2015年2月27日金曜日

哲学の迷宮に惑うことなく源へ進め、ニルヴァーナとは何か

◇『グル・ラマナ(GURU RAMANA-memories and notes)』、第2部-対話、p55、p88~89

第7章 哲学の危険性

1937年4月10日

 その主要な関心が人間とその構造である、大いに学識のある訪問者が、シュリー・バガヴァーンに人間の様々な体、コーシャとその機能、アートマ‐ブッディ‐マナスなどを体験から説明することを望みました。

バガヴァーン:(短い説明が加えられた後)
 入り組んだ迷路のような様々な学派の哲学は、物事をはっきりと説明し、真理を明らかにすると主張しますが、実際、それらは混乱が存在する必要もない所に混乱を作り出します。何を理解するためにも、理解する者が存在することが必要なはずです。体、アハンカーラ、ブッディ、創造、神、マハートマー、世界-自らでないものについて一体どうして心配するのでしょうか。あなた自身のままあり、安らかにいてはどうですか。ヴェーダーンタを例にとりましょう。それは15のプラーナ、その名称と機能について話し、生徒はそれらを暗記するように求められます。ただ一つのプラーナが体の中で生命を維持する全ての働きをしていると彼が教わるなら、それで十分ではありませんか。また、アンタカラナは、思うこと、欲すること、意図すること、論理的に思考することなどと言われています。どうしてこの細かなことがいりますか。アンタカラナや、これら全てのプラーナを誰か見たのでしょうか。それらは本当に存在しますか。その全ては哲学の教師により彼らの過剰な分析によってこしらえられた概念的区分です。この全ての概念はどこで終わりますか。どうして混乱が作り出され、その後、説明して取り除かれねばならないのでしょうか。哲学の迷宮で道に迷わず、彼らみなが生じた源へ真っ直ぐ向かう人は、幸運です。

第13章 ニルヴァーナ


<1> 1937年5月5日

 訪問者がニルヴァーナの意味を尋ねました。

バガヴァーン:
 ニルヴァーナとは、そこに分離の感覚が存在せず、自我がその源、ハートに沈んだ、かの境地です。

<2> 1937年4月20日

 C氏は著名な神智学者によって記された『ニルヴァーナ』という本を読み、その中で著者は眠りに入った後でニルヴァーナを体験したと主張し、その中で彼はニルヴァーナである光の海の中の光の鮮やかな中心として「師らを見」ました。C氏はそれをシュリー・バガヴァーンの教えと調和させることができませんでした。それで、彼は師にそれについて尋ねました。

バガヴァーン:
 ニルヴァーナは、完全なる境地です。その中に見ることも、聞くことも、経験することも存在しません。ただ純粋な「私は在る」という自覚のみあります。あなたが読んだものから説明したニルヴァーナは、全くの想像です.... まあ、それらが人を利己的でなくさせ、彼に最高の真理のための準備をさせるという限りは、あれこれの似たような運動は良いものです。奉仕もまた同じ目的、自らの実現に通じます-それが私心のないものであるなら。

C氏:
 しかし、絶対的な知への準備ができた人がどれほど、そして、どうして相対的なものを得ようとしなければならないのですか。

バガヴァーン:
 あらゆることはしかるべき時期に起こります。絶対的なものへの準備ができた人は、何らかの形でそれについて耳にすることとなり、その後、その修練を始めます。彼は即座にアートマヴィドヤーの価値を認識し、断固としてどこまでもそれを追求します。

2015年2月22日日曜日

バガヴァーン・ラマナの怒り - 敬虔な態度を装うなかれ

◇『大いなる愛と恩寵(Surpassing Love and Grace)』、p103~105

第11章 回想録-Ⅱ


5.ナーラヤナ・アイヤル(副登記官)


 シュリー・バガヴァーンはいつも同じではありませんでした。ほとんど常に、彼は魅惑的な人を喜んで受け入れるような微笑みをたたえた、とても感じの良い人でした。しかしながら、時に、彼は厳しく、近づき難く見えることもありました。そのような時、人々は畏怖と深い自省の念に打たれました。

