2012年9月22日土曜日

過去・現在・未来、グルの真実、行為者性の放棄、運命と自由

◇『バガヴァーンとの日々(Day by Day with Bhagavan)(p87~90、p91~92 前略

46年1月3日

 私が講堂に入った時、バガヴァーンはすでに質問に答えていました。質問の趣旨は、「進化論は正しいのでしょうか」だったと思います。

バガヴァーン:
 我々みなの問題は、我々が過去に我々であったものを知りたがり、そしてまた、我々が未来になるものを知りたがることです。我々は過去や未来について何も知りません。我々は確かに現在を知っており、我々が今、存在していることを確かに知っています。昨日と明日は共に、今日に関連してのみ存在します。昨日はその時に「今日」と呼ばれ、明日は我々によって明日、「今日」と呼ばれます。今日は常に存在しています。常に存在しているものは、純粋な実在です。それには過去や未来はありません。現在の本質と常に存在する実在を見出すよう試みてはどうですか。

 別の訪問客が、「現在は過去のカルマによると言われています。今、我々は我々の自由意思によって過去のカルマを乗り越えられますか」と尋ねました。

バガヴァーン:
 私があなたに言ったように、現在とは何か確かめなさい。その時、あなたは過去や未来に影響される、もしくは、それらを持つものを理解し、また、常に存在し、常に自由であり、過去や未来によって、または、どんな過去のカルマによっても影響されないものを理解します。

 別の訪問客が、「ある人は別の人の中に何かへの衝動をつくりだせますか。グルは弟子を魔法によるように変容できますか」と尋ねました。

バガヴァーン:
 グルについてのあなたの考えは何ですか。あなたは彼を人の姿で、ある寸法や色などをした体として考えています。悟りの後、弟子はグルに、「今や、私はあなたが私の無数の生まれ全ての間、私の最奥のハートの中にただ一つの現実として住んでおり、私の前に人の姿でやって来て、この無知の覆いを取り去ったことを悟りました。そのような崇高な温情への返礼に私はあなたのために何ができますか」と言いました。そして、グルは、「あなたは何もする必要はありません。あなたがあなたの真の境地にあるがままにある(「私は在る」として留まる)ならば、十分です」と言いました。これがグルについての真理です。

 ジョーシー氏が五つの質問をしました。以下に、質問とバガヴァーンの回答を記します。

質問1:
 答えることなく、「私は誰か」と尋ね続けるべきでしょうか。誰が誰に尋ねているのですか。探求の時、何のバーヴァナー(態度、概念)が心にあるべきですか。「私」とは何ですか、自らですか、自我ですか。

答え:
 「私は誰か」という探求の中の「私」は、自我です。その問いが本当に意味するところは、この自我の源、起源は何か、です。心に何のバーヴァナーも持つ必要はありません。必要とされる全ては、あなたがこれこれの様子や、これこれの名前などを持つ体であるというバーヴァナーを放棄しなければならないということです。あなたの本質についてバーヴァナーを持つ必要はありません。それは常に存在しているように存在しています。それは現実であり、バーヴァナーではありません。

質問2:
 私はいつもこの探求に従事できません。というのは、他にするべき仕事を持っていて、そのような仕事をしている時、この探求を忘れるからです。

答え:
 あなたが他の仕事をする時、あなたは存在しなくなるのですか。あなたは常に存在しています。違いますか。

質問3:
 行為者の感覚-「私がしている」という感覚-なしに、仕事は行えません。

答え:
 行えます。愛着なく働きなさい。あなたが「私が行為者である」という感覚を持って働いた時よりも、仕事はより良く運びさえします。

質問4:
 私は何の仕事をすべきで、何の仕事をすべきではないのか分かりません。

答え:
 思い悩まないように。この人生で、あなたによってなされるように仕事として定められていることは、あなたが好んでも、好まなくても、あなたによって行われます。

質問5:
 どうして悟ろうと試みねばならないのですか。夢から覚めるように私はこの状態から出ます。眠っている時、私たちは夢から出ようと試みません。

答え:
 夢の中ではそれが夢であるとあなたは少しも気づかないので、努力して夢からでようと試みる義務はありません。しかし、この人生では、夢の経験によって、読むことや聞くことによって、あなたはこの人生が夢のようなものであるとの何らかの直感を得ています。それゆえ、努力して夢から出るという義務があなたに投げかけられているのです。しかしながら、あなたが自らを求めていないなら、誰があなたに自らを実現して欲しいのですか。あなたが夢にいることを好むならば、そのままにいなさい。

(質問4に関連し、バガヴァッド・ギーターを引用して)P.C.デーサーイー婦人:
 (アルジュナが言われたように)各々によって行われるように定められている特定の仕事があり、どれだけそれをしたくないと思っても、それをすることを拒否しても、結局は行うことになるならば、自由意志は存在するのですか。

バガヴァーン:
 我々によって行われるように予定されている仕事が、我々によって行われるのは本当です。しかし、我々自身を体、すなわち、仕事をするそれと同一視しないことにより、仕事の楽しみや苦しみ、好ましい結果や好ましくない結果から自由でいることは我々に開かれています。あなたがあなたの本質を悟り、どんな仕事でも行っているのはあなたでないということを知るならば、運命、過去のカルマ、神の計画など、あなたがどのようにそれを呼ぼうとも、それによって体が従事するであろう仕事が何であれ、あなたはその結果に影響されません。あなたはいつも自由であり、その自由に制限はありません。

1946年1月4日 午後 

 1946年1月3日の午後のデーサーイー夫人の質問へのバガヴァーンの答えに関連して、私は彼に、「本業や専門職というような人の人生における重要な出来事だけあらかじめ決まっているのですか、それとも、一杯の水を手に取ることや、部屋のある場所から別の場所へ移動するというような人生における取るに足りない行為もまたあらかじめ決まっているのですか。

バガヴァーン:
 ええ、あらゆることがあらかじめ決定されています。

私(デーヴァラージャ・ムダリアール):
 では、人はどのような責任、どのような自由意思を持つのですか。

バガヴァーン:
 それでは、体は何のために存在するようになりますか。それはこの人生で遂行されるように選び出された様々な物事を行うために計画されています。全ての計画がチョークで描かれています。「わずかのものもの意思以外によって動かない」は、あなたが「の意思以外によって動かない」、もしくは、「カルマ以外によって動かない」と言おうとも、同じ真理を表します。人の自由に関して言えば、彼には彼自身を体と同一視せず、体の活動の結果起こる苦楽によって影響されない自由がいつもあります。

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