2015年2月22日日曜日

バガヴァーン・ラマナの怒り - 敬虔な態度を装うなかれ

◇『大いなる愛と恩寵(Surpassing Love and Grace)』、p103~105

第11章 回想録-Ⅱ


5.ナーラヤナ・アイヤル(副登記官)


 シュリー・バガヴァーンはいつも同じではありませんでした。ほとんど常に、彼は魅惑的な人を喜んで受け入れるような微笑みをたたえた、とても感じの良い人でした。しかしながら、時に、彼は厳しく、近づき難く見えることもありました。そのような時、人々は畏怖と深い自省の念に打たれました。

 ある暑い日曜日の午後、古くからの信奉者がシュリー・バガヴァーンの前にパルミラヤシの実(ノング)をいくつか置きました。バガヴァーンは厳しく言いました。「どうして毎日これを行うのですか。あなたはサンニャーシンです。これを手に入れるために他人にお金を請わねばなりません。あなたはそれは私のためであると言うはずです。あなたはそれを分けあう他の人たちがいなければ私が食べられないことを知っているので、ある程度の量を手に入れなければなりません。あたかも私がそれを望むかのように、これをあなたは私の名前を使って行います。静かにいて、自分のなすべきことに集中することはできませんか。あなたは私の前で平伏し、私を味方に引き入れたと思います。どの平伏もみな、私の頭を殴るようなものです。あたかもこの四つの壁が彼らを隠し、守るかのように、あらゆる類の物事がとがめられずに、この壁の内側で行われます。この平伏を誰が好みますか」。そして、引き続き彼は、信心深い人のように見せかけているが、多くの不純を隠している、ありとあらゆる人々に対して長く手厳しい非難を始めました。非難されたのは一人の個人ではありませんでした。講堂の雰囲気は張りつめ、一人ずつ、信奉者たちはこっそり外に出ました。

 しかし、そのような不機嫌はほんの束の間であり、次の瞬間には、彼はいつもの優しさに切り替わることができました。ある時、シュリー・T.P.R.と私はシュリー・バガヴァーンに「アルナーチャラ・アシュタカム」の第6詩節の説明をお願いしようと決め、シュリー・バガヴァーンがいつもの山歩きから帰った後で、講堂に行きました。その間に、何かが我々を動かしました(?)。シュリー・ムルガナールはシュリー・バガヴァーンの前で平伏し、町の人から乞食するために、いつもの巡回に出かけました。我々はちょうどその時、昼食の甘味のために、すり鉢でジャックフルーツをすりつぶしていました。シュリー・ムルガナールの母親の命日であったので、彼はビクシャー(*1)のためにいくらか寄付しました。彼は料理を味わうべくそこにおらず、我々はとても気の毒に思いました。彼が母親に敬意を表わしてビクシャーのために何かを提供した後で出かけているという事実が、シュリー・バガヴァーンの知るところとなりました。即座に、バガヴァーンの表情に変化がありました。彼はシュリー・ムルガナールがアーシュラムの管理人に気に入られていないことを知っていました。「誰が彼を食事に招かねばならないのですか。チンナスワーミーは彼を好きではありません。彼はここの主人です」(*2)とバガヴァーンは言いました。張りつめた空気がありました。T.P.Rと私は、解説には別の機会を選ぼうとささやき合い、我々の本を閉じました。シュリー・バガヴァーンは我々がそうするのを見て、どうしたのか我々に尋ねました。我々は何の目的で来たのか答えました。即座に、シュリー・バガヴァーンは「なぜ今でないのですか」と言い、説明し始めました。それは素晴らしいものでした!どの文もみな、力強く流れ始めました。それはそこで終わりませんでした。さらに1日か2日の間、我々が彼の前に座る時はいつも、次から次に同様の解説が求めずとも私たちのもとに来ました。

 月に一度の満月の日に、シュリー・バガヴァーンは頭を剃りました。ナテーサンは、その奉仕をよく行った床屋でした。バガヴァーンは腰掛に座り、ナテーサンは立って彼(の頭)を剃ったものでした。ある時、シュリー・バガヴァーンは、床屋が腰掛に座り、その間、彼自身が床に座っているほうがより快適でしょうとナテーサンに大真面目で提案しました!

 私のアーシュラムへのある訪問の際、私は夜の8時半過ぎにやって来ました。すべての人が夕食後に休憩するために床についていました。私は事務所へ行きました。チンナスワーミーがアーシュラムに住む人たちと話しながら、彼の席に座っていました。彼が私が入るのを見た時、彼は、「ナーラーヤナ・アイヤル、シュリー・バガヴァーンの寝椅子に近づいてはいけません。彼は井戸の近くのベランダで休んでいます。彼は鎖骨を骨折して、その上に膏薬が塗られています。彼を煩わすべきではありません。遠くから平伏し、音を立てずに離れなさい」と言いました。私はその知らせを聞いて衝撃を受けました。もし何か他の説明が与えられていたなら、それは私を引きとめることができたでしょうが、「骨折」という話が持ち出されたことで、私はシュリー・バガヴァーンにしきりに会いたくなりました。私はつま先立ちで行き、静かに平伏しました。彼は明らかに私を見て、「ナーラーヤナ・アイヤル、来て、寝椅子の上で私のそばに座りなさい。そうして初めて私はあなたを見て、話ができます。そうでなければ、彼らが付けた包帯が乱されて、痛みがあるかもしれません」と言いました。彼がこう話した時、万一チンナスワーミーがそこにいる私を偶然見た時の彼の反応への恐れにもかかわらず、暗黙のうちに私は従いました。彼は、「私は階段を上っていました。犬がリスを追いかけていました。私はその前に杖を差し出して、道をふさぎました。杖が滑り、私は倒れ、鎖骨を傷つけました。彼らは骨折だと言い、古くからの信奉者である、地元の村の接骨医が呼びにやられました。彼は青い葉っぱと黒ひよこ豆の練り物がついた、この包帯をつけ、それが乱されてはいけないからと私は動かないように言いつけられています」と言いました。彼はその出来事を、あたかもけがをして苦しんでいるのが誰か他の人の体あるかのように語りました!

(*1)ビクシャー・・・ビクシャーは「施し物」を意味し、ここではアーシュラムの信奉者たちに食事を提供するために寄付することをビクシャーと呼んでいます。
(*2)「訪問者がアーシュラムのすべての人々に食事を提供するためにお金を差し出す時、当然、その人もまた食事に招待されたものでした。施主はまた、通常、何人か客を連れてくるか、招待することを許されました。この制度は今でも続いています。」(参考:http://sri-ramana-maharshi.blogspot.jp/2010/10/bhiksha-in-tiruvannamalai.html)ここで、バガヴァーンは、アーシュラムの管理人であるバガヴァーンの弟のチンナスワーミーがムルガナールを招待しなかったことをとがめているのだろうと思われます。


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