので、何とかかんとか言ったのですが、彼女は十分に満足しませんでした。バガヴァーンは気づき、「どうかしましたか。何か間違いがありますか」と言いました。

 「いえ、彼女はswapnathyantha nivritthi の意味を尋ねているのです」と私は返答しました。

 「それは絶対的に夢を見ない眠りという意味です」とバガヴァーンは優しく言いました。

 「ジニャーニが夢を全く見ないということは本当でしょうか」と私は尋ねました。

 「彼は夢の状態を持ちません」とバガヴァーンは返答しました。

 義理の妹はまだ満足していませんでしたが、人々が他の事について話し始めたので、私たちはその問題をそのままにしておかざるを得ませんでした。夜になってようやく、彼女は私に言いました。「ヴァーシシュタには、ジニャーニは行為を行うように見えるだけで、行為は彼に何の影響も与えないと言われています。私たちはこの本当の意味をバガヴァーンに尋ねるべきでした」。

 「バガヴァーンがどれほど慈悲深いかあなたは知っているでしょう。あなたの疑問を取り除く何らかの機会を彼が見つけますよ」と私は返答しました。

 私たちが翌朝8時にアーシュラムへ行った時、偶然にもバガヴァーンがまさにその点をスンダレーサ・アイヤルにちょうど説明しているところでした。はやる思いでこの機会に乗じ、義理の妹は再びその問題を取り上げました。「夢の状態だけでなく、三つの状態全てが、ジニャーニにとって非現実です」とバガヴァーンは彼女に言いました。「ジニャーニの真の状態は、その三つの状態がどれも存在しないところにあります。」

 「目覚めの状態もまた、夢と同等ではありませんでしたか」と私は尋ねました。

 「ええ。夢は短い間続きますが、これはより長く続きます。それが唯一の違いです。」

 「では、眠りもまた、夢ですか」と私は尋ねました。

 「いえ、眠りは現実のものです。心の活動がない時、どうしてそれを夢であると言えるでしょうか。しかしながら、それは心の空白の状態であるため、それはアヴィドヤー(無知)であり、それゆえに拒絶されなければなりません」と彼は答えました。

 「しかし、眠りもまた、夢の状態であると言われていませんか」と私は食い下がりました。

  「術語学上、そのように言った人もいるかもしれません」とバガヴァーンは認めました。「しかし、実際、何も分離して存在しません。長いや短い期間は、夢と目覚めの状態にだけ当てはまります。我々がとても長い間生きていて、これらの家や所有物は我々にとってまったく明々白々であるため、まさかそれが全て夢であるはずがないと言う人もいるかもしれません。しかし、夢でさえ、それが続く間は長いように思えることを我々は思い出さなければなりません。目覚めて初めて、それが短い間だけしか続かなかったことを悟ります。同じように、人がジニャーナ(実現)を得る時、この人生は束の間のように思われます。夢を見ない眠りは、無知を意味します。ですから、純粋な意識の状態を選び、それは拒絶されるべきです。」

 義理の妹が、その時、割って入りました。「深い眠りの中で起こる至福は、サマーディの中でも体験されると言われていますが、眠りは無知の状態であるという発言とそれはどのように調和させられますか。」

 「そのために眠りは拒絶されるべきなのです。眠りの中に至福があるのは真実ですが、人はそれに気づいていません。人は後に目覚めてはじめて、それについて知り、よく眠ったと言います。サマーディは、この至福を目覚めたままいる間に体験することを意味します」とバガヴァーンは返答しました。

 「では、それは目覚めた、もしくは、意識ある眠りということですね」と私は尋ねました。

 「ええ、そういうことです」と彼は言いました。

 義理の妹は、その時、彼女を悩ませていた、もう一つの同種の質問を持ち出しました。「ヴァーシシュタでは、ジニャーニは他者には様々な活動に従事しているように見えるが、実のところ、彼はそれに全く影響されていないと言われています。他者にそのように思えるのは彼らの異なる見解のためでしょうか、それとも、彼は本当に影響を受けないのですか」。

