2014年1月22日水曜日

シヴァリンガ(シヴァの象徴)とヴィブーティ(聖なる灰)の本来の意義

◇「山の道(Mountain Path)」、1972年1月 p23~25

シヴァリンガとヴィブーティ

ルーシー・コーネリッセン
 シヴァリンガの意義に関する以下の有益な助言は、故スワーミ・サンティナートの著書である『Experiences of a Truthseeker』の中の「Note on Sivalinga」の章に基づいています。 
 ヴィブーティに関する文章は、ポンディチェリのL'Institut Francais d'Indologie の出版物である『Somasambhupaddhati』の中のこのテーマへの脚注に従います。著者はフランス人のサンスクリット語学者であるエレーヌ・ブルンナー・ラショー女史です。彼女はバガヴァーンの信奉者であり、彼女がポンディチェリに住んでいた時、長年アーシュラムを頻繁に訪問していました。
   南インドへの外国からの訪問者は、その最初の一歩からシヴァ神崇拝の二つの最も偉大な象徴に出会うことに気づきます。それは主シヴァの表現であるシヴァリンガ、そして、白い印であるヴィブーティであり、それによってシヴァ派はマハーデーヴァ、偉大なる神の崇拝者であると自認しています。

 しかしながら、その象徴の1番目のシヴァリンガは、依然として主の創造的な力の象徴として頻繁に誤って解釈されています。2番目のヴィブーティ、聖なる灰の意味はほとんど知られていません。

 リンガは多くの意味を持つサンスクリット用語であり、その第一の主要なものは「~の現れ(兆候)」です。煙は、火の現れ(リンガ)です。黄土色の衣服は、サンニャーサの現れ(リンガ)です。あるものの一部がその全体のリンガであり、概念などにおいていつも全体に関係づけられています。そのようにリンガは一種の印でありますが、シヴァリンガの場合「創造的な力」という狭い意味に限定されません。それはサンスクリット用語で男根を意味するシシュナやウパシュタと同意語ではありません。特殊な場合のみ、特殊な文脈に関連して、その遥かに派生的な特殊な意味においてそれは使われます。

 仮にリンガという用語とそれに与えられる形が、神の創造的や生産的な力を本当に意味しているなら、この言葉とこの形はブラフマーに用いられるほうがより適切でしょう。ブラフマーは全インドで創造者と思われていて、至高の神の創造的側面を象徴していますが、主シヴァは破壊の側面を表しています。

 見識ある崇拝者にとって、主シヴァは真の知という永遠の理想、完全な自らの実現という理想、絶対的な解放という理想です。彼はヨーギーシュワラ、ヨーギの主であり、トゥヤーギーシュワラ、世俗を放棄した人々の主です。彼らによって、シヴァは永遠に実現された放棄という理想の完全な具現(自ら)と考えられています。彼は欲望の神、カーマの破壊者であり、自我という悪魔、トリプラーシュラの殺害者です。

 その宗教的経歴のまさにそのはじめから世俗から顔をそむけ、みだらな衝動を精神的進歩の障害すべての中で最悪のものとみなすヨーギやサンニャーシが、発生や創造の概念と関連し、心に性的な意識を目覚め続けそうな象徴の崇拝を精神的な自己鍛練の一部として採用することが考えられますか。また、破壊の神、多様性からなる世界の消滅の原因であると考えられている神が創造的な力と行為を暗示する象徴により表されるべきであると思うのは理にかないますか。では、シヴァリンガの本来の意義はどうなっていたのでしょうか。

 最初期の時代から、インドの宗教的な人々は深遠な概念を目に見える象徴(リンガ)に関連付けました。シヴァの崇拝者は、彼らの生命である至高の神、彼らの崇拝と瞑想の最高の対象を光輝くの炎(ジョーティ・シカー)、または、光の柱(ジョーティ・スタンバ)と関連付けます。光は真実の知を表す普遍的な宗教的象徴(リンガ)であり、無知の暗闇を破壊し、無知から生まれるあらゆる類の束縛と悲しみから人を解放します。タットヴァ・ジニャーナ(*1)の炎は一切の欲望と情欲、一切の愛着と嫌悪を焼き払います。シヴァ派のヨーギは、ヨーガや瞑想を修練している間、彼らの前で光(ジョーティ)をともし続ける習慣があります。彼らは、そのような非物質的な光の落ち着いた輝きが、集中の上達と共に体の内で実際に体験されると証言します。

 ヨーギやサンニャーシがこの象徴(リンガ)を採用したのは、彼らの見解では、それが絶対的現実である至高の神の最も普遍的で、非宗派的な象徴であるからです。それは男性の形でも女性の形でもありません。それは特定の神や女神でもありません。それは『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』(*2)の言葉では、体も五感も、等しい者も優れた者も持たないが、様々な方法で姿を表し、その超越的な本質に内在する完全な知、完全な権威、完全な活動性を伴う至高の力を永遠に授けられている一者(神)の独特の表現です。

 炎や光の柱の姿であるシヴァの一般的な崇拝のために、石や土が光の代わりに用いられ、ジョーティ・リンガはプラスターラ・リンガ(石の象徴)やムリド・リンガ(土の象徴)の形で永久的に聖地に打ち立てられました。一般的に、それはシュマシャーナ(火葬場)や人里離れた山や森に見つかりますが、そのようなシュマシャーナの多くがそのうちに大都市(たとえば、ベナレス)へ成長し、山や森は巡礼の聖地(たとえば、アルナーチャラ)へ成長しました。

