10.ラマナを思い出して-チャガンラル・ヨーギ
IV.シュリー・ラマナの愛の教え
「怒りから妄想が、妄想から混乱した記憶が、混乱した記憶から理性の破壊が、理性の破壊から彼は滅びる」(*1)。そのように、シュリー・クリシュナは『バガヴァッド・ギーター』で述べています。そのように、怒りは人の衰退の根本の原因であり、彼を人間性を欠いたものにします。それゆえ、逆に、怒りの克服を成し遂げた者は完璧な人です。しかし、怒りを克服することは簡単ではありません。怒りの制御のために、様々な方法が偉大な教師や聖者により説かれています。これらの中で、アルナーチャラの聖者、シュリー・ラマナが説いたものは、大変ユニークで斬新な方法です。
シュリー・ラマナ自身は怒りを克服した人であり、怒りを克服する方法を示して欲しいという要望を携えた若い男性により話を持ちかけられた時、そうするための珍しくも効果的な方法を彼に示しました。それはこのように起こりました。
ある時、若い男性がシュリー・ラマナーシュラムにやってきて、講堂に入りました。平伏した後、彼は「バガヴァーン!私の五感(senses)は暴れ回り、変わりやすいのです。あなたの恩寵を私に授け、それらを制御する方法を私にお示しください。」
「変わりやすさは心のせいです。いったん心が制御されるなら、五感はひとりでに良くなります」とシュリー・バガヴァーンは微笑んで答えました。
「そのとおりです、バガヴァーン!しかし、私はつまらないことにさえも興奮し、怒りを制御しようとすればするほど怒りが強く私を捕らえるのです」と若い探求者はさらなる困難を言い足しました。
「そうですか。しかし、一体あなたはどうして怒らなければならないのですか。そして、あなたが怒りたいなら、どうしてあなたの怒りに怒らないのですか」とシュリー・バガヴァーンは若者に質問しました。更に説明して、シュリー・ラマナは、「怒りが高まってくる時はいつも、他人に対してイライラするのではなく、怒りをあなた自身に向けなさい。あなた自身の怒りに怒りなさい。あなたがそれを行うなら、他の誰かに対するあなたの怒りは静まり、それを克服することもできます」と言いました。そのように結論付け、シュリー・バガヴァーンは笑い、それはとても簡単であると示唆しました。
講堂に座っている信奉者たちも彼の笑いに加わりました。彼らの大部分はシュリー・バガヴァーンは上述の言葉を軽い気持ちで発したのだと思いました。これらの貴重な言葉をよく考えたわずかな人しか、この斬新な怒りを制御する方法の知恵を理解できませんでした。
なんという一見すると奇妙で、実行不可能な考えでしょう!我々は誰にでも、すべての人に対しては怒りません。我々は自分自身以外の召使い、子供、他の人々や物事について怒るのです!我々が自分自身の不品行に対して決して怒りをあらわさないのは奇妙ではありませんか。それゆえ、シュリー・バガヴァーンにより示された方法は、ユニークで、とても効果的です。
シュリー・バガヴァーンは自らへ定着のために怒りの完全な制御を成し遂げていましたが、広く世界の福利のため怒りを克服する実践的な方法を若者に示しました。彼は我々一般人に怒りを放ち、それを自分自身の怒りと他の悪徳に向ける自由を与えました。我々が足の棘(とげ)を別の棘によって取り除き、その後に両方の棘を捨てるのとまさしく同様に、シュリー・ラマナは怒りを自分自身に使うことによって、他者に対する怒りを取り除き、両方の怒りを不要とするように助言します。これは実に斬新ですが、しかし、もっとも実践的で、効果的な怒りや他の同様の悪徳を克服する方法です。
シュリー・ラマナは常に自らに定着しており、それゆえ、怒り、嫉妬などの悪徳は彼を悩ますことができず、どれほどの侮辱やいやがらせでも、または、身体的な殴打でさえ彼を平静から振り落とすことはできませんでした。そのような全ての出来事において、以下の人生の出来事に見られるように、彼はまったく怒りから自由でした。