 ある暑い日曜日の午後、古くからの信奉者がシュリー・バガヴァーンの前にパルミラヤシの実(ノング)をいくつか置きました。バガヴァーンは厳しく言いました。「どうして毎日これを行うのですか。あなたはサンニャーシンです。これを手に入れるために他人にお金を請わねばなりません。あなたはそれは私のためであると言うはずです。あなたはそれを分けあう他の人たちがいなければ私が食べられないことを知っているので、ある程度の量を手に入れなければなりません。あたかも私がそれを望むかのように、これをあなたは私の名前を使って行います。静かにいて、自分のなすべきことに集中することはできませんか。あなたは私の前で平伏し、私を味方に引き入れたと思います。どの平伏もみな、私の頭を殴るようなものです。あたかもこの四つの壁が彼らを隠し、守るかのように、あらゆる類の物事がとがめられずに、この壁の内側で行われます。この平伏を誰が好みますか」。そして、引き続き彼は、信心深い人のように見せかけているが、多くの不純を隠している、ありとあらゆる人々に対して長く手厳しい非難を始めました。非難されたのは一人の個人ではありませんでした。講堂の雰囲気は張りつめ、一人ずつ、信奉者たちはこっそり外に出ました。

 しかし、そのような不機嫌はほんの束の間であり、次の瞬間には、彼はいつもの優しさに切り替わることができました。ある時、シュリー・T.P.R.と私はシュリー・バガヴァーンに「アルナーチャラ・アシュタカム」の第6詩節の説明をお願いしようと決め、シュリー・バガヴァーンがいつもの山歩きから帰った後で、講堂に行きました。その間に、何かが我々を動かしました(?)。シュリー・ムルガナールはシュリー・バガヴァーンの前で平伏し、町の人から乞食するために、いつもの巡回に出かけました。我々はちょうどその時、昼食の甘味のために、すり鉢でジャックフルーツをすりつぶしていました。シュリー・ムルガナールの母親の命日であったので、彼はビクシャー(*1)のためにいくらか寄付しました。彼は料理を味わうべくそこにおらず、我々はとても気の毒に思いました。彼が母親に敬意を表わしてビクシャーのために何かを提供した後で出かけているという事実が、シュリー・バガヴァーンの知るところとなりました。即座に、バガヴァーンの表情に変化がありました。彼はシュリー・ムルガナールがアーシュラムの管理人に気に入られていないことを知っていました。「誰が彼を食事に招かねばならないのですか。チンナスワーミーは彼を好きではありません。彼はここの主人です」(*2)とバガヴァーンは言いました。張りつめた空気がありました。T.P.Rと私は、解説には別の機会を選ぼうとささやき合い、我々の本を閉じました。シュリー・バガヴァーンは我々がそうするのを見て、どうしたのか我々に尋ねました。我々は何の目的で来たのか答えました。即座に、シュリー・バガヴァーンは「なぜ今でないのですか」と言い、説明し始めました。それは素晴らしいものでした!どの文もみな、力強く流れ始めました。それはそこで終わりませんでした。さらに1日か2日の間、我々が彼の前に座る時はいつも、次から次に同様の解説が求めずとも私たちのもとに来ました。

 月に一度の満月の日に、シュリー・バガヴァーンは頭を剃りました。ナテーサンは、その奉仕をよく行った床屋でした。バガヴァーンは腰掛に座り、ナテーサンは立って彼(の頭)を剃ったものでした。ある時、シュリー・バガヴァーンは、床屋が腰掛に座り、その間、彼自身が床に座っているほうがより快適でしょうとナテーサンに大真面目で提案しました!