シヴァリンガの本当の意味曲:「シヴァ・ターンダヴァ・ストートラ」

 シヴァリンガが敬虔なヒンドゥー教徒にとって至高の神の象徴としてあるので、ヴィブーティは完全な崇拝者を象徴します。なぜなら、純粋さと平静において完全となった者のみが神に近付いても良いからです。

 ヴィブーティ、聖なる灰(*3)は、「力、光輝」(バシタ)を意味します。それは効果的であるためには「灰色でも赤色でも黄色でもなく」、白でなければなりません。

 通常の語源学によれば、バスマという用語は「(火により)粉々にされたもの」、すなわち、灰を意味します。しかし、全ての聖典によれば、「牛のふんから作られる聖なる灰」を意味します。

 バスマという用語の象徴的説明は、多くの異なる方法で与えられます。バルツ(消し去る)という語根を取り、「それが一切の罪と一切の不純を消し去る(バルツァティ)から」と読み取る人もいます。しかしながら、バスは「輝く」を意味する語根としても取れ、バシタという用語はそれに従って説明されます。または、バは存在の制約や成ること(バーヴァ)が終わりを迎えるという事実を指し示し、記憶や思い(スマラナ)を指し示すスマは「生と死の循環の停止が達成されるべき目的であるのをいつも思い出すこと」を意味するかもしれません。

 儀式的に正しいヴィブーティの準備は、『スヴァヤムブヴァ(・アーガマ)』(*4)によれば、以下のように行われねばなりません。儀式的行為における慣例では、三つの選択肢が提供されます。①理想的な規則(カルパ)、②より厳密でない方法(アヌカルパ)、③なお容認できる選択肢(ウパカルパ)です。

 カルパの方法によれば、カピラ乳牛(*5)(もしくは、赤か、白か、黒色の牛)のふんを土に触れる前に、蓮や睡蓮の葉か花弁の上でか、もしくは手によって、また、さらには牛小屋の中で集めなければいけません。ふんをサドヨージャータ(・マントラ)を意味する五つのブラフマ・マントラ(*6)を逆さに唱えながら手に取り(?)、ヴァーマデーヴァ(・マントラ)と共に丸め、アゴーラ(・マントラ)と共に乾かし、タットプルシャ(・マントラ)と共に燃やし、イーシャーナ(・マントラ)と共に灰を集めます。アヌカルパの方法によれば、森で乾いたふんを集め、それを粉にし、牛の尿の助けにより一種の生地を作り、それから焼きます。ウパカルパの方法では、森の火から集めるか、牛小屋で灯された火から集め、それを燃やします(?)

 全てのアーガマがこのように規則に従って用意された灰は純粋であると認めています。灰は特別なマントラによりさらに浄化される必要はありません。実際に使う時にだけ、その上にサンヒターマントラを唱えることにより清められねばなりません。灰は左の手のひらに置かれ、マントラを唱えながら、それに右手で触れます。この後、ヴィブーティの一部の奉納が、南西の方角、ニルリティ(*7)の住まいへ投げることによって、アーシュラ(悪魔)に行われます。それから、沐浴に進みます。それは対応する五つのマントラを唱えながら、頭から足までヴィブーティにより全身を清めることをまず第一に意味します。この儀式の名前はウッドゥーラナです。

 アゴーラ・シヴァーチャーリヤ(*8)によれば、沐浴はもう一つの儀式によって仕上げられます。それは、中指3本をヴィブーティに浸し、体の色々な部分に特別な印(最も多くは、トリプンドラという名の3本の水平な線)を塗ることです。ほとんどの聖典が手順はカーストによると主張します。しかしながら、それぞれ(の聖典)が独自の特別な規則を持っています。本来、それは単に様々な集団やカースト間の身分証明の手段であったかもしれません。

 それが元来どうして定められていたのかを正確に知ることは困難です。しかしながら、アーガマはトリプンドラの象徴性にこの説明-3本の線はブラフマー、ビシュヌ、ルドラを表し、同時にトリシューラ(主シヴァの武器)、三つの時、三つのシャクティなどを表す-を与えます。他方では、それらの印のつけられた場所は(瞑想のための)神の姿に関係し、その一覧は、もちろん、言及される場所の数によります。

 聖なる牛の全ての産物のように、そして、火そのものと同じように、牛により提供され、火によって変化したヴィブーティは、終には、とりわけ清浄になります。『スプラボーダーガマ』(*9)の第一の側面(?)を強調し、それに「バスマシュナナ」の章の3分の2を費やし、牛とその六つの産物-ふん、尿、乳、バター、凝乳、ゴロチャナ(乳牛の胆汁から作られる顔料)-の長所を思い出させます。他の聖典は第二の側面(?)を強調します。しかし、全て(の聖典)は全ての儀式の前に絶対的に必要であり、その報いが飛びぬけて優れたものとしてこれらの沐浴を賞賛している点で一致しています。

 いくつかの聖典は、規則に厳密に従わない人々、もしくは、聖なる灰を地面に落してしまう人々に予期される恐ろしい罰も描写しています。明らかに、それらの文章は定められた儀式の重要性を強調するために意図的に誇張されています。ドヴィジャ(・ヴァルナ)(*10)が神や火や師や他の賢者の前でヴィブーティでの沐浴を行うことを避けねばならないのも言及されるべきです。彼らはとても低いカーストの人に見られながらヴィブーティをつけても、路上やその他どのような不浄な場所でつけてもいけません。

