2012年9月23日日曜日

バガヴァーン・ラマナ・マハルシとは誰なのか。どこにいるのか。

◇『シュリー・ラマナーシュラマムからの手紙(Letters from Sri Ramanasramam)』、p165~166、抜粋  

(84)ラマナとは誰か

アムリタナータの質問:

慈悲の宝庫として名高い
アルナーチャラの洞窟にいる、このラマナとは誰ですか
彼はヴァラルチですか、イーシャ(*1)・グルですか
ハリ(*2)ですか、ヤーティンドラ(*3)ですか
私はグルのマヒマー(*4)を知りたいのです

バガヴァーンの答え①:

アルナーチャラ・ラマナはパラマートマー(*5)そのものであり
意識として、ハリから以下の
一切生命のハートの中に戯れている
彼は至高の存在である
あなたがジニャーナの眼を開き、真理を見るならば
それはあなたに明らかとなる

バガヴァーンの答え②:(『Sri Ramana Lila』にある英訳)

ヴィシュヌから始まる全て(の者)の蓮華の形をしたハートの奥底に 
純粋な知性(絶対的な意識)として
パラマートマーが輝いている
彼はアルナーチャラ・ラマナと同じである
心が彼の愛に溶け、彼がそこで最愛の人として住まう
ハートの最奥に到達するとき
純粋な知性である微細な眼が開き
彼が純粋な意識として現れる

(*1)イーシャ・・・「主、神」。動詞の語根である「ish-」が、「所有する」や「支配する」を意味するので、神がイーシャと呼ばれるときは、神がすべてを所有し、支配していることを含意している。
(*2)ハリ・・・ビシュヌ/ナーラーヤナの別名。
(*3)ヤーティンドラ・・・文字どうりの意味は「修行者の王」。yatinは「修行者」を意味し、インドラは「王」を意味する。
(*4)マヒマー・・・「超自然的な力、栄光」。
(*5)パラマートマー・・・「至高の」を意味するパラと、「自分自身」を意味するアートマンが組み合わさった語。「個別の自分」を意味するジーヴァートマーと対比される


◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhgavan)』 (p162、p164)

46年3月1日 

 オズボーン氏がバガヴァーンに言いました。「バガヴァーン、昨夜、ヌーナ(4歳ぐらいの彼の娘)が我々に、『サイード博士は、私の世界で一番の友達よ』と言いました。そこで直ちに、我々は彼女に、『バガヴァーンはどうなの』と尋ねました。彼女は、『バガヴァーンは世界にいないわ』と答えました」。

 バガヴァーンは子供のこの発言に驚き、思わず彼の指は鼻へと上がり、そこで鼻をつかみ、言いました。「子どもがするには、なんと賢明な発言でしょうか!優れた人々でさえその発言の意味することを理解できません。彼らは、『世界にいなければ、他のどこにいるのですか』と彼女に尋ねるべきでした」。

 そこで直ちに、オズボーン氏は答えました。「ええ。我々は彼女に尋ねました。彼女は、『バガヴァーンは世界の外にいるわ』と言いました」。

46年3月5日 朝

 バガヴァーンは、昨日、「ヌーナが、『バガヴァーンは世界にいないけど、世界の外にいるわ』と言った時に、彼女が何を意図したのか、または感じたのかが分かると良いでしょう」と言ったようでした。それで、今日、オズボーン氏は以下の書き物を取り出し、バガヴァーンに手渡しました。

 「私はヌーナに、『バガヴァーンは世界にいない』をどのような意味で言ったのか尋ねました。はじめ彼女は恥ずかしがって、何も言いませんでした。私は、『サイード博士は世界にいると思っているんじゃないの』と言いました。彼女は、『うん』と言いました。『バガヴァーンが世界にいないなら、それじゃあ、どこにいるの』と私は尋ねました。ヌーナは、『アーシュラムと天国に』と答え、少し後に、『私たちが見ることができないバガヴァーンは、どこにだっているの。私たちがとても良ければ、彼を見れるの。みんながバガヴァーンだけど、バガヴァーンほど良くはないの』とつけ加えました。どれほどが純粋な直感で、どれほどが時折の会話から彼女が理解し、覚えていることなのか言うことは困難です。時々、それがほんの直感であることに疑いはありません。たとえば、ある時コダイカーナルで、私が彼女に『おやすみ』と言うときに、彼女に祈っていたのか尋ねると、彼女は、『もう、眠りたいわ。眠ることは祈ることよ』と言いました」。

 上の文を見た後、バガヴァーンとバララムは共に、「眠ることは祈ることとは、とても分別ある発言です」と言っていました。私は理解できなくて、バガヴァーンにそれについて尋ねました。彼はそれが、「眠ること、すなわち、心を静めることは本当の祈りである」を意味していると理解したのだと説明しました。彼は私に、「眠り」とは、「眠っているが、それでいて眠っていない至福をいつ私は得るのか」などとタミル語の書籍で言及されるのをよく耳にする「眠らない眠り」と解釈されるべきであると言いました。


◇『バガヴァーンに師事して(At the Feet of Bhagavan)』、p56

 シュリー・バガヴァーンは山の上のヴィルーパークシャ洞窟にいました。午後7時を過ぎたある晩に、アルナーチャラを周りを回るために、彼らはみな、山を下ってきていました。他の信奉者たちはみな、先立って行きました。シュリー・カーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニだけが、バガヴァーンと共にいて、彼らはゆっくりと洞窟からの階段を下りていました。

 彼らが数歩、歩いた時、突然、シュリー・マハルシは立ち止まり、彼と共にシュリー・カーヴヤカンタも立ち止まりました。星をちりばめた空に、満月が明るく輝いていました。月と美しい空を指して、シュリー・バガヴァーンは言いました。「ナーヤナ(*1)!月と一切の星々がの内に存在し、太陽自身がその衛星と共にの腰の周りを回っているならば、私は誰ですか。私は誰ですか」。

 このシュリー・マハルシの発言は、彼の幸せな弟子に、「シュリー・ルドラ(*2)」、「プルシャ・スークタ(*3)」、そして、アタルヴァ・ヴェーダの「スカンバ(*4)・スークタ」に記されているような、ヴェーダの偉人として師を心に描かせました。彼はまさしくその全てであり、彼方のそれでした。彼でないものは何もありません。

 後に、シュリー・カーヴヤカンタは、この啓示を信奉者全てに知らせました。

(*1)ナーヤナ・・・テルグ語。シュリー・カーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニの愛称。「お父さん」。
(*2)スリー・ルドラ・・・ルドラ(シヴァの通り名)にささげられたヤジュルヴァ・ヴェーダの中の賛歌
(*3)プルシャ・スークタ・・・広大無辺の存在であるプルシャにささげられたリグ・ヴェーダの中の賛歌
(*4)スカンバ・・・「すべての存在を支えるもの、支柱」

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