 私のアーシュラムへのある訪問の際、私は夜の8時半過ぎにやって来ました。すべての人が夕食後に休憩するために床についていました。私は事務所へ行きました。チンナスワーミーがアーシュラムに住む人たちと話しながら、彼の席に座っていました。彼が私が入るのを見た時、彼は、「ナーラーヤナ・アイヤル、シュリー・バガヴァーンの寝椅子に近づいてはいけません。彼は井戸の近くのベランダで休んでいます。彼は鎖骨を骨折して、その上に膏薬が塗られています。彼を煩わすべきではありません。遠くから平伏し、音を立てずに離れなさい」と言いました。私はその知らせを聞いて衝撃を受けました。もし何か他の説明が与えられていたなら、それは私を引きとめることができたでしょうが、「骨折」という話が持ち出されたことで、私はシュリー・バガヴァーンにしきりに会いたくなりました。私はつま先立ちで行き、静かに平伏しました。彼は明らかに私を見て、「ナーラーヤナ・アイヤル、来て、寝椅子の上で私のそばに座りなさい。そうして初めて私はあなたを見て、話ができます。そうでなければ、彼らが付けた包帯が乱されて、痛みがあるかもしれません」と言いました。彼がこう話した時、万一チンナスワーミーがそこにいる私を偶然見た時の彼の反応への恐れにもかかわらず、暗黙のうちに私は従いました。彼は、「私は階段を上っていました。犬がリスを追いかけていました。私はその前に杖を差し出して、道をふさぎました。杖が滑り、私は倒れ、鎖骨を傷つけました。彼らは骨折だと言い、古くからの信奉者である、地元の村の接骨医が呼びにやられました。彼は青い葉っぱと黒ひよこ豆の練り物がついた、この包帯をつけ、それが乱されてはいけないからと私は動かないように言いつけられています」と言いました。彼はその出来事を、あたかもけがをして苦しんでいるのが誰か他の人の体あるかのように語りました!

(*1)ビクシャー・・・ビクシャーは「施し物」を意味し、ここではアーシュラムの信奉者たちに食事を提供するために寄付することをビクシャーと呼んでいます。
(*2)「訪問者がアーシュラムのすべての人々に食事を提供するためにお金を差し出す時、当然、その人もまた食事に招待されたものでした。施主はまた、通常、何人か客を連れてくるか、招待することを許されました。この制度は今でも続いています。」(参考:http://sri-ramana-maharshi.blogspot.jp/2010/10/bhiksha-in-tiruvannamalai.html)ここで、バガヴァーンは、アーシュラムの管理人であるバガヴァーンの弟のチンナスワーミーがムルガナールを招待しなかったことをとがめているのだろうと思われます。


2015年2月18日水曜日

心の集中という修練の目的、優先すべきは自分自身の現実を知ること

◇『バガヴァーンと日々をともにして(Day by Day with Bhagavan)』

1945年10月19日 朝

 ボンベイからの法廷弁護士がバガヴァーンに尋ねました。「私はバガヴァーンの著作などを読みました。それらを知的に理解することはできますが、体験では何も実現できていません。私はバガヴァーンの方法を六年間試みましたが、まるで進歩していません。私が瞑想する時、他の思いがやって来ます。都市に住み、仕事を行い、ここに時おり来るだけの私のような人々にとって、私がこれまでできたよりも我々がうまくいくように、バガヴァーンはどのようなサーダナを勧めるでしょうか」。

バガヴァーン:
 あなたの本質はいつもそこにあります。あなたの瞑想などは、一時的に訪れるだけです。現実はあなたの自らであるため、あなたにとって実現すべきもの何もありません。必要とされる全ては、非現実を現実とみなすことをあなたが放棄しなければならないということです。全ての瞑想、ディヤーナ、ジャパの目的は、それだけ-自らでないものに関する一切の思いを放棄すること、多くの思いを放棄し、一つの思いから離れずにいることです。

 サーダナに関して言えば、多くの方法があります。あなたは、「私は誰か」あなた自身に尋ね、ヴィチャーラを行ってもかまいませんし、もしそれがあなたにとって魅力的でないなら、「私はブラフマンである」などのディヤーナを行ってもかまいませんし、もしくは、ジャパにおいてマントラや名前に集中してもかまいません。目的は、心を一点に集中させること、心を一つの思いに集中し、そうして、我々の多くの思いを排除することです。そして、我々がこれを行うなら、終には、その一つの思いさえも消え、心はその源で消え去ります。

訪問者: 
 実際の修練で、私は私の努力においてうまくいかないことに気づきます。バガヴァーンの恩寵が私に降りてこなければ、うまくいきません。

バガヴァーン:
 グルの恩寵は、いつもそこにあります。あなたはそれが空高く、はるか離れたどこかや何かであり、下りて来なければならないと想像しています。実際、それはあなたの内に、あなたのハートの中にあり、あなたが心をその源に退けたり、溶け込ますことを達成する瞬間、泉から吹き出るように、あなたの内側から恩寵が現れ出ます。