 いずれにせよ、シヴァはシヴァのみが崇拝することができます。つまり、崇拝の儀式によって自分自身をシヴァへ変えた人によって。ヴィブーティは、目に見えない聖なる変容の目に見える象徴です。

(*1)タットヴァ・ジニャーナ・・・真理の知
(*2)シュヴェータシュヴァタラ・ウパニシャッド・・・108あるムクティカー・ウパニシャッドの14番目。
(*3)聖なる灰・・・webで検索したら、聖なる灰は、①ヴィブーティ②バシタ③バスマ④クシャーラ⑤ラクシャーの五つあるという説明もあれば、ヴィブーティの別名がバスマなどであるという説明もありました。
(*4)スヴァヤムブヴァ(・アーガマ)・・・28あるシャイヴァ・シッダーンタ・アーガマの1つ。シャイヴァ・シッダーンタの詳しい解説(
(*5)カピラ乳牛・・・インドのカルナータカ州の珍しい品種の乳牛。小さい品種で、乳の量は少なく、乳に高い薬効と高い治癒性があり、聖なる牛とみなされているようです(
(*6)パンチャ・ブラフマ・マントラ・・・ムクティカー・ウパニシャッドの7番目の『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』にあるシヴァの五つの姿を通じてシヴァを讃えるマントラ。五つの姿は、パンチャキリトヤ(創造・維持・破壊・覆い・恩寵)に対応している(
(*7)ニルリティ・・・死と堕落の女神。ディクパーラ(方角の守護神)の一人。
(*8)アゴーラ・シヴァーチャーリヤ・・・12世紀の優れた解説者のようです。
(*9)スプラボーダ(スブラバ、スプラベダ)・アガマ・・・28あるシャイヴァ・シッダーンタ・アーガマの一つ。
(*10)ドヴィジャ・・・バラモン、クシャトリア、ヴァイシャの三つのヴァルナ。「2度生まれる」を意味する。

2014年1月18日土曜日

あなたは体ではなく、自らである - 体の苦しみから学ぶべきこと

◇「山の道(Mountain Path)」、1975年4月 p83、84

あなたは体ではない

マリー・B・バイルズ

 現代医学は重要なのは人の体であり、それを健康にする-もしくは健康にしようと試みる-ことであると思っています。たとえ患者が大変に高齢な時も、体を少しでも長く、さらに少しでも長く生きたままに保つためにあらゆる努力がなされます-それも、必要ならば痛々しい手段でもって。

 「彼らはいつも彼に何か新しい治療を与えます」と患者の娘は嘆きます。「そして、たいていそれはとても痛々しいのです」。

 看病する妹は高名な専門医に、「お医者さん、どうしてその人が死ぬまで検死解剖を待てないのですか」と言いました。医者は科学者でした。彼は面白くありませんでした。

 ある女性が自動車事故でひどい怪我をしました。すぐに彼女は最寄の病院の集中治療室へ担ぎ込まれ、彼女の体に命を連れ戻す-少なくとも一時的に-あらゆる努力がなされました。そして、看護婦と医者は体を十分なものにすること-再び、少なくとも一時的に-が近頃、大変上手です。私はかつて牧師が教会の病院で長い祈りの言葉を病人の枕もとで唱えているのを聞きました。彼は神にどのように神がその人-つまり、その人の体-を健康にすべきか教えていました。神に何をすべきか教えるのは少し余計なことのように思えましたが、それは置いておき、我々は神への完全な委ねからのみもたらされうる内なる安らぎへの何らの言及もなかったことを見過ごせません。牧師は体の物理的な回復をもたらす楽観的な見通しを目指しました。その後、私は本当はただ一つの祈り、「主の御心のままに」だけがあると控え目にそれとなく言いました。しかし、彼が私が意図したことを知っていたのかさえ私は疑問です。

 それから、西洋では挨拶の形式があります。「おかげんいかがですか」、または、「調子はどうですか」。確かに、それは単なる形だけの行為であり、質問者は問われた人が彼の不満を事細かに話し始めるなら、それを歓迎しないものですが、再びまた言及されているのは体です。

 私が述べた全ては西洋に当てはまり、東洋の人々は精神的本質をもっと意識していると抗議されるかもしれません。私はそれが正しいと信じたいのですが、西洋を模倣しようとする熱狂のため、すでにそうでなくても、私が言ったことが東洋にも当てはまるようになるのを恐れます。そして、ラマナ・マハルシに会いにやってきた人々は、彼が「調子はどうですか(How are you?)」という質問を尋ねるのを控えることによってでなく、「あなたは誰か(Who are you?)」という質問を尋ねることによって、彼らが体でないということを度々思い出さなければなりませんでした。

