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2014年3月1日土曜日

バガヴァーンの言葉 - 1918年、C.V.スブラマニア・アイヤルの記録

◇「山の道(Mountain Path)」、1979年7月 p157~158

 バガヴァーンの言葉


 1918年6月、チットゥール県のC.V.スブラマニア・アイヤルにより記録されました。
  1. 心を内に向け、あなた自身の自らに安らいなさい。
  2. 心が束縛の原因です。
  3. 一つまた一つと放棄し、安らぎに留まりなさい。
  4. 我々が得るものを我々は失います。それゆえに、欲するなかれ。
  5. 二種類の瞑想があります。一つは進んだサーダカによって修練されるニルグナ・ディヤーナであり、彼は瞑想する者自身を知ろうと努めます。もう一種類は、それより進んでいない人々により修練されるサグナ・ディヤーナであり、いくぶん回り道です。そこでは、瞑想者、瞑想、瞑想の対象が究極的には一つに溶け込みます。
  6. 「私は決して生まれていなかった」と知るようになる時、私は決して死にません。死は生まれる者にとってあります。私は決して生まれませんでした。私は体を持たず、それゆえ、私は決して死にません。私はあらゆる所にいます。私がどこに行くことができ、どこに来ることができますか。
  7. 心が死んでいる時、彼は再び死にません。
  8. ジャグラート(目覚め)においてスシュプティ(眠り)を得なさい。そうすれば、あなたはジニャーニとなります。
  9. 心を内に向け、見る者を探しなさい。そうすれば、あなたはあなたが見る者であり、対象的世界は存在しないということを見出します。
  10. 心はそれ自身を主体と対象-見る者と見られるもの-に分けました。それゆえ、名と形からなる外側の世界は独立して存在しません。
  11. ジーヴァは、心に映ったブラフマンの影です。
  12. 人は前世において多くのカルマを行ったかもしれません。その中の少しだけ、今世のために選ばれ、彼は今世においてその結果を享受しなければなりません。それは幻灯機による興行のようであり、興行師は上映で披露されるスライドを少しだけ選び、残りのスライドは他の上映のためにとっておかれます。しかし、自らの知を得ることにより、カルマを滅ぼすことは可能です。カルマは過去の経験の結果であり、様々なカルマはスライドです。そして、心が投影機です。カルマは破壊されねばならず、そうすれば、映像もなく、サンサーラもありません。
  13. 私は心の支配者です。私は心ではありません。たいていの人々は心を自らとみなし、彼ら自身に苦しみをもたらします。
  14. グルは人にとって必要です。彼は実現への道の導き手として役立ちます。しかし、導くグルなくして真理を知った人々もいます。そのような人々は過去の転生において学んだに違いありません。一言か、二言で実現の道に向けるのに十分な人々もいれば、一方、どのような進歩をしうる前に何年も努力して進まなければならない人々もいます。
  15. ディヤーナは真理の実現のために必要です。全ての人が目的に達するために敷かれた道-ヨーガ、バクティ、ジニャーナ-の中で、彼らに合うものを選ばねばなりません。ヴィチャーラもまたヨーガであり、単なる書籍の学習ではありません。
  16. ジーヴァが彼自身をパラブラフマンとして知り、安らぎに留まる時、それが至高の沈黙(モウナム)です。
  17. 自らは不変です。全ての変化は心の変化です。アヴィドヤー(無知)を通じ、心の変化がアートマンに帰せられます。
  18. 砂糖でできたお菓子を見てみなさい。ナスの形のものもあれば、マンタパムや馬のように形作られているのもありますが、それら全ては一つの材料、砂糖からできています。同じように、この世界の対象物は様子や大きさ、または名や形は様々ですが、全てはブラフマン以外の何ものでもありません。
  19. アーシュラマ(グリハスタやブラフマチャーリヤのような人生の段階)は肉体に関連してのみ存在します。アートマンにはアーシュラマはありません。
  20. 「どうして人は幻の支配下にいなければならないのですか」という質問にバガヴァーンは、「幻を持つのは誰か探求しなさい。そうすれば、あなたは幻が存在しないことを見出します」と答えました。
  21. あなたは恐怖を持つべきではありません。なぜなら、アートマンはあらゆる所にあり、あなたはアートマンだからです。分離の感覚がある時に、恐怖が生じます。
  22. アドヴァイタ哲学のみが全ての試験に首尾よく耐えられます。他の学派は、それら自身の理論に合わせるためにヴェーダの聖句を無理に曲げています。
  23. 人は超常的な力を望みますが、彼らが得るものを彼らはいつの日か失わなければなりません。その力を求めることは、あなたがその力を得ようと試みる力よりも、あなたが劣っていることを暗示します。心の全ての働きは、あなたを束縛の状態に留めようとします。それゆえ、欲望を放棄し、何ものにも依存しないように。なぜなら、あなた自身が力と至福の貯蔵庫であるからです。他の一切のものを放棄し、あなたの心を安らぎに留めなさい。