別の訪問客:
 この世界の現実性とは何ですか。

バガヴァーン:
 あなたがはじめにあなたの現実性を知るなら、世界の現実性を知ることができます。たいていの人が彼ら自身の現実性について知ろうと思わずに、世界の現実性についてしきりに知りたがるのは奇妙なことです。あなたは、まずは、あなた自身の自らを実現し、その後、世界があなたと独立して存在するのか、あなたの前に来て、その現実性や実在を主張できるのか確かめなさい。

別の訪問客:
 例えば子供たちのように、罪のない人々にさえとても多くの苦しみが存在するのはなぜでしょうか。いったいどのように説明できるのでしょうか。前世などに関連してでしょうか。

バガヴァーン:
 世界に関して言えば、あなたがあなた自身の現実を知るなら、これらの質問は起こりません。これら全ての相違、あなたが言うような罪のない人々の痛みや苦しみは、あなたと独立して存在しますか。それらの物事を見て、それらについて尋ねるのは、あなたです。「私は誰か」という探求によって、あなたが見る者を理解するなら、見られるものについての全ての問題は完全に解決されます。

サイード博士:
 人が精神的利益を2年ほど願い求めても、聞き入れられないなら、彼はどうすべきですか。

バガヴァーン
 その願い事が叶えられないことが、彼のためであるかもしれません。

1945年12月28日 午後 (前略)

 我々のチャガンラル・ヨーギに紹介され、ジョーシー氏という人が、以下の質問をし、バガヴァーンは以下の答えを与えました。

質問1:
 「私は誰か」と考える時、「私はこの死すべき体ではなく、私はチャイタンヤ(*1)、アートマ、または、パラマートマである」という答えがやって来ます。そして、突然、別の質問が起こります-「なぜアートマはマーヤーに入ったのか」、もしくは、言い換えるなら、「なぜ神はこの世界を想像したのか」。

答え:
 「私は誰か」探求することは、実際には、自我、または、「私」なる思いの源を探しだそうと努めることを意味します。「私はこの体ではない」などのような他の思いを考えるべきではありません。「私」の源を探すことが、他の一切の思いを取り除く手段として役立ちます。あなたが述べたような他の思いを働かせる余地を与えるべきではなく、(それぞれの思いが生じる時に)誰にその思いが起こったのか尋ねることによって、そして答えが「私がその思いを得た」であるなら、この「私」は誰か、その源はどこからかさらに尋ねることによって、「私」なる思いの源を見出すことに注意を定めておくべきです。

質問2:
 アートマは、サークシャートカーラ(*2)の対象ですか。

答え:
 アートマは、そのままにあります。それはいつもサークシャート(*3)です。一方が知り、他方が知られるという二人のアートマは存在しません。それを知ることとは、それであることです。それは人がそこで他の何ものも意識しない境地です。それは意識そのものです。

質問3:
 「ブラフマ・サティヤム・ジャガット・ミティヤム(ブラフマンは現実であり、世界は非現実である)」の意味が私には理解できません。この世界は現実に存在しているのでしょうか、していないのでしょうか。ジニャーニは世界を見ないのでしょうか。それとも、彼はそれを異なる姿で見るのでしょうか。

答え:
 世界にその現実性や虚偽性について悩ませておきましょう。まずは、あなた自身の現実性について見出しなさい。その時、全ての物事が明らかになります。ジニャーニがどのように世界を見るかは、あなたが心配することではないでしょう。あなたはあなた自身を実現しなさい。その時、あなたは理解します。ジニャーニは、名と形からなる世界が自らを制限していないこと、自らがそれらを超えていることを知っています。

質問4:
 私はどのように崇拝すべきか知りません。崇拝する方法をどうぞ私にお示しください。

答え:
 「崇拝する者」と「崇拝されるもの」が存在しますか。崇拝する者である「私」を見出しなさい。それが最良の方法です。いつも見る者が追跡されなければなりません。

