アーシュラマと社会の決まり
信奉者:
人々は四つのアーシュラマ、つまり、人生で定められた務めについて話します。それら意味とは何でしょうか。
マハルシ:
段階を追って進むことは、大多数のために意図された社会の決まりです。しかし、人がパクヴィ、よく発達した人間であるなら、彼はこの決まりを気にする必要ありません。若くても年をとっていても、男性でも女性でも、バラモンでもアウトカーストでも、人がパリパクヴィ、十分に成熟しているなら、段階を気にせずに、彼または彼女は目的に真っ直ぐに行くことができ、そして、実際に行きます。
信奉者:
では、アーシュラマは聖なる生活に必要ありません。
マハルシ:
はじめの三つのアーシュラマは、人生の世俗的な事柄の管理のためにあり、聖なる知識という崇高な目標に衝突しないような方法で統制されています。
信奉者:
4番目、サンニャーサについてはどうですか。
マハルシ:
ああ、サンニャーサとは、托鉢のお椀に親しんだり、清潔な坊主頭に剃ったり、オレンジ色のローブを身につけることにはありません。
禁欲によって高められた純粋さを持つブラフマチャリン(生徒)が、他者、もしくは、社会への奉仕のために、離欲によって理想的な世帯主になる時、光が自然に輝き出ます。
それから、タパスという目的のため、集中した努力のために、3番目のアーシュラマが意図されています。熱心なタパスによって、タパスヴィンが水晶のように純粋になり、適したものになる時、4番目のアーシュラマが自動的にやって来ます。私が言ったように、それは人が思うような外側の事柄ではありません。
社会と人類の目標
信奉者:
社会への私の義務は何でしょうか。社会と私の関係性はどうあるべきでしょうか。
マハルシ:
あなたは社会の手足です。社会は体であり、個々人はその一部、その手足です。別々の手足がお互い助けあい、協力し、そのようにして幸福であるのとまさしく同様に、各々は思い、言葉、行為において、全ての人に役立つように他者とつながるべきです... 人は彼自身の集団、つまり、彼にとって身近にある集団の福利の世話をし、その後、他の人たちに進んでかまいません。
信奉者:
「安らぎ」であるシャーンティを高く評価する人もいれば、「力」であるシャクティを称賛する人もいます。二つの内のどちらが社会に役立つのでしょうか。
マハルシ:
個人にとって、安らぎは絶対的に欠かせません。社会の維持のために、力は必要です。力によって人は社会を高めるべきであり、その後、その中に安らぎを確立すべきです。
信奉者:
地上の人類がそれに向かって進んでいる目標とは何でしょうか。
マハルシ:
真の平等と兄弟愛が、真実の目標を形作っています。なぜなら、その時、至高の安らぎが地上に行き渡ることができ、地上(地球)そのものが一つの家族となれるからです。
信奉者:
理想は壮大です。しかし、偉大な人々、ジニャーニが洞窟で静かにいるなら、どうして社会が援助されるのでしょうか。
マハルシ:
私は自らの達成(アートマ・ラーバ)が社会への最大の福利(善)であるとたびたび言っています...
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