読みやすいように対話形式にするため、多少訳を変更しています(shiba)。
1948年6月29日
(200)ふさわしい教え
今朝、10時15分前、バガヴァーンが外に出かけていた時、彼の体が少しよろめきました。付添人は彼に触れ、彼が自分で体を安定できるようにすることを躊躇しました。彼がそれを好まないだろうと知っていたからです。その時、彼のそばを歩いていた古参の信奉者は、彼を持ち上げようとしました。彼にそのことを戒めて、バガヴァーンは、「あなたがたみなは私が倒れないよう支えようとしますが、実際は私を投げ落とそうとしています。もう十分です。あなたがた自身が倒れないように注意して下さい」と落ち着いて言いました。これらの言葉は、大変含蓄に富んでいます。バガヴァーンは何か当たり前のことを言っているように見えますが、その言葉の中には偉大な真理が存在し、そのため私はその場でそれを書き留ました。
しばらくして、バガヴァーンは戻り、いつもの場所に座りました。その前に、若者がむっとした様子で講堂にやって来ていました。いくらか試した後、彼は、「スワーミー、私は心の中に質問があります。その質問が何か、あなたは言うことができますか。もしくは、私にそれを尋ねて欲しいですか」と言いました。バガヴァーンは、「ああ!それが問題であることというわけですね。すみません。私にはそのような力がありません。あなたは有能な人で、他人の考えを読めるのかもしれません。どうして私にそのような力を得られるのですか」と言いました。その若者は、「では、それぐらいできないならば、あなたの偉大さとは何ですか」と言おうとしましたが、そこにいた他の人たちが彼が言うのを遮りました。それを見て、私はバガヴァーンの近くに行き、座りました。私を見て、バガヴァーンは、「見なさい。この若者は彼の心の中にある質問を私が知ることができるか尋ねました!今まで誰もそのようなことを尋ねませんでした。それはつまり、彼は私を試しているのです。ここに来る人の目的は、その人が入ってくる時にさえ知られます。座る様子そのものが、その人の訪問の目的を明らかにします。私を試す代わりに、どうして彼は自分自身を試し、自分が誰か見出そうとしないのですか。そのほうがいっそう良いのではありませんか」と言いました。
偶然に若者のそばに座っていた紳士が会話の穂を継ぎ、「スワーミー、あなたは自らを見出すことが人生において最も優れたことであると言います。しかし、それを見出すために、ナーマ・ジャパ(*1)は良いことですか。我々はその方法でモークシャ(*2)を得られますか」と言いました。
バガヴァーン:
ええ、それは良いことです。それ自体が、やがては、あなたを目的へ運びます。名の復唱は、一切の異質なもの(外側のもの、付着したもの)を取り除くためです。それから、一切の異質なものが消え、残るものは名だけです。残るそれは、自ら、神、もしくは至高なる存在です。ナーマ・ジャパは我々が神に名を与え、彼をその名で呼ぶことを意味します。あなたは、あなたが最も好む名を彼に与えます。
信奉者:
イーシュワラは、あなたが彼に何らかの名前を与え、彼に特定の姿で現れるように願うならば、現われるでしょうか
バガヴァーン:
ええ。彼はあなたがどのような名で呼んでも、あなたの呼びかけに答え、あなたが崇拝するどのような姿ででも現れます。彼が姿を表すとすぐに、あなたは何かお願いします。彼は恩恵を授け、消えますが、あなたはあなたがいたところに留まります。
私(シュリー・ナガマ):
我々が何か物質的な利益をバガヴァーンに求めるならば、バガヴァーンもまた同じようになさると思います。
私が言ったことに注意を向けず、そして、質問を避けようとしてバガヴァーンは言いました。
バガヴァーン:
ですから神は姿を表すことを恐れているのです。彼がやってくるなら、信奉者たちは彼の全ての力を与え、引退するように彼に求めます。彼らは「全てのものを我々にください」というだけでなく、「他の誰にも与えないように」とも言います。それが心配なのです。ですから神は彼の信奉者たちのもとへ行くのを遅らせているのです。
別の信奉者:
マハートマー(*3)についても同じことですか。
バガヴァーン:
それに疑いはありません。寛大さが人々に示されるなら、彼らはマハートマーに権威を行使し始めます。彼らは、「あなたは求められるようにしなければなりません」と言います。彼らはまた、「他の誰もここに来るべきではない」とも言います。そういう具合です。
信奉者:
マハートマーは全てを同じ優しさで眺めると言われています。それでは、どうして彼らはある人々を親切に迎え、尋ねられる時、ある人々には返答し、他の人々にはそうせず、ある人々には怒鳴り、他の人には無関心を示すのですか。
バガヴァーン:
そうです。全ての子供は父親にとって同じです。彼は彼らみなの幸福を望んでいます。それゆえ、彼は彼らの性質に応じて、愛情と怒りを持って彼らを扱います。温和な子供は、恐怖から離れており、何も求めません。彼らは愛情と優しさでなだめすかされ、彼らが望むもの何でも与えられるべきです。大胆な者は欲しい物を何でも求め、持っていきます。放浪するものは叱られ、適切な場所に留められるべきです。愚かな者は無視され、自力でやって行くよう任せられるべきです。同じように、マハートマーは信奉者たちの徳に応じて、優しく、もしくは、厳しくあらねばなりません。
(*1)ナーマ・ジャパ・・・神の名前を繰り返し唱えること。
(*2)モークシャ・・・解放
(*3)マハートマー・・・「偉大なる魂、人物」、聖者。
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