(*1)チャイタンヤ・・・意識、精神、知性
(*2)サークシャートカーラ・・・実現すること、明らかにすること
(*3)サークシャート・・・顕現している、明らかである

2015年2月12日木曜日

シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサ - 普遍の真理の体験者

◇「山の道(Mountain Path)」、1969年4月 p90~91

シュリー・ラーマクリシュナの普遍性

スワーミー・ヴィシャダーナンダ

 シュリー・ラーマクリシュナの偉大な達成の一つは、宗教間の調和を彼が強調したことでした。 彼はヒンドゥー教徒として生まれ、伝統的なヒンドゥー教の生活様式に従いました。彼はヒンドゥー教の神々や女神を崇拝しました。しかし、彼はそれらの根底にある唯一の至高なる神を崇拝し、明示しました。

 彼は理論を記しませんでしたが、その教えを素朴な短い物語で説き、それらの多くは(後に述べられる二つの物語のように)起源の古いものです。4人の旅行者はみな、水を欲しがり(もしくは、別説では、水は持っていて、みなは市場へ行き、各々が異なる種類の果物を求めました)、彼らが欲しがったものを受け取った時はじめて、彼らはみなが同じものを各々異なる言葉で求めていたことを悟りました。または、盲目の人々の一団みなが、象を言い表わそうと試みました。ある人は象の足を触り、象は柱のようだと断言し、別の人は耳を触り、箕(み)のようだと言い、また別の人は鼻を触り、縄の一種であると言い、さらに別の人は尻尾を触り、はけの一種であると言い、最後に、目の見える人がやって来て、彼らに、「それに関して言えば、あなたたちはそれなりに正しいのですが、象はその全てであり、それ以上のものですよ」と伝えました。神の性質について内輪もめをする様々な宗教の信奉者の場合も同様です。真理は神ですが、神の信奉者の定義を超えています。リグヴェーダで述べられるように、「彼は一者であるが、彼らは彼を様々な名で呼ぶ」のです。全ての宗教が、神へ通じる道です。

 この種の宣言は、シュリー・ラーマクリシュナ側の単なる理論ではありませんでした。狂気か絶望の瀬戸際まで彼を追いやるほどに激しい努力によって、彼は神を実現し、ニルヴィカルパ・サマーディという至高の境地に到達しました。いったんこの神聖な境地を得た後、彼は頻繁に忘我状態に陥り、啓示の言葉を発したものでした。彼は諸宗教の一致を自ら体験したいと思い、それで、ヒンドゥー教を通じて最高の境地を達成した後、彼はキリストとキリスト教に一心に専念し始めました。彼はキリストが庭園を歩く映像を見て、キリスト教の表現において同一の真理を体験しました。彼はまたイスラム教にも専念し、同じ真理を体験(理解ではなく、体験)しました。


「シュリー・ラーマクリシュナ・アーラティ」 スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ作

 彼は神々や高次の領域の神聖な姿から、聖なる母から啓示を受け取ったものでした。彼自身の啓示もまた彼にとっての拠り所であり、彼は忘我状態の崇高な境地でそれらを口にしました。他の宗教においてだけでなく、ヒンドゥー教の様々な教派の内でもまた、彼は様々な道-ヴィシュヌ派、シヴァ派、シャクティ派など-で実験し、それらを通じて同一の究極的神性、安らぎ、幸福を実現しました。彼自身が、キリストやイスラム教やヒンドゥー教の神の顕現を実現する時に、同じ神性を感じたと言いました。彼は、神は一者であるが、彼へ通じる道は多いと言明しました。必要とされることは直接的な自らの体験であり、各人が自分自身で得なければなりません。また、彼は良く知られた素朴な喩えを使いました。どれほど多くの形や色であっても、砂糖菓子は同じ砂糖から作られています。なすべき肝心なことは、形や色について論じ合うことではなく、それらを味わうことです。彼はよく、「宗教は道のようなもので、どれほど遠くの国から人が来ようとも、彼を目的地に連れゆく何らかの道を彼は見つけることができます」と言いました。ただ彼はその道をしっかりと信念をもってたどり、他の人々には彼らの道をたどるに任せておかねばならないだけでした。他のいかなる道への憎しみ、および、それをたどる人々への妨害は、神である道の作り手自身への妨害を意味するだけです。

