29.死の間際の解放
ヴィシュワナータ・スワーミー
死と転生、束縛と解放というテーマにおいて、バガヴァーンの教えは、「死ぬのは誰か。生まれるのは誰か。再び生まれるのは誰か。束縛されているのは誰か。解放されるのは誰か」という探求を促すことでした。強力な自らの探求に通じるこの方法は、彼が明白に説くか、もしくは、純粋な不ニの真理を把握できる探求者らに静かに伝えたもので、彼らは質問者が存在していない自我であり、現実の自らは問うべき質問を持たず、誕生や死・束縛や解放に何の関わりもないことをすぐに学びました。しかし、バガヴァーンはまた、時おり、その教えを探求者の理解力に合わせ、純粋な自覚にいまだ準備ができていなかった人々の「より低い、臨時の見解」を認める用意がありました。ギーターの十一章で「誰も生まれず、誰も死なない」と断言し、四章で彼自身とアルジュナの「膨大な輪廻転生」について語るシュリー・クリシュナのように、バガヴァーンもその教えを変化させ、聞く者の心持ちや能力に合わせました。一般的なヒンドゥー教の教えは、誕生と死の輪廻からの解放は、人が神への献身と委ねにより成熟している時に、神の恩寵によって得られるというものです。相対的な視点から書かれているこの文章には、三つのそのような例が描かれています。
パラニ・スワーミーは、バガヴァーン・ラマナの最初期の信奉者の一人であり、何であれ世俗的なことへの無執着で特筆されます。バガヴァーンが昼夜サマーディに没頭して、グルムールタム(ティルヴァンナーマライの郊外の東部、ケールナトゥルの近くに位置するサマーディ神殿)に住んでいた時、パラニ・スワーミーは彼のことを耳にして行き、付添人として加わりました。彼はアルナーチャラのヴィルーパークシャ洞窟でのバガヴァーン滞在の最後まで、十六年以上も仕えました。
バガヴァーンがスカンダーシュラム(より高い場所にある彼のために新しく建てられた住まい)へ移った時、パラニ・スワーミーは独居のためヴィルーパークシャ洞窟に留まることを選びました。それから、折にふれ、バガヴァーンはそこに彼を訪れ、彼が弱りつつあることに気付きました。バガヴァーンは毎日、彼を訪れはじめ、できることは何でも手助けしました。
ある日、彼はヴィルーパークシャ洞窟からスカンダーシュラムに孔雀が大変興奮して飛んでくるのを見て、パラニ・スワーミーが危険な状態にいるのではないかと心に浮かびました。すぐにバガヴァーンは洞窟に下りて行き、彼の直観が正しいことが分かりました。パラニ・スワーミーは死の苦しみの中にいて、息が苦しく喘いでいました。バガヴァーンは右手を彼の胸に置き、彼のそばに座りました。パラニ・スワーミーの呼吸は穏やかになり、パラニ・スワーミーの胸の内で震えを感じた時、バガヴァーンは手を離しました。バガヴァーンは、これは生命が体の中で消える兆候であると言いました。しかし、バガヴァーンが手を離した時、まさにその瞬間、パラニ・スワーミーの目が開きました。「彼がハートに退いただろうと思ったのですが、彼は逃れました!」。バガヴァーンは加えて、「ハートでの即座の吸収ではありませんが、それは人が精神的体験のより高い状態に行く兆候であると言われています」と述べました。
『シュリー・ラマナ・ギーター』からの以下の文章が、ここで関心を引くかもしれません。
聖典によれば、ここで解放された者とブラフマローカへ行き、そこで解放を得る者の体験の間に違いは存在しない。
上の2人の体験と同一であるのは、ここでさえ(死の時に)、プラーナが純粋な存在に溶け込むマハートマーの体験である。
自らに住まうことはみなにとって同じであり、束縛の破壊はみなにとって同じであり、ただ一種のムクティしか存在しない。ムクタの間の相違は、他者の心にのみ現れる。
自らに住まい、いまだ生きているうちに解放を得るマハートマー、彼の生命の力もまた、ここでさえ自らの内に吸収される。 (第14章、5・6・7・8)