 「彼は本当に影響を受けません」とバガヴァーンは返答しました。

 「人々は夢の中と目覚めている間の両方において喜ばしいヴィジョンについて話します。それらは何ですか」と彼女は尋ねました。

 「ジニャーニにとって、それら全ては同じもののように見えます」と彼は返答しました。

 しかしながら、彼女は食い下がりました。「バガヴァーンの伝記の中で、ガナパティ・ムニがティルボッティユールにいて、バガヴァーンがティルヴァンナーマライにいた時、彼はバガヴァーンのヴィジョンを得て、そのまさに同じ時間にバガヴァーンも表敬を受け取る感覚を得たと述べられています。そういったことはどのように説明できるでしょうか。」

 「そういったことは神聖なヴィジョンとして知られていることであると私はすでに述べています」とバガヴァーンは謎めいた答えをしました。その後、彼は沈黙を帯び、それは彼が会話を続ける気がないことを示唆していました。

2016年1月20日水曜日

R. O. アミヌ - 若くしてコーランの暗唱を達成したナイジェリア人イスラム教徒

◇「山の道(Mountain Path)」、1973年10月 p226~227


どのようにして私はバガヴァーンのもとへ行ったのか

R. O. アミヌ著

 私は52年前に生まれたイスラム教徒であり、私の生まれついた信仰の熱心な信者として両親は私を育てました。このことは、神の恩寵により、15歳までにコーランの暗唱をやり遂げるという私の能力によって表わされました。コーランを終える当時の標準的な年齢は25から30歳の間でしたから、これは当時でさえ稀なことでした。

  後の人生において、中等教育の後、「あなたたちはこれこれ規則を守らならければならない。そうでなければ、死後、あなたたちは地獄送りになり、そこで体は火に焼き尽くされる」と我々に話す、イスラム教の指導者たちの主張について深く考えるようになりました。マッラム(*1)たちのこれらの発言により、私は彼らの説教の真実性について幻滅し、私がコーラン全てをそらで唱えることができたにもかかわらず、その意味を理解していなかったという事実によって、これはさらに悪化しました。実際、当時、ヨルバ語(*2)や英語へのコーランの翻訳は存在しませんでした。ナイジェリアの数百万もの人々はイスラム教徒ですが、アラビア語を理解する人は10パーセントを下回ります。これは盲目的信仰と名付けられるであろうものですが、その効き目はあります。

 シュリー・マハルシの恩寵により、私は光栄にも1959年に一冊の本に出会いました。それはヨーギ・ラーマチャラカ(*3)によって記され、『Fourteen Lessons of Yoga』という題名でした。これらの教えの内容-特に、植物と動物と人間が一つの「生命の力」、または、神を所有しているという理解-は、私の心に甚大な影響を与えました。その時以来、私は様々なヨーガの本を読み始めました。それから、私は伝統的な宗教、イスラム教徒、キリスト教徒、ヒンドゥー教徒のそれが、同一の真理を教えていると知り始めました。それは、神の王国が彼らの内にあり、空高い雲の中になく、我々は我々自身の罪、もしくは、カルマによって罰され、神によってでは全くないということです。

 しかしながら、生命についてさらに知りたいという私の望みによって、私は1964年にThe Infinite Wayの生徒になり、ジョエル・ゴールドスミス(*4)の教えを学びました。『Contemplative Life』という本を通して、私はThe Infinite Wayに惹きつけられました。月報の定期購読と継続的な瞑想によって、我々全てが探し求めている真理が我々自身の意識の内にあるということを初めて私は理解しました。
 
 1964年、The Infinite Wayの月報の中で私は「The Mountain Path」について読み、即座に私は終身購読者になり、その時以来、1964年の初期の冊子を含め、定期的に「The Mountain Path」を受け取っています。

 私がその中で読む記事はとても啓発的ではありましたが、バガヴァーンの教えと「私は誰か」という探求の方法に従うことはとても困難であると感じました。1965年、私はA.オズボーン氏の著書、『The Teaching of Ramana Maharshi in His Own Words』(*5)を注文し、彼の教えに従うためにそれを学び、私がその主旨を理解したいと望んだ分だけは知りましたが、依然、私はThe Infinite Wayの方法を好んでいました。