ある時、シュリー・ラマナがアルナーチャラ山の洞窟に座っていた時、嫉妬したサードゥが彼に水をかけました。しかし、彼はいつものようにうろたえず、自らに没頭していました。彼の落ち着きを見て困惑したサードゥに対する怒りのうずきすら彼の心に生じませんでした。何もシュリ-・ラマナを苛立たせることはできないと悟り、哀れなサードゥは静かに立ち去りました。
ある日、若い男性がシュリー・ラマナーシュラムを邪な目的を持って訪問しました。講堂に入り、前の方に席ををとり、シュリー・バガヴァーンにあらゆる類の質問をし始めました。彼はシュリー・バガヴァーンを偽善者と暴くことによってアーシュラムから口止め料をゆすり取ろうと思っていました。彼はすでにこの企みを裕福な僧たちに試み、成功していました。繰り返し練習することにより、彼はこの技を磨き、収入を得る職業としていました。どこか他で成功をおさめ、彼はこの企みを試みようとシュリー・ラマナーシュラムにやってきました。
他者の無礼、悪意、嫉妬、不品行などに対するシュリー・ラマナ自身の方法は、完全な沈黙の遵守でした。事実、彼はまた、沈黙によって説諭し、教えもしました。彼の沈黙はとても力強いものでした。彼の大変に強力な武器は、攻撃的で無礼な全ての人たちと戦い、武装を解除しました。
まさしく、沈黙はシュリー・ラマナの本来的性質となっていました。それはあらゆる類の人々からの攻撃に対する彼の難攻不落の鎧でした。それで、その若者がどこかで引っかけようとシュリー・ラマナを激しい議論、会話、もしくは、表現に引き入れようと努力を尽くした時、シュリー・ラマナは完全に沈黙したままでした。それゆえ、哀れな若者の目的はくじかれました。若者は口汚い言葉を吐いていましたが、シュリー・ラマナは一言も発さず、終始穏やかで、うろたえませんでした。ついに、万策尽き果てて、若者は彼の目的を達成することは不可能であると理解し、敗北を認めざるを得ず、アーシュラムを立ち去りました。
1924年6月26日、すなわち、アルナーチャラ山のふもとの母のサマーディ(お墓)の近くでシュリー・ラマナーシュラマムが始まった2年後、シュリー・ラマナは、彼の人生において最も偉大な教訓を世界に教えたかもしれません。この日の午後11時30分、3人の強盗が高価なえものを得ようとして襲ってきました。
シュリー・ラマナは強盗に憎しみを持って対処せず、愛を持って対処しました。なぜなら、ブッダのように、彼もまた復讐は復讐によって対処されるべきでなく、愛によって静められるべきであると教え、実践しました。彼は最も困難な時にさえ彼自身が彼の教えを実践に移すことによって、その効果を世界に示しました。
盗みに来た強盗に対してさえ、なんという崇高で、道徳性を高める普遍的な愛と兄弟愛の例でしょうか!シュリー・ラマナのような解放された人のみが、そのような見事な道を人類に示すことができます。それが彼らの直接の経験に由来するものだからです。シュリー・ラマナは彼自身が実践したことのみを説きました。そのために、彼の教えは何らかの方法で彼に接触した膨大な数の信奉者にたいへん力強い影響を持ったのです。
何世紀も前、イエス・キリストは「誰かが我々の右の頬を打つ時、我々は彼に我々の左の頬を差し出すべきである(*2)」と説きました。その時から数百年経ちましたが、シュリー・ラマナを除き、その愛の教訓をそっくりそのまま実践した人を聞いたことがありません。彼は文字どおりそれに従い、実際に左の太ももを打ちつけた強盗に右の太ももを差し出しました。
このように、シュリー・ラマナの教えは現実の実践と人生の本当の経験に基づいていました。彼の教えに従うことによってのみ、我々は我々自身から無数の苦しみを取り除き、安らぎと幸福という目的を達成できます。
自我のない愛である、シュリー・ラマナに恭しく礼拝いたします。
(*1)バガヴァッド・ギーター2章63詩節
(*2)マタイによる福音書5:38、39「『目には目を歯には歯を」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、他の頬をも向けてやりなさい。」
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