次に、地上における人生最後の日のバガヴァーンの母親、アラガンマルの例を取り上げます。彼女は長年ヴィルーパークシャ洞窟とスカンダーシュラムでバガヴァーンの間近で生活しており、精神的に向上していきました。彼女の人生最後の日-1922年5月19日-死が近づいてくる兆候に気付き、バガヴァーンは右手を彼女の胸に、左手を彼女の頭に置き、朝8時から夜8時まで彼女のそばに座りました。「それは母と私自身との間の闘いでした。彼女の蓄積された過去の傾向(ヴァーサナー)は繰り返し何度も上がってきて、その場で破壊されました。そうして、その過程は終わり、最上の安らぎが行き渡りました。私はハートの最後の震えを感じましたが、それが完全に止むまで手を離しませんでした。パラニ・スワーミーとの経験のおかげで、今回、私は注意深くいました。母のプラーナ(生命力)が完全にハートに溶け込んだのを見ました。」(何年も前に、ヴィルーパークシャ洞窟でアラガンマルが重篤な病にかかっていた時、バガヴァーンはタミル語で4詩節を作り、その中の1つで、死後に体を火葬する必要がないように、炎の山アルナーチャラにジニャーナの炎で母を焼き尽くすように祈ったことをここで記すことは興味深いことでしょう。アルナーチャラ自身であるバガヴァーンは、何年も前に彼が祈りの形で表したことを行いました。(*1))
ここで、『バガヴァッド・ギーター』の以下の有名なスローカが思い出されます。「死の瞬間にさえ私だけを思い起こし、体を放棄した者は、私の存在に溶け込む。これについて疑いは存在しない。何であれ思いながら、人が最後にその体を離れる時、その最後の思いの力により、人はそれを得る。おお、パルタ!これがブラフマンの境地である。これに到達し、もはや惑わされない。最後の瞬間にさえこの境地に留まり、人はブラフマンとして解放される。」(第8章-5・6、第2章-72)
バガヴァーンはその時まで食事をとっていませんでした。それで、母親への付き添いが終わった後、彼は穏やかに食事をとりました。その夜の間ずっと、祈りの歌が歌われ、バガヴァーン自身もティルヴァーチャカム(聖者マーニッカヴァーチャカルによりタミル語で作られたシヴァを讃える賛歌の集成)すべてを歌うことに加わりました。翌朝、アラガンマルの体は山から山の南の場所に下ろされ、そこで埋葬されました。体は通常のように火葬されませんでした。それはアラガンマルが長年サンニャーシニであり、カーシャヤ(黄土色の服)を身につけていただけでなく、バガヴァーンの驚くべき恩寵によって解放されたからでもあります。バガヴァーン自身により、リンガが彼女のサマーディに安置されました。その時居合わせたガナパティ・ムニは、アラガンマルの解放についてサンスクリット語で六詩節詠いました。これはその中の二つの翻訳です。
ヴェーダーンタの聖句により示される最上の光
一切世界に行き渡る光
その光は息子の恩寵によって母アラガンマルに明るく輝き
彼女自身がかの光として輝いた
マハルシの聖なる母が輝き出ますように
彼女の恩寵の神殿が輝き出ますように
安置されたリンガが永久(とわ)に輝き出ますように
清涼な泉が永久に湧き出ますように
(ここで言及されているのは、母のサマーディの近くでバガヴァーンにより示された場所を掘るとすぐに湧き出た澄みきった泉のことです。)
天来の詩人の言葉の通り、今やそこには、聖域に安置された花崗岩のシュリー・チャクラ・メールと共にある母のサマーディの上に建造された美しい寺院が立っており、その恩寵の絶えることのない泉と共にバガヴァーンの恩寵の神殿が隣接してあります。
次は、牝牛のラクシュミーです。子牛の時、彼女は夢で指示を受けた村人によって母牛と共にシュリー・ラマナーシュラマムに贈られました。受け入れの表れとして、バガヴァーンは子牛を優しくなでましたが、世話するためのアーシュラムの設備不足のため、彼女達はティルヴァンナーマライに住んでいる信奉者へ任されました。彼は彼女達の世話をして、牛乳をアーシュラムに毎日持ってきました。タイの月の二日、牝牛の崇拝(ゴープージャ)の日に、信奉者らは子牛のラクシュミーと母牛をアーシュラムへと連れてきました。ラクシュミーはバガヴァーンにより優しくなでられ、彼女は特に彼になついていました。以来、ラクシュミーが家で柱につながれていなかった時、彼女は自分でアーシュラムに走って行き、バガヴァーンのもとへまっすぐ行き、バガヴァーンは彼女を優しくなで、果物や食べ物をあげました。
数年後、アーシュラムで牝牛を養うための適切な準備がなされた時、彼女はアーシュラムに戻されました。アーシュラムでさえ、牝牛の小屋(ゴーシャラ)でラクシュミーが柱につながれていなかった時はいつも、彼女はまっすぐバガヴァーンの講堂へ走って行き、彼のもとに現れました。バガヴァーンは手元にどんな仕事があっても、ラクシュミーを迎え、優しくなでるために全部わきにやり、彼女の目を深く見つめたものでした。ラクシュミーがバガヴァーンに感じた愛着はそのようであり、彼女が彼から受けとった応答はそのようでした。年月は流れ、ラクシュミーはバガヴァーンのまさに誕生日にしばしば子牛を生みました。