 私は定期的な瞑想を続け、「私と私の父(なる神)は一つである、私が立つ地は聖なる地である、父(なる神)が持つもの全ては私のものである」と唱えることによって、The Infinite Wayの師が教えるようにマントラを使うことにより内なる声に耳を傾けました。この期間中に、私は人生に対する私の態度に改善を認めました。これは私を喜ばせましたが、目覚めと深い眠りの間に私が全身に奇妙な震える感覚を感じ、「いかなる力によってでもなく、私の恩寵によって」と私に告げるはっきりした声を聞いた四年後まで、私はその小さな声を聴きそこなっていました。この状態はとても奇妙であり、意気揚々とさせるものでした。私が起き上がった時、大きな重荷が私から取り除かれているように感じ、数日間、私はとても幸福で満ち足りた気分でいました。そのような体験をさらに持てれば良かったのですが、不運にも、The Infinite Wayの方法による定期的な瞑想にもかかわらず、再び起こることはありませんでした。

  2年ほど前、スワーミー・チンマヤーナンダ(*6)がインドから私の町、ナイジェリアのラゴスを訪問し、『バガヴァッド・ギーター』の第12章と13章についての2週間の講習を行い、それに私の妻と私自身も参加し、楽しみました。その講習の終わりに、彼は我々に別の瞑想法を教え、以前のThe Infinite Wayの方法にかわり、私はそれを使い始めました。

 昨年、私は休みを取り、研究休暇のためにイギリスに旅行しました。それは2か月ほどで、その間、毎日のジャパにもかかわらず、私は落ち着きのなさと不満足を経験しました。実際、私は夜にほとんど眠れませんでした。不幸にも、私が休暇から家に戻る前に、10年前に治った病気がぶり返しました。つまるところ、自分の精神的進歩について私は不満足を感じ、幻滅しはじめ、何か他の教えに頼ることに決めました。ある日、突然、私はアーサー・オズボーンの『The Teaching of Ramana Maharshi in His Own Words』を再び読みたいという衝動に駆られ、それを注意深く読み直しました。驚いたことに、その時、私は悟りました-私がずっと探し求めていた教えはこれだと。私は一週間の内にその本を隅々まで読み、メモを取り、瞑想において「自らの探求」の方法を修練し始めました。

 数か月後、正確には4か月ほど前、私はバガヴァーンを夢で見ました。私は彼の前に座り、今や彼の教えに従う準備はできているか私に尋ね、私は(間違いないと)確かめました。その夢は短いものでしたが、目覚めた時、終にバガヴァーンに手ほどきされ、受け入れられたことを私はとてもうれしく感じました。

 過去数年間、The Infinite Wayの生徒だった私の妻もまた、突然、バガヴァーンの教えに魅かれました。我々は今や二人ともが「The Mountain Path」の過去の冊子全てを通読しつつあり、その記事と読者からの「編者への手紙」が我々の心の中の質問や疑問のいくつかを晴らしていることに気づきます。また、我々は「どのようにして私はマハルシのもとへ行ったのか」という記事がとても啓発的であることに気づきます。

 上に述べられた私の体験が私にはっきり示すことは、最上であるマハルシの教えを信奉者の魂が心から受け入れるほど十分に成熟するまで、マハルシがその信奉者をゆっくり導くということです。どうぞシュリー・バガヴァーンの恩寵が我々を導き続けますように。

 我々が互いに連絡を取り合い、そして、可能であれば、会って、ジャヤンティを地元で祝うために、私の国、ナイジェリアや西アフリカの他の国々に「The Mountain Path」の定期購読者やバガヴァーンの信奉者がいるのかどうか知りたいと私は思っています。

(*1)マッラム・・・mallam、アフリカのイスラム学者に与えられる敬称。
(*2)ヨルバ語・・・西アフリカのナイジェリア、ペナン、トーゴのヨルバ人によって話される言語。
(*3)本名ウィリアム・ウォーカー・アトキンソン(1862-1932)、アメリカ人、セロン・Q・デュモンなど他にも様々なペンネームがある。
(*4)ジョエル・ソロモン・ゴールドスミス(1892-1964)、アメリカ人、The Infinite Way運動の創始者。
(*5)『The Teaching of Ramana Maharshi in His Own Words』→pdf
(*6)Swami Chinmayanada Saraswati(1916-1993)、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ系の人で、1965年に日本を訪れているようです。

