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アメリカ人のロバート・アダムス(1928‐97)は、小柄なインド人が彼の枕元に現れるヴィジョンを得ました。彼はパラマハンサ・ヨーガーナンダに相談し、ヨーガーナンダは彼にシュリー・ラマナの写真を見せました。彼はそれが夢の中の人物であると分かりました。彼はラマナーシュラマムを訪問し、シュリー・ラマナと1947年~50年の3年間を共に過ごしました。彼の著書、『Silence of the Heart』は、彼がアメリカで催したサットサンの要約を含んでいます。19才の時、私はティルヴァンナーマライの途中のボンベイに到着しました。私が講堂に入ったのは午前8時30分ごろでした。シュリー・ラマナは彼の寝台の上にいて、手紙を読んでいました。私は彼の前に座りました。彼は私の方を見て、微笑み、私は微笑み返しました。講堂には30人ぐらいの人がいました。マハルシは私が朝食を食べたのか尋ねました。私は「いいえ」と答えました。彼は付添人に話しかけ、付添人は巨大な2枚の葉っぱをもって帰って来ました。一つには果物がのり、一つにはおかゆ(*1)と胡椒がのっていました。食べ物をすっかり食べた後、私は床の上で少し横になりました。私はとても疲れていたのです。
マハルシは足に関節炎を患っていて、当時(1947年)、ほとんど歩けませんでした。彼の付添人は彼が立ち上がるのを助け、彼は部屋から歩いて出ました。彼が外に出た時、彼は付添人に何かを言い、付添人は私に来るように身振りで合図しました。マハルシは私がそこに滞在している間に使うための小さな小屋に私を案内しました。彼は私と共に中に入りました。きっとあなたは我々が深遠な話題について話したと思うでしょう。それとは逆に、彼は飾らない人でした。彼は全世界の自らでした。彼は私の旅がどうだったか、私がどこから来たのか、何が私をここに来させたのか尋ねました。その後、彼は、「あなたは休んだほうがいいですね」と言いました。私は簡易ベッドに横たわり、彼は去りました。
私は夕方5時ごろに私のために食べ物を持ってきたラマナ自身に起こされました。あなたはそれを想像できますか。我々は手短に話し、私は食べて、眠りました。次の朝、私は講堂へ行きました。全ての人がマハルシをただ見ながら、座りました。彼は手紙に目を通し、時にはそれを声に出して読み、信奉者たちに話かけましたが、彼の落ち着きは決して変わりませんでした。私は他のどこでもそのような慈しみと愛情を目にしませんでした。
その後、人々は質問し始めました。彼の答えはとても簡潔でした。それはあなたが本で読むようではありませんでした。どうやら、あなたが本で読むものは、3、4人の人々への彼の回答のようです。彼らはそれを一つの質問と答えに縮めています。人々はたいてい質問をするか、意見を述べます。彼が同意するなら、彼はうなずくか、「ええ」と言います。それだけです。彼が同意しなかったなら、彼はおそらくは1文か2文で説明を与えたものでした。
イスラム教徒、カトリックの司祭、多くの人種や国籍の人々がアーシュラムにはいました。私が1週間かそこらそこにいた時、彼の弟子の二人が食事の時に冗談ぽく何かについて議論していました。私は通訳に彼らが何について話しているのか尋ねました。彼は、「ラマナの寝台は虱(シラミ)で覆われていますが、彼は我々が虱を殺すのを拒みます。虱は体や足を這い上りますが、彼は気にしません。我々は寝台を燻蒸(くんじょう)消毒したいのですが、彼は我々にさせてくれません」と言いました。次の日、彼が朝の散歩に出かけた時、彼らは寝台にDDT(*2)を散布しました。戻って来るとすぐに彼は寝台の匂いをかぎ、ほほ笑み、冗談ぽく、「誰かが私を罠にかけましたね」と言いました。彼は決して腹を立てたり、激怒したりしませんでした。私は彼がその言葉(angry、mad?)が何を意味しているのか知らなかったと思います。
数日後、ドイツ人の女性がアーシュラムにやって来て、寄付をしました。彼女は何かの理由のために満足できず、ラマナに不満を述べていましたが、彼はただ黙っていました。私は通訳に、「彼女は何を求めているのですか」と尋ねました。彼は私に、「彼女は寄付を返してもらって、ドイツに帰りたいのです」と言いました。彼女がアーシュラムの管理人と言い争い始めた時、ラマナは英語で、「彼女に寄付を返し、それに50ルピー加えてあげなさい」と言いました。それは行われ、彼女は去りました。これが彼の性質でした。彼は悪いものを何も見ませんでした。彼らが何をしようとも、彼は決して誰も彼の愛から除外しませんでした。彼はちょうど同じように全ての人を愛していました。
ラマナはよく聖典から引用したものでした。イエスとラマナは基本的に同じことを言いました。イエスは、「天の王国はあなたの内にある」と言いました。ラマナは、「自らはあなたの内にあります。それを探し、見つけ、目覚めなさい」と言いました。イエスは、「子よ、いつも私はあなたと共におり、私の持つ全てのものはあなたのものである(*3)」と言いました。ラマナは、「私は決してあなたから離れられません。私はいつもあなたと共にいます」と言いました。彼の慈しみは、決して彼から離れませんでした。
1950年4月、私はパパ・ラム・ダス(*4)に会うためにバンガロールにいました。ラマナがその体を離れたということを知らされた時、私はティルヴァンナーマライへ行きました。群衆がすでにやって来始めていました-数えきれない人々。それで、私は山に登り、洞窟の一つへ入り、そこで5日間を過ごしました。私が下りてきた時、群衆は散っていました。彼はすでに埋葬されていました。私は彼の最後を見た信奉者に、「彼が話した最後の言葉は何でしたか」と尋ねました。彼は、「彼が体を去りつつある時、孔雀が壁のてっぺんに飛び上がり、高い声で鳴き始めました。ラマナは彼の付添人に、『まだ誰も孔雀に食べ物を与えていないのですか』と尋ねました。それが彼の最後の言葉でした」と言いました。
私は多くの教師、多くの聖者、多くの賢者に会いに行きました。私はニサルガダッタ(*5)、アーナンダマイー・マー(*6)、パパ・ラム・ダス、ニーム・カロリ・バーバー(*7)や他の多くの人々と共にいましたが、私はラマナ・マハルシのような慈しみ、彼のような愛、彼のような至福をにじませた誰にも出会いませんでした。
アダムの詩の見本:
私は誰か?
あなたの現実を感じよ
沈黙の中に
静寂の中に
そこには心は無く
思いもなく、言葉もない
それではあなたは誰か?
あなたはただいる
私はいる、私はいる
私はこれでなく
私はそれでない
私はいる
私はいつもあったものであり
私はいつもあるだろうもの
私はいる、が私である
(*1)おかゆ・・・南インドにはポンガルというおかゆがあり、緑豆と米を使い、牛乳で煮るようです。
(*2)DDT・・・殺虫剤。現在日本では使用禁止されているが、マラリア対策で使われている国もある。
(*3)ルカによる福音書、15:31に、「すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ」とあります。また、マタイによる福音書、28:20に、「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである」や、ヨハネによる福音書、17:10にも、「わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです」とあります。ヨハネの福音書の「あなた」は神を意味しているようです。
(*4)http://en.wikipedia.org/wiki/Ram_Dass
(*5)http://en.wikipedia.org/wiki/Nisargadatta_Maharaj
(*6)http://en.wikipedia.org/wiki/Anandamayi_Ma
(*7)http://en.wikipedia.org/wiki/Neem_Karoli_Baba