兄への手紙-2
真の沈黙
ナーガンマ著
今日の午後3時、私はバガヴァーンの周りの信奉者の集まりに加わりました。彼がシュリー・シャンカラの「ダクシナームールティ・アシュタカム」について以前に話していたことに話は戻り、バガヴァーンは言いました。「シャンカラはダクシナームールティを称賛しようと思い立ちましたが、どうしてモウナを称賛できるでしょうか。それで、彼はスリシュティ(創造)、スティティ(維持)、ラヤ(消滅)を描き、その三つ全ての化身(体現者)であるダクシナームールティに敬礼しました。一体、他のどのような方法で沈黙が称賛できたでしょうか」。
会話の穂を継いで、ある信奉者が言いました。「何年も前、あるシヴァラートリの日に、バガヴァーンの周りに全ての信奉者が集まって、座り、『今日、バガヴァーンは我々にダクシナームールティ・アシュタカムの意味を説明すべきです』と言ったとダンダパーニ・スワーミーは我々に言いました。しかしながら、バガヴァーンは微笑みながらも、話さずに、長い間沈黙して座りました。その後、バガヴァーンがその継続する沈黙によって、沈黙こそが詩節の真意であると自分たちに理解させたのだと感じながら、彼らは立ち去りました。そうでしょうか」。
バガヴァーンはそうであると承認しました。その後、私は加えて言いました。「では、それはバガヴァーンが沈黙の注釈を与えたということでしょうか」。そして、バガヴァーンはこれもまた承認しました。
他の誰かが、「では、真の沈黙とは、自らに住まうことを意味しますね」と言いました。
バガヴァーン:「ええ、もちろんです。自らがなければ、どうしてそれが沈黙になりえますか。」
信奉者:「まさしくそれが私の尋ねていることです。自らに住まうことなく、ただ会話を控えることは、沈黙なのでしょうか。」
バガヴァーン:「どうしてそんなことがありえますか。沈黙を守ることについて話しながら、その間中、紙切れや石板にメッセージを書き続けている人たちもいます。その心の活動は全く同じではありませんか。」
別の信奉者が、「では、単に会話を控えることには何の益もないのですか」と割って入りました。
バガヴァーン:「外の世界の障害物を避けるために、人は会話を控えるかもしれませんが、彼はそれが目的そのものであると思うべきではありません。真の沈黙とは、実際、終わりなき会話です。それを得るというようなことはありません。なぜなら、それはいつもそこにあるからです。あなたがしなければならない全ては、それを覆い隠す世俗的な関心事を取り除くことです。それを得ることは断じてありません。」
その間に、ある放送協会がバガヴァーンの声を録音しようと考えているという知らせが来ました。笑いながら、バガヴァーンは言いました。「おや、そうですか。でも、私の声は沈黙ではありませんか。彼らはどうして沈黙を録音できるでしょうか。在るそれが、沈黙です。誰がそれを録音できるというのでしょうか」。
信奉者たちは黙って座り、目を見合わせ、講堂は完全な静寂になりました。ダクシナームールティの化身であるバガヴァーンは、モウナ‐ムドラー、沈黙の姿勢で座り、南を向きました。その生き生きとした聖像、彼の体は、アートマの光で輝いていました-今日は何とも良い一日でした!
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