2016年1月16日土曜日

真の沈黙、ラマナ・ダクシナームールティの沈黙の声は録音しえない

◇「山の道(Mountain Path)」、1964年4月 p71

兄への手紙-2
真の沈黙

ナーガンマ著

 今日の午後3時、私はバガヴァーンの周りの信奉者の集まりに加わりました。彼がシュリー・シャンカラの「ダクシナームールティ・アシュタカム」について以前に話していたことに話は戻り、バガヴァーンは言いました。「シャンカラはダクシナームールティを称賛しようと思い立ちましたが、どうしてモウナを称賛できるでしょうか。それで、彼はスリシュティ(創造)、スティティ(維持)、ラヤ(消滅)を描き、その三つ全ての化身(体現者)であるダクシナームールティに敬礼しました。一体、他のどのような方法で沈黙が称賛できたでしょうか」。

 会話の穂を継いで、ある信奉者が言いました。「何年も前、あるシヴァラートリの日に、バガヴァーンの周りに全ての信奉者が集まって、座り、『今日、バガヴァーンは我々にダクシナームールティ・アシュタカムの意味を説明すべきです』と言ったとダンダパーニ・スワーミーは我々に言いました。しかしながら、バガヴァーンは微笑みながらも、話さずに、長い間沈黙して座りました。その後、バガヴァーンがその継続する沈黙によって、沈黙こそが詩節の真意であると自分たちに理解させたのだと感じながら、彼らは立ち去りました。そうでしょうか」。

 バガヴァーンはそうであると承認しました。その後、私は加えて言いました。「では、それはバガヴァーンが沈黙の注釈を与えたということでしょうか」。そして、バガヴァーンはこれもまた承認しました。

 他の誰かが、「では、真の沈黙とは、自らに住まうことを意味しますね」と言いました。

 バガヴァーン:「ええ、もちろんです。自らがなければ、どうしてそれが沈黙になりえますか。」

 信奉者:「まさしくそれが私の尋ねていることです。自らに住まうことなく、ただ会話を控えることは、沈黙なのでしょうか。」

 バガヴァーン:「どうしてそんなことがありえますか。沈黙を守ることについて話しながら、その間中、紙切れや石板にメッセージを書き続けている人たちもいます。その心の活動は全く同じではありませんか。」

 別の信奉者が、「では、単に会話を控えることには何の益もないのですか」と割って入りました。

 バガヴァーン:「外の世界の障害物を避けるために、人は会話を控えるかもしれませんが、彼はそれが目的そのものであると思うべきではありません。真の沈黙とは、実際、終わりなき会話です。それを得るというようなことはありません。なぜなら、それはいつもそこにあるからです。あなたがしなければならない全ては、それを覆い隠す世俗的な関心事を取り除くことです。それを得ることは断じてありません。」

 その間に、ある放送協会がバガヴァーンの声を録音しようと考えているという知らせが来ました。笑いながら、バガヴァーンは言いました。「おや、そうですか。でも、私の声は沈黙ではありませんか。彼らはどうして沈黙を録音できるでしょうか。在るそれが、沈黙です。誰がそれを録音できるというのでしょうか」。

 信奉者たちは黙って座り、目を見合わせ、講堂は完全な静寂になりました。ダクシナームールティの化身であるバガヴァーンは、モウナ‐ムドラー、沈黙の姿勢で座り、南を向きました。その生き生きとした聖像、彼の体は、アートマの光で輝いていました-今日は何とも良い一日でした!

2016年1月14日木曜日

タパスに最適な聖地、家(心)の中のがらくた(ヴァーサナー)を一掃せよ

◇「山の道(Mountain Path)」、1964年1月 p21~22

兄への手紙-1

あなたがいるところに留まりなさい

ナーガンマ著
ナーガンマは、バガヴァーンの存命時にここで生活していたアーンドラの女性です。彼女の兄もまた優れた信奉者でしたが、マドラスの銀行の支店長であったため、時折ここに訪問することしかできませんでした。そのため、バガヴァーンの言動の報告を彼に書き送ることがナーガンマの習慣になりました。それらの手紙のいくらかは本としてまとめられ、アーシュラムから出版されていますが、以下のものはまだ英語で出版されていないものです。
1947年9月10日

 今朝の10時15分前、バガヴァーンが午前半ばのいつもの短い散歩に出かけようと立ち上がろうとしたちょうどその時に、アーンドラの若者が寝いすに近づき、言いました。「スワーミー、私がここにやって来たのは、タパスを行いたいと思い、そのための良い場所はどこなのか知らないからです。その目的のために、あなたが私に言うところどこにでも私は行きます」。