 シュリー・ラーマクリシュナは、宗教について論じ合いませんでした。彼は読み書きができず、議論をまるで好みませんでした。彼は神を全世界の母として、または、ジャガダンバ、宇宙の根源として崇拝しました。しかし、このことはより付属的な神々や天の国々が存在しえないということではありません。迷信や価値のない習わしもあるかもしれませんが、真実のものもあり、それらについてシュリー・ラーマクリシュナ以上に知る者はいません。天の国々や、形を伴いながら形を伴わない神聖な境地があることを彼は知っていました。ヒンドゥー教は、ヴァイクンタを神々しい姿形からなる楽園として語ります。それを超えて、姿形を持たずに人格神が君臨するブラフマローカがあります。それさえも超え、シュリー・クリシュナは『バガヴァッド・ギーター』の中で、彼の究極の住まいである、至高なる不顕現のものについて語りました。仏教は神について語りませんが、同様に高次の領域について教え、清められた者はデーヴァや他の悟った存在と共に、栄光と喜びを体験できます。しかし、ヒンドゥー教と仏教が共に導く、悟りの最終的な境地は、ヒンドゥー教徒にはニルグナ・ブラフマンと呼ばれ、仏教徒には個人の経験が存続しないニルヴァーナと呼ばれています。シュリー・ラーマクリシュナは人々にこれについて理論化することを勧めませんでしたが、無限に継続する普遍的な悟りの境地の体験を求め努力することを勧めました。彼は人が一心に従うどのような宗教を通じてでも、それを得ることができると確証しました。道々は異なるかもしれませんが、究極的な体験は同じです。彼は宗教間に多くの接触があった時期に生きたため、彼のこの自らの確信がとりわけ必要とされました。これに耳を傾けようではありませんか。


シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの格言


神は全ての道を通じて実現することができる
全ての宗教は真実である
重要なことは、屋根に達することだ
あなたは石の階段で、木の階段で、竹の階段で、または、縄でそれに達することができる
あなたは竹竿でよじ登ることもできる