 2500年前、ゴータマ・ブッダは同じ質問、もしくは、それに似たものを提起したようです。彼の優れた弟子であるサーリプッタは、病気で、年老いたナクラピター(*1)に、「あなたは体ではありませんね?」と言いました。ナクラピターはブッダとの面会から戻ったばかりで、幸福に輝いていました。彼はそれは神の飲み物を振りかけられたかのようだと言いました。彼は、「ええ、私は体を持ち歩いているだけです。師は幸福を求めて体に依存することは、常に変化し、朽ちていくものに依存することであり、自らの内に常に存在する避難所、人生の苦しみの嵐のただ中の避難所である島(安全な場所)があるとおっしゃりました」と言いました。論理的な性格のサーリプッタはその教訓をさらに説明しました。「ええ、その通りです。多くの人は彼ら自身を彼らの体と同一視し、実際は体が苦しむということを彼らが言わんとする時に、『私は苦しい』と言います。しかし、八正道の弟子は、『私は体ではない』と言います。その時、彼は痛みへの嫌悪を感じません。なぜなら、彼はもはや彼の体に所有されていないからです」。

 時代を通じ、キリスト教会の信者は、奇跡や医者や信仰によってであれ、体の癒やしに大きな注意を払ってきました。それによって彼らは、癒やしという偉大な奇跡を行ったと伝えられているキリストの歩みに従っていると思いました。我々は彼が体の癒やしか、自らの探求-彼自身の表現を使うなら、神の王国(の探求)-のどちらにもっとも重きを置いたのかは決して分からないでしょう。どのように彼が癒やされた人に「行きなさい、もう罪を犯してはならない」と告げたかの、あのとても興味深い記録があります(*2)。ですから、彼が癒やしの奇跡を彼の御業の中のもっとも重要ではないものとしてみなしていたこともありそうです。

 確かに、全ての人に援助の手を差し伸べることは、人生における我々の務めの中の一つです。しかし、憐れみを抱き仕事を行う献身的な看護婦の仕事の中には、同様に仕事を行うごみ掃除人の仕事の中にある以上の美徳はありません。仕事が行われる精神のみが問題です。それゆえ、体のためになされる仕事に付与される重要性が、人生の主要な探求、五感が知覚できる全てを超えた自ら(もしくは、神の王国)の探求に反していないのか問われるかもしれません。我々は誰なのか。我々は明らかに体ではありません。不死なる者、無形の者、無限で触れられない者が存在します。

 「体をひとりでに話させよう」とマルクス・アウレリウスは言いました。我々自身を体、すなわち、移ろいゆくものと同一視することにより、我々は自らの探求を妨げているだけでなく、この探求を進めるために痛みや苦しみが我々に与える機会を見過ごしてもいるのです。アメリカ人の仏僧であるスマンガロは、その晩年に心の病を治す能力を得たことに不意に気づきました。300人ほどを治した後、彼は治った人々の中の3人だけが道徳的、もしくは、精神的に利益を得たという事実に気づきました。残りの人々は「狭量さ、自己中心性、悪意ある噂話、悪賢い商法、好色、姦淫、暴食など」という以前の生活へと戻りました(*3)。どうして彼らをそのままにしておかなかったのか、それが彼の受け取り方でした。彼らは地上での人生の第一の目的を見つける道はもちろん、病から何も学びませんでした。

 我々はどうして体の苦しみが来たのか、どうしてある場合には治り、別の場合には治らないのか分からないかもしれません。我々はそれぞれ異なる理論を持っていますが、我々の誰も実際は知りません。我々が知ること、それぞれが自分の体験から見出しうることは、体の苦しみから我々が学べる教訓がいつも存在するということです。そして、我々は愚かにも我々が学べる教訓を含む何を差し置いても体を治療をします。そして、我々が絶望や、より悪いことに自殺へと逸れるならばさらにいっそう愚かなことです。

 体の治癒や体の死は、瑣末なことです。自らを見つけることが肝要です。「どちらを探しに行くのが良いでしょうか」とブッダは言いました。「あなたの所持品を持って行った女性ですか、それとも、自らですか」。ブッダの抗しがたいほほ笑みのもとに若者はもちろん、「自らです」と答えました。仮に選択肢が病気の体の治癒であるなら、我々は同じように答えないでしょうか。

 弁護士という私の職業において、私はよく病人や年配の人が遺言書を作るために呼ばれます。その中に老人ホームにいる老齢の女性がいました。彼女は関節炎のため不自由な体で、絶えず痛みがあり、二人の看護婦が部屋に入るのを手助けしなければなりませんでした。彼女は偉大な聖なる師から輝き出たに違いない何らかのものを放射しているようでした。私は彼女につらい老年における彼女の喜びに満ちた落ち着きの秘訣を尋ねました。彼女は、「それはきっと私が感謝すべき大変多くのことを持っているからだと思います」と答えました。感謝!たいていの人は「不平をいうべきたいへん多くのこと」を話したものです。しかし、彼女は病を祝福として受け入れました。彼女は回復しませんでしたが、健康よりも価値ある何かを得ていました。私は彼女が実践的なカトリック教徒であると教わりました。彼女の宗教の外側の形がなんであれ、彼女は苦しみを通じて自我という障害を少しずつ崩してくことを学び、「委ね」ました。

 ラマナ・マハルシはよく「委ね」という用語を使いました。この女性は、「私のくびきを負うて、私に学びなさい」(*4)というキリストの言葉を引用したでしょう。女性がそれを説明する方法がどんなものであれ、彼女は確かに彼女が体ではないと学んでいました。

 しかし、これを記す私は誰なのか。私はいまだ痛みに嫌悪を感じ、つかの間の健康に得意げになります。私が言える全ては、私が起こっていることに気づいており、いまだ体の束縛の内いるのを認めているということです。最後に思うこと-我々が体であるという我々の西洋的信念が、死への恐れ、そして、どれほど苦痛であっても意図的に延命を行う原因ではありませんか。