2011年12月20日火曜日

感情の制御の方法 - その源を見つけよ、火はアルコールで消えない

◇『バガヴァーンと日々をともにして(Day by Day with Bhagavan)』、p196~198 

1946年4月12日 午後

 ある訪問者が、彼が鉛筆でいくつかの質問を走り書きした紙をバガヴァーンに渡しました。午後3時に私が講堂に入った時、バガヴァーンはそれを解読しようと試みていて、私のほうに頭を向けながら、「これが質問用紙です」と言いました。

質問1:
 どのように信じやすさを取り除くべきですか。訪問者の問題は、勧められた何らかの理想から始めるのですが、他の人がやって来て他の理想を勧める時、それを信じて古い理想をあきらめたいような気持ちになることです。

バガヴァーン:
 ええ。ええ。我々の一切の問題は、信じやすいことです。我々は現実以外の一切を信じています。我々は一切の誤った信念を捨てなければならず、それが我々がしなければならない唯一のことです。その時、現実がそれのみで輝きます。

質問2:
 私は理想に向かって大変熱心に始めます。しかし、次第にいい加減になります。それを防ぐために私は何をすべきでしょうか、そして、それが起こる理由は何でしょうか。

バガヴァーン:
 ある時点でのあなたの熱心さに理由があったに違いないのとちょうど同じように、後にいい加減になるのにも理由があるに違いありません。

質問3:
 数多くの聖なる師がいて、様々な道を教えています。人は誰をグルとして選ぶべきですか。

バガヴァーン:
 あなたがシャーンティ、すなわち、安らぎを得ると分かる人を選びなさい。

質問4:
 欲望を取り除く目的で、欲望に対処する最良の方法は何ですか。満たすことですか。抑制することですか。

バガヴァーン:
 欲望を満たすことによって欲望が取り除かれるなら、そのような欲望を満たすことに害はありません。しかし、欲望は満足によって一般的には根絶できません。そのやり方で欲望を根こそぎにしようとすることは、火を消すためにアルコールを注ぐようなものです。同時に、適切な治療は力ずくの抑制ではありません。というのも、そのような鎮圧は、遅かれ早かれ、望ましくない結果と共に(欲望が)力強く押し寄せてくるという反応に決まってなります。

 欲望を取り除くための適切な方法は、「欲望を得たのは誰か。その源は何か」見出すことです。それが見つけられる時、欲望は根こそぎにされ、二度と現れたり、増したりしません。

 食べる、飲む、寝る、用をたすなどのような小さな欲望もまた、欲望の中に分類されるかもしれませんが、あなたはそれらを安全に満たせます。それらは心にヴァーサナー(*1)を植え付けず、さらなる生まれを必要としません。それらの活動は生きるために必要なだけで、ヴァーサナー、すなわち、傾向を発展させたり、後に残しそうにありません。ですから、一般的な決まりとして、その満足が心にヴァーサナーを作り出すことによってさらなる欲望につながらない場合、欲望を満たすことに害はありません。