宗教について語ることは簡単だが、それを実践することは困難である

もし神が真の行為者であり、人が自分一人では何をするにも無力であることを知るなら
たとえここに、この肉体をもった状態でも、人は全くの自由である

東へ行きたいと思うなら、西へ行くなかれ

神の目が得られる時、一切は等しく見え
善悪や、尊卑などの区別は後に残らない

普遍的な自らなる真の知によって、あなたがはじめにあなた自身を強くし
その後、富と世俗のまっただ中で生活するなら
間違いなく、それらは少しもあなたに影響を及さない

神は全ての人の内にいるが、全ての人が神の内にはいない
それゆえに我々は苦しむ

世界とは、まさに、真実と偽りの混合物である
偽りを捨て、真実を手にとれ

富や名声や人を快適にするものといった儚いものへの愛着が
毎日、より少なくなるようにと神に祈れ

神はあらゆる所にいる、彼は人の内にもっとも顕れる
それゆえ、神として人に仕えよ。それは神を崇拝することも同然である

ある類の医者は、薬を処方して、患者の脈に触れ、立ち去る
彼らが部屋を去る時、患者にただ薬を飲むように求めるだけだ
彼らは医者の中で最も劣った類である

借家人が家の使用ために家賃を支払うように、病とは人が体に支払う税金である

花開く時、蜂は招かれずとも訪れる

それを通じて神に近づきうる神の名はより多く、その形は無限である
どのような名や形で彼を崇拝しようとも、それらを通じてあなたは彼を実現する

束縛は心に関してあり、解放も心に関してある
あなたが、「私は自由な魂だ。私は神の子だ。誰が私を束縛できるのか」と言うなら
あなたは自由になるだろう

2015年2月6日金曜日

ラマナーシュラマムでの朝夕のヴェーダ・パーラーヤナ(詠唱)一覧

◇「山の道(Mountain Path)」、1968年1月 p71~72

ヴェーダ・パーラーヤナ

はじめに

 シュリー・ラマナの存命中、ヴェーダの詠唱、または、ヴェーダ・パーラーヤナが朝夕、1日に2回催されていました。それぞれの場合に40分ほど続き、それは今でも続けられています。その後に続くプージャーと共に、これはアーシュラムで扱われた、または、通常扱われている唯一の儀式です。バガヴァーンは明らかに人々がそれに参加することに賛成しましたが、これに関してさえ、強制は存在しません。それはとてつもない静寂の時間であり、彼はその時、岩に刻みつけられたかのように、動かずに座りました。彼は何がそれを妨げることも決して許しませんでした。それを理解するために、人々がその意味を学ぶべきなのか尋ねられた時、彼は「いいえ。詠唱が瞑想の支えとして役立てば、十分です」と言いました。

 しかしながら、そうであっても、詠唱に使われる部分がシュリー・バガヴァーン自身によって注意深く選ばれ、認められていることも本当です。厳密に言えば、ヴェーダとは明確に定義された聖典の集まりですが、シュリー・バガヴァーンの前で唱えられた文章の全てが厳密にはヴェーダではありません。その全てはシュリー・バガヴァーンの存在によって吹きこまれた神聖さを備えています。その全てはサンスクリット語で唱えられます。それらをバガヴァーンの定期刊行物の読者に翻訳で手に入るようにすべきであると思いました。バガヴァーンの存命中以来、それらから何も取り除かれてはいませんが、一つだけ付け加えられました。それは「ダクシナームールティ・ストートラ」であり、主に故チャドウィック少佐(サードゥ・アルナーチャラ)の要望で、今では夕べの詠唱の前の開始の賛歌として使われています。その英訳は、シュリー・バガヴァーンによってサンスクリット語からタミル語に翻訳された、シュリー・シャンカラによる他の二つの作品と共に、この号の『Mountain Path』に掲載されています。

 厳密には、ヴェーダの朗唱を聞くことさえバラモンだけに許されていることになっていますが、この禁止はシュリー・バガヴァーンによって廃止されました。ジーヴァン・ムクタの言葉は聖典以上のものであると認められており、バガヴァーンの言葉は受け入れられました。バガヴァーンの言葉は生けるヴェーダであり、彼は(諸々の)ヴェーダの源でした。我々の記事、1965年10月のクリシュナ・ビクシュによる「Above Orthodxy and Unorthodxy」の中で説明されるように、彼が適当であると分かるような正統派的慣行の要素だけを彼は保持しました。彼の面前では、バラモンと非バラモン、ヒンドゥー人と西洋人が詠唱の時に肩を並べて座りました。ある北インドの訪問者がかつて無謀にもこれに異議を唱え、バガヴァーンはそっけなく、「座って、あなた自身のサーダナに専念しなさい」と答えました(それは、「自分のなすべきことに集中しなさい(人のことに口出ししないように)」と翻訳されるかもしれません)。

 以下は、唱えられる項目の一覧表です。

 (shiba注:以下の一覧表は、英文そのままの翻訳ではなく、分かりやすくするために手を加えています。MPは「Mountain Path」の略で、次に発行された年と月を記し、それぞれの作品が掲載された号を示しています。)

<朝のヴェーダ・パーラーヤナ>


ラマナ・チャトヴァーリムサット(Ramana Chatvarimsat) <MP:68. Apr>(

 カーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニによるバガヴァーン・シュリー・ラマナを讃えた40詩節

シュリー・アルナーチャラ・パンチャラトナム(Sri Arunachala Pancharatnam)

 バガヴァーン・シュリー・ラマナによるシュリー・アルナーチャラへの5詩節

タイッティリーヤ・ウパニシャッド(Taittiriya Upanishad)

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・アーランヤカ、第7・8・9プラシュナ(章)

   第7プラシュナ・・・シークシャー・ヴァッリー <MP: 68. Jul・Oct>
   第8プラシュナ・・・ブラフマーナンダ・ヴァッリー <MP: 69. Jan>
   第9プラシュナ・・・ブリグ・ヴァッリー <MP: 69. Apr>