(*1)『サンユッタ・ニカーヤ(Samyutta Nikaya) 』、22. 1「ナクラピター・スッタ(Nakulapita Sutta)」
(*2)「ヨハネによる福音書」、5章にこの話があります。
(*3)原注、『The Light and the Gate』  R. C. Johnson著から
(*4)「マタイによる福音書」、11. 28-30、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたくしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」

2014年1月11日土曜日

祝!100周年、「文字で編まれた婚礼の花輪(アクシャラ・マナ・マーライ)」

 「文字で編まれた婚礼の花輪(アクシャラ・マナ・マーライ)」は、1914年にシュリー・ラマナにより作られた詩です。今年、2014年は、詩が誕生して100周年に当たります。 そのことを記念して書かれた記事(*1)がラマナーシュラマムのHPにアップされていたので、以下に翻訳します。
 「文字で編まれた婚礼の花輪」の日本語訳は、このブログの右側にあるラベル「婚礼の花輪」からジャンプできます。(文:shiba)

オーム・ナモー・バガヴァテー・シュリー・ラマナヤ

アクシャラ・マナ・マーライ- 100周年



 「無欲が知恵である」-シュリー・ラマナ・マハルシは、「私は誰か」という独創的で力強い作品の中でそう教えています。シュリー・ラマナ・マハルシの追随者は聖なる目的として無欲を求めて励みます。

 無欲に専心する真理の探求者さえも、食べ物や水を見つけるというような生命を維持する行為に従事しなければいけません。ヒンドゥー教の隠遁者は、無欲と謙虚さを培(つちか)うための手段として、施しによって生きることが許されています。

 ラマナ・マハルシと交際していた隠遁者たちの中には施しによって生きる人々もいました。彼らは主の賛歌を歌いながら、ひとまとまりの集団で町に出かけました。

 施しを求め山を降りる前、サードゥは法螺貝を吹き鳴らし、彼らに食べ物を与える町の敬虔な住民へ最初の知らせを寄こしました。再びもう一度、彼らは山のふもとで法螺貝を吹き鳴らし、施しを求めて町に彼らが到着したことを知らせました。町の人々は山で生活していたラマナ・マハルシとの彼らの交際へ敬意を表して、彼らに沢山の食べ物を丁重に差し上げました。

 ラマナ・マハルシの支持者でない人々がマハルシの信奉者への家住者の特別な気前の良さを知るまでは、この取り決めはうまく行きました。彼らもまた集団を作り、法螺貝を吹き鳴らし、伝統的な主の賛歌を歌いながら通りを歩きました。意図的に、彼らはマハルシの信奉者より少し前に、食事を集めるために巡回し始めました。気前の良い家住者は、バガヴァーンの本当の信奉者と似たような装いをして似たような主の賛歌を歌う詐欺師とを区別できませんでした。マハルシの信奉者は乏しい集めたものを持って帰り、空腹を忍受せねばなりませんでした。

 信奉者はなりすましにより苦しめられ、彼らの救い主、不運を幸運へと変える無比なる力を持つアルナーチャラの無限の慈悲の具現者であるラマナ・マハルシを頼りました。マハルシの弟子であるペルーマル・スワーミーは、彼らにラマナ・マハルシの存在を確かなものにし、彼の真の支持者としての彼らの本当の立場を世界に明らかにするただ一つしかない祈りを彼に作るように頼みました。

 食べ物を請い求めに出かける人々は普通、「サーンバ・サダーシヴァ、サーンバ・サダーシヴァ、サーンバ・サダーシヴァ・ハラ・ハラ」(*2)という繰り返しと共に歌を歌います。はじめ、マハルシは「アルナーチャラ」という繰り返しと共に似たような数詩節を作り、止めました。ペルーマルは次の詩節を待ってたのですが、がっかりしました。ある日、マハルシは一人でギリプラダクシナへ出かけました。その日、主アルナーチャラの恩寵を喚起する108詩節が、マハルシのハートの深淵から、絶えることのない泉のごとく湧き出ました。

 この歌のまさにその名前がその趣旨(バーヴァ)を明らかにしています。花嫁はジーヴァ(マハルシ自身)であり、花婿は主アルナーチャラでした。マハルシは花嫁が花婿を恋い慕う状況を創作し、そうして歌を作りました。

 普通、恋い慕う恋人の言葉は哀れっぽいものですが、それに献身が伴う時、その効果は理想的なものとなります。花嫁は自己憐憫、気恥ずかしさ、成熟性、拒絶されることの苦しみのような様々な感情を表します。これら全ては、バクティ(献身)とシュリンガーラ(情熱的な愛)の驚くべき混合により、この詩を絶妙なものにしています。牛乳の中の砂糖のように、詩は知恵のウパデーシャにも富んでいます。もとのタミル語において、用いられる言葉は一つ以上の意味を持っており、それは完璧な翻訳を不可能にしています。アーシュラムでこの歌を歌い、耳を傾ける人々は喜びに圧倒されます。バーヴァが甘美であり、言葉が優美に均整が取れたものである時、それもそのはずです。この歌は信奉者の心を落ち着ける効果を持ちます。