ついには、ラクシュミーは年をとり、病気になりました。バガヴァーンは牛小屋で彼女を毎日訪れたものでした。そしてある日、彼女はまもなく亡くなりそうに見えました。バガヴァーンは彼女のそばに座り、憐れみをもって彼女に触れ、見ました。その後すぐ、彼女は亡くなりました。ラクシュミーの体をアーシュラムの構内に埋葬する準備がなされました。通例の聖なる沐浴が彼女に与えられ、しかるべき儀式の後、バガヴァーンの講堂から数ヤード離れたアーシュラムの北側の敷地の近くに埋葬されました。バガヴァーンはそばで椅子に座り、すべての手順を見ていました。果物と揚げた米が、その時にいたすべての人に配られました。
その夕方、バガヴァーンは、その日の日付と星の配置を尋ねました。信奉者たちは、どうして彼がそれを尋ねるのだろうと思いました。それはとても珍しいことでした。次の朝、バガヴァーンは彼がタミル語でつくった牝牛のラクシュミーが解放を得た年月日、曜日、星座の配置を述べた詩節を見せました(*2)。デーヴァラージャ・ムダリアールはバガヴァーンに彼がムクティそのもの(誕生と死の輪廻からの最終的な解放)を意図しているのか、もしくは、その用語を形式的な方法で使ったのか尋ねました。バガヴァーンはその言葉を意図的に、その本来の意味で使ったと請け合いました。それゆえ、バガヴァーンが彼女の解放をもたらしたことが明らかになりました。ラクシュミーのサマーディの上に彼女の石像があり、背後の石板に(彼女の解放について)バガヴァーンによって書かれたタミル語の詩節が刻まれています。
近くに、最後の瞬間にバガヴァーンに世話してもらった犬(ジャッキー)、鹿(ヴァリィ)、カラスのサマーディがあります(*3)。それらは我々に知られているほんのわずかのバガヴァーンの恩寵の働きです。ジニャーニのすぐ近くはブラフマローカ(ブラフマンの領域)として描かれ、生きているうちに、もしくは、最後の瞬間にそのような人のそばにいる機会を得た人々は実に幸運です。
究極的な真理では束縛も解放もなく、純粋な自覚のみ、一切の中の唯一の自らが存在するのですが、相対的な真理もまた真剣に受け取られるべきです。なぜなら、そこから我々は始まり、それからのみ一切のサーダナが生じるからです。バガヴァーンが「ウパデーシャ・サーラ」でニシュカームヤ・カルマ、献身、ジャパ、ディヤーナという一切の段階を扱っていることは覚えておかれるべきことです(*4)。その後、人は自らの探求へ到り、その成果は、分離した個人性自体が存在せず、それゆえに、束縛も解放もないという実現です。
(*1)http://arunachala-saint.blogspot.jp/2012/12/blog-post_16.html
(*2)「On Friday, the 5th of Ani, in the bright fortnight, in Sukla Paksham, on dvadasi in visaka nakshatra in sarvadhari year [that is, on 18th June 1948] the cow Lakshmi attained mukti.」
「アーニ月(6月)の5日の金曜に、シュクラ・パクシャム(月が満ちて行く2週間)に、サルヴァダリ(1948年)のヴィシャーカー・ナクシャトラ(月の位置)のドヴァダーシー(第12日)に、牝牛のラクシュミーはムクティを得た。」
(*3)http://www.geocities.jp/ramana_mahaananda/ramanasramam-holder/photo-holder/lakshmi-samadei.htm、シリウスさんのHPでラクシュミーやその他の動物のお墓の写真が見れます。
(*4)http://arunachala-saint.blogspot.jp/2012/12/quintessence-of-instructionupadesa-saram.html、第3詩節がニシュカームヤ・カルマ(無欲の行為)を、第4~9詩節で献身・ジャパ(朗唱)・ディヤーナ(瞑想)が扱われています。