質問5:
 「オーム」の意味は何ですか。

バガヴァーン:
 「オーム」とは、一切万物です。それはブラフマンの別名です。

(*1)ヴァーサナー・・・心の中の潜在的傾向

◇『シュリー・ラマナ・マハルシとの対話(Talks with Sri Ramana Maharshi)』

Talk.495  1938年5月29日 (抜粋)

訪問客:
 人は欲望を放棄する前に、欲望の充足により満足しなければなりません。

バガヴァーンは微笑み、割って入りました:
 炎の上にアルコールを注いで火を消すほうがまだましです(みな笑う)。欲望がより満たされるにつれ、サンスカーラはより深くなります。サンスカーラは現れなくなる前に弱まらねばなりません。その弱まりは、欲望にふけることによってではなく、自制によってもたらされます。

信奉者:
 どのようにして欲望を弱められますか。

マハルシ:
 知識によって。あなたはあなたが心ではないと知っています。欲望は心の中にあります。そのような知識は人が欲望を制御するのを助けます。

信奉者:
 しかし、欲望は我々の実際の生活において制御されません。

マハルシ:
 あなたが欲望の満足を試みる時にいつも、思い留まったほうがいいという知識がやってきます。そのようにくり返し思いだすことによって、やがて欲望は弱まります。あなたの本質は何ですか。いったいどうしてそれを忘れられるのですか。目覚め、夢、眠りは心の様相に過ぎません。それらは自らにはありません。あなたは、それらの状態の目撃者です。あなたの本質は眠りの中で見出されています。

Talk. 523 1938年10月2日

 巡礼者の特別列車がベンガルから数名の訪問者を連れてきました。彼らの1人は、ポール・ブラントン氏の本を読み、それ以来、バガヴァーンに会いたいと切望していたと言いました。彼はまた、「どのように私は私の感情に打ち勝てばいいのでしょうか」と尋ねました。

マハルシ:
 感情の根元を見つけなさい。そうすれば、それは簡単です。

 (あとで)感情とは何ですか。カーマ(欲望)、クローダ(怒り)などです。どうしてそれらが生じますか。見られる対象物に対する好き嫌いのためです。どのようにして対象物があなたの視界にそれ自体を映し出しますか。あなたのアヴィドヤー、つまり、無知のためです。何についての無知ですか。自らについてです。従って、あなたが自らを見つけ、その中に留まるなら、感情のための問題は起こりません。

 (後に)再び、感情の原因は何ですか。幸福でいたい、または、楽しみを味わいたいという望みです。どうして幸福への望みが生じますか。なぜなら、あなたの本質は幸福そのものであり、あなたが本来権利をもつものを得るのは自然なことであるからです。この幸福は自ら以外のどこにも見つかりません。それを求め、他の場所を探さないように。それよりも、自らを探し、その中に留まりなさい。さらにまた、自然であるその幸福は、ただ再び発見されるだけであり、失われるはずがありません。しかしながら、他の対象物から生じる幸福は外側にあり、そのため、失われやすいのです。ですから、それは永遠になるはずはなく、追求する価値はありません。

 さらに、楽しみへの渇望は推奨されるべきではありません。人は燃える火を、その上にガソリンを注ぐことによって消すことはできません。後で感情が抑制されるようにと、渇望をさしあたり満たそうとする試みはまったく愚かです。

 確かに、感情の抑制のための他の方法があります。それらは、①制限された食べ物、②断食、③ヨーガの修練、④薬です。しかし、その効果はつかの間です。その抑制が取り除かれるとすぐに、感情はより力づよく再び現れます。それに打ち勝つ唯一の道は、それを消し去ることです。上に述べたように、感情の源を見出すことによって、それはなされます。