 その聖歌の最初の効き目は、食料不足という問題を解決することでした。『Day by Day with Bhagavan』で、バガヴァーンが、「アクシャラ・マナ・マーライは長年、信奉者を食べさせました」と言ったことが記録されています(*3)。この歌の力は、アルナーチャラの恩寵によりただ日々の食事の配給を保証するだけよりも、はるかに優れたものです。それは我々がどこに住もうとも、アルナーチャラとシュリー・ラマナ・マハルシの存在を我々に確かなものとします。

 シュリー・ラマナ・マハルシは信奉者たちが望むどこででも彼の恵み深い存在を容易にもたらせるように、彼らへの贈り物として、アクシャラ・マナ・マーライに彼の愛情(ハート)を注ぎ、彼の聖なる力を授けました。この聖なる詩は、定期的に歌われるなら、アルナーチャラ(マハー・グル・シュリー・ラマナ・マハルシ)という守護の傘を授けます。それは信奉者に直面する障害を取り除き、日々の生活において彼を導く力を持ちます。

 「アクシャラ・マナ・マーライ」が生まれてから、100年が経ちました。この100年ごとの出来事は、アーシュラムとラマナ・マハルシに捧げられる全てのセンターで、アクシャラ・マナ・マーライの毎日の詠唱を挙行することにより祝われます。全ての信奉者がアクシャラ・マナ・マーライを熱心に学び、歌いますように!彼らみながアルナーチャラとラマナ・マハルシがその至高の象徴である自らの知を得る努力に勝利しますように!「アクシャラ・マナ・マーライ」という不滅の作品により明らかにされるラマナ・マハルシの存在の力により、全ての人々が利益されますように。

(*1)http://www.sriramanamaharshi.org/resource_centre/akshara-mana-malai-100-years/
(*2)サーンバ・・・聖母と共にいる、サダーシヴァ・・・永遠のシヴァ(吉祥)、ハラ・・・破壊者、シヴァ神の別名
(*3)『Day by Day with Bhagavan』の1945年12月9日の記事の最後に、「バガヴァーンはユーモアたっぷりに、『文字で編まれた婚礼の花輪は長年、我々を食べさせました』と付け加えました」とあります。

2014年1月1日水曜日

シヴァ神の祝祭 - カールティカイ・ディーパムとマハー・シヴァラートリ

◇『シュリー・ラマナーシュラマムからの手紙(Letters from Sri Ramanasramam)』

2013年、ティルヴァンナーマライ、カールティガイ・マハー・ディーパムの様子

1947年9月20日
(145)アルナーチャラ

 4、5日前、ギリプラダクシナへ行こうとする信奉者たちが私に同伴するように頼んだので、私はバガヴァーンの許可を得た後、彼らと共に行きました。私たちがアーディ・アンナーマライ(*1)に到着した時、雨が降り始めたので、私たちは道沿いの小さなムット(*2)の中へ避難しました。私はそこにいたサードゥに、「このムットは誰のものですか」と尋ねました。「マーニヴァーチャカル(*3)のものです」と彼は答えました。私がムットが建てられることになった事情を尋ねた時、彼はあらゆる類の話を語りました。私は彼が言ったことを正確には理解できませんでした。それでも、バガヴァーン自身から後で必要な情報を得ようと期待して、さらに質問せず、私は彼の話を辛抱強く聞きました。

 昨日、私はこれについて尋ねる機会を待ちましたが、バガヴァーンは「カレーシュワラ・マーハートミャ」のスンダラムールティ(*4)についての話を読むことに忙しくしていました。この「カレーシュワラ・マーハートミャ」は『ブラフマ・ヴァイヴァルタ・プラーナム』(*5)の一部です。彼はスンダラムールティに関連する部分を私たちに読み上げました。スンダラムールティはカレーシュワラ寺院(*6)に行こうとしましたが、そこに入る前に、対面にあるガジャ・プシュカリニ池に沐浴に行きました。彼が沐浴の後で池から出た時、彼は寺院が消えていることに気づきました。それで、スンダラムールティはいくつか歌を歌い、主のダルシャンのために寺院へ最初に行かずに、沐浴のために池に行ったことの後悔を表しました。その後、寺院は再び現れました。その話についてもう少し読んだ後、バガヴァーンは、「はじめ、全てのものは彼にとって大きく広がった水面であり、それ以外の何ものでもなく、後にジョーティ(*7)として現れました」と述べました。

 ある信奉者が、「アルナーチャラもまたジョーティの形であると言われています」と尋ねました。「ええ。そうです。人の目には、それは土と石の形にすぎませんが、その真の形はジョーティです」とバガヴァーンは言いました。この機会を捉え、「アーディ・アンナーマライにマーニッカヴァーチャカルという名前のムットがあります。それがそのように名付けられた理由は何でしょうか」と私は尋ねました。「ああ!それですか。彼は巡礼でティルヴァンナーマライへも来たようです。それから、彼は特にその場所に立ち、アルナギリに呼びかけ、『ティルヴェムパーヴァイ』(*8)と『アムマーナイ』(*9)という歌を歌いました。そのために、記念してムットがそこに建てられたのです。あなたは『ティルヴェムパーヴァイの歌』について聞いたことがあるはずです。その数は20です。アーンダール(*10)は主クリシュナを賛美して30の歌を歌いました。ムルガナールもまた、同じ旋律で、私を賛美して歌を歌いました」とバガヴァーンは言いました。