 バガヴァーンは答えませんでした。彼は前かがみになりながら、足と膝をこすりました。それは足と膝のリューマチのために、散歩を始める前に彼がしばしばすることでした。彼は静かに一人微笑んでいました。我々は、もちろん、彼は何を言うのだろうかと心待ちにしていました。少しして、彼は散歩の時に体を支えるために使う杖を手に取り、若者を見て、言いました。「どこに留まるべきかどうしてあなたに言えるでしょうか。あなたがいるところに留まることが最良です」。そして、微笑みながら彼は外に出ました。

 若者は困惑しました。「これはどういう意味ですか」と彼は声を上げました。「年長者であるため、私が留まることのできるどこかの聖地を彼が教えてくれると思っていましたが、そうするどころか、彼は私がいるところに留まるよう私に言いました。私は今、この寝いすのそばにいます。それは私がここに留まるべきだということですか。私が彼に近づいたのは、そのような返答を受け取るためでしたか。これは冗談か何かですか」。

 信奉者の一人が彼を講堂から連れ出し、説明しました。「バガヴァーンが軽い調子で何か言うときでさえ、その中にはいつも何か深い意味があります。『私』という実感が生じるところが、人の自らです。タパスとは、自らがどこにあるか知り、そこに留まるという意味です。そのために、人は自分が誰か知らなければなりません。それでは、人がどこに留まるかが問題になりますか。それが彼が意図したことです」。彼はそうして若者をなだめ、彼を追い払いました。

 同じように、ある人が昨日、尋ねました。「スワーミー、どうすれば我々はアートマを見つけられますか」。

 「あなたはアートマの中にいます。ですから、それを見つけることにどうして困難があるでしょうか」とバガヴァーンは返答しました。

 「あなたは私がアートマの中にいると言いますが、アートマは一体どこにあるのですか」と質問者は食い下がりました。

 「あなたがハートの中に留まり、辛抱強く探すなら、あなたはそれを見つけます。」

 質問者はまだ満足していないようで、彼のハートの中には彼が留まるための空き場所がないという、ずいぶん興味深い異議を唱えました。

 バガヴァーンはそこに座っている信奉者の一人のほうを向き、微笑みながら言いました。「彼がアートマがどこにあるのかどれほど心配しているのか御覧なさい。彼に何が言えるでしょうか。アートマとは何ですか。それは全てに行き渡っています。それは『ハート』と呼ばれていると私が彼に言うと、その中には自分が留まるための空き場所がないと彼は言います。私に何ができるでしょうか。ハートをヴァーサナーでいっぱいに満たした後、ハートの中に空き場所がないと言うことは、セイロン島ほども大きな家の中に座るための空き場所がないと不平を言うことのようです。全てのがらくたが投げ捨てられるなら、空き場所はありませんか。体そのものが、がらくたです。この人たちは、家の全ての部屋をその体に必要のないがらくたできっしり満たし、その後で家の中に体のための空き場所がないと不平を言う人たちのようです。同じように、彼らは心をあらゆる類のヴァーサナーで満たし、その後、その中に自らのための空き場所がないと言います。あらゆるヴァーサナーが一掃され、投げ捨てられるなら、十分な空き場所があり、それは全てアートマとなります。その時、分離した『私』というようなものは存在しません。それでは、空き場所がどうして必要ですか。誰がその空き場所を占拠するのでしょうか。目を閉じて、太陽がないと言うのとまさしく同様に、自らを探求をせずに、彼らは『空き場所がない、空き場所がない!』と言います。私に何ができるでしょうか」。

2016年1月12日火曜日

バガヴァーン・ラマナ選出、ヴィヴェーカチューダーマニからの10詩節 

◇「山の道(Mountain Path)」、1973年4月 p99、100

ヴィヴェーカチューダーマニ

知恵の至宝
バガヴァーンはかつて、シュリー・シャンカラーチャーリヤによる「ヴィヴェーカチューダーマニ」、即ち、「知恵の至宝」として知られるアドヴァイタ哲学に関する有名な作品から重要な10詩節を選びました。以下はそれらの詩節の意訳です。かっこ内の番号は、原文の詩節番号を示しています。
1.
解放を得るための最良の鍛錬とは、人の本質の絶え間ない想起として定義されてきたバクティである。

The best discipline for attaining Liberation is Bhakti which has been defined as the constant recollection of one's real nature. (31)