シュリー・スークタム(Sri Suktam) <MP: 69. Jul>

 リグヴェーダのキラーニ(98ある外典)の一つ

 繁栄の女神ラクシュミー(または、シュリー)への賛歌であり、様々な富をラクシュミーに願い求めている。ラクシュミーはシヴァやブラフマーの力の源、全ての支配者として描かれてもいる。



マハーナーラヤナ・ウパニシャッド(Mahanarayana Upanishad)の一部 <MP: 69. Oct>

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・アーランヤカ、第10プラシュナ(章)である「マハーナーラヤナ・ウパニシャッド」、第12アヌヴァーカ(項)、1~17詩節

 その内の14~17詩節は「ナ・カルマナ(Na Karmana)」と呼ばれている。

<夕べのヴェーダ・パーラーヤナ>


ダクシナームールティ・ストートラム(Dakshinamurti Stotram) <MP: 70. Jan>(

 アーディ・シャンカラーチャーリヤによるシヴァ神の化身・ダクシナームールティへの賛歌。

シュリー・ルドラム(Sri Rudram)

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・サンヒター、第4カーンダ(書)、第5・7プラパータカ(章)

   第5プラパータカ・・・ナマカム(Namakam) <MP: 70. Apr - 71.Oct(70.Octを除く)>
   第7プラパータカ・・・チャマカム(Chamakam) <MP: 72. Jan>

 ナマカムでは、「ナモー」や「ナマ」という言葉でルドラ(シヴァの別称)に繰り返し敬意を表している。また、ルドラに自分たちに危害を加えず、敵から守り、幸福を与えるように願い求めてもいる。ルドラは、世界の主として、あらゆる存在に住まう者として、あらゆる存在そのものとして描かれている。
 



 チャマカムでは、様々な望みの成就を願い求めている。繰り返される「チャメー」や「チャマ」という文句は、「私に(これが授けられますように)」という意味。



プルシャ・スークタム(Purusha Suktam) <MP: 72. Apr>

 リグヴェーダ、第10マンダラ(書)、第90スークタ(賛歌)

 プルシャ(普遍的実在)へ捧げられた賛歌。プルシャは全ての源であり、それから全てが創造されていることを表現している。また、プルシャは真理として、不死の授け手としても描かれている。



ナーラーヤナ・スークタム(Narayana Suktam) <MP: 72. Apr>

 上述の「マハーナーラヤナ・ウパニシャッド」、第13アヌヴァーカ(項)、1~12詩節

 至高の現実、至高の自らなどとして描かれるナーラーヤナへの賛歌。第12詩節では、「彼はシヴァ、ハリ(ヴィシュヌ)、インドラである」と表現されている。



ドゥルガー・スークタム(Druga Suktam) <MP: 72. Jul>

 上述の「マハーナーラヤナ・ウパニシャッド」、第2アヌヴァーカ(項)、1~7詩節

 女神ドゥルガーへの賛歌とされるが、火神アグニやインドラへも向けらけられている。障害の除去、幸福を授けてくれるように神々に願い求めている。ドゥルガーは、「近づき難い者」、「征服できない者」という意味であり、アーディ・パラシャクティ(=パラ・ブラフマン)が顕現した元々の姿。



アールナ・プラシュナ(Aruna Prasna)の一部 <MP: 72. Jul>

 クリシュナ・ヤジュルヴェーダ→タイッティリーヤ・シャーカー(部)→タイッティリーヤ・アーランヤカ、第1プラシュナ(章)である「アールナ・プラシュナ」の一部

ウパデーシャ・サーラム(Upadesa Saram) <MP: 72. Oct>(

 バガヴァーン・シュリー・ラマナによるサーダナの真髄を表わした30詩節。

ナ・カルマナ(Na Karmana) <MP: 72. Oct>

 バガヴァーン・シュリー・ラマナによってタミル語に翻訳され、バガヴァーンの監修のもとでチャドウィック少佐によって英訳された。不死を得るための手段を明らかにしている。

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 さらに、朝と夕方のプージャーで毎日唱えられる、バガヴァーンの108の名前の連なりがあります。特別な機会には、拡大された1008の名前の連なりが唱えられます。両方の一覧表が掲載されます。

 (一つの号で引用するには、もちろん、これはあまりに多いので、我々はそれを連載します。)