信奉者:
 この山はどうしてアンナーマライという名を得たのですか。

バガヴァーン:
 ブラフマーとビシュヌによって到達できないものが、アンナーマライです。それは言葉や心を越えているジョーティの顕現したものを意味しています。アンナは「到達できない」という意味です。それがその名の理由です。

信奉者:
 しかし、山は姿形をもっています。

バガヴァーン:
 ブラフマーとヴィシュヌがそれを見た時、それは全世界を包む光の柱のように見えました。ただ後になってそれは山のように見えました。それはイーシュワラのストゥーラ・シャリーラ(*11)です。ジョーティ自体が、スークシュマ・シャリーラ(*12)です。それらすべての体を超えてあるものが、現実です。スークシュマはテージャス(*13)を意味します。

信奉者:
 スンダラムールティにとってさえもそれは同じことでしたか。

バガヴァーン:
 ええ。はじめ、それはジャラマヤム(*14)のように見え、次にテージャスとして、最後に人の目にとってそれは寺院のように見えました。マハートマーはいつも神の目によって見ます。ですから、彼らにとって一切のものは純粋な光、または、ブラフマンとして見えます。

ナーガムマ:
 バガヴァーンはアルナーチャラ・リンガの誕生や出現についてのパドヤム(詩節)を書いたと思いますが、正しいでしょうか。

バガヴァーン:
 ええ。私はそれをヴィクラマ年(*15)のシヴァラートリの日に書きました。その時、誰かがそれを頼んだのです。おそらく、私はそれをテルグ語でも書きました。

ナーガムマ:
 ええ。そのテルグ語のパドヤムの中でリンガがアールドラー星(*16)の日にダヌルマサムに現れたと述べられています。ヴィシュヌとデーヴァたちは彼らに神のヴィジョンを与えたシヴァを崇拝しました。それはクンバ月(*17)でした。もともとの話は何ですか。クリティカ星(*18)に関連した祝祭を行う理由は何でしたか。

バガヴァーン:
 ああ!それですか!ブラフマーとヴィシュヌはより偉大なのは誰なのか言い争っていました。カールティカ月(*19)、クリティカ星の日に、彼らの間に光り輝く柱が現れました。その出来事を示すために、光の祭りが毎年その日に祝われます。知っての通り、ブラフマーとビシュヌは柱の始まりと終わりの無益な探索につかれました。失敗に落胆して、彼らはいつもの場所で会い、全能者である神へ祈りました。その時、主シヴァは彼らの前に柱の中から現れ、恵み深く彼らを祝福しました。彼らの要望で、彼は崇拝のために彼らが届く範囲に山と(寺院の)リンガの姿でいることに同意しました。彼もまた、彼らが彼をそのように崇拝するなら、しばらく後に彼はルドラの姿で現れ、彼らをできうる限りの方法で助けるだろうと言いました。それから、彼は消えました。その時以来、ブラフマーとヴィシュヌは、イーシュワラの約束によってダヌス月(*20)のアールドラー星の日に姿を表したリンガを崇拝し始めました。彼らが毎年毎年、クンバ月の後半、13日目/14日目の真夜中に崇拝を続けたので、シヴァはリンガから姿を表し、ハリとデーヴァたちに崇拝されました。それゆえ、その日は『リンガ・プラーナ』(*21)や『シヴァ・プラーナ(*22)で述べられているようにシヴァラートリと呼ばれています。ただその時以来、リンガの崇拝が始められたようです。アルナーチャラのみに最初のリンガが現れたと『スカンダ・プラーナ』(*23)では強調して述べられています。

(*1)アーディ・アンナーマライ・・・アルナーチャラ山の北西部にある寺院。アルナーチャレーシュワラ寺院より何百年も古い、最古の寺院。ここに最初のアルナーチャラ・リンガが現れたとされている。
(*2)ムット・・・matha、mataとも。宗教的施設。
(*3)マーニ(ッカ)ヴァーチャカル・・・タミル・ナードゥ出身のシヴァ派63人の聖者(ナーヤンマール)の1人。
(*4)スンダラムールティ・・・上と同じくナーヤンマールの1人。日本ヴェーダーンタ教会のHPにナーヤンマールの話がのっています(http://www.vedanta.jp/jp/contents/publishing/jbook-c/200622/200622-34b.html)。
(*5)ブラフマ・ヴァイヴァルタ・プラーナム・・・主要な18のプラーナの1つ。
(*6)カレーシュワラ寺院・・・アーンドラ・プラデーシュ州にあるシヴァ神を信奉する寺院。
(*7)ジョーティ・・・光
(*8)ティルヴェンパーヴァイ・・・http://www.youtube.com/watch?v=tAB9ewD8AYk、「ティルヴァーサガム」の一部。
(*9)アムマーナイ・・・http://www.youtube.com/watch?v=c-5D08uRTtU、「ティルヴァーサガム」の一部。
(*10)アーンダール・・・8世紀か、それ以前、南インドの12人の詩聖・アールヴァール(神に浸った人々)の中で唯一の女性。30の歌は、ヴィシュヌ-クリシュナへの献身を表した「ティルッパーヴァイ(http://www.youtube.com/watch?v=v5P8vVLeB9w&list=PLA77AB72FEBC1EE81&index=1)」だと思います。
(*11)ストゥーラ・シャリーラ・・・粗大な体
(*12)スークシュマ・シャリーラ・・・微細な体
(*13)テージャス・・・炎、輝き
(*14)ジャラマヤム・・・ジャラ(水)で満ちたもの
(*15)ヴィクラマ年・・・vikrama、60年周期であることから、1941・1942年を指していると思います。
(*16)アールドラー星・・・Ardura star、オリオン座の2番目に明るい星ベテルギウス。
(*17)クンバ月・・・・Kumbha、11番目の月、壺の意、みずがめ座。グレゴリオ暦の2月・3月にあたる。ヒンドゥー暦ではマーガという。
(*18)クリティカ星・・・Krithika star、プレアデス星団、おうし座。
(*19)カールティカ月・・・Kartika、ヒンドゥー暦の8番目の月、グレゴリオ暦の11月・12月にあたる。または、ブリシュチカ(さそり座)といわれる。
(*20)ダヌス月・・・Dhanus、9番目の月。弓の意、いて座。グレゴリオ暦の12・1月にあたる。ヒンドゥー暦ではアグラハーヤナ(マールガシールシャ)と言われる。
(*21)リンガ・プラーナ・・・18あるマハープラーナの1つ。シヴァの象徴・リンガの偉大さと宇宙の起源を描いている。
(*22)シヴァ・プラーナ・・・マハープラーナの1つ。シヴァ神の偉業を称えている。
(*23)スカンダ・プラーナ・・・マハープラーナの1つ。シヴァ神の次男スカンダの出生や巡礼地の説明をしている。