2.
至高なるものとは、永続的で途切れのない自覚である。それは比類なく、存在とも非存在とも描きえない。それは知性などの目撃者である。それは我々が「私」について話すときに暗示されるものである。それは永続的で完全な至福であり、我々自身の内に存在する。

The Supreme (Being or Self) is constant and unbroken awareness. It is unique and cannot be described either as being or non-being (since it transcends all concepts). It is the witness of our faculty of understanding (buddhi), etc. It is what is implied when we speak of ' I '. It is constant and perfect bliss and exists within ourselves. (351)

3.
至高なる自らは、プラクリティともその変形体とも異なる。それは存在と非存在についての全ての概念を可能にする純粋な自覚である。目覚めや他の状態の間、「私」-「私」の形で、それは明確に現れる。それは知性の目撃者である。

The Supreme Self is distinct from Prakriti (primal world stuff) as well as its modifications. It is the pure awareness which makes all ideas of being and non-being possible. It clearly manifests itself in the form of ' I '-' I ' during waking and other states (i.e. dream and deep sleep). It is the witness of our faculty of understanding (buddhi). (135)

4.
「私」-「私」の形をした、ただ一つの継続的な内なる自覚として、目覚め、夢、深い眠りの状態において、自らは明瞭に現れる。それは自我、知性などをその様々すべての形と変化において認識する。それは永続的な自覚かつ至福である。これをあなたのハートの内に実現せよ。

The Self clearly manifests itself in the states of waking, dream and deep sleep as a continuous single inner awareness in the form of ' I ', ' I ' . It cognizes the ego, the intellect, etc., in all their various forms and changes. It is constant awareness and bliss. Realize this within your Heart. (217)

5.
制御された心と明瞭な知性の助けによって、「私はこれである」と直接的にあなた自身の自らを実現せよ。生死波立つサンサーラなる無限の海を渡り切り、ブラフマンとして留まれ。(その時)あなたの人生の目的は達成される。

Realize your own Self directly as 'I am this' with the help of a controlled mind and clear intellect and, crossing over the boundless sea of samsara whose waves are births and deaths, abide as Brahman, the goal of your life attained. (136)

6.
この自ら輝くもの、全ての目撃者は、我々の知性の中で永遠に輝く。それは非存在ではない。それをあなたの目的とし、それを絶え間なく思うことにより、それをあなた自身の自らとして実現せよ。

This self-luminous (Being), the witness of all, shines constantly in our intellect(vijnanamaya kosa). It is not non-being. Make it your goal and realize it as your own Self by thinking of it incessantly.(380)

7.
至高なる存在の本質を理解することは非常に難しい。感覚的対象のように、心によってそれを思い描けない。その理解が明瞭である賢者によってのみ、それは知られうる。心の概念が実際に存在しないとき、サマーディの状態において彼らはそれを実現する。

It is very difficult to understand the nature of the Supreme Being. It cannot be conceived by the mind like sense objects. It can be known only by wise souls (Aryas) whose understanding is clear. They realize it in states of Samadhi when there are practically no mental concepts. (360)

8.
このように絶え間ない修練を通じて、心が完全となり、ブラフマンに溶け込むとき、サマーディはサヴィカルパでなくなる。その状態において、人は不二なるものの純粋な至福を体験する。

When, in this manner, through constant practice, the mind becomes perfect and is merged in Brahman Samadhi ceases to be savikalpa (i.e., becomes nirvikalpa or entirely free from thoughts). In that state one experiences the pure bliss of the non-dual (Brahman). (362)

9.
この種のサマーディを修練することにより、結び目のごとき一切の欲望は終わりを迎え、一切の行為は後に何も残さない。人は自分自身があらゆるところに存在すると自ずと知る。

By practising this kind of Samadbi all one's knot-like desires come to an end and all one's actions leave no residue. One spontaneously knows oneself as existing everywhere. (363)

10.
至高なるブラフマン、唯一なる現実は、存在とも非存在とも描きえない。それはハートの洞窟に存在する。それに内在する者は、親愛なる人よ、再び生まれはしないであろう。

The Supreme Brahman, the sole Reality, cannot be described either as being or non-being. It exists in the cavern of the Heart (i.e., it can be realized within ourselves). One who inheres in It, my dear, will not be born again. (266)