2016年、ティルヴァンナーマライ、山頂に火がともされています

◇『シュリー・ラマナ・マハルシとの対話(Talks with Sri Ramana Maharshi)』 

Talk 218. 1936年1月30日 抜粋

 マハルシは今日、『シヴァ・プラーナ』を調べていました。

マハルシ:
 シヴァは、彼の目に見えない超越的な存在とリンガの側面それぞれによって表されるように、超越的な側面と内在的な側面を持っています。はじめにアルナーチャラとして顕現したリンガは、今日までも立っています。この顕現は、12月に月がオリオン座(アールドラー)あった時に起こりました。しかしながら、それは今でも神聖であると思われているシヴァラートリの日に最初に崇拝されました。

マハーシヴァラートリの日のアルナーチャレーシュワラ寺院での様子だと思います

◇「バガヴァーンのアルナーチャラへの宣誓証言(Bhagavan's Deposition on Arunachala)」

 デイビッド・ゴッドマン氏のブログ(http://davidgodman.org/rteach/bhagdep1.shtml)からの抜粋です。ここでは、祝祭に関する部分だけを抜き出しています。(文:shiba)

マハルシ:
 彼の山がリンガ・スワルーパ、つまり、この山そのものが神であるというアイティヤ(伝承)があります。このアイティヤは他のどこでも見つかりません。それがこの地の栄光の理由です。この地の伝承は、この山は神の姿であり、その本質において、それは光で満ちているということです。毎年、ディーパム祭では、山の本質が光そのものとして祝われます。このための権威はヴェーダ、プラーナ、スートラの中に見出されます。この伝承がこの山がシヴァ・スワルーパであると主張しているため、敬意や崇拝の行為として山の周りを時計回りに歩くギリプラダクシナの修練が起こっています。私もまたギリプラダクシナを信じていて、それを体験していました。

 山と寺院を切り離すシャーストラは存在しません。山と寺院の不可分性はカールティカイ・ディーパムの間に見受けられます。(光をともす)祝祭は、寺院と山の頂上で同時に行われます。山が神の姿であるという伝承の更なる証拠は、半年ごとの祝祭に見ることができます。その中で、寺院のアルナーチャレーシュワラの像は山のプラダクシナを行います。

・・・

主アルナーチャラは山から姿を表し、ブラフマーとビシュヌの要望に応じ、山に戻り、溶け込んだ。同時に、彼は山のふもとにリンガとして現れた。山は主を表し続けている(バガヴァーンの詩、英語でしか残っていないようです)
・・・

 シヴァはいつも三つの形のままいます-①パラブラフマンとして、②リンガとして(ここでは山として)、③シッダとして(ブラフマ・ルーパ、リンガ・ルーパ、シッダ・ルーパ)。

・・・

 シヴァははじめ光の柱として現れました。懇願されるとすぐ、光は山の中に消え入り、リンガとして現れました。両方ともがシヴァです。

上述のシュリー・バガヴァーンの会話からまとめたシヴァ神の祝祭の流れ(文:shiba)

①カールティカイ月のカールティカイ星の日、11・12月ごろ 

 シヴァ神が光の柱として現れる。 ⇒ カールティカイ・ディーパム

  カールティカ[ガ](イ)はタミル語、クリティカ(ー)はサンスクリット語やテルグ語の発音です。

②ダヌス月のアールドラー星の日、12・1月ごろ

 シヴァ神がアルナーチャラ山に入り(の姿を帯び)、山のふもとにリンガが現れる。

 ダヌス月は、ヒンドゥー暦でマールガシールシャ、タミル暦でマールカリと言われます。

③クンバ月、後半15日間の第13日目~14日目の真夜中、2・3月ごろ (2018年は2月13日)

 はじめてヴィシュヌ神たちによって、シヴァ・リンガが崇拝される。 ⇒ マハー・シヴァラートリ

 クンバ月は、ヒンドゥー暦でマーガ月、タミル暦ではマーシ月と言われます。